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5月, 2025の投稿を表示しています

五月尽雑記

寒い1日だった。本当にこの初夏の天候は近年稀にみる低温傾向だ。梅雨寒と言っていいのでは?気象庁がそう言わないからそうじゃないとかではなくて。 梅雨寒でTシャツなのに懐手 懐手してみて悲し太鼓腹 Mooさんのお連れ合いに川柳で対抗。(笑) * ナショナル・リーグDodgersの大谷、アメリカン・リーグYankeesはジャッジという両リーグ昨年のMVPsのホームラン競演、しかも同じ1回(First Inning)の表裏。そしてShoeiはさらにもう1本。こんな漫画みたいな展開がありうるスポーツ、baseball。大谷翔平の登場、存在で、MLBは、野球は、本当に変わってしまった。もちろん、すばらしいかたちで。かつてないかたちで。 Shoheiに関税かけろとトラが言ひ * 学のない言葉遣い、失言だらけ、浅学さ丸出しの政治家が、学者の集まりを毛嫌いするのは道理だろう。対極にある人間たちを厭い、彼ら彼女らの頭脳明晰さをねたみ、あるいは時に恐怖するのは。MAGAたちも、日本学術会議に過干渉する政治家たちも、くだらない連中だ。 * 五月尽。 Project Hydrangeaの仲間たちに、今の私の停滞を詫びた。庭の紫陽花は盛りを迎えつつあるのに。

藤井vs永瀬戦に段々食傷

仕事もあったし、ずっと見ていたわけではないどころか、最後の1分将棋あたりから見たのだが、名人戦は藤井聡太名人が3連覇となった。 ヘボの勝手な感想。タイトル戦が藤井vs永瀬となることが多すぎて、新味が乏しいのは誰にも同じだろう。しかもレーティングダントツの二人の勝負で、高度に過ぎる。もうほとんど二人だけの将棋宇宙の世界なのだ。これに勝てばストレートでタイトル防衛という4局目、藤井名人が自然な受けの手を指さず必勝とも思える将棋を落とした。私は興醒めした。見落としなのか、奢りなのか、何なのか、ヘボには永遠に分からないけれど、その受けの手は私だって指せるものだったのだ。 将棋界ではこの藤井&永瀬は浮いているのではないか。永瀬さんはよく他の棋士の努力など自分の比ではないというようなことを言う。最強藤井と伍せる存在は自分しかいないという自負はいいのだけれど、鼻白む棋士は多かろう。そういう者たちは、本当に打倒永瀬、藤井を死に物狂いで目指してほしい。 レーティング3位であった伊藤叡王が今どんどん棋力を落としている。叡王戦も防衛が厳しい段階にきている。この2人の「将棋星人」の激闘を傍観者的に観てはいまいが、もっと闘志をむき出しにする姿勢を示してほしい。 藤井さんは伊藤叡王をかなり意識している。それは負けず嫌いのなせるわざ、なのに今の伊藤さんはどう考えても敵ではない。永瀬さんほどの努力を、しているのかもしれないが、彼を上回るほどに、してほしい。 はい、ヘボが勝手なことばかり書きました。 (永瀬さん以外の「将棋星人」が出てきても、藤井さんとやはり素人には、いや、大概のプロにでも難解すぎる将棋を指したなら同じことと言われそうだが、相手が変わるというその事実だけでおもしろみは増す。)

Punk Rock Lovers Beat Down SS Follower, plus more

Twitterを見ていたら、ラス・ヴェガスのパンクロック・コンサートに「SS (=Schutzstaffel)ナチスの親衛隊)」のロゴ入りT-shirtを着た男性がやって来て他の観客から放り出されるという顚末のビデオが。パンク・ロックは国家社会主義ではなく、無政府主義に親和性がある。ヒトラーが共産主義者および社会主義者を敵としたのと同様、無政府主義者も弾圧したのです。(なお無政府主義=anarchismは、無秩序を標榜する政治思想ではありません。語源は an - "without"  + arkhos "leader"であって、為政者がいない世、みなで運営する世を目指す思想です。念の為。) * 関西圏のどっかの殿様が、側近侍従の謀反で、外堀、内堀を埋められ、本丸まで敵軍に来られ、囲まれても、「余は悪うない。爺らが勝手にやったことぢや」と往生際、 最悪に悪い 。なんだか楠木正成に憧れているらしく、楠公(なんこう)はんも「ええ加減にさらせや」とお怒りだろう。彼は敵を前にしても逃げず、武士らしくharakiriをしたんやで。もちろんあなたもそうせぇなどとは言わへん。城の明け渡しをして、地方公務員法第34条守秘義務違反や公益通報者保護法違反とかの処罰を受ければよろしい。え?立証はむずかしやろだって?<難航>するやろって?せやから「真摯に受け止める」とか言うておれば済む思うてんのか。なら教唆や共同正犯の可能性を探られるだけやで。側近侍従が自分らだけ罪着せられたらかなわん思うてるからなあ。あと、湊川神社の御神体楠公はんに扮装して騎馬行列したんだっけ、それも公務で。あ〜あ、憲法20条違反かもよ。で、下位の法律で背任罪(刑法第247条)に問われる可能性も出てきたでぇ。 誰のこと言うてまんのや、なあ、MNEMOはん。「知らんけど。」 *  今アメリカのTwitterなどで人口に膾炙しているのが「TACO」、トランプの政治姿勢、特に関税政策での二転三転を指す。「Trump Always Chickens Out」のアクロニムだ。「chicken out」は目に見えるようなイディオムで、鶏が強いものが来てパニック気味に逃げることからできたもの。「トランプはいつも臆病風吹かして逃げちまう」がMNEMO訳。「CAVE MAN」も同様に膾炙。「cave...

A Japanese Player Who Redefines Baseball

午前4時過ぎ、極々小雨という空の下自転車で家を出ると、いやはや、雨が強くなった。3キロも走ることなく帰ってくる羽目に。そして今は太陽が時々顔を覗かせている。今日は暑くなるのかな。 * YouTubeには本当に「日本上げ」のビデオが多数だ。「日本人」のユニークさが称揚されるのだ。主に農耕民族として四季豊かな島国に暮らしてきた一群の人々が独自文化を育んできてもなんら不思議はない。一時「ガラパゴス化」と揶揄されたような島国根性からの産物が比類なきものであって、実は他の国や地域の人々から珍重されるものだったなどということも大いにあるようだ。そしてそれらを産み出す人間たちに興味惹かれる他国人も多い。 今のところ対象はアメリカ人が主だけれど、大谷翔平の存在は、幾つもの日本ガイドブックや文化、歴史の本以上のインパクトで「日本人」の或る典型についての情報を彼ら彼女に提供する。勤勉さ、謙虚さ、礼儀正しさ、チームの勝利第一主義、チームメイトへの心配り、チームを超えて野球を愛するすべてのプレイヤーとファンを大切にする気持ち・・・多くのアメリカ人たちが畏敬の念を抱き、また「日本人」たちが彼を鑑として己の態度を改める。 「彼は野球というものを再定義している」というようなことを言ったのは、大リーグのレジェンドのひとり(誰だったか忘れた)。健在のレジェンドたちは今圧倒的に中米出身者が多いようだ。イギリス生まれのクリケットが発展的にベースボールとなって、1876年ナショナル・リーグ発足、それから71年経っての1947年、ようやくJackie Robinsonが最初の黒人選手となった。アメリカ自体が「人種」民族の坩堝だったわけで、いよいよ黒人やヒスパニック系の選手も加われるようになって、さらに1964年、村上雅則が「日本人」として初めてMLBで投げたのだった。 その後野茂英雄、松井秀喜、イチローなどが輝かしい成績を残す選手となっていったけれど、大谷翔平は本当に彼らとは、そしてさらにはこれまでのMLB選手らとも、まったく違う次元の活躍をしており、野球というスポーツをまさに再定義している。 Baseballがこの国では「野球」と名づけられ(名付け親は正岡子規ではないそうだ)、ガラパゴス化が始まり、とうとう大谷翔平を生んだのだ。彼には、岩手県奥州市生まれ育ちの田舎のいち野球少年にすぎなかった時期があったの...

