メローニと私は違う(あったり前だ!)
海洋国ゆえ、湿度高い夏は不可避だろう。私は本当に湿気に弱い。今朝未明からの自転車乗りでもやられたけれど、気温がなんとか熱帯夜のそれ未満(だと思われた)だったので凌げた。それでも帰宅してまずしたのはシャワーを浴びることだった。
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EUの対トランプ関税政策での結束が、もしかするとイタリアの抜け駆けで緩み、解かれるかもしれないとの観測があるらしい。首相ジョルジャ・メローニがEU諸国の中ではトランプにシンパシーを感じる数少ない右派のリーダーで、10パーセント関税なら自国産業保護のため、EU総体としての強硬反発で関税戦争を激化するよりはそちらを受け入れるかもしれないのだと。YouTubeの国際政治経済を扱う「ゆっくり解説」を聴いたけれど、ほとんどイタリアの抜け駆け確定というような論調で「解説」しており、鼻白んだ。私がどこの誰だか知れないYouTuberの観測を拳拳服膺するはずもない。それでも、EUの実態の一面は捉えているとは言える。
グループの結束を乱すメンバーというのは、人類社会開闢以来ずっと出現してきたと言っていい。斯く言う私も、確とは覚えていないけれど、いつかどこかでそういうことをしてきたはずだ。「確と覚えていない」・・・とは書いたが、そう、自分から望んだ集団ではないものの、中学の頃は同学年のみんなや、統率する教師たちにとって私はそういう種類の人間だった。グループには必ず画一主義的なにかがある。そうでなければ集団を作る意味がない。それが理念やルールということになるが、私が通わされた(!)中学では理念もルールも全く私には気に食わぬものだった。
だから私にとって中学の3年間はほとんど人生の無駄遣いの年月だった。他の者の意向とそれにただ付き従う者たちに日々合わせなければいけないという苦痛に満ちていた。13歳から15歳までの貴重な3年を返してくれと当時の校長や教育委員会に今でも言いたいくらいだ。
何を当たり前なことをと笑われるだろうが、メローニと私は全然違う。少なくともイタリアはEUに自主的に加盟したのだ。私は<あの>中学に志願して入ってなどいない。他の選択肢が全くなかったからだ。親に、例えば東京の中学に通わせてくれ、などと到底言えなかったし、そんな大儀なことをする勇気もなかった。東京と書いたが、列車と徒歩で1時間かかりはするが、喜多方第一中学校にすら通わせてくれとは言えなかった。当然だ。私は喜多方市民ではなかったから。その中学は、私の町の近隣(喜多方学区とでも言っておこう)では唯一坊主頭の強制がなかった。たかが坊主頭強制などと言う勿れ。Beatlesを幼少から聴いてきた私には生きるか死ぬかくらいに重大事だった。
なんだか突拍子もないことを書いている。もうやめる。
ああ、暑い。
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