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ふるさとのこと

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我がふるさと、野沢の町。道路は国道49号線、越後街道だが、1979年にバイパスができて今は町道ということになっている。奥に聳える山は蝉峠山(せみとうげやま)で標高535メートル。町にとって真西の山となる。この山へオリオンが沈んでいく光景を憶えている。 今は多くの地方自治体同様過疎の町である。1954年の町発足から4分の1ほどまで人口が減った。今は5千人を切っている。写真で分かるように、人通りなどほとんどない。 隣の喜多方のようなラーメンや蔵といった<売り>もない。やはり隣の柳津町の「赤べこ」や「粟饅頭」のような多くの県外人も知る、あるいは買いにくる特産品もない。そしてまたまた隣町の、会津若松と隣り合う人口減少のペースが比較的急激ではない会津坂下のようでもない。未来への道ははっきり塞がっている。 それでも、おととい掲げたU字工事やなすびのYouTubeビデオで紹介されているように移住してくれる人もいるにはいる。なすびさんのビデオに登場した町職員の、福島市から移住してきた女性などはモテモテだろう。交際を望む男性が殺到して困っているのでは?(笑) Kと町中を歩いていて、あまりに久しぶりの帰郷だった彼は、「え〜、こんなに町が狭かったっけ!」と驚いていた。チビだった頃の相対的な町の大きさが、彼が最高身長時より4センチ縮んでも信じられないほどそれ以上の比率で縮んで見えたのだ。もちろん私も同様。しかし私は毎年帰っているから、その驚きもほぼなくなった。 故郷の良さは何だろう。私にとっては冬景色だ。もう何度も書いてきたが、雪道を踏みしめながら初詣だ。街中の熊野神社の、雪を暖かく照らす御灯明の光だ。 なのに、冬に帰ることはここ十数年、ない。

ちょっといい話

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さっき自転車乗りしててさ、帰り、砧5丁目走ってて、狭い道にクルマが停まっていて、おらは対向だったからそのままクルマの脇を優先で通り抜けられたんだけれど、おらと同年輩くらいの女性がクルマの後ろでおらを待とうとしているのが見えて、すぐに「どうぞ!」と道を譲ったんだわ。その女性は本当に丁寧に「ありがとうございます」を2回言って、続いて来たやはり50歳代以上の男性も通すとその人も「ありがとうございます」と。そしておらがそのクルマの脇を通過するとき、「すみません」と言う声が・・・。そう、そのクルマに乗っていたやはり50歳代ほどの男性が運転席から窓を開けて言ってくれたんですわ。「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「すみません」。わずか十数秒の間にこんなに感謝され、謝っていただくなんてね。 砧はいい街だ。そして50歳以上の人々はいい人が多い。(笑) *写真は2時間前ほどの野川。遠くの入道雲が夏らしくてパシャリ。千葉方向だけれど、大丈夫かな。 

人類覚醒の誓い

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  去年、今頃の大蔵運動公園。 1945年の8.15からさらにまた1年が増え、81年の年月が流れた。その日を憶えている人たちはすでに大勢この世にはいない。戦争に負けて教科書に墨を塗らさせられた当時小学2年の養老孟司さんは今年89歳だ。 戦争とは一種の蕩尽だろう。北米先住民の「ポトラッチ」的なものだ。己が蓄え、建ててきたものを破壊したり、贈与してしまう。なんでそんな勿体ないことをするのだろうか、という行為だ。ポトラッチは、己の富や名誉を誇示するためだそうだが、一瞬意味が分からない。財産を壊そうが与えようがまた自分は稼げる能力があるということなのか。 敵の財産を、民を、壊し殺し、<当然の>報復で自分の国のそれらに同じことをされる。滅びることはない、また復興できると両者思いつつ。 9条はその愚かなポトラッチをもう絶対にしないという人類覚醒の誓いなのだ。 * 昨日の仕事を終えて来週は夏休み。もう老後であくせくすることはほとんどなくなっているけれど、さらにゆっくりできる。ありがたい。 過日書いたように12.12に向けての構想や作曲に当たりたい。 我が特別バンド公演、Mick師のStones尽くし、功くんとKがいるGGJ公演、そしてKMくんのパフォーマンスと盛りだくさんになるはずだ。あと4ヶ月を切った。 もしこの音楽会においでになりたい方がいらっしゃいましたら、この記事のコメント欄に匿名で結構ですからその旨お知らせを。30人も入れば満席になる小さなvenueです。出演者たちだけでもう相当に混んでいる状態です。早めにご表明を。

夕立

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  これも昨日に続き8年以上前狛江の多摩川土手で撮ったもの。 * 昨夜は千葉の大雨、すごかったですね。被災された方々にはお見舞い申し上げます。亡くなった方もいらっしゃるとのこと、お悔やみ申し上げます。 気象レーダーを頻繁に見ましたが、千葉から積乱雲が長時間移動しないままになっていて驚きました。これを「線状降水帯」と言うのは知っていますが、昔、「帯」と言っている以上「線状」は余計だろうと書いたことがありました。「停滞降水帯」と言う方が適切な気がします。まあ、これも「滞」と「帯」が重なるけれど。 私の住むところは、過日書いたように、洪水や土砂災害はまず起こらない土地です。雷は落ちますし、世田谷区のどこかで先日電信柱に落雷して被害があったようですが、家にさえいればそれもまず怖いことはない。 昨日千葉では時間降雨量が100ミリ以上を記録したところがあったようで、「滝のように雨が降った」と言っても大袈裟ではない殺人的降雨です。こんな雨に降られては恐怖以外の何ものでもないですが、私は夕立なら歓迎です。 子どもの頃、我が故郷では頻繁だったかどうかは覚えていませんが、しばしば夕立があったと記憶しています。側溝の水を長杓で掬って道路に撒きながら、「ひと雨ほしいナイ」と母や大人たちが言い合っている昼下がり、その通りに夕立となり、涼しくなる。懐かしいなあ。