2025 涼しい初夏雑記

「何を説明したらみなさん納得するんですかね?特にプライベートなこと一個一個について求めるのは、それはそれでまた私は違うんじゃないかと思います」と山尾さん問題で玉木さん。 何と「違う」のかがない。言語にされず、あるいはわざと言わず、議論にならない。彼がきっと言いたいのは、有能な政治家(自分を含めて)なら、彼彼女が(英雄)色を好むということぐらいは目をつぶりましょう(伊藤博文、渋沢栄一など枚挙に暇がないほど例がありますし)、天下国家を導く者の色恋沙汰や不倫とかは国民にとっては瑣末なこと、二の次どころか最下位の問題なのです、ということ。それを堂々と言えばいい。(賛成しないけど。😜) * 上はさっきTwitterでつぶやいたもの。 * YouTube「社畜ジャパン」が「底辺YouTuber」をテーマに昨夜ビデオ公開。アハハ、「底辺」かあ。2桁しかチャンネル登録者がいない私など、最底辺だろうね。いやさ、それで収益化とかまで行こうとか思っていないんだ。最低3桁にしたいのは、何度も言うけれど、仲間たちとのおそらく最後から何番目かの奏で合いのステージを作りたいからなんだ。まあ、そんなこと言っていてもずっと現状維持だし、新しいclip作りも今はやってないし、自因自果ですけれどね。 * さっきまで庭や玄関前とかの雑草取りをしていました。蚊が来なくてびっくり。彼女ら(血を吸うのはメスゆえ)には寒すぎたのか。おかげで捗りました。 * 娘夫婦が子ら(長女2歳、長男0.5歳)に「ガリアン・ワールド」を胎内にいる頃から聴かせている。曲を流すと泣くのをやめるとか、エピソードがあった。爺ちゃんの声が分かるのか。それはないか。「星の1秒」にしみじみするにはあと十数年かかるよなあ。生きているかなあ、あっしは。

2025 皐月下旬雑記

東京は風が強く肌寒い、曇天の朝だ。 五月下旬としては珍しい天候と言っていい。去年までのそれなり長期の天気傾向とは今年は明らかに違う。あくまで今のところという限定句が必要だけれど、初夏なのに盛夏を先取りするような異常な暑さになる日がない。私にはありがたいのだけれど。光熱費軽減で、大方の家計にもありがたいはずだ。 * 昨夜potteringに出て、交通量がその時には全くない交差点で、しっかり赤信号での停止を守る30代と思しき自転車乗りがいてうれしくなった。「こういう男性と娘は結婚してほしい」と父親なら思うような。(笑)稀有な存在なんですよ、本当に。 * 兵庫県知事様が湊川神社の祭神楠木正成に扮して行列の主人公になったそうだ。消費者庁や総務大臣から法律遵守を迫られている中、いい気なもんだ。で、政教分離は大丈夫なの? 楠木正成、楠公さんは、後醍醐天皇の忠臣として国家神道のヒーローのひとり。後の南朝にとっての「賊」である足利尊氏らと戦って命を落としたのだ。彼が上京の際、皇居外苑に立つその楠公さんの像と自分を写真に収め、我は現代の楠公というようなことを言っていたっけ。 判官贔屓というのがあって、楠公は敗者であるから、一定の人気があるし、しかも天皇の忠臣だったわけだから、さらに一定の層の共感を集める。天皇が敗者になるというのは南北朝時代ならではのこと(鎌倉期の後鳥羽上皇の例はあるが)。非常にレアな判官贔屓が発生したのだ。 敗者への同情の心は、新選組へも注がれる。新選組は幕府への忠誠で死んでいった者たちだが、直接の主君は會津藩主松平容保、その容保は孝明天皇への忠義心おびただしい人だった。こちらは後の「維新」政府によって完全に「賊軍」にされ、會津藩や他の奥羽越列藩同盟で最後まで戦った諸藩は虐げられ続けた。 公益通報を自分らへの悪口でしかも嘘八百(第三者委員会はそれを否定)と徹底的に潰し、通報者を自死させるまで精神的に追い詰め、「3号通報者も保護対象」という法律を<独自>解釈して無視、通報者に下した処分を問題ないと今でもしている無法者が楠公に己をなぞらえるとは笑止。

都心南西部で非日常体験

今日は義父の娘の晴れ舞台、母校のOGオーケストラが定期演奏会を催したのだ。都心の超一等地に在るその母校の付設コンサートホールはプロ仕様とも言える立派なもので、それだけで度肝を抜かれた。 演奏自体は、もちろんプロではないし、アマチュアとしてもそうリハを重ねられる暇もない卒業生たちの集まりだから、<それなり>であったが、義父の娘はかなりのレベルで演奏しており、感心しきり。 義父とクルマでそのコンサートへと向かったのだが、行き帰り渋滞ゼロでストレスもゼロだった。都心を走るのはもうこの歳では楽しくはない。それゆえ却って非日常感おびただしく、都心てこうだったなあと些か懐かしく、なにしろ学校周辺の超高級住宅地ぶりにあらためて嘆息を吐いたものだ。 「都心」には娘と孫に会いに行くじゃないかと言われそうだが(誰に?)、都心と言っても娘たちがいる千代田区と北西で隣接する新宿区東部と、今回のコンサート会場となった某私立学校が在る千代田区と南西で隣り合う港区plus渋谷区東部ではやはり毛色(?)が違う。後者は1年に一、二回だかくらいの頻度で、しかもクルマで通り過ぎるだけ。 Mick師と初めてお会いしたのが南青山に在ったレコード会社であった。氏が私を呼んでくださったのはデモテープを聴いて下さったからで、そのデモテープは広尾のスタジオで録ったのだった。會津から出てきてそう経っていない頃に田舎者の青年がデモテープを広尾で録ったなどというのは贅沢の極みだけれど、いいえ、実は1980年辺りではまだまだ広尾であっても廉価で録ってくれるスタジオがあったのだ。その後EUROXの活動は六本木を中心として展開された。都心南西部は昔<俺のシマだった>。(嘘言え) なにしろ繰り返すが、非日常的な体験をした今日は、なかなか乙であった。

野川・多摩川と信州と

昨夜仕事が終わって漫然とBSとCSのチャンネル・サーフをしていたら、去年だったかに見た、野川を、主流多摩川に合流する二子玉川から上流へ遡り、国分寺市のその水源へと辿り着く20.5kmの行程を散策するNHKBSの番組が再放送されていた。昨日私がその写真を掲げた谷戸橋からひとつ下流側に架かる神明橋で「散歩人」の乙葉さんがカワセミの写真を撮るご老人たちと<遭遇する>シーンだった。 私の「仕事」とは、偶然なことにその乙葉さんが卒業した高校の後輩たちに英語をお教えすることであり、彼女は長野県北安曇郡池田町(Mooさんご夫婦在住)で育ったのだ。出生地は西東京市だそうで、お父上が長野出身で、子育てのため東京から安曇野へ移ったのだという。 この番組の内容については記憶がまだ鮮明なので、数分後「野川周辺には20数種類の鳥が確認されている」とのナレーションを聞いたところでTVをオフった。 安曇野の池田町と言えば、生坂村が東隣、ここに暮らしていた43歳男性が東大前駅刺傷事件をこの7日に引き起こした。教育熱心すぎる親に虐げられての自暴自棄の犯行だと自供しているらしい。元々名古屋の資産家の息子といい、生坂村へ越す前は東京・中野区で暮らしていたという。生坂村へきっと心癒されに引っ越したのだろうに、トラウマは消えず、凶行へ走ってしまったようだ。 山だらけの自然豊かな環境の長野県へ新しい生活を始めるため移住する人は毎年一定数いる。2023年で3,363人だったそうで、移住相談件数は22年度18,184件で8年連続日本一だそうだ。生活が成り立つなら田舎暮らしは今の時代賢い選択だ。なにしろ主食すら安定供給できない国に我々は暮らしている。食糧自給率は23年度カロリー・ベースで38パーセントという体たらく、田舎なら努力すれば100パーセント自給自足も夢ではなかろう。親が晴耕雨読的生活をしていれば、子どもらもゆったりと育っていく。立身出世が目標でないなら、そういう暮らしこそ理想とも言えそうだ。 話はまた戻って野川のこと、そして多摩川のこと。東京にも<部分的信州>があるのだ。それがこの2つの河川だ。多摩川が本流、野川が支流。多摩川の広い河川敷に立てば、北西に秩父の、西に奥多摩の山々、南西に富士、丹沢の峰々が望める。むろん信州ほど緑豊かではないけれど、都心や城北・城東地区など比べ物にならぬほど自然が残る、残され...

