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八月尽雑記

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松茸の土瓶蒸し。義父に誕生日を祝っていただいた。ここ数年我が誕生会恒例の一品。これをやりながらの熱燗が最高なのだ。これからもずっと・・・お願い! * 昨日は本当に多くの方々から誕生日祝いのメッセージをいただいた。「転石会」のグループLINEでは真っ先にMick師が祝意を伝えてくださった。感激である。 * 昨日iPhoneをとうとう機種変更した。13から16へ。13は画面を傷つけてしまったのが大きかった。自転車の高さから落としてしまったのだ。そして、なんと16の端末は義父の娘からの誕生日プレゼントだ! もっと美しい写真を撮っぺや。 * 先の「転石会」スレでは12.12のことに多く触れた。あとおおよそ3ヶ月ということになってくる。いよいよ会の準備を始めなければ。いやあ、楽しみだ、本当に。

幸せです

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無事誕生日を迎えました。私を産み育ててくれた父母、その両家先祖、義父とその娘、友人たちにまず感謝です。そして我が娘、孫二人、姉兄弟・・・ありがとう。 そして山川草木だ。故郷の、狛江の、世田谷の。もちろん世界の、地球の。 義父の娘は午前0時ちょうどに「おめでとう」と言って、今はもう眠っている。私は冷蔵庫からSuper Dryの250ml缶をとりだし、独り祝杯を上げる。 それからすぐの今、LINEで娘と孫から動画メッセージが届いた。 Kも分差でメッセージをくれた。 幸せだ。

心からお見舞い

ネパールと中国での土石流被害、甚大だ。心からお見舞い申し上げます。 * Mooさんから1日早くBirthday Greetingsをいただいた。過分なお褒めの言葉と共に。いや、ほんとに過分。Mooさんの数学センスの5パーセントでも持っていたら・・・。それでもアホはアホなままだな、私。

え、明日?

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狛江市猪方ないし駒井の多摩川べり。もう何度ここを歩いたことか。以前旧ブログに書いたように、ここは芥川也寸志さんの『弦楽のための三楽章』(通称《トリプティーク》、英語題 Triptyque for String Orchestra)の第1楽章Allegroの中間部や第3楽章Prestoの中間部を聴くと思い出す場所だ。 Allegro https://www.youtube.com/watch?v=HpAbgM5DPvc Presto https://www.youtube.com/watch?v=Yg7p-W2-v30 Warsaw Philharmonic Chamber Orchestraによるもので、これが数ある楽団による演奏中最高の出来であると私は思っている。 世界有数の喧騒の街新宿から電車で20分強とかの距離にこんな場所があることの奇跡的な事実。 芥川さんは狛江に隣接する成城2丁目や調布市入間町に暮らしたから、ひょっとするとここを歩かれたこともあるかも。 ここに繁茂するハリエンジュやオニグルミ、カワヤナギなどに抱かれ、何より空に包まれ、夕暮れなどに歩くとき、僭越ながら暫しであれ「梵我一如」の境地に入り込む。 * おいおい、明日は私の誕生日ではないか! 何を今更言っているんだというところだけれど、いやはや、もう誕生日かよ。うれしく、悲しい。まだまだ「梵我一如」などと常に言えるほどにはできていないまま、老齢を重ねてしまう。しかし、なんとか生きていられる喜びも大きい。 明日娘と孫たちから、また義父とその娘に食事会を催し祝ってもらえること、明後日Kにも祝ってもらえること・・・それは本当に僥倖以外のなにものでもない。

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  今朝、日の出を多摩川で迎えた。西の空がこんなになって、本当におらは空に愛されてるなって思っただ。 仏教用語の「空」はそのまま「そら」だったらしい。雲も、星も、鳥も、なんでも容れてしまう。大阪大学名誉教授の故・大峯顯先生は「空(そら)」を、 「あらゆるものを入れて、お前はダメだということがない。無限の解放空間ですね。これはなぜかというと、空が自分を否定している、自分を空っぽにしているからです。これが自分だというものを実体的に持っていないから、空の中に自己否定があるんですね。『空即是色』というのは、空が自己否定だからあらゆる多様なものをあるがまま成り立たせるわけです。逆に『色即是空』は、多様なものがいっぱいあるということがそのまま空だということです。(大峯顯・池田晶子『君自身に還れ』〜本願寺出版社 p.182)」 とおっしゃっている。すげぇな。 なお、この本の後書きは池田晶子さんが書かれており、「2007年3月」と記されているけれど、彼女はその年の2月に46歳で他界されているのだ。空からの言葉だったか。

北陸豪雨お見舞い

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  砧公園の面積に比して千分の一にもならないだろう世田谷区立東山野公園。しかし私にはここがその都立公園に劣らず居心地のいいところなのだ。あの有名な(!)佐藤二朗さんともここですれ違ったっけ。 * 石川県と富山県が今大雨で大変な状況だという。まず、G String時代の私を応援してくださった小矢部の浩美さんや、今年春金沢大学に入学したEさんの顔が浮かぶ。富山市が故郷であるMooさんも気が気ではないだろう。娘さんが高岡に暮らしていらっしゃる。 もうすでに被災されてしまった皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。また、豪雨禍がこれ以上広がらぬことを心よりお祈り申し上げます。 * Kが31日、1日遅れながら私の誕生日を祝ってくれると言う。うれしいけれど、彼は今胃潰瘍も患い、また大腸などの検査をまさに今受けているところだ。糖尿病、前立腺肥大による頻尿、リウマチ、胃潰瘍と、満身創痍状態なのだ。私にとって一番うれしいプレゼントは、彼がゆっくり静養でき、体調を回復してくれることに尽きる。

