経済格差の濃淡具合、如何
私の贔屓、鹿島アントラーズが7連勝首位を堅持。しかしスタジアムを埋め尽くすサポーターの中、常連さんたちは本当に一体どうやって暮らしていらっしゃるのかと思わざるを得ない。ホームや国立競技場などでの応援ならばなんとかやりくりできなくもないだろうが、遠征では日本のあちこちへ行くわけで、どうしているのか想像もつかない。もちろんたっぷり不労所得がある人たちばかりなら不思議はないけれど、そんなことはないだろう。
昨日義父と食事、その際成城学園前駅周辺から某大手証券会社の支店がなくなったという話を聞いた。1990年代の銀行法改正から証券会社は銀行もライバルとなって厳しいことになり支店維持のいわゆる「コスパ」が悪化したこと、また取引などのdigital化も急速に進んで、店舗が必ずしも多数要る状況ではなくなったことも原因だろう。それでも、あの成城の支店ですよ。(いやあ、全然私には縁のない世界の話を憶測で書いている!)
世の中にはもちろん富裕な人々がいて、その数も少なくはなく(野村総合研究所によると2021年の富裕層および超富裕層は約149万世帯で総資産364兆円だそうだ。日本の全世帯は約5,410万。その約2.8%が富裕層・超富裕層に該当)、世に少々、あるいはかなりの経済状況の不安定化や悪化があろうと難なく乗り切れる人たちも実は私の想像以上にいるのだろう。しかしそれでも、成城に住む富裕層の顧客獲得競争で上で述べた「某大手証券会社」が支店を閉鎖、物理的に撤退したことは経済オンチの私でもただならぬものを感じる。トランプが世界経済に混乱を与える今、一体富裕層たちの懐事情もどうなっていくのだろうか。
YouTubeの「社畜ジャパン」などを聴いていると、生活に苦しむ人々がどう考えても少なくはない。低賃金で重労働の人もいれば、もちろん「リストラ」されて求職中の人、再就職口が見つからない人、見つかってもあまりの条件の悪さに苛まれている人などが思いの外いて、そういう人たちも例えば私が朝塀下の掃除をしているときにすれ違う通行人の中にいるに違いないのだ。
先日私の住む砧地域ではない地域に在る某スーパーへ買い出しへ行くと、「研修中」というネームプレートをつけた明らかに還暦過ぎの男性たちがカートとカゴの整理でレジ近くを行ったり来たりしていたのだが、その中にこの3月まで掃除する私の前を通過して駅へと向かっていた男性がいて驚いた。定年後の余裕のアルバイトなのか。それとも退職後の収入が切羽詰まった状況に陥っての、最低生活維持に必須のものであるのか。
私の知人の一人は、住宅ローン返済で79歳まで働く、と言っていた。絶句した。
金はあるところにはふんだんにあるし、ないところには徹底的にない。それは昔からそういうことではあったろうけれども、その貧富のグラデーションは変化してきたはずで、今日本の経済格差の濃淡具合はどうなっているのだろうか。
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