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Mooさんからいただきました

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  Mooさんより誕生日プレゼントをいただきました(一部のみ撮影)。安曇野の大地、水、太陽の贈り物ですね。ありがたい! 夏を食ふ 安曇野を食ふ 誕生日  (1日遅れだけど。笑)

誕生日随想

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早朝に前の記事を書いてから少し寝た。 転石会(Mick師を囲む会)のLINEスレッドにMick師、治雄ちゃん、安里くん、スティック、幸夫ちゃん、そしてKから早々にメッセージをいただいていて感激。そして娘からあらためて、さらに姉ちゃんから、また幼馴染のKMくんからも。しみじみした。1年に1回だけの「birthday boy」になれる栄光の日!(笑) * KMくんはまた我が歌「Today」に励まされていると書いてくれた。 https://www.youtube.com/watch?v=QPujEOaYaSc KMくんの會津の家は、私の家の檀家寺へ行く道沿いから見える。彼の弟君が家を引き継いでいる。そこは小学校への通学路でもあって、私は、7歳から12歳まで毎日のように通い、そしてその行動半径数百メートルのちっちゃな町の一部が世界のすべてだった頃のことを思い出していた。 KMくんは大変なウルトラ・シリーズのファンで、「Kプロ」と称し仲間と着ぐるみを作ってウルトラマンごっこをしていたものだ。昨日たまたまNHKBSでその「ウルトラマン」の4Kリマスター版が2本放送されていて、映像の美しさに驚嘆した。着ぐるみのお粗末さが際立つほどの精彩な映像なのだ(皮肉)。ストーリーも荒唐無稽、子どもだまし・・・いや、批判しているとかでは全くない。私だって欠かさず見たシリーズなのだ。 ただ2本まるまる見たのは、もしかすると円谷プロが在った世田谷区砧の当時の映像が劇中に出てこないかなという興味からだった。残念ながらその2作では全くなかった。 そう、私は今縁あってその砧に住んでいる。街の商店街はウルトラマンの名を冠しているし、東宝の特撮技術も担った福島県須賀川市出身の円谷英二さんは砧7丁目と成城1丁目(円谷プロ、キヌタラボラトリー、東宝砧撮影所)のヒーロー(!)の一人なのだ。 話は戻って墓参への道すがらのこと。 この荒れ放題となった小道。右に曲がれば保育園が在って、百メートルほどで檀家寺の西の入り口になった。子どもの頃この道を何度歩いたことか。 その寺の西の入り口に直角で交わる道は「鹿島坂」と呼ばれ、その坂を下ると熊野神社にまっすぐ通じる。その鹿島坂に交差する道の西側には野口英世の火傷の手術をした渡部鼎医師の研幾堂という医院が在った。東へ進むと幼馴染Sくんの家が在った。Sくんは警察官になったと聞いた...

できれば平穏な1年となりますよう

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誕生日。 Mooさんから1日前倒しでお祝いのメッセージをいただいた。感謝。Web上では互いに毎日のごとく消息を確認しているけれど、ずっとお会いしておらず、「いつかいつか」と気ばかり急くのだが・・・。なにしろまたとりあえず1年、Mooさんのご厚情を当てにさせていただきたい。(厚かましい!) * 今夕は義父とその娘とで会食する。今日は土曜、誕生日当日が3人とも休みというのは今まであったか記憶にない。「お誕生会」は前倒しや、1、2日遅れの開催だったことがほとんどだったはず。 私はと或る店のこの季節のメニューが大好きで、そこでの誕生日祝いをいつも所望している。今年もそういうこと。あと何回これの繰り返しができるだろうか・・・まあ、これ以上は書くまい。 * 今朝も未明からルーティーンをこなしてきた。狛江の多摩川へ行き、まず川そのものへ挨拶し、紀野先生と遭遇したところで先生に黙祷を捧げ、さらにチロとお地蔵様にご挨拶。帰りは野川を経由し、いつもやさしく迎えてくれるこの多摩川の支流にも感謝した。「古希にまた1年近づいたよ。」 先ほどの黎明。私が愛する成城の国分寺崖線上の木立。 この「愛する」はどの名詞に係っているのか。「成城の国分寺崖線上の私が愛する木立」とすれば明確だけれど、でもね、「木立」だけではないのですよ、「愛する」のは。 金星と木星が写っているな、ちゃんと。ふたご座に在るようだ。そしておとめ座におわします太陽が昇ってくる。 また1年、野川(や仙川)と多摩川の潤いあっての砧・狛江・調布の大地で私ができれば平穏に暮らしていけますように!

誕生日前日雑記

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今朝未明の世田谷区は涼しかったなあ。相変わらず金星と木星が比較的近い距離を保ちながら東の空に。まだまだ実質盛夏と言うべき今に使う語彙ではないのかもしれないが、快晴の空だったからあの涼しさは放射冷却の賜物かな、と。 今朝は二子玉川の多摩川河川敷へ出て、去年だったか新しくできた兵庫島からスムーズに国道246号多摩川跨線橋をくぐる遊歩道を走った。セミが夜通し鳴くというようなことは今年はないように思うがどうだろうか。ずっとコオロギの声を聴きながらの快適なサイクリングとなった。ただし、昨日はあの外来種アオマツムシも一部鳴き出していたので要注意だ。成虫が例年通り一斉に出てくれば耳を劈くほどになる。 * 昨日は都心の某飲食店へ行き、そこで娘が2日前倒しで誕生日を祝ってくれた。もちろん孫二人、そして娘の連れ合いも一緒。2歳半の孫娘がいよいよ私を「おじいちゃん」と認識してくれていて前回2ヶ月位前までのハニカミはなくなっており、それどころか、なんとまだたどたどしさはありつつも「お誕生日おめでとう」と言ってくれた。 * 明日はいよいよ<ほんとの>誕生日。 歳をとったことへの嘆きはやめておこう。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、あるいは一切行苦なのだから。ねぇ、賢治さん。 * 賢治さんとあの大谷翔平さんはほぼ同郷と言ってよい。彼の生まれ育った奥州市水沢も今回の旅で行ってみた。彼が通ったバッティングセンターを訪れたが、定休日だったのか、あるいはもう稼働していないのか、ひっそりとしていた。大谷さんゆかりの地として浮かれた看板や標識など一切なかった。そこがかえって好ましかった。 奥州市、大谷さんゆかりのバッティングセンターのそば、東北本線がのんびり走る 昨日749日ぶりの投手としての一勝を挙げた。彼はナ・リーグの現在の本塁打王なのだぞ!5回9奪三振自責点1だった。MLBの歴史に全く新しい時代をまさに今画している数百年に一人のプレイヤーが、ただただ牧歌的な東北の一都市から生まれ育ったという事実に感じ入った。誇らしいとか言うまい。なんの縁もゆかりもないのだから。同じ東北人というのはある。けれどだからどうしただ。 うれしいのは、奥州市をクルマで走っていて、會津とほとんど変わらぬ風情、佇まいだなあと実感したこと。私の故郷と同じようなところがやはりちょっと北の方にも在ったんだなあということ。それは賢治さんの故...

ただ信頼に応えんと最善を尽くす

「It's an irony of our age that robots, unconcerned with ego, may be busy putting disfluencies into their speech just as humans, occupied with their self-images, are undergoing tough training to take them out. 自己イメージにとらわれた人間が言い淀みをなくすための厳しい訓練を受けているというちょうどそのときに、自我に無頓着なロボットが自分らの話にそれら(=言い淀み)を加えようと躍起になっているというのは、現代の皮肉である。 」 ・・・これは桐原書店が出版する高校3年生向けコミュニケーションの教科書「Heartening III」にある1文だ。訳は私がやってみたが、どう考えても高3生には、たとえそれなり英語が得意という生徒にも、正確に訳すのはまず無理。 「When you have overcome a problem, it gives you unique authority and experience to help others, taking what may have been a tragic or physically painful experience and transforming it into part of a greater "landscape" of love and generosity.」 他の章からの1文。先日触れた「金継ぎ」に関する名エッセーだ。この筆者はいわゆる「分詞構文」を多用する。文中「taking」をどう訳すか。多様な訳がありうる分詞構文のどの意味合いで解釈し、そして何より「take」という無数とも言えるほどの訳が可能な基本語をどう処理するか。(よろしかったら試訳なさってみてください。) トップの大学が高3水準を超える問題を出すのは何も英語科に限ったことではないだろう。ふつう無理難題と思われるものを出題する目的が偏差値上位0.1パーセント以内とかの超秀才を発掘することなら、まあ、そういうのもありなのだろう。そんな問題が過去に大学入試で出されたからこそ桐原の編集部もそれに対応したというこ...

