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12.12 Tentative Band(ダブル・トゥウェルヴ・テンタティヴ・バンド)

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  今日日の出の駒沢公園。たまには人物がそれなり大きく写っている写真もよかばい。このお3人になったのは偶然。お顔も見えないし、お許しを。 * 今日は12.12 Tentative Band(ダブル・トゥウェルヴ・テンタティヴ・バンド)のmeetingです。治雄ちゃん、がっちゃん、スティックが我が家に来てくれます。 義父の娘が、まず演ってほしいという曲として「Would You Be Mine」の名を挙げ、次に「Dawn」の名を。後者は演る気でしたが、前者は・・・お3人とご相談です。 * 今朝は寒かった。2枚着てその上にウィンド・ブレイカーを羽織ったし、ズボンも薄手のながら2枚重ねたのに。手袋しないとかじかむほど。いやあ、季節が一気に進んだなあ。暦の上では晩秋、そして今朝の実感も。 * 昨日世田谷区立図書館の利用カードを作っただ。懇切丁寧な館員さんの対応にうれしくなった。まず2冊借りた。大江さんのと中島義道さんの。書名は非公表。笑

If Kukai had heard ACROSS THE UNIVERSE, what would he have said?

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  今朝5時半頃に二子玉川で撮ったパンパスグラス、セイヨウススキだ。これから白銀色を帯びて、フワフワの穂になっていく。 * 突然だが、我が會津の家は、二本松市出身の祖父以来曹洞宗の寺の檀家となっている。野沢と呼ばれる宿場町の「原町」という地区は「中の寺」とも称する常楽寺を家の寺とする人が多い(はずだ)。翻って「下の寺」は「上原」と言う地区にあり、浄土宗常泉寺が正式な名である。こちらは室町時代の創建とされ、「中の寺」の「創建年不明」とは一線を画す「名刹」だ。国宝の蒲生氏郷像を所蔵する同じ町の「上野尻」にあるやはり浄土宗の西光寺と古さを競う。私の母方の家は「上原」で旅館業を営むこととなった際にその西光寺から同じ浄土宗の常楽寺に墓を移した。 そして「上の寺」である。こちらは真言宗室生寺派の遍照寺だ。ここは「本町」と呼ばれる地区にある。鳥追観音・如法寺(大同2年=807年徳一大師創建)の末寺だ。 真言宗と言えばむろん開祖弘法大師空海だ。伝教大師最澄と並ぶ平安初期の名僧だで、宇宙全体が大日如来の身とし、人はその宇宙と合一(即身成仏)できるとするすばらしいアイディアを示してくれている。大好きな考え方だ。 しかし、彼の著作とは言い切れないものとは云え、『御遺告』で、彼の出自の讃岐佐伯氏は、東国から朝廷の捕囚となった異民族で、彼が罵倒する「さえぎ=騒ぎ(佐伯氏の一方の祖)」の民とは違い、その人たちを管理監督した佐伯直(あたい)の出であると主張、自慢しているのだ。「直」とは「臣」や「連」より身分として低い姓(かばね)だ。ところが空海さんの没後、讃岐佐伯氏は佐伯氏のもう一方の祖である中央の大伴・佐伯氏との同族関係を主張して、空海さんの功績もあったからだろう、すんなり要求が通ってなんと「宿禰」となり、臣や連より上位の姓となった(天武天皇制定の八色の姓では、真人、朝臣に次ぐ第3位。直はこれに入らなかったが、八色の姓は中央の貴族たちのためのもので、直は地方豪族の姓として残った)。 東国の「蛮族」を蔑視し、朝廷から与えられる姓にこだわった弘法大師さん・・・これほどの偉人でも、宇宙的視野がなかったのだろうか。

