梅雨明けを告げるヒグラシ鳴きだした朝に

いやあ、自転車漕ぎ出した午前4時ちょっと前、涼しく、湿度も適宜で、最高だったなあ。梅雨明けという何だか気象庁がしょうがなくやってる(らしい)恣意的判断がされたけれど、そうね、それは私にとっての判断基準はセミ、特にアブラゼミとヒグラシの鳴き出しなんだわ。アブラゼミだけだと、ちょっとだけフライング(jump the gun)。ヒグラシの声も確認できていよいよ間違いなし、ってやつです。

それでね、成城3丁目の「崖線上のエリア」(MNEMO命名)へまず行くと、はいはい、区立明正小学校脇の木立で、私の自転車の音に臆せず披露されたヒグラシの初鳴きを至近距離で聞きました!會津の故郷では「カナカナゼミ」と言います。そういうところ多いと思うけれど。

今日の最遠点は調布市染地。すがすがしい空気の多摩川のほとり。



この写真に写っている絹雲ね、すごいよ、ずっと形を崩さないんだ。30分ほどずっとほぼ形を保っていたさ。上空遥かは無風に近かったんだね。地上もほぼ無風でしたが。

いつも狛江の方へ行くと、7-11でコーヒーとレタス・サンドを買うんだけれど、今日はいつもの北口の方のでなく南口の方のを利用。おばさん店員(バイトだろうけれど)、他の仕事をやっていてのレジ対応で、こっちが何度か呼んでから挨拶もせずにやって来てのレジ打ち、そして「ありがとうございます」も無し。最低だね。もう2度と行かない。北口の方、一択。

それなり年配の女性であって、バイトしなけりゃやっていけないのだろうことは分かるし、早朝から(未明から)ご苦労様であるのは私だって十分わかってらい!それでもね、そういうことだって、自分の給与になる金を出してくれる客に最低限の礼を尽くすのは当たり前。

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狛江の多摩川河川敷、チロちゃん埋葬地から川下へ行く逕。狛江居住はおよそ30年(?)、その間も、また都心居住時ですら、この逕を何度も何度も歩いたのです。そして今も。この先は二子玉川、そして羽田、つまり真東です。建物が一切見えない。こんなところ、新宿から20分強ほどのところにあるんですよ。

旧ブログでも書いたのですが、ここを木立に向かって行くと「一体本当に私は東京都にいるのか---しかも都心からそう離れていないところに?」という気分になります。いろいろな音楽とマッチしますが、何より芥川也寸志さんのTriptyqueの第1楽章のAllegro、特に67小節めからのバイオリンが2分音符多用の旋律を弾くところ!

芥川也寸志さんは相当転居されたようで、故郷と言っていい北区田端から引っ越されてこちらの方(つまり世田谷の方)に住まわれたいくつかの住居の中で、確認できるところでは、等々力(尾山台)、自由ヶ丘(これは目黒区)、祖師谷、そして調布市入間町だが、これは母・文さんが亡くなったときに同居していた住まいとされているけれど、私が当てにする相当詳しい年表にはないのだ。そして終の住処は成城(2丁目、駅に近い)だ。

私が今上の写真の場所へ行くのに、祖師谷の近隣(砧)から出発し、成城を通り、また入間町をかすめたりすることがある。芥川也寸志さんの音楽に親しみを覚えるはずだ(?)。等々力や自由が丘は私の「Deep世田谷ポタリング」では最遠点になること多く、昨日の朝にも行った深沢の隣と言っていい場所なのだ。

私の好きな街に暮らし、すばらしい音楽活動、平和運動をされてきた偉大な作曲家を、どうして愛さずにいられよう!

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