投稿

もうだめかもしれないね

不勉強な者および知らないことを知らないと言えず謙虚になれない者の社会における発言権が拡大したと思えるのは私だけだろうか。 ちょうど身体能力では到底普通の人間が敵わぬ者がいるように、思考能力でもそういう優れた者がいる。それはもう、如何ともし難い。例えば、100メートル走17秒台の者はどんなに努力しようが9秒台のスプリンターに追いつきようがない。脚が遅い者がでは陸上短距離界のことについて云々しようとするだろうか。また云々したところで誰がその論の説得力を感じようか。同じように、思考力並外れた人間に、脚が速いだけが自慢の者が複雑な問題の解決法を語り合うことができるはずもない。 民主主義の恐ろしさはそこにあるだろう。今のところ最も合理的で理性的な政治システムだとは思うけれど、「民」が暗愚であったら、暗愚主義になってしまう。ナチも表面上はワイマール憲法下の選挙を通じて政権を獲ったと言える。(ただしその得票率は37.3%だったし、その選挙もすでに共産党への弾圧など、恐怖政治下のことだったから公正とは言い難かった。また議会がヒトラーを首相に選んだのではなく、ヒンデンブルグ大統領から任命された。) そのヒトラーが思考能力に長けた、知らないものは知らないと謙虚な指導者であったはずがない。彼の狂信でなんと軍民合わせてドイツは700万ほどの国民を失った。さらに他国の軍民合わせて1,500万〜2,500万人の範囲で殺戮したのだ。 もう二度とこんなことは起こり得ないと思えるほど、人類は暗愚がもたらす恐怖、悲惨を体験したはずだった。 ところが、どうだ。人類は「進化」したか? Trumpの発言を、ほぼリアルタイムでTwitterで確認している。ほとんどどころか間違いなく狂気ないし暗愚からのものだ。こんな大統領を世界で最も先進的だったはずの超大国が抱えている今、なのだ。

全員よく頑張った

短信。(誰に?) 高3生、今日の発表で全員が第一志望に合格ということになった。 すべて人に自慢できる(彼ら彼女らはしないけど)大学だ。私も久しぶりに過酷な授業運営となったが、報われた。

イッちまったなあ、MNEMO (グハハ)

イメージ
2日前、世田谷区大蔵の「やっちゃば広場」で満開を迎えていた河津桜。 * 私が有神論者であるのはもう何度も表明している。とは云え、まさか白髭のおじいさんを神と思っているはずもない。究極仏(我々のこの宇宙ではつまり釈迦牟尼)さまも神である。こうなると汎神論だが、そうではない。スピノザの「神即自然」やペレニアル哲学、インド哲学の梵我一如、そして本邦なら本地垂迹説の考え方に与する。 ちなみにアインシュタインもスピノザの考えを支持している。 イスラエルの神とイランの神の戦いと称して殺し合う今だ。スピノザもアインシュタインもユダヤ人だぞ。まずは仕掛けた方のネタニアフよ、同胞の偉大な先輩を見習え。 * Mooさんが氏のこれまでの主に公的な歩みについて書き連ねておられる。八十路に入られたからそれを契機に来し方を振り返っておられるわけだろうが、一つの区切りをつけておられるとも言える。 私もやたら過去のことを思い出す。理由は主に「暇になったから」だ。振り返ると、何か達成したかという視点を持ちがちだ。しかしそういう視点だけで回顧反省するのは素朴すぎるのではないか。何かを達成したと思えるから人生有意義で、何かについては中途半端にしたとか失敗したとかと認識して人生無駄にしたとするのは愚かではないかと思い直すのだ。 自分の善い行いが後世につながれていくのはもちろんうれしいことだ。しかし「うれしい」と感じる主体はすでに他界しているのだ。そんなことを感じる主体でなくなっていても、いいではないか、つながっている、自分の為した善なることの影響が続いているという事実があるだけでいいのだと思える人は強者だ。 私はこの世を去った後も「うれしい」と感じる主体であり続けると思っている。同様によろしくないことをした自分の罪も引き受けたままになるとも思っている。仏教は「無我」と言うし、お釈迦様に逆らえるはずもないが、しかし、私は意識は常住だと思えてならないのだ。仏性は不滅なのだ。あるいは量子意識理論(ペンローズなどによる)。そして私自身の根拠としては、18歳になる直前だったか当日だったかにした心霊体験が大きい。 人間は、自分がしたことが後の世でどうそこに生きる人々、動物、植物に影響しているのかを確認しなければならない存在なのではないかとすら思う。それでうれしかったり、罪悪感に苛まれたりをいわばずっと繰り返す。そして...