我が歌は祈り

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  誰も座っていない椅子やテーブルがポツンとあるのが好きだ。@砧公園 * Mooさんがすさまじい(?)勢いでブログを更新されている。その記事の中、反戦の詩についてのもので私は少し考えさせられた。 私の新曲の歌詞は世界の現状批判なのだけれど、そんなのを歌ったところでほとんど何らの違いを世界にもたらすことはない。その行為はほぼ純粋な自己満足だ。「MNEMOらしいな」と言ってくれる人は本当にわずかだ。それでも歌うのは、自己満足のためとは記したけれど、正確に言えば<祈り>なのだ。祈りに何の意味があるのかと問われても答えようがない。この世の摂理との個人的対話だ。それでどうなるかは知らない。 トランプとその政権の酷さ加減にはMooさんの言われる通り私はもう慣れっこになってしまっている。と言うよりは、もうウンザリで、見聞きしたくないのだ。あんな人物をまだ大統領として戴いているアメリカという国にほぼ絶望している。絶望してはいけない、for the betterで変化を望まなければ、アクションを起こさねばとも思うけれど、彼の国のことに一体どんなことがこんなちっぽけな私という人間にできるだろう。 祈るだけだ。 歌で祈る。 * 私の夏休みは今日で終了。特に何にもしなかったなあ。 もうツクツクボウシもとっくに鳴いている。福島市は去年に比べ猛暑日が3分の1にまで減っているとのことだ。齋藤気象予報士は今夏を「アブノーマルな夏」とずっと言ってきたけれど、数字で裏付けられた。残暑厳しいのは確かながら、それでも近年の夏とははっきり違うのを私も感じている。今朝のpotteringも大汗をかかずに済んだ。 狛江の、子猫チロの眠る多摩川の川原を通った。命日は10月8日。去年オリオンの三つ星を擬して線香を3本供えた。その思い出が近すぎて絶句した。なんという光陰の矢の速さ。本当に時間がないんだなあとまたまた、そしてさらにひしひしと感じさせられた。

書くこと特になき日々なり

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地元で撮った一昨日午後4時過ぎの空。暑かったけれど、夏なら当たり前、猛暑ではなかったよ。 * 新曲、歌詞がそれなり膨らみました。 Panem et Circenses The world is full of the poor and the displaced Yet here we are, still fooling around Panem et circenses Just as they planned, we’ve found the ground   Up until we fell into hell We did nothing to avoid it   Who the hell did we think was the one who really cared about us, the people? We're all freaking contagious bastards who spread like the measles   世界は貧者と故郷を追われた者に満ちているというのに 俺たちはここでふざけたことをまだやっているんだ パンとサーカス やつらの思惑通り 俺らは地に堕ちた 地獄に落ちるそのときまで そうなるのを避けるために何もしなかったよな 一体俺たちは誰だと思ってたんだ 俺たち、民を、本当に思い遣ってくれる者のことを 俺たちはみな麻疹のように感染るアホなのだ 12.12が近づいてきた・・・とまではまだ言えないけれども、治雄ちゃんとスティックの8 beatにがっちゃんのギターが重なって私が歌う・・・How thrilling!

葉月雑記 3

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  3日前(?)の世田谷区立大蔵運動公園陸上トラック。すばらしい眺め。秋の空。木立の向こうは国分寺崖線。下に仙川が流れています。 * 午前2時ちょうど頃、地震。多くの人がこの地震について発信しているよね。震源は茨城県南部とからしいけれど、なんか直下型くらいに感じたなあ。フィリピン海プレートの沈み込みの軋みか中央構造線の断層ずれか、まあ、よく分かりまシェン。睡眠邪魔された人、首都圏のことだから多数すぎて、きっと今日の日本は機嫌悪いぞ。 まあ、冗談言ってられないよね。予行演習だ。まじめに教訓としよう。 * 昨日夜に上げたブログ、タイトルからイージーなミスタイピングがあり(カタカナばっかじゃん)、また本文にもあって、さっき読み直してガックリ。全然読まれてなかったことが救い。(情けなっ!) * なんか天気悪いなあ。スッキリしない。作曲をon and offでやるか、今日も。

英語詞作はDon Henleyにだってむずかしい

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  どこの山だ?砧公園のバード・サンクチュアリだ。昨日撮ったか一昨日だったか忘れた。調べんの、めんどくせぇ。 失礼しました。 * 世界で最も売れたと思われるシングル曲候補のひとつ、1976年発表のEaglesの The Hotel California ー ほぼ完璧なコピー動画を見ていてなんだか泣けてきた。 https://www.youtube.com/watch?v=GK1dCMDbGFY Don Felderがギターだけで(?)原曲を作り、Don HenleyとGlen Freyがメロと詞を書いたことになっている。そして数年後、FelderはFreyと決定的な対立(喧嘩)をしてバンドを脱退するという「バンドあるある」の経過をたどったのだった。 1976年、練馬区桜台6丁目のボロアパートに住んでいた。Kと一緒に池袋西武でこの曲が含まれる同名の「世紀のアルバム」を発売と同時に買って、二人で聴いた。 このことは何回か旧ブログでも書いた。今回、上のビデオを見ながら感じたこと、思い出したことはそのブログで書いたことともちろんほとんど重なる。しかし今回あらためて思ったのは、英語による歌詞作りのむずかしさだ。 Henleyは「We haven't had that spirit here since 1969」に韻を合わせるため、前のラインで「Please bring me my wine」とした。これは、1969年がアメリカ学生運動のひとつのピークを迎え、ジョンソンとニクソン両大統領の政策に抗った年だったからで、その反戦平和のスピリット(=精神)を掛けたのだ。しかしこれにまもなくケチがついた。ワインはスピリット(酒精、蒸留酒)ではないからだ。彼はその指摘に「気難しい」反論をし、その最後にこう言っているー "My only regret would be having to explain it in detail to you, which would defeat the purpose of using literary devices in songwriting and lower the discussion to some silly and irrelevant argument about chemical processes.” 「唯...

早いよ!

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砧6丁目の某富豪地主の家前で撮った今朝夜明けの空。淡いオレンジ色の雲に嘆息。なお写ってる建物はその方の家の倉庫(!)。 * 午前4時過ぎではまだ暗いというようなところまで夜が長くなってきた。家を出るとシリウスが南東に輝いていた。雲が多かったからその上に<いる>はずのオリオンは見えなかったけど。 「そうなんだよなあ」と思った。「ちょっと前までオリオンの再登場を待ち焦がれる男だったなあ、俺は」って。三つ星は八月の初旬に三つとも地平線から出てくるのだ。「また会えたね」と手を振るのをもう何十年やってきたことか。そしてこの数年、しなくなってしまった、三つ星が真東の空に垂直に出てくる瞬間を捉えての挨拶を。 * Kが胃の検査を受けて、かなり重い状態の胃潰瘍であると診断されたという。即入院となってもそうおかしくはないほどらしい。これで、亡きお母様から受け継いだという糖尿病とリウマチに罹ってしまう体質に加え、とうとう亡きお父様が患った胃の病気にも罹ってしまう体質も継承してしまったと嘆いていた。ただ楽観主義の彼は笑顔を絶やさず報告していたのが救い。当面は薬での治療ということらしいが、また飲む薬が増えてしまった。 友よ、本当に養生してくれ! * エンマコオロギの、私にとっての初鳴きは、4日前、夜の砧公園でのことだった。今朝未明は成城3丁目でツヅレサセもたくさん鳴いていたし、ヒグラシも鳴き、私の心は躍った。躍ったけれど、大好きな秋と冬が来るけれど・・・早いよ!

