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七月尽日記 2025年

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昨日の未明、金星と木星(と思われる)が東の空で美しく輝いていた。今朝は4:35頃に家を出たので、星を見るには少し明るくなりすぎていた。 もう明日で8月、オリオンの三つ星が未明の東の地平線上へはっきり現れる頃だ。冬の星座と呼ばれるオリオンが、もう見られる。夕方西の空に沈むオリオンがなんとか見られる4月以来のことだ。 夜明け前の東の星空には季節先取りの星座が昇ってくる。熱帯夜の終わりに冬の星座、これが今の季節のことなのだ。そしてあと1週間ほどで立秋ではないか。暦も実際の季節感より先取りして時を告げる。 今朝は涼しい。自転車を漕ぎ出すと少し肌寒いくらいだった。兵庫の丹波で日本最高気温更新のニュースがあったけれど、東京の朝は総じて去年まで数年の地獄熱帯夜明け連続の様相と違っているように思う。思うだけかも、だが。 国分寺崖線の緑の中、今年はミンミンゼミが優勢であるように感じる。彼ら(オスだけなので)が出すけたたましい音で、数は彼らに比べ圧倒的に少ないにせよ、一緒に鳴いているはずのヒグラシの声が全く聞こえない。 * 金子さんがまた私のYouTubeコンテンツにコメントをくれた。ラッシュをかけてくれているようだ。先日の「転石会」も経て、「よっしゃ、再び歌を歌うぞ」という気概を持っているけれど、いかんせん夏の特別編成期に入り、大学受験に今命を燃やしている若人たちの熱意に応えるべき時でもあるのだ。時間をやりくりして両立させよ、ということだが、そういうところは器用にできない人間なのだ、私は。苦笑、である。 意欲あっても実践の引き伸ばしと自覚はするけれど、9月に入ってからだなあ、音楽活動に専心するのは。

金子さんのことばで、MNEMO伸びよ

私の旧友の中でも最も長い親交があるのは金子くんだ。幼稚園から中学まで一緒。そして大学時代、彼の大学の軽音楽サークルで再会して、私にとって最初に属したバンドVIAが誕生したのだ。昔にも書いたけれど、「via」とはラテン語で「道」、そしてそのバンド結成時には全く知らなかったことだが、安ちゃんや治雄ちゃんらがほぼ同じ時期であろう頃にTAOを結成していて、その「タオ」とは中国語で「道」である。偶然とはおもしろいものだ。 その金子くんが再び私のYouTubeチャンネルのコンテンツに連続でコメントをくれた。 https://www.youtube.com/watch?v=QPujEOaYaSc&lc=Ugxo_1N7ZjPfAWgMhCB4AaABAg まあ、友人同士、知り合い同士の馴れ合いと言われてしまえばその通り。でもね、古い古い楽友の言葉だからこそ、身に沁みてありがたい、貴重だ、というのはあるのですよ。 金子くんは本当にピュアなこころを持った美しい人間だと、この歳になってますますそう思う。そんな人に歌を、曲を褒めてもらうことの愉悦! * 音楽上のことでちゃんと言葉で私を褒めてくれる友人というと、この金子さん、そして関根安里くんだ。言葉にしなくても、長く私と音楽活動をしてくれているスティックや治雄ちゃん。その行動・態度で十分だ。ガッチャンは時に「いいっすね!」とさりげなく言ってくれることがある。 褒めると伸びる・・・これはほとんど真だ。私が英語を教える時はまずそういう態度を基本にしている。伸びなかった生徒の記憶はない。 金子さんのお褒めの言葉で、高齢者MNEMOでも、また伸びようという意欲が湧く。

うれしき見込み違い

今日は4:30起床。日の出がめっきり遅くなったなあと実感した。4:10くらいで目が覚めたのだが、まだ暗い感じがして、4:00前かと錯覚した。 * Kくん関連の2つの記事、普段の記事の倍の閲覧数だ。そんなに彼は人気があるのか。驚いてしまう。 * 「すき家の<うな牛>が食べたい」といつも超多忙な義父の娘が昨夜言ったので、今朝はポタリングがてらその弁当を買いに行った。今朝の最遠点は近場の玉川台、そこから千歳船橋のすき家へ。なんとまあ、朝5時10分くらいなのに、学生風の男女で混んでいて驚いた。入るのを躊躇い、そこから今度は成城学園駅前店へ。ここは私と同い年くらいの男性が一人。気兼ねなく入った。(笑) 帰ってから私の分を食べてみたが、うれしい見込み違いが・・・。鰻が非常においしくなっていた!なんと私が好きな表面が硬めで中ふっくらという本格的な焼きになっていたのだ。しかも鰻自体が国産(つまりニホンウナギ)としか思えない美味しさなのだ。 昔のすき家の鰻は「まあ、この価格ならこんなもん」という感じだったのだが。 ライバル松屋もそのカレーはすこぶる進化していて、カツカレーなんかはもう絶品だし。いやあ、牛丼屋各社、大したイノヴェイションですなあ。こうなると同じうな牛も食べてみないとと思わせる。もちろん吉野家のもね。 * さあてこの記事、閲覧数1桁だぞ。

2025文月あとわずか雑記

目覚めたら5:30近くだった。 2日連続自転車乗りをスキップするわけにはいかないと、もうすでに日差しが強い中ペダルを漕ぎ出した。しかし日陰は涼しかったのはありがたいことだった。 だから緑陰を求めて砧公園へ。そこを何周もするのが最も合理的なのだけれど、それじゃつまらんと瀬田方向へこれが本当のspin off。こちらは多摩川水系の谷戸川や丸子川などが造り出した河岸段丘で坂下の静嘉堂緑地に至るまでやはり緑が豊富なのだ。昨日夜、おととい録画しておいた『椿三十郎』の4Kデジタル・リマスター版を見たものだから段丘上の無名塾、すなわち仲代達也さんのお宅前を通った。三船敏郎さんによる三十郎の敵役「室戸半兵衛」を演じた仲代さんがご健在だというのは、私にはPaul McCartneyやRingo Starrが健在なのと同じほどにうれしい。 しかしまあ、三船さんと仲代さんの人間としての迫力、魅力は、もう二度と同じような役者は出まいと絶望するほどだ。 昨日昼間、TVをつけるとたまたま映画『侍タイムスリッパー』が。途中からだったが、主人公が元々會津藩士だという設定だ。志に燃えつつ、強いということは優しいということを体現し、また恥を知る侍・・・今そんな精神を受け継ぐ「日本人」がどれほどいるだろう。そんなことを考えていての『椿三十郎』。もう数回観てきたけれど、仲代さんはリベラルな人であることはよく知られていて、では三船さんはご存命だったら、今の日本をどう語ったろうか。保守的な人だったかもしれないが、なにしろ軍隊経験のある方だった。反戦の思いを何度も語られていた。 それから多摩堤通りへ出て、鎌田のFamily Martへ。店員がハンサムな中東系の青年で、しかも日本語も上手、丁寧で好感おびただしい。働いてくれてありがとう、だ。何が「日本人ファースト」だ。外国人をワーク・フォースとして、あるいは出資者として、「ファースト」にしなきゃ成り立たないところだらけじゃないか! 昨日、義父とその娘と外食に出たが、屈指の高級住宅街成城6丁目の交差点で住人らしき高齢の男性が横断歩道を横切ろうとしていたので停車すると、その男性は感じ良くお辞儀をしたのだった。クルマが停まって歩行者を優先すること、また譲られた方が挨拶すること、いずれも当たり前のことではある。しかし、停まらないクルマ、挨拶しない歩行者もいっぱいいるぞ。 ...

