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葉月雑記

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  Kが「あの頂上に登ったんだもんなあ!」と感嘆の声を上げた磐梯山。こんなに美しく見えるのは年に何日でしょうね。Luckyでした。 磐梯山登頂は高1の秋だったか?高校の遠足ででした。「百名山」の中、Kと私が登った唯一の山です。 * 台風一過の晴天かと思いきや、東京は曇天。冷房が要らない涼しい朝です。Xでは「電車ガラガラ」がトレンドのフレーズになっています。義父の娘は出勤しました。 私は明日明後日と特別な時間割で仕事をして次週は「夏休み」です。ゆっくり12.12の音楽会の構想を練りつつ、またそのときに披露したい新曲を仕上げたいと思っています。 * やはりXのトレンドに「倒産件数1037件」「2ヶ月連続千件超えは14年ぶり」という文字が。 昨夜台風接近という中、OKストアへ行ってあけぼのの鮭缶がとうとう536円だかの値段になっていて本当にびっくり。2年前くらいまで300円台で売っていたものを。OKでそうなら、一般の小売店だったら700円とかするのでは? 本当に何もかも高くなっていて、慣れっこになってしまいそう。家計に痛いのは当たり前、そして多くのさまざまな企業が資材調達などで死活的な状況に直面してるはずで、その中、堪えきれなかったのでしょう。 そんな世には拝金主義が跋扈するもので、今まで以上に詐欺や窃盗、強盗が横行するのではないでしょうか。社会不安です。 * また磐梯山の話に戻りますが、私(とK)の故郷は會津盆地からは外れた北西の端で、小さな盆地となっており、そこが主な住宅地となっています。會津のシンボル磐梯山はその盆地からは全く見えません。しかし、山地へ行けばその秀麗な姿を拝むことができます。 なすび氏がその山に登っています。 https://www.youtube.com/watch?v=63Z-nRZWFkc U字工事も我がふるさとを紹介してくれています。 https://www.youtube.com/watch?v=63Z-nRZWFkc 何度も言うんだげんじょも、會津は西隣の越後(新潟)の人も、安土桃山時代蒲生氏郷と一緒に来らった近江や伊勢の松阪の人だぢなんかも入ってこらって、まあ、日本のどこもその傾向はあんだべげんじょも、ハイブリッドな血を引ぐ人だぢがつくってきた土地なんだシ。 かぐ言うおらも、父方の祖父は二本松の人だし、祖母は伊達の出身だがらナイ...

昨日のこと(Kと日帰り帰郷)

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  昨日撮った西会津町尾野本にあるJR磐越西線踏切から東の景色。 ここは私が15歳の冬に、Chicagoの Flight 602 を口ずさみながら歩いた場所。旧ブログでも書いておりました。曲は、 https://www.youtube.com/watch?v=fIi3K5Xnmvs 家から3キロは離れているでしょうか。道路以外は雪原となった、町の中では「異郷」(小学校の学区が違う)である尾野本を、短日の午後に歩くのが好きでした。冬の會津の空はたいてい鉛色。すれ違う人はほとんどおらず、雪を踏みしめる己の靴音しかしないのです。 ウォークマンなどはまだまだ夢世界の道具、好きな歌を脳内で「ヘヴィー・ローテーション」でかけまくるのです。Breadの歌が多かったけれど、上のChicagoのがそのときは対象曲でした。イントロがことのほか好きで、lonesomeなacoustic guitarがコードを半音下からグリッサンドさせてニュアンスいっぱいに弾き出され、9小節めでギターが重なり13小節めで柔らかく温かい響きのオルガンがオーバーラップし、イントロ最後の2小節でsteel guitarが歌を呼び込みます。 冒頭の写真の位置 から左に頭を向ければもちろん北、そこには遠く、今夏山となっている飯豊連峰。ここすべてが雪景色になっているのをご想像あれ。 この尾野本の森野という地区にKが住んでおりました。知り合って3年は経っていませんでした。彼は生徒会長でバレーボール部キャプテン、目立つ存在で、同じクラスになったことはなかったのですが、仲良くなり始めた頃でした。 冒頭の写真の踏切から今度は逆に西方向を望むと、線路沿いに草が刈られた小径があって、300メートルほどでしょうか、さらに警報器がない小さな踏切があって、そこを渡ると墓地が。そうです、Kの家のお墓がそこにありました。 Kの実家はご長男(Kの母上の子ではない。Kの父上は前妻を病気で亡くしており、Kの母上と再婚された)がすでに他界され、森野の家はなくなっています。Kは母上と埼玉で三年前まで暮らしていましたが、そのお母様もなんと百歳という長寿を全うされ、彼はその遺影を持っての墓参となりました。(その<遺影>は、お母様がVサインをしつつ、本当に<イエイ!>と言っているユーモラスこの上ないものです!) この日帰りの帰郷は、義父の娘が多忙...

