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昨日、炎天下都心某所を歩きつつ

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  今朝はかなりの距離を自転車でカバーしました。普段の2分の3倍を超える感じ。まず自宅から二子玉川の兵庫島辺りまで行き、そこから狛江市、調布市へと多摩川べりを西上し、そこからいつもの成城の野川経由で戻るというコースでした。 写真は調布市染地の、狛江市居住時代何度も何度も歩いた多摩川べりの小径。何のことはない写真ですが、このとき私はおそらくセンダイムシクイと推定される鳥と歌い合っていました。「チヨチヨ」ないし「ピヨピヨ」と向こうが鳴くので、それを口笛で真似して。なんと幸せなひととき。 * 梅雨明け。数日前までの予報が心許なかったのが判明。太平洋高気圧が一旦引くとか言っていたような。 昨日義父と一緒に都心某所の「音楽会」へあまり好きではない246(国道)を使って出かけました。義父の娘の晴れ舞台なのです。去年も同じ会へ行きましたが、格段に彼女が属す楽団の腕が上がっていて義父と称賛し合ったのです。 開場前に辺りを散策しましたが、まあ、超高級住宅街であって、各国大使館関係者であろう外国人がふつうに歩くようなところ。むろん猛烈な暑さで、汗を拭き拭き十数分散策。こういう典型的な盛夏の昼を、ただ暑いからと忌々しげに唾棄するようなことは言いません。こういう日があって当然なので。しかも今年は6月が本当に涼しかったから、猛暑への恨み節は歩きながら出ることがなかった。 そこが下町だったりしたら、風鈴の音を耳にすることもあったかもしれませんが、江戸時代以来の「山の手」武家屋敷街ではそういう風情はなかった。 義父とはクルマの中で行き帰りいろいろと話しました。クラシック音楽をこよなく愛す義父は、ある話の流れで「ビートルズはちっともいいと思わない」と私を前にして爆弾発言。義親子喧嘩勃発・・・とはならなかったですよ、もちろん。私はそんな狭量なやつではない。JohnやPaul、GeorgeとRingoと同世代の義父ですが、3〜5歳年上で、日本楽器に長く勤めた父親を持つ者として、「ああいう騒々しい音楽」にちっとも感心しないままになったのです。Paulの「万人受けする楽曲」すらダメなのですから、とりつく島もない。 その点、60年代70年代とやはり息子たちの騒々しい洋楽好きに辟易していた我が父は、晩年「ビートルズにはいい曲があるなあ」と<改心>してくれた。(笑) 父の生家はレコードも商っており、その...

"You're one of them." "I know!"

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先ほど、 成城4丁目野川の夜明け 「夕焼け」は夏の季語。では「朝焼け」は? やはり夏の季語です。つまり日の出も日の入りもそれぞれ前後の空は一年で一番美しいと日本の俳句世界、詩歌世界では認識されてきたし、事実そうなのでしょう。もちろん私もそう思います。 私が好きな季語に「冬暁(とうぎょう)」があります。東京ではまさに冬の日の出前後に「江戸紫」の空が見られます。故郷雪国の會津ではまず見られないはず。逆に、それなりに晴れていれば東京での夏の朝夕の空が見られるかも。そうです。「夕焼け」と「朝焼け」には湿気が大事なんです。雲が要るんです。「冬暁」の空にはまず雲は浮かんでいません。たなびく巻雲の類くらい。それもいいんですよね。クリアな世界です。 * 夜明け前から午前5時半頃まで自転車で世田谷区と狛江市のあちこちを走ってきました。すれ違った人はざっと50~60人というところでしょうか。若い人は子どもも含め、皆無。みんな年配者。40歳代らしい人が2、3人でした。みなウォーキングかジョギングの人でした。 「現役の人たち」はまだまだ睡眠中なのです。連休中とは云え、当たり前です。若者がいたなら、それはきっと徹夜して遊んでいたか何かでしょう。大昔、私も子どもあるいは若者だったとき、なんで年寄りはこんなに早く起きているんだ、起きられるんだと訝ったものです。その秘密は、私が学校とかに行っている間、昼寝をしていたから。証拠は年取ったこの私の生活パターン。 今朝は何だかもう眠い。昼寝ならぬ、「二度寝のインタバル短い系」でいきますか。

