賢治さんを再び感じるため
今花巻にいる。
写真は宮沢賢治ゆかりの「イギリス海岸」、北上川のほとりだ。上流(八幡平の方)の大雨で増水し、水は濁っていた。
花巻は二度目、前回同様賢治さんへの興味と、今回は大谷翔平さんのこと(母校が花巻東高校ゆえ)も重なっての「来花」。
賢治さんへの興味が俄然湧いたのは、2008年だったか、KAGAYA氏の制作した映像詩『銀河鉄道の夜』を府中の郷土の森プラネタリウムで見てからのことだ。圧倒的な経験だった。賢治さんの宗教的信念が銀河鉄道での旅の中で語られるこの物語をどう映像化そして音響化するのか、その難題をKAGAYA氏が見事に解いたと私は感激し、終演後もしばらくの間打ち震えていたものだ。後にもう一度見ることにもなった。
カンパネルラのモデルは盛岡高等農林で出会った親友保阪嘉内に間違いはない。これは今野勉さんの研究による説をNHKがそれに沿って番組にした「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」で明らかだと私は確信している。また、「風の又三郎」のモデルも保阪さんである。
だからどうした、であるけれど、明治29年奥州花巻に生まれ育ったひとりの男性が、地学や化学、植物学、昆虫学などなどつまりは博物に興味を持ち、そしていよいよ目を宇宙に向けて「ほんたうの幸」を追い求めたことそれ自体が、生まれ育った時代と花巻と會津の違いはありつつ、僭越ながら、重なるのだ。
私には法華経の裏打ちはない。仏教には他のどの宗教よりも興味を持つけれど、しかしよく考えると素朴で融通無碍な古来の神道(植物崇拝だったり、八百万の神、つまりはアミニズム)にこそ最も共鳴する。賢治さんも、たとえば大好きな鉱物を手にして、そこに命ありと思ったであろうことは想像に難くない。「山川草木国土悉皆成仏」なのだ。アニミズムではないか!
東北に生まれ、四季の鮮やかな対照を経験し、それを賛美するようになったなら、もう、崇拝でなくても、自然を敬い愛するようになるのはほぼ必然だろう。そしてその敬愛から、偉大な存在=宇宙がなにゆえ形成されたのか、なぜ存在は存在するのか、なぜ人は生まれ、死ぬのかを考えていく必然が生じてくるのだ。
賢治さんはそういう必然に導かれて数々の物語(=歌)を残した人だ。私の先輩と呼んでもよかろう。むろん、才能の差はおびただしいけれど。
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