投稿

内藤・本田コンビ、今度は安曇野の病院で

イメージ
雨や曇りばっかりだとさすがに飽きる。それに地震もあちこちで起こっているし、いよいよか、とも思う。ベネズエラの大地震も惨状をもたらしているようだ。大いに同情する。 * Mooさんのブログを見たら、NHKBSで明日28日夜10:00から放送される全8回のドラマ『勿忘草の咲く町で~安曇野診療記~』のことが記されていて、出演者を見たら、私の好きな内藤剛志さんと本田博太郎さんの名が。 このお二人は、回が進むにつれてどんどんシュールになっていったTV朝日系のドラマ『警視庁・捜査一課長』の、それぞれ「一課長」警視正・大岩と「刑事部長」警視監・笹川という役を演じるコンビだった。そのドラマは、カオス的な幕切れなどもあって、決して名作とは言えないものだったけれど、このお二人がとにかく好きなのだ。番宣ビデオで、本田さんは『一課長』での共演を知る人たちを意識した自己紹介をしておられる。 ドラマは当然安曇野を舞台にする。病院は「梓川病院」と称されるが、Mooさん御用達(?)のあづみ病院(池田町に在る総合病院)が撮影に使われている。もちろん安曇野の美しい景色も楽しめよう。 番組HPによれば、 「患者さんたちの病を治したい、退院する笑顔を見たい…青雲の志を持ってやってきた病院という職場で、若い医療従事者たちが直面し続けたのはその理想とはかけ離れた場面ばかりでした。これは今も現役で地域医療の最前線に立ちながら命をめぐる物語を書き続ける作家が、自らの体験をベースに書き記したリアルな診療記です。 命の終わりに寄り添い続けることで削られくじけそうになる気持ちをそっと奮い立たせてくれる安曇野の大自然と可憐な花たち。“命の終わりは敗北ではない”…若い看護師と医師が人知れず地域医療の限界と戦いながら、健気に働き成長していく姿を描くヒューマンストーリーです。」 とのこと。 義父の娘も医療関係者、また彼女も内藤ファン(というか『科捜研の女』ファン)だし、これは必見のドラマになりそうです。

樹間の空

イメージ
  私は上の写真のように木々の並びの間に開いた空が好きで、そのフレームとなるfoliageを含めて撮る。この写真は砧の家の近くで撮った、2週間前くらいのもの。 この構図で一番忘れられないのは・・・とは云えそのときはカメラを持っていなかったが・・・皇居(江戸城)北の丸公園の西の端、主にクスノキに覆われた、千鳥ヶ淵を望むベンチのある場所で眺めた空、そしてそのフレームとなったクスノキが成す<一幅の絵>あるいは<動画>だ。 当時(2001年辺り)はかなり精神的に落ち込まざるを得ない日々を過ごしており(旧ブログで再三書いたいわゆる「漱石病時代」)、なんと江戸時代は旗本・御家人の居住地だった新宿区砂土原町に<逆都落ち>で暮らし(とは云え「鰻坂」を上ったところのまさに鰻の寝床のようなワンルームだったが)、狛江での日々を懐かしんで泣いてばかりいた(嘘)。 そんな中で、その空は青く、一片の白い雲が「クスノキフレーム」の左から現れ、右「フレーム」に吸い込まれるように流れ行き、視界から消えてゆく。そしてまた新たな雲が・・・。 ただそれだけの絵、動画をずっと見ていた。そしてどれほどに「行雲流水」という言葉をこれ以上ないと言えるほど心に染み渡らせたことか。 そんな思い出の地だけれど、あまり行きたいとは思わない。娘と孫に会いに行けば、そう遠くない北の丸公園であり、自転車で行けば帰りに立ち寄ることもできるけれど、今のところ一度もそうしたことはない。「漱石病時代」はやはり総じて苦しい思い出が多かったからだ。それでも、<クスノキ・フレームのあの絵・動画>を観て、人生でもっともしみじみとした無常感を味わった時間は忘れがたく、良い思い出だと言っていい。