Time passes too fast!

今日からまた通常の日々。 昨日はKくんが前倒しで私の誕生日を祝ってくれた。私がまずクルマで中野へ行き、そこでKちゃんを拾って、駐車場が広く平日昼過ぎなら空いている狛江市のバーミヤンで健全な食事。それで十分。そこから急行が停まる成城学園前駅へ行き、彼と別れた。 * Kちゃんに話したことだが、故郷で墓参をしながら、前回のそれの記憶があまりに近くて本当に愕然とした。父母長兄が眠る我が家の、2人の叔父の家の、そして兄嫁の家の墓は曹洞宗の寺に在り、そして母の実家の墓は浄土宗寺院の墓所に在って、それら5箇所を巡り花と線香を供えるのだけれど、會津は去年同様猛暑で一苦労。天候条件が全く同じだったから尚更1年の間隙がちっとも意識あるいは知覚できないのだった。 故郷へ帰る際はここ数年必ず墓参用の仏花を會津坂下町のスーパーで大量に買うのだけれど、それもルーティン化しているがゆえ、前回そうした記憶がほとんど古びず、もうその時点で義父の娘に「前回の墓参て間違いなく1年前だよね?」と訊いたくらいだった。 「こんな<ペース感>で1年経っていけば、墓参りする方からされる方にあっという間になってしまうな」とKくんに呆れた口調で私は語りかけた。「そ〜え」とKちゃん。會津弁で「そうなんだよな」。「お互い、どごに入んだ?」と話は続いたが、ここでやめておく。

Kenji, you're not encouraging me, but ordering me

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(NHKBS4K 「映像詩 宮沢賢治銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」より) George Harrisonの一人息子Dhaniが、よくある少年の父への反発(エディプス・コンプレックスとまでは言わないし言えないが)で、絶対平和を説く父を尻目にThe Combined Cadet Forceという英軍の士官候補生を育てる青少年組織に入ったことがある。 唐突なエピソード紹介だけれど、賢治さんの憧憬の的であった保阪嘉内さんは、キリスト教に基づく非暴力主義を訴えたトルストイに心酔していたのに、盛岡高等農林を退学(「今だ。今だ。帝室を覆すの時は。ナイヒリズム」という一節を含む文を賢治さんらとの同人誌「アザリア」に書いたことが原因らしい)させられた後、帰郷の後<志願して>軍人となった。これはもしかして反帝国主義、反天皇制の思想をこっぴどく責められ矯正されての<改心>の発露かと思いきや、入隊しても軍隊批判をしてリンチを受けたというから、そこまでは筋金入りだった。 嘉内さんは、「一年志願兵制度」という、一定の学歴(彼の場合は旧制中学卒)を持ち、中産階級以上(彼の実家は韮崎の大地主だった)の男子が3年の兵役義務を1年にできる特典があるから入隊したのだった。それにしても、1年で満期除隊しても、のちに折々軍務に応召していて、昭和5年(1930年)には中尉にまで昇進している。 だから、と私は思う。反軍思想はありつつもそれが年齢を重ねるうちにそれなりに薄れてしまったのだろう。だから、1921年に上野で賢治さんと再会した際、すでに満期除隊はしていたけれども、さらに上の階級を目指すことに他ならない再入隊を口にする<軍人となった保阪>のイメージが賢治さんの脳裏に焼きつけられ、それが、3年後に出版される『春と修羅』にある「小岩井農場」で保阪を「すこし猫背でせいの高いくろい外套の」「自由射手(フライシユツツ <ルビのまま> )」と描き、「気がへんで急に鉄砲をこつちへ向けるのか」とすら<心象する>ところまで行ってしまったのだ。共に百姓をやって、この世を極楽浄土にあるいは天国にしようという岩手山での誓いはもう無効になってしまったと賢治さんは絶望したのだろう。 賢治さんは男子帝国臣民として徴兵検査をもちろん受けている。けれども「第二乙種合格」で実質上の丙種、つまり不合格で、徴兵免除だった。その一方で非...

外は内なのじゃぞ

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ずっとトルストイの賢治さん、嘉内さんへの影響などについて書いていたが、長くなってしまい、一旦執筆を中断してしまった。 * 早池峰山 岩手山 磐梯山 今回の小旅行で姿を現してくれた3名山である。 磐梯山だけ登ったことがある。高1の秋遠足だった。下りるときに加速度がついて走りまくって怖かった記憶だけある。標高1816メートル。子どもの頃、「丼に一杯食う」と覚えてくださいとバスガイドさんとかが言っていた。つまり1819メートルということだった。3メートル低くなったのかね。情報によると、「従来の測量技術の精度限界や地形の微細な変化(侵食や堆積)、三角点の位置のずれ」のせいだそう。 * 山の短い話だけではつまらんので、今回撮ったおもしろ写真の一枚。 米沢の国道13号線を走っているときのこと。 「外の内」・・・なんだそりゃ! Beatlesの「Everybody's Got Something to Hide Except for Me and my Monkey」の歌詞に、 Your outside is in というのがあるけれど・・・。マハリシ的、あるいは荘子的な思想が反映された地名でんな。

今回の旅先は武将たちが命燃やした地でもあった

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 iPhoneからMac Book「写真」への自動転送が効かなくなっている。Air Dropを使ってなんとか。 小岩井牧場と岩手山。賢治さん(またかよ!)も同様の光景を大正時代に見たことだろう。 * 昨夜帰京した。 朝はまず山形市駅前のホテルからこれまたおよそ10年ぶりの霞城(かじょう)公園内を散策した。人口24万弱の県庁所在地であり、仙台市110万弱、福島市28万弱、秋田市29万強、盛岡市28万弱、青森市26万弱ということで東北6県の県都としては最少だ(仙台以外はいわゆるドングリの背比べだが)。 しかし、たたずまいの良さは全く侮れない(侮るな!)。東京っ子の典型で、大きな意味での「田舎」には住環境として興味を持てない義父の娘がなんと山形市なら住んでもいいと言うくらいなのだ。彼女、仕事の関係で同県酒田市へ足繁く通った時期があったけれども、総じて山形県にはいい印象を持っているらしい。 そう。山形市中心部の朝は落ち着いていた。戦国武将で、いっときの霞城の主で、伊達政宗の伯父でもある最上義光(もがみよしあき)が市のヒーローであるらしく、その雄々しい騎馬姿の立像があって、我が根本家の家紋でもある(!)丸に二引きが足利家の縁戚であることを誇らしく示す。最上の出自は斯波氏、斯波氏の祖は足利家氏なのだ。 霞城公園の朝は本当に穏やかで、散歩やジョギングで利用する人々もそう多くなく、広大で美しいその公園に魅力を感じない人はいまい。 * ロイヤルホストや「てんや」を経営するロイヤルホールディングス系列のリッチモンド・ホテルの実に豊かなメニューの朝食をいただき、猛暑の中ながら意気揚々と南下。最上義光と伊達政宗が連合して戦った上杉家・直江兼続の本拠だった米沢を通り、121号線で奥羽山脈の飯豊連峰系の山々の峠をいくつも越えて會津・喜多方へ。 道の駅の看板を何気なく見たら、蘆名家の祖、佐原十郎義連の墓が近隣に在るとの情報! ヒエ〜〜〜〜! 私が勝手に唱えている「Mick師ご先祖蘆名氏説」には欠くことのできぬ情報なのだ。佐原十郎義連は元々三浦氏であり、相州(神奈川県)三浦の佐原を本拠としていた武将で、三浦義明の末子、源平合戦のいわゆる「鵯越の逆落とし」で、断崖を駆け下りる先陣を務め、勇猛さを示したとされる人だ。 その人が奥州合戦(源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした戦)にも出陣、功を遂げて陸奥国...

