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他地域を蔑む貧困なる精神

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  去年の今頃撮った成城3丁目から喜多見、狛江、川崎市多摩区、丹沢と富士を望む一枚。 * ごめんなちゃい・・・またMooやらKやら関連記事っす。 Mooさんの今のblog体裁で、ページの左上に太平洋に面する東北4県のシルエットがレイアウトされています。我がふるさと福島県はそのうちの1県ですが、Mooさんの意図は、「東日本大震災」の主な被災県となった福島、宮城、岩手、そして青森のことを忘れまいということなのだと思います。また宮城・仙台は、氏が東北大生として4年過ごされた青春晩期(?)の思い出の地でもあるから、また震災直後と言っていい時期に安曇野から救援物資を運んだ女川町があるのも宮城県ですからね。 その「東北4県シルエット」の一番下が福島県で、その西北の端が私が生まれ育った西会津です。北は山形県、西は新潟県に接しているのです。 私の故郷はいわきやあの第一原発立地地区の双葉・相馬などのいわゆる「浜通り」と呼ばれる太平洋に面する地域から程遠く、むしろ新潟市の方がはるかに近く、日本海側に在ると言ってもいいほどです。福島県の構成は明治政府の恣意的な区分によって為されており、やつらが勝手に「朝敵」とした會津は、県庁も県の中央に在る郡山市ではなく甚だ行きづらい宮城に近い県北の福島市に置かれ、嫌がらせを受けたのです。 福島県というああいう歴史的、地理的、文化的、気象学的にもバラバラな地域を合体させる際、県都は当時最も歴史あり、県内最大規模の藩であった會津若松にするのが至当でしたが、勝手に西に寄りすぎとし(そりゃあそうだ)、ならば県中央の郡山にするかと思えばそれも含め薩長などの藩閥政府はどちらも許しませんでした。 MNEMOはそんな150年以上前の話を恨みがましくよく書くなあとお思いの向きもありましょう・・・。 んだげんじょ、史実を探れば探るほどに、理不尽ばっかなのシ。明治政府の全てを否定するっつぅような狭小な精神がらゆってんではねぇのシ。しかし徳川憎しの「西軍」諸藩が新政府をつくる際に人身御供、人柱のように會津を扱ったごどに対しては、そういう話を聞かされる度に怒りが湧くのよシ。 あの第一原発の事故も、長州出身を自慢する安倍氏(故人)が第一次内閣の時、津波による全電源喪失がありうるとされた国会での質疑で「ありえない」と一蹴したごどで、結局後に最悪の事故を招いてしまったと言えん...

武器だ核だと

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  今朝、砧公園に朝日が当たり始め、木の幹が赤く光る。Morgenrot、赤富士、ならぬ赤幹。 * KやMooさんのことをここのネタに頻繁にするのは憚られるのだけれど、昨日見たKのVlogでは切歯扼腕どころか怒りが湧いてきてどうにもならなかった。 彼がここ1ヶ月あまり現場としてきた荻窪のとある市道での工事がいよいよ最終段階に入り、部分的ではあるが通行止めの日を迎えたのだ。それにより、道路に面する整形外科医院へのアクセスも大幅に制限されてしまう。クルマで来られる患者さんは遠回りも苦ではないが、徒歩で来られる特に老齢の患者さんにはその迂回も普段の5倍とかの距離となり、しかも炎天下、関節などに疾患を持っておられるのだから、ほとんど苦行となってしまう。 Kはずっと以前からこの日が来るのを恐れていた。気に病んでいた。そして実際にその日が来て、心痛めたのだ。しかも何時間も殺人的な暑さに耐えながら。 朝日川柳の「武器だ核だと雑魚寝の国で」がbuzzった。熊本でまた避難所の不整備状態が繰り返され、国民が苦しんでいる一方で、Koizumi Jr.らが「国と国民を守るため」と本末転倒的に武器輸出入だ核三原則の見直しだなどと言って血道を上げている。酷暑下、今苦しむ国民のことをなおざりにして! このことはKの心の痛みも伴う炎天下作業と何ら関係がないように思えるが、そうではない。数時間も作業したら熱中症は確実というような真夏の作業をしなければいけないような工事をさせてしまう厚生労働行政とは一体何なのか。実質、「稼ぎたいなら働け。そういう労働でしか糊口を凌げないのだから自己責任で炎天下でも働け」ということなのだ。「倒れた?だったら労災下りるから。日雇だってな。いい国だろ。」 炎天下(例えば気温30度以上の)作業は極力させない法規制が必要だ。どうしてもさせるならしっかり管理者が熱中症対策をした状況下で例えば上限2時間とかにする。その日当は通常と同額とする。施主にはそういう過酷な気象条件で働かせてしまう対価を大きく見積もる必要が生じるようにするのだ。また猛暑期の工事等は高くつくがゆえ仕事が減ってしまう場合は「猛暑時助成金」を出すべきだ。 そんな金はない? 武器だ核だと熱中症の国で