思い出がいつも近くて

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  夜明け前、先ほど撮った野川に架かる谷戸橋からの風景。東京は今ことのほか冷えている。Tシャツ姿でなんか自転車に乗ったら確実に風邪を引くだろうほどだ。 黒潮の蛇行が終息したと気象庁が発表した。このことは、東海と関東では、高温多湿がいくらか軽減される傾向を意味するらしい。だとしたらありがたい。 * またまたKのVlogからのことだけれど、功くんとの音楽上の打ち合わせでなんと川崎大師駅まで遠出したそうで、もちろん彼の音楽への意欲の発露を多としたいが、私はむしろ彼がその駅頭に立って、「思い出だらけだ」と言ったのに関心を持った。 彼がこれまでの人生で一番<ノっていた>のは川崎市の武蔵小杉に暮らしていた30歳代の数年だったはずだ。デザイン会社を興し、業績は順調以上、家庭生活も充実していた(少し触れすぎかもしれないが、彼はVlogでその辺りを過去に話しているので勘弁願う)。おそらくその頃の思い出のいくつかが川崎大師で作られたのだろう。 かく言う私も思い出だらけのところはいくつかあるのだけれど、なんとそれらが今でもいつでも行ける距離にあるのがKとは異なる。 野川、多摩川・・・思い出だらけだ。しかしいつもそこへ行けるし、行っているから、いつまで経ってもその思い出がほとんど遠くならない。それはいいことなのか、そうではないのか、よく分からない。悪い思い出は遠ざかってほしいものだが、野川や多摩川にまつわるものは概していい思い出であって、それらが記憶として近いままであるのは単純に言えば良いことに違いない。 しかし、いつまで経っても懐古趣味が薄まらないという反面もあって、なんだか私は三十代や四十代の思い出をずっと引き摺ったままの人生を20年以上続けていると言っても過言ではないようだ。それは、どうだろう、良いことなのかどうか。まあ、その自問にあっという間に自答すれば、良いことなのだと私が思えれば良いことなのだ、と言うしかない。 Kが功くんとアレンジメントを考える--- 私も功くんと同じ作業を何度もしたものだ。特に忘れられないのは、「Can't Let You Slip Away」という1986年に私に降りてきた歌を、彼がすばらしいオケにして私に聴かせてくれた秋の日のことだ。その歌の種は多摩川で子猫のチロを埋葬し、オリオン座など冬の星座が瞬く夜に宿った。 そこも先ほど自転車で通ったのだよ...

田舎の同級生の伊藤くんは「草むしくり」と言っていたなあ

KがとうとうVlogの毎日更新をやめたようだ。目標を達成したのだし、結構なことだと思う。無理をしてほしくないから、という意味で。 * ロシア=ウクライナ戦争は終わらない。もちろんロシアの停戦条件が独善にすぎるからだ。ロシア側の戦死者は10万をすでに超えていて、これで「成果」なしになったらプーチンさんの「面目」丸潰れなのだ。 トランプが、自分が大統領になれば24時間以内にこの戦争を終わらせるというようなことを言っていた。ウラジミールとツーカーな関係だから、と自慢していた。プーチンが前々回の大統領選からトランプに肩入れしたのは、「御し易いヤツだから」ということだったに違いない。 YouTubeでは、もちろんcensor済みの動画ではあるけれど、凄惨極まる人の死がこれでもかというほど溢れている。「Grenade Launcher(手榴弾発射装置)」とも呼ばれるドローンがロシア兵などを一人ひとり追い詰めて最後は体当たり、その肉体を粉砕する。ほとんどの兵士は気づけば逃げ惑うのだけれど、中に、微動だにせず、「ああ、殺してくれてかまわんよ」というような態度の歩兵がいた。画質は悪いが表情まではっきりわかった。世をこれ以上厭いようがないというような、極限まで達した絶望の顔であった。 プーチンはこの動画を一人の人間として、肩書きだのなんだの全くなしで見たらどう思うのだろうか。国家のための、(自分が勝手に思う)最大幸福のための死をお前さんは果たしたのだ、栄誉に思え、と言う、言わざるを得ない、戦争指導者としてでなく。 * 昨夜から今朝まで、寝苦しくて何回か目が覚めた。すでにタオルケットを掛けるだけになっていてだ。扇風機すら最低風量ながらかけていたのに。いよいよそういう季節に入ったのだ。そして風量が増え、さらにそれでもダメでエアコンつけての睡眠となるのだ。なにしろあっしゃあ、蒸し暑さにカラキシ弱い。そういう季節になると、いわゆる雑草が超速で繁茂するからむしり取りをせざるを得ず、しかし蚊に刺されるわけにもいかないから全身を覆う服装にするわけで、蒸し暑さMAX、死にそうになる。 ときどき野川端で出会う草刈正雄さん、あなたはどうされていますか?藪蚊がいっぱい出そうな鬱蒼とした国分寺崖線の只中にお住まいの草刈さん!

MNEMO、おめ、アニー言ってんだ!

自分には無駄にしてはならぬ能力があると確信していることは結構だ--- お国のためになると信じる政策的目標を持ちつつ、それを達成する卓抜な才能と実力も備えているが、それらをと或る自分の昔の過ちのせいで使えぬ日々を送り、まさに髀肉の嘆を託っているのはもう限界だと思われたらしい元国会議員がいる。 その人が某政党の比例代表名簿のトップだか上位だかに記載されるらしいとなって、今大方からの大バッシングを受けているようだ。しかも推挙したのが党首自身、そしてその御仁もその元国会議員のと五十歩百歩の<過ち>を犯したばかりなのだから、まさに<同志>なのだろう。 私は、今はなき旧ブログでも書いたことがあるが、聖人君子から程遠い人物、俗物の極みかもしれないほどだ。だから他人様の色恋沙汰自体に倫理道徳的訓戒を垂れるなどという天に唾する行為はできないし、してはならない。それは分を弁えている、ということだ。だから倫理道徳的に優れていろとまでは言わないが、少なくとも後ろ指さされぬ程度の品行を要求される政治家や、自治体や会社などの組織のリーダーになりたいなどと思ったことは一度としてない。 「英雄色を好む」と言われるが、いつの時代の話だ、となる。それに、その党首も返り咲きを狙う元議員も、どこが英雄やねん!ええ?一方は己へ甘々な処分、もう一方は「過ち」の説明責任も果たさんと逃げた人やないか! なぜ突如関西弁風になってしまったのか。それは某「著述家」が少しでも怒り中枢が活性化すると地の奈良弁が出てくるのに影響されてしもうたからや。わいの地は會津弁やさかい、おかしなことや。會津弁で憤りの弁を吐くことはもちろん容易や。けどな、同じ田舎の人以外誰も理解してくれへんやろ!「どごが英雄だっつぅだ。う〜?一方はよ、己へ甘々な処分、もう一方は『過ち』の説明責任も果ださねで逃げだ人だべした!」この辺りは理解されるかもだが、迫力がない。むしろ滑稽に響こう。ちっくしょう。 何しろよ、好き者は分をわぎまえで、公の仕事をすっぺなんて思わねごどだ。違う道で生きらんしょ。例えば色恋沙汰が芸の肥やしになる芸能界、ミュージカルの役者どガなじょだ・・・あれ、ここも倫理道徳厳しぐなったガ。ハハ。

