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The Eye Booger Telling the Snot to Respect Him

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大谷さん、好きだよ。尊敬もしている。でも、国威発揚モノのゲームにシャカリキになる彼についてはそうでもない。「ナショナル」より「クラブ」での彼が好きなんだ。岡野治雄ちゃんがレッズを本気でサポートし、「侍なんとか」には全然熱狂しないのと同じだ。 で、今だ。ふだん世田谷周辺の四季の移り変わりを写真で撮って、ロクでもないことを毎日書いている爺の俺が言うことじゃないだろうが、3次大戦が懸念される今、 WBC三昧なんて全くありえない。もちろん野球のことばかりじゃない。人類の深刻な状況を 知らんぷりしてナントカ三昧に<国民的に>耽っていられるか?俺はいられないから、どうだ、この頃俺が書くことに花鳥諷詠の「か」の字もないじゃないか。え?そんなのなくたって一向に構わん?ああ、むろんそういうことさ。しかしなんで一部のアホによる人類史上稀な暴挙のために自分の日常を壊されなければならないというのさ。 小林秀雄はすぐれた批評家だ。講演の書き写しとかだと話があっちこっち行くけれど、保守派論客としての筋金は半端な強度じゃない。しかしね、彼が戦中翼賛的態度をとったことについて敗戦後に「俺は反省する気なんかない」と言い、その理由の一つに「祖国の戦争に協力するのは、国民として当然じゃないか。コスモポリタン的な中立的判断による戦争協力反対などということは、日本国民としてありえない話だ」と言ったことにはどうしても得心できない。つまり彼は「日本人」であって、コスモポリタンではない、だから<いくら愚かな戦争であれ>、日本政府が推進するなら協力して当然だと解釈されてしかたがないことを言ったのだ。 「日本人」だからこそ、無謀な戰で「國體」を壊してしまふやうなことには反對すべきであつたと余なら言ひ返してゐたであらう! * これについては笑うしかない。 ペドファイルのドンは、イランを自由にするんだとよ。

Merciless Killers, Don & Ben

トランプははっきり、境界性パーソナリティー障害あるいはナルシシズム性パーソナリティ障害を患っていると言ったら、精神科医でもないのにと非難されるだろうか。 そもそも、元大統領夫妻をゴリラとして描くAI動画を出して罵倒したり、自分に反対する国民たちに排泄物を空から投下して嘲笑うmovieを作って喜んでいる米国大統領などいて良いはずがない。どうかしているのだ、彼、そしてそれを止めない取り巻きたち。 今イランの猛烈な反撃でトランプは焦っているに違いない。さらなる暴発が憂慮される。アメリカ国民の中でもこのイランへの攻撃に賛成する者は相対的に少数らしい。では多数派はなんとかこれ以上の暴挙を食い止めねばならない。 去年6月、トランプはバンカーバスターでイランのウラン濃縮施設などを「完全に破壊した」と言ったではないか。それゆえ今回の先制攻撃(国際法違反)の理由はなかったはずで、己に関するEpstein Filesへの関心を逸らすことが本当の理由だったのではとすら思える。 情報が錯綜し、またfake newsのあまた発せられており、困惑するだけだけれども、児童生徒であれ、赤ちゃんであれ、トランプとネタニヤフの愚かな決断で失われなくてよかった命がすでにこの世を去っている・・・ その事実で言える、あいつらは人殺しだ!

Awful...The World Being Ruled by the Fools

政府がバカすぎて、もう呆れ果てて、そして究極には花鳥風月を愛でる生き方が否定されているわけであって、極楽蜻蛉の私はどうしていいか分からない。 KOIZUMI Jr.は今朝の会見でアメリカとイスラエルのイラン攻撃を政府として支持すると言った。憲法前文の精神は一体どこにあるのか?アメリカのやることなら、そのリーダーがたとえ「deranged(多くの米国民がヤツに使う形容詞)」でも追随するというのか。 情勢分析も何もない!ただ一点、武力による現状変更には反対するという大原則に従って非難するだけだろうに。そしてそうせずに支持する?! 俺はなんという情けない政府の下で暮らしているんだろう。 爺が四季の変化を愛でて暮らすお気楽ではあるが人畜無害な日々の大元、すなわち平和を、脅かすどころか現実に壊している者たちへの憎悪で私は苦しい。

"Millions of people or more might die? Who cares?" ---Donald Trump

 アメリカとイスラエルのイラン攻撃が始まったそうだ。国際法違反は明々白々。これが第三次世界大戦へつながる可能性は誰も否定できない。トランプとネタニアフの狂気に世界が付き合わされ、そして多くの人々がこれから殺されていく。 なんという愚かな生き物だ、人間。

