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EQって、Equalizingのことだろ

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1日2本記事を書くのはなんだか躊躇われるけれど。 朝とは違って、午後から(?)南南西の風が強く吹いて東京は「真夏日」になった。この頃朝焼けばかり見ているから夕焼けもと思って砧公園へ。 昔、若かった頃は夜更かしばかりで朝焼けを見ることは夕焼けを見るのより断然少なかった。そして今や完全にそれが逆転し、「そうだな、朝焼けの方がちょっと好ましいかもな」と思った。 フェイドアウトには終わりの寂しさ、悲しみ、哀愁、纏綿、余韻がある。フェイドインには、翻って、始まりの期待、希望、予感、高揚感がある。 英語に「It dawns on O that SV」という表現があって、これを初めて知った時になんという美しい表現だろうと溜息を吐いた。「dawn」は「夜明け」だけれど、動詞となって「OはSVであることに段々と気づく」となる。「突然気づく」という意味にもなるらしいが、あることが徐々に白々と空が明るくなってくるように分かってくるという意味でしか私は使いたくないし、それがこの句動詞の元々の使い方だろう。 今老境に在って、私はフェイドインが好ましい。フェイドアウトでしみじみしたいというより。 今朝の朝焼け。成城3丁目、不動橋より そんなことを考えて、まだアブラゼミが鳴いているのを確認しつつ、砧公園から離れて家の近くへ来ると、おそらく80歳をゆうに超えているであろう老婦人が道端に倒れている。傍に彼女の手を取りつつも何もできずにいるおそらくご夫君が立っていた。彼女よりもっと老けているように見える方だった。 私はブレーキをかけ自転車を止め、「大丈夫ですか」と声を掛けた。するとほぼ同時に40歳代と思われる男性が同じく「大丈夫ですか」と言いながら駆け寄って来てそのお婆さんに手を貸し、さらには抱き起こした。私はその間自転車上で見ているだけとなってしまった。 老夫妻は男性に何度も「すみません、ありがとうございます」と言う。私は「足を挫いてはいらっしゃいませんか」と訊いたが、老婦人は「大丈夫です」と答えた。 実質何もできなかった私だが、ご夫妻に礼を述べていただき、少し気まずくその場を去ったのだけれど、お婆さんを立たせてあげた中年男性を立派だと思い、うれしい想いもしていた。 家に帰ってXを見ると、「ライブハウス(和製英語)」などを経営する男性が、フランスでの騒ぎの様子を見て「反射的に」ムスリムの人々へのあか...

たなびく青空

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  今朝、成城4丁目の野川端から撮った日の出頃の南の空。 今朝の朝焼けは最近一番の美しさで、成城3丁目の不動橋には老婦人お二人がすでに写真を撮っていた。 さて、世田谷区立図書館から借りた2冊のうちの中島義道さんの著作『人生、しょせん気晴らし』の48ページに、 「八月の荒れ模様の空。ひどく風が吹いている。黒い雲。だが、東の方に、青い、えもいえぬ美しい透明な空がたなびいている」 というカミュの『太陽の讚歌』(高畠正明訳)からの引用があって、昨夜読んで「ああ!」と声をあげてしまった。中島さんはこれが含まれる『手帖(Carnets)』というカミュの二十代の終わりに書いた作品に、何をしようが、何を達成しようが、どう幸福な人生を送ろうが結局「死んでしまうのだ」と致命的なほどに悲観的になっていた頃、出会った。 「こういう文章を読むだけで僕は涙が出てくるほど感動した。なぜなら、カミュのあらゆる文章の背後には『僕はもうじき死んでしまう』という呟きがあり、僕はそれをはっきり聞き分けることができたから」 と中島さんは書いている。 私も、「青い、えもいえぬ美しい透明な空がたなびいている」光景が大好きだ。冒頭の写真に映されているような。 そして私は、中島さんの文を読みながら、「死んでしまっても、その空になれたらいいじゃないですか」と呟いた。先日書いた、良寛の辞世、 形見とて何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉 それを引いてノーベル賞受賞スピーチで川端康成が言った、 自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になつてくれるだらう という境地に、やはり哲学者は至れないのかな、と思った。仏教者と文学者なら至れるのだな、と。

