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昨日は「會津人」3人の酒宴だった

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昨日は転石会、御大=「藤倉かつMick」と栗田三代将軍栄光(えいみつ)、急遽参加の義父の娘と4人、笑ってばかりの2時間半でした。 上の写真は豪徳寺の門のひとつ。棟板金の家紋は彦根藩主・井伊家のもの。旧ブログで再三書きましたが、藤倉家は上州・桐生の<根本>山神社の十数代に亘る宮司の家系で、桐生には井伊家の領地があり、根本山神社及び大正院は井伊家の庇護を受けていました。その意味では、豪徳寺と同じだったと言えます。世田谷と狛江はやはり井伊家の武蔵国における領地で、招き猫伝説*は有名です。 *伝説の内容 江戸時代初期(寛永年間頃)、彦根藩主・井伊直孝(いい なおたか)が鷹狩りの帰りに、当時は貧しい庵だった「弘徳院」(豪徳寺の前身)の門前を通りかかりました。門前にいた一匹の白猫が、しきりに手招きをして直孝一行を招き入れます。不思議に思った直孝が寺に立ち寄り、和尚のもてなしを受けて法話を聞いていると、突然激しい雷雨が降り始めました。猫のおかげで雷雨を避けられ、和尚との会話も楽しめた直孝は大いに喜び、「この幸運は猫が招いたものだ」と感謝しました。その後、直孝は寺を支援し、多くの寄進を行って再興。井伊家の江戸における菩提寺と定め、寺号を「豪徳寺」と改めました。猫が亡くなった後、寺ではその猫を「招福猫児(しょうふくねこ/まねきねこ)」と称して祀り、招福殿を建てて感謝を表しました。これが招き猫の起源になったという話です。 そしてその桐生・藤倉家が、蘆名一族の藤倉=金上氏の末裔ではないかというのが私の説。 国の重要文化財である「藤倉二階堂」は奈良・平安期の僧・徳一の創建と言われていますが、これが会津若松市倉橋字藤倉に在るのです。 三浦義明の末子と言われる佐原義連の三男・盛義が義連からこの藤倉の地に所領を与えられ初代藤倉氏を名乗ったとされます。その盛義の孫の藤倉盛弘が会津坂下町金上に領地を得て金上氏を称します。そして今は新潟県東蒲原郡となっている麒麟山城=津川城の城主となるのですが、摺上原の戦い(1589年)で伊達政宗に蘆名氏は滅ぼされてしまう。当然一族の藤倉=金上氏も會津を追われるのです。 そうなれば、藤倉=金上の生き残った者たち( 摺上原の戦いで当主盛備は討ち死に) は南へ行くしかない。元々蘆名氏ではなく養子に入ったそのときの蘆名氏当主義広は実家の佐竹氏領地の常陸(東南)へ逃げましたが...

文月雑記 3 〜Kも私も貰い物

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二日ぶりの早朝potteringであった。写真は今朝の世田谷区岡本の無名塾(兼故・仲代達矢邸)を右に見ての谷戸川へ下る坂(「無名坂」と言うらしい)。勾配が写真では分かりにくい。 * さて今日はMick師匠を囲む会である「転石会」の今年度会合がある。とは云え、会員の過半数が都合がつかずに欠席となってしまう。残念だが、それぞれが体調か仕事という事由だからどうしようもない。ゆえに12.12の私主催のギグで異例の(!)第2回転石会としようではないかと提案中である。 今晩はMick師とK、そして私が集う。そのKだけれど、なんと昨晩Mooさんから私にメールが来て、氏がKに誕生プレゼントとして自家製野菜を送りたいから住所を教えてくれとのことで、うれしいうれしいサプライズとなった。氏の安曇野池田邸へKは3回行っているが、親友扱いをしていただき、私にとってもありがたい限りだ。 * ポタリングから帰ってきて、塀際の掃除をしていたら向かいのNさんが「紫蘇は食べられますか」と声を掛けてこられた。「え?紫蘇ですか。ああ、いいですね。」そう私が答えると小さなサンハウスのようなところへNさんは引っ込んで行って、数分後摘んできた青紫蘇、つまりは大葉を、十数枚そのまま手渡してくださった。 「いやあ、まさに早起きは三文の徳です。ありがとうございます!」 そう言うとNさんは破顔一笑したっけ。

Many Many Many Happy Returns! EMI.