Another homerun or 100-mph fastball from him will never excite me

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  おとといの朝の空、世田谷区砧4丁目。 * 大阪弁がもっぱら用いられるYouTubeチャンネルのビデオを見ていて、例えば「変だ」という形容動詞を、形容詞の「く活用」で「変くない」などと言ってしまう恐ろしい日本語破壊があちらの若者に蔓延しているのに気づいた。「そんなん私に言うの変くない?」などと若い大阪女性が言うのだ。 こちらはもう全国的広がりを見せて久しいけれど、「僕的」とか「あなた的」などという的外れな「的」の使用も<普通に>市民権を得ている。そう、この「普通に」もほとんどfillerとして用いられ、「normally」とか「usually」と英語に置き換えても意味を成さない。まあ、これはアメリカ人も「literally(=文字通り)」をほとんど文字通りの意味なくやたら連発するのだが。まあ、これは「just」の代わりなのだろうけれど。 ちょっとおもしろいのは、大阪人たちも「うざい」を使っていることだ。「うざい」は東京多摩地区の方言として知られており、23区はもちろん、全国に広がったのだ。 言語は絶えず変化する。それは分かっている。そして年寄りはその変化について行けず、また眉を顰めるものだ。私もその例。私の日本語世界がもはや「昭和ことば」などと言われ、嘲笑われる日は近いか、もう到来しているのだろう。 * しかたがない、のだろうか。スポーツと政治は別物だ、なのだろうか。私は大谷翔平選手がトランプと歓談し、満面の笑みで握手をしていた動画を見て大いに失望した。 アメリカ大統領は実質的に無辜の人間を殺す命令をしても殺人者ではないという特権でも持っているというのか?例えば2026年2月28日の米空軍によるイラン南部ミナブの小学校攻撃で百数十人の児童生徒を殺しておいて、トランプは謝罪のことばひとつも発していないのだ。誤爆だったとかの言い訳は全く通用しない。 さらに彼がpedophileであることも明らかだ。 たとえ球団としての表敬訪問だとしても、私はあんな人間に媚び諂うことはもちろんできないし、礼儀だと言われても、握手はしない。失礼だと非難されるのならそれでいい。 大谷さんはもうすでに娘の父親となっている。イランの娘・息子を殺された親たちの気持ちが分からないはずがない。そしてもしそういう<大統領による殺人事件>のことなどを知らなかったのだとしたら、あまりの情弱ぶりにこ...

AI時代でも劣らず勉強

先ほど、高3の生徒さん教材にAI関連の英文が出てきて、それに因んで、AIのすさまじい発達・進化で、例えば日本文であれ英文であれ、AIに任せてしまうことが現に行われているし、これからもますますその傾向は顕著になり、その文章的・論理的精度は高まっていく一方だろうけれど、それでも国語や英語の力をつけることが無意味となることはない、今までと劣らぬ勉強が必要だと私は言ったのです。 あるテーマを論じるとして、AIに任す。査読者が唸るほど完成度の高いものが上がってくることも十分あろう。しかし優秀な査読者はもちろんまずAIの<介入>もありうることを前提とし、また筆者である人間の日頃の言語能力に対する印象と照らし合わせながら読むことになる。すると、例えば「出来過ぎ」と感じたり、「没個性的」、「紋切り型」などと思ったりすることがあるだろう。そう指摘されて「筆者」がどうしてそう言われるのか分からないというようなことがあっては大失態だ。 私もGoogle翻訳で日本文を英語にしてみたことが何度かある。うまい訳をするなあと驚くときもある。昔とは大違いだ。そして正にそこなのだ、ポイントは。 「うまい訳だ」と言える自分は英語と日本語を相当勉強してきたのだ。「昔のGoogle翻訳とは大違いだ」と言えるのも、そういうことだ。 AIに何かしら書かせ、そのクオリティーを評価できるAI使用者でなければ、「筆者」にはなれない・・・と言うか、装えない。文責を負えないで、どこかへ提出することなどできないし、できたとしても続けられない。必ず例えば詳細部分などで確認を求められる事態が生じるはずだ。 そこまでの責を負うには、結局勉強せねばならないのだ。