昨夕のことなど

昨夕5時から(とは云えまだまだピーカン照り)の「転石会」は終始大変愉快で和やかな雰囲気だった。仕事があった関根くんも急遽来られるようになってさらに盛り上がった。 Kちゃん(25日)、Mick師匠(28日)という2人の7月生まれのお誕生会も兼ねていた(とは云え特別なことはしなかったが)。 我々のような歳になると、こうした飲食の会は互いの安否確認、無事確認の機会になっている。それは本当に笑えない。次があるかどうか、だれもその確証を持てないのだから。もちろん若い頃であってもそれは言えるけれど、深刻さが違う(と書いて、笑う)。 音楽人ばかりの会合ゆえ、まずはOzzy Osbourne(76歳)の今月22日の逝去について、そしてMick師がその『一番』という楽曲のディレクションをしたハルク・ホーガン(71歳)の他界についても話題に。OzzyはMick師とほぼ同い年、ハルクは他の出席者より先輩ながら同世代だ。高齢者が集まると「病気自慢」になると言うけれど、それもありつつ、昨夕はロックやポップス関係の音楽人の訃報についてもひとしきりの話題となった。 The Rolling StonesならBrian Jonesの(1969年、27歳)、The BeatlesならJohn Lennon(1980年、40歳)の訃報に触れた時とは訳がちがう。 とは云え(このフレーズ多いな!)「転石会」がそれゆえ暗い雰囲気にはならなかったのは冒頭の記述の通り。「Paranoid」的な言動は一切なかったよ、Ozzy。まあ、みんな悟りから程遠い<オジー>さんばっかりだった。笑 * さて今朝は起きたら5:30 a.m.でポタリング出発はもう時間切れ。久しぶりだあ、朝の運動をしないのは。炎熱地獄はもう始まってしまっています。 * この会合を経て夢見たこと。 治雄ちゃん、安ちゃん(関根くん)、スティックとガッチャン(2人は仕事で欠席だったが)とでセッションをしたいな、と。1曲は私の新曲、もう1曲はみんなで作る。 どうなるだろう。

今日「転石会」 〜Kのことの続き

殺人的な猛暑。私がエアコンなしで眠れなくなってとうに1ヶ月以上経っているはず。暑さ寒さについては人によって感度が違うとは云え、客観的な気温はだれにとっても寝苦しい夜であることを示している。電気代を気にしてエアコンをつけぬまま熱中症で亡くなってしまう事例が後をたたない現今のことだ。自分は恵まれていることを意識する。 しかし、早朝のポタリングでたとえ風を切って走っていても、汗をおびただしくかいて、泣きそうになって帰ってくるというパターンは今のところない。今年7月の早朝未明は、東京世田谷区に限ってのことかもしれないが、去年まで数年の猛烈な熱帯夜の連続には至っていないのかもしれない。いや、感じる方、つまり寒暑を知覚する私が、加齢によりそれを鈍らせてしまっているのかもしれない。 * 昨日誕生日を迎えたKくん=栗田栄光さんとのことの続きだけれど、高校を出てからの人生の軌跡については互いにそう詳らかに、あるいは赤裸々に語るのは憚られる。いや、勝手に「互いに」と書いたが、Kくんは「別にいいよ」と言うかもしれない。しかしまあ、たとえそうでも、互いの高校卒業後の人生を語ったところで「それがどうした」ではあるのだ。 「エイミ(関根安里くんによる栗田くんの呼び方)」は持ち前のレタリング技術を活かして入ったデザイン会社勤務を経て30歳代早々(?)独立した。彼は今でも自分は「デザイナー」だと思っているし、その技術を活かせるときはそうしている。「ケーちゃん(岡野治雄くんによる栗田氏への呼称)」はその後注文を受けすぎてパンクし、会社を潰してしまう。安請け合いをしたということになるが、それは偏に彼の八方美人的性格によると私は踏んでいる。 しかしだ、八方美人的性格とは通常究極的には八方各々に不誠実でありうることも示唆するものだろう。けれど「ケーさん(下山真吾氏による呼称)」は<そうならぬことを信じている全方位外交官>なのだ。そう、だれにでも分け隔てなく付き合おうとする人なのだ。 たまに彼は警備の仕事でプロ意識が足らぬ同僚や、「人の下に人を<造る>」傲慢な通行者などにかなりの程度憤ることがあるけれど、そういう人たちであっても、その前段で1対1の出会いをしていたなら、きっといつものように人懐こく接し、仲良くやっていきましょうという態度を示すに決まっているのだ。 そして親しくし始めてからその人から何かを頼ま...

EMIくんお誕生日

今日はKくん、栗田栄光(えいみつ、重箱読み)くんのお誕生日です。 旧ブログが消失したので、彼とのことをあらためて書いておきましょう。 彼は私と同じ西會津町の出身です。私は野沢・原町という越後街道(新潟・新発田と會津若松を結ぶ、今の国道49号線)沿いの宿場町だった地区の生まれ、彼は尾野本という地区の森野と呼ばれる街区で生まれ育ちました。我が町から喜多方へ行く県道沿いです。 喜多方は會津盆地の北西に在って、国道49号線のルートからは外れています。きっと喜多方の人たちはそれが不満で、それなら鉄道・磐越西線(郡山と新潟市新津を結ぶ)のルートには絶対に入れろということになったのでしょう、よって會津若松から新潟までの最短距離主義からしては無用に(!失礼)喜多方を通ります。そしてそのことにより、今度は越後街道沿いの主要な宿場だった會津坂下(ばんげ)が磐越西線のルートから外れてしまいます。痛み分けですね。ただし會津坂下が越後街道の宿場となったのは1611年の會津地震による土砂災害で阿賀野川が堰き止められ湖ができてしまった後で、それまで越後街道は今の喜多方市の南西端を通っていました。その地震による新湖誕生でそこを迂回することで會津坂下は新たな宿駅となったのです。 それでも會津坂下は只見線の沿線となり、只見線はその絶景で鉄道ファンたちの人気を集めているようです。 栗田くんのお母様(おととし100歳で永眠)のお父上は東北電力に勤めており、阿賀野川や只見川での水力発電に関わっておられたそう。その関係で母上は會津坂下町の片門というところでお生まれになったのだったか・・・(うろ覚え)。 彼は尾野本小学校に通い、私は野沢小、いずれも廃校になっています。私の母校は明治19年の学校令発布と共にできた伝統これ以上ない小学校でしたが、いやはや、惜しいことでした。 彼は尾野本小の児童会会長、私は野沢小児童会副会長でした。その2つの小学校卒業生は西會津中学で合流、彼と初めて会うことなりました。彼はバレーボール部に入り、セッターとして活躍、3年時にはキャプテンで県大会にまで進出、しかも生徒会会長にもなります。一方洋楽ファンでrockに目覚めたどころか幼稚園以来の筋金入りで、頑迷固陋な校則に反発する問題児で、正反対の歩みとなります。 それでもKくんとは仲良くて、高校は一緒、ますます親しくなっていきます。その高校...

「meritocracy」のフェンスを超えたShohei

昨日の大谷さんのホームランはほとんど神業だった。161キロのスプリット・フィンガード・ファーストボール(日本ではいわゆるフォークボールと言われる球種)を左方向へ流し打ちしたのだ。161キロのスプリットなんて聞いたこともない。魔球である。その投手、一度もそれを本塁打されたことがなかったという。そりゃそうだ。 ところで、サンデル教授の本を愛読しているというShoheiの「二刀流」成功をそのサンデルさん自身がすでに一昨年論評している。大谷選手は能力主義社会の問題点を超越し、謙虚さと共同体の重要性を体現する存在として称賛しているのだ。 「能力主義社会=meritocracy」は私と同い年の<そう古くない(笑)>造語で、英国労働党のブレーンだったマイケル・ヤング(1915-2002)が生み出した。それは貴族制や家柄による特権を打破し、能力と努力で地位が決まる社会を意味するのだ。階級社会のイギリスにおいて労働党のブレーンなら肯定的に見るはずだ。ところがヤングはそういう社会の到来に対し警戒するよう促した。それは従来の身分固定より決して優れている社会ではない、と。能力による階層化が新たな不平等や傲慢さ、分断を生むとしたのだ。 そのmeritocracyが徹底して実現していった先はアメリカだろう。なにしろ元々はっきりした階級がない国だった。だから海を渡って彼の地へ移り住んだ人々は、努力と能力があれば富を築き、コミュニティーにおける名士になっていった。そのアメリカン・ドリームをつかめぬ者は、能力が低い、あるいはない、そして努力が足らないとされてしまった。その2要素だけが成功をもたらしたわけではないのに、だ。 では他の要素は何か。サンデル教授は著書『実力も運のうち〜 能力主義は正義か?』で、巡り合わせ=運の存在を指摘した。例えば大谷さんの成功は、彼の能力と努力にほとんど負うかもしれないが、彼を育んだ岩手県奥州市という地域社会が在ったこと、また、世界レベルに先に到達した先輩菊池雄星らが築いてくれた花巻東高校野球部が身近にあり、そこでさらに自分を磨けたこと、またさらには日本ハムファイターズで二刀流を認めてもらい、その方針で応援体制を築いてもらったことなど、自分以外の人々、そして環境のおかげで能力が伸び、努力を円滑に成すことできたのは大きく言って「運」と言って良かろう。 サンデル先生は、だから...