拾い物をして、つらつらと

昨日の話は不人気で、情けないほどの閲覧数。経済の話など、柄にもないことを書いたからか。あるいはネタとして愉快なものではなかったから、またあるいはその両方か。 * 今用賀方面へpotteringして帰ってきたが、途中、用賀駅近くでクレジットカード2枚と免許証(ゴールド)を見つけ、交番へ。むろん(!)謝礼などは不要とし、警官に渡すだけだった。その警官がいい男で、惚れた。(いやん!) 私に拾われてよかったね、その人。世田谷区鎌田の住人、四十代くらいか。まじまじとは見なかった。 私は財布を確か4、5回今まで拾ってきた。もちろん皆交番へ届けた。初めて拾った際は、自分の氏名住所を訊かれて、手続き上必要なのかと警官に告げた。謝礼はいいと言っておいたけれど、結局落とし主から丁寧な感謝の手紙をいただき、しかも5千円が同封されていた。 私は善人だろうと自慢で書いているのではない。ただ当たり前のことをしただけ、そうでしょう?大学生の時、仕送りの7万円をごっそり新宿で落としてしまったことがあった。むろん(!)返ってこなかった。そのときの悔しさ、空しさを、よそ様に味わわせてなるものかと固く誓ったのだ。 小学校のとき、「つっちゃ」と渾名された同級生がそれなり高額な中身入りの財布を拾い、警察に届け、表彰された。そのとき、私は児童会副会長として派出所での表彰式に同行したのだった。地方紙の取材があって、私もその報道写真に収まった。正直者は正当に、しかもなかなか盛大に褒められるのだなと思ったものだ。「だから私も」と思ったと記憶するけれど、賞があるから遺失物を届けようとはこれまでついぞ思ったことはない。 * なんだか気分が乗らない。そんな自分が情けないけれど、まあ、そういう時期もある。もしかして心配してくださる向きがあったなら、あらかじめ不甲斐なくてすみませんと申し上げる。大丈夫、また乗ってくる日が来るから。

経済格差の濃淡具合、如何

私の贔屓、鹿島アントラーズが7連勝首位を堅持。しかしスタジアムを埋め尽くすサポーターの中、常連さんたちは本当に一体どうやって暮らしていらっしゃるのかと思わざるを得ない。ホームや国立競技場などでの応援ならばなんとかやりくりできなくもないだろうが、遠征では日本のあちこちへ行くわけで、どうしているのか想像もつかない。もちろんたっぷり不労所得がある人たちばかりなら不思議はないけれど、そんなことはないだろう。 昨日義父と食事、その際成城学園前駅周辺から某大手証券会社の支店がなくなったという話を聞いた。1990年代の銀行法改正から証券会社は銀行もライバルとなって厳しいことになり支店維持のいわゆる「コスパ」が悪化したこと、また取引などのdigital化も急速に進んで、店舗が必ずしも多数要る状況ではなくなったことも原因だろう。それでも、あの成城の支店ですよ。(いやあ、全然私には縁のない世界の話を憶測で書いている!) 世の中にはもちろん富裕な人々がいて、その数も少なくはなく(野村総合研究所によると2021年の富裕層および超富裕層は約149万世帯で総資産364兆円だそうだ。日本の全世帯は約5,410万。その約2.8%が富裕層・超富裕層に該当)、世に少々、あるいはかなりの経済状況の不安定化や悪化があろうと難なく乗り切れる人たちも実は私の想像以上にいるのだろう。しかしそれでも、成城に住む富裕層の顧客獲得競争で上で述べた「某大手証券会社」が支店を閉鎖、物理的に撤退したことは経済オンチの私でもただならぬものを感じる。トランプが世界経済に混乱を与える今、一体富裕層たちの懐事情もどうなっていくのだろうか。 YouTubeの「社畜ジャパン」などを聴いていると、生活に苦しむ人々がどう考えても少なくはない。低賃金で重労働の人もいれば、もちろん「リストラ」されて求職中の人、再就職口が見つからない人、見つかってもあまりの条件の悪さに苛まれている人などが思いの外いて、そういう人たちも例えば私が朝塀下の掃除をしているときにすれ違う通行人の中にいるに違いないのだ。 先日私の住む砧地域ではない地域に在る某スーパーへ買い出しへ行くと、「研修中」というネームプレートをつけた明らかに還暦過ぎの男性たちがカートとカゴの整理でレジ近くを行ったり来たりしていたのだが、その中にこの3月まで掃除する私の前を通過して駅へと向かってい...

清々しい気分

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KのYouTubeでのVlogが365回目を迎えた。どうせ続かないと誰かに言われたことに反発して、1年1日も休まず更新してやると心に誓ってのことだった。その間入院しつつの、失業もしつつの更新作業だった。 「ただ意地からのことだった」とは彼の弁。生き甲斐と言うには大袈裟に過ぎるけれど、彼の日々のペースメイカーになったのは疑いなく、またネタ探しをしている中、それまで見逃してきた自分の周りのことを見つめる機会につながった。1年間毎日更新ってなかなかできるものじゃない。おめでとう。お疲れ様。そして、もう無理すんな。 * 先ほどpotteringから戻ってきた。少し湿気はあるものの、風がとても快い朝だ。色などないのに「緑の風」と言いたくなる。 太陽が高度を増し、まもなくその風でも蒸し暑さを相殺できなくなる。梅雨前の不快な夏日になるのだろう。これからは当分未明から早朝に運動することになる。そう、秋風が吹き出す頃までは。 いやさ、「秋風が吹き出す頃までは」なんて書いているけれど、当然それまでは健やかにいられるもんだと高を括っているようで、その不遜ぶりに恥ずかしさすら覚える。ムスリムではないが、「インシャ・アッラー(神が許せば)」という思いなのだ、実際は。 * なんか清々しい気分になる本を読みたいなあ。 あ、市原悦子さん朗読の「風の又三郎」、YouTubeにまだあるかな?最高なんだよなあ。探そう。

怒りに任せて

雨降って、それなり強かったもんで、家に缶詰じゃ。止んだから、落ちてあちこちに風で吹き飛ばされたウチの主に柚子の木の葉っぱを掃除した。今年は、なんだろう、柚子の葉っぱが大量に落ちる。生え替わりは毎年だろうに、今年はえらく多い。 その大量に落ちている葉っぱをいいことに、どっかのクxヤロウがカップヌードルの空き容器と箸を捨てていきやがった。お里が知れるヤツがもちろんやっぱり世田谷にもいる。まあ、住人かどうかは知らんが、きっとそうだろう。情けない。 大谷くんがまたもやのホームラン、MLB両リーグトップとなり、しかしむろん驕らずに相手チームの選手のことすら気遣うそのすばらしい人間性が賞賛されている。コメント欄に「日本の誇り」とかあったけれど、「日本人」のみなさんが大谷さんを範としてくれるならこんなにめでたいことはない。ゴミ拾いする2年連続MVPをだ。 トランプを選んだアメリカ人は本当に恥を知れと言いたい。心からそう思っている。反論があれば(!)受けて立つ。七十いくつにもなって、ガキみたいなあの甘やかされヤロウは、Taylor SwiftとBruce Springsteenの悪口を公然と己のSNSで言いふらす。こんな大統領なんてかつていたことがあるか?もちろんネット時代になってからのことではあるが、自分に批判的な有名人に名指しで悪口を浴びせ、それも根拠ないものばかりで、さらにBruceには米国に帰ってくる時は気をつけろというような脅しすらしている。 アメリカは病んでいる。本当に。日本もひどいが、かの国はもう絶望的だとすら思う。いつまで彼の子どもじみた政治ごっこに付き合うつもりなんだ。

またもわけわからんホザき 〜「こころ」と「もの」

ナショナル・ジオグラフィックの「メーデー!」シリーズの大ファンであることは昔書いた。圧倒的に多い事故原因はヒューマン・エラー である。航空史開闢以来、多くの事故を経験し、それを教訓に今や乗り物としての安全度はほとんど100パーセントに近かろう。けれど、英語のことわざ「Accidents will happen.(事故は起こるもの)」は未来永劫その通りだろう。そしてその事故の多くは人間という生き物の不完全さから由来するのだと思う。 先日放送された(もう何度も再放送されているのだが)、1972年フロリダ州エバーグレーズで起きたイースタン航空401便の墜落事故(犠牲者101人)の回を見ていて、その最後に、事故機の損傷のなかった部品を使い回した他のトライスター機内に亡くなった401便の乗務員、特に航空機関士(Second Officer)の幽霊が出るという噂が広がったというエピソードが紹介されたのだった。 笑止、である。普通はそうだ。イースタン航空もその噂を荒唐無稽として、それでもこれ以上流布する者は解雇すると警告したという。Grokで航空機事故にまつわる幽霊話の例を検索したら、日航123便のものがまず挙げられた。墜落現場や遺体収容施設などで不思議な現象を目撃あるいは体験したという話は枚挙にいとまがないようだ。520名もの貴い命が奪われた凄惨な事故だったのだから、その多くの犠牲者たちの無念さがとどまり、あるいは漂っていると想像してしまうのが人間というものだ。例えば現場への山道を夜はおろか昼にだって独りあるいは少人数ででも登ることに躊躇しない人はいまい。肝試しのような悪戯半分でのことなら、死者への冒瀆と思う人は多かろう。その「冒瀆」とはつまり、亡くなった方々の魂の存在を前提にするからこそのことであるのは疑いない。 幽霊話などばかばかしいと思う人ももちろんいる。高校生時代、私やKが霊を目撃する体験をしたわけだけれど、例えば私がその話をした昔の同僚U氏(ヘーゲル研究者で、唯物論者であることを自称していた)は、「へぇ、そうかい」と言いつつ、「そういう不思議な体験というのはあると思うよ。でもさ、それは錯覚とかね、脳の問題として扱えると思うんだな」と言われた。私やK、担任のH先生含め他3人が見た現象は集団催眠状態だったのだろうとのことだった(ちなみにH先生も唯物論者だったのだが)。 こ...