主語がおっきいけど、男女ってものは

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  写真は、昨日午後5時過ぎの砧公園の一角。黄黒テープが鬱陶しいけれども、まあ、いい感じだ。いまだ公園はこのテープが至る所に張り巡らされていて艶消しも甚だしい。倒木事故の尾は引きっぱなし。 * やばい。YouTubeの男女トラブル系ビデオにハマってしまっている。演出、潤色があるものも多かろうけれど、ある特定の夫婦や恋人同士のマイクロ・コスモスを描く<立派な>ドキュメンタリーのものも劣らず多い。そのリアリティーのそれぞれ独特の詳細にハマるのだ。 さまざまな夫婦模様、恋人同士模様とそのトラブルの顛末があるけれど、ひとつのパターンに気づいている。旦那や恋人に裏切られた女性のうち、顔は完全にマスキングされているが、髪が長く、栗色で、上品な出立ちの人は、「事件」発覚後ほぼ必ずその旦那や恋人に深く謝罪され、「一時の迷いだった」と哀れなほどに赦しを乞われる、というものだ。他は圧倒的に苦々しく、悲しく、あるいは憎しみに満ち満ちた別離となるのに、だ。 こんな言葉は嫌いだが、おそらくその女性たちは旦那や恋人の「トロフィー・ワイフ」かその候補なのだ。「なんでそんな自慢の伴侶や恋人を得ていてアホやっちゃうんだろうね」と思ってしまうパターンだ。 「主語がおっきすぎるんだよ!」と昨日だか書いたNくんに叱られてしまうけれど、「男っていうのは」と言いたくなってしまう。 夏休み真っ只中。上記のようなビデオにハマってしまっても、まあ、罪悪感はあまりない。(笑)Nくん主宰の「調査会社(探偵事務所)」のビデオの舞台は東京および首都圏で、バッチリ「突撃」場所が分かる。Nくんたちは意図的にそうしているのか、それとも隠すの編集で「めんどくせー」なのか。 同様他種の大阪モノはそれとははっきり違って、「突撃」はしない。レンタルスペースを使ってのトラブルを「ま〜るく収めまっせ」番組になっている。地名がその会話の中に出てきても伏せられる。おもしろいものだ。東京と大阪、逆じゃないかと思ってしまう。 東京モノにはもうひとつ、弁護士が自らトラブル現場に「突撃」するものがある。これはやはり弁護士バッジが絶大な効力を発揮していて、「水戸黄門」を彷彿とさせる。「突撃調査」される側からの不平や抗議を即座に法的に意味のないものと却下する。快刀乱麻だ。<ただの>YouTubersや探偵(こちらは例えば「盗撮だ」と抗議されれば「探...

葉月雑記 2

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  喜多見ふれあい広場から撮った成城の丘。8年以上前の夏のもので、写っている女性は全く見知らぬ人であることは付言しておきます。(笑)(シャッター・チャンスでも、この方、眺めをずっと楽しんでおられたので。) * YouTubeの某チャンネルの主宰者Nくんは実にことばの魔術師のようなところがあって、同系のチャンネルのカウンターパートになる人物中ピカ1だと思っています。 書き留めたりしなかったので忘れしまったものもあってまた見返さなきゃとも思うんですが、長尺モノなのでちょっとむずかしい。 「部外者になったり加害者になったり、あんた桂馬みたいな人だな。」 「脳死した頭でしゃべんないでくれる?」 こういうのがすごいスピードで口から放たれるのだ。言語瞬発力抜群。若々しい、見た目「かわいい」とか言われそうな二十代(?)の男性だ。桂馬の比喩は本当にすごい。若いのにね。 * 運転免許の更新時期にもう入っている。3回連続のゴールド免許。ペーパー・ドライバーではないのにこれは快挙だろ。ただ、なんだか更新手続き、予約制になっているとか。めんど。 * もう少ししたら、松茸の土瓶蒸しがいただける。誕生祝いの食事の定番となっているのだ。超高級店に行くのではない。松茸も中国産だ。それでも最高に美味い!これで日本酒をやるのが年一回の楽しみ。これからもずっと、と祈る。

Quest for the Skyblue and Green

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  昨日の夕暮れ。@大蔵運動公園。Skyblueじゃないけれど。 * またKのVlog最新版でのことだけれど、彼が警備する現場が高円寺南とのことで、そう奇遇ではないけれど、私が直近の記事で<空がないところ>として書いた場所だったから、少し驚いた。 彼にもあまりいい印象がないところだったということで、そこで出会った、イア・ピースをして「スマホ(この言い方嫌いだが敢えて使う)」見ながら現場に来た若造歩行者の記憶を語っていた。その若造は、Kが行く先を丁寧に聞いたところ、方向を顎をしゃくって<答えた>と言うのだ。温厚なKもさすがに憤慨、「ぶっXしてやろうかなと思」ったと。 若い頃、さほど嫌いな街ではなかった。高円寺は若者の街という感じだったし(今もそうかな?)、安くていい飲食店もいっぱいあった。けれども、何度も書いてきたとおり、26歳の時にどうしても日常として広い空が見られる狛江へと引っ越したくなった。ゴチャゴチャした街に完全に食傷したのだった。(現役の高円寺住民のみなさん、すみません!) Kを怒らせた若者はどこにいたって不思議ではない。高円寺だけにいるはずは無論ない。しかしその経験がKの心を甚(いた)く傷つけ、その記憶はそのことが起こった街の印象と合体してしまったのだ。 私にとっての高円寺は「空のない街」また「緑のない街」で、物理的に視野が狭いこと、緑が見られないことがそのまま心の狭さ、そして安らぎのなさにも通じてしまった。あくまで私の場合だ。朝焼けや夕焼けがfull visionで見られないこと、私を大きく包んでくれる木立がないことは、私には深刻な事態なのだと気づいたのだった。 また暑くなった。Kの現場警備、恙なく遂行されますように。

