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7月, 2026の投稿を表示しています

AI時代でも劣らず勉強

先ほど、高3の生徒さん教材にAI関連の英文が出てきて、それに因んで、AIのすさまじい発達・進化で、例えば日本文であれ英文であれ、AIに任せてしまうことが現に行われているし、これからもますますその傾向は顕著になり、その文章的・論理的精度は高まっていく一方だろうけれど、それでも国語や英語の力をつけることが無意味となることはない、今までと劣らぬ勉強が必要だと私は言ったのです。 あるテーマを論じるとして、AIに任す。査読者が唸るほど完成度の高いものが上がってくることも十分あろう。しかし優秀な査読者はもちろんまずAIの<介入>もありうることを前提とし、また筆者である人間の日頃の言語能力に対する印象と照らし合わせながら読むことになる。すると、例えば「出来過ぎ」と感じたり、「没個性的」、「紋切り型」などと思ったりすることがあるだろう。そう指摘されて「筆者」がどうしてそう言われるのか分からないというようなことがあっては大失態だ。 私もGoogle翻訳で日本文を英語にしてみたことが何度かある。うまい訳をするなあと驚くときもある。昔とは大違いだ。そして正にそこなのだ、ポイントは。 「うまい訳だ」と言える自分は英語と日本語を相当勉強してきたのだ。「昔のGoogle翻訳とは大違いだ」と言えるのも、そういうことだ。 AIに何かしら書かせ、そのクオリティーを評価できるAI使用者でなければ、「筆者」にはなれない・・・と言うか、装えない。文責を負えないで、どこかへ提出することなどできないし、できたとしても続けられない。必ず例えば詳細部分などで確認を求められる事態が生じるはずだ。 そこまでの責を負うには、結局勉強せねばならないのだ。

あの夏の「私」

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  今朝、日の出前の西の空。 自転車に乗っていると、至るところの道沿いの木々や、公園内の木立から「ジー」というアブラゼミの声がします。盛大ではない。まだ少し体が温まっていないのでしょう。アブラゼミを100とすれば、ミンミンゼミは3~4の存在感。それでも、アブラゼミの「声」がdrone=持続音だから、ミンミンゼミの長音符と短音符の組み合わせ、また音程もわずかに動く「声」は際立つ。そして私にとって盛夏のセミと言えば、なんと言ってもこのミンミンゼミです。 さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉の句ですが、この桜のvisionをミンミンゼミのsoundに置き換えてもいいでしょう。また、もう少ししたら聞こえ出すヒグラシの声も互換可能でしょう。(今世田谷区ではアブラゼミ、ミンミンゼミが2大勢力ですが、東宝撮影所辺りとかではクマゼミもいます。ヒグラシはまだ土の中のようです。) ミンミンゼミの声を聴いていると、小学生だった頃に通った「代官清水」と呼ばれた、真夏でも冷たくておいしい水が流れる場所とその近辺の景色が浮かびます。少なくとも6回の夏のひとときをそこで過ごしたのです。しかもうれしく、ウキウキして。なぜならその代官清水のある場所から坂を下っていくと、大日川と呼ばれる水遊びスポットがあったからです。 伸夫くん、文男くん、三男くん・・・幼馴染みの顔が浮かびます。 水メガネをヨモギの葉で擦ると曇りにくいと確か一歳上の「野生児」伸夫くんが教えてくれました。 1967年の夏には、ビートルズのSgt. Pepper'sの楽曲と思い出が被ります。 With a Little Help from My Friends ですね、恐怖を感じず楽しく聴けた数少ない収録曲です。「ミーン、ミンミン」を遠くに聞きながら「Oh, I get by with a little help from my friends」というRingoの歌が脳裏で響いていた。そして「Do you need anybody?」というJohn, Paul, and Georgeの3パート・ハーモニーですね。 「ミーン、ミンミン」を聴いていた小学生の「私」が<今>呼び覚まされるのです。身体は著しく変わってしまっていても、あのとき自分を「私」と言っていた、認識していた「私」が、「それまでの70年に近い人生を送ってきた私」に置き換わ...

みつをさんは私の兄弟子 〜秋のような朝に

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  ちと遅く起きてしまい、外はもう既にかんかん照りに見えたが、窓から入ってくる空気に驚いた。 秋のそれだった。もう使ってよかろう、「爽やか」。湿度低く、気温も熱帯夜の延長に程遠い。写真は先ほど6:20 a.m.頃に砧公園で撮った空。昼はしっかり真夏の気温になるのだろうが、すれ違った人たちも爽快な空気を胸いっぱい吸い込んで歩いたり、jogしたりしていた。 * 熊本がまた大地震に襲われた。ただただお見舞い申し上げるのみ・・・。そう、ほぼ「のみ」。せいぜい義援金をわずかながらも出すだけ。 今の私の歳ぐらいにMooさんは長野県池田町やその近隣から支援物資を集め、宮城県女川へとそれを運んで行った。あの2011年の大震災の時だ。これが「偉大」な行為でなくて何だろう。そしてそればかりではない。偉大な行為は枚挙に暇がない。 氏はやはり最新のブログ記事で大謙遜をされていた。人生のある時に何かしらの蹉跌があって、ご家族に迷惑をかけたらしいことが何より「偉人」などと私に呼ばれてしまうのに赤面する、猛否定する根拠なのだろう。 Mooさん、それがどうしたんですか。過ちを認め、謝罪し、悔い改めたのですし。完全無欠な人生を歩んできた人間などこの世に今も今までもいる験し、いた験しはないですよ。いつまでも引きずる悔恨、羞恥というのはおそらくほぼ全ての人にありましょう。Kに過日酒を酌み交わしながら聴いてもらったのも私のそういう過去の汚点についてです。そのKにだって、今なお「なぜあんなことになるのを止められなかったか」と悔し涙に暮れる(?)ことがあるのです。 同類相憐れむではないのです。私やKやMooさんの三人が同類というのではなく、あいだみつをの「人間だもの」を引くのも陳腐でしょうけれど、さまざま後に悔悟すべきことをしてしまう性を持つのが人間で、それは真理であって、故に「同類」とは正に「人類全体」を言うのです。ちなみにあいだの仏教上の師匠は紀野一義先生なのです。ほんのちょっとの縁ではあるけれど、彼は私の兄弟子と言っていい(勝手ながら)。 わかっています。「人間だもの」と言って居直るような態度の言い訳にするならそれは卑怯だし、醜悪です。みつをさんもそんなことを望んではいません。しかしこの世に「私は凡夫ではない」と胸張って言える者などいるはずがないと私は思います。世に「偉人」と言われる人は過去にお...

