あのときの空
YouTubeに上げるビデオを作っていて、自分の歌のある部分と自分が撮った写真や動画のパーフェクトなマッチングが起きると(正確には<起こしている>あるいは<作っている>のだが)涙腺がすこぶる緩くなり、「This is just what I wanted to happen!」とネイティヴの英語話者でもないのに、そう叫んでしまうのです。
もともと、狛江や世田谷などの空の下、草木や花に囲まれ降りてきた歌ですから、そこの映像と相性がいいのは当たり前なのですけれど、それでも、その歌が降りてきたときの例えば空はまったく宇宙開闢以来たった1回だけ現象したものであり、また後に撮った空だってそういうこと・・・同じ空であるはずはないわけで、<同じような空どうし>の組み合わせに興奮し、感動するのはただただ私だけ、私独り、それは究極の独り善がり、自己満足、自己完結、自己慰撫なのです。ゆえに登録者がこの頃一向に増えないことに対してしかたがないと思える。まだ限界ではないでしょうけれど、その数に少し拘泥するのはそのチャンネルを通しての将来的活動に仲間を巻き込む(一部はもう巻き込んでいる)からであって、それだけです。
おかげさまで私にはすばらしい音楽の友がいてくれます。彼らと作品を仕上げてゆくこれから、録音作業を主宰する人間の責任として、プラットフォームをできるだけ充実させておきたいと勝手に願っているわけです。わがままです。だから結局、それが通らないなら通らないでいいのです。仲間たちに「舞台」を整えられぬままごめんねと言うだけなんです。
今我がチャンネルの最新コンテントになっている「Today」は、去年の秋あたりだったか、私のラフスケッチ的作品にがっちゃんが第一感というようなアプローチをしてもらったもので、イントロのボトルネック奏法によるriffを聞いたとき、私の目は熱くなりました。それはちょうど、<あのときの空>と<後に撮った似たような空>との関係なのです。<あのときの空が私のこころの中で奏でた音>と<がっちゃんが弾いて出してくれた音>が<同じような音どうし>になっている。
治雄ちゃんとスティックがすでにこの「Today」のベーシック・トラックスを録音してくれています。それらをいいバランスにし、私の歌、アコギにがっちゃんのギターのfadersを立ち上げて、4人の音を融合させ、安里くんがそれを聴き、何かを足してくれる・・・。
早くその作業に入れよ!
はい。いい舞台を設営できぬままだけれど、ごめんねと言って始めます。

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