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AI時代でも劣らず勉強

先ほど、高3の生徒さん教材にAI関連の英文が出てきて、それに因んで、AIのすさまじい発達・進化で、例えば日本文であれ英文であれ、AIに任せてしまうことが現に行われているし、これからもますますその傾向は顕著になり、その文章的・論理的精度は高まっていく一方だろうけれど、それでも国語や英語の力をつけることが無意味となることはない、今までと劣らぬ勉強が必要だと私は言ったのです。 あるテーマを論じるとして、AIに任す。査読者が唸るほど完成度の高いものが上がってくることも十分あろう。しかし優秀な査読者はもちろんまずAIの<介入>もありうることを前提とし、また筆者である人間の日頃の言語能力に対する印象と照らし合わせながら読むことになる。すると、例えば「出来過ぎ」と感じたり、「没個性的」、「紋切り型」などと思ったりすることがあるだろう。そう指摘されて「筆者」がどうしてそう言われるのか分からないというようなことがあっては大失態だ。 私もGoogle翻訳で日本文を英語にしてみたことが何度かある。うまい訳をするなあと驚くときもある。昔とは大違いだ。そして正にそこなのだ、ポイントは。 「うまい訳だ」と言える自分は英語と日本語を相当勉強してきたのだ。「昔のGoogle翻訳とは大違いだ」と言えるのも、そういうことだ。 AIに何かしら書かせ、そのクオリティーを評価できるAI使用者でなければ、「筆者」にはなれない・・・と言うか、装えない。文責を負えないで、どこかへ提出することなどできないし、できたとしても続けられない。必ず例えば詳細部分などで確認を求められる事態が生じるはずだ。 そこまでの責を負うには、結局勉強せねばならないのだ。

あの夏の「私」

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  今朝、日の出前の西の空。 自転車に乗っていると、至るところの道沿いの木々や、公園内の木立から「ジー」というアブラゼミの声がします。盛大ではない。まだ少し体が温まっていないのでしょう。アブラゼミを100とすれば、ミンミンゼミは3~4の存在感。それでも、アブラゼミの「声」がdrone=持続音だから、ミンミンゼミの長音符と短音符の組み合わせ、また音程もわずかに動く「声」は際立つ。そして私にとって盛夏のセミと言えば、なんと言ってもこのミンミンゼミです。 さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉の句ですが、この桜のvisionをミンミンゼミのsoundに置き換えてもいいでしょう。また、もう少ししたら聞こえ出すヒグラシの声も互換可能でしょう。(今世田谷区ではアブラゼミ、ミンミンゼミが2大勢力ですが、東宝撮影所辺りとかではクマゼミもいます。ヒグラシはまだ土の中のようです。) ミンミンゼミの声を聴いていると、小学生だった頃に通った「代官清水」と呼ばれた、真夏でも冷たくておいしい水が流れる場所とその近辺の景色が浮かびます。少なくとも6回の夏のひとときをそこで過ごしたのです。しかもうれしく、ウキウキして。なぜならその代官清水のある場所から坂を下っていくと、大日川と呼ばれる水遊びスポットがあったからです。 伸夫くん、文男くん、三男くん・・・幼馴染みの顔が浮かびます。 水メガネをヨモギの葉で擦ると曇りにくいと確か一歳上の「野生児」伸夫くんが教えてくれました。 1967年の夏には、ビートルズのSgt. Pepper'sの楽曲と思い出が被ります。 With a Little Help from My Friends ですね、恐怖を感じず楽しく聴けた数少ない収録曲です。「ミーン、ミンミン」を遠くに聞きながら「Oh, I get by with a little help from my friends」というRingoの歌が脳裏で響いていた。そして「Do you need anybody?」というJohn, Paul, and Georgeの3パート・ハーモニーですね。 「ミーン、ミンミン」を聴いていた小学生の「私」が<今>呼び覚まされるのです。身体は著しく変わってしまっていても、あのとき自分を「私」と言っていた、認識していた「私」が、「それまでの70年に近い人生を送ってきた私」に置き換わ...