Ohtani-san、DEI、横尾さん

なんという人だ、大谷翔平さん。アスレチックス戦、back-to-backで2ホームラン、それだけで5打点(犠牲フライでさらに1打点)。打率3割超え。本塁打数リーグ1位タイ。あのね・・・彼はリハビリ調整中のピッチャーなんですよ。知ってた? * その大谷さんの2本のホームランに熱狂する観衆が映される。本当にまさに「melting pot」だ。なんという多様な人々。その岩手出身の大スターが、ホームベースを踏んで、韓国人キム選手やアフリカ系アメリカ人選手、中米出身の選手らと次々喜び合う。 そんなアメリカのすばらしい一面を見せてもらいつつ、DEI(Diversity, Equity, Inclusion=多様性、公平性、包括性)を否定する愚か者が大統領を臆面もなく今日も<やっている>現実に本当にうんざりする。 * 横尾忠則さんと平野啓一郎さんによる三島由紀夫についての対談をYouTubeで聴いた。横尾さんは自らも仰るように、そんなに頻繁に三島と交流があったわけではないはずだけれど、いくつか印象的な三島の発言を憶えておられ、そのうちのひとつに、三島が「霊性」を重んじたという話があった。三島という圧倒的な知性の人には似つかわしくないことだったとの横尾さんの感想が続いた。知性の高さと霊性を口にする(信じる)こととは相反するものだろうか。そんなことは絶対ない。知性が高ければ高いほど、唯物論者的傾向も高まるというような事実も傾向もないはずだ。それに、三島さんから「日本的霊性」を外してどうあの衝撃的な死が遂げられたというのか。 片耳でその対談を聴きながら、成城4丁目の横尾さんのアトリエ<横を>通った。意図したわけではない。いつもながら長閑な木々多き住宅地だ。 彼の絵の展覧会が今世田谷美術館で開催中だ。

Because、沖縄のこと

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先日KM君とKとで夕餉を共にした際、John Lennonの曲で、イントロが始まった途端に胸が締めつけられるものを互いに挙げたのだった。「Jealous Guy」とか「Old Dirt Road」、「Oh, My Love」、「Now and Then」・・・めいめいが思いつく。そしてそのとき私はこの曲を挙げるのを忘れていた−− イントロもそうだけれど、歌詞があまりにも強く、深く、心を打つ。特に最後のスタンザ、 Because the sky is blue It makes me cry たったこの2行。涙が溢れてJohn, Paul, and Georgeと一緒に歌えなくなる。 雲が大好きな私だが、青い空の<裏打ち>あってこそなのだ。今まで見てきたすべての青い空が、脳内の記憶中枢で圧縮されていたものの、この曲の第3スタンザで一気に拡張されるようなのだ。 * 沖縄<本土>復帰の日。 私は忘れていない。安倍政権下、辺野古の警備で来ていた大阪府警の機動隊員が、対峙する反対派の人々へ「この土人が!」と言ったこと。当時の松井大阪府知事はそのことを咎めもせず、慰労のことばをかけるのみだった。こんな精神の警官がいて、それを咎めぬ政治家が「本土」にいる限り、沖縄の、日本政府が関わる諸問題は決して解決しないだろう。 そして、沖縄のことのみならずとんでもない差別のことばが公然と吐かれる事態が世界中に広がっている。

あ〜に朝からほざいてんだ、爺さん 〜「道徳的完成」

YouTubeで(この句、多いな)上野千鶴子東大名誉教授による老いについて、そして死についての話を聴いた。興味深いものであったが、ここではその話の総体についての詳細な感想を書かない。 私が最も興味を惹かれたのは、彼女が、終末期における死にゆく人への宗教的な寄り添いについて完膚なきほどの拒絶のことばを吐いたことだった。<来世なんてあってたまるか、私はまっぴらご免だ>などというような、「聴衆の中に宗教関係者の方もいらっしゃるだろうけれど」と言いつつの、その方々へは暴言でしかないことばだった。 社会学者として、(社会)科学者として、唯物論的に老いや死を語ることにもちろん私は異議を唱えない。それはそれ、そういう立場だし、いのち及びその終わりということへの1方向からの眼差しだ。しかし唯物主義者、無神論者ばかりでこの世は成り立っていない。むしろそういう人々の方が少数派だろう。もちろん少数派だから何かが間違っているとかと言いたいのではない。ただ、神仏を信じ、来世を信じる人々を突き放して科学的だ、客観的だ、実証的だと主張して果たしてそれでいいのかとは思うのだ。彼女の説が一定のところまできてそれ以上は広がらないのだ。 <神仏、来世のことを持ち出したらもう科学じゃなくなるのよ>と言われてしまいそうだ。そうかもしれないが、例えば、科学は神のまさに神秘を解き明かす人間の営為とかと言いそうな科学者がいそうだと思って調べると、ゲノム学者のフランシス・コリンズはずばり「進化は神の創造の方法であり、科学は神の業を理解する道具」と言っており、なんと1950年生まれ、現代人なのだ。 老いはエントロピーの増大であって、死はその極限、意識(こころ)も脳のはたらき、すなわち電気化学的な作用・・・そう言うのは間違っていないのだろうが、私が決定的に違和感を抱くのは、存在の不思議にそれらはひとつも答えていないからなのだ。WhatやHowには答えているだろうが、Whyが決定的に語られておらず、しかし上野さんのような科学者はそれを語ったら宗教になってしまうと言うのだろう。彼女の科学ではWhyなど考えない、ということなのだ。 カントは、神は信仰であって理論・理性の領域を超えているものとした。その通りだと思う。神は科学的にも形而上学的にも確実な知識としては扱えないとした。その通りだと思う。しかし彼は神という概念を道徳的実...

When in the UK, speak English as the British do

昨日仕事を終えてから見たTwitterで、イギリス首相のスターマー氏(労働党首)が、「イギリスに移民したいなら英語が話せるべきだ」とし、保守党のこれまでの移民政策を批判し、移民できる人間の要件を強めるなどの「国境政策」の転換を宣言しており、少なからず驚いた。 昨日ITV制作の刑事ドラマ「Vera」のことを書いたが、舞台になったイングランド北東部ノーサンバーランド州の「田舎」ですらethnicity豊かな登場人物で描かれる。現実の反映なのだ。しかしその移民や移民の子孫たちは英語に不自由することはなかった。スターマー首相の出す最低条件は軽々クリアしていた。言語上すでに<同化>した人々だった。 同じITV制作の「バーナビー警部」はまるで逆で、イングランド南部の設定、しかも架空の郡が舞台だった。ほぼ白人のみの登場人物で、「古き良きイングランド」を強調するものだった。プロデューサーだったTrue-Mayは「バーナビー警部」を「the last bastion of Englishness and I want to keep it that way」すなわち「英国らしさの最後の砦であり、私はそのように維持したい」と言い、物議を醸したのだった。John Nettles主演のシリーズが2011年に終わり、「Vera」が引き継ぐようにその年に始まり、2023年終了したわけだ。 高校生が使う英語の教科書にはdiversityの尊重を主題にする文が必ず載っていると言っていい。さまざまな人々がいて社会が豊かになり、ダイナミズムが生まれるというような趣旨だ。ところがどうだ、その典型例とされたアメリカが今トランプ政権により「DEIすなわちDiversity, Equity, Inclusion(多様性、公平性、包摂性)」を放棄しつつある。 「行き過ぎた移民政策」と言うが、その「行き過ぎた」とはどの基準で言うのか。現状どの国においても野放図に移民を受け入れていいはずはない。だからその「野放図」とはどういう受け入れ方以上で使われることばなのか。 どの国にも多数派がいて、その人々がつくり上げてきた伝統、文化がある。少数派にそれを受け入れろと強制することはあってはならない。しかし逆に少数派が少しの同化も受け入れず、独自の小社会を築いて閉じこもられても多数派にとっては<気分が悪い>。「郷に入れ...