2025 大暑短め日記

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今朝は最遠で目黒区八雲まで、それから駒沢オリンピック公園内を走って帰ってきた。さほど汗をかかずに済んだから、気温も湿度も大暑の候ながら少し低めだったのだろう。 Mooさんには励まし返しをいただいた。「Hydrangea Project」の遅滞を心配してくださったのだ。もちろん自覚ありで、グータラをいよいよ止めなきゃというところ。今週末「転石会」があるから、そこでも活力とインスピレーション、そして勇気をいただければ!なんとまあ、他人頼みな!

山本代表は謝罪を

山本太郎氏と岡本麻弥さんによる、党首コスプレの選挙広告だけれど、アニメ会社サンライズさんが許諾を与えていないとのことで、物議を醸しているというのを今知った。それはまずい。 サンライズさんに不利益となりうることだったと言わざるを得ず、山本代表は一刻も早くまず謝罪されることだ。

2025 文月熱帯夜明け日記

いやはや未明から暑い。つまり熱帯夜だ。しかも高湿度。 * 私は旗幟鮮明にした。れいわ新選組支持だ。音楽やってて「核武装が安上がり」などと言う者と対極にい続ける。その人物が「政治はロックだ」などと言う政党に属している。信じがたい。核武装に肯定的な<売れた>rock'n rollerがいると言うなら連れてこい。 音楽やっている者は、音楽とはロックばかりでなく、平和あっての、穏やかな心あっての営みであることを、戦争体験がなかろうと、痛感する者たちなのだ。 「一介の、福岡県糸島市のピアノの先生、3人の子の母親が、政治のど素人が、今の政治を変え、みんな笑って暮らせる社会を目指して立候補したと」と新参議院議員となった奥田ふみよさんが「博多弁」で言っておったとよ。それこそが音楽ばやっとぅ人間の本当ん姿勢やとうちゃ思いよぉ。祝当選。アニメ業界全体(?)の星、岡本麻弥さんはほんと惜しかったばい。悔しか。ほんなごつ・・・ってもう博多弁はよかっちゃん。 * Mooさんとお連れ合い様の決意を拝読、いやいや、身が引き締まった。長くてあと10年の命、比較的健康でいられるのもあと3~5年だろうと。その限られた年月で何をするのか。 Mooさんはなにしろご自分が終の住処と決めたところの自治体について、その住民たちの中、間違いなく一番の情熱を傾けて提言を重ね、さらに行動もされてきた。その熱意がむろん永遠に続くはずもないけれど、傘寿目前でも確かな知性で変わらぬ行動力を現に示しておられるMooさんが、早くて3年で体力気力で翳りを見せるとは全く思えない。 どうかずっと我がモデルたる(とは云え真似できないまま)Mooさん、あと何年と言わずに、お力を発揮し続けてください! MNEMO、おめぇもグータラしてんじゃねぇぞ!

Today, too, I labor

いやあ、すごい湿気だ。気温はそれほどでもなく感じたが、とにかく湿度高すぎ。 * 選挙結果については何も書く気が起きない。ほとんどニュースを見ていない。それでも仄聞する情報から書くと、きっと筆が荒れる。 * トランプが追い詰められているようだ。政府方針などをSNSで発信し、それへの行動の多くがTACOだったり、つまり臆病風に吹かれての朝令暮改だったり、自画自賛と他者への悪口雑言を繰り返す記事を連発する・・・こんな米国大統領なんていていいはずがない。<あの>偉大な国を「再び偉大にする(いつそれほどまで没落した?)」と言ってほぼ全ての国から侮られてしまうという途方もないアベコベをやってしまい、国内混乱を引き起こしてしまっている。支持率もどんどん下がっている。 そして例のEpstein Filesのスキャンダルでトドメを刺される可能性がある。 * 世は祝日。私は例のように関係なく夜働く。偉いな。ぷ。

ミンミンも鳴き出した

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今朝のポタリング最遠点は梅ヶ丘で、大した距離ではない。けれど、そこから赤堤や経堂、桜ヶ丘、千歳船橋、千歳台、上祖師谷経由で調布市入間町の247(年中無休24時間営業)のSEIYUへ。これでなかなかの距離になった。途中の祖師谷公園北西の端、神明社の坂道で世田谷区内近隣でのミンミンゼミの初鳴き(私にとってだけかもだが)を聞いた。これで東日本の平地で聞ける3大セミの夏の歌が揃った。 うたた寝や 聞くはミンミン ジーカナカナ けふはこれまで。昨日書き過ぎた。 写真は桜ヶ丘で撮った今日の曙光

GeorgeとMayaだ

さてー 明日は参議院選挙投票日だ。私は東京選挙区では山本ジョージさん、比例は岡本麻弥さんに入れる。こうはっきり書いて気持ちがいい。 れいわ新選組の山本太郎代表は、どうして幕府=当時の権力側擁護の「新選組」とネーミングしたか(「れいわ」については措いておく)について問われ、現代の権力者、すなわち国民のため闘う集団なのだというようなことを言っておられる。笑った。さらに「維新を名乗りながら政府に近い人たちもいるので気にしないでください」とも。 彼はNHKの大河ドラマ『新選組!』で原田左之助を演じた。この原田、人物像とその行動についてはそれほど確たる史料はないと言えると思う。伊東甲子太郎や永倉新八と共に局中法度(局を脱するを許さず)違反と言える新組織・御陵衛士を結成、新選組の近藤=土方体制に不満を持ったのはまず間違いがないだろう。それが原田の場合、尊王思想の方が幕府護持の志より強かったからとは言い切れまい。彼は親藩である伊予松山藩の下級武士出身で、主君松平勝成は會津藩主松平容保を補佐したし、原田も幕府への忠義を重んじたと思われるからだ。また、御陵衛士からすぐに抜けているし、戊辰戦争でも江戸は上野の戦で彰義隊と共に新政府軍と戦い、そこで命を落としたというからである。 この原田左之助を演じるにあたり、山本太郎さんはいろいろと史料を読み漁ったことだろう。原田本人のこともそうだし、新選組という集団の歴史的な位置も同定していっただろう。そして熱い人だから、新選組隊士たちが己が守るべきことを命を賭して守るという姿勢をこそ彼は多としたに違いないと私は思うのだ。 彼のこの演説に私はただただ打たれる。 https://www.youtube.com/watch?v=063Xprt-DhQ&t=11s そして最新版のこれ!大笑い! https://www.youtube.com/watch?v=kr13YdlrgL8 おお、またcoincidenceだ! 山本代表、今日は伊予松山で演説だって!

コインシデンス 〜多摩たま

ヒエ〜〜〜〜! 今日本映画専門チャンネルで松本清張原作の『留守宅の事件』(2013年作品)が終わりそうだ。主演が寺尾聰さんだったから<引っかかった>。 観てたらどうだ、まず被害者の女性の遺体発見現場がその自宅で、住所は「世田谷区祖師谷9丁目(なお9丁目はない)」。その女性は、大きな会社経営者の御曹司であるむろん裕福な夫と結婚、彼に愛され、贅沢三昧を許されているともすると拝金主義で高慢な女性で、その妹は対照的に平凡な男性と結婚し、何かにつけ姉を羨望、または嫉妬している。妹はどうやら狛江市に住んでいて(はっきりそうとは言われていないが)、寺尾さん演じる老刑事と「狛江市緑ヶ丘(そんなところはない)」や狛江市の多摩川で何回も会話を交わす。 ネタバレしてはいけないから、詳しく書かないが、殺害された人妻は夫と世田谷区立祖師谷公園をジョギングなどでよく利用したという設定で、また、そこが重大な告白、懺悔の場ともなる。 実質の最終シーンは、私が朝上げた2枚めの写真の近く、チロちゃんが眠るところで撮られ、「妹」こそ義兄がその妻、つまり実の姉を殺害する決定的な動機を作った人物であることをそこで告白するのだ。 しかも、その「義兄」がアリバイ作りで利用したのが福島であり、殺害現場は那須高原から會津に入った山道というのだから、まあ、参った。 ということでした。笑

