誕生日随想

早朝に前の記事を書いてから少し寝た。

転石会(Mick師を囲む会)のLINEスレッドにMick師、治雄ちゃん、安里くん、スティック、幸夫ちゃん、そしてKから早々にメッセージをいただいていて感激。そして娘からあらためて、さらに姉ちゃんから、また幼馴染のKMくんからも。しみじみした。1年に1回だけの「birthday boy」になれる栄光の日!(笑)

*

KMくんはまた我が歌「Today」に励まされていると書いてくれた。

https://www.youtube.com/watch?v=QPujEOaYaSc

KMくんの會津の家は、私の家の檀家寺へ行く道沿いから見える。彼の弟君が家を引き継いでいる。そこは小学校への通学路でもあって、私は、7歳から12歳まで毎日のように通い、そしてその行動半径数百メートルのちっちゃな町の一部が世界のすべてだった頃のことを思い出していた。

KMくんは大変なウルトラ・シリーズのファンで、「Kプロ」と称し仲間と着ぐるみを作ってウルトラマンごっこをしていたものだ。昨日たまたまNHKBSでその「ウルトラマン」の4Kリマスター版が2本放送されていて、映像の美しさに驚嘆した。着ぐるみのお粗末さが際立つほどの精彩な映像なのだ(皮肉)。ストーリーも荒唐無稽、子どもだまし・・・いや、批判しているとかでは全くない。私だって欠かさず見たシリーズなのだ。

ただ2本まるまる見たのは、もしかすると円谷プロが在った世田谷区砧の当時の映像が劇中に出てこないかなという興味からだった。残念ながらその2作では全くなかった。

そう、私は今縁あってその砧に住んでいる。街の商店街はウルトラマンの名を冠しているし、東宝の特撮技術も担った福島県須賀川市出身の円谷英二さんは砧7丁目と成城1丁目(円谷プロ、キヌタラボラトリー、東宝砧撮影所)のヒーロー(!)の一人なのだ。


話は戻って墓参への道すがらのこと。




この荒れ放題となった小道。右に曲がれば保育園が在って、百メートルほどで檀家寺の西の入り口になった。子どもの頃この道を何度歩いたことか。

その寺の西の入り口に直角で交わる道は「鹿島坂」と呼ばれ、その坂を下ると熊野神社にまっすぐ通じる。その鹿島坂に交差する道の西側には野口英世の火傷の手術をした渡部鼎医師の研幾堂という医院が在った。東へ進むと幼馴染Sくんの家が在った。Sくんは警察官になったと聞いたが、確か50歳にならず他界された。何度も遊びに行ったSくんの家は完全に朽ち果てている。

諸行無常が説かれるお寺のそばは、こうしてその実例だらけになっている。

むろん墓所に眠る我が父母、祖父母、長兄、伯父伯母、叔父叔母、従妹もその摂理の証となっている。まだ「他界」へ行っていない私は、それがどういう世界か当然知らぬままなのにネガティヴにとらえがちになるけれど、どうなのだろうね、と思って花を供え、線香に火をつけた。

しかしだ、諸行無常もそうだがさらには諸法無我ゆえ、また縁を結ぶかもね、とも思いつつ。

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