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世田谷にある因縁の一角で

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夜明け、世田谷区梅ヶ丘の世田谷中学校近くのLAWSONでうまいcoffeeをいただきつつ撮った一枚。それがどうした?野暮な電線がないここの朝の佇まいが好きなのだ。空が開けているでしょう?そして何より雲が秋を感じさせるようなありさまでうれしかった。去年の夏、よくここで一服したなあ。1年ぶりではないにしろ、朝でも少し動けば暑くなるこの季節、自転車散歩に切り替えたのは去年通りで、まあほぼ1年ぶりとしておこう。 この道の反対側には国士舘高校・中学の立派な建物がある。国士舘は松陰神社(土地は長州藩に属した)に隣接するかのようなかたちで創設された学校・大学だ。吉田松陰こそ「國士」だと言うのだろう。そしてここから少し西進すると、その松陰さんを処刑したと言っていい大老・井伊直弼が埋葬されている豪徳寺が在る。なんという因果か。 誰が本当に国を、日本を、その国民を愛しているのか。本当の「国士」は誰なのか。幕末なら、討幕派だったのか、佐幕派だったのか。まあ、そういう単純な二項対立ではなかったが、大雑把に言ってだ。 今なら? * 今朝未明に出発したpottering、最初は昨日王位戦挑戦者決定戦で羽生永世七冠を破った伊藤匠二冠の住む世田谷区弦巻へ向かった。藤井王位と七番勝負が七月四日から始まる。楽しみでしかたがないが、まずは明後日の叡王戦第5局で勝ち、二冠を維持してほしい。そんな気持ちで弦巻の街中を走った。 * さあ、Review Test作りだ。

MooさんとNさんからの玉葱、シジュウカラ

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今朝の夜明けは、実に清々しかった。これ以上気温が上がってほしくないなあ。それじゃあ、夏の虫たち、植物たちがやっていけないか。それでも、「異常な」という形容動詞が付かない暑さであってほしいなあ。 * 今日昼前に安曇野池田町のMooさんから採れたての野菜が届いた。ありがたい!きときとの・・・あ、これは獲れたての魚に使う越中特有の連体詞だ・・・みずみずしい野菜たち!Mooさんが収穫してみて、とても良い出来であることに満足しつつ、それらをできるだけ早く新鮮なままに東京の私に送ってやろうという真心。感謝しかない。 長野県あづみのの日の光と土と雨と、Mooさんと奥様の愛でできた野菜だ。頭を垂れつつ、恭しく、これからいただこう! * しかしまあ、偶然というのはおもしろいね。 今朝potteringから帰って家の前の道路に落ちた柚子の葉っぱを掃除していたら、向かいのNさんがやってきて、「失敗しちゃったんだけど」と照れた表情でご自宅の菜園で採れた玉葱を5個くださった。「どこが失敗なんですか?」「いや、ちっちゃくってね。」 今年に入ってからすでにサヤインゲン、ニラ、ユスラウメといただいてきた。 そのときはもうMooさんからお野菜が届くのを知っていたので、きっと玉葱がその中に含まれているだろうから、ではシチューかなんかで安曇野のタマネギと世田谷・砧のタマネギを一緒に煮ていただこうかと思った。 掃除を再開し、YouTubeで「鳥のことばが分かる」東大准教授で動物言語学者の鈴木俊貴さんの話を聴いているとシジュウカラの話になった。するとどうだ、私の目の前にそのシジュウカラが1羽降り立った。 シジュウカラは確かに世田谷でも多く飛ぶ鳥だけれど、我が家に来るのは圧倒的にムクドリ、ヒヨドリ、キジバトが多いので、かなり珍しいことなのだ。しかも、木の枝や葉に隠れずに、人間が2メートルほどの距離にいる道路に降り立つのは相当に珍事ではないか。 ユングならなんと言うだろうか。