残暑お見舞い申し上げます

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  先ほどの砧6丁目で撮った空。まごうことなき夏空。 * 明日、突然ながら日帰りで會津へ行く。Kも誘った。彼のお父上の墓参にも付き合う。Mooさん、會津から先日の御礼、二人で見繕ってお送りしますね! * 熊本の大地震で、シッチャカメッチャカに揺れる手術室の映像を見た。医師、看護師たちの冷静無比な対応に感動。まだまだ日本にはプロがしっかりいる。心強い。 * 「走る人参」という若い気象予報士のYouTubeチャンネルがおもしろいのだけれど、おとといだったか、台風13号が熊本や沖縄などへ接近するかもしれないという段階で、「中国へ行け」というようなコメントに接し「人参」君は断固とそういう差別的な言辞は許さないと言ったことに大いに共感した。 みなさんもよかったら---  https://www.youtube.com/@Runninzin

初秋でも暑いじゃん

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  夏〜って感じの一枚。昼過ぎ砧8丁目で撮った。 強烈な陽射し、でも湿度がそれほどでもなく、昼間でもちょっとの間ながら外に出られた。自転車に乗っていると、オレンジ色の凌霄花が右目の右隅に美しく光ってアピールしてきたので、「ウルトラマン商店街」の道=千歳通りをすぐUターンして路地に入った。 * 鹿島アントラーズが国立競技場で横浜マリノスと開幕戦を迎え、大逆転で4-3のスコアで勝利。レオ・セアラとチャブリッチが2点ずつ獲った。YouTubeでのハイライト観戦だったが大興奮した。 私はアントラーズやフットボールそのものの熱心なファンなどととてもとても言える者ではない。知念選手がアントラーズからマリノスへ移籍していたことすら知らずにいるほどのエセ・ファンだ。彼がトリコロールのユニフォームを着ているのを見て驚くような、鹿島ファンの風上にも置けないイカサマ・サポーターだ。確かにこの5月には鹿島メルカリ・スタジアムで生観戦をしたが、Jリーグ発足・開幕してもう33年、これまで競技場に足を運んだのは今年のを含めてたったの2回だ。その内1回は新聞のオマケでもらった味の素スタジアムでの確かFC東京と清水エスパルス戦だった。もう百年前のような記憶だ。 「パンとサーカス」のことは幾度か書いたけれど、そのフレーズがこの「失われた30年」の間よく浮かぶ。「スポーツももちろんいいけれど、それを楽しめる平和という全ての人間活動を支える礎をどうやって維持していくのか、そのために贔屓チームへの応援以外に何をすべきなのか、一緒に考えましょう」と言いたくなる年月だ。「バカにすんな!ちゃんと考えているし、投票も欠かさずしている!」と叱られるかも。そんなお叱りを多く受けるなら逆にうれしい。 * 先日藤井6冠が王座戦挑戦者決定戦で広瀬九段に敗れた。伊藤王座とのリターンマッチがあと一勝で実現できなかった。私は今季2敗目を喫した「400年に一人の大天才」をただただ淡々とAbemaのチャンネルで見ていた。そして昨日は名人就位式があったようだが、YouTubeでその様子を見たいとも思わなくっている自分・・・。 大昔、父が大鵬が強すぎて食傷気味になっている発言をしたのを憶えている。私はまさに「巨人、大鵬、卵焼き」のチビすけで、父をひねくれ者と思ったものだ。しかし今なら分かる。凄すぎる者が凄すぎるままで長くいることへ...

