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味のある手練の字が好き

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砧公園の「銘木百選」シダレヤナギ。美しい。 昨日は義父の娘と「記念日」を祝った。5の倍数周年だったのだ。感謝ばかりの5x年であった。 Xで拾った画像。ちばてつやさんの肉筆。達筆だ、さすがである。「祐」の字で特に分かるが、筆順が正しい。「輔」の字も同様。 私は字の美しい人が好きだし、尊敬する癖がついている。ただ巧いだけでもいいのだが、しかもその人の味がある字がやはり好ましい。MooさんとKという、このブログでの馴染みの二人は、いずれも能筆家だ。 揮毫をよくする将棋棋士では、ダントツに故・大山十五世名人がいい。中原十六世も。現役では木村一基九段が端正な字を書かれる。味はやはり歳を重ねないと出ないものか。しかしH九段の字は・・・。言うのやめておこう。 亡き父、亡き母ともいい字を書いた。特に母の字が好きで、私は似たような字を書く。母の兄は達筆もいいところで、作品を多く遺した。絵も描いたから、俳句絵(俳句結社の一員だった)はもちろん、賛や、詩や、悟(一目上がり)も遺したろうけれど、目にはしていない。残念。 父はひたすら味のある字を書いた。レタリングのプロであるKが絶賛する「ねもと」の母が営む化粧品店のロゴは確かに親父さんの傑作だった。 さて、これから仕事だっちゃ。  

Rest in Peace, Mr Chiba

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  昨日正午前、喜多見ふれあい広場から成城4丁目の丘を望んだ。我が歌「I Love You Too」はここに捧げたもの・・・誰も知らねぇよ! * ちばてつやさんのご逝去で多くの人が哀悼の意を表している。「九条の会」の賛同人でもあった方で、会はまた貴重な会員を失った。 なにしろ『あしたのジョー』だろう、ちばさんの代表作は。この長編のラストシーン、ジョーの髪が白くなって、彼は微笑みながら目を閉じ下を向いている・・・。余韻が凄まじかった。おいらは15歳だったんだなあ。 ちばさんの絵が好きだった。巧いし、好みだった。特に目の描き方が。 おもしろいことを思い出した。『ハリスの旋風』というちばさんの作品があって、TVアニメにもなった。で、なぜ「ハリス」なのか先ほど調べてみたのだ。 これが放送されたのはおいらが9歳の頃、その当時はなぜ「ハリス」なのかを知っていたのだった。主人公石田国松が通っている学校が「ハリス学園」なのだが、その「ハリス」とは実はスポンサーの「カネボウハリス」という菓子メーカーとのタイアップからのことだったのだ。 我が家は父が公務員、母は化粧品店を営んでいた。母はカネボウも資生堂も両方扱っていた。ほぼ毎月(だったと思う)両方のきれいな「美容部員」さんが来て、小学生のおいらはチヤホヤしてもらって満悦していたものだ。それはいいとして。 カネボウがガムも売っているということで、とうとう母が数種類仕入れることになった。隣がお菓子屋さんで、「ああ、俺んちもお菓子屋ならよかったのに」と常日頃嘆いていた小僧は舞い上がった。その商品のうち「チューイングBON」というガムは画期的なキャディーとガムのハイブリッドもので、しばしばちょろまかして食べたものだった。母ちゃん、あらためてごめんなさい。 そんなすっかり忘却していたことを思い出させてもいただき、ちば先生、本当にありがとうございました。お安らかに。

