新選組考

新選組、この幕末の佐幕武闘組織をどう評価するかは、その観察者の主観に依るところが大きいだろう。客観的事実としては、大きく見ると、欧米列強の開国圧力にうまく対処できないと非難された幕府が、それ以前に自ら勃興と跳梁を許した長州藩を筆頭とする西国諸藩に事実上のクーデターを起こされ、公武合体政府の夢を打ち砕かれて、破滅するという歴史的構造と推移の中、旧体制死守という大義に動かされた侍たちの武闘集団だったのが新選組だ。

その中心となった近藤勇と土方歳三は、それぞれ調布と日野という幕府直轄の多摩の人間で、いずれも豪農、名主階級と言っていい。ちょうど今でも多摩や世田谷区にも見られる地主たちが自民党を何があっても支持するように、宮川勝五郎(近藤勇の、豪農家の次男としての本名)や土方(日野石田村名主家の六男)も幕府の庇護に感謝し、協力する図式だ。

その豪農家の次男と六男は、余裕もあって、剣術を学んだ。天然理心流だ。宮川勝五郎は、同じ調布の上石原村出身の天然理心流宗家近藤周助の養子となる。この周助も農民出身で前の宗家(三代目)近藤内蔵之助の養子というから、天然理心流宗家近藤家は四代目、五代目と豪農の子弟が継いだことになる。

調布と日野は甲州街道沿いの村で、関東平野の西の果てと言っていい八王子に近く、その八王子には「八王子千人同心」と呼ばれた幕府直轄の多摩と甲州(山梨県)を守る、甲斐武田家ゆかりの人々の組織があった。(家康はこの武田の武士たちを召し抱えた。)きっと近藤勇も土方歳三も、できればまずその「千人同心」並みの武士になりたいと思ったろう。将軍様に仕える武士に、である。そしてその出世欲は、まず近藤によって一部満たされる。上で述べた通り、天然理心流の宗家となって、一応養子とはいえ武士身分を獲得したと言えるからだ。

(この稿つづく)

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