挨拶爽やかな隣人

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  けさ、砧公園で撮った朝焼け。 * さっきpotteringから帰ってきて、自転車を敷地内へ入れようとしていると、「おはようございます!」と元気な声が。隣接するアパートの男性住人さんだった。名前は存じ上げない。けれど、お会いする度に挨拶をくださる、きっと私と同年齢くらいの方だ。私もしっかり、明朗な声で応じた。 彼をお見かけするときはいつも作業服姿で、社用の軽トラックを近くの駐車場にとめており、そちらへ向かう、あるいはそこからアパートへ戻ってくるというタイミングだ。もう年金も出ているだろうけれど、それでは足らない、あるいはただもっと働きたいのか、なにしろ勤勉な方に見える。 アパートはどう見ても築年数30年以上、2階建てのおそらくそれぞれ1DKの4部屋。住んでいる方はみな独身だ。駅から5分だけれど、車通勤だからそれはあまり彼にとっては意味がない。朝の6時頃、まだ道路が混雑していないうちに職場ないし現場へ向かうのだろう。 さて、挨拶がきちんとできる人は、それだけで信用に足ると思ってしまう。 もちろんそれだけで全面信用などするのは危険だろうけれど、私には、彼の笑顔から発せられる「おはようございます」が、きっと誠実な仕事を各所できちんとなさる人なのだろうと信じさせるに十分だ。どうかこれからも健やかに暮らしていかれますように! * 今朝のpottering最遠点は世田谷区等々力8丁目、そして帰路に意図せず用賀のPLUS ONE Studiosが在ったところを通った。オーナーであった故・F氏のことを書いたことがあるけれど、彼の生前の姿を思い浮かべながら、12.12が楽しい会になりますようお見守りくださいと念じた。

昨日のことなど

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  2日前に撮った、近所の駅方向へ続く道。知る人ぞ知るというような道で、まず自動車は入ってこないし、人通りもごく少ない。電柱電線がなく、西の空が広く見えて、大好きなのだ。 歩くのが爽快で楽しい季節となった。がっちゃんは多摩地区の某所から昨日徒歩でやってきた。1時間かかったと言う。一番乗りは治雄ちゃんで、埼玉の某市から2時間弱かかったと。毎度ご足労だ。スティックはクルマで川崎市の某所から。近隣の駐車場が混んでいて最後に難儀したようだったが、遅れることなく来てくれた。 昨日の様子の写真だけれど、ほぼ5時間ほどの3人の滞在中、集中してたし、また打ち合わせ後は楽しく歓談していて、すっかり撮るのを忘れてしまった。 スティックもがっちゃんも相変わらず超絶に若く、とてもxx才には見えない。二人は互いに18歳時以来の友人、バンドメイト同士、45年の付き合いだ(笑)。 以前書いたかもしれないが、がっちゃんとスティックの出会いの場所は調布市布田に在った音楽スクールだった。もちろん(?)二人はメイジャーデビューを経験している。私と同じで、2度だ(彼らはまずThe Redsで、そして後G Stringで)。スティックはドラマー、そしてがっちゃんはギタリストとして現役のプロであって、頭が下がる。 治雄ちゃんは、言わずと知れた(?)、私にとってはEUROX以来のバンドメイトだ。 12.12にはこの4人で久しぶりに奏でます。 * がっちゃんのことをもう少し書くと、彼は帯広近郊の生まれ育ちで、道産子だ。だから、上京して最初に住んだ国分寺、そして音楽学校があった調布市布田は<堂々たる多摩>であって、後々彼が住むことになった江東区などとは比較もしようがないほどに<本来の彼>には「住みやすい東京」だったはずだ。 畢竟、彼は近年多摩地区に戻ってきた。布田に比較的近いところに。そして世田谷区西部にある、つまり調布や狛江という多摩東部に隣接する我が住まいに、秋の気持ちのいい陽気に誘われて1時間かけて歩いてやってきたのだ。調布や成城の比較的緑多いところを。私が彼ならまったく同じことをした。その辺りは(!)本当に私との共通点だ。え?単に田舎者同士だってことだと? 昨日や今日のような秋晴れの日、仙川や野川べりを歩くって最高だよ。ね、がっちゃん。

12.12 Tentative Band(ダブル・トゥウェルヴ・テンタティヴ・バンド)

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  今日日の出の駒沢公園。たまには人物がそれなり大きく写っている写真もよかばい。このお3人になったのは偶然。お顔も見えないし、お許しを。 * 今日は12.12 Tentative Band(ダブル・トゥウェルヴ・テンタティヴ・バンド)のmeetingです。治雄ちゃん、がっちゃん、スティックが我が家に来てくれます。 義父の娘が、まず演ってほしいという曲として「Would You Be Mine」の名を挙げ、次に「Dawn」の名を。後者は演る気でしたが、前者は・・・お3人とご相談です。 * 今朝は寒かった。2枚着てその上にウィンド・ブレイカーを羽織ったし、ズボンも薄手のながら2枚重ねたのに。手袋しないとかじかむほど。いやあ、季節が一気に進んだなあ。暦の上では晩秋、そして今朝の実感も。 * 昨日世田谷区立図書館の利用カードを作っただ。懇切丁寧な館員さんの対応にうれしくなった。まず2冊借りた。大江さんのと中島義道さんの。書名は非公表。笑

If Kukai had heard ACROSS THE UNIVERSE, what would he have said?