「明日木枯らし1号か」雑記

昨日の記事は普段の半分の人しか読まれていない。半可通的な哲学咄はウケないのだ。でも、いいのだ。 * 家から歩いて7分、だから駅からおおよそ12分の距離にある築26年の4LDK「マンション」が売りに出されていて、なんとそのお値段「11,980万円」也。どうかしている。こんな値段、バブル期にも見なかったような気がする。築26年ですぜ。国民のみなさま、こんなんでよろしいんですか、本当に。パーな与党議員が審議中に爪の手入れしていて膨大な額の歳費の「いただき女子」になっているとかさ。ざけんな。 * 西山朋佳さんが晴れて棋士になると。とうとう「女流」ではない<女性の>四段が生まれるのだ。逆差別反対の私だけれど、女性棋士第1号が出るとすれば、奨励会三段リーグで14勝4敗という昇段が決まって当然とも言える成績を残したことがある西山さんこそふさわしいと思っていたから、そんなに抵抗感はない。それでも急拵えと言っても過言ではない制度(女流棋戦の最高タイトル5期獲得で棋士になれるとする)を作っての無理矢理はどうしてもいただけない。今回の措置は、次善手以下だろう。最善手では絶対ない。まあ、それでも将棋は形勢悪くならず進むだろう。 * 會津と安積(=郡山)の中高合唱団がタイトル総なめ状態とか。すごいね。福島県の合唱レベルは昔から高かったが、ここまでとは。 小四の時だったか、中田直宏作曲・近江靖子作詞の「ブランコの空」がNコンの課題曲で、五年生と六年生の声のいい人たちが選抜されて、夏休みでも体育館でずっと練習していて、校庭でソフトボールなんぞをやっていたオラは聴き惚れていたもんだったなあ。 https://www.youtube.com/watch?v=iEyz_den2ps ピアノは誰が弾いてた?外山先生?指揮は我が担任の山内先生だったなあ。どこまで勝ち進んだもんだか、すっかり忘れた。もう60年も前の話になるのか・・・。 * 明日東京では木枯らし1号が吹くらしい。いよいよ初冬の風情だ。まだギリギリ晩秋だけれどね。「 Forever Autumn 」と「 I'd Really Love to See You Tonight 」が似合う時季。

ウ!

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野川を<遡上>する川鵜の群れ。「カワ・ウ!」と、いつもこの子らを見るとマンボ調で言ってしまう。 カワウやウミウはかつてペリカン目とされてきたけれど(私もそう信じてきた)、近年は分子系統学の発展でカツオドリ目と改められた。最近縁のヘビウから分岐したのは、約2800万〜3200万年前の後期漸新世だったらしい。ウたちは、一体どれほどの時の長さでこういうことをしてきたのかと上の写真を撮ったときに思ったが、途方もない時の長さだった。現生人類は発生してたかだか30万年、桁が違う。 Richard Dawkinsに拠れば、生物はみな利己的遺伝子の乗り物だけれど、その<遺伝子のために>生きて死ぬなどというアイディアには到底賛同できない。たとえ「vehicle」であっても、乗り物には乗り物のlifeがそれぞれにあり、それぞれの完結の日を迎えるのだ。 「La lutte elle-même vers les sommets suffit à remplir un cœur d'homme. Il faut imaginer Sisyphe heureux. (頂上を目指す苦闘そのものが、人の心を満たすのに十分だ。シシュポスはきっと幸せだったに違いない。)」 カミュが『シーシュポスの神話』で書いた一文だ。「徒労」であっても心はそのプロセスの中で満たされることがある。ニヒリズムに陥るしかないような日々であっても、そんな人生が永劫に回帰しても、「Ja!」と<言うしかない>のだ。 ね、Friedrichさん。

ただの雑記

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先ほど大蔵運動公園の、東名高速を下に見る西の端で撮った、大方には何のポイントも感じられないだろう写真。ほぼovercastな曇天に、少しだけ覗く青空がポイントなんだけんども。(笑)カミュと同じで、かういふ青空、あっしも好きなんでさぁ、と電線が邪魔しないところを探して撮ったんでござんすよ、えぇ。 * 松井秀喜氏がGiantsの監督に。へぇって思ったなあ。今の日本プロ野球全体やあの読売グループの球団がどんな状態かよぉ分からんさかい、火中の栗を拾うようなことなのかどうなのか、知りまへんけど、彼のことは好きなので、「幸運を」とエール。あんな大打者を、彼がワールドシリーズのMVPを獲ったその年にYankeesは馘にしたのだ。以来判官贔屓。 * 義父の娘が昨日買い物から帰ってきて、「おみやげ」と言い渡してくれたのがTシャツ。「世田谷ライフ」とのデザイン化された文字が大きくプリントされているものだ。私が世田谷暮らしにほぼ満足していることを知ってのことだけれど、あんまり着たくないというのが本音。「砧、成城、用賀、岡本ライフ」というデザインだったらいいかな。「本拠」をもっと絞ってくれれば、という感じ。砧に住み、歩きでも、自転車でも、ほぼ必ず成城か用賀・上用賀や岡本を通るからだ。 過日YouTubeで黒澤明監督の「乱」関連の動画を見たのだけれど、一文字秀虎らが狩りの後の酒宴を野外で催すシーンを撮るところで、監督と秀虎役の仲代達矢さん、そして藤巻信弘役の植木等さんがフィーチャーされているものだった。そして見ているうちにすぐこのお3人はみなご近所さんだったことに気づいたのだ。黒澤監督は成城、仲代さんは岡本、植木さんは最も近いご近所さんで砧の住人だった。 緑多き、大きく言って多摩川のほとりに暮らした・暮らす者同士としての親近感は、強い。たとえ私とは比べようもない偉大なご近所さんであっても。 

