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え、明日?

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狛江市猪方ないし駒井の多摩川べり。もう何度ここを歩いたことか。以前旧ブログに書いたように、ここは芥川也寸志さんの『弦楽のための三楽章』(通称《トリプティーク》、英語題 Triptyque for String Orchestra)の第1楽章Allegroの中間部や第3楽章Prestoの中間部を聴くと思い出す場所だ。 Allegro https://www.youtube.com/watch?v=HpAbgM5DPvc Presto https://www.youtube.com/watch?v=Yg7p-W2-v30 Warsaw Philharmonic Chamber Orchestraによるもので、これが数ある楽団による演奏中最高の出来であると私は思っている。 世界有数の喧騒の街新宿から電車で20分強とかの距離にこんな場所があることの奇跡的な事実。 芥川さんは狛江に隣接する成城2丁目や調布市入間町に暮らしたから、ひょっとするとここを歩かれたこともあるかも。 ここに繁茂するハリエンジュやオニグルミ、カワヤナギなどに抱かれ、何より空に包まれ、夕暮れなどに歩くとき、僭越ながら暫しであれ「梵我一如」の境地に入り込む。 * おいおい、明日は私の誕生日ではないか! 何を今更言っているんだというところだけれど、いやはや、もう誕生日かよ。うれしく、悲しい。まだまだ「梵我一如」などと常に言えるほどにはできていないまま、老齢を重ねてしまう。しかし、なんとか生きていられる喜びも大きい。 明日娘と孫たちから、また義父とその娘に食事会を催し祝ってもらえること、明後日Kにも祝ってもらえること・・・それは本当に僥倖以外のなにものでもない。

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  今朝、日の出を多摩川で迎えた。西の空がこんなになって、本当におらは空に愛されてるなって思っただ。 仏教用語の「空」はそのまま「そら」だったらしい。雲も、星も、鳥も、なんでも容れてしまう。大阪大学名誉教授の故・大峯顯先生は「空(そら)」を、 「あらゆるものを入れて、お前はダメだということがない。無限の解放空間ですね。これはなぜかというと、空が自分を否定している、自分を空っぽにしているからです。これが自分だというものを実体的に持っていないから、空の中に自己否定があるんですね。『空即是色』というのは、空が自己否定だからあらゆる多様なものをあるがまま成り立たせるわけです。逆に『色即是空』は、多様なものがいっぱいあるということがそのまま空だということです。(大峯顯・池田晶子『君自身に還れ』〜本願寺出版社 p.182)」 とおっしゃっている。すげぇな。 なお、この本の後書きは池田晶子さんが書かれており、「2007年3月」と記されているけれど、彼女はその年の2月に46歳で他界されているのだ。空からの言葉だったか。

北陸豪雨お見舞い

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  砧公園の面積に比して千分の一にもならないだろう世田谷区立東山野公園。しかし私にはここがその都立公園に劣らず居心地のいいところなのだ。あの有名な(!)佐藤二朗さんともここですれ違ったっけ。 * 石川県と富山県が今大雨で大変な状況だという。まず、G String時代の私を応援してくださった小矢部の浩美さんや、今年春金沢大学に入学したEさんの顔が浮かぶ。富山市が故郷であるMooさんも気が気ではないだろう。娘さんが高岡に暮らしていらっしゃる。 もうすでに被災されてしまった皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。また、豪雨禍がこれ以上広がらぬことを心よりお祈り申し上げます。 * Kが31日、1日遅れながら私の誕生日を祝ってくれると言う。うれしいけれど、彼は今胃潰瘍も患い、また大腸などの検査をまさに今受けているところだ。糖尿病、前立腺肥大による頻尿、リウマチ、胃潰瘍と、満身創痍状態なのだ。私にとって一番うれしいプレゼントは、彼がゆっくり静養でき、体調を回復してくれることに尽きる。

我が歌は祈り

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  誰も座っていない椅子やテーブルがポツンとあるのが好きだ。@砧公園 * Mooさんがすさまじい(?)勢いでブログを更新されている。その記事の中、反戦の詩についてのもので私は少し考えさせられた。 私の新曲の歌詞は世界の現状批判なのだけれど、そんなのを歌ったところでほとんど何らの違いを世界にもたらすことはない。その行為はほぼ純粋な自己満足だ。「MNEMOらしいな」と言ってくれる人は本当にわずかだ。それでも歌うのは、自己満足のためとは記したけれど、正確に言えば<祈り>なのだ。祈りに何の意味があるのかと問われても答えようがない。この世の摂理との個人的対話だ。それでどうなるかは知らない。 トランプとその政権の酷さ加減にはMooさんの言われる通り私はもう慣れっこになってしまっている。と言うよりは、もうウンザリで、見聞きしたくないのだ。あんな人物をまだ大統領として戴いているアメリカという国にほぼ絶望している。絶望してはいけない、for the betterで変化を望まなければ、アクションを起こさねばとも思うけれど、彼の国のことに一体どんなことがこんなちっぽけな私という人間にできるだろう。 祈るだけだ。 歌で祈る。 * 私の夏休みは今日で終了。特に何にもしなかったなあ。 もうツクツクボウシもとっくに鳴いている。福島市は去年に比べ猛暑日が3分の1にまで減っているとのことだ。齋藤気象予報士は今夏を「アブノーマルな夏」とずっと言ってきたけれど、数字で裏付けられた。残暑厳しいのは確かながら、それでも近年の夏とははっきり違うのを私も感じている。今朝のpotteringも大汗をかかずに済んだ。 狛江の、子猫チロの眠る多摩川の川原を通った。命日は10月8日。去年オリオンの三つ星を擬して線香を3本供えた。その思い出が近すぎて絶句した。なんという光陰の矢の速さ。本当に時間がないんだなあとまたまた、そしてさらにひしひしと感じさせられた。