あの夏の「私」

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  今朝、日の出前の西の空。 自転車に乗っていると、至るところの道沿いの木々や、公園内の木立から「ジー」というアブラゼミの声がします。盛大ではない。まだ少し体が温まっていないのでしょう。アブラゼミを100とすれば、ミンミンゼミは3~4の存在感。それでも、アブラゼミの「声」がdrone=持続音だから、ミンミンゼミの長音符と短音符の組み合わせ、また音程もわずかに動く「声」は際立つ。そして私にとって盛夏のセミと言えば、なんと言ってもこのミンミンゼミです。 さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉の句ですが、この桜のvisionをミンミンゼミのsoundに置き換えてもいいでしょう。また、もう少ししたら聞こえ出すヒグラシの声も互換可能でしょう。(今世田谷区ではアブラゼミ、ミンミンゼミが2大勢力ですが、東宝撮影所辺りとかではクマゼミもいます。ヒグラシはまだ土の中のようです。) ミンミンゼミの声を聴いていると、小学生だった頃に通った「代官清水」と呼ばれた、真夏でも冷たくておいしい水が流れる場所とその近辺の景色が浮かびます。少なくとも6回の夏のひとときをそこで過ごしたのです。しかもうれしく、ウキウキして。なぜならその代官清水のある場所から坂を下っていくと、大日川と呼ばれる水遊びスポットがあったからです。 伸夫くん、文男くん、三男くん・・・幼馴染みの顔が浮かびます。 水メガネをヨモギの葉で擦ると曇りにくいと確か一歳上の「野生児」伸夫くんが教えてくれました。 1967年の夏には、ビートルズのSgt. Pepper'sの楽曲と思い出が被ります。 With a Little Help from My Friends ですね、恐怖を感じず楽しく聴けた数少ない収録曲です。「ミーン、ミンミン」を遠くに聞きながら「Oh, I get by with a little help from my friends」というRingoの歌が脳裏で響いていた。そして「Do you need anybody?」というJohn, Paul, and Georgeの3パート・ハーモニーですね。 「ミーン、ミンミン」を聴いていた小学生の「私」が<今>呼び覚まされるのです。身体は著しく変わってしまっていても、あのとき自分を「私」と言っていた、認識していた「私」が、「それまでの70年に近い人生を送ってきた私」に置き換わ...

