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だからどうした2発

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  旧ブログでも書いたことだがー 上は、Mooさんが在京時代に住まわれた町田市能ヶ谷、そこへ十数年前の麗らかな春の日に写真を撮りに行った際の一枚。この頃諸葛菜(ショカツサイ)別名オオアラセイトウの花にことのほか愛着を感じていたのだった。そして柿若葉。 まずはショカツサイだが、1999年から2005年まで、新宿区箪笥町、佐土原町、そして千代田区富士見に住んだのだけれど、川崎市登戸への職場へ行くのに中央線を使い、春のみのことだったが、線路脇にこの紫の花が至る所で咲いているのを窓外に見て6年(2000年から)間通った。陽が当たったときのこの花の神々しいほどの紫色に目を奪われぬ人はまずいないのではないか。 町田市能ヶ谷は非常に広い街区であって、この写真を撮った場所をMooさんはきっと知るまい。能ヶ谷街区の北西端を走る鶴川街道から右折して農道を北進すると人家がほとんどない山間(やまあい)に入る。今はどうなっているか分からないけれどね。 大昔、そこで星を見たことがあったんだなあ。すばらしい暗闇だから、星がよく見えるんです。そこへ辿り着いたのも、その暗闇を探してのことだったんです。なんのゆかりもなかった。 奥多摩とかを除けば、東京都でこんなド田舎はないっていうくらいのところだったから、昼にはきっと超絶なほど長閑な風景があるだろうって、今度は写真撮りで再訪したわけです。そして光る諸葛菜と柿若葉を撮った。 この能ヶ谷は、小田急小田原線では柿生(川崎市麻生区)が最寄駅になります。「柿生」ですから、柿の木が多くあって当然というところ。この地名は、「禅寺丸柿」というそこの特産甘柿が有名だったがゆえ、明治22年の町村制施行時に周辺10村を束ねる名前として「柿が生(な)る」里としたのだといいます。 柿若葉はまるで他の若葉とは違う緑色をしています。陽光の反射度が断然高いという感じ。季題にもなる、独特の若葉です。 私の大好きな柿の木は、調布市入間町に在ります。成城4丁目の野川から、そう、400mというところかな。 だからどうした。 はい、みなさん、諸葛菜、柿若葉、どうぞ鑑賞してくださいね。 * おととい、世田谷区の星、伊藤匠叡王・王座が叡王戦第一局で勝利。タイトル防衛に幸先の良いスタートを切りました。 相手は齋藤八段で、伊藤対齋藤。六冠は藤井。今若手ナンバーワンで、順位戦をノンストップでB...

Turn on, Tune in, Drop Out

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成城4丁目、野川端の大規模「マンション」脇のケヤキ並木、いよいよ緑を帯びてきました。 昨日はちょっとだけ久しぶりの晴天でしたが、教材作りに追われて(木金はそうなってしまう)、自転車で少しだけ散歩(すなわちpottering)しただけでした。惜しかった。今日は雨がちだし。 * https://www.youtube.com/watch?v=fAtNivqiLlI このvideo、Beatlesのアルバムとしての最高傑作についての一般の評価が時代の変遷につれて Sgt. Pepper's になったり、いわゆる White Album や Abbey Road 、あるいは Rubber Soul や Revolver になったりする揺れについて社会学的視点から考察したというもので、興味深かったのです。 Sgt. Pepper's については、旧ブログで何度も書いた記憶があります。 1967年の五月、 Sgt. Pepper's が発売されたのです。その夏、次兄の同級生が私もよく行く川で泳いでいて溺死しました。心臓麻痺だとかいろいろ言われましたが、詳細は分かりませんでした。以来その川へ通じる木立や草むらの暗がりを歩いていると、当然それまでの「泳ぐぞ!」という高揚感はゼロに近いほどに薄れました。そしてこのアルバムの音楽的そしてヴィジュアル的画期性がそのまま不気味さにつながったのです。 Sgt. Pepper's がポップ・ミュージックのそれまでの有り様を根底から変えてしまったアルバムであったことは疑いありません。どれほどのドラスティックさだったかと言えば、まあ、小さな具体例ですが、Beatlesの大ファンだった長兄がこのアルバムを境に、その難解さ、進化のし過ぎにファンをやめてしまったほどです。 世は「サイケデリック・ムーブメント」、「ヒッピー文化」の時代になっていました。Beatlesが牽引したところもありますが、なにしろ彼らの音楽以前にすでにAllen Ginsbergらの「ビート・ジェネレーション」など、ドラッグ、特にLSDが若者たちに普及したことが大きかったようです。特にJohnとGeorgeはハマったようで、服用中の幻視などを曲にしていったのは疑いない。またGeorgeはインド宗教にも同時に傾倒し始めた頃で、きっと「瞑想」は凄い体験にな...

