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雷、心太

今朝は昨日の朝よりもまた一段と寒かった。半端な長袖ではとても自転車で風切ることはできなかったのだ。この涼しさの<貯金>があって、これからやってくるだろう酷暑も少しは納得してやろうという気になる。(笑) * 昨日首都圏を襲った「ゲリラ豪雨」だが、世田谷区ではそう激しくことにはならなかった。今日も大気が不安定になるところがあるらしい。雷は家の中にいる分には嫌いではない。いや、それどころか楽しみですらある。 数年前、まだ狛江市東和泉在住の頃のある夜、多摩川土手からなんと栃木・群馬の雷雲と稲光、雷電が見えたのだ。雷雲下の方々には申し訳なかったけれど、本当にすばらしい、息を呑む光景だった。 會津の田舎では、あまり雷にまつわる記憶がない。けれども、私の生家の真南にはその名も「雷山(正式には羽黒山か)」という小高いところがあった。よほど落雷があったところなのだろう。ここは幼稚園児や小学校1年生のための遠足の地でもあり、飯豊連峰の眺めは抜群である。 この山から少し西へ行くと「會津三観音」のひとつで、大同2年(807年)に徳一大師により創建と伝えられる如法寺がある。ここへも子どもの頃よく行った。家からの標高差は100メートルくらいだろうけれども、雷山へのルートとは違う<羊腸の小径>があって、夏にここを登り切ると茶屋に辿り着く。ここが出す心太(ところてん)が絶品で、それが食べたくて登ったことも幾たびかあった。当時20円だったと記憶するが、どうだったろう。 昨夏そこへクルマで行ってみると、なんとその茶屋が復活していた。長く店を閉じていたはずだったが。登坂の苦労もなかったし、腹も満たされていて、結局入らなかったが、うれしいことであった。

A Day in the Life (June 11, 2026)

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  久しぶりに写真を撮ったなあ。今朝、夜明け。 * ポタリングの後庭仕事。枯葉・落ち葉をまとめるのと、草毟り。さすがに汗をかいたけれど、午前4時に自転車を漕ぎ出したときは長袖でも寒かった。他所は知らねど、東京 の今年の六月は実に快適な気温と言っていい。珍しいことではないか。 * Kがおととい私と別れて電車での「帰りが寂しかった」とVlogでつぶやいていた。その寂寥がよく分かる。私が彼の立場だったら間違いなく同じに感じた。彼はさらに「あと何回N(=私)とこうして会えるのだろうか」とも。嫌なことを言うな、ではない。その通り、もうそう多くないよな。「どっちが先か」で、彼は病気もしたし、今も身体のところどころに不調を抱えているがゆえだろう、「俺だ」と言ったけれど、「そんなの分かるかよ」と私は応じた。お互い、そんな日を迎えたくないが、いつかは必ず・・・。 * 昨日昼、土日なく働いた義父の娘が代休を取って、「COSTCOへ行きたい」とのこと。道路が混んだりしたらこっちの仕事が影響を受けるぞと思い渋っていたのだが、「COSTCOに行くのはエンタメなの」だと気晴らしを求める彼女に<孝行>するよりないと思い定め(!)、川崎市川崎区の「倉庫店」へ。 Naviの推奨で、まず環8、瀬田で246へ入り、旧道から多摩川沿線道路というルートだった。以前行った時は環8で大鳥居(大田区西糀谷)までずっと東進するコースを薦めてきたのにどういうことなのか。Naviにも気分があるのか。 多摩川沿線道路はかなりの基幹道路だと思うのだが、ずっと凡そ昔のまま、片側1車線。いや、それだから懐かしくていいねぇ。交通量少なく、快適なドライブだった。 店では肉や魚のなかなか贅沢な商品をホールセールで購入、当分それらが食卓に並ぶ。いつもはOKストアで週単位での<こじんまりした>食品を買っているわけで、それはもう、確かに冷凍前提の大量購入は気晴らし、エンタメになると合点した。 帰りもまだまだ午後3時台で交通量は多くなく、ストレス・フリーなcrusingとなった。

