投稿

天皇誕生日雑感

イメージ
  今上天皇陛下は、妻と娘を心から愛し、誠実を貫かれているその一点だけでも国民の範たることをどれほどの国民が認識しているだろうか。それゆえ陛下にとって国が世界が平和でなければならないという結論になるのだ。お誕生日おめでとうございます。 * この国に住む国民の社会的優劣決定の大元の根拠に天皇制(今はないが)があるとするアイディアを一概に否定はできない。従三位だ、なんとか勲章だなどと人の位や功績をランクづけすることの根本的愚かしさは間違いなくある。そのランク付けの権威がEmperorなのだ。法の下の平等、人に優劣はないという<建前>がいつでも建前のままなのは誰もがはっきり知っている、あるいは薄々知っている。 政治的社会的に天皇や王を戴いていることは、大統領制に比べればどうしても民主主義の徹底性に劣る。しかしその民主主義自身も決して完璧な制度ではないから、国家というものがある以上、国民統合の象徴として<スーパーな存在>を持つことで国家安定の足しにしなければならないこともある。 アメリカを見よ。あれほど分断的な人間が国家元首として、最高段階の行政執行者として君臨してしまうのだ。 ある国の国民的な品位を保つ存在としての皇室や王室の意義は決して小さくないと私は思っている。必要なのはその国民統合の存在が持つmajestyであり、graceだ。これはもう、ヒトという種に望みうる最高の資質ではないか。 * 春眠暁を覚えず。 孟浩然が唐代に「春暁」を詠んで幾星霜。花粉症もその頃あったろうし、良い睡眠がとれなくなってしまうということも。 朝起きたら雨上がりだった。まさに「春暁」の詩の通り。梅の花もいっぱい落ちていたことよ。

ウルトラの街で

イメージ
  もう梅も終わりそうだね。昨日の砧公園の景だけれど、見納めと思う。 砧というところに住んでいれば、東宝砧撮影所もそうだけれど、その関連会社でその名もズバリ「キヌタ・ラボラトリー」、そしてもちろんそれらも大きく関わった砧7丁目所在(今はもうないが)の円谷プロ、その作品=ウルトラマン・シリーズは<いまだ>生きていることを日々実感する。 円谷プロをつくった円谷英二さんは福島県須賀川市の出身で、私と同郷とかろうじて言えるかな。須賀川も砧も、ウルトラマンのおかげで今もそれなりに潤っているようだ。今や落語協会を支える重鎮となった柳家喬太郎さんは砧(正確には大蔵だが、そこは砧地域である)生まれ、砧育ち、そして砧に在る日大商学部を出た。彼が無類のウルトラマン・ファンなのはよく知られている。 私も小学生の頃、「ウルトラQ」からハマった口だ。ウルトラマン、ウルトラセブンまでは放送日に胸を踊らせた。しかし、熱狂は以降止まってしまった。小学校高学年になっていたことが大きい。段々「子どもの観るもんだ」と思うようになったのだ。マセたガキになっていたのだ。 そのTBSの「ウルトラ・シリーズ」に異色の番組が挟まった。「キャプテンウルトラ」だ。東宝系の円谷プロが「Q」、「ウルトラマン」で種切れとなってしまっていた間隙を縫って東映が割り込んだ。その作品が「キャプテンウルトラ」だった。 私はそんな事情はつゆ知らず、しかし円谷モノとはかなり異なる<風合い>をすぐに感じた。そして好きになれなかった。地球侵略者バンデル星人があまりに<チャチい>風体だったのが大きい。またメカもプラモデルそのままに見えた。 それでも、この「キャプテンウルトラ」のオープニングだけは必ず見た。ひとえに冨田勲氏による主題歌がすばらしかったからだ。 そしてこの東映モノの「ウルトラ・シリーズ」第3作が終わり、円谷プロはおそらく満を持して「ウルトラセブン」をスタートさせる。オープニングは冬木透さんの名曲だ。勇壮で荘重、ホルンの音色に魅せられた。 その冬木さんと『機甲界ガリアン』で音楽を共に担当できた喜び! ・・・「セブン」は、やはりすでに幼稚な話だと思うところはあったけれど、「アンヌ隊員」の色気に毎回視聴を誘発されたか(笑い)。 今NHKBSでこの「ウルトラセブン」が見られる。タイミングが合うと少しだけ見たりするのだけれど、「いや...

