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英語詞作はDone Henleyにだってむずかしい

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  どこの山だ?砧公園のバード・サンクチュアリだ。昨日撮ったか一昨日だったか忘れた。調べんの、めんどくせぇ。 失礼しました。 * 世界で最も売れたと思われるシングル曲候補のひとつ、1976年発表のEaglesの The Hotel California ー ほぼ完璧なコピー動画を見ていてなんだか泣けてきた。 https://www.youtube.com/watch?v=GK1dCMDbGFY Don Felderがギターだけで(?)原曲を作り、Don HenleyとGlen Freyがメロと詞を書いたことになっている。そして数年後、FelderはFreyと決定的な対立(喧嘩)をしてバンドを脱退するという「バンドあるある」の経過をたどったのだった。 1976年、練馬区桜台6丁目のボロアパートに住んでいた。Kと一緒に池袋西武でこの曲が含まれる同名の「世紀のアルバム」を発売と同時に買って、二人で聴いた。 このことは何回か旧ブログでも書いた。今回、上のビデオを見ながら感じたこと、思い出したことはそのブログで書いたことともちろんほとんど重なる。しかし今回あらためて思ったのは、英語による歌詞作りのむずかしさだ。 Henleyは「We haven't had that spirit here since 1969」に韻を合わせるため、前のラインで「Please bring me my wine」とした。これは、1969年がアメリカ学生運動のひとつのピークを迎え、ジョンソンとニクソン両大統領の政策に抗った年だったからで、その反戦平和のスピリット(=精神)を掛けたのだ。しかしこれにまもなくケチがついた。ワインはスピリット(酒精、蒸留酒)ではないからだ。彼はその指摘に「気難しい」反論をし、その最後にこう言っているー "My only regret would be having to explain it in detail to you, which would defeat the purpose of using literary devices in songwriting and lower the discussion to some silly and irrelevant argument about chemical processes.” 「唯...

早いよ!

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砧6丁目の某富豪地主の家前で撮った今朝夜明けの空。淡いオレンジ色の雲に嘆息。なお写ってる建物はその方の家の倉庫(!)。 * 午前4時過ぎではまだ暗いというようなところまで夜が長くなってきた。家を出るとシリウスが南東に輝いていた。雲が多かったからその上に<いる>はずのオリオンは見えなかったけど。 「そうなんだよなあ」と思った。「ちょっと前までオリオンの再登場を待ち焦がれる男だったなあ、俺は」って。三つ星は八月の初旬に三つとも地平線から出てくるのだ。「また会えたね」と手を振るのをもう何十年やってきたことか。そしてこの数年、しなくなってしまった、三つ星が真東の空に垂直に出てくる瞬間を捉えての挨拶を。 * Kが胃の検査を受けて、かなり重い状態の胃潰瘍であると診断されたという。即入院となってもそうおかしくはないほどらしい。これで、亡きお母様から受け継いだという糖尿病とリウマチに罹ってしまう体質に加え、とうとう亡きお父様が患った胃の病気にも罹ってしまう体質も継承してしまったと嘆いていた。ただ楽観主義の彼は笑顔を絶やさず報告していたのが救い。当面は薬での治療ということらしいが、また飲む薬が増えてしまった。 友よ、本当に養生してくれ! * エンマコオロギの、私にとっての初鳴きは、4日前、夜の砧公園でのことだった。今朝未明は成城3丁目でツヅレサセもたくさん鳴いていたし、ヒグラシも鳴き、私の心は躍った。躍ったけれど、大好きな秋と冬が来るけれど・・・早いよ!