私は拙速動物

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昨日夕暮れ前、砧3丁目NHK技研の遊歩道から撮った月。 ここは家から最も近い、広い空がある場所。 * 昆虫コンテンツYouTuberで21歳俳優の片田陽依(ひより)さんは驚くべき女性だ。まったく苦手な虫は存在しないと言う。昆虫ばかりか節足動物全般、つまりムカデ=多足類や、クモ=鋏角類なども含めすべて「かわいい」と手に取ってしまう人なのだ。むろん、危険でない限り。 https://www.youtube.com/@%E3%81%B2%E3%82%88%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%99%AB%E6%97%A5%E8%A8%98 彼女は現代人に虫をもっと理解してもらいたくて芸能活動を始めたと言うのだ。自分のパブリシティを利用して、ファンになってくれた人々に虫の魅力を、また虫の存在意義を知ってほしい、と。 私は子どもの頃人並みに(?)昆虫採集はしたけれど、例えばカマキリやシロスジカミキリは超苦手だったし、多足類も見れば逃げ出した。 ゴキブリは、今はどうか知らないが、寒かった會津の田舎では目立って出てくることはなかった。だから東京に来て出くわして、体が石化した。(笑) 「脳化社会」のまさに<お邪魔虫>の虫をむやみやたらに殺すことには、しかし、抵抗がある。虫も「みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ」と言う歌詞を書いたのはやなせたかしさんだったか。 とにかく虫については専守防衛、家に入らせないようにすることに全力だ。幸い小さな庭に嫌いな虫は滅多に来ない。鳥がよく来てくれるからというのも大きかろう。

A Bit of a Surprise

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砧公園内、我が「哲学の道」。ハハハ、哲学、そんなはずはない。ま、もちろん色んなこと考えて歩く逕であるのは間違いない。 YouTubeの哲学系チャンネルのKant倫理学を語るショート・ビデオを見た。ゲストで出演したKant研究者の某氏は、なぜKantを研究するようになったのか、そのきっかけ的な小学生の頃の経験を語り出す。 氏はある日留守番をしていて、台所で蒸気噴き出す電気釜を見て「爆発する!」と焦り、結局コードを引き抜いて問題を<解決した>。その後両親が戻ってきて、母親は米が無駄になったと彼を叱ったが、父親は彼女を諌め、息子は「善いことをしようとした」のだと言ってくれたと言う。その経験がその後の学問の道を決定づけた。ショートだから詳細は知らないが、ホストの一人がその話を聴いていて涙するのだった。 いい話だ。私もショートではない本編のを視聴していたなら「いいお父さんだな」ともらい泣きしたかもしれない・・・いや、しなかったろう。 その某氏は、その感動的エピソードを語り出したときに、「小学生3年生か4年生のときに、家で<お>留守番をしていた」と言ったのだ。私はこの「お」に戸惑ってしまい、氏はなぜ自分の家のこと、自分のことなのに「お」を「留守番」の頭に付けたのかと考え始めてしまい、感動的であるはずのその後の話が上の空状態で集中して聴けなくなったからだ。 * 昨日Kと待ち合わせた京王線桜上水駅。そのすぐ東には某・高校が在る。そこはNew York在住の「やす」さんの母校であり、私は当然彼女のことを思い出した。 Kと別れて帰宅すると、なんとそのやすさんが急遽帰国(来日?)しており、多摩川へ行ってきた、Kさんと食事していたんだね、時間がないから少しの時間でも会えたらと思ったけれど、今回は見送るというLINEメッセージが。ちょっと驚いた。 やすさんは高3の時に私と一緒に英語を勉強したのだった。高2終わりまで圧倒的に少ない勉強量だった。第一志望を塾の受付で口にすると応対した国語科の講師に再考を促されているのを私はそばで聴いていた。後彼女の英語担当となって、「あの講師の言うことなんか聞かなくていい。第一志望、突破しようじゃないか」と励まし、それから彼女は猛烈に勉強に勤しむようになって10ヶ月後にはその第一志望に合格したのだった。 しかしその10ヶ月はもちろん過酷で、私の英語クラスでは明朗...

MNEMO爺さん、K爺さんと昼飯をとる

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去年の今頃撮った、世田谷区玉川辺りから望んだ林立する武蔵小杉の「タワマン」。 * 杉並区下高井戸でKと久しぶりの食事をして今帰着。暑い中外で仕事をしてきたKは元気そうであった。良かった。 話し込むほどの時間はとらなかった。昼食時だったし、環境もそんな店ではなかったし。ただ、ときどき当然のように大昔の話がどちらともなくされて、「ああ、そうだったな」と首肯し合う。 Kには写真の武蔵小杉に居住していた時代があった。彼が言うところの「絶頂期」だった。まだ小杉にはタワマンも何もなかった頃のことではあるが、いいマンションに住み、彼は腕利きのデザイナーで新宿に会社を持っていた。私はその頃G Stringで再デビューする直前だった。互いにまだまだ若く、前途も洋々だと思っていた。 うん、そう。凪もあったし、時化もあった。大嵐もあったなあ。 今や二人とも名実共に爺さんとなって、庶民的な価格の店で小一時間語り合う。概して思うようにはならなかったこれまでの人生だが、彼も私も笑顔が絶えなかった。楽しかった。

