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また来秋も、それ以降も、再会を誓って

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  先ほどの(と言っても1時間くらい前)狛江市の多摩川べりから撮った一枚。遠景の山々は丹沢山系(最高峰は蛭ヶ岳)、その斜め右後ろに雲にほぼ覆われた富士山。こんなにくっきりと丹沢の山肌が見えるのも珍しい。台風一過の澄んだ空気ならではのことだ。 昨夜の台風最接近だが、世田谷区西部では思ったほどの猛烈さはなく、9時過ぎくらいにはもう雨も止み、風も穏やかなものになっていた。それでも関東の太平洋沿岸部はもろに影響を受け、人的被害もあったようでお気の毒なことだった。お見舞い申し上げます。 * 金木犀の花が<こぼれ>始めている。今朝はだからギリギリ狛江市(調布市染地に隣り合う)西和泉の多摩川住宅の垣根になっている我が愛しの金木犀に挨拶に行った。 昔この金木犀のことを記したけれど、また書けば、2016年辺りだったか、私が白内障で目も悪くなり、また当時は原因不明の胸骨や背骨の痛みを抱えていた頃、2011年以来肉親の死も相次いでいて、「私もいよいよか」と覚悟しなければならないのではと鬱気味になってしまったのだ。そんな折、私は爽快な秋の一日にどうしてもと誘われて、多摩川べりを重い足取りではあったが秋の日差しを結局はうれしく受けながら散歩し、さらに芳香にも誘われてこの金木犀の垣根へと足を伸ばしたのだった。 金木犀の開花期は短い。儚さは桜と同じ。だから精一杯咲いて香りを四方へ放っている小さなオレンジ色の花たちの<今>に激しく共感したのだ。そして花たちに声をかけた。「来年も、またその次の年も、その次も、ずっとずっと、会いにくるからね・・・会いに来させてね。」 その<再会>は10年続いている。 感謝しかない。

最大の関心

秋雨前線と台風接近の影響で、もう数日前からずっと雨、雨、雨。そしてこの夕方から深夜にかけ台風本体が最接近するとかで、東京はこの24時間で総雨量が150mmを超えているらしいけれど、これからさらに同じほど、あるいはもっと降ってもおかしくはない。 * 今朝起床して居間へ入ると、義父の娘が大好きなTBSの朝の情報番組を見ていて、ちょうどアジア大会(?)のニュースを流しているところだった。全く関心がないので、(?)なのだ。私は「Panem et Circenses(パンとサーカス)」と呟いて、飲み物を持って書斎へとすぐ引っ込んだ。 偏屈、皮肉野郎、冷笑野郎、天邪鬼、臍曲がりと言われてももう何とも思わんのですよ、ええ。「多少はみんなと話題を合わせなきゃ」なんていう歳をとっくに過ぎてますからねぇ。「畢竟何の用ぞ」とか、「So what?」とかばっかり思うようになっているのです。 姉弟会で故郷・野沢への想いをめいめい語りましたが、私が一番懐旧の情と郷愁が強いようでした。人じゃないんです。環境なんです。山川草木なんです。花鳥風月なんです。雪がちゃんと降る冬なのです。それが融けて道が「ぽんぽんになる」春到来の日なのです。そういう慕わしい自然現象にしか関心がないと言ってもいいくらいになっているのです。もちろん町を町たらしめている人々も大事ですけれどね。 「野沢に帰りたい」と言ったら、義父の娘は笑いながら「ありえない」と小声で言いました。 そりゃそうだわなあ。

昨日のこと

昨夜は姉、次兄(長兄は他界している)とその妻、弟、そして私と義父の娘で食事。場所は横浜中華街だったが、いやはや大変な人出。 横浜の中区とかは本当に東京都心部を凌ぐような洗練された都会だ。U字工事の益子くんが憧れるのはよく分かる。 中華街で食事するのは私は初めてで、仕事で遅れてくる義父の娘とは一緒に来られず、迷うことに。Appleのmapを使ったのだが、慣れず、右往左往。情けない。LAのChina Townを知る弟も横浜中華街の規模の大きさ、入り組む通りの複雑さに驚いていたっけ。 同胞たちはみな元気で、楽しいひとときだった。 なお、心配していた第3京浜や横浜市内のクルマの混雑はなかった。一番混んだのは、行きの環8だった。