書くこと特になき日々なり

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地元で撮った一昨日午後4時過ぎの空。暑かったけれど、夏なら当たり前、猛暑ではなかったよ。 * 新曲、歌詞がそれなり膨らみました。 Panem et Circenses The world is full of the poor and the displaced Yet here we are, still fooling around Panem et circenses Just as they planned, we’ve found the ground   Up until we fell into hell We did nothing to avoid it   Who the hell did we think was the one who really cared about us, the people? We're all freaking contagious bastards who spread like the measles   世界は貧者と故郷を追われた者に満ちているというのに 俺たちはここでふざけたことをまだやっているんだ パンとサーカス やつらの思惑通り 俺らは地に堕ちた 地獄に落ちるそのときまで そうなるのを避けるために何もしなかったよな 一体俺たちは誰だと思ってたんだ 俺たち、民を、本当に思い遣ってくれる者のことを 俺たちはみな麻疹のように感染るアホなのだ 12.12が近づいてきた・・・とまではまだ言えないけれども、治雄ちゃんとスティックの8 beatにがっちゃんのギターが重なって私が歌う・・・How thrilling!

葉月雑記 3

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  3日前(?)の世田谷区立大蔵運動公園陸上トラック。すばらしい眺め。秋の空。木立の向こうは国分寺崖線。下に仙川が流れています。 * 午前2時ちょうど頃、地震。多くの人がこの地震について発信しているよね。震源は茨城県南部とからしいけれど、なんか直下型くらいに感じたなあ。フィリピン海プレートの沈み込みの軋みか中央構造線の断層ずれか、まあ、よく分かりまシェン。睡眠邪魔された人、首都圏のことだから多数すぎて、きっと今日の日本は機嫌悪いぞ。 まあ、冗談言ってられないよね。予行演習だ。まじめに教訓としよう。 * 昨日夜に上げたブログ、タイトルからイージーなミスタイピングがあり(カタカナばっかじゃん)、また本文にもあって、さっき読み直してガックリ。全然読まれてなかったことが救い。(情けなっ!) * なんか天気悪いなあ。スッキリしない。作曲をon and offでやるか、今日も。

英語詞作はDon Henleyにだってむずかしい

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  どこの山だ?砧公園のバード・サンクチュアリだ。昨日撮ったか一昨日だったか忘れた。調べんの、めんどくせぇ。 失礼しました。 * 世界で最も売れたと思われるシングル曲候補のひとつ、1976年発表のEaglesの The Hotel California ー ほぼ完璧なコピー動画を見ていてなんだか泣けてきた。 https://www.youtube.com/watch?v=GK1dCMDbGFY Don Felderがギターだけで(?)原曲を作り、Don HenleyとGlen Freyがメロと詞を書いたことになっている。そして数年後、FelderはFreyと決定的な対立(喧嘩)をしてバンドを脱退するという「バンドあるある」の経過をたどったのだった。 1976年、練馬区桜台6丁目のボロアパートに住んでいた。Kと一緒に池袋西武でこの曲が含まれる同名の「世紀のアルバム」を発売と同時に買って、二人で聴いた。 このことは何回か旧ブログでも書いた。今回、上のビデオを見ながら感じたこと、思い出したことはそのブログで書いたことともちろんほとんど重なる。しかし今回あらためて思ったのは、英語による歌詞作りのむずかしさだ。 Henleyは「We haven't had that spirit here since 1969」に韻を合わせるため、前のラインで「Please bring me my wine」とした。これは、1969年がアメリカ学生運動のひとつのピークを迎え、ジョンソンとニクソン両大統領の政策に抗った年だったからで、その反戦平和のスピリット(=精神)を掛けたのだ。しかしこれにまもなくケチがついた。ワインはスピリット(酒精、蒸留酒)ではないからだ。彼はその指摘に「気難しい」反論をし、その最後にこう言っているー "My only regret would be having to explain it in detail to you, which would defeat the purpose of using literary devices in songwriting and lower the discussion to some silly and irrelevant argument about chemical processes.” 「唯...