立秋随想 〜銃だらけの国と戦った、刀狩りの国の愚劣

今日は3連チャン(月曜高1、火水と高3)の集中勉強があった後なので家でゆっくりしています。外は何度ぢや、出られたもんではない。エアコン効いた部屋で、主にYouTube見てるダ。

ちょっと前に書いた、アメリカ警察実録モノ。さっき見たのはあまりにひどくて、こういう国だからデタラメなことが次々起こっているのだなあとあらためて思ったよ。

ひとつは「box cutter」を持っている精神状態に何かしら混乱があるだろう男性を、彼が襲ってきているわけでもないのに再三「Drop it!」と警告したからというような理屈であろう、あっさり(警官はあっさりじゃないと言うのだろうけれど)射殺してしまった事例。次には、家庭内暴力で警察介入を依頼した人とは違う家を警官が誤認して訪問、ノックして「警察です」とは告げてはいるけれど、そこに住む老夫婦はそれを聞き取れず、不審者が侵入しようとしていると思い、夫が銃を持って玄関ドアを開けると、間髪入れず警官たちが発砲。夫はおそらく即死。ますます強盗か何かだと思った妻がやはり銃を持って恐る恐る姿を現すと、彼女にも発砲、なんと夫婦共々問答無用で鉛の弾を浴びて亡くなってしまったのだ。しかもまさに致命的なミスをした警官らは無罪になったというから開いた口が塞がらない。

前者は、どう考えてもテイザー(電気ショック)で十分。あるいは、警棒でカッターを叩き落とすというのも十分あった。後者は悲惨極まる。年配の男性がたとえ銃を携えて出てきても、そこで警告することはできた。「We're police officers!」と一言云えば、彼らは制服姿なのだから男性も発砲を少なくとも瞬間控えただろうに。パトカーだって見えたはずだし、いくらなんでも偽装警官とは思わないはずだ。至近距離だったから撃たれてしまう可能性が高かったとでも言うのだろうけれど、なんで射殺するほどの急所を少なくとも複数の警官が狙うのか?「急所を外したら、こっちがやられる」として、torso(胴体)という大きな的を射ってしまうのだ。むろん手足とは大違いの、急所だ。

こんな理屈が通ってしまう、そしてなによりこんな銃による悲劇が日常茶飯事的に起きてしまう国がアメリカなのだ。

アメリカは決して嫌いな国ではなかった。けれど、銃社会をいつまで経っても改めず、銃による死亡者がCenters for Disease Control and Prevention (CDC)の2023年の最新データによると、46,728人という信じがたく、痛ましく、恥ずかしい<国柄>を世界に晒しているのだ。

こういう国だからこそ、広島と長崎への原爆投下も正当化されるのだ。むろんナチス・ドイツという最悪の非人道国家と戦い、そのドイツの枢軸同盟国として日本とイタリアと戦った「自由を尊ぶ国」としてのアメリカという国がなかったら人類史はどうなっていたか分からない。自由主義を守るために幾多の命が失われたことももちろん分かっている。

けれども、アメリカでは相対的に人命が軽んじられている度合いが高いと言えないか?1791年制定の合衆国憲法修正第2条(Second Amendment)で銃を持つ権利を保障しっぱなしの国は、それゆえ互いへの疑心暗鬼を国家レベルで国民の間にずっと醸成し続けているのではないのか?

そしてやられたらやり返す。Eye for eyeという精神。さらにはpreemptive strike (先制攻撃)、やられる前にやる、が当たり前になってしまっているのではないか。

1791年からこんな権利が憲法で保障(&保証)されている国の軍隊と戦うことを1941年に決めた日本政府の愚かさも際立ってくる。

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