「偉人」と呼べる人

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昨秋訪れた安曇野、大王わさび園から撮った「北アルプス」前衛峰・有明山。深田久弥が「百名山」に選ぼうとしたけれど、当時登山道が崩壊していて登れず、背後の燕岳や大天井岳などと共に選に漏れたそうだ。 そんな安曇野の地から野菜が届いた。   生産者および送り主は言わずと知れた(?)Mooさん、村端浩さんである。Kへの誕生日プレゼントとして野菜をお送りいただいたが、私にもお裾分け。 本当に手塩にかけて育てられた野菜たちだ。Mooさんは農家出身ではないし、農業従事者でもない。富山市の元海軍通信兵だった郵便局員のお父様と音楽教師の母上様の間のご長男だ。東北大理学部数学科の学生として仙台に4年暮らし、名古屋で教員生活を始められた。そして郷里の進学校でも教鞭を取られ、後上京、当時は首都圏最大生徒数を誇った塾で最高水準の数学と算数指導をされるのだが、そこで私は知遇を得た。今年一月に傘寿を迎えられた。 私は1994年に再デビューできることになって塾を辞めたが、2000年に復帰の際はご尽力をいただいた。そしてまもなくMooさんは安曇野池田町に家を建て、お連れ合いと移り住まれたのだった。その時から始められた耕作。以来何度その恵みをいただいてきたことか。 凝り性でいらっしゃるのは間違いない。PC関係の深い知識と技術、蔓工作などすぐに頭に浮かぶが、何より被災者支援や平和・護憲運動、バラ園造成・運営、町政への提言などにリーダーやリーダーの一人として密度濃く関わり、また松本市で子ども塾や子ども食堂への無償教育支援、食糧提供もされてきた。すべてにおいて、「そこまでやられますか!」と舌を巻くレベルで尽力され、成果を上げられてきた。 偉人である。 そう称揚したら、間違いなくMooさんは激しく謙遜されるはずだ。しかし本当に、私の交際界で「偉人」と言える唯一の人物だと思っている。 一言で言うと、Mooさんは慮りの人、もっと簡単に言うと、やさしいのだ。 今回の野菜の梱包の仕方にもその「慮り」が如実に現れている。ギュッと詰め込んでいるけれど、できるだけ輸送中に傷まないようにひとつひとつの野菜の詰めかたに配慮がされているのだ。とにかく丁寧、なのである。空間を最大限活かしつつ(数学者として流石の空間認識)、しかも各野菜が押し合って傷め合うのを極力抑えている。 Kもきっと梱包を解いたとき賛嘆の声を上げたはずだ。...

昨日は「會津人」3人の酒宴だった

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昨日は転石会、御大=「藤倉かつMick」と栗田三代将軍栄光(えいみつ)、急遽参加の義父の娘と4人、笑ってばかりの2時間半でした。 上の写真は豪徳寺の門のひとつ。棟板金の家紋は彦根藩主・井伊家のもの。旧ブログで再三書きましたが、藤倉家は上州・桐生の<根本>山神社の十数代に亘る宮司の家系で、桐生には井伊家の領地があり、根本山神社及び大正院は井伊家の庇護を受けていました。その意味では、豪徳寺と同じだったと言えます。世田谷と狛江はやはり井伊家の武蔵国における領地で、招き猫伝説*は有名です。 *伝説の内容 江戸時代初期(寛永年間頃)、彦根藩主・井伊直孝(いい なおたか)が鷹狩りの帰りに、当時は貧しい庵だった「弘徳院」(豪徳寺の前身)の門前を通りかかりました。門前にいた一匹の白猫が、しきりに手招きをして直孝一行を招き入れます。不思議に思った直孝が寺に立ち寄り、和尚のもてなしを受けて法話を聞いていると、突然激しい雷雨が降り始めました。猫のおかげで雷雨を避けられ、和尚との会話も楽しめた直孝は大いに喜び、「この幸運は猫が招いたものだ」と感謝しました。その後、直孝は寺を支援し、多くの寄進を行って再興。井伊家の江戸における菩提寺と定め、寺号を「豪徳寺」と改めました。猫が亡くなった後、寺ではその猫を「招福猫児(しょうふくねこ/まねきねこ)」と称して祀り、招福殿を建てて感謝を表しました。これが招き猫の起源になったという話です。 そしてその桐生・藤倉家が、蘆名一族の藤倉=金上氏の末裔ではないかというのが私の説。 国の重要文化財である「藤倉二階堂」は奈良・平安期の僧・徳一の創建と言われていますが、これが会津若松市倉橋字藤倉に在るのです。 三浦義明の末子と言われる佐原義連の三男・盛義が義連からこの藤倉の地に所領を与えられ初代藤倉氏を名乗ったとされます。その盛義の孫の藤倉盛弘が会津坂下町金上に領地を得て金上氏を称します。そして今は新潟県東蒲原郡となっている麒麟山城=津川城の城主となるのですが、摺上原の戦い(1589年)で伊達政宗に蘆名氏は滅ぼされてしまう。当然一族の藤倉=金上氏も會津を追われるのです。 そうなれば、藤倉=金上の生き残った者たち( 摺上原の戦いで当主盛備は討ち死に) は南へ行くしかない。元々蘆名氏ではなく養子に入ったそのときの蘆名氏当主義広は実家の佐竹氏領地の常陸(東南)へ逃げましたが...

文月雑記 3 〜Kも私も貰い物

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二日ぶりの早朝potteringであった。写真は今朝の世田谷区岡本の無名塾(兼故・仲代達矢邸)を右に見ての谷戸川へ下る坂(「無名坂」と言うらしい)。勾配が写真では分かりにくい。 * さて今日はMick師匠を囲む会である「転石会」の今年度会合がある。とは云え、会員の過半数が都合がつかずに欠席となってしまう。残念だが、それぞれが体調か仕事という事由だからどうしようもない。ゆえに12.12の私主催のギグで異例の(!)第2回転石会としようではないかと提案中である。 今晩はMick師とK、そして私が集う。そのKだけれど、なんと昨晩Mooさんから私にメールが来て、氏がKに誕生プレゼントとして自家製野菜を送りたいから住所を教えてくれとのことで、うれしいうれしいサプライズとなった。氏の安曇野池田邸へKは3回行っているが、親友扱いをしていただき、私にとってもありがたい限りだ。 * ポタリングから帰ってきて、塀際の掃除をしていたら向かいのNさんが「紫蘇は食べられますか」と声を掛けてこられた。「え?紫蘇ですか。ああ、いいですね。」そう私が答えると小さなサンハウスのようなところへNさんは引っ込んで行って、数分後摘んできた青紫蘇、つまりは大葉を、十数枚そのまま手渡してくださった。 「いやあ、まさに早起きは三文の徳です。ありがとうございます!」 そう言うとNさんは破顔一笑したっけ。

Many Many Many Happy Returns! EMI.