KのVlogの不思議

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今朝、砧公園東の端からrising sunを望む。 * 砧公園内では、夏休み、そして土曜ということで、親子連れが朝から何組も虫取りをしているのを目にした。父親と息子の組み合わせが多いけれど、母親と息子というのも珍しくはない。お目当てはいろいろだろうけれど、経験上あそこはセミの採集にほぼ特化しているはず。幼虫が地面に出てくるところを捕まえたり、葉や枝、幹によじ登っているものや、羽化前後のを採るということだろう。 今世田谷は全面(?)低い層雲の下、梅雨明け宣言しようがない。3連休だそうで、親子連れが1日でも暑過ぎぬ晴天の下楽しい時間を過ごせればいいが、どうだろう。 * KのVlogは不思議だ。何が不思議って、現場での複数回の休憩中にする「この分だとあと作業は〜時間で終わるのではないか」などという予想や、「〜時にはとにかく終わってほしい」などと時に乞い願うシーンがそれぞれ1本の「作品」中他のどの内容よりも時間的に多いのだが、それがもしかすると190人とかのチャンネル登録者のお気に入りなのかも、ということなのだ。どういうことなんだろう。 私としては、Kにempathicになって、できるだけ早く現場が終わる<僥倖>に彼が恵まれるのをハラハラドキドキ(?)願っている自分が<きっと>おもしろいのだ。彼の仕事は、たとえば午前中で短く終わろうが、規定時間いっぱいまでかかるほど長引こうが、日当が同じなのだ。ある回の日が彼の言う「ラッキー」な同一賃金短時間労働の日となるのか、視聴者もみな固唾を呑んで(!)見守り、楽しんでいるのではないだろうか。(笑)

アブラゼミ鳴き出した日、昼に雷雨

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  この時間(午前11時過ぎ)世田谷は分厚い雲の下、雨が降っていて、まるで日没前の暗さ。レーダー画像を見ると、きっと世田谷東部、東隣の目黒区やそのまた東の品川区とかは積乱雲直下で雷が鳴っているかと・・・あ、こっちも鳴り始めました! * 庭にある小さな百日紅が咲いています。今冬まで花芽や葉すらもなく枯死したと思っていた一株でした。驚くべき生命力感嘆しきり。愛おしいです。Sweet rain of Julyを浴びて、またすくすく育て。 * おとといKに会った際、まず冒頭、共通の友人X君からKにメッセージがあったとのことで、私によろしくと。X君とも本当に会いたい。我が故郷のことば、親しい間柄で使う二人称「おめ」が使える数少ない人です。 そのX君は今闘病中。心の底から快癒を祈っている毎日です。同郷・同級会を必ず実現したい! (なお、會津西部弁の二人称はたくさんありますが、「おめ」が最も親しみあり、失礼でもないもの。それより少し距離を置いた言い方は「わが」。「にしゃ」はかなりぞんざいなもの。) * 今日早朝、いよいよ砧公園の木立では蝉が鳴き始めたのを確認しました。ニーニーはもうちょっと前に鳴いていたのかもしれませんが、アブラゼミのことを言っています。いよいよ梅雨明けと地中から出てきましたか。そうはっきりと梅雨明けとなるかは疑問ですが、まあ、気温的にははっきり盛夏ですものね。 Kよ、熱中症にくれぐれも気をつけてな!