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  写真は昨夏のもの。世田谷区梅ヶ丘で撮った朝焼けと虹。同じ写真を去年上げて記事を書いたかも。確かめるの、面倒くさいです。 * 今日はKくんのお誕生日。Many Happy Returns!の挨拶を心から祈りつつ彼に捧げるものです。 さて、Kの最新Vlog、興味深いものになっています。 https://www.youtube.com/watch?v=zKEPsTf96fs&lc=Ugz43Fz_peRn9mSqLmd4AaABAg.AZdtHjwEWq_AZes5zR2S1X 彼は相当に赤裸々な告白(?)を<全世界に向けて(笑)>発信することが頻々としてあるけれど、今回のもその類い。警備会社に出向くよう要請された現場が、彼にとってもっとも忌避したいところにほぼピンポイントで合致したのです。 なぜKがそこで絶対に仕事をしたくないか、そしてその要請についてどう返答したか、もしよかったら、ビデオを見てください。 また彼の元(いや、現役?)グラフィックデザイナーとしての確かな腕も披露されています。 さらに、いかに粗忽者であるかも。まるで落語です。(「MNEMOに言わっちゃぐねぇ」とつぶやく彼が見えます。) 追記 Vlogでの彼、上の前歯が悉くないのです・・・差し歯取れた? * 昨夜は久しぶりの長時間英語レッスン。そうです、夏期の特別シフトが始まりました。とは云え、コマ数をどんどん減らした今年度、そうキツくはなく、「英語脳」の少なくとも現状維持のためにもしっかりやりましょう。

文月寝坊日記〜Lost Canvas 20年

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  折角Mooさんの最新ブログで我がearly birdぶりに触れていただいたのに昨日よりもっと寝坊。これから外に出る気は全くしない。 写真は少なくとも8年昔の(日付データがあるだろうと思し召しだろうが、これは複製ゆゑないのです)、狛江多摩川で撮った夕焼け空と富士。近頃は朝焼けの空ばかりだったからこちらも<ルーティン外し>。 * 山田五郎さんが亡くなったという。同世代だし、大学も同じ。千代田区紀尾井町の狭いキャンパスで当時相当なハンサム・ボーイだった彼とすれ違ったことは一度じゃ済まなかったろう。いわゆるサブカル系の蘊蓄タレントとして世に出たと記憶するが、彼のYouTubeチャンネルの教養度は非常に高く、注目していた。惜しい人物であった。合掌。 がんを患う方々にとっての「戦友」であり、範垂れる存在だったろうけれど、「食えず歩けずでもう死ぬ」と言い、最期まで仕事をしたいと周囲に訴えたという。原発不明のがんで、治療がさらにむずかしかったらしい。それでも最後のYouTubeビデオでも笑顔を絶やさなかった。天晴れと言うしかない。 * イタリアのMediaset Italia 2で今秋「The Lost Canvas」が「NARUTO」や「Dragon Ball」と共に放送される。 https://x.com/saint_news 「ロスキャン」20周年だそう。そんなに経ったか!😂

「夏至より1ヶ月ほど経って」日記

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今1時間40分のpotteringより帰還。日脚がどんどん短くなっているのを今朝実感しました。夏至からほぼ1ヶ月が経ったのですから、当たり前。 写真はおとといの野川ですが、今朝は上用賀→新町→深沢→駒沢公園コースでした。野川や多摩川と違って、早朝であっても砧公園や駒沢公園は比較的若い人たち、つまり30歳代の人たちも多くジョギングやウォーキングをしています。それが大きな差ですな。特に駒沢公園はその傾向が顕著。あの辺りはhealth-consciousな「現役」が多く暮らしているということなのかなあ。 * Kが倒れるのではないか、早晩。日曜、私は十数分炎天下の都心を歩いただけで凄まじい量発汗したのです。彼は36度を超える照り返しバンバンの道路上で午前中から午後4時近くまで仕事をしています。ほとんど炎熱地獄の責苦ではないか。なぜ持病のある老人がそんなことまでして暮らしていかねばならないのか・・・。 * 政治のことなど書きたくない。ほぼ隠居爺でも子や孫のことを思って、最低限、国の行末を考え、必要ならば行動しなければならないと思ってはいます。花鳥風月爺を気取ってここにどうでもいいことを綴ってどうだというのだと思わないこともないのです。 それでも、あまりの政治の劣化に、そして半数近くの国民の無関心(投票率のこと)に、何をか言わんやという気持ちから完全な絶句状態になってしまうのですよ。