つまらん雑記(すんません)

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  昨日、色合い涼しげな百日紅咲く砧3丁目のNHK技研遊歩道。 西日本は例年通りの猛暑らしいけれど、東京は今日も初秋らしい気温となっている。私にはありがたい。それでも昨日家を出るときに少し雨が降っていたから自転車には乗らず歩き出したが、湿度にやられて、5キロほど歩いて汗だく、這々の体で帰ってきた。 * 「人称代名詞+的」という言い方に違和感を覚えることを過日書いたけれど、先ほど「僕的」ということばを或るYouTubeビデオで聞いた。「ぼくてき」・・・一瞬「墨滴」としか私には聞こえなかった。呉竹の墨汁の商品名だが。そんなことを知らない人が使うんだろうな、「僕的」。「一人称代名詞+的」だと「わたし的」はもう相当耳にしてきた。その伝で「俺的」、「あっし的」、「おら的」、「おいどん的」、「拙者的」、「身共的」、「それがし的」、「朕的」、「じぶん的」とかもあんのかよ。 * アホな旦那と別れた女性が、そやつを追い出した「マンション」に広々住みつつ、「粗大ゴミを出したような清々した気持ち」と表現していて大笑いしてしまった。うまい比喩だなあって。 * 世田谷区岡本は歩いていて心落ち着くいい街だ。岡本と言っても広いので、全部がそういう散歩楽しき場所というのではないが。国分寺崖線際の一等地に並びたつ豪邸街もそれはまあいいけれど、そこから東に入った3丁目のたたずまいが良い。 そうなのだよ。散歩したくなる街かどうかがとても私には重要なのだ。砧にもそういうルートがあるし、もちろん成城にはふんだんにある。狛江なんかは野川と多摩川に近いから、やはりいい街だ。 高円寺南に住んでいた頃は最悪だった。そんなルートはまずなかった。いや、現在お住まいの方々に反論されるだろうけれど、また書いて申し訳ないが、<広い空>がないところは私にはダメなのだ。 勝手に言ってろ。

ふるさとのこと

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我がふるさと、野沢の町。道路は国道49号線、越後街道だが、1979年にバイパスができて今は町道ということになっている。奥に聳える山は蝉峠山(せみとうげやま)で標高535メートル。町にとって真西の山となる。この山へオリオンが沈んでいく光景を憶えている。 今は多くの地方自治体同様過疎の町である。1954年の町発足から4分の1ほどまで人口が減った。今は5千人を切っている。写真で分かるように、人通りなどほとんどない。 隣の喜多方のようなラーメンや蔵といった<売り>もない。やはり隣の柳津町の「赤べこ」や「粟饅頭」のような多くの県外人も知る、あるいは買いにくる特産品もない。そしてまたまた隣町の、会津若松と隣り合う人口減少のペースが比較的急激ではない会津坂下のようでもない。未来への道ははっきり塞がっている。 それでも、おととい掲げたU字工事やなすびのYouTubeビデオで紹介されているように移住してくれる人もいるにはいる。なすびさんのビデオに登場した町職員の、福島市から移住してきた女性などはモテモテだろう。交際を望む男性が殺到して困っているのでは?(笑) Kと町中を歩いていて、あまりに久しぶりの帰郷だった彼は、「え〜、こんなに町が狭かったっけ!」と驚いていた。チビだった頃の相対的な町の大きさが、彼が最高身長時より4センチ縮んでも信じられないほどそれ以上の比率で縮んで見えたのだ。もちろん私も同様。しかし私は毎年帰っているから、その驚きもほぼなくなった。 故郷の良さは何だろう。私にとっては冬景色だ。もう何度も書いてきたが、雪道を踏みしめながら初詣だ。街中の熊野神社の、雪を暖かく照らす御灯明の光だ。 なのに、冬に帰ることはここ十数年、ない。

ちょっといい話

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さっき自転車乗りしててさ、帰り、砧5丁目走ってて、狭い道にクルマが停まっていて、おらは対向だったからそのままクルマの脇を優先で通り抜けられたんだけれど、おらと同年輩くらいの女性がクルマの後ろでおらを待とうとしているのが見えて、すぐに「どうぞ!」と道を譲ったんだわ。その女性は本当に丁寧に「ありがとうございます」を2回言って、続いて来たやはり50歳代以上の男性も通すとその人も「ありがとうございます」と。そしておらがそのクルマの脇を通過するとき、「すみません」と言う声が・・・。そう、そのクルマに乗っていたやはり50歳代ほどの男性が運転席から窓を開けて言ってくれたんですわ。「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「ありがとうございます」、「すみません」。わずか十数秒の間にこんなに感謝され、謝っていただくなんてね。 砧はいい街だ。そして50歳以上の人々はいい人が多い。(笑) *写真は2時間前ほどの野川。遠くの入道雲が夏らしくてパシャリ。千葉方向だけれど、大丈夫かな。 

人類覚醒の誓い

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  去年、今頃の大蔵運動公園。 1945年の8.15からさらにまた1年が増え、81年の年月が流れた。その日を憶えている人たちはすでに大勢この世にはいない。戦争に負けて教科書に墨を塗らさせられた当時小学2年の養老孟司さんは今年89歳だ。 戦争とは一種の蕩尽だろう。北米先住民の「ポトラッチ」的なものだ。己が蓄え、建ててきたものを破壊したり、贈与してしまう。なんでそんな勿体ないことをするのだろうか、という行為だ。ポトラッチは、己の富や名誉を誇示するためだそうだが、一瞬意味が分からない。財産を壊そうが与えようがまた自分は稼げる能力があるということなのか。 敵の財産を、民を、壊し殺し、<当然の>報復で自分の国のそれらに同じことをされる。滅びることはない、また復興できると両者思いつつ。 9条はその愚かなポトラッチをもう絶対にしないという人類覚醒の誓いなのだ。 * 昨日の仕事を終えて来週は夏休み。もう老後であくせくすることはほとんどなくなっているけれど、さらにゆっくりできる。ありがたい。 過日書いたように12.12に向けての構想や作曲に当たりたい。 我が特別バンド公演、Mick師のStones尽くし、功くんとKがいるGGJ公演、そしてKMくんのパフォーマンスと盛りだくさんになるはずだ。あと4ヶ月を切った。 もしこの音楽会においでになりたい方がいらっしゃいましたら、この記事のコメント欄に匿名で結構ですからその旨お知らせを。30人も入れば満席になる小さなvenueです。出演者たちだけでもう相当に混んでいる状態です。早めにご表明を。