Hooked On 賢治さん

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  花巻温泉を出てすぐに宮沢賢治記念館へ。2度めの訪問。前回は10年前とかだったか? 遠目だし後ろ姿ゆえ人定は無理だろうから載せるが、この少女、ひとつひとつの展示物、写真を入念に、じっくりと見てゆくのだ。 (こゝから舊假名遣ひ、またできるだけ正字を遣ふ。) 賢治さんにまつはる知識ならすべて吸収せんとするかのやうであつた。小學校六年くらゐであらうか。 宮沢(賢治さん自身正字で宮「澤」とは記さなかつたのでさうする)文學にもうこの歳で魅了されてゐる、しかもこの<資料閲覧巡りの旅>がこれほど長きに亘る行程なのだから、大變な學術的関心を持つてのこととも言ひ得る譯であつてほんたうに驚き入つた。 品の良い女性が付き添つてをられたが、母上であらう。娘の凄まじき知識欲、賢治さんへの関心興味にとことん付き合ふといふ風情、娘を遠巻きにして違ふ展示物を見てをられた。 きつと少女は例へば『注文の多い料理店』などを入り口にして宮沢文學へ入つて行つたのだと思ふ。そしてなんと、賢治さんにまつはる廣汎でしかも深い内容の展示物のひとつひとつを時間をかけこゝまで興味深く見てゆくほどに彼女の宮沢文學への探究心は育つたのだ。 (以降また普通の記述法に戻る。) * 午後は小岩井農場へ。酪農製品を飲食するのが目的ではない(ソフトクリームは絶品だったが)。賢治さんの『春と修羅』で彼に詩の、ないしは物語の、インスピレーションを数々与えたこの広大なagricultureの大地を見に行ったのだ。 なぜか撮った写真がPCへ移っておらず、ここでは示せないが、農場内のどこからでも岩手山がくっきりと、迫るように見えていた。賢治さんが<大好きだった>保阪嘉内さんと共に星降る夜登り、「ほんたうの幸」を共に追求しようと誓い合ったその山頂での思い出が、賢治さんを生涯突き動かしたと言っていいのではないか。 1921年、賢治さんと嘉内(「ニライカナイ」から由来する名前、ただし沖縄出身というわけではない。山梨は韮崎だ。それで「ニラ」なのか)さんの訣別が決定的になったらしい東京上野の帝国図書館での再会以来3年経って『春と修羅』が自費出版された。小岩井農場やその周辺での賢治さんの「心象」を読んでいると胸がつぶれるような想いがする。ほとんど嘉内さんに取り憑かれている。 なぜ賢治さんは自分を「修羅」と呼んだのか。 * 今山形市にいる。2回め...

賢治さんを再び感じるため

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  今花巻にいる。 写真は宮沢賢治ゆかりの「イギリス海岸」、北上川のほとりだ。上流(八幡平の方)の大雨で増水し、水は濁っていた。 花巻は二度目、前回同様賢治さんへの興味と、今回は大谷翔平さんのこと(母校が花巻東高校ゆえ)も重なっての「来花」。 賢治さんへの興味が俄然湧いたのは、2008年だったか、KAGAYA氏の制作した映像詩『銀河鉄道の夜』を府中の郷土の森プラネタリウムで見てからのことだ。圧倒的な経験だった。賢治さんの宗教的信念が銀河鉄道での旅の中で語られるこの物語をどう映像化そして音響化するのか、その難題をKAGAYA氏が見事に解いたと私は感激し、終演後もしばらくの間打ち震えていたものだ。後にもう一度見ることにもなった。 カンパネルラのモデルは盛岡高等農林で出会った親友保阪嘉内という説に間違いはない。これは今野勉さんの研究による説をNHKがそれに沿って番組にした「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」で明らかだと私は確信している。また、「風の又三郎」のモデルも保阪さんである。 だからどうした、であるけれど、明治29年奥州花巻に生まれ育ったひとりの男性が、地学や化学、植物学、昆虫学などなどつまりは博物に興味を持ち、そしていよいよ目を宇宙に向けて「ほんたうの幸」を追い求めたことそれ自体が、生まれ育った時代と花巻と會津の違いはありつつ、僭越ながら、重なるのだ。 私には法華経の裏打ちはない。仏教には他のどの宗教よりも興味を持つけれど、しかしよく考えると素朴で融通無碍な古来の神道(植物崇拝だったり、八百万の神、つまりはアミニズム)にこそ最も共鳴する。賢治さんも、たとえば大好きな鉱物を手にして、そこに命ありと思ったであろうことは想像に難くない。「山川草木国土悉皆成仏」なのだ。アニミズムではないか! 東北に生まれ、四季の鮮やかな対照を経験し、それを賛美するようになったなら、もう、崇拝でなくても、自然を敬い愛するようになるのはほぼ必然だろう。そしてその敬愛から、偉大な存在=宇宙がなにゆえ形成されたのか、なぜ存在は存在するのか、なぜ人は生まれ、死ぬのかを考えていく必然が生じてくるのだ。 賢治さんはそういう必然に導かれて数々の物語(=歌)を残した人だ。私の先輩と呼んでもよかろう。むろん、才能の差はおびただしいけれど。

東北の旅 〜そのmemo 1

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  きのう午後、首都高から常磐道へ入る途中、東は千葉方向に入道雲。暦の上での初秋を嘲笑う。 今福島県いわき市の常磐線いわき駅前にいる。地方都市の悲哀、ラッシュアワーでも人が本当に少ない。義父の娘が驚いている。いわき市だけじゃないよ、と私。 駅のすぐそばに磐城平(いわきたいら)城趾が在って、三層櫓のお城は、奥羽越列藩同盟に参加した磐城平藩(藩主は安藤信正)自らが落城のとき(1868年)火を放って焼失したと案内板に記されている。1862年の坂下門外の変のこと、久しぶりに思い出した。桜田門外の変同様、水戸藩士が中心となったテロだ。水戸は常磐道のいわきへの途上に在るが、立ち寄る気にならない我が心情を察せよ。 昨夜は小名浜のある小さな居酒屋で食事をした。秋刀魚の刺身、絶品だった。脂の乗りが良く、「今年は当たりだ」とご主人が言っておられた。 * さて今日はどのルートで東北をさらに北上するか。常磐道のままか、それとも磐越道に乗るか。宿泊先は決まっている。

東北へ

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写真は今朝のではありません。2週間前くらいの狛江市元和泉の夜明け。今朝は月と木星、金星が東の空で三角形を作っていてレアな図だった。撮ったのがことごとく失敗作。 * さて今日から私は1週間の夏休み。とは云え、高齢者の私が普段シャカリキに働いているはずもなく、待望の骨休めとかではまるでない。けれどもまとまって休める日があるのは年に2回なので、貴重であるのはもちろんだ。 墓参りが最終目的で、今回は去年とちがって西国に行ってから會津というパターンでなく、同じ東北を巡って會津へと思っている。宿は1泊だけなかなかの温泉宿を予約しているが、他の日は当日探すという感じ。ピークは過ぎているから、なんとかなろう・・・なる? * 東北の福島を除く5県は今までにみな足を踏み入れている。各県長期滞在はまるでしていないけれど、今のところ岩手県が一番好ましく思う。賢治さんの花巻、「イギリス海岸」辺りの北上川の風情には本当に心打たれた。岩手山、早池峰山の山容もすばらしく、数時間の滞在ながら遠野もよかった。 山形と秋田から見える鳥海山、今回はしっかり見られるかな。今まで2回の旅ではほとんど山容全部を目にしたことがない。 青森は弘前へ行ったことがあり、岩木山はしっかり見えた。八甲田も遠くに望めた。今回もし余裕あれば太宰ゆかりのところへ行ってみたい。 宮城だけれど、ここは俳聖芭蕉が言葉を失った松島へ行ったことがある。そしてその足で山形の酒田や山寺(立石寺)へも。山寺はもう三度ほど行った。 なにしろ交通安全である。今朝は狛江に点在する私のガーディアン・エンジェルズにご挨拶をしてきた。道中無事に過ごせますように! ジャーニ〜!

今日特別態勢終わる

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今朝の砧公園、環8跨ぎの橋よりの入り口。雲の柔らかな感じ、青空のパステルぶり! * Kはきのう結局午後5時まで仕事、そして雷雨の中自転車で帰るハメになったそう。 * がっちゃんから以下のvideoを紹介してもらった。 https://www.youtube.com/watch?v=Z7Pk3Y_rCuc ほぼ30年前のG String福岡公演。いやあ、懐かしいのだけれど、あまり詳細を覚えていない。初めての福岡、そして九州だった。 どっかん専門学校やったか、学園祭に呼ばれたんやったかな?無名んバンドが来て、盛り上げられんやったんやなかったか。申し訳なしゃば覚えたことは記憶しとー。 * さあ、今日の高3との勉強で特別態勢は終わりばい。(もう博多弁はよか。) 明日からは東北へ。もちろん最重要目的地は會津の田舎のお墓ばい。(もうよか!)

