投稿

東京暮らし

イメージ
  写真は今朝日の出直前の東の空。 * 今日は何も書かずにいようと思ったが、好きなYouTubeチャンネルが興味深い話題を提供してくれた。 https://www.youtube.com/watch?v=gBez96q7C5w 東京・・・ね。 高3のとき、會津の片田舎少年はむろん(!)憧れた。なにしろ行きたい大学は東京にあるし、生まれて初めての一人暮らしを都のどこかで始めることへの興奮があった。新宿、渋谷、表参道、銀座、青山、六本木・・・全部憧憬の的だった。シンガーになったらその大都会で活躍するんだ、などとも夢見たし。実際、そこで短い間ながらシンガー・ソングライターとして活動できたのは僥倖だった。 今世田谷区に住み、「東京が好きですか」と訊かれたら、多摩川と野川、仙川の恵みを毎日受けているから「好きです」と言える。昔書いたけれど、1997年だったか、狛江市在住時、大阪でライブをやらせていただき東京に戻ってきた折のことを忘れられない。スティックが運転してくれているクルマに乗り、東名高速を用賀で降りて、世田谷通りに入り、当時の大蔵病院、現在の生育医療研究センターのところに来たときに涙が溢れた。「ああ、homeに帰ってきた!」と。大袈裟なことだ。しかし本当に涙が出てしかたがなかった。 「東京全体が好きですか」と訊かれたら、「いいえ」と言うしかない。世田谷と狛江・調布しか興味がなくなっているからだ。 世田谷にはいろいろ問題があっても住みたい街として憧れられるところが多い。私が今住むところでも新築「マンション」や一戸建ては軽く1億円を超える。そんなところを買える人たちはどうやってそんなお金が出せるのかと驚くしかない。 私が世田谷に住めているのはひとえに義父のおかげだ。遡れば義祖父・祖母のおかげだ。終の住処はまず間違いなく今の住居である。東京の、大きく言っての「多摩川流域」にふるさと會津よりも遥かに長く暮らしてきて、満足してきたし、そこで人生を終えられるのは本当にありがたい。 私のような地方出身者に東京暮らしを薦めるかと言ったら、迷ってしまう。田舎者を自認する人が東京住まいを希望するなら、多摩川流域の諸区、諸市はどうかと言うだろう。その理由はたったひとつ。そこは都会だけれど、田舎もちゃんとあるところだからだ。ただ、家賃は高いぞ、と。

King Cloudman Reguyth

イメージ
  おらは雲男だな。Cloudmanだ。King Cloudman Reguythと改名しようか。 あ、おらの英詞を書くときのペンネームKing Reguythは、故郷のことば「きんぐりがえす」をもじって名乗るようになった。25歳の時だ。「きんぐりがえす」は足首を捻ること。おそらく我が故郷(會津西部)かその一帯でしか通じない。会津若松がある盆地の方では「ふんぐらげぇす」と言うらしい。筋を痛めるのだから「きん」の方が「ふん」よりふさわしい音だと思う。局所的にしか使われないユニークな方言・・・ユニークな存在でありたいからと思いついたのだが、EUROXを一年もたず辞めてしまったこともあって、知られるのが局所的になってしまった。(自嘲) 旧ブログでその名の由来を書いたことがあったが、もうそれもないし、数少ない読者でそれを知らない方もいらっしゃるだろうから書いてみた。 このペンネームを使って『ガリアン・ワールドc/w星の1秒』が発売された1984年、母方の伯父がその<ユーモア>を褒めてくださったっけ。身内とはいえ父親や母親以外からのお褒めの言葉だったから忘れられない。そして大学の友人で卒業生総代になったS君も「Interesting」と褒めてくれたっけなあ。「Sounds cool」って。懐かしい。