梅雨明けを告げるヒグラシ鳴きだした朝に

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いやあ、自転車漕ぎ出した午前4時ちょっと前、涼しく、湿度も適宜で、最高だったなあ。梅雨明けという何だか気象庁がしょうがなくやってる(らしい)恣意的判断がされたけれど、そうね、それは私にとっての判断基準はセミ、特にアブラゼミとヒグラシの鳴き出しなんだわ。アブラゼミだけだと、ちょっとだけフライング(jump the gun)。ヒグラシの声も確認できていよいよ間違いなし、ってやつです。 それでね、成城3丁目の「崖線上のエリア」(MNEMO命名)へまず行くと、はいはい、区立明正小学校脇の木立で、私の自転車の音に臆せず披露されたヒグラシの初鳴きを至近距離で聞きました!會津の故郷では「カナカナゼミ」と言います。そういうところ多いと思うけれど。 今日の最遠点は調布市染地。すがすがしい空気の多摩川のほとり。 この写真に写っている絹雲ね、すごいよ、ずっと形を崩さないんだ。30分ほどずっとほぼ形を保っていたさ。上空遥かは無風に近かったんだね。地上もほぼ無風でしたが。 いつも狛江の方へ行くと、7-11でコーヒーとレタス・サンドを買うんだけれど、今日はいつもの北口の方のでなく南口の方のを利用。おばさん店員(バイトだろうけれど)、他の仕事をやっていてのレジ対応で、こっちが何度か呼んでから挨拶もせずにやって来てのレジ打ち、そして「ありがとうございます」も無し。最低だね。もう2度と行かない。北口の方、一択。 それなり年配の女性であって、バイトしなけりゃやっていけないのだろうことは分かるし、早朝から(未明から)ご苦労様であるのは私だって十分わかってらい!それでもね、そういうことだって、自分の給与になる金を出してくれる客に最低限の礼を尽くすのは当たり前。 * 狛江の多摩川河川敷、チロちゃん埋葬地から川下へ行く逕。狛江居住はおよそ30年(?)、その間も、また都心居住時ですら、この逕を何度も何度も歩いたのです。そして今も。この先は二子玉川、そして羽田、つまり真東です。建物が一切見えない。こんなところ、新宿から20分強ほどのところにあるんですよ。 旧ブログでも書いたのですが、ここを木立に向かって行くと「一体本当に私は東京都にいるのか---しかも都心からそう離れていないところに?」という気分になります。いろいろな音楽とマッチしますが、何より芥川也寸志さんのTriptyqueの第1楽章のAllegro、特に6...

深沢学園通り&コカコーラ

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  だんだん夜明けが遅くなっているのを実感する。上の写真は今朝午前4時10分に撮った。夏至の前後には3時台後半で黎明を迎えていたなあ。 見えにくいけれど、明けの明星が輝いているのをほぼ中心に撮った。 今回早朝サイクリングの最遠点は目黒区八雲3丁目だったけれど、隣接する世田谷区深沢周辺の落ち着いた住宅街ぶりを楽しみながら走った。 目黒通りや駒沢通りという大きな都心方向からの放射状都道に挟まれて平行する区道の「深沢学園通り」が在って、私はこの道が好きなのだ。旧ブログなどでも数回言及したけれど、G String時代に目黒区大岡山に在ったリハーサルスタジオを何度も利用し、そこへ狛江市東野川の自宅コンドミニアムからの行き帰りにこの道を使ったのだ。1996年2月には帰りに雪が降っていて、しっかり道路にも積雪、ノーマルタイヤで冷や冷やの運転をしたのが今では懐かしい記憶。 目黒通りや駒沢通りとは違って交通量少なく、緑も多く、両側にはセンスのいい家が立ち並ぶ。そのまま都心方向へさらに行くと、旧都立大学の校舎が在る(今は「めぐろ区民キャンパス」)。 深沢7丁目で撮った日の出の空。 * 笑った。いや、笑っていいのかどうか。 トランプが国内産業を関税で守るどころか、国内グローバル企業の海外移転などを誘い、逆に失業者を出し始めている。ほぼ全世界を関税で脅すこの戦略は最初から破綻している。彼が国内産業保護を本当に目指すなら、実質的鎖国をして、基本部品や基本農作物の大半を自国生産に切り替えていくしかない。そんなことは無理だし、それでも実行するならどれほど時間がかかるか。 そんな中、アメリカのCoca-Colaの甘味料を、支援してくれたロバート・ケネディ・ジュニアの非科学的MAHA(make America Healthy Again)政策の一環で、いわゆるコーンシロップ(High-Fructose Corn Syrup = 高果糖コーンシロップ)からサトウキビ糖に変えろと言い、コカコーラの会長は「トランプ大統領の当社ブランドへの熱意に感謝する。新しい製品ラインナップの詳細は近日中に発表する」と答え、態度を留保したのだそうだ。 コーンシロップがサトウキビ糖に比して健康に悪いというデータはなく、また味に関しても両者の違いは微妙で、化学的にはほぼ差異がないのだそうだ。それでも隣国メキシコのコカ...

環8上空の生態系&打ち歩詰め

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今回の早朝ポタリングの最遠点は、世田谷区代田3丁目。ここには思い出があって、あの2011年3月11日、新宿駅から狛江市東和泉の自宅コンドへ歩くハメになって通ったところなのだ。あの時の不安感、そしてもちろん疲労感、忘れられない。ここはちょっとした高台になっていて、お金持ちが暮らしている街と言ってよい。そして梅ヶ丘へ。 国士舘大学近くのLAWSONでコーヒーを買って店先で飲んでいたら、日の出前の太陽が低い雲をピンク色に染めているのに気づき、撮影。まあ、きれい!😍 気温は高くなく、助かった。湿気はこの雲を見ても分かるけれど、80パーセントはゆうに超えていただろう。 上用賀に在る、砧公園へ入る環8上の架橋で撮った神々しい(?)日の出。そこでも余っているコーヒーを飲んだのだけれど、アキアカネ系のトンボがたくさん地上十数メートルくらいのところを飛んでいて、一部青空になっている西の空をさらに高く見上げると、ツバメたちが飛んでいるのだった。捕食域が2層になっているということか。アキアカネは慎重に飛ばないと、ツバメに捕まってしまう。だから樹冠スレスレを飛行するものが多かった。すぐに隠れることができるからだろう。 あの環8の真上で、こんな生態系の営みがあるのだなとしみじみした。 * 昨日の藤井王位の強さ加減はもう人間の域を超えていた。いや、彼はそんな神技的指し手を今までも何度も見せつけてきたけれど、昨日のは屈指の指し回しだった。(「指」がやたら多いな。)必至をかけて(つまり相手の王様は自分の王様を詰まさぬ限り絶対に詰む状態)、永瀬九段に好きに王手をかけさせ続け、最後は「打ち歩詰め(=持ち駒の歩で相手の王様を詰ますこと、反則であり、指したら即負け)」に逃れて終了、ということだった。 途中でも相手の歩の頭に桂馬を打つわ、やはり相手の歩にとっていいよと銀を上がるわ、角を歩と交換するわで、とんでもない駒損(と言えるだろう)を3度もして評価値が動かないのだ。もう将棋の神様しか知りようのない絶妙手を連発。そして優位を築いていく。ただただ畏るべし。 永瀬さんはレーティング2位、しかも3位以下に大きく差をつけている「将棋界最強の2番手」なのだ。そんな天才中の天才をまたもや完膚なきまで打ち負かす。永瀬さんは多分一生、今もマックスに達している努力をこれからもどんなに重ねても、藤井さんを番勝負(タイトル戦...

秩父の俳聖と言はむ

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今年も私が大好きな色の花を付ける百日紅と対面。世田谷区内に在る某中高一貫私立学校近くに立っている。けれど、去年かなり大掛かりに剪定されてしまい、随分小ぶりな木になってしまったなあ。   今朝の最遠点は狛江市元和泉、通称「五本松」。雨が降る前の、登山用語で謂う(?)「擬似晴天」の広大な空を撮ろうと思った。 対岸は川崎市多摩区登戸新町・・かな。晴れてはいるけれど、多摩丘陵さえはっきり見えない。 上流方面に向けて撮ったけれど、多摩丘陵がはっきりしてないなら、この方向に見えるはずの秩父・奥多摩の山々が雲隠れしているのは当然。 月齢19を超えた月が。 そして今年初めてキリギリスの鳴き声を聞いた。アブラゼミはもういろんなところで鳴き出している。まだヒグラシは聞かないが、まもなくだ。 * https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=6X3MWK33PJ_01 NHKラジオ「昭和人物史」は良かった。俳人金子兜太さんの回だった。 自然を諷詠するのもいいけれど、人間もその自然であって、例えば白梅が咲いて蜂が来るではなく、彼にとっては「白梅や老子無心の旅に住む」となる。俳句は花鳥ではなく人間を詠むものだ、と。 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 海軍主計中尉だった金子が、トラック島で亡くなり殺された戦友たちを慰霊して船で帰国するときの句。 人も花なり 鳥なり 風、月なり 破調の句が浮かんだ。

