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文月雑記 2 (2026年)

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  小田急の喜多見操車場の屋根(?)の上は公園になっていたり、植栽されていたりで、緑いっぱい。そしてこの辺りで一番の広い空を見せてくれる場所。 * 山本太郎さんが政界引退。悲しい。「新選組」という名が不吉だったか。あの武闘集団同様、短い命だった。毀誉褒貶あっても、彼のような傑物が現れた日本はまだ大丈夫かと思ったが。一体政治とは、政治家とは、民意とは、何だろう。 * Mooさんのお家の近くに野生のラン科植物ネジバナ(モジズリ)の群生ができつつあるようだ。氏がこれからもっと大きくしようと思っておられる。すばらしい!冒頭で書いた喜多見操車場近くの草地にも昔は咲いたものだったが、もう影も形もない− − −   その場所にフィットネスクラブが建ってしまってから。 KはVlogで、杉並区荻窪の作業現場付近にサクラの木の枝が道路に少しはみ出ているところがあって、ダンプなどが通る際に当たってしまい、折れてしまう危険があった、と言う。その木の持ち主のおばあさんが、Kに「切ってもいいよ」と言ってくださって、さてKの個人判断でいいのかと思案し、また「隊長」の了解が取れても、サクラはウメと違って枝を伐ることは普通しないから、切ったら切ったで「癒合剤」という腐りを防止する薬を塗らねばならず思案していたところ、その珍しい薬剤を持つ同僚と作業員仲間たちがしっかりその手順を踏んで、処理をしたとのことで、Kは喜んでいた。 我がブログでの植物ネタをMooさんとKからいただきました。 * 当然「パンタレイ」=諸行無常の理を免れぬ、しかも「 万世一系」でもない Y遺伝子を尊び、今上天皇のご長子敬宮様を軽んじ遠い遠い親戚の 男性を天皇にしようという信じ難い悪法を成立させようとする者たちに満腔からの怒りをぶつけたい。 * さて、午前4時が近くなってきた。自転車乗りに出かけるかね。

堂々たるone of them

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  ちょっと前に撮った成城の丘、夜明けの空。 その成城と喜多見の野川べり、歩く人がみな高齢者で笑ってしまう。そう、自分も含めて。そして思い出した---- 2005年から2010年代前半くらいまで、当時狛江に住んでいて、多摩川の土手道早朝ウォーキングでほぼ必ず会う引退校長先生風のご老人だ。すれ違う時「おはよう」と挨拶してくださった。2010年代後半になるとあまりお会いしなくなって心配していたら、白いマスクをして、いかにも病と共に生きていらっしゃる風で、足取りももちろん軽快に程遠いものがあった。それでも再会を喜んでいたら、世田谷へ越す2018年には全くお姿を見ることがなくなったのだ。 2005年とかならもちろん私はまだ中年、多摩川土手道を歩くご老人たちを見て、「いやあ、爺ちゃん婆ちゃんばっかだなあ」などと、自分はそうでない立場で感嘆していたものだ。そのときのご老人たちの多くは天に召されたであろう。 野川端の道で今朝すれ違ったご老人たちは多くが私と同世代なのではないか。昭和30年代前半生まれだ。もちろん20年代生まれの方も多かろうけれど、<主流>は30年代生まれと見た。私は<今>、堂々たるone of them!

時を超えて 夢は進む

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今朝、久しぶりの朝の青空だじょ。It feels like years since it's been clearは大袈裟ざますが。 冒頭の空の青が現れる20分前くらいの夜明けの空。撮ったのは桜新町1丁目で、治雄ちゃんとスティックと3人でDeafening Daphneの活動をしていた頃(2001年〜2007年)、Plus One Studiosの駐車場が在ったところだ。 この2人プラスがっちゃん(嘉多山信くん)と12月12日に奏で合える日が待ち遠しい。すぐだよ、ほんと、5ヶ月なんてあっという間に経つ。 たどり着くには 遠すぎる 垣間見るには 高すぎる ラジオは終わり あの歌がこだまする 果てない闇に 落ちてゆく僕の声 あの空 あの虹 忘れない 1994年頃、スティックとがっちゃんとも一緒に歌った我が『虹に刻んだメロディー』の歌詞です。 茜に染まる あの雲も 一番星の 織姫も 二度と還らぬ この瞬間を歌う 悲しく響け 僕にはふさわしいから この時 この空 忘れない 時を超えて 夢は進む 終わることない調べ奏でて 虹に刻んだメロディー 儚く消えても It's my life スティック、がっちゃん、この歌歌ってもいいですか? 治雄ちゃんもコーラスしてね。