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  今朝5時半頃に二子玉川で撮ったパンパスグラス、セイヨウススキだ。これから白銀色を帯びて、フワフワの穂になっていく。 * 突然だが、我が會津の家は、二本松市出身の祖父以来曹洞宗の寺の檀家となっている。野沢と呼ばれる宿場町の「原町」という地区は「中の寺」とも称する常楽寺を家の寺とする人が多い(はずだ)。翻って「下の寺」は「上原」と言う地区にあり、浄土宗常泉寺が正式な名である。こちらは室町時代の創建とされ、「中の寺」の「創建年不明」とは一線を画す「名刹」だ。国宝の蒲生氏郷像を所蔵する同じ町の「上野尻」にあるやはり浄土宗の西光寺と古さを競う。私の母方の家は「上原」で旅館業を営むこととなった際にその西光寺から同じ浄土宗の常楽寺に墓を移した。 そして「上の寺」である。こちらは真言宗室生寺派の遍照寺だ。ここは「本町」と呼ばれる地区にある。鳥追観音・如法寺(大同2年=807年徳一大師創建)の末寺だ。 真言宗と言えばむろん開祖弘法大師空海だ。伝教大師最澄と並ぶ平安初期の名僧だで、宇宙全体が大日如来の身とし、人はその宇宙と合一(即身成仏)できるとするすばらしいアイディアを示してくれている。大好きな考え方だ。 しかし、彼の著作とは言い切れないものとは云え、『御遺告』で、彼の出自の讃岐佐伯氏は、東国から朝廷の捕囚となった異民族で、彼が罵倒する「さえぎ=騒ぎ(佐伯氏の一方の祖)」の民とは違い、その人たちを管理監督した佐伯直(あたい)の出であると主張、自慢しているのだ。「直」とは「臣」や「連」より身分として低い姓(かばね)だ。ところが空海さんの没後、讃岐佐伯氏は佐伯氏のもう一方の祖である中央の大伴・佐伯氏との同族関係を主張して、空海さんの功績もあったからだろう、すんなり要求が通ってなんと「宿禰」となり、臣や連より上位の姓となった(天武天皇制定の八色の姓では、真人、朝臣に次ぐ第3位。直はこれに入らなかったが、八色の姓は中央の貴族たちのためのもので、直は地方豪族の姓として残った)。 東国の「蛮族」を蔑視し、朝廷から与えられる姓にこだわった弘法大師さん・・・これほどの偉人でも、宇宙的視野がなかったのだろうか。

松陰神社近くのLAWSONで攘夷を論難す

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  「先進国」では、社会成立の基盤となる仕事を支える人々がそれほど有り難がられず、そのまま階層的にも底辺的扱いを受けてしまい、一方ほぼ必然的に少子化し、教育投資はその少数の子どもに注がれ高学歴化して、そうした社会基盤を担う仕事になど全く就こうとしない中、発展途上国などからの人々にその役割を押し付けて、「先進国に住めて良かったな」というような態度をとっていたら・・・ そしてその外国から働きに来た人たちの家庭において相対的に出生率が高くなり、その「先進国」が乗っ取られるのではと危惧し、元々の差別意識をさらに増幅していく・・・ 欧米のいくつかの国で起こっていることというのは、そういう図式ではないと言い切れるだろうか。 日本だってそうなりつつあるのではないか。自分らで社会の基礎を成す仕事に就かず、外国人任せにし、そして勝手に「外国人が増えて怖い」だのなんだのと言う。 外国人たちが犯罪に手を染めている、治安が悪くなったなどと非難する人たちがいるけれど、人間社会である以上一定数の犯罪はどこででも、何人(なにじん)であっても、起こり起こすものだ。 某国の者たちは、公共心が育たぬ文化を持っていて、日本人からすればそれは社会への害悪などと主張する人もいるけれど、日本人にだって公共心を持たぬ者などわんさかいる。私は毎日、数は少ないけれども、そんな者を目にしている。 今朝は久しぶりに世田谷区梅ヶ丘の方へ自転車で行った。前にも書いたが、松陰神社の近く、国士舘高校の直近に在るLAWSONとその辺りの雰囲気が好きで、今回は以前記したLAWSON店員とは違う、やはり南アジア系の青年が応対してくれたのだけれど、そのしっかりした応接の態度に心から敬意を持ち、またうれしくなった。外国人スタッフの立派な接客態度についてはここばかりでなく、他の店舗のこととしても言及してきた。だから稀有な例ではない。 日本語ができ、コンビニの複雑な業務を比較的低賃金でちゃんと丁寧にこなせるこうした外国人青年のようにできる日本人がどれほどいるというのだろう。 私は日本が単純に移民を増やせばいいなどと思ってない。そんなはずはない。ある国の独特の文化・習慣や言語、思想が守られねばならないと考えるのは、例えば失われてしまったに等しいアイヌ語をなんとか残してほしいと思うことに通じる。 ある国や民族が持つ独自の文化・習慣や言語...