逆差別はやめて
将棋ファンとしては書かねばならない(ぷ)。
羽生将棋連盟前会長の提案で、正式なプロ棋士ではない女流棋士がその<本物の棋士>になるための第3の方途を与えることが決まった。それは、女流棋士だけの棋戦である白玲戦で通算タイトル5期を獲得すればいい、ということなのだ。
圧倒的存在感がある永世七冠・羽生さんの提案ゆえ通ってしまったが、最強棋士藤井七冠がそういうことで「棋力の担保はできるのでしょうか」と疑問を呈したと話題になっている。宜(むべ)なるかな、である。
私は大体女流棋士制度にすら懐疑的なのだ。逆差別のシロモノとさえ思っている。女性への将棋普及のためにはしかたがないというロジックであり、それに対して一定の理解はする。しかし、女流棋士のトップ2人が賞金面で、並の、いや、大方のトップ棋士よりも厚遇され稼げる<催し物>がいくつもできてしまってからは鼻白む思いをずっと抱いてきた。将棋は頭脳ゲームだ。男女の体力差があるスポーツの例えば女子テニス、女子サッカー、女子ゴルフなどとは決定的に違う。
女流棋士だけで競ってトップの座を一定程度保持したら年間4人しかなれないプロ棋士に推挙されるとして、それでその「棋士」はやっていけるのか、というのが藤井七冠の疑問なのだ。確かに今の女流トップの2人は時にプロ棋士相手に<いいとこ取りで>勝率6割に達することがあった。そしてそのことでプロ棋士受験資格を得て、一人は新人棋士たちと5戦して3敗0勝で敗退、もう一人は3敗2勝でやはり敗退した。その後者の西山さんは、正式ルートの三段リーグで本当に惜しくも上位2人に入れず、涙を呑んだ。年齢制限はあったが、その成績ならチャレンジは継続できたものの、燃え尽きてしまい、女流に転向した。
プロ棋士になることの厳しさを身をもって知っている彼女らこそ、今回の羽生提案には複雑な想いでいるのではないか。また、自分より遥かに棋力の高い棋士たちよりも稼げてしまっていることに恥ずかしさも感じているのではないか。そうであってほしい。
囲碁界でまた激震が走った。30年以上継続した棋戦が消えたのだ。
囲碁の棋士は2021年7月7日のデータで、総数約475名(日本棋院343名、関西棋院132名)、一方将棋棋士の総数は約171名。囲碁棋士は将棋棋士より約304名も多い。この差は、囲碁の方がプロになるための条件が比較的緩やか(140人の<女性>棋士がいる)で、さらに引退制度が厳しくないこと、またさらには日本棋院と関西棋院の2つの組織がプロを養成しているのが主な要因だ。そしてその大勢を支えきれなくなっている。
去年、歴史と格式の本因坊戦が、主催の毎日新聞が従来の規模を維持できず、ひどい格下げとなって、そしてまた棋戦消滅。元々そう人気があるわけでもないのに、プロ資格を甘くしているボードゲーム団体を襲う当然の報いではないか。
一方、藤井フィーヴァー、そして八冠達成という物語が進行して将棋界はなんとか「斜陽産業(by糸谷八段)」に今はならずに収まっているのかもしれないが、大きな視点で見れば疑いなく太陽の角度は90度よりだいぶ西に傾いているように思われる。
だから女性も巻き込まなければ、というのだろう。ファンあってのプロのボードゲーム界であるのは百も承知。しかし、だからと言って粗製濫造に手を染めてしまっていいということにはならない。
頭脳ゲームだ。女性だとか男性だとかではない。女も男もなく、共通の過酷な登竜門をくぐれた強い者がプロになる、その一点ではないか。女流に甘い態度をとることは逆差別だ。
私はだから女流棋士制度すら徒花だと思っている。在ってもいいが、今では藤井七冠だけを除くトップ棋士すら獲得できない賞金を出すべきではない。「それでは励みにならない」?いや、だからこそ正式のプロを目指すしかないと努力できるではないか。
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