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  写真は昨夏のもの。世田谷区梅ヶ丘で撮った朝焼けと虹。同じ写真を去年上げて記事を書いたかも。確かめるの、面倒くさいです。 * 今日はKくんのお誕生日。Many Happy Returns!の挨拶を心から祈りつつ彼に捧げるものです。 さて、Kの最新Vlog、興味深いものになっています。 https://www.youtube.com/watch?v=zKEPsTf96fs&lc=Ugz43Fz_peRn9mSqLmd4AaABAg.AZdtHjwEWq_AZes5zR2S1X 彼は相当に赤裸々な告白(?)を<全世界に向けて(笑)>発信することが頻々としてあるけれど、今回のもその類い。警備会社に出向くよう要請された現場が、彼にとってもっとも忌避したいところにほぼピンポイントで合致したのです。 なぜKがそこで絶対に仕事をしたくないか、そしてその要請についてどう返答したか、もしよかったら、ビデオを見てください。 また彼の元(いや、現役?)グラフィックデザイナーとしての確かな腕も披露されています。 さらに、いかに粗忽者であるかも。まるで落語です。(「MNEMOに言わっちゃぐねぇ」とつぶやく彼が見えます。) 追記 Vlogでの彼、上の前歯が悉くないのです・・・差し歯取れた? * 昨夜は久しぶりの長時間英語レッスン。そうです、夏期の特別シフトが始まりました。とは云え、コマ数をどんどん減らした今年度、そうキツくはなく、「英語脳」の少なくとも現状維持のためにもしっかりやりましょう。

文月寝坊日記〜Lost Canvas 20年

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  折角Mooさんの最新ブログで我がearly birdぶりに触れていただいたのに昨日よりもっと寝坊。これから外に出る気は全くしない。 写真は少なくとも8年昔の(日付データがあるだろうと思し召しだろうが、これは複製ゆゑないのです)、狛江多摩川で撮った夕焼け空と富士。近頃は朝焼けの空ばかりだったからこちらも<ルーティン外し>。 * 山田五郎さんが亡くなったという。同世代だし、大学も同じ。千代田区紀尾井町の狭いキャンパスで当時相当なハンサム・ボーイだった彼とすれ違ったことは一度じゃ済まなかったろう。いわゆるサブカル系の蘊蓄タレントとして世に出たと記憶するが、彼のYouTubeチャンネルの教養度は非常に高く、注目していた。惜しい人物であった。合掌。 がんを患う方々にとっての「戦友」であり、範垂れる存在だったろうけれど、「食えず歩けずでもう死ぬ」と言い、最期まで仕事をしたいと周囲に訴えたという。原発不明のがんで、治療がさらにむずかしかったらしい。それでも最後のYouTubeビデオでも笑顔を絶やさなかった。天晴れと言うしかない。 * イタリアのMediaset Italia 2で今秋「The Lost Canvas」が「NARUTO」や「Dragon Ball」と共に放送される。 https://x.com/saint_news 「ロスキャン」20周年だそう。そんなに経ったか!😂

「夏至より1ヶ月ほど経って」日記

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今1時間40分のpotteringより帰還。日脚がどんどん短くなっているのを今朝実感しました。夏至からほぼ1ヶ月が経ったのですから、当たり前。 写真はおとといの野川ですが、今朝は上用賀→新町→深沢→駒沢公園コースでした。野川や多摩川と違って、早朝であっても砧公園や駒沢公園は比較的若い人たち、つまり30歳代の人たちも多くジョギングやウォーキングをしています。それが大きな差ですな。特に駒沢公園はその傾向が顕著。あの辺りはhealth-consciousな「現役」が多く暮らしているということなのかなあ。 * Kが倒れるのではないか、早晩。日曜、私は十数分炎天下の都心を歩いただけで凄まじい量発汗したのです。彼は36度を超える照り返しバンバンの道路上で午前中から午後4時近くまで仕事をしています。ほとんど炎熱地獄の責苦ではないか。なぜ持病のある老人がそんなことまでして暮らしていかねばならないのか・・・。 * 政治のことなど書きたくない。ほぼ隠居爺でも子や孫のことを思って、最低限、国の行末を考え、必要ならば行動しなければならないと思ってはいます。花鳥風月爺を気取ってここにどうでもいいことを綴ってどうだというのだと思わないこともないのです。 それでも、あまりの政治の劣化に、そして半数近くの国民の無関心(投票率のこと)に、何をか言わんやという気持ちから完全な絶句状態になってしまうのですよ。

政治にも世界基準はある

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  起きるのが40分遅かった。目が覚めて窓外を見たとき、この写真の雲はもっと茜色だった。開けたところでその雲を撮るには遅過ぎた。残念。 * Mooさんの記事を拝読しつつ、実際今の政府・与党自民と維新、そして諸々の右寄り政党により急速な「戦前化」が起きていることを同じように憂い、そして思うのだ。 「世界基準」というのは確実にある。少なくとも、今の民主主義を幾多の人々の血を流して打ち立てていった欧米諸国の、その制度を創り出した人々の良心がある。EUは根底にその良心を抱えている組織だと私は信じている。アメリカは今シッチャカメッチャカになっているけれど、「自由主義陣営」でそのトランプ主義の歯止めをしているのはEU諸国だ。大航海時代以降遅くとも第二次大戦前後まで植民地主義の欧州人たちがいかに酷いことをしたかは今は問わない。なにしろ今、ヨーロッパ=EUはまちがいなくその反省からの理念の基に、たとえ完璧な一枚岩ではないとしても、統合されている。EUの今の人権や環境への考え方とその実行力はまちがいなく世界をリードしている。それが「世界基準」だと私は見ている。 日本の「戦前化」は国威発揚の場であるG7やG20などで必ず総スカンを食う。「先進」国であるはずの日本は、なんと枢軸国時代へと逆進している。例えば「Y遺伝子崇拝」などは、首相が大好きな西欧諸国のリーダーたちからいかに顰蹙を買っていることか。先進国として尋常ではない非科学主義、頑迷固陋、女性差別である。日本初の女性首相が誕生したというのに、なんとその人自らがミソジニーに毒されている皮肉は彼女の大好きな先進西欧諸国のリーダーたち、国民たちの呆れにつながっているはずだ。 政府与党や翼賛する諸政党の人々は「世界」から孤立したいのだろう。そうとしか思えない。トランプは早晩いなくなる。「世界」は確実に良心を、正しい科学的思考を、マジョリティとして取り戻していく。