生徒の興味をひく授業

昨日はKとかなり長く一緒にいて、食事もし、さまざまなことを語り合った。そんな彼は今日中野の自宅から横浜市西区の現場へと向かう。なんという遠距離。彼が工事関係者から好かれ、信頼されているからこそ、つまり引く手数多ということ。それでも体調万全とは言えぬわけで、無理はするなと言うしかない。 * 「女王の教室」最終回で「仰げば尊し」が歌われた。私も中学の卒業式で歌ったけれど、「今こそ別れめ」のところの「め」について何も知らぬままだった。中学の国語の先生も全く触れなかった。今なら「こそ」という係助詞が「別れむ」にある助動詞「む」を已然形するからのことと知っている。「<こそ>已然、<や・か・ぞ(ぅ)・なむ>は連体形」と自ら五七五にして覚えたのはなんと私が塾で国語を担当させられたときだった。意味は中学生当時でも類推していた通り「今こそ別れましょう」ということだが。 こんなことをなぜ今書くのかというと、教師という人は、折りに触れ生徒に何かしら彼ら彼女らが既知としていることに関連づけて教えるべきポイントを解説すべきだ、ということを「今こそ言はめ」と思ったからだ。それにより少しでも生徒の興味を惹きつけられるではないか。 「仰げば尊し」を歌わせられる。ではその歌詞に中学国語の古文の分野で教えられるポイントが実際に使われていることを一言でも触れてくれていたら、なんと以降の歌唱の出来ばえにも影響することも十分ありうる。なぜ「今こそ別れむ」ではなく「今こそ別れめ」なのか。その「め」のところを納得しての[me:]は知らぬままの[me:]とはきっと違う響きになるはずだ。 こういうことは他の教科にももちろん言える。私は数学の教師には全く恵まれなかったと思っている。もちろん自分の頭の悪さを自覚した上で言っている。実際生活で使う加減乗除以外のことを知る・学ぶのがなぜ必要で、またそういう算数を超えた数学という教科の諸分野のおもしろみを、そしてそうした数学の概念を考えついた偉人たちのことをも教えてくれていたなら、と悔しく思う。 今まだ英語をお教えしている私は、できる限りそのことに留意して今日も・・・。

丁々発止、侃侃諤諤

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https://www.youtube.com/watch?v=V5qzDYYjefU 音楽を除いて、言語におそらくどの事物より興味を持つ私として、上の動画のアメリカ人日本語学習者TantrisとMatt、そして中国人日本語学習者「むいむい」 はもう数年マークしてきた人物たちだ。この三人はいわゆる「臨界期仮説」でのネイティヴになれる年齢までには日本語に<さらされず>、それを過ぎてからの学習者たちなのだ。そしてその日本語愛ゆえにYouTuberとして生計を立てられるほど多くの日本列島人と少数ではあろうが海外の日本語学習者の注目を集めてきているのだ。 欧米人としてMattは発音上の困難をほとんど乗り越えてちょっと聞きでは日本語ネイティブと変わらない。Tantrisはまだまだ<英語訛り>が抜けていないけれども、日本語とそのメタな部分に最も果敢に切り込んでいる思索の人だ。むいむいはもう完全にネイティヴ。誰ひとり彼女の日本語を聞いて列島人と思わぬ人はいまい。 米人と華人が日本語でここまで深い話ができるという実例を見せられて、昭和30年代生まれの會津人の私は隔世の感を覚えるしかない。 しかし、この日本語による外国人の日本語愛の話を聴かされて、私が一番に思ったのは、「ああ、丁々発止他者と言葉を交わしたい」ということだった。何かのテーマで、それにつき自分の意見を言い、他者の意見を聴き、調和があれば喜び、また異見が残れば引き続き宿題にすることだ。 昨秋Mooさんのお家を訪ねた折、夕食後幸夫ちゃんが上のような<議論の楽しさ>を求めてきたのだった。テーマは特に限られていなかったと記憶するが、彼の期待にどれほど応えられたかは知らない。それでも最後に「こういう話をしたかったんですよ」と彼は言ったのだ。激論と言ってもいい場面もあったなあ。 その中で、私は新右翼の「一水会」が正論連発していると言った。幸夫ちゃんは少し色をなして何か反論し、私は日本共産党のシンパであるMooさんに意見を求めると、「(一水会は)非常にまともなことを言っている」と応じて座が一瞬静まった。 今、女性天皇・女系天皇を完全に否定する者たちを、日本共産党も一水会も猛批判している。その論拠は概ね共通であって、至極「まとも」である。 今上天皇の一人娘(敬宮愛子さま)の処遇を、某県・ど田舎の衆議院議員などがしたり顔で決めるなどという...

真矢はクレマチスのやうに

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2年前の今頃撮った玉川野毛町公園のフェンスに絡まっていたテッセン(=クレマチス)。なんだか日本画ティックな図柄である。「clematis」はギリシア語由来でズバリ「蔓」の意味だ。「テッセン」の名の由来はまさに「鉄線」、茎=蔓が鉄線のように硬く切れにくいから。 この子(!)はキンポウゲ科に属するので毒(プロトアネモニン)がある。ご注意。 * 「教室の女王」の最終回が昨日CSチャンネルで放送された。もう21年前の作品ゆえ、今更何をここで語る、というところだけれど、今でも見る価値があると言う人も多いとのことで、確かに人生や社会の不条理をズバリ突いた「女王」教師阿久津真矢による「名言」もあったりする。しかし、これはいただけないというのもあって、筆頭は、 「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢い者や努力をした者は、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることができる。それが、社会というものです」 だろう。 「愚か者や怠け者」が「差別」され「不公平」に苦しむとはどういうことか。「差別」ではなく<因果応報>だろうに。「賢い者や努力をした者」の「色々な特権」とは何のことで、「豊かな人生を送れる」と断言できる根拠は何なのか。 私なら、 「愚か者や怠け者は、相応の報いを受けてしまいます。賢い者や努力をした者は、物心両面で豊かな人生を送ることができる可能性が高くなります。しかしそれでもそういう果報者であっても突然の不幸に襲われもする。それが、社会をつくっている人間という生き物の実相と言えましょう」 と言うかな。 さらに児童からの「なぜ人は勉強するのか」という問いに真矢は、 「勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです」 と答える。とすると、「勉強したいと自然に思うから」「人は勉強する」となって、トートロジカルな感が否めないけれど、発言の大部分には共感する。そして私ならもう少し補強して、 「勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。人は勉強をしたくなるものなのです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽...

