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Quest for the Skyblue and Green

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  昨日の夕暮れ。@大蔵運動公園。Skyblueじゃないけれど。 * またKのVlog最新版でのことだけれど、彼が警備する現場が高円寺南とのことで、そう奇遇ではないけれど、私が直近の記事で<空がないところ>として書いた場所だったから、少し驚いた。 彼にもあまりいい印象がないところだったということで、そこで出会った、イア・ピースをして「スマホ(この言い方嫌いだが敢えて使う)」見ながら現場に来た若造歩行者の記憶を語っていた。その若造は、Kが行く先を丁寧に聞いたところ、方向を顎をしゃくって<答えた>と言うのだ。温厚なKもさすがに憤慨、「ぶっXしてやろうかなと思」ったと。 若い頃、さほど嫌いな街ではなかった。高円寺は若者の街という感じだったし(今もそうかな?)、安くていい飲食店もいっぱいあった。けれども、何度も書いてきたとおり、26歳の時にどうしても日常として広い空が見られる狛江へと引っ越したくなった。ゴチャゴチャした街に完全に食傷したのだった。(現役の高円寺住民のみなさん、すみません!) Kを怒らせた若者はどこにいたって不思議ではない。高円寺だけにいるはずは無論ない。しかしその経験がKの心を甚(いた)く傷つけ、その記憶はそのことが起こった街の印象と合体してしまったのだ。 私にとっての高円寺は「空のない街」また「緑のない街」で、物理的に視野が狭いこと、緑が見られないことがそのまま心の狭さ、そして安らぎのなさにも通じてしまった。あくまで私の場合だ。朝焼けや夕焼けがfull visionで見られないこと、私を大きく包んでくれる木立がないことは、私には深刻な事態なのだと気づいたのだった。 また暑くなった。Kの現場警備、恙なく遂行されますように。

つまらん雑記(すんません)

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  昨日、色合い涼しげな百日紅咲く砧3丁目のNHK技研遊歩道。 西日本は例年通りの猛暑らしいけれど、東京は今日も初秋らしい気温となっている。私にはありがたい。それでも昨日家を出るときに少し雨が降っていたから自転車には乗らず歩き出したが、湿度にやられて、5キロほど歩いて汗だく、這々の体で帰ってきた。 * 「人称代名詞+的」という言い方に違和感を覚えることを過日書いたけれど、先ほど「僕的」ということばを或るYouTubeビデオで聞いた。「ぼくてき」・・・一瞬「墨滴」としか私には聞こえなかった。呉竹の墨汁の商品名だが。そんなことを知らない人が使うんだろうな、「僕的」。「一人称代名詞+的」だと「わたし的」はもう相当耳にしてきた。その伝で「俺的」、「あっし的」、「おら的」、「おいどん的」、「拙者的」、「身共的」、「それがし的」、「朕的」、「じぶん的」とかもあんのかよ。 * アホな旦那と別れた女性が、そやつを追い出した「マンション」に広々住みつつ、「粗大ゴミを出したような清々した気持ち」と表現していて大笑いしてしまった。うまい比喩だなあって。 * 世田谷区岡本は歩いていて心落ち着くいい街だ。岡本と言っても広いので、全部がそういう散歩楽しき場所というのではないが。国分寺崖線際の一等地に並びたつ豪邸街もそれはまあいいけれど、そこから東に入った3丁目のたたずまいが良い。 そうなのだよ。散歩したくなる街かどうかがとても私には重要なのだ。砧にもそういうルートがあるし、もちろん成城にはふんだんにある。狛江なんかは野川と多摩川に近いから、やはりいい街だ。 高円寺南に住んでいた頃は最悪だった。そんなルートはまずなかった。いや、現在お住まいの方々に反論されるだろうけれど、また書いて申し訳ないが、<広い空>がないところは私にはダメなのだ。 勝手に言ってろ。

ふるさとのこと

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我がふるさと、野沢の町。道路は国道49号線、越後街道だが、1979年にバイパスができて今は町道ということになっている。奥に聳える山は蝉峠山(せみとうげやま)で標高535メートル。町にとって真西の山となる。この山へオリオンが沈んでいく光景を憶えている。 今は多くの地方自治体同様過疎の町である。1954年の町発足から4分の1ほどまで人口が減った。今は5千人を切っている。写真で分かるように、人通りなどほとんどない。 隣の喜多方のようなラーメンや蔵といった<売り>もない。やはり隣の柳津町の「赤べこ」や「粟饅頭」のような多くの県外人も知る、あるいは買いにくる特産品もない。そしてまたまた隣町の、会津若松と隣り合う人口減少のペースが比較的急激ではない会津坂下のようでもない。未来への道ははっきり塞がっている。 それでも、おととい掲げたU字工事やなすびのYouTubeビデオで紹介されているように移住してくれる人もいるにはいる。なすびさんのビデオに登場した町職員の、福島市から移住してきた女性などはモテモテだろう。交際を望む男性が殺到して困っているのでは?(笑) Kと町中を歩いていて、あまりに久しぶりの帰郷だった彼は、「え〜、こんなに町が狭かったっけ!」と驚いていた。チビだった頃の相対的な町の大きさが、彼が最高身長時より4センチ縮んでも信じられないほどそれ以上の比率で縮んで見えたのだ。もちろん私も同様。しかし私は毎年帰っているから、その驚きもほぼなくなった。 故郷の良さは何だろう。私にとっては冬景色だ。もう何度も書いてきたが、雪道を踏みしめながら初詣だ。街中の熊野神社の、雪を暖かく照らす御灯明の光だ。 なのに、冬に帰ることはここ十数年、ない。