昨日、炎天下都心某所を歩きつつ

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  今朝はかなりの距離を自転車でカバーしました。普段の2分の3倍を超える感じ。まず自宅から二子玉川の兵庫島辺りまで行き、そこから狛江市、調布市へと多摩川べりを西上し、そこからいつもの成城の野川経由で戻るというコースでした。 写真は調布市染地の、狛江市居住時代何度も何度も歩いた多摩川べりの小径。何のことはない写真ですが、このとき私はおそらくセンダイムシクイと推定される鳥と歌い合っていました。「チヨチヨ」ないし「ピヨピヨ」と向こうが鳴くので、それを口笛で真似して。なんと幸せなひととき。 * 梅雨明け。数日前までの予報が心許なかったのが判明。太平洋高気圧が一旦引くとか言っていたような。 昨日義父と一緒に都心某所の「音楽会」へあまり好きではない246(国道)を使って出かけました。義父の娘の晴れ舞台なのです。去年も同じ会へ行きましたが、格段に彼女が属す楽団の腕が上がっていて義父と称賛し合ったのです。 開場前に辺りを散策しましたが、まあ、超高級住宅街であって、各国大使館関係者であろう外国人がふつうに歩くようなところ。むろん猛烈な暑さで、汗を拭き拭き十数分散策。こういう典型的な盛夏の昼を、ただ暑いからと忌々しげに唾棄するようなことは言いません。こういう日があって当然なので。しかも今年は6月が本当に涼しかったから、猛暑への恨み節は歩きながら出ることがなかった。 そこが下町だったりしたら、風鈴の音を耳にすることもあったかもしれませんが、江戸時代以来の「山の手」武家屋敷街ではそういう風情はなかった。 義父とはクルマの中で行き帰りいろいろと話しました。クラシック音楽をこよなく愛す義父は、ある話の流れで「ビートルズはちっともいいと思わない」と私を前にして爆弾発言。義親子喧嘩勃発・・・とはならなかったですよ、もちろん。私はそんな狭量なやつではない。JohnやPaul、GeorgeとRingoと同世代の義父ですが、3〜5歳年上で、日本楽器に長く勤めた父親を持つ者として、「ああいう騒々しい音楽」にちっとも感心しないままになったのです。Paulの「万人受けする楽曲」すらダメなのですから、とりつく島もない。 その点、60年代70年代とやはり息子たちの騒々しい洋楽好きに辟易していた我が父は、晩年「ビートルズにはいい曲があるなあ」と<改心>してくれた。(笑) 父の生家はレコードも商っており、その...

"You're one of them." "I know!"

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先ほど、 成城4丁目野川の夜明け 「夕焼け」は夏の季語。では「朝焼け」は? やはり夏の季語です。つまり日の出も日の入りもそれぞれ前後の空は一年で一番美しいと日本の俳句世界、詩歌世界では認識されてきたし、事実そうなのでしょう。もちろん私もそう思います。 私が好きな季語に「冬暁(とうぎょう)」があります。東京ではまさに冬の日の出前後に「江戸紫」の空が見られます。故郷雪国の會津ではまず見られないはず。逆に、それなりに晴れていれば東京での夏の朝夕の空が見られるかも。そうです。「夕焼け」と「朝焼け」には湿気が大事なんです。雲が要るんです。「冬暁」の空にはまず雲は浮かんでいません。たなびく巻雲の類くらい。それもいいんですよね。クリアな世界です。 * 夜明け前から午前5時半頃まで自転車で世田谷区と狛江市のあちこちを走ってきました。すれ違った人はざっと50~60人というところでしょうか。若い人は子どもも含め、皆無。ほぼみんな年配者。40歳代らしい人が2、3人でした。みなウォーキングかジョギングの人でした。 「現役の人たち」はまだまだ睡眠中なのです。連休中とは云え、当たり前です。若者がいたなら、それはきっと徹夜して遊んでいたか何かでしょう。大昔、私も子どもあるいは若者だったとき、なんで年寄りはこんなに早く起きているんだ、起きられるんだと訝ったものです。その秘密は、私が学校とかに行っている間、昼寝をしていたから。証拠は年取ったこの私の生活パターン。 今朝は何だかもう眠い。昼寝ならぬ、「二度寝のインタバル短い系」でいきますか。

KのVlogの不思議

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今朝、砧公園東の端からrising sunを望む。 * 砧公園内では、夏休み、そして土曜ということで、親子連れが朝から何組も虫取りをしているのを目にした。父親と息子の組み合わせが多いけれど、母親と息子というのも珍しくはない。お目当てはいろいろだろうけれど、経験上あそこはセミの採集にほぼ特化しているはず。幼虫が地面に出てくるところを捕まえたり、葉や枝、幹によじ登っているものや、羽化前後のを採るということだろう。 今世田谷は全面(?)低い層雲の下、梅雨明け宣言しようがない。3連休だそうで、親子連れが1日でも暑過ぎぬ晴天の下楽しい時間を過ごせればいいが、どうだろう。 * KのVlogは不思議だ。何が不思議って、現場での複数回の休憩中にする「この分だとあと作業は〜時間で終わるのではないか」などという予想や、「〜時にはとにかく終わってほしい」などと時に乞い願うシーンがそれぞれ1本の「作品」中他のどの内容よりも時間的に多いのだが、それがもしかすると190人とかのチャンネル登録者のお気に入りなのかも、ということなのだ。どういうことなんだろう。 私としては、Kにempathicになって、できるだけ早く現場が終わる<僥倖>に彼が恵まれるのをハラハラドキドキ(?)願っている自分が<きっと>おもしろいのだ。彼の仕事は、たとえば午前中で短く終わろうが、規定時間いっぱいまでかかるほど長引こうが、日当が同じなのだ。ある回の日が彼の言う「ラッキー」な同一賃金短時間労働の日となるのか、視聴者もみな固唾を呑んで(!)見守り、楽しんでいるのではないだろうか。(笑)