KがKで仕事

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  今朝の成城7丁目、仙川沿い。 * きのう養老さんの言葉をまぜっ返して、「いちおう花と木があれば私には天国」というようなことを書いた。もちろん真剣に書いたわけではない。養老さんや池田清彦さんにとって花木より虫なら、私は虫より花木だと言いたかっただけだ。 しかし、その花木は、虫や鳥、動物がいなかったら命をつなげられないもの多数だ。そしてまた逆もまた真。そんなこたあ、あの二人の碩学はもちろん私だって知ってらい。 * Kが今日世田谷区の烏山地域の街のひとつ、Kというところ(紛らわしい)の現場に行っているという。私にとっては娘の幼い頃に馴染みにしていたSという寿司屋の近くで、思い出の地のひとつだ(いつでも行けるが)。ネタがすばらしいのに値段が手頃というので大繁盛。今でも人気店であって、予約なしでは相当待つことになる。2年前に義父とその娘とで行ったのだが、あまりの混雑、注文したものの提供の遅さ加減に失望。以来行っていない。人気店は大変だね。 そのKという地区には亡くなられた西田敏行さんが長く住んでおられた。それこそK(人)と八幡山居住時代、芦花公園にあったバッティングセンターで遊んでいると西田さんがお連れ合いとお子さんを連れてやってきたことがあった。人気が出始めた頃で、それ以降の活躍なら成城にも豪邸を建てられたろうけれど、ずっとKなんだね。よほど気に入っておられたのだな。芦花公園とそれが決定的に作り出す街の雰囲気がお好きだったんだろう。 中野の新井薬師からKが自転車でその現場へ行ったのなら、主要道だけ使うとすれば、中野通り、早稲田通り、環8、通称「八幡山のガスタンク」のところを右折となるが、1時間ほどか。さらに炎天下での仕事、大丈夫か。私のところからだと15分かからないかな。 折角近くに彼が来ているのに、私は夕方から仕事。残念。 追記 今読み返して、地名のKは「粕谷」でいいじゃんって思った。Kのprivacy尊重と思ったが、あまり意味がなかったね。でもまあ、書き直すのは手間なのでそのままにする。

私なら花と木があれば一応天国(笑)

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今朝は桜上水の方へcyclingした。世田谷区には「桜」の字がある地名がいくつかあって、桜上水、桜新町、桜丘、そしてズバリ桜。桜上水は位置的に烏山地域かと思ったら、北沢地区に入るそうだ。隣接する上北沢が烏山地域なのにね。(なお、下北沢はもちろん北沢地域の中心街区。ただし下北沢という正式な地名はない。あの駅辺りは世田谷区北沢だ。) * 養老先生がETVに出演されていた。「ハートネットTV」の「私のリカバリー がん患者になって考えたこと」というタイトルの番組だった。何年か前に心筋梗塞で入院治療、そして今回は肺がん。御歳87ゆえ、「体ん中にがんの2つ3つあって当然」とあっけらかんと仰る。しかしその声には力がない。標準治療を受けつつ「リカバリー」あるいは寛解と言える段階なのかよく分からないけど、ケモセラピであのフサフサしていた白髪も相当抜け落ちていて、そんな中でもTVに呼ばれたことをありがたく思い出演した、と仰る。そして医者嫌い、病院嫌いの医者としての26年間の思いの変化を率直に語っておられた。病院というシステムの中で患者として流されてしまうのが嫌だったのだ。ところが今そのシステムが「相当良くなった」がゆえ、医者や病院への嫌悪や不信が払拭できているのだと。 まさに達観というような言葉がいくつもあった。 中でも印象的だったのは、東大の教授時代、社会的活動をせざるを得ずに虫採りができなくなったことがよろしくなかった、という言。虫を無心に採っている、眺めている、語りかけている時間こそ養老先生の<生きていること>だったらしいのだ。「残りはすべて付録です」と。 虫採り仲間の生物学者池田清彦さんとの会話での一言。 「天国行ってさ、色とりどりに花が咲いているけど虫が一匹もいないとなったら地獄だな。」 (写真は去年、今とほぼ同時期に撮った、喜多見ふれあい広場から仰いだ空。)

ひとりでも歌、音楽の真価を心で感じてくれる人の存在こそ

KくんからLINE電話。26日に会うことになった。私の誕生日の前祝いとのこと。うれしいね。 * Kと話していて、彼は私の誕生日には功くんと彼の故郷いわき市でバンド演奏をするとのことだった。功くんの長年の相棒だったbassist「アニキ」Sさんが惜しくも亡くなって、Kがその後を継いだ形なのだ。Kは、本拠が埼玉最北部のお姉さんとのバンドを引っ越しなどで続けられなくなって、bassの持ち腐れになってしまわずに済んだわけだ。 そんな話の中、KMくん(まあ、別に匿名にする積極的理由はないけれど)がKに私の誕生日がいつだったかを問い合わせたということだった。KMくんは、過去にも何度も書いたが、K、功くん、私、そして松川敬一くんと1979年に組んだVIAの事実上のバンマスだった人で、大学時代の友人と今も音楽活動をしている中、私のYouTubeで発表しているオリジナル曲にあたたかいコメントを残してくれている。 Kに言ったのだが、「みんなKMくんみたいな人だったら、俺は大スターだったな」と。もちろん大笑いした。 大事なのは、ひとりでも自分の歌、音楽の真価を心で感じてくれる人がいること。 負け惜しみで言っていないよ、もうそんな歳じゃない。

Deep 世田谷ポタリング 〜彼女は起きられるか

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今朝は、この土曜日珍しく完全休日(サビ残やオンライン会議なども全くない)となった義父の娘とこれから早朝(未明)potteringに出ることになっている・・・が、ちゃんと起きられるかな。 そういう彼女の休みの日、真夏以外なら、これまでも時々「Deep 世田谷ポタリング」と称して出かけてきた。今の時季だと暑くなる前、つまり未明早朝出発しか考えられない。 「Deep 世田谷」とは、世田谷区の砧地域以外を自転車で走ってみるという企画(!)。玉川地域や世田谷地域、北沢地域だね。烏山地域には、私が昔昔ではあるけれど八幡山に住んでいたことがあって、あまり新奇な場所はないからだ。 烏山地域に行くのなら、Kくんと、というのが良かろう。なにしろ彼と八幡山で2年暮らしたわけだから。その場合は二人でよく通い今も健在(!)の「町中華」の店とかで食事だけれどね。 世田谷区は、大雑把ながら、北から順に京王線沿線、小田急線沿線、田園都市線沿線の3地区に分かれると言ってもいいだろう。京王線での主要な世田谷区の街は明大前(松原)と千歳烏山だろう。小田急だとかなり多くの代表候補があると思う。渋谷区と隣接するが、代々木八幡、全国的に有名な下北沢、住みやすさで人気の経堂、そして天下の(?)成城学園前。田園都市線では渋谷区と目黒区に隣接する池尻大橋、三軒茶屋、そして大田区(田園調布)にも隣接する玉川地域の中心二子玉川。これらはすべて国道246号線(青山通りから玉川通りと渋谷で名称が変わる)沿いでもある。 京王線は甲州街道(国道20号)とほぼ並行し、田園都市線は上述のように246号、では小田急はと言うと、そういう国道はない。 だからどうした。 * ただいま(6:28 a.m.)帰ってきた。 環8に沿っての裏道、というか住宅街の道を南下し、最遠点は尾山台であった。この尾山台、等々力、中町、上野毛辺りもすばらしい住環境の街だ。東急大井町線沿線であり、目黒区とクロスする。南に丘を下れば多摩川である。 区立玉川野毛町公園。左側の奥まる道がとてもすてきだ。下って400mくらいで多摩川へ至る。夏の朝の人気ない公園ていいよなあ。

父の血濃き我

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  今朝4:20頃、成城3丁目の不動橋でiPhoneカメラで固定もせず撮ったが、まあまあの写真だ。ふたご座で木星と金星は接近し、そしてオリオン座も東の空に現れていた。 * 向かいの隣人Nさんに拠ると、ハクビシンが我が家と隣家Hさんの家の間へと塀をスルスル登って逃げていくところを見たと言う。いやはや。まあ、実害は今のところないけれど、ちょっと気がかりだ。しかし一体何を食べて生きているのだろう。 * また暑さがぶり返すらしい。朝のpotteringは風を切っている分には暑くなく済んでいるけれど、昼はまた7月の猛暑の再来か。ゲンナリする。 * 今日は「終戦」記念日。お盆の中日。 菅野完氏が、「自虐史観」という言い方をする人々を鋭く批判していた。あの戦争をどうでも美化して語りたまえ、それは構わん、しかし歴史的事実の記述に自虐はないぞ、と。なぜなら、アメリカからの最後通牒だった1941年11月の「ハル・ノート」を断然無視して12月に戦争を始め、結局3百万以上の「臣民」の犠牲を出してその「ハル・ノート」よりはるかに厳しい「ポツダム宣言」を受諾することになったことの愚劣を知れ、と。 全くその通り。 * 敗戦の日に我が父万歳す 父は召集され、川崎で8.15を迎えました。父はあの戦争の愚劣を知っていました。 非国民ですか?