WAR IS OVERだろ

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東京はもうハナミズキが開花しています。(昨日撮影) * 私には、すでに東京に住んでいることに伴うメリットのうちほとんどが意味のないものになっています。それどころか、私の今の厭世主義的傾向と花鳥風月の歌唄いとしては、田舎にこそ住むべきだと言えます。 関根安里くんは、諸事情もあるのでしょうが、丹沢山系の近くに今は住んで音楽活動を続けています。彼がどう言うのかは分かりませんが、私には羨ましい環境です。 KのVlogで彼がその関根くんのアトリエに赴いたという回のものが上がっています。 小田急のロマンスカーに乗っての訪問、ほとんど旅です。これまでのVlogでは体の不調を訴えるばかりの彼ですが、すっかり健康そうに見えました。よかった。 東京に暮らすメリットは、今は娘と孫の近くにいられるということ以外本当に思いつかない。ただし、私の住む世田谷区砧地域は、緑多く、広い空もある、多摩川が造り出した土地であって、それはもう愛着があります。それはしかし「東京に暮らすメリット」ではありませんよね。 シンガーとして世に出ようというなら、若い頃はもう東京在住あるいは少なくとも南関東在住でなければなにかと不都合でした。レコード会社や高名なスタジオに日参できるような距離にやはりいたいわけです。ライブ演奏する「コヤ」についても集客しやすい都心とかに近くないとね。さらにロックなんかやっていればそれなりfahionableでなくてはならぬわけで、東京に住んでいてこそ、そのための刺激を日常的に受けるんですね。 今はね、多摩動物公園に老人料金で入れる身ですよ。 * Bruce Springsteenが反トランプで命を懸けて歌っていますね。すばらしいと思います。トランプは彼をこき下ろしていますが、本当に歌を、音楽を愛する人は、イランのいたいけな子どもたちの命を奪っておきながらなんらの反省もしないあのクソ・トランプをその1点でだけでも支持できるはずがないじゃないですか。 Yoko Ono Lennonはどうしたんでしょうか。90歳を超えているからもう公に出られないのか。その割にJohn Lennon生誕85周年記念時計などを売り出している。どういうことなんでしょうね。 新高2のNさんは、 IMAGINE の歌詞の「Imagine no possessions」のところで、「絶対に無理」と首を何度も振りましたっけ...

ちっぽけだけれど

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昨日、花曇りのNHK技研遊歩道。 今日は花冷えでんな。 * Mooさんの最新記事にはなんだかしんみりした。1969年に自死した立命館大学生高野悦子の遺著となった『20歳の原点』の内容をめぐるMooさんの思いだ。学生運動が国を揺るがした60年代後半から70年代初めまで、Mooさんも大学を、日本という国そのものも、より良き、より正しき姿に変えようと東北大学で努力した一人だった。しかし、氏は高野悦子のように「(権力側の)物理的な力に対し(自分の)物理的な力をもって闘っていく」とはならず、あくまで非暴力で体制変革を目指したのだった。 それでも学生運動は「鎮火」してしまった。偏に国民からの大方の支持を得られなかったからだ。安田講堂での学生と機動隊の攻防戦の様子をTVで見つつ、リベラルな我が父親すら小学生だった私に「あんなことはしないでくれよ」と言ったのをよく覚えている。 Mooさんが関わった東北大学の学生自治会がどう総括したのか私は知らないが、なにしろ全体として学生運動が失敗に帰して、その過激な運動の流れとは一線を画した「代々木系」に属した氏ではあったけれど、当然失意し、落胆したはずだ。その悄然とする日々、Mooさんを理解し、支えてくれたお母様のことが末尾に書かれていてしんみりしたのだ。 しかし、過激な方に走った高野悦子の、 「ああ、人は何故こんなにしてまで生きているのだろうか。そのちっぽけさに触れることを恐れながら、それを遠巻きにして楽しさを装って生きている。ちっぽけさに気づかず、弱さに気付かず、人生は楽しいものだといっている」 という言葉は重い。 人はみんな「ちっぽけ」だろう。どんなに影響力ある人物に成り上がっても、せいぜい数十年の命を生きる知的動物にすぎない。必ず死ぬ。自然には勝てない。 自分がちっぽけであることは知っていて、しかしだからこそ、人生は楽しいものだと言ってなきゃやっていけない人もいるんだよなあ。装い、なのかもしれない。けれどね、ちっぽけな自分が大きな自然と対峙して、そして包まれて、「ああ、このために生きてきたんだ」と思える瞬間、私は装っていないんだよ、高野さん。

2026 四月朔日雑記

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ブログとかやっている人の中、きっと多くが書いていると思う、「April Foolでも、この世があんまりアンビリーバボーなことばかり起こっていて、それを上回る嘘が思いつかない」と。 * 写真は去年の狛江市西河原公園。この道も百万回(!)昼夜問わずに歩いてきた。いろんなことを考えながら歩いたけれど、その思索はどこへ行ったのだろう。なんだか滞留しているような気がする。 * 金沢大学に合格したTさんからお菓子を送っていただいた。そして便箋2枚分のお礼の言葉。うれしかったなあ。金沢は数回訪ねているが、いい印象しかない。最初はG Stringのプロモーションでであった。冬で、雪の金沢だった。うまい魚を食べさせてくださる居酒屋、一泊して朝に金沢城公園近辺を歩いた。北陸の雄・加賀様のお膝元は見事な風情の街だった。いいなあ、Tさんはそこで学べるんだ。実り多からんことを!