昨日の散歩で

イメージ
  去年世田谷美術館で開催された画家横尾忠則さんの作品展ポスター。今更だけれど、昨日成城4丁目を散歩していて氏のアトリエ脇を通ったものだから思い出したのだ。 横尾さんの作品を知ったのは1960年代中葉だろうか、当時イラストレーターだった氏の作品は、ポップで一世を風靡していたので小学生の私でも目にすることがあった(長兄が購読していた雑誌「平凡パンチ」とかで私も見たか)。氏はBeatlesのファンでもあり、彼らの絵も描いた。それは写実であって、上のような<少年的>絵画ではなかった(下)。 今年6月で90歳になるという老境に達し、冒頭の絵のような即興的、筆任せと言うべき画風となっているようだ(形容がおかしかったらごめんなさい)。 アトリエ脇を通ったとき、前回同様氏はそこにいた。南側の窓のブラインドを下ろしているところだった。私は東側の窓から氏と来客2人を目にしたのだった。きっと何か新しい企画が動いているのだろう。すごいなあ。 昨日はとても軽やかな気分で散歩ができた。家を出る前に、3週前送り出した高3のS君が、志望通り関西の名門私立大学に合格したとLINEで知らせてくれていたのだ。 とは云え、気掛かりもあった。Kが手首や手にひどい痛みを抱えていて、医者などに見せてもどうにも埒が開かず、明らかにやつれていた。休みが重なり、いよいよ逼迫、稼がねばと久しぶりに現場に出たという動画を上げていたからだ。もはや全面的に公助を受けるべきだとLINEした。治してからまた自分で稼ぐようになればいいのだし。もちろん私にできることがあれば協力するとも書いた。 成城4丁目から折り返し、成城学園前駅の南口付近を歩いていて、LAWSONに入った。驚いた。レジ係が白人の若い女性だったのだ。ひょっとすると驚くことでもないのかもしれないが、私には初めてのことだった。そしてまたしても完璧な日本語、応対ぶり。 円が安くなる一方、ピーク時の3分の1まで価値が下落した。アメリカやヨーロッパでラーメンを食べれば3,000円だという。外国人労働者、パートタイマーのみなさん、本当にありがとうございますとしか私には言えない。

Not Sure

イメージ
  動いていなければ、何が何やら分からない。大蔵運動公園内の噴水下の水溜りであり、天文学者が示す宇宙の泡構造の図ではない。だからどうした。 * 久しぶりに通夜・葬儀に出席して、やはりいろいろと考えるところがあった。自然な(?)順番から言って、「次は私か」と思っているに違いない亡くなった伯母に歳が近い親戚縁者。いいや、そんな順番なんていつだってひっくり返るのだと思う私。自分の葬儀はどういう具合になるのかなあ、などと思う。 伯母の長男で喪主のTさんは、「僕は葬儀とか全部いらない。火葬場直行でいい」と半ば本気、半ば戯けて言うと、周りの人々は笑ったけれど、私はその気持ちがよくわかる。もっと本音を言えば、土葬にしてもらいたい。 嫌な話である。自分でも書いていて嫌気が差す。しかし、生老病死は避けられず、また<まもなく>どなたかの、あるいはとうとう自分の終焉を迎えるのだ。その冷厳たる事実に背筋が伸びる気がする。 私は、何度か書いてきたけれど、冬至前後の季節が大好きなのだ。他の季節も好きだけれども、特に。その11月後半辺りから翌年の正月元日までの日々を<また>過ごしたいと思うのだ。できればこれからも何度も何度も。 執着である。仏の教えに背く、私は無明の徒である。 Johnは Dear Prudence で「Birds will sing that you are part of everything」と歌った。インドでマハリシの教えを聴きながら、その歌が降りてきたのだ。この世の全てと一体なのだと悟れたら、その「一体」が実は「一心」でもあって、この世からいなくなってもなんと<自分>がこの世のevery soulとつながり、あるいはそのものになれるかもしれない・・・。 MNEMOちゃん、大丈夫?