みつをさんは私の兄弟子 〜秋のような朝に

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  ちと遅く起きてしまい、外はもう既にかんかん照りに見えたが、窓から入ってくる空気に驚いた。 秋のそれだった。もう使ってよかろう、「爽やか」。湿度低く、気温も熱帯夜の延長に程遠い。写真は先ほど6:20 a.m.頃に砧公園で撮った空。昼はしっかり真夏の気温になるのだろうが、すれ違った人たちも爽快な空気を胸いっぱい吸い込んで歩いたり、jogしたりしていた。 * 熊本がまた大地震に襲われた。ただただお見舞い申し上げるのみ・・・。そう、ほぼ「のみ」。せいぜい義援金をわずかながらも出すだけ。 今の私の歳ぐらいにMooさんは長野県池田町やその近隣から支援物資を集め、宮城県女川へとそれを運んで行った。あの2011年の大震災の時だ。これが「偉大」な行為でなくて何だろう。そしてそればかりではない。偉大な行為は枚挙に暇がない。 氏はやはり最新のブログ記事で大謙遜をされていた。人生のある時に何かしらの蹉跌があって、ご家族に迷惑をかけたらしいことが何より「偉人」などと私に呼ばれてしまうのに赤面する、猛否定する根拠なのだろう。 Mooさん、それがどうしたんですか。過ちを認め、謝罪し、悔い改めたのですし。完全無欠な人生を歩んできた人間などこの世に今も今までもいる験し、いた験しはないですよ。いつまでも引きずる悔恨、羞恥というのはおそらくほぼ全ての人にありましょう。Kに過日酒を酌み交わしながら聴いてもらったのも私のそういう過去の汚点についてです。そのKにだって、今なお「なぜあんなことになるのを止められなかったか」と悔し涙に暮れる(?)ことがあるのです。 同類相憐れむではないのです。私やKやMooさんの三人が同類というのではなく、あいだみつをの「人間だもの」を引くのも陳腐でしょうけれど、さまざま後に悔悟すべきことをしてしまう性を持つのが人間で、それは真理であって、故に「同類」とは正に「人類全体」を言うのです。ちなみにあいだの仏教上の師匠は紀野一義先生なのです。ほんのちょっとの縁ではあるけれど、彼は私の兄弟子と言っていい(勝手ながら)。 わかっています。「人間だもの」と言って居直るような態度の言い訳にするならそれは卑怯だし、醜悪です。みつをさんもそんなことを望んではいません。しかしこの世に「私は凡夫ではない」と胸張って言える者などいるはずがないと私は思います。世に「偉人」と言われる人は過去にお...

「偉人」と呼べる人

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昨秋訪れた安曇野、大王わさび園から撮った「北アルプス」前衛峰・有明山。深田久弥が「百名山」に選ぼうとしたけれど、当時登山道が崩壊していて登れず、背後の燕岳や大天井岳などと共に選に漏れたそうだ。 そんな安曇野の地から野菜が届いた。   生産者および送り主は言わずと知れた(?)Mooさん、村端浩さんである。Kへの誕生日プレゼントとして野菜をお送りいただいたが、私にもお裾分け。 本当に手塩にかけて育てられた野菜たちだ。Mooさんは農家出身ではないし、農業従事者でもない。富山市の元海軍通信兵だった郵便局員のお父様と音楽教師の母上様の間のご長男だ。東北大理学部数学科の学生として仙台に4年暮らし、名古屋で教員生活を始められた。そして郷里の進学校でも教鞭を取られ、後上京、当時は首都圏最大生徒数を誇った塾で最高水準の数学と算数指導をされるのだが、そこで私は知遇を得た。今年一月に傘寿を迎えられた。 私は1994年に再デビューできることになって塾を辞めたが、2000年に復帰の際はご尽力をいただいた。そしてまもなくMooさんは安曇野池田町に家を建て、お連れ合いと移り住まれたのだった。その時から始められた耕作。以来何度その恵みをいただいてきたことか。 凝り性でいらっしゃるのは間違いない。PC関係の深い知識と技術、蔓工作などすぐに頭に浮かぶが、何より被災者支援や平和・護憲運動、バラ園造成・運営、町政への提言などにリーダーやリーダーの一人として密度濃く関わり、また松本市で子ども塾や子ども食堂への無償教育支援、食糧提供もされてきた。すべてにおいて、「そこまでやられますか!」と舌を巻くレベルで尽力され、成果を上げられてきた。 偉人である。 そう称揚したら、間違いなくMooさんは激しく謙遜されるはずだ。しかし本当に、私の交際界で「偉人」と言える唯一の人物だと思っている。 一言で言うと、Mooさんは慮りの人、もっと簡単に言うと、やさしいのだ。 今回の野菜の梱包の仕方にもその「慮り」が如実に現れている。ギュッと詰め込んでいるけれど、できるだけ輸送中に傷まないようにひとつひとつの野菜の詰めかたに配慮がされているのだ。とにかく丁寧、なのである。空間を最大限活かしつつ(数学者として流石の空間認識)、しかも各野菜が押し合って傷め合うのを極力抑えている。 Kもきっと梱包を解いたとき賛嘆の声を上げたはずだ。...