台風がもたらした湿気の中、いろいろ

今朝未明、積乱雲を伴う雨雲が房総半島と、もう一本やはり帯状の積乱雲が小田原から八王子の方へと、いずれも南からきれいに真北に進んでおり、その間、まさに空隙となった、降水が目下はない世田谷の空の下、私は猛烈な湿気に苛まれつつも、ペダルを漕ぎ出した。 ペットボトルのキャップを収集する施設がある区内某所を経由しなければならなかったので、今日は本当に珍しくランダムにハンドルを切ることはなかった。その数年貯めてきたキャップは膨大な数になっていたので、ようやく処分ができて、変な表現だが、胸の支えが取れた想いだった。 そしてそこからは気の向くままに走る。最遠点は今回、二子玉川の高島屋脇となった。そこから246バイパスを行き、瀬田の交差点直前で狭い区道へと左折、環8の騒音を避けたわけだ。仲代達也さんの自宅兼芝居稽古場の「無名塾」前を通り、用賀の交差点のMcDonald'sでセットでも買おうかと思ったら、24時間営業はもうやっていなかった!この用賀店は新宿や渋谷の店と共に日本におけるマック24時間営業の先駆けだったのにぃ。悄然として砧公園に入り、帰ってきた。 今回のpotteringでは、猫たちの「朝涼み」の場面に何度も出くわした。大胆な一匹は、狭い区道とは云え、堂々と道のど真ん中で腹をつけて涼んでいた。彼ら彼女らの毛皮はこの季節疎ましいものでしかなく、脱げない悲しみに同情しての自転車行となった。 まったく・・・だからどうしたという話である。

生育医療研究センターから見える大樹

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昨夜久しぶりにNHKスペシャルを見た。たまたまのことだった。この「Nスペ」、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」などの発言で知られる籾井会長体制以来毎週見ていた習慣を捨てたのだった。だからたまに見る時は、事前にその内容を知って興味があるときの回だけとなっていた。なお、その事前の内容確認もしたりしなかったりなのだ。  1週間分の食料と日用品を買ってきて、TVをつけたら、多数の管でつながれた性別不明の子どもが病床にあって、医師や看護師に囲まれているシーンが映る。すぐにピンときた。「これは生育医療研究センターを取材したものではないか」と。その通りだった。たった今そのセンターの裏手の道をクルマで走ってきたばかりだ。 どういうお子さん、親御さんがそのセンターの医師と看護師、ソーシャルワーカーさんらにどのように治療され、ケアされたかは詳しく書かない。ただ、なんというすばらしい医療があそこで為されているのかということ、その感動に尽きる。 全部が政府予算から賄われているわけではないし、民間からの援助もあるにはあるが、到底十分ではない。ある医師は小児医療の現状を憤り、「未来を担う子どもに対してあまりにも冷たい国」と発言されていた。そんな中でも、その医師も、他の医師、看護師、スタッフたちも、懸命に<あたたかい>治療とケアを施しておられるのだ。 世田谷区立大蔵運動公園や都立砧公園へ行く際はこの国立研究開発法人生育医療研究センターの建物付近を通る。夜などに通ると、病室のオレンジ色系の温かみある明かりがいくつも見えて、その部屋の中、苦しんでいる子がいるのかなあと何度も想像してきた。快い眠りについていればいいなあ、とも。 その想像が、現実の映像となってTV画面に映ったのだ。 上は今朝未明、大蔵運動公園から撮った区民プールの建物越しに見える生育医療研究センターの最上階。治療を受け、あの多数のチューブにつながれ重篤な状態だった子(男の子だった)がなんとか危機を脱し、窓から大きな木を見るシーンがあった。ずっと動かせないままだったが、窓にまで6人がかりで移動させ、少年が外の世界を眺めることができるまでになったとき、少年はその木の大きさ、見事さに励まされているようだった。そしてとうとう退院となったとき、あらためてその木を見る。葉を落としていたけれど、その季節が移ろう間ずっと彼を励まし...

新選組考 4

浪人なら仕官したいものだろう。すべての浪人がそうだとは言わないが、圧倒的に多くが立派な家中にできれば良い条件で月代凛々しく仕えたいだろう。 近藤勇は士分の家へ養子に入り農民から武士にはなったけれど、仕官したわけではない。またそのままではいつまで経っても一町道場の主にすぎない。そんな中徳川の世はいよいよ乱れ、彼は不安に思う一方で、自分の侍としての実力を発揮しさえすれば、戦後時代のようにもしかすると功績次第で大名になるのも夢ではない時が来たと思ったろう。戦国の世では成り上がりが普通にあったのだもの。まず幕府直参の旗本になれば、さらなる功績で一万石以上得て大名、あと一歩なのだ。大名になれれば、新選組の部下たちを家臣として取り立てて、手柄に報いることができると夢見たろう。領地にそうこだわらず、しかしできれば故郷多摩の天領の一部を以て立藩できたらどんなに幸せだろうなどとも夢想したとしてもおかしくはない。だから、その地位をオーソライズしてくれる先は徳川幕府なのであって、決して朝廷ではなく、いわんや薩長などの討幕勢力であるはずがないのだ。 江戸がある武蔵国の、天領多摩の農民上がりの武士として、幕府へ忠誠を誓うのには重層的な理由があったのだ。その層の最底部は、立身出世の欲望だったかもしれない。 だとすれば、山南圭助や伊藤甲子太郎という知識人で、日本をどうするかという大所高所に立てる部下たちと折り合えはしなかったろう。近藤や土方の実質の主君、會津中将松平容保も、孝明天皇への尊崇激甚であることを彼らは知っていたのだろうか。知っていたとしても、幕府を守り、延命させることで、戦国の世のように、闘争における実力主義で自分らが一国一城の主になれる未来をあくまで夢見たのか。 とすれば、「近藤さんは俗物だ」と思った隊員は必ずいたはずだ。幕府単独で国を動かすことなど到底無理だと悟った隊員たちからしたら、近藤は俗物であり、無知であり、時代錯誤の人だったかもしれない。 そういう隊員の中に永倉新八と原田左之助がいたのではないか。 (この稿つづく)

「新選組考」番外

昨日は娘が孫2人の愛くるしいvideosを送ってくれて祖父バカに、というのは2ヶ月に1ぺんほどの<恒例行事>なのだけれど、娘が「久々」ということで私のブログを読み、『ゴールデンカムイ』で永倉新八が主人公ということはないと誤りを指摘してくれたのだった。「どこの情報?」と訊かれたので、生成AIの記述にそのようなことが書かれていたからと返事をしたら、驚いていた。それの間違いなのか、私の勘違いなのか、もう確かめるのはやめた。😑娘がその作品の読者なら、彼女の指摘が正しいに決まっている。 なにしろ新選組については謎が多過ぎる。それこそ大正4年(1915年)まで生きた永倉新八や島田魁、谷三十郎らのメモワールはあるけれど、もちろん彼らがたとえ内部の人間でも全てを知り尽くしているはずもないのだ。 芹沢鴨は壬生浪士組の頃筆頭の局長であったらしいけれど、新選組として局長であったとは微妙に言えない。なぜなら「新選組」と改称した際にはもう彼は殺されていたからだ。 芹沢の人物像の証言、描写も実にまちまちなものだ。例えば彼が粛清されたのは、有名な粗暴ぶりもあり、さらには彼が水戸藩出身でその尊王攘夷思想が幕府にも會津藩にも相容れないもので邪魔になったからという見方があるけれど、だとしたら、そもそもなぜ同じ思想の同郷水戸藩士出身である清河八郎と京都で袂を分かったのか、そしてなぜ江戸へ彼に付き従って向かわなかったのか、というのが謎となる。 大体「芹沢鴨」という名前もほとんど冗談のように思える。通称である(本名は光治)のは知っているが、「鴨鍋にセリ」ということかと思うと笑ってしまう。その点、『ゴールデンカムイ』にも書かれているそうで驚いた。粋な人だ。そしてここで私しか唱えない説を披露すると、「かも」は「家茂」に通じる、というものだ。1863年、壬生浪士組筆頭局長だった芹沢が警護する相手は京都に滞在していたその14代将軍徳川家茂だったのだ。15代のことを「慶喜=よしのぶ」と読むが、同時に「けいき」と呼ぶが如しで、「徳川カモ」と芹沢は音読みしたのではないか。彼が「鴨」と名乗り出したのもほぼその頃だと言われているのだ。そうだとしたら、なんというユーモアのある人物だったことか。こういうところはきっと、少なくとも近藤勇にはない人物像だったのではないか。 ぎゃあ。 「新選組考」のタイトルでない記事でいろいろ書いち...