多摩川の空

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え?国蝶のオオムラサキ、世田谷に今出現? いいえ、昨日は代休が取れた義父の娘のリクエストで多摩動物公園へ。そこの昆虫生態園での一枚。今まで3度多摩動物公園へ来たけれども、なにしろこの蝶の大温室が一番好きなのだ。初回は娘と共に来たもう30年も前のこと。温室内をヒラヒラと飛び回る約2,000頭の蝶たちの美しさ、のどかさ、愛らしさに目も心も奪われたっけ。2回目は義父の娘と来たわけだが、それも13年くらい前で、今回初めて老人割引を受けた。なんだかうれしくないような、うれしいような。 行きは私が好きな旧甲州街道をメインにして行った。帰りはそれこそ30年ほど前に何度も通った日野のスタジオからの帰り道である川崎街道をメインにした。ただしそのルートは30年ぶりではなく、14年ぶりであった。2012年、Mooさんの仲介で大町市の高校生たちを急遽お教えするようになったときに、中央高速に乗る前、調布から乗らずわざわざ八王子インターから信州へと向かったのだった。もちろんそのときは16年ほど前のことが懐かしかったからだ。 その30年ほど前の日野でのレコーディング・セッションからがっちゃんがG Stringに加入してくれたのだった。 * しかしね、田舎出身の者たちにとって東京・多摩地区は本当に馴染めるところでね。まさに「多摩なんて田舎モンばっかりじゃん」などと言うヤツがいるけれど、上等だ。その通りだと言ってやるよ。23区の狭い空の下、ゴチャゴチャ暮らしているのが都会人だって言うなら全くそれで結構だよ。 私が狛江に引っ越したのも、直前まで環七近くの高円寺南という「ほんたうの空」がないところに暮らしていて病みそうになったからなんだ。その頃よく遊んだ向ヶ丘遊園近くに家を持つ「後輩」のクルマに乗って、狛江市をよく通過した。そのとき、東京にも空があると知ったと言っていい。 田舎っていうのはね、つまり、広い空が望めるところ、ということなんだよ。 帯広の在郷から上京したがっちゃんが最初まず多摩地区住人となったのは幸運だったのではないか。そのスケールは十勝地方の空にはもちろん比べるべくもないけれど、もし23区に最初から暮らしていたら、きっと閉所恐怖症的な症状が出ていたのではないかと思うよ。 彼は最近まで数年城東地区、もっと言えば濹東で暮らしていた。そしてやはり多摩地区へ帰ってきた。 私が住む世田谷区は23区で...

2026 弥生二十九日日記

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昨日成城4丁目と喜多見9丁目に挟まれた野川へ桜を見に自転車で行き、次に狛江へ。 狛江在住時、元和泉1丁目の泉龍禅寺隣の弁財天池緑地で出会った、ミズキの木の若葉の美しさ。久しぶりに会いに行った。 それから同・2丁目五本松付近の桜並木へと足を伸ばした。 すると着信音。チラッと見るとがっちゃんから。自転車運転中ゆえ開けるのは後回しにしたが、帰って見てみると、 この添付画像と、<ここが18歳からの安らぎの場>という趣旨の本文があった。ここは調布市染地2丁目の多摩川・二ヶ領用水上河原堰だ。狛江五本松から1.5kmほど上流。この堰の上流側は波がほとんど立たず、夕焼け空を鏡のように映すすばらしい場所なのだ。この画像が昨日のもので、がっちゃんとニアミス(?)していたのかは敢えて返事では問わなかった。 「18歳から」というのは、がっちゃんが帯広近郊から上京して以来ということ。調布市布田の音楽学校へ入り、プロのギタリストになるべく勉強を開始した歳だ。そこでドラムを学ぶスティックと知り合ったのだ。 私は五本松から下流方向(東)へ移動した。つまりは世田谷・二子玉川や羽田方向ということになる。上の写真は、冬枯れの景を数ヶ月前撮ったのと同じ場所、アングルで撮影したもの。 そして数日前書いた狛江高校敷地西南端の「なんのことはない場所」を通って、砧へと帰って行った。 春風そよ吹く佳い昼下がりであった。 花見する我もあなたも また一年