アブラゼミ鳴き出した日、昼に雷雨

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  この時間(午前11時過ぎ)世田谷は分厚い雲の下、雨が降っていて、まるで日没前の暗さ。レーダー画像を見ると、きっと世田谷東部、東隣の目黒区やそのまた東の品川区とかは積乱雲直下で雷が鳴っているかと・・・あ、こっちも鳴り始めました! * 庭にある小さな百日紅が咲いています。今冬まで花芽や葉すらもなく枯死したと思っていた一株でした。驚くべき生命力感嘆しきり。愛おしいです。Sweet rain of Julyを浴びて、またすくすく育て。 * おとといKに会った際、まず冒頭、共通の友人X君からKにメッセージがあったとのことで、私によろしくと。X君とも本当に会いたい。我が故郷のことば、親しい間柄で使う二人称「おめ」が使える数少ない人です。 そのX君は今闘病中。心の底から快癒を祈っている毎日です。同郷・同級会を必ず実現したい! (なお、會津西部弁の二人称はたくさんありますが、「おめ」が最も親しみあり、失礼でもないもの。それより少し距離を置いた言い方は「わが」。「にしゃ」はかなりぞんざいなもの。) * 今日早朝、いよいよ砧公園の木立では蝉が鳴き始めたのを確認しました。ニーニーはもうちょっと前に鳴いていたのかもしれませんが、アブラゼミのことを言っています。いよいよ梅雨明けと地中から出てきましたか。そうはっきりと梅雨明けとなるかは疑問ですが、まあ、気温的にははっきり盛夏ですものね。 Kよ、熱中症にくれぐれも気をつけてな!

上高田の夜は更けて

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  「おお、夕焼け空、きれいだ!」 Kが叫びました。「ほんとだ。」「居酒屋が開いてるか見てくるな。」 Kが自転車で一足先に中野区上高田3丁目の交差点近くにある二人お気に入りの店へ向かったところで、私が撮った一枚です。さて、Kくんはどこにいるでしょう?タンポポの綿毛のようなものがどこかに見えたら、それが彼の頭部です。(笑) * 中野区「上高田」、新宿区「高田馬場」、豊島区「高田」、文京区「高田老松町」はもともと江戸時代以前には「高田村」という広い一村だったという。Kが住む上高田はその旧高田村の西端に当たる。中では高田馬場が全国的に有名で、三代将軍家光が馬場をそこに作ったがための名称である。 * Kは昨日も炎天下の労働の後に私に会ってくれたわけで、本当に気の毒なことでした。しかし元気がないようでもなかったので、話に付き合ってもらいました。その話の内容のサマリー的なものは一昨日のblogに掲げてあります。 腰を下ろした座敷は実に大衆的無比なオープン型の1畳半というようなところ、しかし傍にTVがあって、バレーボールの日伊戦が放送されていました。K君は中学時代バレーボール部のキャプテン、セッターでした。そして生徒会の会長でもあった。 その彼はどなたかとは全く違って<本当に>リウマチでサポーターを痛々しく両手に巻いて、立ち上がって店内を歩けば、3年前亡くなったお母様と同じような格好になる。中1から彼を知っている私にしてみれば諸行無常感を募らせる瞬間でしたが、なあに、彼から見たら私も同じようにあの中1の頃の私などほぼどこにも見出しようがないのです。 「ああ、あと何回おめ(=君)とこうしてサシで飲めっかな。」 思わずそんなことを言ってしまいました。

世田谷は土日広く新盆踊りが行われるね

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  先ほどの世田谷区喜多見・慶元寺。新盆の納涼踊りが行われるようだ。 この寺は、秩父平氏(将門さまの叔父良文の子である平忠頼と将門様の娘春姫との子である平=秩父将恒を祖とする)の流れである江戸氏の菩提寺。浄土宗である。 元々は今は皇居の紅葉山に1186年に建立されたというが、江戸氏の衰退、太田道灌や徳川家康と「都心」の主の交代があって、1456年武蔵国喜多見村へ移転したらしい。そしてその江戸氏子孫は家康が江戸に入るとその領地の名である江戸を名乗るのを遠慮し、旗本・喜多見氏となったという。 犬公方五代将軍綱吉に取り立てられ、2万石で大名となり、喜多見藩が建てられた(その陣屋はこの慶元寺辺りに在ったらしい)。今の東京都内、もっと狭めれば23区内に藩ができたという唯一の例だ。ただしその取り立ててくれた綱吉によってわずか数年で喜多見藩は改易となった。原因は諸説あっても確かには分かっていないという。 * さて今晩、Kさんとお会いする。彼と同郷人として、そして中学以来の友として語るのだ。もちろんいつ会ってもそういう長い間の親友として語り合うのだけれど、自転車でお互いに落ち合えば酒を酌み交わすことはできない。今晩は酒あっての話にしたくて、彼の中野の住まい近くの居酒屋で会う。帰りは義父の娘が仕事から帰りに合流してくれてクルマを運転してくれる(やさしいね!)。

Life can be short or long; Love can be right or wrong

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先ほど夜明けの二子玉川運動場。用賀方向を望む。 * おととい大幅に記事を削除したわけだけれど、何について書いていたかと言うと、YouTubeで信じ難いほどにPVを稼ぐ或る男女間トラブル解決系(?)チャンネルにハマってしまって、いろいろと考えたことだった。(これは大阪人によって運営されており、「探偵ナイトスクープ」の匂いがする。とても大阪・関西チックだと思う。) さすがに老境に入って幾星霜、そのチャンネルで扱うような男女のことは完全に他人事になっている。とは云え、人生大転換の瞬間を迎える<血気盛んな現役たち>の正に若気の至りに歯軋りするのだ。「younger」だった自分を彼ら彼女らに重ね合わせつつ。 * John主導の曲、 She Said She Said の歌詞に「When I was a boy, everything was right」という一節がある。事の善悪を考えることがまだない、あるいはほとんどない「boy」であった時代、叱られればそれがwrongであり、褒められればrightだったわけだけれど、まずとにかく自分を囲む「世界」はただ見たまま、聞くまま、感じるままだった。そうできている「世界」を受け入れるだけ、よって善いも悪いもないが、それはひたすらそのままrightであって、「善い」というよりは「正しい」=「間違っているとは言いようがない、そう判断する経験も能力もない」状態だったのだ。 そして一体いつから私は事の善悪をしっかり見つめ、判断できるようになったというのだろうか。「しっかり」などこんな老境にあってもできていないように思える。一生そうなのかもしれない。