鵲の橋

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  写真は大昔撮った花巻を流れる北上川の、宮沢賢治さん命名の「イギリス海岸」。オニグルミの木がたくさん生えているのは、賢治さんが生きられた大正昭和の頃と同じ。 その大正や昭和初期は、ほとんど日本全国どこででも晴れた夜は満天の星空だったはず。賢治さんもこの「イギリス海岸」で数え切れぬほどの回数、星見をしたことだろう。 今日は新暦の七夕。旧暦で今日は五月二十二日。旧暦の七夕は今年は八月十九日だ。この時期に七夕を迎えてしまう最大のデメリットは、多くが曇天や雨天の夜となってしまうこと、すなわち肝心の星がかなりの確率で見られないということ。 「人間には、自分は時空をはみ出している存在だという感受性を持っているか、自分とは時空の中の物体だと思っているか、この二種類しかいない」 大峯顯先生がフィヒテのことばをご自分で翻案されたものだ。それを受けて、 「私はその二種類を、詩人であるか詩人でないかという仕方で分けました」 と池田晶子さんが応じている。(『君自身に還れ』2007年刊 本願寺出版社 p18) そしてこの本が出版されてすぐに池田さんは星になられた。 今晩も星は見られそうにない。彦星も織姫も東京の地上からは雲に覆われて見えない。 アルタイル(=牽牛=彦星)とヴェガ(=織女=織姫)は互いに14〜15光年ほど離れているし、天の川を渡って年に一度の逢瀬を楽しむには、光速を超える旅をしなければいけない。しかしそんな<不粋>なことを言わず、そして雲の遥か上でのその二つの星のrendez-vousを想像することができるのが人間というものだ。 もし雨の夜となったら、カササギが天の川に橋を架けて、愛し合う二人を逢わせてくれているのだと想像しよう。

さらに好きになったよ、祖師ヶ谷大蔵近辺

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  昨日日が暮れてから散歩の帰りに寄った砧1丁目に在る「Bonnie & Fried」という名のハンバーガー屋さん。相当にセンスのいい店主さんだなあと感心しました。この店名は「Bonnie & Clyde」のもじり。つまり、「俺たちに明日はない」の。背中を見せているのが店主さんかなあ。せっせと調理し、serveしていた女性はその男性のお連れ合いのようだったけれど、どうでしょう。二人が「Bonnie & Clyde」に憧れての命名なのでしょう。 おいしかったですよ。竹炭がバンズの生地にしっかり練り込まれていて、ゆえに真っ黒。ただ、Americanなはずなのにサイズは小ぶりでした。 写真のスクリーン前のテーブルにこの後親子連れが座りました。常連ぽかった。ご両親は60歳くらいかなあ。娘さんは帰国子女風で、店内に流れるアメリカのジャンルレス風ないしやはり(?)ヒップホップ系の歌に合わせて口を動かすのを見て「間違いない」と。いやあ、いい感じの親子だなあと感心しきり。私を除き、店にいる人みんな「They've got a lot of aura!」っていうことで、肩身が狭かった。 * 柴田淳さんのことは、昨日も書いたように、全く寡聞にして存じ上げないシンガーでした。どういう方なのか調べたら、なんと世田谷区出身とのことで、さらにもっと調べると「祖師ヶ谷大蔵」で生まれ育ったと!祖師谷なのか砧(大蔵方面)なのかはありますが、なにしろ親近感が募りました。 Bruce Springsteenが反トランプで活動し、所属するSony Music傘下のColumbia Recordsが「大統領個人を誹謗中傷するな」などと声明を出すなんてありえますか? 私もpeace and loveを叫ぶシンガーの端くれ、その信条からの行動についてレコード会社からストップがかかったり、非難されるなんて本当に信じ難い。許し難い。

抗議対象が県知事「個人」であるはずがないだろ!