夕立

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  これも昨日に続き8年以上前狛江の多摩川土手で撮ったもの。 * 昨夜は千葉の大雨、すごかったですね。被災された方々にはお見舞い申し上げます。亡くなった方もいらっしゃるとのこと、お悔やみ申し上げます。 気象レーダーを頻繁に見ましたが、千葉から積乱雲が長時間移動しないままになっていて驚きました。これを「線状降水帯」と言うのは知っていますが、昔、「帯」と言っている以上「線状」は余計だろうと書いたことがありました。「停滞降水帯」と言う方が適切な気がします。まあ、これも「滞」と「帯」が重なるけれど。 私の住むところは、過日書いたように、洪水や土砂災害はまず起こらない土地です。雷は落ちますし、世田谷区のどこかで先日電信柱に落雷して被害があったようですが、家にさえいればそれもまず怖いことはない。 昨日千葉では時間降雨量が100ミリ以上を記録したところがあったようで、「滝のように雨が降った」と言っても大袈裟ではない殺人的降雨です。こんな雨に降られては恐怖以外の何ものでもないですが、私は夕立なら歓迎です。 子どもの頃、我が故郷では頻繁だったかどうかは覚えていませんが、しばしば夕立があったと記憶しています。側溝の水を長杓で掬って道路に撒きながら、「ひと雨ほしいナイ」と母や大人たちが言い合っている昼下がり、その通りに夕立となり、涼しくなる。懐かしいなあ。

水溜り、虹

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  8年以上前の狛江市猪方あるいは駒井の多摩川土手道。水溜りはもちろん長靴でもない限り歩行の邪魔--- でも雨上がり、鏡のように晴れ上がりつつある空を映して美しく、邪魔どころか自分の心持ちをも映すようで、慕わしいほどのものでした。 今はもう舗装されて歩きやすい道になっています。 * 虹は 涙を流しながら 微笑む 僕を導く 地平線の彼方へ 大昔書いた歌詞の一節。「涙を流しながら微笑む」のは虹か「僕」か。雨滴なければ現れぬ虹。陽光が射さねば架からぬ七色の空の橋。 * さてさて、今日は珍しく午後一から仕事です。

葉月雑記

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  Kが「あの頂上に登ったんだもんなあ!」と感嘆の声を上げた磐梯山。こんなに美しく見えるのは年に何日でしょうね。Luckyでした。 磐梯山登頂は高1の秋だったか?高校の遠足ででした。「百名山」の中、Kと私が登った唯一の山です。 * 台風一過の晴天かと思いきや、東京は曇天。冷房が要らない涼しい朝です。Xでは「電車ガラガラ」がトレンドのフレーズになっています。義父の娘は出勤しました。 私は明日明後日と特別な時間割で仕事をして次週は「夏休み」です。ゆっくり12.12の音楽会の構想を練りつつ、またそのときに披露したい新曲を仕上げたいと思っています。 * やはりXのトレンドに「倒産件数1037件」「2ヶ月連続千件超えは14年ぶり」という文字が。 昨夜台風接近という中、OKストアへ行ってあけぼのの鮭缶がとうとう536円だかの値段になっていて本当にびっくり。2年前くらいまで300円台で売っていたものを。OKでそうなら、一般の小売店だったら700円とかするのでは? 本当に何もかも高くなっていて、慣れっこになってしまいそう。家計に痛いのは当たり前、そして多くのさまざまな企業が資材調達などで死活的な状況に直面してるはずで、その中、堪えきれなかったのでしょう。 そんな世には拝金主義が跋扈するもので、今まで以上に詐欺や窃盗、強盗が横行するのではないでしょうか。社会不安です。 * また磐梯山の話に戻りますが、私(とK)の故郷は會津盆地からは外れた北西の端で、小さな盆地となっており、そこが主な住宅地となっています。會津のシンボル磐梯山はその盆地からは全く見えません。しかし、山地へ行けばその秀麗な姿を拝むことができます。 なすび氏がその山に登っています。 https://www.youtube.com/watch?v=63Z-nRZWFkc U字工事も我がふるさとを紹介してくれています。 https://www.youtube.com/watch?v=chD1z-qm4hk&t=633s 何度も言うんだげんじょも、會津は西隣の越後(新潟)の人も、安土桃山時代蒲生氏郷と一緒に来らった近江や伊勢の松阪の人だぢなんかも入ってこらって、まあ、日本のどこもその傾向はあんだべげんじょも、ハイブリッドな血を引ぐ人だぢがつくってきた土地なんだシ。 かぐ言うおらも、父方の祖父は二本松の人だし、祖母...

昨日のこと(Kと日帰り帰郷)