上高田の夜は更けて

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  「おお、夕焼け空、きれいだ!」 Kが叫びました。「ほんとだ。」「居酒屋が開いてるか見てくるな。」 Kが自転車で一足先に中野区上高田3丁目の交差点近くにある二人お気に入りの店へ向かったところで、私が撮った一枚です。さて、Kくんはどこにいるでしょう?タンポポの綿毛のようなものがどこかに見えたら、それが彼の頭部です。(笑) * 中野区「上高田」、新宿区「高田馬場」、豊島区「高田」、文京区「高田老松町」はもともと江戸時代以前には「高田村」という広い一村だったという。Kが住む上高田はその旧高田村の西端に当たる。中では高田馬場が全国的に有名で、三代将軍家光が馬場をそこに作ったがための名称である。 * Kは昨日も炎天下の労働の後に私に会ってくれたわけで、本当に気の毒なことでした。しかし元気がないようでもなかったので、話に付き合ってもらいました。その話の内容のサマリー的なものは一昨日のblogに掲げてあります。 腰を下ろした座敷は実に大衆的無比なオープン型の1畳半というようなところ、しかし傍にTVがあって、バレーボールの日伊戦が放送されていました。K君は中学時代バレーボール部のキャプテン、セッターでした。そして生徒会の会長でもあった。 その彼はどなたかとは全く違って<本当に>リウマチでサポーターを痛々しく両手に巻いて、立ち上がって店内を歩けば、3年前亡くなったお母様と同じような格好になる。中1から彼を知っている私にしてみれば諸行無常感を募らせる瞬間でしたが、なあに、彼から見たら私も同じようにあの中1の頃の私などほぼどこにも見出しようがないのです。 「ああ、あと何回おめ(=君)とこうしてサシで飲めっかな。」 思わずそんなことを言ってしまいました。

世田谷は土日広く新盆踊りが行われるね

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  先ほどの世田谷区喜多見・慶元寺。新盆の納涼踊りが行われるようだ。 この寺は、秩父平氏(将門さまの叔父良文の子である平忠頼と将門様の娘春姫との子である平=秩父将恒を祖とする)の流れである江戸氏の菩提寺。浄土宗である。 元々は今は皇居の紅葉山に1186年に建立されたというが、江戸氏の衰退、太田道灌や徳川家康と「都心」の主の交代があって、1456年武蔵国喜多見村へ移転したらしい。そしてその江戸氏子孫は家康が江戸に入るとその領地の名である江戸を名乗るのを遠慮し、旗本・喜多見氏となったという。 犬公方五代将軍綱吉に取り立てられ、2万石で大名となり、喜多見藩が建てられた(その陣屋はこの慶元寺辺りに在ったらしい)。今の東京都内、もっと狭めれば23区内に藩ができたという唯一の例だ。ただしその取り立ててくれた綱吉によってわずか数年で喜多見藩は改易となった。原因は諸説あっても確かには分かっていないという。 * さて今晩、Kさんとお会いする。彼と同郷人として、そして中学以来の友として語るのだ。もちろんいつ会ってもそういう長い間の親友として語り合うのだけれど、自転車でお互いに落ち合えば酒を酌み交わすことはできない。今晩は酒あっての話にしたくて、彼の中野の住まい近くの居酒屋で会う。帰りは義父の娘が仕事から帰りに合流してくれてクルマを運転してくれる(やさしいね!)。

Life can be short or long; Love can be right or wrong

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先ほど夜明けの二子玉川運動場。用賀方向を望む。 * おととい大幅に記事を削除したわけだけれど、何について書いていたかと言うと、YouTubeで信じ難いほどにPVを稼ぐ或る男女間トラブル解決系(?)チャンネルにハマってしまって、いろいろと考えたことだった。(これは大阪人によって運営されており、「探偵ナイトスクープ」の匂いがする。とても大阪・関西チックだと思う。) さすがに老境に入って幾星霜、そのチャンネルで扱うような男女のことは完全に他人事になっている。とは云え、人生大転換の瞬間を迎える<血気盛んな現役たち>の正に若気の至りに歯軋りするのだ。「younger」だった自分を彼ら彼女らに重ね合わせつつ。 * John主導の曲、 She Said She Said の歌詞に「When I was a boy, everything was right」という一節がある。事の善悪を考えることがまだない、あるいはほとんどない「boy」であった時代、叱られればそれがwrongであり、褒められればrightだったわけだけれど、まずとにかく自分を囲む「世界」はただ見たまま、聞くまま、感じるままだった。そうできている「世界」を受け入れるだけ、よって善いも悪いもないが、それはひたすらそのままrightであって、「善い」というよりは「正しい」=「間違っているとは言いようがない、そう判断する経験も能力もない」状態だったのだ。 そして一体いつから私は事の善悪をしっかり見つめ、判断できるようになったというのだろうか。「しっかり」などこんな老境にあってもできていないように思える。一生そうなのかもしれない。