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2026 四月朔日雑記

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ブログとかやっている人の中、きっと多くが書いていると思う、「April Foolでも、この世があんまりアンビリーバボーなことばかり起こっていて、それを上回る嘘が思いつかない」と。 * 写真は去年の狛江市西河原公園。この道も百万回(!)昼夜問わずに歩いてきた。いろんなことを考えながら歩いたけれど、その思索はどこへ行ったのだろう。なんだか滞留しているような気がする。 * 金沢大学に合格したTさんからお菓子を送っていただいた。そして便箋2枚分のお礼の言葉。うれしかったなあ。金沢は数回訪ねているが、いい印象しかない。最初はG Stringのプロモーションでであった。冬で、雪の金沢だった。うまい魚を食べさせてくださる居酒屋、一泊して朝に金沢城公園近辺を歩いた。北陸の雄・加賀様のお膝元は見事な風情の街だった。いいなあ、Tさんはそこで学べるんだ。実り多からんことを!

多摩川の空

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え?国蝶のオオムラサキ、世田谷に今出現? いいえ、昨日は代休が取れた義父の娘のリクエストで多摩動物公園へ。そこの昆虫生態園での一枚。今まで3度多摩動物公園へ来たけれども、なにしろこの蝶の大温室が一番好きなのだ。初回は娘と共に来たもう30年も前のこと。温室内をヒラヒラと飛び回る約2,000頭の蝶たちの美しさ、のどかさ、愛らしさに目も心も奪われたっけ。2回目は義父の娘と来たわけだが、それも13年くらい前で、今回初めて老人割引を受けた。なんだかうれしくないような、うれしいような。 行きは私が好きな旧甲州街道をメインにして行った。帰りはそれこそ30年ほど前に何度も通った日野のスタジオからの帰り道である川崎街道をメインにした。ただしそのルートは30年ぶりではなく、14年ぶりであった。2012年、Mooさんの仲介で大町市の高校生たちを急遽お教えするようになったときに、中央高速に乗る前、調布から乗らずわざわざ八王子インターから信州へと向かったのだった。もちろんそのときは16年ほど前のことが懐かしかったからだ。 その30年ほど前の日野でのレコーディング・セッションからがっちゃんがG Stringに加入してくれたのだった。 * しかしね、田舎出身の者たちにとって東京・多摩地区は本当に馴染めるところでね。まさに「多摩なんて田舎モンばっかりじゃん」などと言うヤツがいるけれど、上等だ。その通りだと言ってやるよ。23区の狭い空の下、ゴチャゴチャ暮らしているのが都会人だって言うなら全くそれで結構だよ。 私が狛江に引っ越したのも、直前まで環七近くの高円寺南という「ほんたうの空」がないところに暮らしていて病みそうになったからなんだ。その頃よく遊んだ向ヶ丘遊園近くに家を持つ「後輩」のクルマに乗って、狛江市をよく通過した。そのとき、東京にも空があると知ったと言っていい。 田舎っていうのはね、つまり、広い空が望めるところ、ということなんだよ。 帯広の在郷から上京したがっちゃんが最初まず多摩地区住人となったのは幸運だったのではないか。そのスケールは十勝地方の空にはもちろん比べるべくもないけれど、もし23区に最初から暮らしていたら、きっと閉所恐怖症的な症状が出ていたのではないかと思うよ。 彼は最近まで数年城東地区、もっと言えば濹東で暮らしていた。そしてやはり多摩地区へ帰ってきた。 私が住む世田谷区は23区で...