松陰神社近くのLAWSONで攘夷を論難す

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  「先進国」では、社会成立の基盤となる仕事を支える人々がそれほど有り難がられず、そのまま階層的にも底辺的扱いを受けてしまい、一方ほぼ必然的に少子化し、教育投資はその少数の子どもに注がれ高学歴化して、そうした社会基盤を担う仕事になど全く就こうとしない中、発展途上国などからの人々にその役割を押し付けて、「先進国に住めて良かったな」というような態度をとっていたら・・・ そしてその外国から働きに来た人たちの家庭において相対的に出生率が高くなり、その「先進国」が乗っ取られるのではと危惧し、元々の差別意識をさらに増幅していく・・・ 欧米のいくつかの国で起こっていることというのは、そういう図式ではないと言い切れるだろうか。 日本だってそうなりつつあるのではないか。自分らで社会の基礎を成す仕事に就かず、外国人任せにし、そして勝手に「外国人が増えて怖い」だのなんだのと言う。 外国人たちが犯罪に手を染めている、治安が悪くなったなどと非難する人たちがいるけれど、人間社会である以上一定数の犯罪はどこででも、何人(なにじん)であっても、起こり起こすものだ。 某国の者たちは、公共心が育たぬ文化を持っていて、日本人からすればそれは社会への害悪などと主張する人もいるけれど、日本人にだって公共心を持たぬ者などわんさかいる。私は毎日、数は少ないけれども、そんな者を目にしている。 今朝は久しぶりに世田谷区梅ヶ丘の方へ自転車で行った。前にも書いたが、松陰神社の近く、国士舘高校の直近に在るLAWSONとその辺りの雰囲気が好きで、今回は以前記したLAWSON店員とは違う、やはり南アジア系の青年が応対してくれたのだけれど、そのしっかりした応接の態度に心から敬意を持ち、またうれしくなった。外国人スタッフの立派な接客態度についてはここばかりでなく、他の店舗のこととしても言及してきた。だから稀有な例ではない。 日本語ができ、コンビニの複雑な業務を比較的低賃金でちゃんと丁寧にこなせるこうした外国人青年のようにできる日本人がどれほどいるというのだろう。 私は日本が単純に移民を増やせばいいなどと思ってない。そんなはずはない。ある国の独特の文化・習慣や言語、思想が守られねばならないと考えるのは、例えば失われてしまったに等しいアイヌ語をなんとか残してほしいと思うことに通じる。 ある国や民族が持つ独自の文化・習慣や言語...

LotteのRummy、うまいけど、体がカーッとするぞ

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  先ほど大蔵運動公園で撮った日の入り。 * 小学生の頃、ちょっと小遣いがあるとまず買いたくなったのはチョコレートだった。明治のマーブルチョコレートが幼稚園児だった頃からの垂涎の的だったが、不二家のルック、高学年になるとロッテのナッティ、ガーナにもハマりつつ、中でも断然バッカスとラミーを禁断の味としてゾクゾク、ワクワクして隣家のお菓子屋で買ったものだ。考えて見ると、そこのおばちゃんやおばあちゃんはよく売ってくれたわいな。 バッカスはコニャックをブレンドしたブランデーが閉じ込められたチョコで、なんとアルコール分が3.2%、さらにラミーはラム酒漬けされたレーズン入りのチョコで、こちらはアルコール分3.7%なのだから驚く。ガキンチョ禁制だろう。 先日スーパーで冬季限定とかで入荷してあって、懐かしさのあまりそれぞれ1箱ずつ買った。今ラミーの方を食べてみたが、うまい。そして驚いた、しっかり酔える!こんなもん、小学生が食べていいはずがないし、箱にはちゃんと「お子様」などは「ご遠慮ください」と書いてある。 上野お菓子屋のおばちゃん、おばあちゃん、ダメでしたね、おらに売っては。 そうそう。ロッテといえば、グリーン・ガムも良かったけれど、クールミント・ガムが大好きだったなあ。南極とペンギンのデザインが秀逸だった。すごいセンスだよなあ、今考えても。 そういえばロッテが毎日新聞から受け継いだパ・リーグの球団は「オリオンズ」だったなあ。今はマリーンズ。Orionsの方が良かったなあ。

