生育医療研究センターから見える大樹

昨夜久しぶりにNHKスペシャルを見た。たまたまのことだった。この「Nスペ」、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」などの発言で知られる籾井会長体制以来毎週見ていた習慣を捨てたのだった。だからたまに見る時は、事前にその内容を知って興味があるときの回だけとなっていた。なお、その事前の内容確認もしたりしなかったりなのだ。 

1週間分の食料と日用品を買ってきて、TVをつけたら、多数の管でつながれた性別不明の子どもが病床にあって、医師や看護師に囲まれているシーンが映る。すぐにピンときた。「これは生育医療研究センターを取材したものではないか」と。その通りだった。たった今そのセンターの裏手の道をクルマで走ってきたばかりだ。

どういうお子さん、親御さんがそのセンターの医師と看護師、ソーシャルワーカーさんらにどのように治療され、ケアされたかは詳しく書かない。ただ、なんというすばらしい医療があそこで為されているのかということ、その感動に尽きる。

全部が政府予算から賄われているわけではないし、民間からの援助もあるにはあるが、到底十分ではない。ある医師は小児医療の現状を憤り、「未来を担う子どもに対してあまりにも冷たい国」と発言されていた。そんな中でも、その医師も、他の医師、看護師、スタッフたちも、懸命に<あたたかい>治療とケアを施しておられるのだ。

世田谷区立大蔵運動公園や都立砧公園へ行く際はこの国立研究開発法人生育医療研究センターの建物付近を通る。夜などに通ると、病室のオレンジ色系の温かみある明かりがいくつも見えて、その部屋の中、苦しんでいる子がいるのかなあと何度も想像してきた。快い眠りについていればいいなあ、とも。

その想像が、現実の映像となってTV画面に映ったのだ。



上は今朝未明、大蔵運動公園から撮った区民プールの建物越しに見える生育医療研究センターの最上階。治療を受け、あの多数のチューブにつながれ重篤な状態だった子(男の子だった)がなんとか危機を脱し、窓から大きな木を見るシーンがあった。ずっと動かせないままだったが、窓にまで6人がかりで移動させ、少年が外の世界を眺めることができるまでになったとき、少年はその木の大きさ、見事さに励まされているようだった。そしてとうとう退院となったとき、あらためてその木を見る。葉を落としていたけれど、その季節が移ろう間ずっと彼を励ましつづけてくれたのだ。その木が、上の写真のエノキではないかと私は思う。

確かに、昔なら救いようがなかった命だったろう。すさまじく過酷な治療を耐えなければならない子の不憫さと言ったらない。親御さんも、胸が張り裂けるほどの苦しみを覚えているのだ。必死に治療に耐える我が子を見てどんなに泣いてきたことだろう。「もう治療をやめてください」と言いたくなったこともあるだろう、「かわいそうすぎるから」と。

医師や看護師も、治療不能と思われるある子どもが不憫にすぎて「もう緩和ケアの段階だ」とカンファレンスで言うのだけれど、「いや、もっと我々にはやれることがある」と反論する医師がいて、最後まで望みを捨てない意思で統一されていく。そしてその子は結局亡くなるのだけれど、手を尽くし切った医師、看護師の真心に親御さんもただただ感謝しかなく、ある意味爽やかな表情で子の死を受け入れるのだ。そしてだれよりも自分に関わってくれた人々、そして親に感謝したのは、その1歳にもなれず亡くなった赤ちゃんだったように私には見えた。

命を軽く扱う言説が蔓延り、戦争で毎日尊かるべき人生が奪われている今だ。

NHKスペシャルに感謝する。この番組は、子を見守る大樹のようだ。

コメント

このブログの人気の投稿

やるせない

SSブログにしてやられて、19年間のtextを失いました。(移行予告を軽視した私が悪い)

バンド内闘争