政治にも世界基準はある

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  起きるのが40分遅かった。目が覚めて窓外を見たとき、この写真の雲はもっと茜色だった。開けたところでその雲を撮るには遅過ぎた。残念。 * Mooさんの記事を拝読しつつ、実際今の政府・与党自民と維新、そして諸々の右寄り政党により急速な「戦前化」が起きていることを同じように憂い、そして思うのだ。 「世界基準」というのは確実にある。少なくとも、今の民主主義を幾多の人々の血を流して打ち立てていった欧米諸国の、その制度を創り出した人々の良心がある。EUは根底にその良心を抱えている組織だと私は信じている。アメリカは今シッチャカメッチャカになっているけれど、「自由主義陣営」でそのトランプ主義の歯止めをしているのはEU諸国だ。大航海時代以降遅くとも第二次大戦前後まで植民地主義の欧州人たちがいかに酷いことをしたかは今は問わない。なにしろ今、ヨーロッパ=EUはまちがいなくその反省からの理念の基に、たとえ完璧な一枚岩ではないとしても、統合されている。EUの今の人権や環境への考え方とその実行力はまちがいなく世界をリードしている。それが「世界基準」だと私は見ている。 日本の「戦前化」は国威発揚の場であるG7やG20などで必ず総スカンを食う。「先進」国であるはずの日本は、なんと枢軸国時代へと逆進している。例えば「Y遺伝子崇拝」などは、首相が大好きな西欧諸国のリーダーたちからいかに顰蹙を買っていることか。先進国として尋常ではない非科学主義、頑迷固陋、女性差別である。日本初の女性首相が誕生したというのに、なんとその人自らがミソジニーに毒されている皮肉は彼女の大好きな先進西欧諸国のリーダーたち、国民たちの呆れにつながっているはずだ。 政府与党や翼賛する諸政党の人々は「世界」から孤立したいのだろう。そうとしか思えない。トランプは早晩いなくなる。「世界」は確実に良心を、正しい科学的思考を、マジョリティとして取り戻していく。

昨日、炎天下都心某所を歩きつつ

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  今朝はかなりの距離を自転車でカバーしました。普段の2分の3倍を超える感じ。まず自宅から二子玉川の兵庫島辺りまで行き、そこから狛江市、調布市へと多摩川べりを西上し、そこからいつもの成城の野川経由で戻るというコースでした。 写真は調布市染地の、狛江市居住時代何度も何度も歩いた多摩川べりの小径。何のことはない写真ですが、このとき私はおそらくセンダイムシクイと推定される鳥と歌い合っていました。「チヨチヨ」ないし「ピヨピヨ」と向こうが鳴くので、それを口笛で真似して。なんと幸せなひととき。 * 梅雨明け。数日前までの予報が心許なかったのが判明。太平洋高気圧が一旦引くとか言っていたような。 昨日義父と一緒に都心某所の「音楽会」へあまり好きではない246(国道)を使って出かけました。義父の娘の晴れ舞台なのです。去年も同じ会へ行きましたが、格段に彼女が属す楽団の腕が上がっていて義父と称賛し合ったのです。 開場前に辺りを散策しましたが、まあ、超高級住宅街であって、各国大使館関係者であろう外国人がふつうに歩くようなところ。むろん猛烈な暑さで、汗を拭き拭き十数分散策。こういう典型的な盛夏の昼を、ただ暑いからと忌々しげに唾棄するようなことは言いません。こういう日があって当然なので。しかも今年は6月が本当に涼しかったから、猛暑への恨み節は歩きながら出ることがなかった。 そこが下町だったりしたら、風鈴の音を耳にすることもあったかもしれませんが、江戸時代以来の「山の手」武家屋敷街ではそういう風情はなかった。 義父とはクルマの中で行き帰りいろいろと話しました。クラシック音楽をこよなく愛す義父は、ある話の流れで「ビートルズはちっともいいと思わない」と私を前にして爆弾発言。義親子喧嘩勃発・・・とはならなかったですよ、もちろん。私はそんな狭量なやつではない。JohnやPaul、GeorgeとRingoと同世代の義父ですが、3〜5歳年上で、日本楽器に長く勤めた父親を持つ者として、「ああいう騒々しい音楽」にちっとも感心しないままになったのです。Paulの「万人受けする楽曲」すらダメなのですから、とりつく島もない。 その点、60年代70年代とやはり息子たちの騒々しい洋楽好きに辟易していた我が父は、晩年「ビートルズにはいい曲があるなあ」と<改心>してくれた。(笑) 父の生家はレコードも商っており、その...