東京暮らし

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  写真は今朝日の出直前の東の空。 * 今日は何も書かずにいようと思ったが、好きなYouTubeチャンネルが興味深い話題を提供してくれた。 https://www.youtube.com/watch?v=gBez96q7C5w 東京・・・ね。 高3のとき、會津の片田舎少年はむろん(!)憧れた。なにしろ行きたい大学は東京にあるし、生まれて初めての一人暮らしを都のどこかで始めることへの興奮があった。新宿、渋谷、表参道、銀座、青山、六本木・・・全部憧憬の的だった。シンガーになったらその大都会で活躍するんだ、などとも夢見たし。実際、そこで短い間ながらシンガー・ソングライターとして活動できたのは僥倖だった。 今世田谷区に住み、「東京が好きですか」と訊かれたら、多摩川と野川、仙川の恵みを毎日受けているから「好きです」と言える。昔書いたけれど、1997年だったか、狛江市在住時、大阪でライブをやらせていただき東京に戻ってきた折のことを忘れられない。スティックが運転してくれているクルマに乗り、東名高速を用賀で降りて、世田谷通りに入り、当時の大蔵病院、現在の生育医療研究センターのところに来たときに涙が溢れた。「ああ、homeに帰ってきた!」と。大袈裟なことだ。しかし本当に涙が出てしかたがなかった。 「東京全体が好きですか」と訊かれたら、「いいえ」と言うしかない。世田谷と狛江・調布しか興味がなくなっているからだ。 世田谷にはいろいろ問題があっても住みたい街として憧れられるところが多い。私が今住むところでも新築「マンション」や一戸建ては軽く1億円を超える。そんなところを買える人たちはどうやってそんなお金が出せるのかと驚くしかない。 私が世田谷に住めているのはひとえに義父のおかげだ。遡れば義祖父・祖母のおかげだ。終の住処はまず間違いなく今の住居である。東京の、大きく言っての「多摩川流域」にふるさと會津よりも遥かに長く暮らしてきて、満足してきたし、そこで人生を終えられるのは本当にありがたい。 私のような地方出身者に東京暮らしを薦めるかと言ったら、迷ってしまう。田舎者を自認する人が東京住まいを希望するなら、多摩川流域の諸区、諸市はどうかと言うだろう。その理由はたったひとつ。そこは都会だけれど、田舎もちゃんとあるところだからだ。ただ、家賃は高いぞ、と。

King Cloudman Reguyth

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  おらは雲男だな。Cloudmanだ。King Cloudman Reguythと改名しようか。 あ、おらの英詞を書くときのペンネームKing Reguythは、故郷のことば「きんぐりがえす」をもじって名乗るようになった。25歳の時だ。「きんぐりがえす」は足首を捻ること。おそらく我が故郷(會津西部)かその一帯でしか通じない。会津若松がある盆地の方では「ふんぐらげぇす」と言うらしい。筋を痛めるのだから「きん」の方が「ふん」よりふさわしい音だと思う。局所的にしか使われないユニークな方言・・・ユニークな存在でありたいからと思いついたのだが、EUROXを一年もたず辞めてしまったこともあって、知られるのが局所的になってしまった。(自嘲) 旧ブログでその名の由来を書いたことがあったが、もうそれもないし、数少ない読者でそれを知らない方もいらっしゃるだろうから書いてみた。 このペンネームを使って『ガリアン・ワールドc/w星の1秒』が発売された1984年、母方の伯父がその<ユーモア>を褒めてくださったっけ。身内とはいえ父親や母親以外からのお褒めの言葉だったから忘れられない。そして大学の友人で卒業生総代になったS君も「Interesting」と褒めてくれたっけなあ。「Sounds cool」って。懐かしい。

単に写真紹介ブログにすっかなあ

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  今朝夜明けの雲。馬事公苑近くで撮った。神様が絵を描きたくなったのか。 * KがVlog編集に労力をかけすぎてきて睡眠不足に陥り、アップロードの頻度を落とすと宣言している。Mooさんは 「良性発作性頭位めまい症」でやはりブログ更新をしばらく控えると言われている。 私もそうすべきか。KならYouTubeのビデオを作るのと、Mooさんなら分析的で精緻な論考をしたためるのと、私がここに駄文をものすのとは労力が違いすぎるけれど、それでもほぼ毎日書いていることの意味を失いそうになる・・・なら、やめろ。 つ〜かさあ、自分で撮った写真blogに保存しておきたい、もしかしていい景だ、いい瞬間だ、いい写真だと思ってくださる方がいらっしゃるかもなどと期待するのだ、毎日。 書くことなんて毎日あるはずもなくて。天声人語担当してんじゃないんだから(引き合いに出すな!)。 はい。今日はここまで。