「世田谷区狛江」は実現しなかった

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大昔、今頃の季節に撮った狛江の多摩川べり。この男性のこころの中は、きっと詩で、歌で、満たされていたにちがいない。 * 幾度も書いてきたことだけれど、狛江市は本当に私の人生を変えた。この地に高円寺から移ってこなかったならと思うとゾッとする。もちろん、誰にとってもある選択の結果はとらなかった方の選択とは違う結果になるのが当たり前も当たり前、その後者の「結果」はいつまで経っても仮想的なもので、その優劣を語っても詮ない。それでも、なのだ。 私が狛江市の存在を知ったのは、杉並区高円寺在住時よく一緒にクルマに乗り<遊んだ>大学時代の後輩が世田谷通りを使って行く川崎市の某所に住んでいたことで、彼の家へ行くときにその世田谷通りの東京都の終点である多摩川べりの街、すなわち狛江市を、何度も通ったからだ。狛江が高円寺を去るときに向かうべき地の最有力候補になった決定的要因は、その空が広いから、だった。會津の片田舎出身の二十代前半の男にとって、「本当の空がない」高円寺から逃げ出すなら、そして東京で音楽を続けて行くなら、狛江しか私には選択肢がなかったのだ。本当の空があるところで私は自分の歌が降りてくるのを待つ----それは消極的な姿勢では決してなかった。逃避ではあったが、歌うたいとして必要な陰棲あるいは遁世だった。 ということなのだよ、娘よ、孫よ。 * その狛江市。1970年に日本第2位の狭さで市制施行。それまでは行政の効率化で同じ北多摩郡の調布市(当時町および神代町)との合併を都から促され、町民の多くもそれに賛意を示していたらしいが、当時の町長が世田谷区への編入を強く主張しかなりの悶着があったという。 町長は、特別区への編入ということで狛江が世田谷の一部になれば都市整備が早く進むという主張だったらしい。その際、たとえば調布町および神代町と例えば「北多摩市」として合併し、「北多摩市狛江」となるより「世田谷区狛江」という名称に憧れを抱いたこともあろう。 それに反対した議員が多数派だったのは、世田谷区の一部になれば、町議会はなくなり、区議会議員として広い世田谷区(当時東京23区最大)を回らねばならず(地域毎の配分はない)、多くが議員身分を失うのが嫌だったというのもあったらしい。 まあ、狛江市は「東京の中の田舎」だし、それがいいのだけれど、議会も田舎だ。狛江を形成する昔の和泉村、猪方村、駒井村、岩戸...

Reminder 1: 12.12 MNEMO Gig

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  YouTubeに上げている我が歌のうち、どうやらもっとも👍が多いのがこれ。まあ、それの数も視聴回数も笑ってしまうほどのものでしかないけれど。 すべての音が私によるもので、私としては上出来ながら、むろん私の鼻はピノキオのようにはなっていませんよ。あるいは天狗?もうこの歳で鼻高々になどなりますかいな! 還暦を数年過ぎてからの作品であり、爺さんの、若さへの「纏綿」する想いがちゃんと表現できていると<自己満足>はしてまっせ。12.12のギグでもご披露申し上げます。治雄ちゃん、スティック、がっちゃんがどう弾いてくれるか私も楽しみ!よかったら来てね。 * 寒いっすよね、この数日。東北じゃ「やませ」が吹いているらしい。オホーツク海高気圧が数年ぶりに張り出していると「福テレ空ネット」の齋藤さんが言っていたような。この状態が続けば冷害ですが、そうはならない見立てだと言うから安心していますが。 * 今日は将棋叡王戦の第四局。場所は大阪府泉佐野市であり、世田谷区弦巻の伊藤匠叡王にとっては「アウェイ」、挑戦者奈良市出身の齋藤八段にとっては準「ホーム」。「たっくん」、そんなハンデをものともせず、今日で決着を!