梅雨寒の朝に

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起きたらやっぱり雨。さすがにカッパを着てあるいは傘をさして歩く気にはなれなかった。そんなもんで、こうやって朝も早よからブログ更新。 今朝ははっきり梅雨寒。この「梅雨寒」は比較的新しい季題ということで、芭蕉や蕪村、一茶などによるこれを用いた句はない。ならば私がー 梅雨寒や 布団を抱きて 夢覚めぬ * YouTubeでまず関東の歴史を辿るうちに古河公方と堀越公方のことを解説するものを見て、鎌倉公方成立に遡ったり、逆に永享の乱に進んだりしているうちに、やはりどうしても西日本の戦と言っていい応仁の乱に来てしまった。 日本史を学んだ人なら分かるだろうけれど、この応仁の乱ほど複雑な背景と進展ぶりを持つ出来事は珍しいと言っていい。私は受験生の頃、この乱のことは「試験には出ない。出たらもうあきらめる」という姿勢で本番に臨んだ。つまり不勉強のままにしたのだ。そして幸い、私が受けたどの大学もこの乱について出題しなかった! しかしまあ、人間とはいかに貪欲であることかと呆れる。なにしろ出世欲・名誉欲、そして体面保持のために、どれほど愚かになれば気が済むんだと言いたくなる。 ・・・今の宰相さまもちっとも変わらないね。 * 「嘉吉の乱」はかなりドラマティックだ。これをクライマックスにする大河ドラマを作ったらよかろうに。「籤引将軍」こと室町幕府第六代将軍足利義教が、赤松満祐の屋敷において「結城合戦(これは関東・茨城での戦い)」勝利を祝う場での猿楽鑑賞中、そのホストたる赤松の家臣らが乱入、首を刎ねられるのだ。義教による「万人恐怖」の横暴の果てであった。 もう「何度やったの」と呆れるばかりの信長、秀吉、家康モノから離れなよ、と言いたい。特に秀吉モノには辟易。彼という人間が大嫌いだからだ。 追記 義教だけでは「大河」にはならんわな。足利の十五代の将軍全部を扱ったらおもろいのんとちがいますか。

チョカモカ

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早朝成城3丁目の公園近くに在るお家のフェンス前に咲く、チョコレートコスモス。「チョカモカ」という品種らしい。遠くから見て、その際立つ花の色合いで茎が相対的に存在感を失くし、まるで蝶の群れが舞っているようだった。なんと私は急ブレーキをかけて戻り、背景をぼかせるNikonを持ってこなかったことを悔いつつ撮った。 * 佐々木朗希投手が圧巻のパフォーマンスで、世界の野球ファンたちを唸らせた。去年とかはあまりの不調でダッグアウトの中で泣いていたんだっけ。よかったね、another baseball prodigy from Iwate! スポーツってね、こんなご時世に何が野球だ、サッカーだ、などと言われかねない<play>、つまりは「お遊び」だ。けれどね、主にアメリカ合衆国を始め、中米、カリブ海諸国と、日本や韓国の選手が集うMLBでは、本当に国籍や「祖先起源集団(「人種」という言い方の代替)」の違いを超えて尊敬し合う図式が見られて胸が熱くなるんですよ、私はね。 サッカーだってそうだよね。世界中のチームが祖先起源を異にする人々で構成されていて、いいプレイをするかという1点で互いが競い、優れる者を謙虚に尊び、讃え合うのだ。もちろんその図式が徹底されてはいない事例がしばしば見られるのは確かだけれど、例えば最近だと、スコットランド・リーグ1部セルティクスFCの前田大然は、前年度リーグ年間MVP、セルティック年間MVP、SPFA年間最優秀選手賞を総なめ(個人賞三冠)したりし(今年度もすばらしかった)、スコットランドのフットボール・ファンにはすでに忘れられない日本人プレイヤーとなっている。 スポーツがこうしたうるわしい異文化・異民族間の人間交流を実現する側面を本当に称揚したい。 チョコレートコスモスはメキシコ原産だそう。日本の高温多湿には弱いそう。でも日本に入ってきて、「チョカモカ」という品種が生み出され、街中で普通に見られる花となっている。そして私のように、その美しさを愛でる者がいるのだ。