NHK技研の電波塔から殺虫剤撒きたし

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泣いた。三軒茶屋の247のMacでbreakfast買って、砧のNHK技研の緑地で飲み食いしていたら、あっと言う間になんと8箇所も蚊に喰われた。今も痒いのなんの!悔しい。 その痒さ、悔しさにめげず、東の空を撮った。なんというさまざまな柔らかい色が横溢する空だろう! * そのMacだけれど、応対してくれた店員さんは「あり」君だった。ひらがな。どこの出身かはわからないが、パキスタンかバングラデシュではないかと思われた。午前4時半ちょっと前、「三茶」は若者がかなり多くいた。朝まで飲むって、若者だからできることだね。「あり」君はそういう街で安くなった円にめげず働いている。「はたらきあり君」だ。いや、朝帰り確定の「日本人」の若者たちだって、飲み代はバイトして稼いだ金で出しているんだろう、大半はね。学生ならきっと奨学金というローンを組んでいる者も多いんだろう。 「あり」君の上司は非常に愛想の良い中年の男性社員さん(おそらく)で、さすがは「Smile 0 yen」のMacと思わせた。こんなシフトでの労働ご苦労様って言いたくなるような、そんな人だった。 * さて当方も今日明日とまた普段の倍の労働。帰郷は盆過ぎにするのだ。5日間しか休みは取れないけれど、充実した時を過ごせるといいなあ。安全にね。

お盆の入り

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  つい先程の世田谷区大蔵の夜明け。 近くに野良猫がいて、半端なくこっちを警戒していた。何もせぇへんて! * 九州と、また能登の豪雨に気が塞ぐ。気の毒でならない。能登が昔からこんなに天災ばかり起こっている地域なら、とっくに住民はいなくなっていたはず。地震はさておき、気候変動の影響としか言いようがない。衷心よりお見舞い申し上げる。 * 4時、まだ暗い中自転車乗りに出て、すぐすき家の某店舗へ。なんだかあそこの牛丼が食べたくなったのだ。タッチパネルで追加注文を繰り返してしまい、若い店員さんに迷惑をかけてしまった。すると彼もなんだかいろいろと親機のPCをいじっているので、きっと伝票が重なってしまい、煩雑なことになったのだろうと申し訳なく思った。 彼が最後の伝票を持ってきたときに「ごめんね」と声をかけた。そうしたら、「いいえ」と彼は言い、「追加されたものをセット価格にできないか操作していました」とはにかんだ表情を見せた。「そりゃあどうもご親切に。ありがとう。」 * 自転車で走っていて、頭の中、『秋はひとりぼっち(Forever Autumn)』が<かかって>、ずっと歌っていた。もう秋の歌を唄ってもジャストな季節になりつつある。北国の人間の秋への感情は概ねメランコリックなものになる。いよいよ厳しい季節が来るぞという「冬隣り」。でも私はもう東京に暮らして半世紀。秋、特に晩秋が大好きになっている。だから「Forever Autumn」であっても構わないどころか好ましいとすら思う。ただし、紅葉は散らないままという条件でね。(笑) * 今日はゆっくり休む。地方が舞台になるミステリーものでも見るか。それでも話の筋が荒唐無稽でないものを望む。それから、観光名所で謎解き、クライマックスを迎えるものは願い下げだ。え?地方が舞台のミステリーものなんてみんなそんなもんじゃないって?まあね。 * お盆の入り。 ぎゃっ。花買うの忘れた!

"Integration" will be my epitaph

さすがに高3の英語となると入念な準備をしなくてはならない。教材は彼ら彼女らが学校で使っているHearteningという桐原書店発行のもの。おそらく日本一程度が高い。前回授業の復習テストも作成に2時間はかかる。 そのHearteningのLesson 8は「金継ぎ」の話。内容は深く、また教科書名通りheartening=元気づける、勇気をくれるものだ。「金継ぎ」では割れたりヒビが入った器を漆と金粉を混ぜたものなどで接ぎ合わせ、修復する。侘び寂びの精神を具現化する15世紀以来の技だ。 読んでいて、King Crimsonの「Epitaph」の一節が頭の中、再生された。 The wall on which the prophets wrote is cracking at the seams. (預言者がその上に言葉記せし壁がピシピシとひび割れつつある。=MNEMO訳) そのヒビを、壊れてしまったものを、金継ぎして、美しいイメージ、一編の物語を持つ絵に統合する(Heartening p.114の英文を基にした言い方)のだ!だから、King Reguythの「墓碑銘」は「Integration」なのだよ、Greg Lake(King Crimsonのシンガー)。

どうでもいい話

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今日は普段より長丁場な仕事がある。それでも(?)朝4時に起きて、気象レーダーを見ると雨雲がちょうど切れて後1時間は降らないようだったので自転車に跨った。 千歳船橋には「森繁通り」があって、故・森繁久彌さんの邸宅がその道路沿いに在ったがゆえの命名。そこを走ってきた。 森繁さんは大好きな名優の一人だ。三船敏郎さん、志村喬さん、宮口精二さんという『七人の侍』の名優、むろん仲代達也さん、栗塚旭さん、島田順司さんの新選組コンビ、ただただカッコいい田村正和さん、天才勝新太郎さん、異才成田三樹夫さん、さいとうたかおさんの漫画から抜け出してきたかのような硬派な俳優夏八木勲さん、声が大好きなコロンボの小池朝雄さん・・・just to name a few。栗塚さん、島田さん、仲代さんはご存命だ。うれしい。 写真は先週日曜に撮った調布市国領辺りの野川。 大人3人の男女が懸命に何かを掬っていた。川海老とかいるのかな、と思った。夕食時が迫っていたし(笑)。 私が小学生の頃は公害が大いに話題になっている時期だった。多摩川の汚れぶりはTVで見たし、東京は住むところじゃないとすら思ったなあ。また、「コンクリート・ジャングル」の東京には虫がおらず、カブトムシがデパートで売られているというニュースに仰天し、だったら売りに行こうかとも。 多摩川も野川も地域の人々の努力で立派な生態系をかなりの程度まで回復した河川となった。田舎で「神様トンボ」と言っていた黒い翅のその名もハグロトンボもいる。お盆ももうすぐ、そんな時季に飛ぶこのトンボにはご先祖様の魂が宿っていると信じる人もいる。 私は極楽トンボ、親しみが湧くはずだ。

ただの雑記(いつもだけれど)

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まあ、毎日毎日よく書くなあってところで。 とりあえず世田谷区は久しぶりの雨で、蒸してはいるけれど、暑さはないと言っていい。自転車(昨日ASAHIで新しい磁石をつけてもらいました。無料でした)で走り出して、小雨が降る中20分ほどで戻ってきた。昨日は2日分ほど走ったから、「まあ、いいか」という感じで。 その昨日の野川。夕暮れ間近だね。 水面にはアメンボが多数、そしてその上をトンボがやはり何匹も飛んでいて、苦手な人なら顔を顰めていたろう。いずれも自分らより小さな虫を捕食するんですなあ。ユスリカとかだね。異常発生とまでは言えないレベルだから、生態系健全ということでいいのではないか。そして何よりこの美しい景色、「Enjoy!」である。 * 悪が正されるというのは当たり前のことであって、特に権力側の悪行が正されるのは社会の健全さを何より示すことでしょう。今月7日大川原化工機株式会社の3人の役員に対する誤った逮捕と起訴に対して警視総監が謝罪したのは、6月の東京地検の公安部長が謝罪したのについでのことで、これらはNHKの取材、告発が大きくものを言ったのであって、森友だ加計だ、裏金だ、などという安倍首相らの不正が糾されないままになったここ10年ほどのことを考えると、やっと当たり前のことがなされるようになったなと感慨深い。 また「スーパー・ドミネーター」関連のことだが、盗撮して捕まって、現場検証を通行人おびただしい中やらされ、また最悪の場合は手錠をかけられて衆人環視の中警察車両へと連れていかれる映像を見ていると、巨悪を犯した者が見逃されていることへの強い憤りを覚える。 森友問題の渦中にいた(いる)某官僚が1年半(?)ほど前、世田谷区の高級住宅地の住人が主な顧客の某スーパーで買い物をしているのを偶々見て私は驚いた。改竄問題で世間が大騒ぎになっていた当時、そこまでして財務官僚にとってのいくつかの頂点のひとつに上り詰めたいかと私は怒り、また悲しくなったものだった。 実にあっけらかんとその人物は一人でカゴをぶら下げて買い物をしていた。小柄な人で、目立たない。実に普通にしていた。住まいが近いとすれば、御出世でそんな高級住宅地に住まいを持てるんだなと思ったよ。

