やはり「和顔愛語」
誰もが知っていることだけれど、言葉は因となり果となる。行為と同じだ。「言動」と一括りにするのはだから正しい。しかしみなこのことを知っていても、吐かれる言葉は無形だから畢竟無いも同然だと思ってしまう傾向があろう。例えば、ひどいことを言ってしまっても撤回できると思っている。あるいはもっと卑怯なことには、言ったこと自体を否定できると思っている。 そうはいかない。 善因善果という仏の教えは尊い。善い言葉を放てば、いずれ善い報いが来る。逆もまた真。 著述家菅野完さんが昨日大阪でトークショーをいわゆるライブ・ハウスで仲間と催したそうで、立錐の余地もないほどの客入りだったそうだ。これまたいわゆる「ワン・ドリンク制」で、客は最低一杯の飲み物をオーダーせねばならない。 トークショーの冒頭、菅野さんの目の前数十センチに位置した「おっさん(60歳から70歳代らしい)」が、その「ワン・ドリンク」が遅々として手元に来ないことに腹を立てて、「俺のウーロン茶まだ来ぃへんのか」と言い、店の人が丁寧に謝っているにも関わらず、「はよせぇよ、アホ!」と言い放ったというのだ。菅野さんは瞬間猛烈に怒り、「金は返すから出て行け」とその御仁に2分間ほどそれだけ超至近距離でドヤし続けたそう。 「和顔愛語」は私が座右の銘として毛筆して部屋に貼ってある「大無量寿経」の言葉。和やかな、穏やかな表情で愛ある言葉を発することを教えている。亡き紀野一義先生の御本で学んだ。 「おっさん」は追い出されても文句は言えない。しかし追い出した菅野さんもきっと「 金は返すから出て行け」の後に「ドアホ!」と、いつも彼が気に食わぬ言動をした人間に吐いているように言っているはず。そこで、どっちもどっち。 私も 「和顔愛語」を座右の銘にしているからといっていつも実行できているはずはない。できていたら私は菩薩に近い。できないから毛筆して部屋に貼っているのだ。 それでももちろん常に 「和顔愛語」できる者でありたい、あらねばと思っている。