姪のこと、Veraが終わってしまったこと

昨日は記した通り次兄の誕生日、LINEでやりとりしていたら、 https://pualani723.com/profile.html を紹介されました。宣伝してくれとのことで、ここに掲げます。 写っているのは次兄の長女、私の姪です。湘南地区にお住まいの方でハワイ式ボディメイクとフラに興味関心がございましたら、どうぞご贔屓に。 * おととい、録ってあったイギリスITVの刑事ドラマ「Vera」の最終シリーズを見終えた。2023年でシーズン12を撮り終え、大団円となったのだ。主演のBrenda Blethynはそのとき77歳、なのにほとんど衰えを見せずに彼女にとって疑いなき代表作を演じ切った。 Brenda演じるVera Stanhope警部の魅力は語りきれない。いつか詳細を書きたい気がするが、全シリーズが何かしらの媒体で売られるなら入手してからかな。とにかくドラマ自体の出来上がりが秀逸で、1話たりとてつまらないものがなかった。そして私はJon Morrison演じる<老>巡査のKennyがめちゃくちゃ好きだった。 ああ、もうVeraの新シリーズはない・・・。

2025 次兄誕生日雑記 〜KMくんとゆっくり懐旧

昨夜は本当に久しぶりにゆっくりKMくんと主に懐旧の話をすることができました。幼稚園以来の幼なじみですからねぇ。Kも一緒で、3人、田舎言葉で語り合いました。 中学の同級生180人ほどだったと記憶しますが、もう10人以上がこの世を去っているという事実にあらためてしみじみしました。その10人ほどは同じ小学校の同級生であり、地区が同じなので情報が入りやすいわけで、中学で合流したもう一方の小学校からの同級生たちの中にも病などに屈した方々がそれなりの数おられることでしょう。3人で元気に会えている幸運を噛みしめたことでした。 * 今日は次兄の誕生日。姉弟間LINEでは元気な返事が来ました。あと29年、百歳まで生きるそうです! * 昨日上げました。 https://www.youtube.com/watch?v=kX2IbhbwhKk 私の3大favourite groupsのひとつ、The Eaglesの一曲です。 有名になりたい者の弱みにつけ込む「The King of Hollywood」のことをイーグルスは1979年当時この歌で猛烈批判していたわけです。要は性搾取です。同じような図式が日本でも最近大きく報じられ、「芸能界の<大物>(どこが?)たち」がTVなどから消えました。 権力を笠に着ての横暴、悪さというのはいつまで経ってもなくならないでしょうね。圧倒的に多い図式はかなり年長の男性権力者が若い女性弄ぶもの。 「芸能界なんて汚いところだ」というのは概ね疑いないことです。しかし、私はちょっとだけそこに属しましたが、出会った力ある方々はそういうことに無縁な人物ばかりでした。尊敬できる方々ばかりだったのです。

あのときの空

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YouTubeに上げるビデオを作っていて、自分の歌のある部分と自分が撮った写真や動画のパーフェクトなマッチングが起きると(正確には<起こしている>あるいは<作っている>のだが)涙腺がすこぶる緩くなり、「This is just what I wanted to happen!」とネイティヴの英語話者でもないのに、そう叫んでしまうのです。 もともと、狛江や世田谷などの空の下、草木や花に囲まれ降りてきた歌ですから、そこの映像と相性がいいのは当たり前なのですけれど、それでも、その歌が降りてきたときの例えば空はまったく宇宙開闢以来たった1回だけ現象したものであり、また後に撮った空だってそういうこと・・・同じ空であるはずはないわけで、<同じような空どうし>の組み合わせに興奮し、感動するのはただただ私だけ、私独り、それは究極の独り善がり、自己満足、自己完結、自己慰撫なのです。ゆえに登録者がこの頃一向に増えないことに対してしかたがないと思える。まだ限界ではないでしょうけれど、その数に少し拘泥するのはそのチャンネルを通しての将来的活動に仲間を巻き込む(一部はもう巻き込んでいる)からであって、それだけです。 おかげさまで私にはすばらしい音楽の友がいてくれます。彼らと作品を仕上げてゆくこれから、録音作業を主宰する人間の責任として、プラットフォームをできるだけ充実させておきたいと勝手に願っているわけです。わがままです。だから結局、それが通らないなら通らないでいいのです。仲間たちに「舞台」を整えられぬままごめんねと言うだけなんです。 今我がチャンネルの最新コンテントになっている「Today」は、去年の秋あたりだったか、私のラフスケッチ的作品にがっちゃんが第一感というようなアプローチをしてもらったもので、イントロのボトルネック奏法によるriffを聞いたとき、私の目は熱くなりました。それはちょうど、<あのときの空>と<後に撮った似たような空>との関係なのです。<あのときの空が私のこころの中で奏でた音>と<がっちゃんが弾いて出してくれた音>が<同じような音どうし>になっている。 治雄ちゃんとスティックがすでにこの「Today」のベーシック・トラックスを録音してくれています。それらをいいバランスにし、私の歌、アコギにがっちゃんのギターのfadersを立ち上げて、4人の音を融合させ、安里くんがそれを...

2025 皐月上旬締め日記 〜Pope Leo XVI & さっきの早朝のこと

Pope Leo XVIが誕生した。初のアメリカ生まれの法皇だ。ネットでお顔を拝見したが、慈愛に溢れるようだった。カトリックはすごい。時代と共にさすがは世界一の信者数を抱える(だよな?もしかしてヒンドゥー教?統計が当てにならんから)にふさわしい宗教となったと最近とみに思う。先の(第266代)Francis法皇がすばらしかったから、というのが大きい。平和と愛を一貫して訴え、他宗教とも融和姿勢を崩さなかった。 私はいわゆる「生臭坊主」であっても、一概に清貧な聖職者に劣るとは思わない。娑婆を生き、実際にそのありさまを知る在家の宗教家がいて当然だと思うのだ。それでも、貞操を貫き、その信仰の強さを示す人にまさに聖性を感じる。大学のイエズス会宣教師の教授で、アメリカ出身のW先生はそれなり<遊んで>から修道士となった。ユーモアを解する大好きな先生だった。一方、同じイエズス会士でアメリカ出身のE先生やイタリア出身のP学長のまさに修道士的頑なさも好きだった。 「聖性」とは感じるのがむずかしく、稀なものだ。自然の中でそれを感じることは珍しくはなかろうが、しかし人間(じんかん)においては、たいていそれらしい装置、舞台、形式、雰囲気が必要となるものだ。それらがなくても、一人の人間(にんげん)が聖性を感じさせるとしたら、それはもう、大変な人徳である。超人的な人徳である。それを感じさせるような人が今カトリックの世界では次々出ていると思うのだ。 * 数日前向こう隣のNさんから蕗(ふき)をいただいた。軒下に生やしているのだ、「手入れなど一切していない」とおっしゃる。この蕗、料理するのに手間がかかる。昨日勇気を奮って(!)生花状態にしてあったものを、養老先生の講演とかをYouTubeで聴きながら、茹で、皮剥きをし、下ごしらえした。大した量でもないのに、皮剥きに30分はかかった。そしてあご出汁で煮て、今も食べている。シャキシャキとして我ながらうまく煮ることができた。 私と同じ雨を受け、陽光を浴び、すぐそばで育った蕗だ。初夏の味として、歯触りとして、ありがたく、親しみを持っていただいた。 今朝Nさんと顔を合わせたとき、お礼を言った。私はそして塀下の掃きそうじをした。この掃除、ほぼ毎日だ。晩冬では鳥たちが食い散らかして落ちたピラカンサの実、初春から晩春にかけては乙女椿の花びら、そして今は柚子の花びら、そし...

