「It's an irony of our age that robots, unconcerned with ego, may be busy putting disfluencies into their speech just as humans, occupied with their self-images, are undergoing tough training to take them out. 自己イメージにとらわれた人間が言い淀みをなくすための厳しい訓練を受けているというちょうどそのときに、自我に無頓着なロボットが自分らの話にそれら(=言い淀み)を加えようと躍起になっているというのは、現代の皮肉である。 」 ・・・これは桐原書店が出版する高校3年生向けコミュニケーションの教科書「Heartening III」にある1文だ。訳は私がやってみたが、どう考えても高3生には、たとえそれなり英語が得意という生徒にも、正確に訳すのはまず無理。 「When you have overcome a problem, it gives you unique authority and experience to help others, taking what may have been a tragic or physically painful experience and transforming it into part of a greater "landscape" of love and generosity.」 他の章からの1文。先日触れた「金継ぎ」に関する名エッセーだ。この筆者はいわゆる「分詞構文」を多用する。文中「taking」をどう訳すか。多様な訳がありうる分詞構文のどの意味合いで解釈し、そして何より「take」という無数とも言えるほどの訳が可能な基本語をどう処理するか。(よろしかったら試訳なさってみてください。) トップの大学が高3水準を超える問題を出すのは何も英語科に限ったことではないだろう。ふつう無理難題と思われるものを出題する目的が偏差値上位0.1パーセント以内とかの超秀才を発掘することなら、まあ、そういうのもありなのだろう。そんな問題が過去に大学入試で出されたからこそ桐原の編集部もそれに対応したというこ...