ちょっといい話

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さっき自転車乗りしててさ、帰り、砧5丁目走ってて、狭い道にクルマが停まっていて、おらは対向だったからそのままクルマの脇を優先で通り抜けられたんだけれど、おらと同年輩くらいの女性がクルマの後ろでおらを待とうとしているのが見えて、すぐに「どうぞ!」と道を譲ったんだわ。その女性は本当に丁寧に「ありがとうございます」を2回言って、続いて来たやはり50歳代以上の男性も通すとその人も「ありがとうございます」と。そしておらがそのクルマの脇を通過するとき、「すみません」と言う声が・・・。そう、そのクルマに乗っていたやはり50歳代ほどの男性が運転席から窓を開けて言ってくれたんですわ。「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「すみません」。わずか十数秒の間にこんなに感謝され、謝っていただくなんてね。 砧はいい街だ。そして50歳以上の人々はいい人が多い。(笑) *写真は2時間前ほどの野川。遠くの入道雲が夏らしくてパシャリ。千葉方向だけれど、大丈夫かな。 

人類覚醒の誓い

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  去年、今頃の大蔵運動公園。 1945年の8.15からさらにまた1年が増え、81年の年月が流れた。その日を憶えている人たちはすでに大勢この世にはいない。戦争に負けて教科書に墨を塗らさせられた当時小学2年の養老孟司さんは今年89歳だ。 戦争とは一種の蕩尽だろう。北米先住民の「ポトラッチ」的なものだ。己が蓄え、建ててきたものを破壊したり、贈与してしまう。なんでそんな勿体ないことをするのだろうか、という行為だ。ポトラッチは、己の富や名誉を誇示するためだそうだが、一瞬意味が分からない。財産を壊そうが与えようがまた自分は稼げる能力があるということなのか。 敵の財産を、民を、壊し殺し、<当然の>報復で自分の国のそれらに同じことをされる。滅びることはない、また復興できると両者思いつつ。 9条はその愚かなポトラッチをもう絶対にしないという人類覚醒の誓いなのだ。 * 昨日の仕事を終えて来週は夏休み。もう老後であくせくすることはほとんどなくなっているけれど、さらにゆっくりできる。ありがたい。 過日書いたように12.12に向けての構想や作曲に当たりたい。 我が特別バンド公演、Mick師のStones尽くし、功くんとKがいるGGJ公演、そしてKMくんのパフォーマンスと盛りだくさんになるはずだ。あと4ヶ月を切った。 もしこの音楽会においでになりたい方がいらっしゃいましたら、この記事のコメント欄に匿名で結構ですからその旨お知らせを。30人も入れば満席になる小さなvenueです。出演者たちだけでもう相当に混んでいる状態です。早めにご表明を。

夕立

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  これも昨日に続き8年以上前狛江の多摩川土手で撮ったもの。 * 昨夜は千葉の大雨、すごかったですね。被災された方々にはお見舞い申し上げます。亡くなった方もいらっしゃるとのこと、お悔やみ申し上げます。 気象レーダーを頻繁に見ましたが、千葉から積乱雲が長時間移動しないままになっていて驚きました。これを「線状降水帯」と言うのは知っていますが、昔、「帯」と言っている以上「線状」は余計だろうと書いたことがありました。「停滞降水帯」と言う方が適切な気がします。まあ、これも「滞」と「帯」が重なるけれど。 私の住むところは、過日書いたように、洪水や土砂災害はまず起こらない土地です。雷は落ちますし、世田谷区のどこかで先日電信柱に落雷して被害があったようですが、家にさえいればそれもまず怖いことはない。 昨日千葉では時間降雨量が100ミリ以上を記録したところがあったようで、「滝のように雨が降った」と言っても大袈裟ではない殺人的降雨です。こんな雨に降られては恐怖以外の何ものでもないですが、私は夕立なら歓迎です。 子どもの頃、我が故郷では頻繁だったかどうかは覚えていませんが、しばしば夕立があったと記憶しています。側溝の水を長杓で掬って道路に撒きながら、「ひと雨ほしいナイ」と母や大人たちが言い合っている昼下がり、その通りに夕立となり、涼しくなる。懐かしいなあ。

水溜り、虹

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  8年以上前の狛江市猪方あるいは駒井の多摩川土手道。水溜りはもちろん長靴でもない限り歩行の邪魔--- でも雨上がり、鏡のように晴れ上がりつつある空を映して美しく、邪魔どころか自分の心持ちをも映すようで、慕わしいほどのものでした。 今はもう舗装されて歩きやすい道になっています。 * 虹は 涙を流しながら 微笑む 僕を導く 地平線の彼方へ 大昔書いた歌詞の一節。「涙を流しながら微笑む」のは虹か「僕」か。雨滴なければ現れぬ虹。陽光が射さねば架からぬ七色の空の橋。 * さてさて、今日は珍しく午後一から仕事です。