深沢学園通り&コカコーラ


 

だんだん夜明けが遅くなっているのを実感する。上の写真は今朝午前4時10分に撮った。夏至の前後には3時台後半で黎明を迎えていたなあ。

見えにくいけれど、明けの明星が輝いているのをほぼ中心に撮った。

今回早朝サイクリングの最遠点は目黒区八雲3丁目だったけれど、隣接する世田谷区深沢周辺の落ち着いた住宅街ぶりを楽しみながら走った。

目黒通りや駒沢通りという大きな都心方向からの放射状都道に挟まれて平行する区道の「深沢学園通り」が在って、私はこの道が好きなのだ。旧ブログなどでも数回言及したけれど、G String時代に目黒区大岡山に在ったリハーサルスタジオを何度も利用し、そこへ狛江市東野川の自宅コンドミニアムからの行き帰りにこの道を使ったのだ。1996年2月には帰りに雪が降っていて、しっかり道路にも積雪、ノーマルタイヤで冷や冷やの運転をしたのが今では懐かしい記憶。

目黒通りや駒沢通りとは違って交通量少なく、緑も多く、両側にはセンスのいい家が立ち並ぶ。そのまま都心方向へさらに行くと、旧都立大学の校舎が在る(今は「めぐろ区民キャンパス」)。




深沢7丁目で撮った日の出の空。


*


笑った。いや、笑っていいのかどうか。

トランプが国内産業を関税で守るどころか、国内グローバル企業の海外移転などを誘い、逆に失業者を出し始めている。ほぼ全世界を関税で脅すこの戦略は最初から破綻している。彼が国内産業保護を本当に目指すなら、実質的鎖国をして、基本部品や基本農作物の大半を自国生産に切り替えていくしかない。そんなことは無理だし、それでも実行するならどれほど時間がかかるか。

そんな中、アメリカのCoca-Colaの甘味料を、支援してくれたロバート・ケネディ・ジュニアの非科学的MAHA(make America Healthy Again)政策の一環で、いわゆるコーンシロップ(High-Fructose Corn Syrup高果糖コーンシロップ)からサトウキビ糖に変えろと言い、コカコーラの会長は「トランプ大統領の当社ブランドへの熱意に感謝する。新しい製品ラインナップの詳細は近日中に発表する」と答え、態度を留保したのだそうだ。

コーンシロップがサトウキビ糖に比して健康に悪いというデータはなく、また味に関しても両者の違いは微妙で、化学的にはほぼ差異がないのだそうだ。それでも隣国メキシコのコカコーラはサトウキビ糖を用いていて、しかも瓶で提供されており、その味は一部アメリカ人たちの「カルト的人気」となっているのだそうで、そういうことからもトランプは「It's just better」とか言っちゃって、甘味料切り替えを要請しているのだ。彼は日に12本もコカコーラを飲んだ記録があるそうで、そりゃあもう味に五月蝿いのかと思ったら、大笑い、なんと彼はダイエットコークの愛飲者なのだと。

ダイエットコークの甘味料はアスパルテーム。ケネディが目の敵にしている人工甘味料じゃないか!

トランプの本拠フロリダ州はサトウキビ産地で、州の農民支持者は喜んでいるか。そしてコーンシロップの原料トウモロコシの米国での主な産地は例えばアイオワ州で、ここも「赤(=伝統的共和党優勢)」の州でMAGAなピープルが非常に多い。トランプのこのサトウキビ贔屓はアイオワのMAGA farmersへの裏切りだ。しかし、それでもトランプはこう思ったからこその処断なのだろう---

フロリダ州とアイオワ州の人口差は、2,224万4,823引く324万1,488 で 約1,900万3,335人、大統領選などでの「選挙人」数では、その比は30 : 6であって、仮に彼が前例のない(合衆国憲法修正第22条で2期と決められている)大統領3期めを目指すとき、「まあ、アイオワは失ってもいいや」みたいな打算があるか(笑)。

もう、むちゃくちゃ。


おいらはKと世田谷区八幡山で一緒にルームシェアしていた頃(22歳くらい)まで、毎日コーラの2リットル瓶を買い二人で飲んでいた。しかし、それ以降はほぼ全く飲まなくなった。

それでも、長兄が200mlの小瓶を飲み始めた1960年代、興味を持って私も試飲したときの衝撃は忘れられない。「こ、これは、ヤバい!」というやつだ。中毒性がある、と思った。何よりCMコピーの「スカッと爽やか」にやられた。小学生低学年だった私には「ビシッと、鼻ツン」だったが。

しかし中毒性があるとは云え、チビすけにはなにしろ高すぎた。200ml瓶35円、瓶代10円だった。その頃、高学年になっての私の小遣いは1日20円だった。また、「コカコーラ」の「コカ」の名の由来は、コカインの原料となるコカの葉から来ているといつ頃か知って、「こ、これはヤバい!」感が増幅した。(初期のレシピでは本当にコカの葉のエキスを使っていたという。)

私がコカコーラや他の甘い炭酸飲料を飲まなくなったその22歳頃、きっかけは會津への帰省で「急行ばんだい号」に乗っていた時、缶コーラをこぼしたことだった。「ああ、あ〜!」とか言いつつ、床にこぼしたままにするしかなかった。

そしてしばらくして座席から立とうとしたとき、つんのめった。靴が床に完全に固着していたのだ。本当に、相当の力で引き上げてやっと靴が床から<剥がれた>。

青ざめた。こんなに砂糖が入っていたのか。水飴状態じゃないか!

それ以来だ。

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