昨日は「會津人」3人の酒宴だった

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昨日は転石会、御大=「藤倉かつMick」と栗田三代将軍栄光(えいみつ)、急遽参加の義父の娘と4人、笑ってばかりの2時間半でした。 上の写真は豪徳寺の門のひとつ。棟板金の家紋は彦根藩主・井伊家のもの。旧ブログで再三書きましたが、藤倉家は上州・桐生の<根本>山神社の十数代に亘る宮司の家系で、桐生には井伊家の領地があり、根本山神社及び大正院は井伊家の庇護を受けていました。その意味では、豪徳寺と同じだったと言えます。世田谷と狛江はやはり井伊家の武蔵国における領地で、招き猫伝説*は有名です。 *伝説の内容 江戸時代初期(寛永年間頃)、彦根藩主・井伊直孝(いい なおたか)が鷹狩りの帰りに、当時は貧しい庵だった「弘徳院」(豪徳寺の前身)の門前を通りかかりました。門前にいた一匹の白猫が、しきりに手招きをして直孝一行を招き入れます。不思議に思った直孝が寺に立ち寄り、和尚のもてなしを受けて法話を聞いていると、突然激しい雷雨が降り始めました。猫のおかげで雷雨を避けられ、和尚との会話も楽しめた直孝は大いに喜び、「この幸運は猫が招いたものだ」と感謝しました。その後、直孝は寺を支援し、多くの寄進を行って再興。井伊家の江戸における菩提寺と定め、寺号を「豪徳寺」と改めました。猫が亡くなった後、寺ではその猫を「招福猫児(しょうふくねこ/まねきねこ)」と称して祀り、招福殿を建てて感謝を表しました。これが招き猫の起源になったという話です。 そしてその桐生・藤倉家が、蘆名一族の藤倉=金上氏の末裔ではないかというのが私の説。 国の重要文化財である「藤倉二階堂」は奈良・平安期の僧・徳一の創建と言われていますが、これが会津若松市倉橋字藤倉に在るのです。 三浦義明の末子と言われる佐原義連の三男・盛義が義連からこの藤倉の地に所領を与えられ初代藤倉氏を名乗ったとされます。その盛義の孫の藤倉盛弘が会津坂下町金上に領地を得て金上氏を称します。そして今は新潟県東蒲原郡となっている麒麟山城=津川城の城主となるのですが、摺上原の戦い(1589年)で伊達政宗に蘆名氏は滅ぼされてしまう。当然一族の藤倉=金上氏も會津を追われるのです。 そうなれば、藤倉=金上の生き残った者たち( 摺上原の戦いで当主盛備は討ち死に) は南へ行くしかない。元々蘆名氏ではなく養子に入ったそのときの蘆名氏当主義広は実家の佐竹氏領地の常陸(東南)へ逃げましたが...

文月雑記 3 〜Kも私も貰い物

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二日ぶりの早朝potteringであった。写真は今朝の世田谷区岡本の無名塾(兼故・仲代達矢邸)を右に見ての谷戸川へ下る坂(「無名坂」と言うらしい)。勾配が写真では分かりにくい。 * さて今日はMick師匠を囲む会である「転石会」の今年度会合がある。とは云え、会員の過半数が都合がつかずに欠席となってしまう。残念だが、それぞれが体調か仕事という事由だからどうしようもない。ゆえに12.12の私主催のギグで異例の(!)第2回転石会としようではないかと提案中である。 今晩はMick師とK、そして私が集う。そのKだけれど、なんと昨晩Mooさんから私にメールが来て、氏がKに誕生プレゼントとして自家製野菜を送りたいから住所を教えてくれとのことで、うれしいうれしいサプライズとなった。氏の安曇野池田邸へKは3回行っているが、親友扱いをしていただき、私にとってもありがたい限りだ。 * ポタリングから帰ってきて、塀際の掃除をしていたら向かいのNさんが「紫蘇は食べられますか」と声を掛けてこられた。「え?紫蘇ですか。ああ、いいですね。」そう私が答えると小さなサンハウスのようなところへNさんは引っ込んで行って、数分後摘んできた青紫蘇、つまりは大葉を、十数枚そのまま手渡してくださった。 「いやあ、まさに早起きは三文の徳です。ありがとうございます!」 そう言うとNさんは破顔一笑したっけ。

Many Many Many Happy Returns! EMI.

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  写真は昨夏のもの。世田谷区梅ヶ丘で撮った朝焼けと虹。同じ写真を去年上げて記事を書いたかも。確かめるの、面倒くさいです。 * 今日はKくんのお誕生日。Many Happy Returns!の挨拶を心から祈りつつ彼に捧げるものです。 さて、Kの最新Vlog、興味深いものになっています。 https://www.youtube.com/watch?v=zKEPsTf96fs&lc=Ugz43Fz_peRn9mSqLmd4AaABAg.AZdtHjwEWq_AZes5zR2S1X 彼は相当に赤裸々な告白(?)を<全世界に向けて(笑)>発信することが頻々としてあるけれど、今回のもその類い。警備会社に出向くよう要請された現場が、彼にとってもっとも忌避したいところにほぼピンポイントで合致したのです。 なぜKがそこで絶対に仕事をしたくないか、そしてその要請についてどう返答したか、もしよかったら、ビデオを見てください。 また彼の元(いや、現役?)グラフィックデザイナーとしての確かな腕も披露されています。 さらに、いかに粗忽者であるかも。まるで落語です。(「MNEMOに言わっちゃぐねぇ」とつぶやく彼が見えます。) 追記 Vlogでの彼、上の前歯が悉くないのです・・・差し歯取れた? * 昨夜は久しぶりの長時間英語レッスン。そうです、夏期の特別シフトが始まりました。とは云え、コマ数をどんどん減らした今年度、そうキツくはなく、「英語脳」の少なくとも現状維持のためにもしっかりやりましょう。