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サポートしてくれるメンバーがすごい

12.12 MNEMO  Live at Metta   でMNEMOをサポートしてくれるのは、 岡野治雄  bass https://ja.wikipedia.org/wiki/EUROX 嘉多山信  guitar https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E5%A4%9A%E5%B1%B1%E4%BF%A1 杉山靖幸  drums https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9D!%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89 という3人です。 なんとMNEMOは幸せなシンガーでしょうか!

12.12 トリ曲は『Today』

12.12 MNEMO Live at Metta   のテーマは 『Today』 です。 https://www.youtube.com/watch?v=QPujEOaYaSc 会場のMettaは、こちら・・・ https://barmetta.tokyo/ 駅から5分とかかりません。ウルトラマン商店街(祖師ヶ谷通り)の 砧側(駅の南側)、スーパー・オオゼキ砧店(駅から見て)手前のビル地下です。 * 実は、私には今闘病でつらい日々を送っている友人がいます。(Kではありません。)その友人の快癒のため、彼が絶賛してくれたこの Today という歌を捧げたいと思っています。ライブ演奏当日までには彼が恙なく聴衆のひとりとして来て聴いてくれるまで回復していますように! この歌を含め、きっと「お遊びタイム」のも入れて、おそらく20曲は歌うでしょう。その「お遊びタイム」では飛び入りも歓迎するつもりです。 2026年12月12日 土曜日 午後5時開場 スタートは5:30 (貸切終了時刻は午後10時です) 木戸銭等のことはK作成のフライヤで発表します。

ウルトラマンたちはニライカナイからの「まれびと」か

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  砧7丁目(円谷プロが在った)の公園に3年前建ったウルトラセブンの像。 私は旧ブログにも書いたのだけれど、小5、6の頃にはすでに「ウルトラ・シリーズ」には飽きていました。「セブン」が最後のワクワク・コンテンツだった。イニシエーションはなんと言っても「ウルトラQ」だった。まさにTVの前に釘付け。 だんだん思春期に近づいて、まず「ウルトラ・シリーズ」ではなぜ日本ばかり異星人に襲われるのかという疑問から始まって、なぜウルトラマンやウルトラセブンは伝家の宝刀の光線やブーメラン様の武器を最初から使わないのかという隔靴掻痒感を伴う疑問に苛まれる(笑)ようになったのでした。そんなませたことを言う小学校高学年生は円谷プロにしてみれば「見なきゃいいんだよ」でおしまいだったでしょうね。 もっと深い疑問は、30歳手前の頃だったと思いますが、カール・セーガン教授の『コスモス』TVシリーズを見てから湧いてきました。地球外生命はいるのかという問いについても教授は語っていました。それはもう、答えはYesに決まっていますね。 そこで考えた。恒星間を行き来するには途方も無い技術が必要で、そんな科学技術力を獲得するような生命体が圧倒的に文明度が低い他の恒星系の惑星に住む生命体を襲うなどということはあり得ないはずだ、と。その技術力に到達したのは、その「宇宙人」たちが己の惑星における争いで核戦争での自滅などを乗り越えてきたからこそでしょう。強力な技術力を持つことはすなわち強力な<倫理哲学力>を備えていることを意味するはずです。 自分たちに比べての地球人の進化の違いを<物見遊山で見学しに来る>ことはあっても、滅ぼしに来るなどということはあり得ない、と。 * https://www.youtube.com/watch?v=8-zoiIn2HzE&list=LL&index=39&t=1347s 円谷プロの脚本家金城哲夫さんに焦点が当たったNHKドラマです。沖縄出身者としての視点がウルトラマンやセブンなどに反映されているのをこのドラマで知りました。

12.12 MNEMO Sings Again

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  昨日上げた写真を撮った後、雲が太陽を覆ったのですが、それゆえ見える物の輪郭が鮮明になったところで一枚・・・砧公園バードサンクチュアリ前の花畑です。 * 治雄ちゃん、スティック、がっちゃんの厚意があって、今年 12月12日土曜日、単独ライブ演奏 をすることになりました。本当に久しぶり過ぎて、いつ以来のことかno ideaです。 オーディエンスが30人にもなれば立錐の余地のない「コヤ」でのこととなります。場所は世田谷区砧、私には歩いて7分とかの距離に在るvenueです。昨日違う日程でブッキングしてしまっており、急遽都合が悪くなったメンバーがいて、今日あらためて予約し直しますゆえ、確定しましたら所在地等またここに書かせていただきます。