仲間たち

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  今朝、成城3丁目不動橋よりの西の空。自転車に乗っていても切る風が蒸し暑く、早々に帰宅ということになった。これは今夏初めて・・・と言いつつ、夏は暦上終わっているのだった。 * Kは何とか無事だった。軽度熱中症にかかって点滴2回の後、やつれ切って荻窪の現場、そして昨日はさらに出向くには難儀な武蔵野市だったかの現場へ。熱中症以外の新たな不調原因があるらしいことを仄めかすVlogを上げていた。 Vlogの更新こそが彼の生存証明。ほっとしてLINEを交換した。「さすけね」というようなことだった。「差し支えない」ということ、I'm all rightということだ。そう彼が言っている以上、少し長めに休めよと言うしかなかった。まもなくお盆でそうできるとのことだった。 * がっちゃん(ギタリスト嘉多山信君)からもLINEが。北海道の話だった。昔の仕事仲間で今は定年後嘱託で教員を続けている「冨の介さ」からも先日「北見は最高気温17度」とのメッセージをもらった。二人の道産子の友人。おもしろいタイミングで消息を伝えてくれるのが共通。 がっちゃんとは住むところが比較的近いから、祖師ヶ谷大蔵や成城学園前辺りで都合が合えばチビチビやりながらまた気軽に話せる。「冨の介さ」は年一回(春休み期間が多い)東京に来られるが、そのとき旧交を温める。 * そろそろ12.12のmusic partyの構成を考えねばならない。 私と奏でてくれる岡野治雄くん、がっちゃん、そしてスティック(杉山靖幸)のカルテット。川口功くんとKなどがメンバーとなっているGGJというバンド。そして願わくば幼馴染のKMくん&その仲間。そしてトリ(?)は・・・Mick師匠の「転石集団」。 どう並べようか。 ギリギリ来年の話ではないから、鬼も笑うまい。

立秋直前雑記

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  81回目の広島原爆忌。 もう31年も前の夏だったか、初めて広島に行き宿泊したところが爆心地近くのホテルで、つまりちょうど半世紀前の「ここ」での阿鼻叫喚の地獄絵図を想像してしばし眠れなかったことを思い出す。 想像しろ、想像しろ。それだけだ。 人類はいつでも最大限愚かになりうる生き物なのだ。 阻止せよ、阻止せよ。 それしかない。最悪の阿呆が核のボタンを押す前に。 * 長時間の仕事、本当に参る。 しかしKの過酷な労働に比べればなんというeasyな仕事だろう。Kよ、絶対に無理をせず、長く休んでくれ!

蝉聲(せんせい)

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  先ほど撮った砧公園バードサンクチュアリ、東の空 * 昨日夕方やはり砧公園へ行き、南端の木立でとうとうヒグラシの初音(私にとって)を耳にした。ありがたい。そう、ありがたいのだ。また聞けたのだから。 ヒグラシの聲が遠く聞こえるその木立 昔、旧ブログで「日本の霊性と蝉」と題して一文を書いたことがあった。歌人河野裕子のことを書いたが、そこで引いてはいないけれど、彼女の死期迫る中の短歌、 八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る がある。痛々しく、切なく、哀しい。 彼女は1946年生まれ、がんに罹り、64歳で逝った。蝉は彼女にとって生涯にわたる主要な歌のモチーフだった。遺歌集の名はずばり『蝉声(せんせい)』だ。 上の歌からずっと遡って、子を産んだ時も、彼女は しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ と歌っている。 私が去年九月初旬に帰郷した際、我が家の菩提寺墓所は蝉の声がしていなかったと思うのだが、どうであったか。初秋とは云え、暑い中の墓参りには(その日は確かに非常に暑かった)私としては絶対降っていてほしかった蝉時雨を浴びることがなかった失望感のようなものを覚えた記憶がある。 旧ブログ以来何度も掲げる、我が父と私の合作の句、 蜩の聲止みてより風一陣 「蜩」は「ひぐらし」である。父母そして長兄が眠る墓で蝉の聲を聞くことなく去年の墓参は終わった。不思議な気持ちだった。 この八月、また墓参をするけれど、どうだろうか、蝉は鳴いてくれるか。 「蝉はこの世とあの世が互いに貫入するところで鳴く」というのが、私の持論だ。