単に写真紹介ブログにすっかなあ

イメージ
  今朝夜明けの雲。馬事公苑近くで撮った。神様が絵を描きたくなったのか。 * KがVlog編集に労力をかけすぎてきて睡眠不足に陥り、アップロードの頻度を落とすと宣言している。Mooさんは 「良性発作性頭位めまい症」でやはりブログ更新をしばらく控えると言われている。 私もそうすべきか。KならYouTubeのビデオを作るのと、Mooさんなら分析的で精緻な論考をしたためるのと、私がここに駄文をものすのとは労力が違いすぎるけれど、それでもほぼ毎日書いていることの意味を失いそうになる・・・なら、やめろ。 つ〜かさあ、自分で撮った写真blogに保存しておきたい、もしかしていい景だ、いい瞬間だ、いい写真だと思ってくださる方がいらっしゃるかもなどと期待するのだ、毎日。 書くことなんて毎日あるはずもなくて。天声人語担当してんじゃないんだから(引き合いに出すな!)。 はい。今日はここまで。

大江さん、田村さん、草刈さん

イメージ
  過日川端康成の「形見」の話を書いたけれど、私が週に2、3度は歩きや自転車で行く成城3丁目と4丁目には著名人がわんさか住んでいたし、住んでいて、その人たちの中、4丁目に、日本人として二人めのノーベル文学賞を受けた故・大江健三郎さんがいる。 彼の家は大豪邸とかではない。外観や敷地や建物の大きさはごく普通だと思う。「これでもか」というほどに財力を見せつけるような悪趣味(?)はもちろん大江さんにあるはずがなく、またもちろんノーベル賞作家だとしても経済の分野で立身した人たちとは財力で敵うはずはなかったろう。 今朝もその大作家の家の近くを通った。往時氏も近隣を散歩をすることがあり、「ご近所さん」の横尾忠則さんと出会しては絵のことを立ち話したという。 このことを書く気になったのは、昼過ぎにCSでまた「古畑任三郎」シリーズが放送されていて、犯人役がたまたま草刈正雄さんの回だったからだ。草刈さんは成城4丁目の住人で、田村正和さんもそうだった。そのそれぞれの住まいの間は直線でなら100メートルあるかどうかというところ。 何をミーハーかましているのかって? 成城4丁目の大半は、もう何十年も私が愛する野川の河岸段丘、大きく言えば多摩川のそれで、国分寺崖線上にある。夏なら蝉が鳴き、30年前なら蛍も飛んだ。多摩川や砧公園以外で近隣で大きな空が見える数少ない場所なのだ。 そこに大江さんや田村さん、草刈さんが住んでおられたor住んでおられることは世田谷に引っ越した8年前以降に知った。だから「ミー」ではあるかもしれないが、「ハー」を続いて発音されたくはない。 以前書いたけれど、このお3人で私が本当にファンなのは田村さんだけだった。時代劇ばかり演じられていた頃の田村さんの美しさにやられた口だ。大江さんのご著作は一冊も読んだことがない(!)。読まなきゃって思っている・・・それこそ丘の下、野川べりのベンチで。 最後は大江さんの、ノーベル文学賞受賞記念スピーチから。 「小説家としての自分の仕事は『言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒す』ことだ。」 表現者も自分の仕事で癒やされるのだ。 追記 Mooさん、お大事に!

病んでいる国

イメージ
日本時間では昨日がJohnの86回目の誕生日だった。1980年に彼がNew Yorkで射殺されていなければ、息子のSeanと共に誕生会を開いていたかもしれない。しかもおじいちゃんになって、初めての。 Popularityの観点から言って、作曲家としての腕前はPaulの方が優っていたのは誰もが認めよう。でもJohnは万人受けする曲もPaulほどは書かなかった(書けなかった)にせよ、数多くあるし、なにしろPaulには到底書けなかった時代を画すような奇天烈性を伴った先進的作品を生み出したと言えよう。 まあ、Beatles論を今軽々しく書く気はない。 私がLiverpoolに在るJohnの生家の前に立ったのは1994年だった。小綺麗な家だった。Beatles4人のうち、唯一ミドルクラスに属した。母方のStanley家がそうだったからだ。しかしその母親とも船乗りで事実上失踪した父親同様縁は薄かった。 この人が1940年10月9日に生まれて、後に私の人生コースも影響された。彼の歌は、彼固有の人生の賜物だ。そして今、ありがとうとしか言えない。 * Dodgersは今ヨシノブ・ヤマモ<ロ>の話題ばかり。本当にすごいピッチャーだ。一方あの不世出の「二刀流」playerはケガもあって鳴りを潜めている(らしい)。投打どちらも超一流だからこその無理が祟っての結果なのだろう。私は彼がDonald Trumpと笑顔で握手して以来幻滅したままで、詳しくは知らない。 しかし、その「ユニコーン」が二児の父親になったのに、おそらく自覚なく現代の「独裁者」に諂った。イランの子どもらを誤爆とはいえ百数十人殺し、謝りもせず、あろうことかその攻撃で世界平和に貢献した、ノーベル賞を自分に与えるべきだったなどとトチ狂ったことをほざいてノルウェーのノーベル平和賞選考委員会とノルウェーそのものを罵っている男にだ! そのことで異称「Goatani」は何かを失ったのだ。おそらくはluckを。暴論だ?まあね。でも・・・ どうか懺悔してほしい、大谷さん!