狛江市よいとこまたまたおいで

イメージ
世田谷清掃工場の煙突は、1988年に建設されたという。そのカラーリング・デザインは1040の公募案から選ばれたものだ。NHK技研のビルと並び、所在地および近隣の大蔵や砧のランドマークである。 * 「みどりぶた」さんから去る今月21日の記事についてコメントを賜った。狛江にかつて暮らした氏は、成城学園前駅の地下化に伴う工事で変貌した辺りの景に驚いていらしたのだ。 大きく言えば東京都23区の城南地区の最西部である世田谷(とその西南隣の狛江)に今も暮らす私ですら、その地下化がいつだったかとか、成城学園前駅の新宿方面の隣駅である祖師ヶ谷大蔵駅などが高架化されたのはいつだったかなど、覚えていない。 街並みの小さな変化はおろか、大きな変貌すらいつの間にか意識しなくなってしまう。 みどりぶたさんが昔住まわれた狛江の地区名は中和泉で、そこは今も大きな変化はない。我が娘が公園デビューした田中橋児童遊園もそのままだ。また、その近くには古墳群があって、田中稲荷塚古墳(跡地)、経塚古墳、亀塚古墳(亀塚古墳公園)、兜塚古墳と呼ばれる。さらに狛江市総鎮守の伊豆美神社があり、創建は平安前期、府中の大國魂神社から分霊勧請して建てられた。主祭神は大国主命で、境内には「井伊直弼公敬慕碑」がある。狛江(和泉村)も彦根藩世田谷領の一部だったからで、「敬慕」された直弼さんは名君だったのだろう。 中和泉(また元和泉)は、このように古墳はあるし、比較的大きな神社もあり、また多摩川の北岸で有名な松林(五本松と呼ばれる。富士山、丹沢山地、奥多摩・秩父の山々が見える景勝地。ドラマや映画のロケ地としてもとても有名)もあり、市立の公園もあって総体として緑の多いところだ。 みどりぶたさん、どうぞまたおいでください。

反省なくて慰霊なし

イメージ
昨日撮った砧公園内のトチノキ。トチノキは比較的紅葉が早いらしい。もう一部そうなっている。これはセイヨウトチノキで、この列島の固有種の日本トチノキではないらしい。 * 今日も東京は気温が上がらない。Kくんは外の仕事で暑くて厳しいと言っていたが、同情しつつも、今年の6月は近年の同月に比べはっきり低温傾向だ。私なんかは田舎で幼い頃から体験してきた昔の梅雨の時季を思い出す。去年の6月の気温だったら空調服を身につけていないとKくんは悲惨なことになっていただろう。 * 昨日沖縄慰霊の日だったが、「本土民」の一人として軽々に何かを書くことは当然憚られる。それでもこうは言える。県民の4人に1人が地上戦に巻き込まれて亡くなった(殺された)事実をどうやって本土民そして戦後世代が少しでも自分のこととして重く受け止められるかが毎年問われるのだ、と。 そして、東京大空襲や広島・長崎の原爆投下でその本土でも、人類の愚かさ・残酷さ極まるかたちで国民は犠牲になったことをも思い出し、こんなことが<絶対に>再びあってはいけないと強く誓い合い、少しでも戦争への方向へと進めようという動きがあれば、共に制していかねばならない。それしかない。 先の戦争について、1995年当時新進党の議員だった「元米国連邦議会立法調査官」の 高市早苗は「日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております。」と言ってのけている。 さらに2000年には、高市は「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』。この非常に『おめでたい』一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」とも。 そんな輩が沖縄で<慰霊する>という情けなさよ。

巡る

イメージ
  凌霄花(りょうしょうか・ノウゼンカズラ)は私の好きな花のひとつ。東京でも庭先に咲いているのをよく見かけるが、なにしろ千葉の田舎、私が九十九里に行く際に通る集落では、夏、敷地の広い家々の庭に必ずと言っていいほどこの花が見られる。 中国原産。「凌霄花」は「霄(=天空)」を「凌」ぐ花ということ。その当て字の万葉仮名が「乃宇世宇(ノウセウ)」で、それが訛って「のうぜん」となった。「かずら」はむろん「蔓(=つる)」。 ご参考までに。 * 昨日午後は日差しがなかったので、思い切って自転車で都心へ。それほど発汗することなく行けたのだけれど、幹線道路を使いたくないので、裏道ばかり使っているうちにどうも回り道に過ぎたようで1時間半近くかかってしまった。 それでもたまの都心見物、そんなに飽きることはない。住みたくはないけれど、その活気はやはり刮目するものがある。 ああいうところで地所・不動産を持ったり、あるいは大組織の長として毎日を過ごしたら、そりゃ天下をとったというような気分になって、天狗になってしまう者も多く出ようというものだ。特に田舎者が成り上がって、ね。 * 娘から父の日のプレゼントをもらい、孫たちと食事をした。幸せである。こんな幸せに浴せるほどのことをしてきたのかと自問しつつも、とにかくうれしい。 上の孫(長女)は3歳、かなり話せるようになっているけれど、「この頃意味不明なことばを発して喜んでいる」と娘。「ああ、X(娘)もそうだったよ。アベリアの花を『セルラーグッジュ』と勝手に名付けて喜んでいた」と私。 巡るね。