記事大部分削除して再掲

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  今朝は蒸し暑いけれど、過酷なほどではない。昨日の空(↑)とは一転、どんより。こうだからこっちは梅雨明け宣言されてへんのやな。 追記 上の記事に続いて書いたことがありましたが、読み返して自分で気分が悪くなったので削除しました。悪しからず。

本当の朝敵は

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  昨日の朝、近所で撮った、私を泣かせる空。 * 太郎さん、やはり「新選組」という名をつけたのが仇になりましたね。私は會津の生まれ育ち、あの幕府に殉じた、というか、主君に忠義を尽くした真の「侍」集団に同情的にならないのはむずかしい。 しかし例えば彼らの敵であった「西軍」諸藩の土地で「新選組」を名乗る政党が大きな支持を得ることはやはり、いくら幕末から160年ほどの時間が経っていても、むずかし過ぎたと思う。それは會津で「薩長土肥連合」というような名の政党があったとして、どんなに高邁な理想を語られようと絶対に(!)大きな支持を得られることはないだろうというのと同じ。「全国区」には端からなれない党名だったと言えなくはない。 あなたは大河ドラマで新選組十番隊組長原田左之助を演じたことで、義に生きた男たちへの共感を強いものにしたのでしょうね。よく分かります。しかし彼らの「活躍」に會津を滅さんとまで思った「西軍」兵士も多かったでしょう。 あなたは同志・副長格の大石あきこさんと共に引退し、党名も変える決意をされた。それでいいと思います。長い間ご苦労様でした。レガシーは残る。ちょうど新選組のように。どうぞ治療に全てをかけてくださいね。 * もう一人の「太郎」さん。あなたは今回の皇室典範改正を主導した人らしい。姪がいる宮家は、その姪が当主となって存続、なのに天皇陛下のご長子敬宮さまは天皇家の当主とはしないという理屈は一体どういうところから出てくるのか。 旧宮家の男系男子は、宮内庁の公式答弁(2026年7月10日、衆院議運委員会で緒方禎己次長が答弁)によると、天皇陛下との血縁は36親等から38親等と明言。これは皇室典範改正案(旧宮家男系男子の養子縁組による皇族復帰)に関する質疑での発言だ。 血縁の濃さは、36親等で約0.000000001455%(2の-36乗に近い極めて薄い血縁)という計算になる。共通祖先は室町時代(1428年頃、伏見宮系・崇光天皇の子孫)まで遡る、と。  この「男系男子」を姪の宮家の誰かと結びつける?これは皇統簒奪だろうに。 朝敵だ。君側の奸だ。

文月雑記 2 (2026年)

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  小田急の喜多見操車場の屋根(?)の上は公園になっていたり、植栽されていたりで、緑いっぱい。そしてこの辺りで一番の広い空を見せてくれる場所。 * 山本太郎さんが政界引退。悲しい。「新選組」という名が不吉だったか。あの武闘集団同様、短い命だった。毀誉褒貶あっても、彼のような傑物が現れた日本はまだ大丈夫かと思ったが。一体政治とは、政治家とは、民意とは、何だろう。 * Mooさんのお家の近くに野生のラン科植物ネジバナ(モジズリ)の群生ができつつあるようだ。氏がこれからもっと大きくしようと思っておられる。すばらしい!冒頭で書いた喜多見操車場近くの草地にも昔は咲いたものだったが、もう影も形もない− − −   その場所にフィットネスクラブが建ってしまってから。 KはVlogで、杉並区荻窪の作業現場付近にサクラの木の枝が道路に少しはみ出ているところがあって、ダンプなどが通る際に当たってしまい、折れてしまう危険があった、と言う。その木の持ち主のおばあさんが、Kに「切ってもいいよ」と言ってくださって、さてKの個人判断でいいのかと思案し、また「隊長」の了解が取れても、サクラはウメと違って枝を伐ることは普通しないから、切ったら切ったで「癒合剤」という腐りを防止する薬を塗らねばならず思案していたところ、その珍しい薬剤を持つ同僚と作業員仲間たちがしっかりその手順を踏んで、処理をしたとのことで、Kは喜んでいた。 我がブログでの植物ネタをMooさんとKからいただきました。 * 当然「パンタレイ」=諸行無常の理を免れぬ、しかも「 万世一系」でもない Y遺伝子を尊び、今上天皇のご長子敬宮様を軽んじ遠い遠い親戚の 男性を天皇にしようという信じ難い悪法を成立させようとする者たちに満腔からの怒りをぶつけたい。 * さて、午前4時が近くなってきた。自転車乗りに出かけるかね。

堂々たるone of them

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  ちょっと前に撮った成城の丘、夜明けの空。 その成城と喜多見の野川べり、歩く人がみな高齢者で笑ってしまう。そう、自分も含めて。そして思い出した---- 2005年から2010年代前半くらいまで、当時狛江に住んでいて、多摩川の土手道早朝ウォーキングでほぼ必ず会う引退校長先生風のご老人だ。すれ違う時「おはよう」と挨拶してくださった。2010年代後半になるとあまりお会いしなくなって心配していたら、白いマスクをして、いかにも病と共に生きていらっしゃる風で、足取りももちろん軽快に程遠いものがあった。それでも再会を喜んでいたら、世田谷へ越す2018年には全くお姿を見ることがなくなったのだ。 2005年とかならもちろん私はまだ中年、多摩川土手道を歩くご老人たちを見て、「いやあ、爺ちゃん婆ちゃんばっかだなあ」などと、自分はそうでない立場で感嘆していたものだ。そのときのご老人たちの多くは天に召されたであろう。 野川端の道で今朝すれ違ったご老人たちは多くが私と同世代なのではないか。昭和30年代前半生まれだ。もちろん20年代生まれの方も多かろうけれど、<主流>は30年代生まれと見た。私は<今>、堂々たるone of them!