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  昨日撮った西会津町尾野本にあるJR磐越西線踏切から東の景色。 ここは私が15歳の冬に、Chicagoの Flight 602 を口ずさみながら歩いた場所。旧ブログでも書いておりました。曲は、 https://www.youtube.com/watch?v=fIi3K5Xnmvs 家から3キロは離れているでしょうか。道路以外は雪原となった、町の中では「異郷」(小学校の学区が違う)である尾野本を、短日の午後に歩くのが好きでした。冬の會津の空はたいてい鉛色。すれ違う人はほとんどおらず、雪を踏みしめる己の靴音しかしないのです。 ウォークマンなどはまだまだ夢世界の道具、好きな歌を脳内で「ヘヴィー・ローテーション」でかけまくるのです。Breadの歌が多かったけれど、上のChicagoのがそのときは対象曲でした。イントロがことのほか好きで、lonesomeなacoustic guitarがコードを半音下からグリッサンドさせてニュアンスいっぱいに弾き出され、9小節めでギターが重なり13小節めで柔らかく温かい響きのオルガンがオーバーラップし、イントロ最後の2小節でsteel guitarが歌を呼び込みます。 冒頭の写真の位置 から左に頭を向ければもちろん北、そこには遠く、今夏山となっている飯豊連峰。ここすべてが雪景色になっているのをご想像あれ。 この尾野本の森野という地区にKが住んでおりました。知り合って3年は経っていませんでした。彼は生徒会長でバレーボール部キャプテン、目立つ存在で、同じクラスになったことはなかったのですが、仲良くなり始めた頃でした。 冒頭の写真の踏切から今度は逆に西方向を望むと、線路沿いに草が刈られた小径があって、300メートルほどでしょうか、さらに警報器がない小さな踏切があって、そこを渡ると墓地が。そうです、Kの家のお墓がそこにありました。 Kの実家はご長男(Kの母上の子ではない。Kの父上は前妻を病気で亡くしており、Kの母上と再婚された)がすでに他界され、森野の家はなくなっています。Kは母上と埼玉で三年前まで暮らしていましたが、そのお母様もなんと百歳という長寿を全うされ、彼はその遺影を持っての墓参となりました。(その<遺影>は、お母様がVサインをしつつ、本当に<イエイ!>と言っているユーモラスこの上ないものです!) この日帰りの帰郷は、義父の娘が多忙...

残暑お見舞い申し上げます

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  先ほどの砧6丁目で撮った空。まごうことなき夏空。 * 明日、突然ながら日帰りで會津へ行く。Kも誘った。彼のお父上の墓参にも付き合う。Mooさん、會津から先日の御礼、二人で見繕ってお送りしますね! * 熊本の大地震で、シッチャカメッチャカに揺れる手術室の映像を見た。医師、看護師たちの冷静無比な対応に感動。まだまだ日本にはプロがしっかりいる。心強い。 * 「走る人参」という若い気象予報士のYouTubeチャンネルがおもしろいのだけれど、おとといだったか、台風13号が熊本や沖縄などへ接近するかもしれないという段階で、「中国へ行け」というようなコメントに接し「人参」君は断固とそういう差別的な言辞は許さないと言ったことに大いに共感した。 みなさんもよかったら---  https://www.youtube.com/@Runninzin

初秋でも暑いじゃん

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  夏〜って感じの一枚。昼過ぎ砧8丁目で撮った。 強烈な陽射し、でも湿度がそれほどでもなく、昼間でもちょっとの間ながら外に出られた。自転車に乗っていると、オレンジ色の凌霄花が右目の右隅に美しく光ってアピールしてきたので、「ウルトラマン商店街」の道=千歳通りをすぐUターンして路地に入った。 * 鹿島アントラーズが国立競技場で横浜マリノスと開幕戦を迎え、大逆転で4-3のスコアで勝利。レオ・セアラとチャブリッチが2点ずつ獲った。YouTubeでのハイライト観戦だったが大興奮した。 私はアントラーズやフットボールそのものの熱心なファンなどととてもとても言える者ではない。知念選手がアントラーズからマリノスへ移籍していたことすら知らずにいるほどのエセ・ファンだ。彼がトリコロールのユニフォームを着ているのを見て驚くような、鹿島ファンの風上にも置けないイカサマ・サポーターだ。確かにこの5月には鹿島メルカリ・スタジアムで生観戦をしたが、Jリーグ発足・開幕してもう33年、これまで競技場に足を運んだのは今年のを含めてたったの2回だ。その内1回は新聞のオマケでもらった味の素スタジアムでの確かFC東京と清水エスパルス戦だった。もう百年前のような記憶だ。 「パンとサーカス」のことは幾度か書いたけれど、そのフレーズがこの「失われた30年」の間よく浮かぶ。「スポーツももちろんいいけれど、それを楽しめる平和という全ての人間活動を支える礎をどうやって維持していくのか、そのために贔屓チームへの応援以外に何をすべきなのか、一緒に考えましょう」と言いたくなる年月だ。「バカにすんな!ちゃんと考えているし、投票も欠かさずしている!」と叱られるかも。そんなお叱りを多く受けるなら逆にうれしい。 * 先日藤井6冠が王座戦挑戦者決定戦で広瀬九段に敗れた。伊藤王座とのリターンマッチがあと一勝で実現できなかった。私は今季2敗目を喫した「400年に一人の大天才」をただただ淡々とAbemaのチャンネルで見ていた。そして昨日は名人就位式があったようだが、YouTubeでその様子を見たいとも思わなくっている自分・・・。 大昔、父が大鵬が強すぎて食傷気味になっている発言をしたのを憶えている。私はまさに「巨人、大鵬、卵焼き」のチビすけで、父をひねくれ者と思ったものだ。しかし今なら分かる。凄すぎる者が凄すぎるままで長くいることへ...

仲間たち

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  今朝、成城3丁目不動橋よりの西の空。自転車に乗っていても切る風が蒸し暑く、早々に帰宅ということになった。これは今夏初めて・・・と言いつつ、夏は暦上終わっているのだった。 * Kは何とか無事だった。軽度熱中症にかかって点滴2回の後、やつれ切って荻窪の現場、そして昨日はさらに出向くには難儀な武蔵野市だったかの現場へ。熱中症以外の新たな不調原因があるらしいことを仄めかすVlogを上げていた。 Vlogの更新こそが彼の生存証明。ほっとしてLINEを交換した。「さすけね」というようなことだった。「差し支えない」ということ、I'm all rightということだ。そう彼が言っている以上、少し長めに休めよと言うしかなかった。まもなくお盆でそうできるとのことだった。 * がっちゃん(ギタリスト嘉多山信君)からもLINEが。北海道の話だった。昔の仕事仲間で今は定年後嘱託で教員を続けている「冨の介さ」からも先日「北見は最高気温17度」とのメッセージをもらった。二人の道産子の友人。おもしろいタイミングで消息を伝えてくれるのが共通。 がっちゃんとは住むところが比較的近いから、祖師ヶ谷大蔵や成城学園前辺りで都合が合えばチビチビやりながらまた気軽に話せる。「冨の介さ」は年一回(春休み期間が多い)東京に来られるが、そのとき旧交を温める。 * そろそろ12.12のmusic partyの構成を考えねばならない。 私と奏でてくれる岡野治雄くん、がっちゃん、そしてスティック(杉山靖幸)のカルテット。川口功くんとKなどがメンバーとなっているGGJというバンド。そして願わくば幼馴染のKMくん&その仲間。そしてトリ(?)は・・・Mick師匠の「転石集団」。 どう並べようか。 ギリギリ来年の話ではないから、鬼も笑うまい。

