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大好きな四人と同じ地域に暮らして

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  昨日の砧公園北西端のモミジバスズカケノキ(?)。 * 世田谷区長が大場啓二さんだった昭和末期から平成初期、区長の「新春対談」で森繁久彌さん(千歳船橋在住)、植木等さん(砧在住)、仲代達矢さん(岡本在住)、加藤剛さん(成城在住)のそれぞれが、それぞれの年に話をされているビデオをYouTubeで<発掘>した。私はこの四人の方がすべて好きで、うれしくお話を拝聴した。例えば、 https://www.youtube.com/watch?v=Vwh1QSlNY4g&list=LL&index=5 みなさん、区長さんも含め、もう他界されているけれど、例えば仲代さん・・・ご自宅近くの砧公園や静嘉堂文庫、岡本公園を歩くのが好きだと言われているが、私もそこらを歩いているときに親しみを感じると共に、<仲代さんを感じる>。 昨日は大蔵の国分寺崖線下の緑地を歩いたけれど、仙川のほとりの大蔵5丁目は『七人の侍』の、村人が用心棒とする浪人を品定めするシーンを撮ったところ。そこで浪人役の若き仲代さん(1953年当時19歳)は黒澤監督からダメ出しの連続を喰らい、たった2、3秒の歩くシーンだけを撮るのに半日かかったのだ。 (このことが屈辱で、1961年『用心棒』での卯之助役のオファーを断り続けたのだが、「こんないい役をなぜ断る」と訝る黒澤さんに直接口説かれた。仲代さん「監督は覚えてないかもしれないけど、『七人の侍』でエキストラをやりました。」黒澤監督「あの時のことははっきり覚えている。お前がちょっと面白そうだったからこそ、撮影に半日かけたんだ。」仲代さん「仕方ない、出ようか。」) この大蔵5丁目まで、仲代さんのご自宅(無名塾)からゆっくり歩いて25分くらいか。そこまで仲代さんが後年散歩されたかどうかは知らないけれど、15分もあれば到達する仙川まではきっと何度も歩かれたはずであり、そこでその甘酸っぱい思い出を咀嚼されたこともあったに違いない。その気分に、私もなったりするのだ、変な話だが。 大好きな四人が暮らし、愛した世田谷区砧地域に暮らしていることを本当にうれしく、光栄に思う。

平和な祝日

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  砧公園内のある花壇には、昨日シクラメンが植えられていた。シクラメンはいいよなぁ。冬到来って感じがするし、冬至とChristmas、そして年の瀬がいよいよだって思わせてくれる。 * さっきその砧公園や大蔵運動場へ自転車で向かっていたら、後ろから私に呼びかける声が。聞き取れず、「はい?何でしょう」と自転車を止めるとその声の主もブレーキをかけた。「野球場はどこでしょうか。」40歳代前半と思われるママチャリの女性だった。砧公園にも大蔵運動場にもそれぞれ野球場があるのでどっちだろうと私は一瞬迷ったが、この近くのとその方が言うので、了解して道順を案内した。 運動場東側入口の横断歩道のところまで追走して行って、「ここから入って、突き当たったら左側ですよ」と念押ししてあげた。 その後私は岡本の方へと向かい、途中松任谷正隆さんが自ら車庫で高級車を洗っているのを見て(笑)、運動公園へ南側入口から入って野球場そばを通ると、女性が私に手を振っているではないか!しかも両手で。「え?」女性にこんな風に手を振ってもらうなんていつぶりだろう! 先ほどのママチャリ女性だと気づくのに2秒はかからなかった。「見つかりました。」同じセリフを彼女は文尾を下げ口調で言い、私は上げて同時に言った。そして互いに爽やかな(!)笑顔で「では」と別れていった。 * Xでは戦争の悲惨な動画に多く触れる。アルゴリズムは私がこの手の動画をよく見るのをちゃんとご存じだ。これでもか、これでもかと言う感じで人が死んでゆく。ウクライナで、イエメンで。 こんな狂気が同時に起こっている中、大蔵運動場は野球少年やテニスを楽しむ人などでごった返している。寒くも暑くもない、絶好のスポーツ日和。 日本国憲法のおかげだぞって、どれくらいの人が意識しているものか。多数だと思いたい。