Tortoise MNEMO

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  もう一週間くらい前に成城4丁目で撮った東雲。画家になりたいと思わせる色彩。 * 昨日も書いたが今日は横浜で姉弟会。第3京浜を使うわけだけれど、自宅から横浜の目的地まで25kmくらいしか離れていない。「3京」を使えば時速80kmでそのルートの大半をカバーできるわけで、空いていればあっという間の到着となるのだが、どうだろう。 連休初日だし、なじょだべ。 * Mooさんが、戦争できる国づくりを目指す勢力に抗う記事を連載している。頭が下がる。「あの時の無関心がこの不幸につながった」と悔いる人々が出ないように、危険を察知している人が警鐘を鳴らすことの重要さ。 * 「電光石火ち」というシャレがKのVlogのタイトルに含まれていて笑った。思いついたら吉日とばかり実行に移すことはあるときには大事だ。けれど拙速というのももちろんある。年寄りになっても判断がむずかしい局面に立つことがある。 私がこれまでの人生、総じて蝸牛の歩みのような鈍重な生き方をしてきたことを自他ともに認める。それで失敗もし、失敗も避けてもきたと思う。 私はきっと「うさぎと亀」なら亀だろう、一生。 「Tortoise(トータス=リクガメ)MNEMO」であって、「唐突MNEMO」ではない。

長月雑記 3

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  高3の授業がある金曜日は、どうしても準備に時間がよりかかって、taken upされてしまうんです。なんだ、taken upって。「be taken up with O」で「Oにかかりきりになる」です。今日高3生にお教えしました。笑 写真は、そんな状態でも晴れ間が出たから行った二子玉川付近の河原。アレチウリかなんかが繁茂してて見苦しいんだけれども、キクイモのタワーができてて興味深く、パチリ。 * 明日は姉弟会。会場は横浜。混むかなあ。 * みなさんはおいしい、プロの作ったチャーハンを無性に食べたくなることってありませんか?今日、二子玉川への行きやその帰り、衝動を抑えきれなくってね。でも、中華屋さんに入っている時間はないとなって、スーパーで冷食チャーハンを買ったわ。Table Markのやつ、なかなか美味かった! * では、おやすみなさい。

東京、晴れる

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  同日2回の更新はなるべくしたくないのだが、東京は午後久々に晴れて、しかも湿度は低め、明らかな秋風も吹いて最高の散歩日和となった。 砧公園に限らずどこでも、歩く人、自転車に乗る人々の表情が明るく見えた。それは日光が当たっているのだから物理的に当然なのだけれど、心理的にもそう見えた。 Georgeの「It feels like years since it's been clear」という「Here Comes the Sun」の歌詞が自然に口をついて出てくる。もちろん歌いもした。「何年ぶりという感じ」なる誇張表現がぴったりだった。 金木犀に蕾がついていた。 彼岸花があちこちに咲いていた。 ヒグラシとツクツクボウシがおそらく今シーズン最後の歌を歌っていた。 大気のあまりのクリアさに、太陽を1秒だけ見てしまったが、瞼の裏にその残光が何分もあった。 自転車を漕ぎ、秋風に吹かれつつ、「最高だ」と何度も呟いた。

青い彗星のひとつ、逝く

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砧6丁目の小規模venue、Mettaです。会場はテントじゃありません(笑)、このilluminated sidewalk sign(電光看板)の左、ビルのB1に在ります。12.12の音楽会(名称未定)はここで。(なんでそんなに英語を使うんだ!この衒学MNEMO。) * いよいよ日照不足のニュースが全国的に流れるようになりましたね。農家には大打撃の予感、すでに被害報告が山梨や宮崎から上がっているのをニュースで見ました。福島も稲刈りができない農家が多くでているようです。 こう晴れ間がないと、人も鬱気味になってしまう。14日は本当に貴重な晴れだったんですね。これからは台風25号が北上、列島接近とのこと。いったいこの9月はどうなってしまうんでしょう。 * ブルー・コメッツのギター担当だった三原綱木さんが亡くなったそうで、お悔やみ申し上げます。サックスやフルートを担当していた井上大輔さんと双璧で、カッコよかった。訃報で知ったのですが、三原さんのお母様が新潟県東蒲原郡三川村の「綱木」地区のご出身だそう。故郷の村の名をいただいたんですねぇ。いやあ、粋だ。 その平成の大合併で生まれた阿賀町は、越後街道の宿場町だった我が故郷野沢の新潟寄りの次の宿場だった旧・津川町が中心で、その津川も三川も明治以降新潟県に入りましたが元々會津藩の領地でした。 つまり、三原綱木さんには會津の血が流れていたと言ってよいのです。(なお我が故郷野沢の在る西会津町には「小綱木」という地区があります。新潟との県境に在り、三原さんのお母様の故郷とそう離れていません。いずれも山深い集落です。)ところがなんと三原さんの父方は長州藩士の血筋だそう!!これは驚きました。長州と會津のハイブリッド! ブルー・コメッツは長髪メンバーが一人もいない、当時のNHK好みの「グループ・サウンズ」で、「ブルー・シャトー」は爆発的なヒットとなり、一世を風靡したバンドでした。長兄が何枚かレコードを買ってきて、私も小学生の頃Beatlesと劣らぬほど聴き入った時期がありましたっけ。 その三原さんとツートップを張った井上さんと後年私はお仕事をさせていただくことになりました。Mick師のおかげでした。特に井上さんが作曲、私と三浦徳子さんが作詞した『ガリアン・ワールド』は私の孫も大好きな楽曲となりました。 三原さんが亡くなってブルー・コメッツのメン...