逆差別はやめて

将棋ファンとしては書かねばならない(ぷ)。 羽生将棋連盟前会長の提案で、正式なプロ棋士ではない女流棋士がその<本物の棋士>になるための第3の方途を与えることが決まった。それは、女流棋士だけの棋戦である白玲戦で通算タイトル5期を獲得すればいい、ということなのだ。 圧倒的存在感がある永世七冠・羽生さんの提案ゆえ通ってしまったが、最強棋士藤井七冠がそういうことで「棋力の担保はできるのでしょうか」と疑問を呈したと話題になっている。宜(むべ)なるかな、である。 私は大体女流棋士制度にすら懐疑的なのだ。逆差別のシロモノとさえ思っている。女性への将棋普及のためにはしかたがないというロジックであり、それに対して一定の理解はする。しかし、女流棋士のトップ2人が賞金面で、並の、いや、大方のトップ棋士よりも厚遇され稼げる<催し物>がいくつもできてしまってからは鼻白む思いをずっと抱いてきた。将棋は頭脳ゲームだ。男女の体力差があるスポーツの例えば女子テニス、女子サッカー、女子ゴルフなどとは決定的に違う。 女流棋士だけで競ってトップの座を一定程度保持したら年間4人しかなれないプロ棋士に推挙されるとして、それでその「棋士」はやっていけるのか、というのが藤井七冠の疑問なのだ。確かに今の女流トップの2人は時にプロ棋士相手に<いいとこ取りで>勝率6割に達することがあった。そしてそのことでプロ棋士受験資格を得て、一人は新人棋士たちと5戦して3敗0勝で敗退、もう一人は3敗2勝でやはり敗退した。その後者の西山さんは、正式ルートの三段リーグで本当に惜しくも上位2人に入れず、涙を呑んだ。年齢制限はあったが、その成績ならチャレンジは継続できたものの、燃え尽きてしまい、女流に転向した。 プロ棋士になることの厳しさを身をもって知っている彼女らこそ、今回の羽生提案には複雑な想いでいるのではないか。また、自分より遥かに棋力の高い棋士たちよりも稼げてしまっていることに恥ずかしさも感じているのではないか。そうであってほしい。 囲碁界でまた激震が走った。30年以上継続した棋戦が消えたのだ。 囲碁の棋士は2021年7月7日のデータで、総数約475名(日本棋院343名、関西棋院132名)、一方将棋棋士の総数は約171名。囲碁棋士は将棋棋士より約304名も多い。この差は、囲碁の方がプロになるための条件が比較的緩やか(140人の<女性...

ちょっといい話

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長崎原爆忌。 地獄見る天主よ 哀れ 原爆忌 * 定例の天気話。今朝はかなり涼しい。「秋立ちぬ」は疑えない。ただしこれから残暑のぶり返しがないとも思えない。みちのく會津生まれ育ちは暑いのが苦手、それでも今夏の會津は猛暑もいいところだったようだ。でもね、我が故郷では八月に入ればたとえ日中は酷暑でも、朝晩は涼しいというのがこれまでの長い長いパターンだったから、今年もそうであってほしい。 世田谷区用賀2丁目で先ほど5:20 a.m.くらいに撮った空。今日東京の予報は曇り時々晴れ。最高気温予想は33°Cとのこと。 * 用賀には、昔も書いたけれど、Deafening Daphneという岡野治雄ちゃん、スティックとの3ピース・バンドを組んでいた(とは云え解散はしていない)ときに「定(じょう)スタ」にしていたPlus One Studiosが在った。スティックを応援するFさんが本当に良くしてくださった。そのFさんは他界されて久しい。 去年の初詣先がそのスタジオの斜向かいと言っていいところに建つ用賀神社だったのは、その用賀の北隣、上用賀で、G Stringのアルバム「OMNICHRONISM」を録音したこともあって、用賀には縁があると思いを深めたからだ。 Plus Oneの契約駐車場は、「サザエさん」の長谷川町子さんのお屋敷から見て裏手の方に在った。今もその駐車場は在って、都立桜町高校がすぐそば、そしてそこからさらに玉川通り(国道246号)寄りに三田国際科学学園中高が在って、この学校、昔は戸板女子と言われていた学校だった。調べてみると、創立者は仙台藩お抱えの天文学者戸板一左衛門の孫、戸板関子とのこと。だから「<科学>学園」なのか。ちなみに関子の孫で養子となったのが作家・戸板康二(「ちょっといい話」のコラムで有名)だそうだ。 仙台藩の天文学者の孫かあ。 奥羽越列藩同盟で誠を尽くした藩に強いシンパシーを感じる私には、<ちょっといい話>だった。

秋空の遥か東に入道雲

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  今朝は4:30起床、外はまだ薄暗く、立秋を昨日迎えたことを実感。日の出の位置はどんどん南へ移動している。自転車を漕ぎ出すと体に当たる空気に涼しさがあった。(写真は今朝午前5:30くらいの多摩川。狛江市元和泉で撮った。) 「小さい秋みつけた」というフレーズが東日本、北日本では今あちこちで聞かれるようになっている。東京は例外かと思いつつも、いいや、今朝通った世田谷区宇奈根の多摩川べりでなんとエンマコオロギの初音を聞いた。 先日書いた、猛暑にバテまくりの北海道北見市在住の「冨ノ介」さんが昨日LINEをくれ、気温が22°C、寒いと感じるくらいだ、猛暑が懐かしい、と。「ようやく北海道の夏が戻って来ました。食べ物も美味しいし、快適ですよ。是非来道を!」とのことで、羨ましいし、そうしたいけれど、ナショジオの「メーデー!」シリーズ大ファンになって久しい私は飛行機にはもう乗れなくなったしなあ。クルマで行くには相当の休暇を取らないといけないし、などと言い訳したのだった。 * 何事にもデタラメなトランプは、なんと労働統計局(BLS)のエリカ・マッケンターファー局長を解任。統計が「共和党と私を悪く見せるために不正に操作された」と根拠なく主張してのことだった。アメリカ国民よ、本当にこんなのでいいのか?数字の信頼性を自ら壊すことでますますアメリカ経済は世界から見放されてしまうだけだ。 * ご近所のNさん、庭で野菜などを育てていらっしゃる。この1週間でゴーヤとオクラを次々といただいた。これはもちろん夏の味覚。短い夏の休暇では、旅先や故郷會津でNさんにお土産を買う。これは年中行事なっている。今年はちょっと奮発しなきゃ。スナップエンドウ、フキなどなどもいただいてきたからなあ。 * 多摩川の土手道を走っていると、狛江市元和泉から世田谷区鎌田まで、多くの人が朝のウォーキングで汗をかいておられた。その内訳、97パーセントが高齢者と言っていい。40~50歳代だって珍しい。若い人なんてたった2人だった。すごい光景ですよ。 「アニ言ってんだ、MNEMO、おめぇだってその高齢者の一人だんべ。」はい。しかたがないとは言え、その事実、悲しいっす。 私がもし、例えば高3とかの若者でその高齢者たちと次々すれ違っていたら、きっと「日本は大丈夫か」って思うだろうな。「そう遠くない将来この人たちはいなくなる。医療費...