2025 文月雑記 2

昨日の雷雨は強烈だったらしい。「らしい」とは、直接見ていなかったからだ。 低い土地に住まいのある人たちは気が気でなかったろう。実際あの武蔵小杉は主要道路の綱島街道が川のようになったそうだ。二子玉川も、2019年の洪水で対策はされたようだが、それでも不安でしかたがない時間を過ごした住民が多かろう。 私の憩いの場である成城の国分寺崖線の際に家を建てた人たちも、大雨が続けば崖がいつ崩れるかという恐怖に苛まれる。 「谷」「窪(久保)」「沢」などという字が地名にある場所は要注意と言われる。それはそうだ。私の住む区で言ったら、世田谷区世田谷がまずある。あそこは世田谷区役所から西へ行くとそれなりの勾配を持つ下り坂になっている。それゆえ「谷」の字がつくのだろう。区役所はだから高台に在ると言える。駒沢、深沢、野沢、奥沢はみな高級住宅地だけれど、その沢上、つまり崖より上のところがお金持ちの住むところなのだ。それらの近くに「野毛」という名の街もあるけれど、これは高台から平地へと傾斜するところの草地や林地につく名前だ。つまりはやはり崖周辺と言ってもいい。 私の住む地区は、砧地区の国分寺崖線の北(つまり高台。南は喜多見などの野川や多摩川の流域で低地である)に位置し、ほぼ平坦な場所で、洪水や崖崩れの危険はまずない。近くの砧2丁目は世田谷区最高点で、かつてそこには植木等さんが住んでおられた。富士がよく見える。 * 今朝のcyclingだが、気温の低さにびっくり、漕ぎ出してすぐに戻り、ウィンドブレーカーを着て再出発。東北ではオホーツク海高気圧が「やませ」をもたらしている。東京もその影響を受けているのだろう。 喜多見経由で狛江、多摩川方面へと向かった。週に最低でもいっぺんくらいは行く狛江だけれど、やはり長年の本拠地であり、心落ち着く。超多忙だった黒澤明さんや原節子さんらが暮らした街だ。昔から憩いの街なのだ。

新選組考 3

 で、だ。なんで新選組のことなんかを書き出したかなんだけれど、私のYouTubeの「おすすめ」にはもちろん私の嗜好に沿ったビデオが並んでいるわけで、音楽ものはもちろん、時代劇にまつわるものも常時勧められるのだ。大好きな栗塚旭さん、島田順司さんが関わった新選組モノ、用心棒モノなどだ。 新選組に注目した最初の作家と言っていいのか、『新選組始末記』などの作品がある子母澤寛だけれど、この人は北海道出身で、祖父が幕臣だったとかいうから、「え?じゃあ、箱館戦争の生き残り?」とか思ったら、その通りだったんだわ。その函館での戦いの前に子母澤の祖父は上野戦争(彰義隊として)で永倉新八や原田左之助と共に新政府軍と戦った。その時永倉と原田は新選組を離れて靖共隊を結成したばかり、永倉は生き延びたけれど、原田は討ち死にしたとされているんだね。 子母澤が佐幕派のことを書きたくなるのは自然で、創作とはいえ懸命に取材をした。それ以前、薩長などによる藩閥政治が衰えはあったとは云えずっと続いたと言ってもいい終戦までの日本で、足利尊氏と會津藩、奥羽越列藩同盟で最後まで戦った諸藩、そして新選組は、天皇に背いたとして逆賊の扱い、決して肯定的になど描かれることはなかった。ゆえ子母澤は、祖父ら江戸幕府側で戦った者たちの名誉回復のため筆を進め、ヒットを飛ばしたわけだ。そして時代小説の雄、司馬遼太郎が『燃えよ剣』、『新選組血風録』を1960年代に執筆し、大ヒットする。 私は寡聞にして知らなかったが、最近野田サトルによる『ゴールデンカムイ』というヒットしている漫画があるらしく、永倉が主人公だという*。そこでも新選組の同士で、靖共隊を一緒に結成した原田左之助がフィーチャーされているという。 原田左之助。この人のことを書きたくなったのだよ。 (この稿つづく・・・全然読まれてないけど。) *追記 娘が『ゴールデンカムイ』の主人公は永倉ではないと教えてくれました。今度読んでみなきゃなあ。

ああ、アメリカよ、君を泣く

大谷さんの31号ホームラン。いつもの大喝采。 しかしアメリカよ、大丈夫なのか?よその国のことを心配する余裕はないのだろうが、それでもやっぱり心配だ。 Beatlesももちろんそうだけれど、Stonesだって、Zeppelinだって、アメリカの黒人音楽なくて決してその音楽を確立できなかった。そして私も、幼い頃からアメリカン・ポップスを聴いてきた。日本の洋楽ファンでアメリカのポップスを無視できる人などいるはずもない。 どんな国だって善悪両面あって、JF Kennedy暗殺で、さらにはRobert Kennedy、Martin Luther King Jr.暗殺で、またベトナム戦争で、少年だった私は負のイメージばかりをアメリカに対し持ちそうになったけれど、月面着陸があって、またその間、Ventures、Supremes、Cowsills、Scott McKenzie、Mamas & Papas、Jefferson Airplane、Creedence Clearwater Revivalの歌や、Chicagoのプロテスト・ソングに感動してきたのだった。そして70年代ならEaglesとDoobie Brothersなどに夢中になった。 今、分断されるアメリカのことを見聞きして、悲しくなる。昔だって無論一致団結してDEIを尊重する国だったわけではないけれど、政治経済、科学、藝術、エンターテインメント、さまざまな分野でトップランナーだったアメリカはDEIの精神がなければありえなかった。 自分たちの歩みを振り返ってくれ、アメリカよ。

新選組考 2

「武士になりたい」−− 宮川(近藤)と土方のobsessionだった。それが剣術を学ぼうという当初の動機ではなかったかもしれないが、熟達するうちに百姓のままでいたくないと強く思うようになったのは疑いない。彼ら二人の、武士の魂と言われる刀への執着的な愛も、もともと武士ではないからこそのことと言っていい。 新選組結成当初、共同局長とも言うべき水戸藩士出身の芹沢鴨らに近藤と土方は「多摩の百姓」として見くびられ、あるいは見下されるシーンが『新選組血風録』や『燃えよ剣』などで描写される。そういう証言はないらしいが、誇り高き元水戸藩士に近藤と土方が<エセ武士>扱いされたことはあるに違いない。だからこそ、<本当の武士>になりたい、既存の武士以上に武士らしくならねばと必死だったろう。「局中法度」の第一、「士道ニ背キ間敷事」は、中心制定者土方の、自分は本来武士ではないという劣等感の発露とも言えなくはない。何とか士分へと漕ぎ着きつつある自分は、だからこそ、繰り返すが、生来の武士たちよりもより純粋に士道を追求するのだという覚悟なのだろう。名刀への執着と同じ心理だ。 さて、このもともと農民出の近藤や土方の武士道追求をすべて美談とするわけにはいかない。また、幕府直轄の武蔵国多摩の豪農階級ゆえに徳川将軍への彼らが持った忠誠心のみをその行動原理にするわけにもいかない。<成り上がりたい>という出世欲を抜きに語れるはずもない、ということだ。幕府直参旗本を目指したのだ。近藤は會津藩御預・新選組が幕府によって見廻組に相当する組織として認められ、知行150石と扶持米をもらい、旗本格として出世はしたけれど、新選組隊士全員を旗本にという願いは叶わぬままとなった。一方土方は一度として武士として召し上げられたことはなく、函館五稜郭で討ち死にするまで結局正式な武士にはなれなかった。あくまで見廻組相当とされる新選組の副長ということでの戦死であった。鳥羽伏見以降、旗本にしてくれと願っても、幕府が事実上瓦解していたのだからそれを許す主体もなかったわけだ。 次は新選組二番隊組長および撃剣師範の永倉新八と同・十番隊組長原田左之助を中心に書いていきたい。 (この稿つづく)