2026 弥生二十九日日記

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昨日成城4丁目と喜多見9丁目に挟まれた野川へ桜を見に自転車で行き、次に狛江へ。 狛江在住時、元和泉1丁目の泉龍禅寺隣の弁財天池緑地で出会った、ミズキの木の若葉の美しさ。久しぶりに会いに行った。 それから同・2丁目五本松付近の桜並木へと足を伸ばした。 すると着信音。チラッと見るとがっちゃんから。自転車運転中ゆえ開けるのは後回しにしたが、帰って見てみると、 この添付画像と、<ここが18歳からの安らぎの場>という趣旨の本文があった。ここは調布市染地2丁目の多摩川・二ヶ領用水上河原堰だ。狛江五本松から1.5kmほど上流。この堰の上流側は波がほとんど立たず、夕焼け空を鏡のように映すすばらしい場所なのだ。この画像が昨日のもので、がっちゃんとニアミス(?)していたのかは敢えて返事では問わなかった。 「18歳から」というのは、がっちゃんが帯広近郊から上京して以来ということ。調布市布田の音楽学校へ入り、プロのギタリストになるべく勉強を開始した歳だ。そこでドラムを学ぶスティックと知り合ったのだ。 私は五本松から下流方向(東)へ移動した。つまりは世田谷・二子玉川や羽田方向ということになる。上の写真は、冬枯れの景を数ヶ月前撮ったのと同じ場所、アングルで撮影したもの。 そして数日前書いた狛江高校敷地西南端の「なんのことはない場所」を通って、砧へと帰って行った。 春風そよ吹く佳い昼下がりであった。 花見する我もあなたも また一年

ナフサ枯渇で医療崩壊が起こるぞ

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  昨夜砧公園へ行った。夜桜見物とかというつもりではなく、単に運動のため、歌を唄うためだったが、さすがに幻想的とも言える美しさにシャッターを切った。 * まず、私は菅野完氏のファンではないことを断っておく。彼のYouTubeにおけるウィークデイの生放送番組は10分と続けて見ていられない。間が嫌い、比喩が下品で嫌い、視聴者を「お前」呼ばわりで大嫌い・・・他にもいろいろ理由があるが、書くのはやめておく。ただし、彼の批評論評は鋭く、その批判精神に基づく行動力も抜群で、そこは頭が下がる。 * 中国大使館に現役の自衛官が刃物を持って侵入した事件は本当に深刻だ。高市首相も小泉防衛大臣もタイミングを逸してコメント、しかも「遺憾」だけ。謝罪しない。「遺憾」は欧米人に対してなら「ごめんなさい」の方の「We are sorry」の意味だと逃げることもできるけれど、相手は漢字を生み出した国だ。「遺憾」では謝罪というより「憾みを遺す」、つまり「残念だ」でしかない。 逆のことが起こったらどうだ?在中国日本大使館に中国軍軍人が刃物を持って侵入したら? 本当に我らが首相様も防衛大臣様も「程度・能力が低い(菅野氏のペットフレーズ)」。中国憎し、中国は脅威ということでこうしたこと(台湾有事は日本の有事発言も入れて)を繰り返して一体どんな国益につながると言うのか。 昨日新宿で、高市政権反対、「中国ごめん」デモがあったそうだ。Twitterで、そのデモ集団の中に入ってきた排外主義者たちに対し「レイシスト帰れ!」とシュプレヒコールが巻き起こった様子を撮ったビデオを見たが、なんとその声の主体がどう聞いても若い女性たちだった。頼もしい。 イランとの交渉をしない高市。日本のタンカーがホルムズ海峡をきっと渡れるのに渡らせないままにしているのはイランではなく交渉を持ち掛けない日本政府であるらしい。それゆえ、医療用機器や用品に欠かせぬナフサが入らないままになっていて、このままいけばまもなく人工透析を受けている人たちや、1型糖尿病の患者さんらを中心に絶望的な状況が訪れてしまう。また石油の備蓄分も必ず枯渇する。 中国人嫌いは結構だ。好きにしろ。しかし、持ちつ持たれつのグローバル経済(自民党も推進してきたろうが!)において、昨日も書いた、一国家国民や民族を無謀に大きな主語にして、己の偏見と狭い視野だけで日本の全国民...