大反響するつぶやき

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  数日前の砧公園。日の出直後、ご老人が独り前を歩いておられた。 この方は何を思っておられたか。自分固有の人生史を辿ってきて、早朝の公園を独り歩く。もちろん、「mind-wandering」の状態であって、特定の何かを考えておられたわけでもないかもしれない。 自分はどうなのだ。私も未明や早朝に独り自転車に乗っていたり、歩いていたりする。自分史の一片のことを考えていたり、カラスに近づきつつあって、警戒されているのを意識してその思考が中断したり。社会のことを少し考えていて、どなた様かの家の生垣に朝露を纏い美しく咲く一輪の小さな秋薔薇(あき・そうび、と読んでください)に目を奪われて、「ああ、我、花鳥風月をのみ尊ぶ」と呟いたり。 人類はほんたうに正しい道を辿つてゐるのでせうか 「正しい」って何?そんなことを突き詰めて考えてみようとする。哲学者・倫理学者気取りだ。するとGeorge Harrisonのビートルズ晩期の名作「Old Brown Shoe」の1ライン、「Right is only half of what's wrong」が口をついて出てくる。当時たった25歳の若造が、duality(二元性)を主にインド哲学など東洋思想を研究しだして、東洋思想、特に易の思想に打たれた量子論の先駆者ニールス・ボーア並みに「Contraria sunt complementa(相対立するものは互いに補完する)」という「真理」を知ったのだった。 とはいえ、この歌の詞は多分に言葉遊びからできている。後韻を踏むための、印欧語による詩の宿命だ。先の「正しいとは間違ったものの半分に過ぎない」という面妖なラインの後、「I want a short-haired girl  |  Who sometimes wears it twice as long」などと歌っているのだ。「髪がショートの女の子がいいな  |  で、その子、ときには髪が倍の長さになってもいいな」などと今度は<不埒な>half対twiceのdualityを開陳するのだ。 この曲を私が初めて聴いたのは小6だった時か。シングル『ジョンとヨーコのバラード』のB面曲だった。小学生がオクシモロン(oxymoron=撞着語法)やパラドックスを含む歌詞を鑑賞できるはずもなく、ただただ曲と演奏のすば...

晩秋雑記

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  3日前だったか、世田谷区深沢の駒沢通り、夜明け。家の近くの放射状主要道路は世田谷通りだけれど、それに平行する南のカウンターパートは駒沢通り。駒沢通りは起点が渋谷区広尾で終点が二子玉川の多摩堤通り交差点。つまり多摩川にぶち当たってまっすぐにそれ以遠はいけない。一方世田谷通りは世田谷区三軒茶屋を起点とし、狛江市と川崎市多摩区を架ける多摩水道橋で津久井道となって一応小田急線鶴川駅近くで終点となるわけで、道なりにずっとまっすぐに行けるがゆえ交通量が「世田道(せたどう=世田谷通りの略称)」の方が多いから、とにかく混むのが嫌いな私にとっては駒沢通りの方が好きなのだ。途中駒沢公園も通るしね。 だからどうした。 * 今朝はこれまでより一段と寒くなって、自転車乗りはやめて、薄手のコートを着て歩き出した。青空も少し覗いているところがあったが、ほぼ全天雲に覆われていた。今これを書いている部屋の窓には日光が差している。雲が取れたんだね。 * おととい書いた件の「ライブハウス」などを経営する方のムスリム侮蔑投稿はX上で大きな話題になっている。その方を擁護する、あるいは一部批判しつつも全体として擁護する人の投稿も<散見>されるが、「ハコ」ないし「コヤ」(=両方「ライブハウス」のこと)のボイコットを訴えるミュージシャンたちに抗う音楽人もいて、まあ、その人たちは自由にその場を使い続けたらいいと思う。 <そういう認識の>ミュージシャンたちが集う「ハコ」としてニッチ(niche)を確保すればいいのではないですかね。誰もその権利を剥奪などできない。ただ、音楽とは同じ人間を不当な理由で差別する精神により奏でられるものではない、と私は言うのです。 * あ〜、今日は高3の生徒さんたちとの勉強です。テスト作んなきゃなあ。彼らのため、しっかりしたものをまた作ろう!