2025 初夏妄言

 少年少女たちが、将来をそれなりに夢見、または希望して、コツコツと勉強をしている中、勝手に国の指導者たちが戦争をおっ始め、勉強の機会を奪い、挙げ句の果て、それまでの努力も、夢も希望も、一瞬に無駄にする爆弾を落とされ、撃たれ、あるいは自決させられる・・・そんなことがあっていいはずがないのに、過去にもあったし、今もある。 * 「他人の不幸は蜜の味」というが、まあ、例の俳優同士のスキャンダルが「週刊醜聞」、じゃない、「週刊文春」に暴かれTwitterなどでbuzzりまくっている。いい気になったヤツを叩くのは胸の空くお祭り、気持ちは分かる。なにしろちょっとCM撮影したぐらいで何千万とか、あるいは億とか稼いでしまうのだから、それなりの<責任>を負えということなのだ。 よほどいろんな相性が良かったのだろう。それはもう二人だけの話、こっちには一切関係ない。また女性の俳優の方は、間をおかずに他の男性俳優とも逢瀬を楽しんでいたというのだから、ちょっとザワザワするくらいevilで、ELOの歌が口をついて出てくる。こっちにはそれだけのこと。しかし、二人は己のイメージを売って商いしているのだから、それを自ら壊したなら、世間様からさよなら言われてもしかたないよね。「Guess I've got what I deserve」って、Badfingerの「Baby Blue」でも歌うしかない・・・知らないよね、ご両人。 しかしね、おんなじことして、「3ヶ月の党員資格停止」という甘い処分を受けて、今や首相待望論が出ている「国民民主党(どういう意味?「国民」がNationalと訳されているなら、より「国家」の方がふさわしい。だって、民主の「民」をWらせる意味が全く分からないからだ。「国家民主党」だと「国家社会主義労働者党」と今度はイメージがWるぅ?)」の党首様は完全復帰で楽しそうだよぉ。Wスタンダード国家は進む! * 「朕は県なり」 どこかの県知事が国の法律をcomplyせず、コンプライアンスが大事、自分は散々やってきたハラスメントのない風通しの良い県政を進める、のだそうだ。すげぇな、摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の旧5カ国を束ねる大大名は。それとも神か?「真摯標語元彦命」、「しんしがひょうごのもとひこのみこと」。 * いやあ、しかし、この初夏はとても快適だなあ。30度超えが全くないし、空気は...

印パ戦争か

印パがカシミールで武力衝突、全面戦争に発展する可能性も?  情けない。「人種」的にパキスタン人とインド人の間に違いはない。それぞれの大多数の奉じる宗教がイスラムかヒンドゥーか、主要言語がウルドゥー語かヒンドゥー語かの違いしかないと言ってもいい。共に印欧語派に属する両言語は著しく近縁で、発音の違いはあるにせよ、相互理解が可能だという。 同じ「人種」同士でも戦争はある(現今ではロシア=ウクライナ戦争)し、あったし、また同じ国の中でも内戦などがあるわけで、結局人間というのは殺し合うspeciesだということなのだ。多くは、宗教上の違いというのも大きいけれど、要するに領土争い、つまり土地の奪い合いでのことだ。情けない。本当に情けない。

Today プリプロ

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この歌もそうですが、Project Hydrangeaの本格録音を応援してくださいね!皆さんが聴いてくださればくださるほど、録音が進みます!お願いします!

Skype終了、Teamsへ / 無茶ばっかするエイミー栗たん

 いやあ、本当に信じられない、もう1年の三分の一が終わってしまっているなんてね。成城地区唯一の神仏関係施設(?)である喜多見不動堂が昨年に続いて元旦未明の初詣で参拝者を受け入れず閉鎖状態、ネット上などの知らせもなく、今年は開いているかと行ってみて落胆してもうまるまる4ヶ月が過ぎたなんてね。あまりに記憶が鮮明で、三分の一年前のことだなんて全く信じられないのだ。 大型連休もどうやら雨の1日で終わりそうだ。多くの人ががっかりでしょうな。私は月水金は祝日だろうとなんら関係なく仕事なので、GWも何もない。昨日も仕事、しかし、いつもとは全く違うことが・・・ 遠隔授業で使用してきたSkypeが「終了」するので同じマイクロソフトのTeamsに移行したのだ。したのはいいのだが、Skypeの使い勝手の良さが失われてしまっており、それまで無料でMSさんにはお世話になっていた身ではあったものの、無料版Teamsは使えないな、と大いに失望した。たとえばセッションの録画は有料版でなければできなくなったし、3箇所以上を結ぶと使用時間60分の制限がかかるとか。画質も悪くなっていたが、これも無料版ゆえのサービス低下の一例か。まあ、今まであんなに便利なサービスを無料でずっと使えていたことには心から感謝しているけれどね。なぜMSは世知辛くなったのか。 * またまたKさん(Vlogではエイミーさん)のことだが、今日のVlogを見て呆れてしまった。先週の月曜日、風邪を引いた病み上がりに、なんと中野区の新井薬師(上高田)から世田谷区野毛の現場まで、環七をメインに使って約18kmの距離を自転車で行ったというのだ。しかも夕方から風強く雨という予報をちゃんと知っていての暴挙なのだ。 確かに電車で行くとなると大変だ。西武新宿線、山手線、東急田園都市線を使うことになり、それだと降りた二子玉川からそれなりの距離(十数分?)野毛まで歩くことになる。二子玉川から大井町線に乗り換えて上野毛駅降車という手段もあるが、大して歩く時間・距離は変わらないはずだ。 それにしても! 「土砂降りの雨の中、2時間以上かけて帰ってきました」などと、体温計を示しながら、また37°C台に上がったことを報告、それでも「大丈夫でぇす」って。 彼のことを心配し、あるいは気にかけている人は何人もいます。私もその一人ですが、とにかく彼は無茶をしすぎだ...

2025 皐月雑記 2 〜笹だんご、「う」

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  昨日世田谷区松原に在るロピアに初めて行ってみた。 片道でゆっくり走っておよそ25分、あのOKストアよりも「お値打ち品」がありうるスーパーとして擡頭しているこのロピア、元々肉屋さんから発展してきた店ゆえに、明らかにまず肉類は価格・品質ともにOKを凌いでいると思われた。また魚、野菜もすばらしい! 店内を回っていると出くわした「笹だんご」。新潟名物とされているけれど、その新潟に隣接している會津西部の我が故郷でも、田植え後に農家の方々が作られている。聞いたことはないが、おそらく會津盆地(會津の中心)では作られていないのではないか。どうだろう。 私の家は残念ながら(?)農家ではない(父方は商家、母方は旅館)ので、笹だんごは親しい農家の方からいただく一方だった。中学の頃は、五十嵐くんがお裾分けしてくれた。懐かしい思い出だ。お元気ですか、五十嵐くん。 帰宅してこのロピアの笹だんごを食べてみたら、予想を遥かに超える美味しさで、感激してしまった。製造は新潟市の港製菓というところだった。この季節の食べ物だから、味も清々しい。本当に、先人は偉大だ。 * その笹だんごを私と同じく愛するであろう同郷のKと金子さんとで今週末会う。田舎ことばで話し合えるという点ではKと会っていれば事足りるのだけれど、もう一人同じlanguageの話者がいたら、これはもう、喧しいことになって、隣席の人々は面食らうかもしれない。 K「いやはや、なにくれ懐かしいごど、う〜、みつよしくぅ(=君)。」 金子「いやあ、まづげね(=間違いない)。最後3人で飲んだのいづだったガナ。」 私「3人で、っつ〜のはねがったんねの。他にも誰ガいだわい。」 「う」というのは、志村けんさんのおかげで全国に知られるようになった(?)會津弁の感動詞(間投詞)だ。標準語では「え」。 私「Kよ、おめVlogでやべぇごど言ったな。」 K「う?」 私「あの部分は削除した方がいいぞぇ。」 K「う〜。そうすっつ(するよ)。」 「え」と意味と機能は同じだが、親しい間でしか使わない。 だからど〜したああ! う〜。