立秋直前雑記

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  81回目の広島原爆忌。 もう31年も前の夏だったか、初めて広島に行き宿泊したところが爆心地近くのホテルで、つまりちょうど半世紀前の「ここ」での阿鼻叫喚の地獄絵図を想像してしばし眠れなかったことを思い出す。 想像しろ、想像しろ。それだけだ。 人類はいつでも最大限愚かになりうる生き物なのだ。 阻止せよ、阻止せよ。 それしかない。最悪の阿呆が核のボタンを押す前に。 * 長時間の仕事、本当に参る。 しかしKの過酷な労働に比べればなんというeasyな仕事だろう。Kよ、絶対に無理をせず、長く休んでくれ!

蝉聲(せんせい)

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  先ほど撮った砧公園バードサンクチュアリ、東の空 * 昨日夕方やはり砧公園へ行き、南端の木立でとうとうヒグラシの初音(私にとって)を耳にした。ありがたい。そう、ありがたいのだ。また聞けたのだから。 ヒグラシの聲が遠く聞こえるその木立 昔、旧ブログで「日本の霊性と蝉」と題して一文を書いたことがあった。歌人河野裕子のことを書いたが、そこで引いてはいないけれど、彼女の死期迫る中の短歌、 八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る がある。痛々しく、切なく、哀しい。 彼女は1946年生まれ、がんに罹り、64歳で逝った。蝉は彼女にとって生涯にわたる主要な歌のモチーフだった。遺歌集の名はずばり『蝉声(せんせい)』だ。 上の歌からずっと遡って、子を産んだ時も、彼女は しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ と歌っている。 私が去年九月初旬に帰郷した際、我が家の菩提寺墓所は蝉の声がしていなかったと思うのだが、どうであったか。初秋とは云え、暑い中の墓参りには(その日は確かに非常に暑かった)私としては絶対降っていてほしかった蝉時雨を浴びることがなかった失望感のようなものを覚えた記憶がある。 旧ブログ以来何度も掲げる、我が父と私の合作の句、 蜩の聲止みてより風一陣 「蜩」は「ひぐらし」である。父母そして長兄が眠る墓で蝉の聲を聞くことなく去年の墓参は終わった。不思議な気持ちだった。 この八月、また墓参をするけれど、どうだろうか、蝉は鳴いてくれるか。 「蝉はこの世とあの世が互いに貫入するところで鳴く」というのが、私の持論だ。

法はあるらしい

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  今朝はなんと涼しかったことか。今年の夏は明らかに去年まで数年もしかすると十数年に渡った夏とは違う。六月の総体としての涼しさもそうだったけれど、梅雨明けしても猛暑が九月末くらいまで続くのが当たり前だった昨年までの長期傾向が見られない。 福島県では「やませ」が吹いて昨日は福島市のある地域が全国一最高気温が低かったという。北海道の諸地域よりもだ。東北はまだ梅雨明けが宣言されていない。立秋まであと3日、もしかすると梅雨明けのなかった珍しい夏になる。 それはいいとして・・・。 * またKのことだけれど、案の定軽度の熱中症に罹っていた彼は点滴をしてもらい、発熱と食欲不振をなんとか克服したと言う。昨日のVlogで彼はそう報告しつつ、私のおとといのブログ記事を紹介していた。 https://www.youtube.com/watch?v=qEllX2D-QYI 猛暑・酷暑日の炎天下作業・肉体労働は、放射線量が高い原発などでの作業に準じる労働時間制限があって然るべきだ。強い日射に長時間曝されることが危険であることは誰にとっても明らかなのに、法規制やそれに伴う措置はどうなっているのか。 調べてみたら、 労働安全衛生規則第612条の2というのがあるのだった。 * 環境条件  WBGT値(暑さ指数)28度以上、または気温31度以上の場所 作業時間 連続1時間以上、または1日4時間を超えて実施が見込まれる作業出張先や移動中の作業、非定常・臨時作業でも条件を満たせば対象になります。通風の良い屋外作業の場合、天気予報や環境省の熱中症予防情報サイトなどで判断することも可能とされています。 事業者の義務内容対象作業を行う場合、事業者は次の措置を講じなければなりません: 報告体制の整備 作業者が熱中症の自覚症状を感じた場合や、他の作業者に熱中症の疑いがあることを発見した場合に報告する体制(連絡先・担当者など)をあらかじめ整備する。 実施手順の作成 作業からの離脱、身体の冷却、必要に応じた医師の診察・処置など、症状悪化を防ぐための措置内容と手順を作業場ごとに定める。 関係者への周知 上記の体制と手順を、作業に従事する者に周知する。これらの義務は、労働者だけでなく、同一場所で作業する一人親方などにも準じて対応が求められます。違反した場合、労働安全衛生法に基づき6カ月以下の懲役または50万円以下...