杜、森

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砧公園バードサンクチュアリの椅子に座ってさっき撮った一枚 逆光ハレハレだけど、まあ、いいや * 私が神社仏閣が好きなのはなにしろまず杜があるからさ。都市の中でも田舎でも、木々に囲まれる神社仏閣の建物の美に感嘆しない人なんていないでしょ。 ああいうのを造ってしまう人々のこころ、なんだよ。美意識なんだよ。それに共感することが結局信仰心なんだと思う。雪の夜の神社仏閣なんて、もう、温帯モンスーンの島国の建築文化として極みまで行っているでしょ。そこにお燈明だよ。どんだけ美しくなりゃ気が済むんだって思うほどだ。 その文化に私は属していると思っているし、属したいのだよ。 だから国家神道を奉じているとしか思えないような神社なんかには辟易するよ。日本文化を声高に誇るのはまあいい。けれど、実はそんな野暮をしないのがそれこそ日本文化じゃないのか。「いいものだ」と心の中、思っていればいい。誇りすぎて、他国を、その民と文化を、蔑ろにするなんて、どうやって神社仏閣のたたずまいから出てくる態度なのだろうか。信じがたい。 * 「ブラタモリ」、見たよ。毎日のように歩いたり自転車に乗ったりして行くところが紹介されてた。成城学園構内は入ったことないけれど。 あれ見てて、「憧れの高級住宅地」ということばが何回か言われて、「ち」と舌打ちする人もたくさんいるだろうよ。ブルジョアの街の紹介なんて、反感を持つ人もきっと多くいるはず。私も、狛江や喜多見などに暮らしていなかったら、そして今砧に住んでいるけれど住んでいなかったなら、きっと「だからどうした」とTVをオフったろう。 でもね、成城はね、特に3丁目と4丁目はね、高級だ低級だとかの不動産屋的値踏みとかを超えていいところなんですよ。ひとえに国分寺崖線の段丘の緑があるからなの。その緑を育む「はけ」と川(野川)があるからなの。大江健三郎さんが4丁目に住んだのは、ただ憧れの柳田國男の例に倣っただけではないんだ。いつでも、たとえ四国の山村の森の規模には到底敵わなくとも、フィトンチッド漂う静寂の地へ行けたのですよ。新宿から10数分の駅を持つ街であっても。大江さんばかりでなく、そういう住宅地を求めた人々が集まったのが成城なんですよ。 「ブラタモ」、次回は東宝砧撮影所へ行くらしい。(もう行ってるんだけどね。)

「解」

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昨日、夕暮れの空 そうそう。なんだか私は神仏への信仰心篤い、宗教爺さんのように思われているかもね。 確かに科学でなんでも説明がつくなんて思っていないし、17歳最後の日々で幽霊は見るし、29歳のときには愛猫チロ昇天の奇跡は体験するし、世の中は今だって、そしてこれからも、ずっと不思議はあるし、中でも生命・存在の不思議に一般解は永劫出てこないと思っている。 「解」はそれぞれの人が見つけるもの、感じるもので、決して他の人にそのままシェアできない。まあ、多くの人が見つけられも、感じられもせず、終わるのだろうね。  私はもう見つけたか?いや。でも薄々、ある刹那ないしは瞬間、感じることがあるとは言えるかな。 それを言語化するのは今のところ無理。そんなこと言ってたら、もう時間はそうないのだし、言葉にできぬままになっちゃうぞ。そうだね。 どうしても今言語化すると、まず歌に、楽曲に、その「解」は織り込まれているだろう、ということ。不肖私が作り、歌うものにもあるし、もちろん他のすばらしい音楽家たちの作品や歌唱にも。自分が、音楽家が、「大好きだ、私はこれと一体だ」という時空間の一瞬のありさま、たたずまいを表現できたとする音の中にあるのだ。 その「解」はもちろん数値でもないし言葉でもない。自分が溶け込んだある時空間の一瞬のありさま、たたずまいの、音としての現れ(表れ)なのだから、流れてしまうものだ。 私は、そしておそらく多くの音楽家たちは、生命・存在の不思議へのその瞬間的に出現する「解」を歌い、奏でるのだ。

天津神3神を私も尊崇はするが

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 5月3日、神栖市に在るホテルを日の出前に出て撮った一枚。 * 神栖には息栖神社があり、これは「東国三社」と一括りされる古社のひとつ。残りは鹿島神宮と香取神宮である。香取神宮のみが利根川を挟んで南の下総(千葉県)に在り、あとの二社は常陸(茨城県)に在る。国(県)を跨ごうとも三社が成す三角は狭く、互いの関係性は歴史の素人でも深そうに思える。 義父の娘はこの三社をしっかり回り、御朱印をいただき、また「東国三社」参り完遂の証の「東国三社守」を手に入れた。私は運転手であって、それぞれの神社に着けば境内をウロウロしていただけ。信仰心は厚くないのだ。 というのは、私は神社なら国津神系をより崇敬するからだ。私の田舎では成立がはるかに古い(778年と言われている)天津神系の大山祇神社が有名だし、私も尊崇するけれど、町の地区単位で言うと熊野神社(村の鎮守の神という感じの小さな社)により親近感を覚える。これは室町時代に越後街道沿いの宿場となる町の原型が造られた頃に勧請・造営されたらしく、我が根本家はもともと二本松の者ゆえその頃には全く縁もゆかりもないけれど、遠く後年、大正期に移り住んだ我が祖父は間違いなく村の鎮守、産土神である「熊野様」をより身近に感じ信仰したに違いない。熊野様は、その祖父や祖母が檀家となって後年その墓所に眠ることになる曹洞宗常楽寺の北に隣接しているのだ。薩長中心の明治政府が推進した野蛮な政策である廃仏毀釈前はきっとこの常楽寺と熊野神社は一体だったはずだ。 熊野大社は主神がスサノオであり、国津神系だ。しかし、さすがは神仏習合のふるさととも言うべきこのお社(熊野権現)は、スサノオの「姉」アマテラス(天津神)も祀っているわけで、ここでも「国天習合」とも言うべきmingling(混淆、だが、混ざる要素は明確に区別できる形での混合で)ぶりだ。こういうところが私は好きなのだ。 また我が街区(原町と言う)の東隣の本町という街区は諏方(諏訪)神社を鎮守としている。諏訪大社も国津神系である(それはそうだ、主神タケミナカタは出雲大社の主神オオクニヌシの息子なのだから。そのタケミナカタを 出雲から諏訪へと追いやったのが、鹿島神宮主神タケミカヅチだ)。 そして過去に記したけれども、天津神系の大山祇神社の宮司様はなんとこの諏方神社の神主でもいらっしゃる。この辺りのいい意味でのいい加減さ...