隠された夢

イメージ
昨夜オリオンが出る前に狛江の多摩川べりへ行った。英語をお教えしている高2の生徒さんらが修学旅行でお休みとなって、もう午後6時ではとっぷり暮れてしまう今、自転車で。(写真は昨夜チロの埋葬地に捧げた線香で形作った三つ星) 40周忌。私はチロが亡くなったとき辛うじてまだ二十代だった。若かった。精神的にはあまりに若かった。それでも歌を歌っていたから、チロは「What is it for?」と問いかけ、「This could be it」と言って(私の背中に触れて)、オリオンへと昇天して行った。 恥ずかしながら、そのとき私は、午前1時ごろ南中し、私を見下ろし、慈悲を表すかのように瞬く大きな星座が何であるかを知らなかったのだ。   私はその2年前、『星の1秒』を歌っていた。 https://www.youtube.com/watch?v=xTv2C04fMro 瞬く 星の1秒 隠された夢を 今夜は 探して この三浦徳子さんがあっという間に紡いだ言葉にプロ作詞家の凄みを感じたのは1984年だった。銀座1丁目に在ったおそらく(!)「音響ハウス」のスタジオで録音当日に歌詞問題が発生し、私(=King Reguyth)と三浦さんで急遽近隣のカフェのようなところにおいて新しい歌詞を作ることになったのだ。日英混交の詞だ。 私は2年後の1986年10月(アニメ『機甲界ガリアン』は日テレで1984年10月on airスタートだった)に多摩川の河原に立ち、オリオンの瞬きに「隠された夢」を見つけることになった。 I know for sure He(=God) and I've got the same design などと私は『星の1秒』で書いた。 何という不遜な歌詞!ふざけるな、であった。しかし、2日前の投稿のように、私は今良寛や川端康成と<似た>境地にいる。私の「形見」となるのは、花鳥風月、雪月花、この世、なのだ。

チロ40周忌 〜秋はひとりぼっち・・・がいい

イメージ
  午前4時過ぎ、家の近くでの景。太陰暦で二十七夜の月だ。 * 今日は私のworldを宇宙にまで広げてくれた子猫チロの命日。ちょうど40回忌となる。 「宇宙にまで広げてくれた」とは言いつつ、それで立派な人間になったわけでも決してない。チロは雌猫で、半年の命だった。しかし「彼女のおかげで」ということがそれ以降40年の今に至るまでいくつもある。 動物が人の生き方を変えてしまうというのはよくあることではないだろうか。私はチロの亡骸を多摩川の河川敷に埋葬したとき、奇跡を見せられた。そのことは何度も書いてきた。旧ブログで何度も。そのブログは失われたが。 39年間、命日のお参りを欠かしたことはない。今晩も行く。 * 共にイギリス人のポール・ヴィグラス(Paul Vigrass)とゲイリー・オズボーン(Gary Osborne)による『秋はひとりぼっち』の1行がずっとさっきから脳内でrotateしている。 Through autumn's golden gown we used to kick our way 秋の黄金の衣を、僕らは蹴散らしながら歩いたね 晩秋の こがねの衣 蹴り過ぎぬ (MNEMOによる俳句にしての翻案)