立秋随想 〜銃だらけの国と戦った、刀狩りの国の愚劣

今日は3連チャン(月曜高1、火水と高3)の集中勉強があった後なので家でゆっくりしています。外は何度ぢや、出られたもんではない。エアコン効いた部屋で、主にYouTube見てるダ。 ちょっと前に書いた、アメリカ警察実録モノ。さっき見たのはあまりにひどくて、こういう国だからデタラメなことが次々起こっているのだなあとあらためて思ったよ。 ひとつは「box cutter」を持っている精神状態に何かしら混乱があるだろう男性を、彼が襲ってきているわけでもないのに再三「Drop it!」と警告したからというような理屈であろう、あっさり(警官はあっさりじゃないと言うのだろうけれど)射殺してしまった事例。次には、家庭内暴力で警察介入を依頼した人とは違う家を警官が誤認して訪問、ノックして「警察です」とは告げてはいるけれど、そこに住む老夫婦はそれを聞き取れず、不審者が侵入しようとしていると思い、夫が銃を持って玄関ドアを開けると、間髪入れず警官たちが発砲。夫はおそらく即死。ますます強盗か何かだと思った妻がやはり銃を持って恐る恐る姿を現すと、彼女にも発砲、なんと夫婦共々問答無用で鉛の弾を浴びて亡くなってしまったのだ。しかもまさに致命的なミスをした警官らは無罪になったというから開いた口が塞がらない。 前者は、どう考えてもテイザー(電気ショック)で十分。あるいは、警棒でカッターを叩き落とすというのも十分あった。後者は悲惨極まる。年配の男性がたとえ銃を携えて出てきても、そこで警告することはできた。「We're police officers!」と一言云えば、彼らは制服姿なのだから男性も発砲を少なくとも瞬間控えただろうに。パトカーだって見えたはずだし、いくらなんでも偽装警官とは思わないはずだ。至近距離だったから撃たれてしまう可能性が高かったとでも言うのだろうけれど、なんで射殺するほどの急所を少なくとも複数の警官が狙うのか?「急所を外したら、こっちがやられる」として、torso(胴体)という大きな的を射ってしまうのだ。むろん手足とは大違いの、急所だ。 こんな理屈が通ってしまう、そしてなによりこんな銃による悲劇が日常茶飯事的に起きてしまう国がアメリカなのだ。 アメリカは決して嫌いな国ではなかった。けれど、銃社会をいつまで経っても改めず、銃による死亡者がCenters for Disease Con...

パンちゃんも高3生もがんばれ!(MNEMOは?)

午前5:30に起きちゃあ、<長旅>はできず、40分ほどのcyclingで発汗おびただしく帰還。 砧公園の中、周辺、犬に運動させる人々の多いこと多いこと。そりゃあ、早朝にするしかないよね、炎熱地獄の昼間じゃ、ワンコを道路をフライパンにして炒めているようなものだもの。 * 昨日おとといと高3のみなさん(と言っても3人だが)と集中して勉強。テスト作りも含め、1回5時間の労働だけれど、3人とも一所懸命な若者なのでやり甲斐は大きい。 毎夏思うけれど、勉強さえやっていればいい高3(に限らないが。学生ね)って羨ましいなと。しかもとにかく若くてね、未来がたっぷりで。 そして「毎夏」などと言っている自分は、そのたびどんどん幾何級数的な(!)老化曲線を<endの縦軸>に這わせるようにしているのだから。その漸近線はスレスレ、まだくっ付かないけれどね。 * 昨日パンちゃんからこのブログ第1号記事にコメントが。ここの存在をようやく知ったそうで、ご無沙汰を詫びられつつも、こちらこそ申し訳ない。Ahbenさんとパンちゃんらによる「ハモリーメン」が結成10周年を記念して今冬ライブ演奏するようです。 * 日時: 2025年11月23日(土) 13:15開場 / 13:30ライブスタート 14:30セッションスタート(16:00終了予定) * 場所: 南浦和スタジオパックス別館 K6スタジオ(本館の右側となりのとなり) * 料金: 500円以上(金額は自由です) とのこと。よろしかったらおいでください。 パンちゃんことパンチーノ佐藤くんは元々EUROXのファンで知り合い、またBeatlesの大ファンでもあることから誼をいただいています。 * 大谷さん、ピッチャーで出場、4回8奪三振、メイジャー通算1000安打をホームランで達成。 ・・・言葉がなくなるよね。 実況がこんなことを言っていた。 He is the Beatles in one body. (彼はその体一つであの(4人の)ビートルズなんだ。) すごすぎる。

80年が経って

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  今日広島原爆忌、1945年の人類史上最悪と言っていい凶行が犯されてから80年が経った。 「安上がり」 無恥の聲あり 原爆忌 廣島で聞きしクマゼミ「シャシャシャシャ」と今世田谷で泣く原爆忌 (写真は世田谷区瀬田の今日の日の出)

超支配者

未明からひどい暑さだ、つまり弩級の熱帯夜だったということ。不快さばかりを感じての朝サイクリングとなった。 国内最高気温更新ラッシュ。グローバル・ウォーミングなんかない、あっても海面上昇でビーチが多くなっていいじゃないかというような輩が超大国の大統領をやっている人類史状況だ。深刻にすぎる。最近北海道・北見に住む友人の炎熱地獄に対する悲鳴が何度もLINEを通じて送られてきていた。北海道の亜熱帯化なんて信じられないし、あってはならない。 * 旧ブログでも言及したことがあるが、YouTubeで「スーパー・ドミネイター」という、盗撮犯を確保、警察へ引き渡す顛末を伝えるチャンネルがあって、私は過去には大いにあったそのチャンネルに対するネガティヴな感情をほとんど払拭し、ほぼ全面的に肯定の立場となった。 「ネガティヴ」だったのは、まず<創業者>S氏の胡散臭さ、攻撃的な性格、金儲け主義がずっと鼻についていたことが大きい。この人は今「行方不明」らしく、債権者から逃げ回る生活をしているらしい。その債権者の筆頭が現「ドミネイター」のマンリキ氏なのだ。この人はチャンネル発足からS氏が表舞台から消えるまでカメラマンとして彼を支えていた。いや、S氏がある程度有名になってあまり「本業」をやらなくなってしまっている時からマンリキ氏は被疑者確保の最前線に立つようになっていたのだ。 このマンリキ氏は、S氏に負けず劣らずアグレッシヴな人なのだが、その本性を表すことにははるかに抑制的なのだ。またこの<有償>盗撮犯確保活動の論理もしっかり詰めていて、触法的なことをほぼ一切せずにチャンネル運営を進めているし、実際、盗撮被害者からは感謝される実績を積み上げているのだ。 常に盗撮容疑者がどんな反撃をしてくるか分かったものではないという状況で、圧倒的な体力を以って刑法上許される範囲内での制圧をする。言語能力も高く、ユーモア精神もある。言葉遣いは時に荒くれ者のそれになることもあるが、大体私にはそれすら痛快だったりする。 S氏を含めマンリキ氏のチーム(「我々」と彼は言うので)はこれまで100人くらい容疑者確保を成功させてきた。彼らの本拠は横浜で、まだまだ破廉恥行為をする者はそこにいるけれど、完全にやりにくくなったはずだと豪語している。そして東京の場合、横浜の比ではないほど盗撮に現を抜かす者が大量にいると言っている。そうな...

成城4丁目昆虫記

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  先ほど、狛江市東野川4丁目で撮った朝の夏空。 今朝は5時半過ぎに出たので、すでに気温は上昇途上。それでもまあ、まだ5時台は猛暑というほどでもなかった。 今回、そんなふうにちょっと遅めに出たからこそ体験したと言える、私にとっての驚異2点。 ひとつは成城4丁目の崖線に沿った一方通行の区道でのこと。ここは故・田村正和さんやCASIO創設者の一人故・樫尾俊雄さん、また画家横尾忠則さんらがその道沿いに屋敷を構えた(orる)ところなのだが、私がその道の延長にある、三船敏郎さんゆかりの「ビール坂」へ向かって西進していると、<対向する>飛行体が・・・ な、な、なんと、オニヤンマだった! 信じられなかった。シオカラトンボやアキアカネの類、また東京では絶滅危惧II類のハグロトンボも野川や多摩川周辺では珍しくない。しかし、いくら緑豊かな成城4丁目でもオニヤンマがいるなんて! 故郷會津で頻繁に目にしたように、オニヤンマは細い道の中央をまっすぐ飛ぶのだ。そして突然折り返す。つまり蜻蛉返りだ。その往復運動を何度も繰り返す。 田舎ではオニヤンマは小川で羽化していた。成城では野川なのか。少し大きすぎる川だ。とすれば、崖線から<滲む>ハケの水の小さな流れの中、ヤゴになり、羽化するのか。 もうひとつの脅威は・・・あ、変換ミスだけれど、でもそれでいいのかも--- 崖線を下ったところにある大規模コンドミニアムである三井不動産・パークシティ成城前のケヤキ並木(500mはあるか)なのだが、蝉時雨が大騒音状態。本当にけたたまし過ぎてきっと住民たちは駆除を検討することになろうと思うほど。セミが大発生しているのは明らかで、その圧倒的<主力>が私が忌み嫌う(!)クマゼミなのだ! 私も逃げるようにしてその、本当なら涼やかで清々しいケヤキ並木道を、疾駆し、抜けた。 天敵のスズメ、カラス、そしてカマキリ(嫌いだけど)よ!来れ!