伯母の通夜、YAMAHA、 楠

イメージ
昨日は、義父の嫂、N家惣領J氏妻だったK子伯母様のお通夜だった。92歳没。会場は埼玉某所で、私は義父とクルマで行き、義父の娘は仕事場から直行した。 N家は過日書いたように元々の出は和歌山で、紀州藩士の家柄だった。階級は「定かでない」と義父の父は『私の歩いてきた道』という自伝で書いている。その、長くYAMAHA(日本楽器製造株式会社)に勤めた「義父の父」K三氏は、大阪・心斎橋の生まれ育ちだった。N家はゆえに関西が本拠だったわけだが、浜松本社で働いていたK三氏は転勤族となり、札幌の支店長時代に長男J氏がK子氏を見染めたという。その後K子氏は北海道で教員となったが、J氏との結婚のため上京した。 J伯父様はすでに10年以上前に他界している。相思相愛として親戚中に知られていた夫婦だったがゆえ、残されたK子伯母様は次第に心身共衰えていった。 N家には「いとこ会」があって、長年J伯父様が音頭をとってN家兄弟姉妹、その子達=いとこ達が年一回集まり会食をしていた。その会もJ伯父様の逝去もあり、またN家兄弟姉妹の高齢化(ほぼ全員が80歳を超えた)もあって9年ほど前の会を以て事実上終わりを迎えていた。しかし今回のK子伯母様の通夜と葬儀でその「いとこ会」が再開となったのは皮肉ではあるが、久しぶりに皆が集って一族の連帯を確かめ合えたのは伯母様のおかげである。 * YAMAHA楽器製造株式会社(元は山葉風琴製造所)だが、創業者は山葉寅楠である。そう、昨日の記事で論じた、あの紀州特有の名前、「○楠」だ。寅楠さんも紀州藩士の家の出だ。東京N家の祖となったK三氏は、大阪人として生まれ育ちつつ、縁有って父・亀楠と同じ「楠」の字が名前に入る、同じ紀州藩士の家柄の寅楠さんの会社に1925年に入ったのだ。 おもしろいものだ。

がっちゃんと飲みました

イメージ
  昨夜がっちゃんと我が地元祖師ヶ谷大蔵駅を出てすぐの居酒屋で楽しいひとときを過ごしました。なお、彼の顔は敢えてフレームに入れませんでした。彼は若々しいし、表情を公開しても問題はなかったとは思いますが、敢えて。 いわゆる「サシ」で飲食したわけですが、談笑は2時間半をゆうに超えました。 何度も書いてきましたが、プロのギターリストとして本当に長年やってきて、現役を貫いている彼には尊敬しかありません。彼のようなミュージシャンに「ライブやりましょう」と言ってもらえることを私は励みにしています。 1997年だと思いますが、G Stringの大阪・梅田での演奏が非常に良く、がっちゃんは絶賛します。スティックや聡作くん(G Stringのキーボード担当)らと高く評価しながら、彼は「もったいない」と思いつつ、「でもさ、まだMNEMOさんの声が衰えていないなら、こうしてもったいないと思っている気持ちを<今>ぶつけられるじゃないか」と思ったと言うのです。感激しました。 * がっちゃんが焼酎で割っているピンク色の液体、「バイス」と言うとのことで、一瞬「vice」、つまり「悪徳」という小洒落た趣旨の名前かと思いつつも、しかしおそらくそうではあるまい、きっと「梅酢」の重箱読みなのだろうと思ったらそうではないようです。戦後「ホイス」という同種の焼酎割りの液体があったそうで、それの<もじり>だそう。今度飲んでみっか。 私はbeerの後は、九十九里銘酒「梅一輪」を熱燗で一合。梅一輪がこの店の<デフォルト>清酒らしく、これはうれしかった。店員さんは全員南アジア系で、すばらしい接客だった。 がっちゃんは後、電車でひと駅ながら成城学園前駅で降り、高級住宅街を歩いて(それが乙だとのこと)多摩地区の何処かへ帰って行きました。 * いやあ、完全に花粉症にかかってしまった。もう昨日からティッシュ数百枚消費している。この歳で、とうとう。

「難を転じる」南天を掻敷にした料理などを食したい

イメージ
「七人の侍」の、志村喬さん演じる島田勘兵衛が剃髪するシーンを撮ったのは世田谷区大蔵3丁目の仙川ほとりだったが、その近くの藪に「何という端正なfoliage! この少し鈍い光沢がなんとも美しい!」と思わずシャッターを切った。よく見ると家の庭にも在る南天であった。しかし、こんなに艶はないぞぉ。 南天のことをWikiで調べていたら、南方熊楠の名が出てきたので以下のことを思い出した。 義父の娘の曾祖父は和歌山県の人で、名を亀楠(かめぐす)と言った。「熊楠」が熊野権現信仰と、御神木の楠から由来するのは明白で、亀楠さんの名の由来は長寿の動物とその常緑のありがたい木の名の組み合わせからと言っていい。 この「楠」の字を名に入れる風習は、南紀(和歌山県南部)特有らしい。他には先述のように「熊」、そして藤白神社(神職は穂積・鈴木氏)からの「藤」の字が尊ばれたそう。ゆえに「熊楠」というのは紀州においておめでたい字が2つも使われているわけだ。 クスノキと言えば私にとっては(漱石病罹患期の)都心居住時代北の丸公園で冬季に特に親しんだ樹木ということになる。常緑広葉樹のクスノキは會津にはなく(クスノキは関東が北限)、珍しかった。春に新しい葉が出てくるのだが、その若緑が本当に美しいのだ。 熊楠の名言・・・ 「学問は活物で、書籍は糟粕だ。」 植物学者になりたかった私は、また今日も野に出よう。