水溜り、虹

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  8年以上前の狛江市猪方あるいは駒井の多摩川土手道。水溜りはもちろん長靴でもない限り歩行の邪魔--- でも雨上がり、鏡のように晴れ上がりつつある空を映して美しく、邪魔どころか自分の心持ちをも映すようで、慕わしいほどのものでした。 今はもう舗装されて歩きやすい道になっています。 * 虹は 涙を流しながら 微笑む 僕を導く 地平線の彼方へ 大昔書いた歌詞の一節。「涙を流しながら微笑む」のは虹か「僕」か。雨滴なければ現れぬ虹。陽光が射さねば架からぬ七色の空の橋。 * さてさて、今日は珍しく午後一から仕事です。

葉月雑記

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  Kが「あの頂上に登ったんだもんなあ!」と感嘆の声を上げた磐梯山。こんなに美しく見えるのは年に何日でしょうね。Luckyでした。 磐梯山登頂は高1の秋だったか?高校の遠足ででした。「百名山」の中、Kと私が登った唯一の山です。 * 台風一過の晴天かと思いきや、東京は曇天。冷房が要らない涼しい朝です。Xでは「電車ガラガラ」がトレンドのフレーズになっています。義父の娘は出勤しました。 私は明日明後日と特別な時間割で仕事をして次週は「夏休み」です。ゆっくり12.12の音楽会の構想を練りつつ、またそのときに披露したい新曲を仕上げたいと思っています。 * やはりXのトレンドに「倒産件数1037件」「2ヶ月連続千件超えは14年ぶり」という文字が。 昨夜台風接近という中、OKストアへ行ってあけぼのの鮭缶がとうとう536円だかの値段になっていて本当にびっくり。2年前くらいまで300円台で売っていたものを。OKでそうなら、一般の小売店だったら700円とかするのでは? 本当に何もかも高くなっていて、慣れっこになってしまいそう。家計に痛いのは当たり前、そして多くのさまざまな企業が資材調達などで死活的な状況に直面してるはずで、その中、堪えきれなかったのでしょう。 そんな世には拝金主義が跋扈するもので、今まで以上に詐欺や窃盗、強盗が横行するのではないでしょうか。社会不安です。 * また磐梯山の話に戻りますが、私(とK)の故郷は會津盆地からは外れた北西の端で、小さな盆地となっており、そこが主な住宅地となっています。會津のシンボル磐梯山はその盆地からは全く見えません。しかし、山地へ行けばその秀麗な姿を拝むことができます。 なすび氏がその山に登っています。 https://www.youtube.com/watch?v=63Z-nRZWFkc U字工事も我がふるさとを紹介してくれています。 https://www.youtube.com/watch?v=chD1z-qm4hk&t=633s 何度も言うんだげんじょも、會津は西隣の越後(新潟)の人も、安土桃山時代蒲生氏郷と一緒に来らった近江や伊勢の松阪の人だぢなんかも入ってこらって、まあ、日本のどこもその傾向はあんだべげんじょも、ハイブリッドな血を引ぐ人だぢがつくってきた土地なんだシ。 かぐ言うおらも、父方の祖父は二本松の人だし、祖母...

昨日のこと(Kと日帰り帰郷)

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  昨日撮った西会津町尾野本にあるJR磐越西線踏切から東の景色。 ここは私が15歳の冬に、Chicagoの Flight 602 を口ずさみながら歩いた場所。旧ブログでも書いておりました。曲は、 https://www.youtube.com/watch?v=fIi3K5Xnmvs 家から3キロは離れているでしょうか。道路以外は雪原となった、町の中では「異郷」(小学校の学区が違う)である尾野本を、短日の午後に歩くのが好きでした。冬の會津の空はたいてい鉛色。すれ違う人はほとんどおらず、雪を踏みしめる己の靴音しかしないのです。 ウォークマンなどはまだまだ夢世界の道具、好きな歌を脳内で「ヘヴィー・ローテーション」でかけまくるのです。Breadの歌が多かったけれど、上のChicagoのがそのときは対象曲でした。イントロがことのほか好きで、lonesomeなacoustic guitarがコードを半音下からグリッサンドさせてニュアンスいっぱいに弾き出され、9小節めでギターが重なり13小節めで柔らかく温かい響きのオルガンがオーバーラップし、イントロ最後の2小節でsteel guitarが歌を呼び込みます。 冒頭の写真の位置 から左に頭を向ければもちろん北、そこには遠く、今夏山となっている飯豊連峰。ここすべてが雪景色になっているのをご想像あれ。 この尾野本の森野という地区にKが住んでおりました。知り合って3年は経っていませんでした。彼は生徒会長でバレーボール部キャプテン、目立つ存在で、同じクラスになったことはなかったのですが、仲良くなり始めた頃でした。 冒頭の写真の踏切から今度は逆に西方向を望むと、線路沿いに草が刈られた小径があって、300メートルほどでしょうか、さらに警報器がない小さな踏切があって、そこを渡ると墓地が。そうです、Kの家のお墓がそこにありました。 Kの実家はご長男(Kの母上の子ではない。Kの父上は前妻を病気で亡くしており、Kの母上と再婚された)がすでに他界され、森野の家はなくなっています。Kは母上と埼玉で三年前まで暮らしていましたが、そのお母様もなんと百歳という長寿を全うされ、彼はその遺影を持っての墓参となりました。(その<遺影>は、お母様がVサインをしつつ、本当に<イエイ!>と言っているユーモラスこの上ないものです!) この日帰りの帰郷は、義父の娘が多忙...