2025 夏至を過ぎて雑記

イメージ
  もうだいぶ前、そう8年前くらいの川崎市多摩区登戸が写っている。今はだいぶ街並みが変わった。この街で私は本当に多くの体験をした。狛江市の対岸の街である。 * Kが昨日父の日にあたり、彼の父、そして父としての自分を語っていた。 https://www.youtube.com/watch?v=lyusC94_w0s 聴いていて辛い話もあったけれど、こうして赤裸々に自分にまつわる事実やそのことへの思いを語る彼は、やはり誠実な人だと言っていい。 彼も、登戸よりもずっと下流ながら、多摩川の川崎側(中原区)に思い出をいっぱい抱えている。 彼は今住む中野区よりも多摩川近辺の方が似合う気がする。 * 彼もそのVlogで触れていたけれど、昨日のW杯日本代表は天晴れなパフォーマンスを世界のサッカーファンに見せつけた。積み重ねに積み重ねてきた日本のフットボールの経験をとうとう今の世代の代表選手たちが世界最高水準の技へと結実させたと言っていい。 そのこと自体にケチをつけれるはずもない。冷笑的なことを言えるはずもない。ただただ称賛するだけだ。 しかし、と思う。思わずにはいられない。日本は、世界は、今本当にスポーツにうつつを抜かしていられるのかと。逆だ?憂き世だからこそ、スポーツなしにはやっていけない、ということか。 * Kにはすまないが、今日は娘と孫たちに会ってくる。1日遅れだが、父の日にあたり、感謝をしてもらえるようだ。気恥ずかしい。

Colorful World, Peaceful World

イメージ
  なんだか、あっしゃあ、写真のトリミングを怠る傾向がありますなあ。この写真も然り。まあ、いつかやりまっさ。 成城大学脇を東西に通る、つまり小田急線に並行する区道で撮った、もう2週間前くらいの日の出直前の景。 * 今日は夏至。奇跡の惑星・我らが地球の北半分にとって命の恒星・太陽のご尊顔を最も長く仰げる日だ(と言いつつ、良い子は直接仰がないように)。 そのありがたみを意識もせず、人間たちは争いまくる。天罰が下るよ、きっといつか。 * 今日は義父孝行の日(父の日)。夕方食事を共にする。義父は88歳、初冬に89歳となる。60年安保闘争のピーク時には大学4年だった。今日はそのことについても尋ねてみようと思う。 84歳になったばかりのPaulの5歳先輩だ。クラシック音楽ファンの義父(父親はYAMAHA=日本楽器の重役で自らバイオリンも弾いたこともあり)は、ちょいと年下のイギリス人バンド、しかも「騒々しい」音を撒き散らし、軽佻浮薄で由なしことを歌うあの4人にちっとも感心しなかったはず。義父の唯一<心許す>ポップ・ミュージシャンはCarpentersだ。古典音楽にも通じるRichardの編曲がすばらしく、もちろんKarenの美声が限りなく魅力的だからだ。 「安保反対!」はその闘争が終わった後でも、チビであった私すら覚えている。悲惨な戦争をしてしまってたった15年とかで、どうして日本が再び戦争に巻き込まれ、あるいは加担したりする発想になるのか信じ難いというのが当時の若者たちの思いだったはずだ。 そしてまもなく<平和の福音>を1963年、The Beatlesが世界中に届けだす。1967年には人類初の世界同時中継番組「Our World」で「All You Need Is Love」を歌って、特にベトナム戦争で揺れる世の中に世界平和を訴えた。サイケデリック文化、フラワー・ムーブメントは西側諸国の若者たちに急速に広がる。 戦争をする国には色がない。カーキ色や迷彩服の暗い緑・茶色・黒・ベージュくらいで陰鬱な世であり、だから無数に色がある世界はすなわち自由な世界、平和な世界だと言っていいほどだ。 そんな戦争時、人間が殺し殺されまいと右往左往しているのに関係なく、まさに超然として自然は時に人間をひれ伏せさせるような色彩を自ら纏う。それを目にした兵士たちがどれほど人間の、自分たちの、愚...