主語がおっきいけど、男女ってものは

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  写真は、昨日午後5時過ぎの砧公園の一角。黄黒テープが鬱陶しいけれども、まあ、いい感じだ。いまだ公園はこのテープが至る所に張り巡らされていて艶消しも甚だしい。倒木事故の尾は引きっぱなし。 * やばい。YouTubeの男女トラブル系ビデオにハマってしまっている。演出、潤色があるものも多かろうけれど、ある特定の夫婦や恋人同士のマイクロ・コスモスを描く<立派な>ドキュメンタリーのものも劣らず多い。そのリアリティーのそれぞれ独特の詳細にハマるのだ。 さまざまな夫婦模様、恋人同士模様とそのトラブルの顛末があるけれど、ひとつのパターンに気づいている。旦那や恋人に裏切られた女性のうち、顔は完全にマスキングされているが、髪が長く、栗色で、上品な出立ちの人は、「事件」発覚後ほぼ必ずその旦那や恋人に深く謝罪され、「一時の迷いだった」と哀れなほどに赦しを乞われる、というものだ。他は圧倒的に苦々しく、悲しく、あるいは憎しみに満ち満ちた別離となるのに、だ。 こんな言葉は嫌いだが、おそらくその女性たちは旦那や恋人の「トロフィー・ワイフ」かその候補なのだ。「なんでそんな自慢の伴侶や恋人を得ていてアホやっちゃうんだろうね」と思ってしまうパターンだ。 「主語がおっきすぎるんだよ!」と昨日だか書いたNくんに叱られてしまうけれど、「男っていうのは」と言いたくなってしまう。 夏休み真っ只中。上記のようなビデオにハマってしまっても、まあ、罪悪感はあまりない。(笑)Nくん主宰の「調査会社(探偵事務所)」のビデオの舞台は東京および首都圏で、バッチリ「突撃」場所が分かる。Nくんたちは意図的にそうしているのか、それとも隠すの編集で「めんどくせー」なのか。 同様他種の大阪モノはそれとははっきり違って、「突撃」はしない。レンタルスペースを使ってのトラブルを「ま〜るく収めまっせ」番組になっている。地名がその会話の中に出てきても伏せられる。おもしろいものだ。東京と大阪、逆じゃないかと思ってしまう。 東京モノにはもうひとつ、弁護士が自らトラブル現場に「突撃」するものがある。これはやはり弁護士バッジが絶大な効力を発揮していて、「水戸黄門」を彷彿とさせる。「突撃調査」される側からの不平や抗議を即座に法的に意味のないものと却下する。快刀乱麻だ。<ただの>YouTubersや探偵(こちらは例えば「盗撮だ」と抗議されれば「探...

葉月雑記 2

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  喜多見ふれあい広場から撮った成城の丘。8年以上前の夏のもので、写っている女性は全く見知らぬ人であることは付言しておきます。(笑)(シャッター・チャンスでも、この方、眺めをずっと楽しんでおられたので。) * YouTubeの某チャンネルの主宰者Nくんは実にことばの魔術師のようなところがあって、同系のチャンネルのカウンターパートになる人物中ピカ1だと思っています。 書き留めたりしなかったので忘れしまったものもあってまた見返さなきゃとも思うんですが、長尺モノなのでちょっとむずかしい。 「部外者になったり加害者になったり、あんた桂馬みたいな人だな。」 「脳死した頭でしゃべんないでくれる?」 こういうのがすごいスピードで口から放たれるのだ。言語瞬発力抜群。若々しい、見た目「かわいい」とか言われそうな二十代(?)の男性だ。桂馬の比喩は本当にすごい。若いのにね。 * 運転免許の更新時期にもう入っている。3回連続のゴールド免許。ペーパー・ドライバーではないのにこれは快挙だろ。ただ、なんだか更新手続き、予約制になっているとか。めんど。 * もう少ししたら、松茸の土瓶蒸しがいただける。誕生祝いの食事の定番となっているのだ。超高級店に行くのではない。松茸も中国産だ。それでも最高に美味い!これで日本酒をやるのが年一回の楽しみ。これからもずっと、と祈る。

Quest for the Skyblue and Green

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  昨日の夕暮れ。@大蔵運動公園。Skyblueじゃないけれど。 * またKのVlog最新版でのことだけれど、彼が警備する現場が高円寺南とのことで、そう奇遇ではないけれど、私が直近の記事で<空がないところ>として書いた場所だったから、少し驚いた。 彼にもあまりいい印象がないところだったということで、そこで出会った、イア・ピースをして「スマホ(この言い方嫌いだが敢えて使う)」見ながら現場に来た若造歩行者の記憶を語っていた。その若造は、Kが行く先を丁寧に聞いたところ、方向を顎をしゃくって<答えた>と言うのだ。温厚なKもさすがに憤慨、「ぶっXしてやろうかなと思」ったと。 若い頃、さほど嫌いな街ではなかった。高円寺は若者の街という感じだったし(今もそうかな?)、安くていい飲食店もいっぱいあった。けれども、何度も書いてきたとおり、26歳の時にどうしても日常として広い空が見られる狛江へと引っ越したくなった。ゴチャゴチャした街に完全に食傷したのだった。(現役の高円寺住民のみなさん、すみません!) Kを怒らせた若者はどこにいたって不思議ではない。高円寺だけにいるはずは無論ない。しかしその経験がKの心を甚(いた)く傷つけ、その記憶はそのことが起こった街の印象と合体してしまったのだ。 私にとっての高円寺は「空のない街」また「緑のない街」で、物理的に視野が狭いこと、緑が見られないことがそのまま心の狭さ、そして安らぎのなさにも通じてしまった。あくまで私の場合だ。朝焼けや夕焼けがfull visionで見られないこと、私を大きく包んでくれる木立がないことは、私には深刻な事態なのだと気づいたのだった。 また暑くなった。Kの現場警備、恙なく遂行されますように。