新選組考

新選組、この幕末の佐幕武闘組織をどう評価するかは、その観察者の主観に依るところが大きいだろう。客観的事実としては、大きく見ると、欧米列強の開国圧力にうまく対処できないと非難された幕府が、それ以前に自ら勃興と跳梁を許した長州藩を筆頭とする西国諸藩に事実上のクーデターを起こされ、公武合体政府の夢を打ち砕かれて、破滅するという歴史的構造と推移の中、旧体制死守という大義に動かされた侍たちの武闘集団だったのが新選組だ。 その中心となった近藤勇と土方歳三は、それぞれ調布と日野という幕府直轄の多摩の人間で、いずれも豪農、名主階級と言っていい。ちょうど今でも多摩や世田谷区にも見られる地主たちが自民党を何があっても支持するように、宮川勝五郎(近藤勇の、豪農家の次男としての本名)や土方(日野石田村名主家の六男)も幕府の庇護に感謝し、協力する図式だ。 その豪農家の次男と六男は、余裕もあって、剣術を学んだ。天然理心流だ。宮川勝五郎は、同じ調布の上石原村出身の天然理心流宗家近藤周助の養子となる。この周助も農民出身で前の宗家(三代目)近藤内蔵之助の養子というから、天然理心流宗家近藤家は四代目、五代目と豪農の子弟が継いだことになる。 調布と日野は甲州街道沿いの村で、関東平野の西の果てと言っていい八王子に近く、その八王子には「八王子千人同心」と呼ばれた幕府直轄の多摩と甲州(山梨県)を守る、甲斐武田家ゆかりの人々の組織があった。(家康はこの武田の武士たちを召し抱えた。)きっと近藤勇も土方歳三も、できればまずその「千人同心」並みの武士になりたいと思ったろう。将軍様に仕える武士に、である。そしてその出世欲は、まず近藤によって一部満たされる。上で述べた通り、天然理心流の宗家となって、一応養子とはいえ武士身分を獲得したと言えるからだ。 (この稿つづく)

七夕随想

熱帯夜アンド高湿度、今朝のpotteringは今シーズン最悪だった。国分寺崖線の林ではとうとうアブラゼミが鳴き出した(と思う。ニーニーではないはず、「声量」が大きかった)。 * 今日は七夕。Ringo Starrの85歳の誕生日だ。Star Festivalの日がStarrの誕生日。出来過ぎ。ただしこっちの方の人しかその偶然を楽しめないが。 織姫星と彦星の1年に1回のrendez-vous。ちびすけの頃は本当に天の川でその二つの星が近寄ってくるのかと思ったものだ。地球から25光年離れたVega(織姫星=織女星、ヴェガはアラビア語からで、「落ちる鷲」)と16.7光年彼方のAltair(彦星=牽牛星、アルタイルという名はこれもアラビア語で「飛ぶ鷲」)の星間距離は26光年だそうだ。 26*60*60*24*365*300,000kmの距離だ。ポカ〜ン。 光速で互いに近づいても、13年かかるじゃないか。 ヴェガは琴座の主星、こと座はLyraという。この字面と音(「ライラ」に近い)が大好きで、何度バンドの名前にしたいと思ったことか。(ちなみにアルタイルは鷲座の主星、わし座の英語名はAquillaだ。) Ringo Starrの本名はRichard Starkey、Starkeyというファミリー・ネームは元々ゲルマン語の「強い」を意味する語から由来している。Beatlesの中で、Englishな姓と言えるのを持つのは、George HarrisonとこのRichard Starkeyだ。とは言え、この二人がauthenticなEnglishである保証は全くない。当たり前だ。王様だってそうじゃないんだし。 「純粋な日本人」とか言う者がなんだか蔓延りそうな今だが、噴飯物の物言いだ。一体、その人はどんなDNAを持っていればいいんだ? ケケ。

The more languages there are, the more fun we have

いやあ、蒸し暑い。こればっかだ。 * 昨日放送のABEMAトーナメント。伊藤匠叡王(22歳)リーダーのチーム伊藤「宮田一門」予選敗退。「宮田」とは三軒茶屋の将棋教室を主宰する伊藤チーム3人の師匠の名。宮田さんは秋田出身。師匠孝行な3人ながら、棋界3番手や2番手を伺う香川県出身の若手天才棋士藤本渚くん(19歳)に叡王が2連敗したことで事実上敗退が決定したと言っていい。そこで私は視聴を打ち切った。藤本さん、間違いなく正式な棋戦でも伊藤さんや永瀬さんを打ち負かし、藤井七冠に挑戦してくるのはもうまもなくと思う。 * Mooさんが井上ひさしさんの『吉里吉里人』を今再読されていて、東北弁について少し書かれている。 https://moo-new.hatenablog.com/ 私の亡き父も初版かどうかは知らないが、すぐに入手、喜んで読んでいたっけ。いわゆる「ズーズー弁」と言われる東北弁だけれど、奥州(陸奥、主に東北の太平洋側)と羽州(出羽、同日本海側)は広すぎて、その各県のことばは共通点少なく、相違点いっぱいというのが本当だろう。さらに同一の県でだって地域ごとにはっきり田舎ことばは異なるのだし。 私の高校時代、喜多方やその近隣の會津盆地西部、北部の同級生らのことばには面食らったものだった。私の故郷では、新潟(大雑把に西日本言語に類別される)との県境にあったから中和作用と言うべきことが起きて、少なくとも會津街道=越後街道沿いの宿場町だった私の生まれ育った地区はアクセントもイントネーションも會津標準からかけ離れ、まさにNHK的日本語とそれらはほとんど変わらなかった。また訛りもほとんどなく、「町場」の児童生徒は苦もなく国語の教科書などを<美しく>読めた。だから、喜多方の高校で會津盆地人たちの<凄まじい>文末(句や節の末も含む)尻上がり口調、そう、U字工事の益子さんのあの話し方に大いに面食らった。そう、北関東方言と共通なのだった。(なお、福島県いわき地方も同じ)。 その高校の事務長だった方が、月いっぺん校内放送でこんなことを言った−− 「ずにょうりょーののうにゅー、まだのせいどはすちゅうおさめるよーぬ。」 「授業料の納入、まだの生徒は至急収めるように。」 これにはさすがの會津盆地西部北部(喜多方市、旧塩川町、會津坂下町、北塩原村、旧熱塩加納村)の同級生らも失笑していた。彼ら彼女らはアク...

メローニと私は違う(あったり前だ!)

海洋国ゆえ、湿度高い夏は不可避だろう。私は本当に湿気に弱い。今朝未明からの自転車乗りでもやられたけれど、気温がなんとか熱帯夜のそれ未満(だと思われた)だったので凌げた。それでも帰宅してまずしたのはシャワーを浴びることだった。 * EUの対トランプ関税政策での結束が、もしかするとイタリアの抜け駆けで緩み、解かれるかもしれないとの観測があるらしい。首相ジョルジャ・メローニがEU諸国の中ではトランプにシンパシーを感じる数少ない右派のリーダーで、10パーセント関税なら自国産業保護のため、EU総体としての強硬反発で関税戦争を激化するよりはそちらを受け入れるかもしれないのだと。YouTubeの国際政治経済を扱う「ゆっくり解説」を聴いたけれど、ほとんどイタリアの抜け駆け確定というような論調で「解説」しており、鼻白んだ。私がどこの誰だか知れないYouTuberの観測を拳拳服膺するはずもない。それでも、EUの実態の一面は捉えているとは言える。 グループの結束を乱すメンバーというのは、人類社会開闢以来ずっと出現してきたと言っていい。斯く言う私も、確とは覚えていないけれど、いつかどこかでそういうことをしてきたはずだ。「確と覚えていない」・・・とは書いたが、そう、自分から望んだ集団ではないものの、中学の頃は同学年のみんなや、統率する教師たちにとって私はそういう種類の人間だった。グループには必ず画一主義的なにかがある。そうでなければ集団を作る意味がない。それが理念やルールということになるが、私が通わされた(!)中学では理念もルールも全く私には気に食わぬものだった。 だから私にとって中学の3年間はほとんど人生の無駄遣いの年月だった。他の者の意向とそれにただ付き従う者たちに日々合わせなければいけないという苦痛に満ちていた。13歳から15歳までの貴重な3年を返してくれと当時の校長や教育委員会に今でも言いたいくらいだ。 何を当たり前なことをと笑われるだろうが、メローニと私は全然違う。少なくともイタリアはEUに自主的に加盟したのだ。私は<あの>中学に志願して入ってなどいない。他の選択肢が全くなかったからだ。親に、例えば東京の中学に通わせてくれ、などと到底言えなかったし、そんな大儀なことをする勇気もなかった。東京と書いたが、列車と徒歩で1時間かかりはするが、喜多方第一中学校にすら通わせてくれとは言えなか...