山茶花究さんていい役者だったよね

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  上用賀でおととい撮った日没後の東の空。こういう雲、つまり積雲のちぎれたのが本当に好きだ。そして翳った青空を背景にしているのもいいね。ね。ね? * 十一月に入ってしまった。また「Time flies like an arrow」的なことを書くのか?やめとく。 * 12.12だけれど、姉とその孫(19歳大学生、ドラマーとして成長中)、さらに次兄夫婦も来てくれることになった。うれしか。爺さんsinger、一層がんばっつぉ(がんばるぞ、の會津弁)。 * 変な夢ばっかり見て不愉快な朝を迎えることここ数日。「ああ、現実でなくてよかった」というようなやつ。なんだろう、何があったんだろうか、あっしの脳内。内容はしかしほとんど覚えていない。覚えておこうという気もない。夢日記でもつけていけばおもしろいことに気づくか。ま、でもいいや。面倒くさい。 * 山茶花が咲き出した。 これは東名高速用賀の入口脇の砧公園東端に咲くサザンカ。 好きだなあ。至るところに咲いているから凡庸な花と思われてしまうかもしれないが、本当に美しい花木だよ。 垣越しに山茶花散りし小溝かな 漱石の弟子で科学者の寺田寅彦の句。 山茶花に暫し見惚れる配達人 今おらが作った。1999年の師走、おらは貧して宅配のバイトを半月ほどやっただ。そん時さ、上用賀の馬事公苑南東の端にある交差点脇に山茶花が咲いていて、冬日を浴びて輝くその美しさに目を奪われたんだっちゃ。「貧すれば鈍す」にはならず、「ボロは着てても心は錦」というような自分を励ましただわ。うん、まず山茶花に励まされ、花に励まされる自分はまだ大丈夫と自らに檄を飛ばしたんだわ。

かういふのに美を見出すあっしは

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  砧公園中心から見て北北西へ300mくらいのところに谷戸川に架かる小さな吊り橋があり、昨日そこを渡っていて、その橋の板(床版)に落ちていた葉っぱや花びらの位置的はもちろん色彩的併置(juxtaposition)が見事だと思い、写真を撮ろうとしていたら、中学生だか高校生だか、制服姿の女の子が吊り橋の反対側からやってきてちょっとドギマギした。以下、架空の会話・・・ 「あ、あ、邪魔んなってごめんね。」 「・・・。」 「この花びらと落ち葉のjuxtapositionが見事だなって思って・・・。色と位置の対照の妙って言うかさ。」 「???」 「あなたも普通の道を使わず、わざわざ砧公園内の道を使って下校・・・かな・・・しているんだから、木立とか好きなんだよね。」 「・・・ただ最短距離だからなんですけど。」 「え?あ、そう。」 「カメラ下向けてて、キモいんですけど。」 「そ、そげなっ!ね、ね、見て、ほらこの今撮った写真。いいでしょ?」 「はあ?どこが? やっぱキモいんですけど。ふん!」 実際は気立てのやさしそうな子でしたよ。

漢意も大和心も

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  またちばてつやさんの話だけれど、旧満州で印刷会社に勤めておられた父親、そして母親兄弟と共に、1945年の敗戦時過酷な体験をされたという。暴徒化した現地中国人に襲われたが、同僚のやはり中国人・徐集川さんに匿われて難を逃れた。 惻隠の情とは孟子のことば、「惻」も「隠」も「痛む、憐れむ」の意を表す。特に「惻」は「こころ(りっしん扁)」に「そば、傍」だから、不幸な目に遭う人を間近で見て湧き起こる心、ということだろう、意味がとてもよく分かる漢字だ。(「隠」についてはよく分からなかったが、調べてみると「慇」の代用=仮借らしい。「慇懃(無礼)」のあの「慇」だ。「痛む、同情する」の意味だ)。徐さんの行為はまさに惻隠の情の為せることだった。 https://x.com/siegmund69/status/2115424132846514261/video/1 中学生の頃だったか、いわゆる「残留孤児」を養ってくださった中国東北部の現地の方々が示された寛大さに私は心打たれたものだった。 反漢意(からごころ)を宣長の崇拝者たちが執拗に抱いたけれど、極端はいつでも危険だ。もう一方の極端ばかりかそれからのグラデーションすら否定する愚か者が生まれてしまう。孔子・孟子の思想を一体誰が全面否定できようか。「惻隠の情」に中国人も日本人もない。「もののあはれ」が「大和心」なら、なおさらではないか。