2025 葉月酷暑雑記

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  世田谷区宮坂1丁目に在るゆるい坂道。鴎友学園の裏手だ。こういう地形が好きでね。 * 自転車だけれど、後輪のスポークについている速度計測のための磁石を応急で取り替えて(その自転車専用のは在庫切れだった)なんとか当座は問題解決。そんなので電気のバッテリーからの供給も左右されるなんてねぇ。知らなかった。しかし、ではなぜ買ってまだ5ヶ月なのに磁石がダメになったのかが不明。ぶつけたりはしてないけどなあ。自転車屋のお兄さんも分からないようだった。 * 近所に、谷戸川(長さ3.5km、千歳台2丁目から発し岡本2丁目で丸子川に合流する多摩川水系の川)の溝渠沿いに長く花壇を設けている公園が在って、季節の花々を植え替えてくださる私と同世代だろう(きっと)女性に朝お会いするたびご挨拶し、感謝の言葉を掛けている。 こういう人にこそ、大勲位菊花章を上げたらいいのに。
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昨夕、調布市の野川。不思議な空。何かの影が伸びる。 * 先ほど自転車を漕ぎ出すと、速度計がまったく働かず、あれあれと思っているとエラー表示が出て、電気の供給が切れてしまった。バッテリーをはめ直したがダメ。敢えなくポタリング中止。 * もう数日前のことだが、CS放送で『椿三十郎』(東宝映画1962年)の4Kリマスター版が放送され、狂喜して録画、すでに2回ほど観たことがあったけれど、今度はdetailsにもこだわって鑑賞した。 今回特に気づいたのは、青年武士・井坂直人を演じた加山雄三さんの名演だった。そして田中邦衛さん。1961年にスタートした『若大将シリーズ』での「青大将」の人物造形においてもそうだが、井坂の仲間の青年武士「木村」を演じた田中さんは「foil」としてやはり加山さんを引き立てた。 「foil」とは、古フランス語の「feuille」(葉や薄いシート)に由来し、ラテン語の「folium」(葉)が語源だ。<元々は「背景として何かを引き立てるもの」を意味し、宝石の輝きを高めるために金属箔を背景に使う慣習から、文学での「引き立て役」の意味に発展し>たとのことだ。そう、「アルミフォイル」とかでの「フォイル」、金属箔だ。 椿と仲代達也さん演じる室戸半兵衛による有名な決闘シーン、すなわち椿と室戸という二人の「鞘に入っていない、抜き身の刀」のような侍同士の凄絶な決着のつけ方に、青年武士たちが息を呑む・・・そして井坂(加山さん)が「お見事!」と沈黙を破り声を上げるのだが、椿が、「聞いたふうなことをぬかすな!」と憤然と叱責する。窘められたときの井坂の表情たるや! 三十郎は、殺し合いなど無益であり、本当は避けなければならないことを、「本当に良い刀は鞘に入っているもんだ」という比喩で教える。 そしていよいよ三十郎が「あばよ」という前のシーンだ。井坂は目に涙を溜めている。本当の武士とはどういう人物、人品なのかを具に見せられ感動する井坂の健気な表情に打たれる。井坂はそして土下座し、三十郎に感服し、感謝する。仲間の青年武士たちも続く。 あらためまして、加山さんはすばらしい役者です。 ・・・そして三船さんの演技、本当に痺れる。なんという圧倒的な人間力だろうか。存在そのものに力が横溢している。こんな俳優、もう二度と出ないと心から思う。ちなみに三船さんは陸軍航空科上等兵で、神風特攻隊員を見送...

非業の死のない世界を目指して

教育の失敗と言うしかないのではないか、核武装が安上がりだの、明治憲法の復活だの、過激なことを言う者たちが一定数勢力を持ってしまった今。 そういう跳ね上がりはもちろんそれなりの数昔からいたに違いない。しかし、アヒンサ(非暴力)や殺生戒などはほとんど絶対的に正しいことではないか。殺人や暴行を犯した者も自分が正しいことをしたと胸を張ることはあるまい。「しかたがなかった」とは言うだろうけれど。いや、私の殺人・暴行は善であったと一点の曇りなく言える者など<まず>いないはずだ。 YouTubeではおびただしい数の「アメリカ警察モノ」のビデオが出回っている。「I don't wanna shoot you, sir」と言いつつ、ナイフを捨てない、銃を捨てない抵抗者をtaser銃(電気ショックを与える)で制圧できなければ銃殺覚悟で急所を撃つ。脚や腕などを撃つことはない。2023年にはアメリカで1,164人が警官に射殺された。信じがたい数字だ。1日に3人強がアメリカのどこかで警察官の17発も連射できるグロック銃(拳銃)で致命傷を負っているのだ。日本では到底考えられない。この異常を多数派のアメリカ人たちはいつまで経っても自覚しない。そして警官は「職務上しかたがなかった」と言う。「他の方法がなかった」と。 養老孟司さんが謂う「3人称の死」は基本的に<どうでもいい>のだ。「2人称の死」で人は影響を受ける。「1人称の死」は体験しようがない。 「国のため死ね」と言う者は、そう強制される者たちが「3人称」だから言えるのだ。あの愚かな参議院議員当選者は、核武装して本当に核戦争になっても自分は生き残ると思っているのだ。実際に殺されたのは広島や長崎で亡くなった過去の「3人称」の人々であって、ますます<どうでもいい>からそう<気軽に>言えるのだ。 しかし、「3人称の死」を徹底して軽んじる者には天罰が下るだろう。突然アホなことを言うようだが、私はそう信じる。人はだれだって「3人称の死」を「2人称の死」と同じようには扱いようがない。けれども、縁もゆかりもない赤の他人であっても、特に非業の死を遂げることがないことを祈り、共にそのような非業を招来しない社会、世界をつくろうと思えない、発想し得ない、行動し得ない者はきっと<呪われる>。 その確信の根拠は? 我が故郷に眠る長岡藩士の霊、そしてやはり奥羽越列藩...

如雨露のこと&サイゼリヤ、OK

 4:08、ペダルを漕ぎ出し、三本杉の交差点(世田谷通りと環8の)で早々に雨に降られた。予想より早い降り出し。這々の体(!)でUターン。台風の外側の雲がかかり出したようだ。 東京は(他の多くの地域・地方もそうだろうが)日中ずっと猛暑の日々だったから、今回の台風は神様が(笑)「如雨露(じょうろ)」を持って水差しに来てくださったということだと喜ぶべきだろう。 ところでこの「如雨露」、完璧と言っていい漢字表記で、日本ないしは中国の発明品かと思ってしまうけれど、語源はどうやらポルトガル語のようだ。「jorro」は水の「噴出」、ないしは「jarra」、「瓶(ビンというよりカメだろう、英語のjarだ)」から来ているらしい。となれば、戦国時代末期にイエズス会の宣教師さんらがもたらしたか。 趣味が庭仕事・花の栽培だった亡き母は「じょうろ」と言っていたが、「じょろ」と発音したこともあったように記憶する。チビすけとして、その響きがおもしろかった。それは大人がどこか知らない保管場所から持ってきて時々使う楽しげな器具であって、「母ちゃん、ボクにもやらせて」と散水の交代をせがんだものだ。ブリキ製のものだったなあ。 * 昨夕、珍しく代休をとった義父の娘と平日ながら食事に出かけた。代休とは云え、遠い職場に行かず家で仕事をしたのであって、まったく、いわゆる「サビ残」だ。私が所望して、彼女とは1年ぶりくらいにサイゼリヤへ行った。洋食気分だったのと、なにより驚異のコスパの良さをまた実感したかったのだ。 それは結局企業努力の賜物、そしてそれは人件費も究極というほどに切り詰めた成果であろう。出されるものみんな立派な品質、味であり、量も十分。代表的なのは、料理ではないが、グラスワイン91円(税抜)で、毎回驚嘆する。「この値段、どういうことだ!」とメニューを見るたびに言わざるを得ない。まあ、私は一杯だけ飲むのだけれど、ワインの良し悪しなど到底分からない私としては、その価格の美味さに舌鼓を打つよりない。 二人でお腹いっぱい食べて、義父の娘はドリンクバーもつけて、なんと1人あたり1050円だった。 家に戻ってYouTubeを開くと、毎日見る「社畜ジャパン」がスーパーのOKストア従業員による口コミを紹介していた。「客はOK、従業員はKO」と。あそこの安さの秘訣は複数あるけれど、やはり人件費の徹底的な切り詰め...