時を超えて 夢は進む

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今朝、久しぶりの朝の青空だじょ。It feels like years since it's been clearは大袈裟ざますが。 冒頭の空の青が現れる20分前くらいの夜明けの空。撮ったのは桜新町1丁目で、治雄ちゃんとスティックと3人でDeafening Daphneの活動をしていた頃(2001年〜2007年)、Plus One Studiosの駐車場が在ったところだ。 この2人プラスがっちゃん(嘉多山信くん)と12月12日に奏で合える日が待ち遠しい。すぐだよ、ほんと、5ヶ月なんてあっという間に経つ。 たどり着くには 遠すぎる 垣間見るには 高すぎる ラジオは終わり あの歌がこだまする 果てない闇に 落ちてゆく僕の声 あの空 あの虹 忘れない 1994年頃、スティックとがっちゃんとも一緒に歌った我が『虹に刻んだメロディー』の歌詞です。 茜に染まる あの雲も 一番星の 織姫も 二度と還らぬ この瞬間を歌う 悲しく響け 僕にはふさわしいから この時 この空 忘れない 時を超えて 夢は進む 終わることない調べ奏でて 虹に刻んだメロディー 儚く消えても It's my life スティック、がっちゃん、この歌歌ってもいいですか? 治雄ちゃんもコーラスしてね。

鵲の橋

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  写真は大昔撮った花巻を流れる北上川の、宮沢賢治さん命名の「イギリス海岸」。オニグルミの木がたくさん生えているのは、賢治さんが生きられた大正昭和の頃と同じ。 その大正や昭和初期は、ほとんど日本全国どこででも晴れた夜は満天の星空だったはず。賢治さんもこの「イギリス海岸」で数え切れぬほどの回数、星見をしたことだろう。 今日は新暦の七夕。旧暦で今日は五月二十二日。旧暦の七夕は今年は八月十九日だ。この時期に七夕を迎えてしまう最大のデメリットは、多くが曇天や雨天の夜となってしまうこと、すなわち肝心の星がかなりの確率で見られないということ。 「人間には、自分は時空をはみ出している存在だという感受性を持っているか、自分とは時空の中の物体だと思っているか、この二種類しかいない」 大峯顯先生がフィヒテのことばをご自分で翻案されたものだ。それを受けて、 「私はその二種類を、詩人であるか詩人でないかという仕方で分けました」 と池田晶子さんが応じている。(『君自身に還れ』2007年刊 本願寺出版社 p18) そしてこの本が出版されてすぐに池田さんは星になられた。 今晩も星は見られそうにない。彦星も織姫も東京の地上からは雲に覆われて見えない。 アルタイル(=牽牛=彦星)とヴェガ(=織女=織姫)は互いに14〜15光年ほど離れているし、天の川を渡って年に一度の逢瀬を楽しむには、光速を超える旅をしなければいけない。しかしそんな<不粋>なことを言わず、そして雲の遥か上でのその二つの星のrendez-vousを想像することができるのが人間というものだ。 もし雨の夜となったら、カササギが天の川に橋を架けて、愛し合う二人を逢わせてくれているのだと想像しよう。

さらに好きになったよ、祖師ヶ谷大蔵近辺

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  昨日日が暮れてから散歩の帰りに寄った砧1丁目に在る「Bonnie & Fried」という名のハンバーガー屋さん。相当にセンスのいい店主さんだなあと感心しました。この店名は「Bonnie & Clyde」のもじり。つまり、「俺たちに明日はない」の。背中を見せているのが店主さんかなあ。せっせと調理し、serveしていた女性はその男性のお連れ合いのようだったけれど、どうでしょう。二人が「Bonnie & Clyde」に憧れての命名なのでしょう。 おいしかったですよ。竹炭がバンズの生地にしっかり練り込まれていて、ゆえに真っ黒。ただ、Americanなはずなのにサイズは小ぶりでした。 写真のスクリーン前のテーブルにこの後親子連れが座りました。常連ぽかった。ご両親は60歳くらいかなあ。娘さんは帰国子女風で、店内に流れるアメリカのジャンルレス風ないしやはり(?)ヒップホップ系の歌に合わせて口を動かすのを見て「間違いない」と。いやあ、いい感じの親子だなあと感心しきり。私を除き、店にいる人みんな「They've got a lot of aura!」っていうことで、肩身が狭かった。 * 柴田淳さんのことは、昨日も書いたように、全く寡聞にして存じ上げないシンガーでした。どういう方なのか調べたら、なんと世田谷区出身とのことで、さらにもっと調べると「祖師ヶ谷大蔵」で生まれ育ったと!祖師谷なのか砧(大蔵方面)なのかはありますが、なにしろ親近感が募りました。 Bruce Springsteenが反トランプで活動し、所属するSony Music傘下のColumbia Recordsが「大統領個人を誹謗中傷するな」などと声明を出すなんてありえますか? 私もpeace and loveを叫ぶシンガーの端くれ、その信条からの行動についてレコード会社からストップがかかったり、非難されるなんて本当に信じ難い。許し難い。

抗議対象が県知事「個人」であるはずがないだろ!

Victor Entertainmentが、柴田淳さんが齋藤兵庫「県知事個人を誹謗中傷する」「発言」を「した」とのことで彼女とその事務所に「強く抗議」した。 私事だが、2007年、所属していたSMEの1レーベルが2年で解散となってしまうという大計算外のことが起こって、G String最後のシングルは、当時の我が音楽事務所のおかげを以てVictorから「ワンショット」でリリースしていただいた恩義はある。しかしこのビクターの<強い抗議>はあまりの筋違いで、大いに驚くと共に悲しくなった。 「県知事<個人>」とはどういうことだろう。<県知事として>公益通報者保護法に抵触する可能性がある判断をして通報者の県民局長を探索、処分したことを柴田さんは非難したのであって、知事<個人>のことを誹謗中傷などしていない。 齋藤知事支持者や擁護者からそれこそ誹謗中傷されることを覚悟で知事への抗議活動を行なった柴田さんの個人の自由、思想信条の自由を認めないとでも言うのか。 それは「おかしいことはおかしい」と言うことすら制限されるという世を作らんとするかのようであって、音楽というまさに自由精神に基づくものを商う会社として不適切にすぎる認識だ。 そして柴田淳さん・・・私は全くその存在を知らなかったけれど、心から応援したい気持ちでいっぱいだ。 以下英訳 Victor Entertainment strongly protested to Ms. Shibata Jun and her management office, claiming that she had made statements that "slandered and defamed the Hyogo Prefecture Governor personally." By the way, this is my personal matter, but back in 2007, the SME label I belonged to suddenly disbanded after just two years—a completely unexpected development. Thanks to my music office at the time, my final G String single...

