松陰神社近くのLAWSONで攘夷を論難す
「先進国」では、社会成立の基盤となる仕事を支える人々がそれほど有り難がられず、そのまま階層的にも底辺的扱いを受けてしまい、一方ほぼ必然的に少子化し、教育投資はその少数の子どもに注がれ高学歴化して、そうした社会基盤を担う仕事になど全く就こうとしない中、発展途上国などからの人々にその役割を押し付けて、「先進国に住めて良かったな」というような態度をとっていたら・・・ そしてその外国から働きに来た人たちの家庭において相対的に出生率が高くなり、その「先進国」が乗っ取られるのではと危惧し、元々の差別意識をさらに増幅していく・・・ 欧米のいくつかの国で起こっていることというのは、そういう図式ではないと言い切れるだろうか。 日本だってそうなりつつあるのではないか。自分らで社会の基礎を成す仕事に就かず、外国人任せにし、そして勝手に「外国人が増えて怖い」だのなんだのと言う。 外国人たちが犯罪に手を染めている、治安が悪くなったなどと非難する人たちがいるけれど、人間社会である以上一定数の犯罪はどこででも、何人(なにじん)であっても、起こるものだ。 某国の者たちは、公共心が育たぬ文化を持っていて、日本人からすればそれは社会への害悪などと主張する人もいるけれど、日本人にだって公共心を持たぬ者などわんさかいる。私は毎日、数は少ないけれども、そんな者を目にしている。 今朝は久しぶりに世田谷区梅ヶ丘の方へ自転車で行った。前にも書いたが、松陰神社の近く、国士舘高校の直近に在るLAWSONとその辺りの雰囲気が好きで、今回は以前記したLAWSON店員とは違う、やはり南アジア系の青年が応対してくれたのだけれど、そのしっかりした応接の態度に心から敬意を持ち、またうれしくなった。外国人スタッフの立派な接客態度についてはここばかりでなく、他の店舗のこととしても言及してきた。だから稀有な例ではない。 日本語ができ、コンビニの複雑な業務を比較的低賃金でちゃんと丁寧にこなせるこうした外国人青年のようにできる日本人がどれほどいるというのだろう。 私は日本が単純に移民を増やせばいいなどと思ってない。そんなはずはない。ある国の独特の文化・習慣や言語、思想が守られねばならないと考えるのは、例えば失われてしまったに等しいアイヌ語をなんとか残してほしいと思うことに通じる。 ある国や民族が持つ独自の文化・習慣や言語、思想...