Victor Entertainmentが、柴田淳さんが齋藤兵庫「県知事個人を誹謗中傷する」「発言」を「した」とのことで彼女とその事務所に「強く抗議」した。 私事だが、2007年、所属していたSMEの1レーベルが2年で解散となってしまうという大計算外のことが起こって、G String最後のシングルは、当時の我が音楽事務所のおかげを以てVictorから「ワンショット」でリリースしていただいた恩義はある。しかしこのビクターの<強い抗議>はあまりの筋違いで、大いに驚くと共に悲しくなった。 「県知事<個人>」とはどういうことだろう。<県知事として>公益通報者保護法に抵触する可能性がある判断をして通報者の県民局長を探索、処分したことを柴田さんは非難したのであって、知事<個人>のことを誹謗中傷などしていない。 齋藤知事支持者や擁護者からそれこそ誹謗中傷されることを覚悟で知事への抗議活動を行なった柴田さんの個人の自由、思想信条の自由を認めないとでも言うのか。 それは「おかしいことはおかしい」と言うことすら制限されるという世を作らんとするかのようであって、音楽というまさに自由精神に基づくものを商う会社として不適切にすぎる認識だ。 そして柴田淳さん・・・私は全くその存在を知らなかったけれど、心から応援したい気持ちでいっぱいだ。 以下英訳 Victor Entertainment strongly protested to Ms. Shibata Jun and her management office, claiming that she had made statements that "slandered and defamed the Hyogo Prefecture Governor personally." By the way, this is my personal matter, but back in 2007, the SME label I belonged to suddenly disbanded after just two years—a completely unexpected development. Thanks to my music office at the time, my final G String single...

落語協会新会長のことなど

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  これも昨日の写真と同じく、3日前に狛江市元和泉の多摩川土手から川崎市多摩区方向を撮ったものです。青空と雲、本当に好きですよね、私は。 * 落語協会の新会長に元林家こぶ平、現林家正蔵さんが就任した。前会長は柳家さん喬さんで、たった1期、2年の任期だった。 さん喬さんは喬太郎さんの師匠で、もちろん大ベテランで実力派だからこその就任だったが、これにはライバル(?)の五街道雲助さんが人間国宝になったことが影響しているのでは、とされているのだ。 下馬評ではさん喬さんの方が「無形文化財」に推挙されるのではとされていたのだが、同い年の、金原亭馬生門下(大師匠は古今亭志ん生)の雲助さんが、落語協会では先代柳家小さん、その弟子の柳家小三治に次いで「国の宝」の噺家となった。(なお、上方で桂米朝師が人間国宝となっている。) これは「バランスの問題」ではないかとされているらしい。つまり、落語協会で一番の勢力は柳家一門(柳派)であり、さん喬さんがまた選ばれるとその一門からばかりの選出となる。藝に優劣がないなら、金原亭一門から出すのがいい具合だと文化庁が思ったか。 その代わり、落語協会会長については、小さん師が1972年に就任以来、一代を除きずっと柳派=小さんの弟子ばかり(鈴々舎馬風、柳家小三治、柳亭市馬)続いていたから、金原亭や林家、古今亭、春風亭、桂、入船亭などの一門からも出すべきだという声もあった中、さん喬さんの人間国宝落選の埋め合わせでまた柳派から会長就任となった、とか。 そして77歳のさん喬さんは会長を一期で退き、林家から63歳の正蔵さんが跡目を継いだのだ。 さて、新会長の正蔵さんだ。TVタレントと言って過言でなかったこぶ平時代のイメージがどうしても残ってしまうけれども、その後努力を重ね、父親の初代三平の芸風を引き継がず、古典一本で修業を重ねたらしい。 会長就任会見を見たけれど、話の間(ま)にはっきり計算が見えて、あざとく感じ、あまり感心しなかった。高座での噺は、ヴィデオでの視聴だけれど、確かに隙(=ここでは稽古不足のこと)がなくて上手だ。だが、それこそ父親の<ふら>というか愛嬌がもっとあればいいのに、と思わせる。たとえ人情噺であってもだ。いや、「人情噺の正蔵」になってしまうのではなく、逆に滑稽咄をもっと聴かせてほしいほどだ。私の基準は、人情噺も滑稽咄も最高水準にあった三...