味のある手練の字が好き

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砧公園の「銘木百選」シダレヤナギ。美しい。 昨日は義父の娘と「記念日」を祝った。5の倍数周年だったのだ。感謝ばかりの5x年であった。 Xで拾った画像。ちばてつやさんの肉筆。達筆だ、さすがである。「祐」の字で特に分かるが、筆順が正しい。「輔」の字も同様。 私は字の美しい人が好きだし、尊敬する癖がついている。ただ巧いだけでもいいのだが、しかもその人の味がある字がやはり好ましい。MooさんとKという、このブログでの馴染みの二人は、いずれも能筆家だ。 揮毫をよくする将棋棋士では、ダントツに故・大山十五世名人がいい。中原十六世も。現役では木村一基九段が端正な字を書かれる。味はやはり歳を重ねないと出ないものか。しかしH九段の字は・・・。言うのやめておこう。 亡き父、亡き母ともいい字を書いた。特に母の字が好きで、私は似たような字を書く。母の兄は達筆もいいところで、作品を多く遺した。絵も描いたから、俳句絵(俳句結社の一員だった)はもちろん、賛や、詩や、悟(一目上がり)も遺したろうけれど、目にはしていない。残念。 父はひたすら味のある字を書いた。レタリングのプロであるKが絶賛する「ねもと」の母が営む化粧品店のロゴは確かに親父さんの傑作だった。 さて、これから仕事だっちゃ。  

Rest in Peace, Mr Chiba

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  昨日正午前、喜多見ふれあい広場から成城4丁目の丘を望んだ。我が歌「I Love You Too」はここに捧げたもの・・・誰も知らねぇよ! * ちばてつやさんのご逝去で多くの人が哀悼の意を表している。「九条の会」の賛同人でもあった方で、会はまた貴重な会員を失った。 なにしろ『あしたのジョー』だろう、ちばさんの代表作は。この長編のラストシーン、ジョーの髪が白くなって、彼は微笑みながら目を閉じ下を向いている・・・。余韻が凄まじかった。おいらは15歳だったんだなあ。 ちばさんの絵が好きだった。巧いし、好みだった。特に目の描き方が。 おもしろいことを思い出した。『ハリスの旋風』というちばさんの作品があって、TVアニメにもなった。で、なぜ「ハリス」なのか先ほど調べてみたのだ。 これが放送されたのはおいらが9歳の頃、その当時はなぜ「ハリス」なのかを知っていたのだった。主人公石田国松が通っている学校が「ハリス学園」なのだが、その「ハリス」とは実はスポンサーの「カネボウハリス」という菓子メーカーとのタイアップからのことだったのだ。 我が家は父が公務員、母は化粧品店を営んでいた。母はカネボウも資生堂も両方扱っていた。ほぼ毎月(だったと思う)両方のきれいな「美容部員」さんが来て、小学生のおいらはチヤホヤしてもらって満悦していたものだ。それはいいとして。 カネボウがガムも売っているということで、とうとう母が数種類仕入れることになった。隣がお菓子屋さんで、「ああ、俺んちもお菓子屋ならよかったのに」と常日頃嘆いていた小僧は舞い上がった。その商品のうち「チューイングBON」というガムは画期的なキャディーとガムのハイブリッドもので、しばしばちょろまかして食べたものだった。母ちゃん、あらためてごめんなさい。 そんなすっかり忘却していたことを思い出させてもいただき、ちば先生、本当にありがとうございました。お安らかに。