つまらん雑記(すんません)

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  昨日、色合い涼しげな百日紅咲く砧3丁目のNHK技研遊歩道。 西日本は例年通りの猛暑らしいけれど、東京は今日も初秋らしい気温となっている。私にはありがたい。それでも昨日家を出るときに少し雨が降っていたから自転車には乗らず歩き出したが、湿度にやられて、5キロほど歩いて汗だく、這々の体で帰ってきた。 * 「人称代名詞+的」という言い方に違和感を覚えることを過日書いたけれど、先ほど「僕的」ということばを或るYouTubeビデオで聞いた。「ぼくてき」・・・一瞬「墨滴」としか私には聞こえなかった。呉竹の墨汁の商品名だが。そんなことを知らない人が使うんだろうな、「僕的」。「一人称代名詞+的」だと「わたし的」はもう相当耳にしてきた。その伝で「俺的」、「あっし的」、「おら的」、「おいどん的」、「拙者的」、「身共的」、「それがし的」、「朕的」、「じぶん的」とかもあんのかよ。 * アホな旦那と別れた女性が、そやつを追い出した「マンション」に広々住みつつ、「粗大ゴミを出したような清々した気持ち」と表現していて大笑いしてしまった。うまい比喩だなあって。 * 世田谷区岡本は歩いていて心落ち着くいい街だ。岡本と言っても広いので、全部がそういう散歩楽しき場所というのではないが。国分寺崖線際の一等地に並びたつ豪邸街もそれはまあいいけれど、そこから東に入った3丁目のたたずまいが良い。 そうなのだよ。散歩したくなる街かどうかがとても私には重要なのだ。砧にもそういうルートがあるし、もちろん成城にはふんだんにある。狛江なんかは野川と多摩川に近いから、やはりいい街だ。 高円寺南に住んでいた頃は最悪だった。そんなルートはまずなかった。いや、現在お住まいの方々に反論されるだろうけれど、また書いて申し訳ないが、<広い空>がないところは私にはダメなのだ。 勝手に言ってろ。

ふるさとのこと

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我がふるさと、野沢の町。道路は国道49号線、越後街道だが、1979年にバイパスができて今は町道ということになっている。奥に聳える山は蝉峠山(せみとうげやま)で標高535メートル。町にとって真西の山となる。この山へオリオンが沈んでいく光景を憶えている。 今は多くの地方自治体同様過疎の町である。1954年の町発足から4分の1ほどまで人口が減った。今は5千人を切っている。写真で分かるように、人通りなどほとんどない。 隣の喜多方のようなラーメンや蔵といった<売り>もない。やはり隣の柳津町の「赤べこ」や「粟饅頭」のような多くの県外人も知る、あるいは買いにくる特産品もない。そしてまたまた隣町の、会津若松と隣り合う人口減少のペースが比較的急激ではない会津坂下のようでもない。未来への道ははっきり塞がっている。 それでも、おととい掲げたU字工事やなすびのYouTubeビデオで紹介されているように移住してくれる人もいるにはいる。なすびさんのビデオに登場した町職員の、福島市から移住してきた女性などはモテモテだろう。交際を望む男性が殺到して困っているのでは?(笑) Kと町中を歩いていて、あまりに久しぶりの帰郷だった彼は、「え〜、こんなに町が狭かったっけ!」と驚いていた。チビだった頃の相対的な町の大きさが、彼が最高身長時より4センチ縮んでも信じられないほどそれ以上の比率で縮んで見えたのだ。もちろん私も同様。しかし私は毎年帰っているから、その驚きもほぼなくなった。 故郷の良さは何だろう。私にとっては冬景色だ。もう何度も書いてきたが、雪道を踏みしめながら初詣だ。街中の熊野神社の、雪を暖かく照らす御灯明の光だ。 なのに、冬に帰ることはここ十数年、ない。