落語協会新会長のことなど

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  これも昨日の写真と同じく、3日前に狛江市元和泉の多摩川土手から川崎市多摩区方向を撮ったものです。青空と雲、本当に好きですよね、私は。 * 落語協会の新会長に元林家こぶ平、現林家正蔵さんが就任した。前会長は柳家さん喬さんで、たった1期、2年の任期だった。 さん喬さんは喬太郎さんの師匠で、もちろん大ベテランで実力派だからこその就任だったが、これにはライバル(?)の五街道雲助さんが人間国宝になったことが影響しているのでは、とされているのだ。 下馬評ではさん喬さんの方が「無形文化財」に推挙されるのではとされていたのだが、同い年の、金原亭馬生門下(大師匠は古今亭志ん生)の雲助さんが、落語協会では先代柳家小さん、その弟子の柳家小三治に次いで「国の宝」の噺家となった。(なお、上方で桂米朝師が人間国宝となっている。) これは「バランスの問題」ではないかとされているらしい。つまり、落語協会で一番の勢力は柳家一門(柳派)であり、さん喬さんがまた選ばれるとその一門からばかりの選出となる。藝に優劣がないなら、金原亭一門から出すのがいい具合だと文化庁が思ったか。 その代わり、落語協会会長については、小さん師が1972年に就任以来、一代を除きずっと柳派=小さんの弟子ばかり(鈴々舎馬風、柳家小三治、柳亭市馬)続いていたから、金原亭や林家、古今亭、春風亭、桂、入船亭などの一門からも出すべきだという声もあった中、さん喬さんの人間国宝落選の埋め合わせでまた柳派から会長就任となった、とか。 そして77歳のさん喬さんは会長を一期で退き、林家から63歳の正蔵さんが跡目を継いだのだ。 さて、新会長の正蔵さんだ。TVタレントと言って過言でなかったこぶ平時代のイメージがどうしても残ってしまうけれども、その後努力を重ね、父親の初代三平の芸風を引き継がず、古典一本で修業を重ねたらしい。 会長就任会見を見たけれど、話の間(ま)にはっきり計算が見えて、あざとく感じ、あまり感心しなかった。高座での噺は、ヴィデオでの視聴だけれど、確かに隙(=ここでは稽古不足のこと)がなくて上手だ。だが、それこそ父親の<ふら>というか愛嬌がもっとあればいいのに、と思わせる。たとえ人情噺であってもだ。いや、「人情噺の正蔵」になってしまうのではなく、逆に滑稽咄をもっと聴かせてほしいほどだ。私の基準は、人情噺も滑稽咄も最高水準にあった三...

文月雑記 (2026)

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おととい午後5時過ぎに撮った、狛江市元和泉から登戸方面の写真です。みどりぶたさん、何かお気づきですか?  そうです。高層ビルが1つ増えています。「パークタワー向ヶ丘遊園」という分譲マンションとか。 * 昨日は夕食をKととりました。(功くん主宰のバンドでbassを担う彼は、関節の痛みで長く弾けない状態でしたが、何とか今リハビリ中で、何と I Saw Her Standing There をBPM158で弾こうとしています。無茶な!) ここ最近荻窪辺りで仕事をしている彼は環状8号を南下し、私は北上して杉並区高井戸東で落ち合いました。まだ20歳とかの若き日に、彼と高井戸に在ったKentucky FCを食べに八幡山から歩いたものです。私はその店舗を「Kentucky 高井戸 Chicken」と呼んでいました。その店舗ももうなくなって数十年でしょうか。 で、食事をした店は華屋与兵衛。K君が「華屋与一」と言って笑いました。初めて入ったそうです。「那須与一」と混同するのもしかたがない・・・ことはない。(笑)あるいは俳優林与一さんと?そっちか。84歳、ご健在だそう。 杉並区内はまだ区長選挙と区議補選のポスター掲示板が残っていました。ある自民党所属の杉並区議会議員による、リベラル区長再選に対し「杉並区民のひとを見る目のなさに失望し」たというX投稿が今buzzっているけれど、いやはや、これまたこの党の劣化著しいことを示す例となりましたね。「あなた、一体だれに選ばれて区議やってるの」としか言いようがない。 * YouTubeでは読み上げAIを使うコンテンツが多いのですが、精度が低いものが多くて辟易します。先ほど将棋関連のを聴いていたら、「加藤・千二百三十九段」と、途方も無い段位の棋士が出てきて笑ったのですが、こんなので真剣な内容のを世に出すYouTuberの怠慢にすぐに腹が立ったのでした。過日逝去された加藤一二三さんは九段で亡くなり、後「名誉十段」を贈呈されました。それでも1,229段も差がありますぜ。 * その将棋。<女流>棋士のための特例設定・優遇の現状を差別だと私は一貫して言ってきました。女流棋士制度など不要だと思っています。唯一西山女流だけは、奨励会三段リーグで14勝(4敗)というすばらしい成績を挙げたのに不幸にも3位で四段昇段(2位まで)を逃したという事実、および編入試験で新鋭...

後半行ってみよ〜

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Nikonを持っていかなかったのを後悔 今朝、夜明け前の西の空、Strawberry Moon じわじわ暑さが増してきたなあ。そして近年稀な低温六月が終わってしまった。2026年の半分も過ぎてしまった。 * 前総理の石破茂さんが、こう言っている。 「保守の本質は寛容です。相手の主張に対して寛容性をもって聞く、受け入れる度量を持つ、という態度こそ保守の本質です。」「この意味においては、『リベラル』と『保守』とはきわめて近い概念だと思っています。リベラルの本質もまた寛容性にあるはずです。」 私は強く賛同する。 * 「不同意性交」で嫌疑は認められているが、示談成立などで不起訴となった佐野海舟のことがとうとう海外メディアでも論われているという。森保さんはこの犯罪を「ミス」としたけれど、そんなことば=解釈では、被害女性がセカンド・レイプと思ってさらに傷ついていてもおかしくない。 そして・・・海の向こうでは、民事訴訟ながら「性的虐待」で有罪(=責任あり)となった男が大統領をやっているのだ。すごい国だ。もちろん皮肉。 * 「technically」という単語がX上で今膾炙している。内閣広報官殿が、「元米国連邦議会立法調査官」の肩書きで世に出たあの方が「She was technically a Congressional Fellow」だったとポストした。彼女の米国時代の「元同僚」がそう言ったと。そして「彼女は 正確に言えば コングレショナル・フェロー」と訳した。 確かに「technically」にその意味はあるけれど、New York Timesは彼女がインターンだったとはっきり書いているし、当時の「Fellows」のロウスター(roster=名簿)に彼女の名は載っていない。 とすれば、この 「technically」は「形式上」とか「理屈上は」などと訳すべきで、つまりは正式な「Congressional Fellow」ではないと言っているに等しい。また無論、たとえ<形式上Fellowであっても>「 米国連邦議会立法調査官」などという日本語訳にはなり得ない。