人間サンクチュアリ

 砧公園で桜の木が倒れて七十代女性がケガをしたという。お気の毒なことだ。軽傷とのことらしい。お見舞い申し上げる。 そこはサイクリングロードの北西端で、私も頻繁に通る。サイクリングロードとは云え、joggersやwalkersも通り、数としてはそちらの方が自転車乗りより多い。 枝が落ちることはしょっちゅうだから、私も常日頃は気をつけている。今回は倒木だから深刻だ。管理事務所(都)も毎日木の状況を確認しているのだろうけれど、万全ということはあり得ない。 同じ目に遭いたくないなら、木立の下や傍に近づかなければ良いのだけれど、危ないからと公園から樹木を取り去ったら一体何に憩いを見つけると言うのか。快を得られるところには必ず相応のリスクがあるというのは真だ。風光明媚なところは、火山地帯だったり、洪水危険地帯だったり、熊が出たり。美しい海岸や臨海の保養地には津波や高潮のリスクがあり、さらには鮫に食われる不幸もあり得たりするところもある。 私はもちろん今回のことで砧公園を避けたりはしない。都立公園の中でも出色の類であり、23区内の都立公園ではおそらく一、二を争う緑豊かな人間サンクチュアリだ。

伊藤二冠A級昇級

  何にも浮かれられない日々だけれど、昨夜は伊藤匠二冠のB級1組最終戦を観ずにはいられなかった。9割方負けだったのだが、最終盤大逆転で勝利、10勝2敗でA級昇級となった。 相手は2番目に好きな澤田真吾七段だったので複雑な想いはあったけれども、なんとその最終盤、伊藤二冠は負けても同時に対局開始していた他のB1組のライバル二人がすでに負けており、昇級が確定していた。それを知ることなく(おそらく)、ギリギリ大逆転で勝って文句なしの頂点カテゴリーへの到達を果たしたのだ。 世田谷区弦巻の大天才、おめでとう! * 一方同い歳の愛知県瀬戸市の大天才藤井六冠は、不調を託つ。有力棋士たちの総研究、総攻撃がいよいよ六冠を苦しめ出した。先陣は伊藤二冠、まず叡王城と王座城を落とした。彼により藤井難攻不落説が完全に揺らぎ、永瀬、増田がそれぞれ王将城、棋王城陥落を目指し続いているのだ。将棋界は群雄割拠の様相を帯び始めている。 * 群雄割拠、戦国時代で、将棋界はなんと低迷するという予測がある。「パックス・藤井ア=Pax Fujiia」の天下泰平、彼の人気継続こそ将棋界の繁栄なのだ、と。一理あるけれど、ではPax Fujiiaが続くマンネリが本当に安定した将棋界活況をもたらすのか。 囲碁界は今本当に手酷いことになっている。棋戦が2つ3つと消滅しているのだ。長兄が世話になった会津中央病院が主催していた女流棋戦の立葵杯もそのひとつ。賞金700万円だったか。日本棋院はこのまま行けば立ち行かなくなり、今や市谷の本部を売り出す羽目に陥っている。一力遼さんの国際的な活躍も焼け石に水のようだ。女性棋士も世間の下世話な耳目を集められていない。 娯楽多様化の時代、将棋と囲碁がいつまで、どこまで、一定の数のファンを集められるのか、考察が必要だ。

No a la guerra

イメージ
スペインの社会労働党党首で首相のペドロ・サンチェス氏の、トランプ政権によるイラン先制攻撃への批判、国際法、国連憲章遵守の姿勢、呼びかけ、またNATO加盟国であっても米軍に基地使用をさせないという毅然たる態度に心から敬服している。 「Pedro=ペドロ」は英語流ならPeterだ。ラテン語petrus、ギリシャ語petros、いずれも「石、岩」を意味する語から由来する。「岩男」くんや「巌」さんなどに匹敵する。 一方非道な戦争を仕掛けた男はpedophileだ。同じ「ped」でもこちらはギリシャ語pais=子どもの属格paidosが変化したもの。「phile」は「愛する」であり、合成してどういう意味になるかはお分かりの通り。Pedophile Trumpとでも改名すればいい。 なお、Donaldはケルト語系統の名で、詳しくは書かないが、「世界の征服者」の意味という。ロシア語の「ウラディミール」と同じだ。 あ〜あ。

哺乳類でなし

今はAIによって作られたり、改変されたりの映像や画像が氾濫していて、中には全くリアルにしか見えないものもあり、そうした高精度なものの数もどんどん増加している。 動物モノのもそうなので、先ほどSNS上で見たものも眉に唾してリピートした。本物のようだった。 その動画はこうだ。中国かどこかの農家の前庭にある方形の溜池に、その農家のよちよち歩きの幼児が過って落ちる。すると近くで繋がれていない雄牛(角があったので。ただし、雌牛でも角は生える。人が雌牛のは矯めてしまうことが多いという)がすぐに察知し、猛烈な勢いで溜池へダイヴする。見事なことに、ちゃんと角が幼児に当たらぬようにし、しかも自分の左肩と溜池の端の間を狭め、幼児が浮くように。 驚いた。 孟子の「怵惕惻隠(じゅってきそくいん)の心」はよく知られている人間性善説の根拠だ。井戸に落ちそうな子を見て、咄嗟に助けようとしない者などいない、と。それはいよいよ本当だと思う。牛すらそうなのだから。いや、「すら」という助詞を使って牛を貶める気はさらさらない。正しい助詞は「も」である。 しかし、そういう心を持たぬ人間はいる。確実にいる。そういう人でなし、<哺乳類でなし>が核兵器を使える立場で何人かいる。今その者たちのことを毎日のように私たちは見聞きしている。