なぜそう単純化できるのか

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昨日の仙川、向かって右側が成城1丁目、左側が砧7丁目。東宝砧撮影所の建物がいずれの側にも在る。1958年の狩野川台風でこの川が氾濫したとき、三船敏郎さんが所有するモーターボートを出し孤立してしまった住民を救出したというのは成城界隈では有名な逸話だそうだ。ちょうど『隠し砦の三悪人』のロケ中で、しかし台風のため休みになっていた折のことだそう。成城警察から感謝状を贈呈という話になったが、三船さんが固辞、マスコミにも話すなと言ったのだとか。 そんなこともあって、写真のように後に護岸工事が行われ、岸辺がなくなってしまっている。この仙川は世田谷区鎌田3丁目で野川に合流、その野川は同・玉川1丁目で多摩川に注ぐ。二子玉川駅のすぐそばである。なお水源地は多摩の小金井市貫井北町3丁目で、標高が68mほどという。世田谷区の平均標高は32~35m辺りというので、その落差で仙川は流れているのだ。 * 菅野完氏の「切り抜き」動画をチラッと見たら、彼が神戸にてタクシーに乗り、その運転手さんとの会話で、「弱者」というものの典型を見たというような話をしていて興味深かった。 運転手氏は中国と韓国に強く当たる高市さんを「ようやっている」と大いに支持していると言ったそう。なにしろこの2国を叩いてくれれば快哉、ということらしい。そして「むずかしいことはよう分からんけど」と言いつつ、あの高市訪米も成功だったと褒めたという。 菅野氏は、「そうですかね。トランプんとこへ習近平や中国の悪口、台湾のことを話しに行ったのに、イランの話ばかりさせられて帰ってきてますやん」と応じ、運転手氏は「なにしろ俺は(高市が)中国と韓国のことをガツンと言うてくれたらええねん」とおそらく気色ばんで言うと、菅野氏は「そうね、田舎の弱い人ってそういうこと言わはりますね。」 するとなんと、その運転手氏が「ウワアアアアア!」と奇声を発して固まってしまったそうなのだ。そして途中でそのタクシーを降りた、と。 自分の嫌いな者(たち)を叩いてくれる人を応援するという図式、これが今の日本でも、アメリカでも、イギリスでも、どこでも大いに見られるのではないか。その叩く者も応援する者も「弱者」だと菅野氏は言うのだろう。 私はいつも思う。中・韓の人々をなぜ一緒くたに語るのかと。どこの国の人間だろうが、善人も悪人もいるに決まっている。民族的に一様にいけ好かない人ば...

何のことはない場所だけれど

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1週間くらい前に撮った、登戸を望む狛江市元和泉の多摩川土手からの風景。もう何千回と歩いたり自転車に乗ったりして走ったその土手道。朝昼晩、深夜を問わずだ。そのたびこの川辺の空間に包み込んでもらった。 この写真を撮った日、私は特に好きだと思える場所があることに気づいた。そこは都立狛江高校の敷地の西南端、下の写真を撮った木立があるところだ。 この写真はもう13年以上昔に撮ったのだが、その時私を包み込んでくれた空間、空気感をよく憶えている。新年明けて、その夕暮れに散歩に出たときのことだ。 木に止まっているのはカワラヒワで、囀りもせず、本当に静かな夕暮れだった。 そのときが殊の外慕わしいものになったのは、生活が満ち足りていたからとか、そういうことではない。<この時空>に包まれるために過去の全てが推移してきたようだと瞬間に思える安らぎがあったからなのだ。 元日の夕暮れ 鳥も 黙しをり

ありうる最悪を想像し、その芽を摘もう

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  想像力だ。 上のような長閑で平和な光景が一瞬にして地獄絵図になる様を想像してみてくれ。そんなことしたくないさ、でもそんなことが起こっているんだ、起こってきたんだ、世界の至るところで。 みなさん、ただ、あなたたちの一人ひとりが、そういう道に進む可能性のある未来を選ばないと肝に銘じるだけでいいのです。 私は、たとえばイランの何の罪もない160人とも言われる生徒児童を殺しておきながら良心の呵責のかけらさえ示さないトランプやヘグセスを心の底から呪います。戦争にはつきものだくらいにしか思っていない。しかも、自分らから奇襲して仕掛けた戦争なのです。 そんな二人がいまだに合衆国大統領であり、戦争省長官なのです。 子ども大量殺人犯が、威張っている。 こんなことが今の世に起きるとは想像だにしていなかったですよ、私は。だから、みなさん、最悪の中の最悪の事態を想像して、芽があれば摘み取るしかないのです。 新たな5.15や2.26も段々絵空事ではなくなってきましたよ。