「その私」が<いる>と自覚する私

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  https://www.youtube.com/shorts/5ifhzLmct-0 Norwegian Wood はビートルズ1966年発表の楽曲(上のURLはawesomeなギター演奏)だけれども、邦題「ノルウェーの森」は誤訳だ。しかし、この題をつけた人は正確な訳では色気も何もないのを知っていたのだろうと思う。「ノルウェー産の木材」ではどうにもならない。だからわざと誤訳したのだろう。しかし、だ。Johnはその意味の英語タイトルが思わせぶりなあの歌にふさわしいと思ったのだ。日本語では情緒に欠けてNGだが、英語ではそんなことは決してない。不思議な現象だ。研究の余地がある。 村上春樹氏はそのレコードの邦題をそのまま小説名にした。「Wood」が「森」ではないことは彼も承知だったそうだ。 CHORUS部の || Em | * | * | * | F#m7 | * | B7 | * || のコード進行はすばらしい。特にF#m7で私はこの曲に最初に親しんだ頃の自分に戻る気がするのだ。圧倒的に若かった、あの頃の自分に、1、2秒の間。Em4小節での哀愁が、F#m7でふと弛む。その<ゆるみ>がなんとも心地良いのだ。その心地よさを最初に感じた10歳凸凹の私・・・その私が今もいる、と思えるのだ。 * 昨日はA級順位戦最終局。推しの伊藤匠二冠がまだA級にいないこともあって特段の感想もないのだけれど、直前インタビューでの発言でもまた明らかになった佐々木勇気八段の天真爛漫、純粋無垢にはときどき心打たれる。本当に真っ直ぐな青年だ。 A級優勝者、すなわち名人挑戦者は決まらなかった。永瀬九段と糸谷八段が共に敗れて7勝2敗、プレーオフとなったのだ。この頃ますます永瀬さんのことを尊敬するようになった私だ、糸谷さんも魅力的な棋士だけれど、永瀬応援だな。 降級は渡辺九段と中村太地八段。中村さんは実力がはっきり足りない。なんと竜王戦では下から2番目のクラスの5組なのだ。しかも最下位6組降級もありうる今である。順位戦だけはなんとかA級3期を保持したが、実力相応のことではなかったとしか言えない。捲土重来を期待する。

Apple

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ずっと「Odeon」レーベルだったBeatlesのレコードが自社Appleのになったのは1968年、シングル・レコードの「 Hey Jude c/w Revolution 」発売からだった。皮が黄緑色の🍏の皮付きの絵がA面で、半分割った果肉の絵がB面のセンター・レーベルに印刷されたのだが、その図柄が大好きだった。 上に掲げた、私が昨日撮った写真のリンゴは王林だ。ゴールデン・デリシャスと印度を掛け合わせて福島県が開発したという(1952年命名とのこと)。Apple Corpsのは「グラニー・スミス」でオーストラリアで偶然生まれた品種らしい。 ところで、Steve Jobbsがビートルズ・ファンゆえに(これは本当)自分の会社をApple Inc.と名付けたというのは誤りだそうで。ただし、Macのスタートアップ・チャイムの「ダーン(Bong!)」はBeatlesの「 A Day in the Life 」における最後のコードからインスパイアされたのは本当だ。ただしもしこのことに商標問題から拗れたことがある双方のこともあり、コンピューターのことのみに集中し「音(楽)」関係のことには立ち入らないとしていたはずのApple Inc. に対し Apple Corpsの方が また訴訟を起こすとしたら、直接の相手はJobbsではなく、Apple Inc.のサウンド担当者Jim Reekesだったよう。おもしろい話は続くが、ここまで。 * 私が中学時代大好きだったBadfingerというバンドはこのApple Corpsのアーティストだった。Beatlesと変わらぬ青リンゴのセンター・レーベルのレコードは、さらにこのBadfingerへの私の愛着を深めたものだ。 そのBadfingerがバンド終末期にAppleを離れWarner Brothersへ移るということがあった。その移籍直前に彼らは「 Apple of My Eye 」を発表した。 https://www.youtube.com/watch?v=T4GvCAuyJzc 邦題は「懐かしのアップル」だった。う〜ん、苦しいな。中学3年生だった私はその題名に大いに戸惑ったものだ。旧約聖書に出てくる慣用句が大元らしく(しかし今でも使われる)、ピッタリの邦訳はないだろう。すっきり訳せば「宝物」だ。これから去るAppleというレコード会...

ハート

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がっちゃんと先日いろいろ話している中、AIによる楽曲作成のことを暫し梅一輪をちびちび飲みながら思案した。もうすでにAIが「作った」曲は世界中に流れている。Spotifyだかなんだか、すでにAIアーティストが人間の名とイメージを持って再生回数のtop 10などに入っているらしい。 私だって、AIでgenerateされた楽曲、また人工音声のヴォーカルに感動しかねない。いいものはいい、だ。もちろんそれがAIによるものだと聞かされたら、興醒めする。なぜか。それはハートがないからだ。AIにハートはないからだ。 AIとは知らずに聴いている中でそのハートを感じていることは大いにありうる。だから、「ハートがない」と言って興醒めするのはいわゆる「後付け」の理由なのだが、だらしはなくとも、その、見破れなさならぬ<聴き破れなさ>は、どうしようもない。作品が人間によるものかAIによるものかなど判定しようがないところまで来ているのだ。 そんな時代に、もし私がこれからもミュージシャンとして作品を生み出すなら、一体どうすればいいのか。AIを味方にするか、あるいは徹底的に避けるか。単にコンピューター制御のシークウェンスなどならとうの昔から使っている。そのプログラミングを私や多くのミュージシャンたちがやってきた。しかしさすがにAIに曲の創作の任に当たらせたことなどない。そういう使い方なら、ミュージシャンの独自性は保たれており、そのやり方でいいに決まっているのだから、これからもそうするし、さらにはますます音楽を徹底的にアナログ化する方向へ逆に走るかも知れない。 私のようなsingerは、ただハートで歌うしかない。その「ハート」とは何か。声帯に微妙な振動と温みを与える心臓の鼓動、それがもたらす熱かるべき血流だ。それはこの生への、この世への、そして愛するひとへの、愛情と哀切の肉体的反映なのだ。