2025 皐月雑記 1 〜雲、チーム内競争

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5日前の夕暮れ時、こちらの目ではもう富士や丹沢の稜線下に沈んだ夕日ではありましたが、高い高い雲はまだその光を受けて天辺が茜色に染まるのでした。 David Gatesが「Of all the wonders I was one allowed, I think that I would always choose a cloud.」と歌っていますが、私にとっても雲は何より心惹かれる自然現象です。「Always brings my feelings right out loud, whether I am ashamed or proud」と見事な韻を踏み続けながら、第2スタンザが終わります。 すべての驚異の中私がひとつ挙げるのを許されるなら 私はいつも雲を選ぶでしょう いつも私の気持ちを声高くあらわにしてくれるのです 私が恥じ入っていようと、あるいは誇らしくいようとも (MNEMO訳) https://www.youtube.com/watch?v=pAddWbeLYVI 若い頃はね、そういうことでしたよ、私も。 今は「行雲流水」の「雲」ですよ。 執着なくただ自ずと流れて行けばよいという境地に至った? いいえ、そうありたいなと思う対象のままです、おそらく最期まで。 * 鹿島アントラーズ4連勝、首位キープ。 YouTubeでサガン鳥栖から数年前鹿島へ移籍した樋口雄太選手が鹿島のチームとしての凄さを語っている。「Zicoスピリット」が透徹している、タイトル獲得数1位で、一度もJ2に落ちたことのない(これについては横浜Fマリノスも同様、つまり2チームだけ)集団の構成員一人ひとりの意識と能力の高さを絶賛しているのだ。 昨日はやはり元々サガン鳥栖ユース出身の田川享介選手が鹿島移籍後初ゴール、それが決勝点になった。 私が書きたいのは、実績的に日本最高のチームへ他チームから移籍して活躍するということの難しさ、なのだ。みなレギュラー争いに文字通り血眼で、常にチーム内で競争状態にあって、ほぼ一日たりとも気が抜けない状況が続く。むろんそれは生え抜きの選手にとっても同じなのだけれど、彼らはみな最初から鹿島の過酷さを知っている。 昨日の田川選手の喜びようと言ったらなかった。絶対FWであるレオ・セアラの欠場を埋める立場で、そのチャンスをものにしたと言っていい。むろんレオが戻ってきたら(実際昨...
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Would You Be Mine、30歳おめでとう! 歌が生まれた日がはっきりしている、数少ない、というか唯一のと言っていい例がこのWould You Be Mineです。 この曲を私作成のシークエンスに、スティックのコーラス、がっちゃんと私によるアコギを重ねプリプロとして歌った1995年。今度はもちろん全部を仲間たちと作り上げたいです。

憲法記念日、ペンダンティックなルー的言語

低気圧(寒冷前線)の通過で今朝の東京は驚くほど寒い。ポタリングしたのだが、まず手袋なくては厳しく、またウィンドブレイカー含め計3枚着て走った。それでも下半身が冷えてしまった。ヒーターはとうにしまっており、面倒くさかったが風邪をひくかもしれぬほどなので、納戸から出して今つけた。 憲法記念日だ。世論調査では51パーセントの人が現憲法に肯定的だそう。「改憲」「加憲」を未来永劫許さないなどというのはあり得ないと思うが、ウクライナ戦争があり、トランプというuncertaintyの権化みたいな人治主義者、しかも疑いなき差別主義者がのさばっている現今、ますます日本国憲法は死守すべきだと思う。 * この上の2段落中、固有名詞を除き、5つの外来語を私は使った。「uncertainty」などはなんとそのまま英語で表記した。このルー大柴的な(笑)ペダントリー=衒学趣味には自分でもうんざりすることがある! それでも、Twitterでも書いたけれど、「コンプライアンスの遵守」とかという昨今よく聞く<カタカナ英語+日本語>ペアは、「compliance」自体が「遵守」の意味だから「遵守の遵守」となっており、面妖を飛び越していて、ゆめゆめこんな誤用のないようにとは心がけている。 しかしね、本当に英語が先に浮かんできてしまうということがあるんですよ!そして、「あ、それでもルー大柴になってはいけない」と咄嗟に思う。けれど、それに相当する日本語がすぐに出てこないときもあれば、出てきてもなんだか英語の意味やニュアンス、含みの方がふさわしいと思うことも<ルーしばしば>なのですよ。

明日に

 ごめんなさい。疲れてしまった。YouTube動画作成は明日やります。

11月にちっちゃなコンサートやるつもりです

いい気になってしまい、調子こいてしまい、ずっこける・・・ありますなあ。私も何度そんなことをしてきたことか。そしてこんな歳になっても、余命ある限り、またやってしまうかも。まあ、私の<調子こき>なんて数人を巻き込むくらいのほぼ個人レベルの域を出ませんけれど。 しかし私に比べれば途方もなく大きなスケールでのそんな人、毎日ニュースで見ますよね。今は超大国の大統領様とか、こっちでは日本だか大阪だか「維新」とか古臭い言葉で改革を言っている党やその関係の某知事、国民なんとか党の複数の国会議員様とか、CMいっぱい抱えている芸能人様たち、TV局幹部様や社員様とかとか。我が世の春を謳歌して、謳歌し過ぎて、調子外れてきてんのに気付かず、あるいは気付いても「てやんでぇ、こちとら天下のxx様だあ」と居直って、そしてふと見ると観客が一斉に帰ってしまっていた・・・というようなことになりかねませんぞ。 * これもいい気になってのことかもしれませんが、私、 11月にちっちゃなコンサートをやろうかなと考えている ところです。いい気になっていないつもりなので、venueは本当にちっちゃなところを考えています。生で歌ってこそっていうの、ありますからね、歌うたいは。 たとえお客様が少なくとも、最小の赤字で済むところにしようと思っています。聴かせるではなくて、<聴いていただく>コンサートという感じです。 YouTubeでもうオリジナル曲は今日現在21上げています。視聴回数がいいもの(むろん相対的に)からlistに入れていこうかなと。あとはカバーもね。 * 5月も2日に入って、思い出すのは「Would You Be Mine」という私の歌が、ちょうど30年前の今日辺りに野川を散歩中降りてきたことです。30歳の誕生日なので、今日は夜に仕事がありますが、簡単にvideo clipにしようかなと思っています。よかったらお聴きください。ただし、プリプロ段階の、途中でfade outするバージョンです。演奏も全部私によるもの。これは2002年とかに録音したものです。

2025 皐月朔日雑記 〜5月の芳しき花々(など)

May Dayだ。 かうして月日は矢のやうに過ぎてゆく。 それでも、先ほど塀脇の道路を掃き掃除してゐたら、柚子の花がまるごとひとつ落ちてゐるのに気づいた。天然自然の<間引き>を柚子の木自体が行つたのだ。風や雨に簡単に屈して落ちてしまふ花は弱いのだから、結実まで至ることはないので、他の比較的強い花に養分を回せ、といふことなのだらう。 街はハゴロモジャスミンが至るところで満開、甘い匂ひを漂わせてゐる。そしてこの柑橘系の花々も、清々しい香りを放つてゐるのだが、ジャスミンには負けてしまふ。 他にこの季節に芳香を放散してくれる生垣の花ではテイカカズラがある。庭ではフジを咲かせてゐる人も多い。多摩川の岸辺ではフジと同じマメ科のニセアカシア=ハリエンジュがある。香りもフジと同じだ。 いよいよ本当に初夏だ。立夏まであと4日(5月5日)。 *  New York Timesが大阪万博に見られる日本という国の劣化を嘆き、批判する記事を発表した。 https://www.nytimes.com/2025/04/20/business/japan-osaka-world-expo.html かつてなら拳々服膺するところだし、確かにするのだけれど、おい待てよ、だ。あんたんとこは大阪や神戸とか地方レベルじゃなくて、国レベルで相当劣化しちまっている。ま、もちろん大阪万博に見られるあらゆる不備、いい加減さ、杜撰さが国レベルの衰退劣化の反映であることを否定はしないけれど。 「due process」ということばがある。適正な法律上の手続き、ということだ。これをすっ飛ばし、たとえばEl Salvadorに無辜のアメリカ市民を追放するなどというようなことを代表例として、好き勝手に大統領令を濫発しているのがDonald Trump、凡そ民主主義を謳う国にとっては考えられない人治主義の権化だ。 * がっちゃんが昨日LINEメッセージをくれて、彼が江東区大島で通った<もつ焼き屋>の同系列店が祖師ヶ谷大蔵の商店街にもあったそうで、クーポンも使えるしラッキーというような内容だった。大笑いした。 私は内臓は受けつけない人間なので、そう書くと、彼もつまみは内臓以外のをそこで食べてきたとのことだった。じゃあ、いつか一緒に行こうとなった。 だからどうした、なのだけれども、彼が世田谷に隣接する多摩地区の市に引っ越し...