みつをさんは私の兄弟子 〜秋のような朝に

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  ちと遅く起きてしまい、外はもう既にかんかん照りに見えたが、窓から入ってくる空気に驚いた。 秋のそれだった。もう使ってよかろう、「爽やか」。湿度低く、気温も熱帯夜の延長に程遠い。写真は先ほど6:20 a.m.頃に砧公園で撮った空。昼はしっかり真夏の気温になるのだろうが、すれ違った人たちも爽快な空気を胸いっぱい吸い込んで歩いたり、jogしたりしていた。 * 熊本がまた大地震に襲われた。ただただお見舞い申し上げるのみ・・・。そう、ほぼ「のみ」。せいぜい義援金をわずかながらも出すだけ。 今の私の歳ぐらいにMooさんは長野県池田町やその近隣から支援物資を集め、宮城県女川へとそれを運んで行った。あの2011年の大震災の時だ。これが「偉大」な行為でなくて何だろう。そしてそればかりではない。偉大な行為は枚挙に暇がない。 氏はやはり最新のブログ記事で大謙遜をされていた。人生のある時に何かしらの蹉跌があって、ご家族に迷惑をかけたらしいことが何より「偉人」などと私に呼ばれてしまうのに赤面する、猛否定する根拠なのだろう。 Mooさん、それがどうしたんですか。過ちを認め、謝罪し、悔い改めたのですし。完全無欠な人生を歩んできた人間などこの世に今も今までもいる験し、いた験しはないですよ。いつまでも引きずる悔恨、羞恥というのはおそらくほぼ全ての人にありましょう。Kに過日酒を酌み交わしながら聴いてもらったのも私のそういう過去の汚点についてです。そのKにだって、今なお「なぜあんなことになるのを止められなかったか」と悔し涙に暮れる(?)ことがあるのです。 同類相憐れむではないのです。私やKやMooさんの三人が同類というのではなく、あいだみつをの「人間だもの」を引くのも陳腐でしょうけれど、さまざま後に悔悟すべきことをしてしまう性を持つのが人間で、それは真理であって、故に「同類」とは正に「人類全体」を言うのです。ちなみにあいだの仏教上の師匠は紀野一義先生なのです。ほんのちょっとの縁ではあるけれど、彼は私の兄弟子と言っていい(勝手ながら)。 わかっています。「人間だもの」と言って居直るような態度の言い訳にするならそれは卑怯だし、醜悪です。みつをさんもそんなことを望んではいません。しかしこの世に「私は凡夫ではない」と胸張って言える者などいるはずがないと私は思います。世に「偉人」と言われる人は過去にお...

「偉人」と呼べる人

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昨秋訪れた安曇野、大王わさび園から撮った「北アルプス」前衛峰・有明山。深田久弥が「百名山」に選ぼうとしたけれど、当時登山道が崩壊していて登れず、背後の燕岳や大天井岳などと共に選に漏れたそうだ。 そんな安曇野の地から野菜が届いた。   生産者および送り主は言わずと知れた(?)Mooさん、村端浩さんである。Kへの誕生日プレゼントとして野菜をお送りいただいたが、私にもお裾分け。 本当に手塩にかけて育てられた野菜たちだ。Mooさんは農家出身ではないし、農業従事者でもない。富山市の元海軍通信兵だった郵便局員のお父様と音楽教師の母上様の間のご長男だ。東北大理学部数学科の学生として仙台に4年暮らし、名古屋で教員生活を始められた。そして郷里の進学校でも教鞭を取られ、後上京、当時は首都圏最大生徒数を誇った塾で最高水準の数学と算数指導をされるのだが、そこで私は知遇を得た。今年一月に傘寿を迎えられた。 私は1994年に再デビューできることになって塾を辞めたが、2000年に復帰の際はご尽力をいただいた。そしてまもなくMooさんは安曇野池田町に家を建て、お連れ合いと移り住まれたのだった。その時から始められた耕作。以来何度その恵みをいただいてきたことか。 凝り性でいらっしゃるのは間違いない。PC関係の深い知識と技術、蔓工作などすぐに頭に浮かぶが、何より被災者支援や平和・護憲運動、バラ園造成・運営、町政への提言などにリーダーやリーダーの一人として密度濃く関わり、また松本市で子ども塾や子ども食堂への無償教育支援、食糧提供もされてきた。すべてにおいて、「そこまでやられますか!」と舌を巻くレベルで尽力され、成果を上げられてきた。 偉人である。 そう称揚したら、間違いなくMooさんは激しく謙遜されるはずだ。しかし本当に、私の交際界で「偉人」と言える唯一の人物だと思っている。 一言で言うと、Mooさんは慮りの人、もっと簡単に言うと、やさしいのだ。 今回の野菜の梱包の仕方にもその「慮り」が如実に現れている。ギュッと詰め込んでいるけれど、できるだけ輸送中に傷まないようにひとつひとつの野菜の詰めかたに配慮がされているのだ。とにかく丁寧、なのである。空間を最大限活かしつつ(数学者として流石の空間認識)、しかも各野菜が押し合って傷め合うのを極力抑えている。 Kもきっと梱包を解いたとき賛嘆の声を上げたはずだ。...