他地域を蔑む貧困なる精神

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  去年の今頃撮った成城3丁目から喜多見、狛江、川崎市多摩区、丹沢と富士を望む一枚。 * ごめんなちゃい・・・またMooやらKやら関連記事っす。 Mooさんの今のblog体裁で、ページの左上に太平洋に面する東北3県のシルエットがレイアウトされています。我がふるさと福島県はそのうちの1県ですが、Mooさんの意図は、「東日本大震災」の主な被災県となった福島、宮城、岩手のことを忘れまいということなのだと思います。また宮城・仙台は、氏が東北大生として4年過ごされた青春晩期(?)の思い出の地でもあるから、また震災直後と言っていい時期に安曇野から救援物資を運んだ女川町があるのも宮城県ですからね。 その「東北3県シルエット」の一番下が福島県で、その西北の端が私が生まれ育った西会津です。北は山形県、西は新潟県に接しているのです。 私の故郷はいわきやあの第一原発立地地区の双葉・相馬などのいわゆる「浜通り」と呼ばれる太平洋に面する地域から程遠く、むしろ新潟市の方がはるかに近く、日本海側に在ると言ってもいいほどです。福島県の構成は明治政府の恣意的な区分によって為されており、やつらが勝手に「朝敵」とした會津は、県庁も県の中央に在る郡山市ではなく甚だ行きづらい宮城に近い県北の福島市に置かれ、嫌がらせを受けたのです。 福島県というああいう歴史的、地理的、文化的、気象学的にもバラバラな地域を合体させる際、県都は当時最も歴史あり、県内最大規模の藩であった會津若松にするのが至当でしたが、勝手に西に寄りすぎとし(そりゃあそうだ)、ならば県中央の郡山にするかと思えばそれも含め薩長などの藩閥政府はどちらも許しませんでした。 MNEMOはそんな150年以上前の話を恨みがましくよく書くなあとお思いの向きもありましょう・・・。 んだげんじょ、史実を探れば探るほどに、理不尽ばっかなのシ。明治政府の全てを否定するっつぅような狭小な精神がらゆってんではねぇのシ。しかし徳川憎しの「西軍」諸藩が新政府をつくる際に人身御供、人柱のように會津を扱ったごどに対しては、そういう話を聞かされる度に怒りが湧くのよシ。 あの第一原発の事故も、長州出身を自慢する安倍氏(故人)が第一次内閣の時、津波による全電源喪失がありうるとされた国会での質疑で「ありえない」と一蹴したごどで、結局後に最悪の事故を招いてしまったと言えんだがらなシ。...

武器だ核だと

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  今朝、砧公園に朝日が当たり始め、木の幹が赤く光る。Morgenrot、赤富士、ならぬ赤幹。 * KやMooさんのことをここのネタに頻繁にするのは憚られるのだけれど、昨日見たKのVlogでは切歯扼腕どころか怒りが湧いてきてどうにもならなかった。 彼がここ1ヶ月あまり現場としてきた荻窪のとある市道での工事がいよいよ最終段階に入り、部分的ではあるが通行止めの日を迎えたのだ。それにより、道路に面する整形外科医院へのアクセスも大幅に制限されてしまう。クルマで来られる患者さんは遠回りも苦ではないが、徒歩で来られる特に老齢の患者さんにはその迂回も普段の5倍とかの距離となり、しかも炎天下、関節などに疾患を持っておられるのだから、ほとんど苦行となってしまう。 Kはずっと以前からこの日が来るのを恐れていた。気に病んでいた。そして実際にその日が来て、心痛めたのだ。しかも何時間も殺人的な暑さに耐えながら。 朝日川柳の「武器だ核だと雑魚寝の国で」がbuzzった。熊本でまた避難所の不整備状態が繰り返され、国民が苦しんでいる一方で、Koizumi Jr.らが「国と国民を守るため」と本末転倒的に武器輸出入だ核三原則の見直しだなどと言って血道を上げている。酷暑下、今苦しむ国民のことをなおざりにして! このことはKの心の痛みも伴う炎天下作業と何ら関係がないように思えるが、そうではない。数時間も作業したら熱中症は確実というような真夏の作業をしなければいけないような工事をさせてしまう厚生労働行政とは一体何なのか。実質、「稼ぎたいなら働け。そういう労働でしか糊口を凌げないのだから自己責任で炎天下でも働け」ということなのだ。「倒れた?だったら労災下りるから。日雇だってな。いい国だろ。」 炎天下(例えば気温30度以上の)作業は極力させない法規制が必要だ。どうしてもさせるならしっかり管理者が熱中症対策をした状況下で例えば上限2時間とかにする。その日当は通常と同額とする。施主にはそういう過酷な気象条件で働かせてしまう対価を大きく見積もる必要が生じるようにするのだ。また猛暑期の工事等は高くつくがゆえ仕事が減ってしまう場合は「猛暑時助成金」を出すべきだ。 そんな金はない? 武器だ核だと熱中症の国で

Another homerun or 100-mph fastball from him will never excite me

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  おとといの朝の空、世田谷区砧4丁目。 * 大阪弁がもっぱら用いられるYouTubeチャンネルのビデオを見ていて、例えば「変だ」という形容動詞を、形容詞の「く活用」で「変くない」などと言ってしまう恐ろしい日本語破壊があちらの若者に蔓延しているのに気づいた。「そんなん私に言うの変くない?」などと若い大阪女性が言うのだ。 こちらはもう全国的広がりを見せて久しいけれど、「僕的」とか「あなた的」などという的外れな「的」の使用も<普通に>市民権を得ている。そう、この「普通に」もほとんどfillerとして用いられ、「normally」とか「usually」と英語に置き換えても意味を成さない。まあ、これはアメリカ人も「literally(=文字通り)」をほとんど文字通りの意味なくやたら連発するのだが。まあ、これは「just」の代わりなのだろうけれど。 ちょっとおもしろいのは、大阪人たちも「うざい」を使っていることだ。「うざい」は東京多摩地区の方言として知られており、23区はもちろん、全国に広がったのだ。 言語は絶えず変化する。それは分かっている。そして年寄りはその変化について行けず、また眉を顰めるものだ。私もその例。私の日本語世界がもはや「昭和ことば」などと言われ、嘲笑われる日は近いか、もう到来しているのだろう。 * しかたがない、のだろうか。スポーツと政治は別物だ、なのだろうか。私は大谷翔平選手がトランプと歓談し、満面の笑みで握手をしていた動画を見て大いに失望した。 アメリカ大統領は実質的に無辜の人間を殺す命令をしても殺人者ではないという特権でも持っているというのか?例えば2026年2月28日の米空軍によるイラン南部ミナブの小学校攻撃で百数十人の児童生徒を殺しておいて、トランプは謝罪のことばひとつも発していないのだ。誤爆だったとかの言い訳は全く通用しない。 さらに彼がpedophileであることも明らかだ。 たとえ球団としての表敬訪問だとしても、私はあんな人間に媚び諂うことはもちろんできないし、礼儀だと言われても、握手はしない。失礼だと非難されるのならそれでいい。 大谷さんはもうすでに娘の父親となっている。イランの娘・息子を殺された親たちの気持ちが分からないはずがない。そしてもしそういう<大統領による殺人事件>のことなどを知らなかったのだとしたら、あまりの情弱ぶりにこ...