2025 文月雑記

いやはや蒸し暑い。今朝は成城経由で狛江の多摩川へ。富士はおろか丹沢も秩父・奥多摩の山々も雲でまったく見えなかった。 多摩川ではウグイスの声もしたが、ガビチョウも朝も早から朗唱していた。もしかするとウグイスの声もガビチョウが真似していたかも。おもしろい鳥だ、ガビチョウ。 * 「ルフィ事件」の現場となった狛江市のある住宅は多摩川の土手道沿いにある。先日久しぶりに民放で事件が取り上げられ、たまたま見てしまった。一昨年の1月発生の事件だった。忌まわしい記憶ゆえ、今朝はそのお宅を通る前に道を逸れて帰宅した。それまでは通過する際、命を奪われた方の無念を想い、必ず祈りを捧げていた。金のためなら何でもする人間が一定数いる世の中だ。そんなヤツらが平和な狛江の多摩川沿いの住宅に現れたのがあらためて腹立たしいし、悔しい。 * 私が英語をお教えしている生徒さんの中、二人めの溶連菌感染者が出てしまった。最初のひとりはもう回復しているし、重篤化はほぼ考えられない感染症らしい。二人めの生徒さんには、お大事にと伝えた。 ネットのおかげで私がその二人から伝染(うつ)されるリスクはゼロ。それは恩恵である。例のCovid-19の時もそういうことであった(いわゆる「コロナ」は地味にまた流行中らしいが)。お気をつけを。

そして義父の娘からのお土産ステーキを今日食す私

今朝4時過ぎ自転車に跨った。雨はその時もそれ以前にも降っていなかった。気温はさほどではないけれど、湿気がすごく、閉口した。梅雨の時期なのだから当たり前だけれどね。我が住まいのある地区から見て南に当たる世田谷区瀬田などを走ったけれど、路面が濡れていて、同じ世田谷区の街どうし、ほんの少ししか離れていないのに、あちらはちょっと前まで雨だったらしい。そんなことも全く珍しくはないのだけれど、目についた。 * いよいよ今日参議院議員選挙の公示。昨夜、英語をお教えしている高3生3人のうち2人が選挙権を持ったと確認して、「大切にその権利を使ってね」とお願いした。もちろん、一切特定の政党や候補者への投票を誘導するようなことは言っていない。 きっかけは彼ら彼女らが使っている教科書にconsumption(消費)という単語が出てきたこと。今回の選挙の大きな争点である「consumption taxへの態度もどの政党、候補者に票を入れるかの判断基準になるね」とは言った。 * その英語教科書は「Heartening」という、桐原書店のもの。おそらく高校教科書としては屈指の難しさだと思う。第5章の「Protein Crisis」の1節に、1キログラムの牛肉生産に、10キログラムの飼料と22,000リットルの水が必要だということが書かれていて、昔聞いたことがあるようなことではあったが、あらためて驚いた。牛肉消費がもっと拡大すれば、当然いつか環境負荷が限界を超えてしまう。もちろん牛肉だけの話ではない。しかし牛肉が最も生産コストが高いのは間違いない。そしてさらには畜肉とはつまり牛や豚、鶏などを殺してこそ得られている。惨い話なのだけれど、大半の人はそんなことを考えようともしない。 NHKBSでフィンランドの熊ハンターが取り上げられていて、フィンランド人もアイヌのイヨマンテのような、そして東北の「マタギ」のような儀式をしていることに驚かされた。熊は貴重なタンパク源となって<くださる>森からの、そして大自然からの恵みであって、ただただありがたく、尊崇すらする対象なのだ。「いただきました。ありがとうございました。また帰ってきてください」という心がフィン人にも、アイヌ人にも、マタギにも共通する。 そんな心は現代人の大半から失われている。 「タンパク質危機」を人類は乗り越えられるか。植物由来の人工肉、培養肉、昆...

文月雑記 〜顔記憶するハチ、京都の参議院選

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 今朝は午前4時ジャストに自転車で出発。当てなきpottering、「そんでも、どこもまあ、いつも行っているところばっかりだなあ」とちょいと食傷気味。世田谷と狛江以外のところへ行かないとまさに新味のないサイクリングになってしまう。 そうなると場所に新味を求めるのではなく、そこで移り変わるものを目当てに行くよりない。写真は4:30 a.m.あたりの大蔵運動公園で撮った朝焼けの空。目当てはだから、空模様、花々、木々の葉、そして鳥や虫の声。 今朝は昨日の朝ほどには蒸し暑さを感じなかったなあ。快い自転車乗りとなった。 * Mooさんを刺した蜂はアシナガバチだったそう。ススメバチ科に属するので、それなりアナフィラキシーなどを警戒すべき蜂だ。私も同種の蜂に23歳の頃伊豆へ遊びに行った際、刺された。眉毛辺りをやられ、腫れてひどい顔になり、遊びは台無しに。 調べるとこの蜂、顔認識ができるらしく、ある人間を一度敵とみなしたら特定的に攻撃するとか。Mooさん、顔を覚えられてしまったのでは?どうぞ細心のご注意を!! * 今度の参議院議員選挙、数多候補者がいる中、私が最も<心惹かれる>のは京都選挙区のれいわ新選組西郷みなこさんだ。京大大学院卒の37歳、教育学博士(日本デューイ学会研究奨励賞受賞者)で、3人の子持ちのシングルマザー。なんと初産は20歳、京大法学部生のときだったそう。元気いっぱいにSNS発信を夥しくしていて、それらが本当にユニークな記事、内容ばかりで、さらにタスキをかけて目一杯京都府内を巡り、しかも母親業もできる限りしている。息子さん(18歳)が党主催の「おしゃべり会」に登場、「れいわ」を批判し、母親の人生選択に疑義をぶつける。山本太郎さんもタジタジだった。 対立候補に共産党現職の倉林明子さんがいて、なんとこの人私と同郷(小中は違う)で、高校も同じ。なんで會津人が京都の国会議員をやっているのか、と。もちろん、文句はない。京都守護職は會津の松平容保だったのだし。笑。 票を食い合うのは必至、どちらも当選してほしい−− 沖縄史を改竄しようとするロクでもない候補を倒して!

2025年半分過ぎた日の雑記

天気に関することを冒頭に書くことがほぼ常だけれど、備忘録的なことなのだ。ということは、その情報を参考にして過ごす未来の年月があると思っていると。まあ、そうだし、もしかすると気象学に関わる人にとって参考になるかもとも(笑)。 今朝は今夏初めて自転車に乗って風を切っていても暑いと感じた。梅雨はもう明けているんじゃないかと言う人、多かろう。梅雨前線は消失しているけれど、寒気が上空にあって雷雨になり易いらしい。「雷三日」という諺もあるし、気象庁はまだ梅雨明け発表をしないとのこと(ただしこれは福テレ・空ネットで聞いた話。仙台管区気象台の説。) 私にしてみると、蝉がまだ鳴いていないので、彼ら彼女らは梅雨明けと思っていない、ないしはまだ成長しきっていないということであって、そっちに従おうと思う。ニーニーゼミはどっかでちょっと聞いたかも、というところ。ニーニーは梅雨明け前になくしね、参考にならん。 そんなことを言っていたら、七月。2025年の半分の月日が過ぎ去ってしまった。 * Elon Muskが180度旋回をしている。トランプ政権、共和党を昨日「PORKY PIG PARTY」と罵った。トランプの予算案を「insane」とし、債務を5兆ドルに引き上げる破滅的な法案として怒り狂い、「人々を思いやる新しい政党」を立ち上げる気概を吐露しているのだ。 あのな、Elonさん。選挙前にそんなことも見抜けなかったって、ほんとにあなた史上空前レベルの大富豪経営者なの? “Enrichment doesn’t mean, like, air conditioning… and it doesn’t mean to jack up your car. Enrichment is a bad word,”って、これ2日前とかのDonnie TrumpのTVでの発言だよ。 「核濃縮というのは、空調のようなものではないし、クルマをジャッキアップすることではないんだ。核濃縮っていうのは悪い単語だ。」 唖然とするしかない。 * Mooさんがハチに刺されたという。しかも3箇所。ハチの種類は書かれていなかったけれど、相当に痛く、腫れているらしい。心配である。 私は蚊に刺された。今年初めての本格的な吸血をされた。痒くて目が覚めるほどだった。 そういえば「蚊に刺された」と記したが、會津の田舎では「蚊に喰われた」とい...