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なんでんかんでん神秘や言わんで

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  今朝のcoffee、バッグ内側中央左のコーヒー残滓・・・いわさきちひろが描いたような、あるいは楳図かずおが描いたような、あるいは「レ・ミゼ」のパンフ表紙画のような子どもの顔になっている! 大丈夫、だからって何か神秘的だとかこのことで言うつもりは全くありません。解釈は自由、だけれど針小棒大にこのことをとらえることはないです。ユングもフロイトもない。ただの偶然(砕かれたコーヒー豆がお湯の注がれ方という原因でこうなったこと)と思っていますよ。ただね、なごめるよね。捨てようとしたコーヒー・バッグの中に私を見つめる子どもの顔。捨てられず、まだ取ってあります。 神秘なんてね、ずっと旧ブログの頃から言ってきましたけど、存在そのものですよ。それを超える神秘なんてないよ。 *追記 この記事上げたら、写真が大写しになって、子どもが長い舌を出しているみたいに見えます。これは驚いた。あっかんべぇ〜。

またYouTubeにclipを上げました

  https://www.youtube.com/watch?v=QpmAiDE9T2U よかったらお聴きください。

もっとYouTubeチャンネル盛り上げろ!

東京は清々しい陽気だ。晩春とはこういう感じ。 今2階の「作業場」にいて、窓を開けて微風を取り込みつつ、YouTubeクリップを作ろうかと思っている。 それなり時間が経っても目標のチャンネル登録者数に達しない。まあ、いろいろな理由原因があるし、自覚もしているが、基本的にまさに耳目を集めることに第一義を置いていないチャンネル主なのだからしかたがない。それでもどこに目標数を置くかというのはあって、3桁到達だと思っている。それを機に、Project Hydrangeaに協力してくれる楽友たちとのアウトプットをいよいよ上げようと思っているのだ。現状では、埋もれるにしても埋もれ過ぎだ。 そんなことを言っている裡に寿命が来てしまうこともありうるわけで、結局もっと頑張れよというわけだ。とすれば、とにかくコンテンツを増やしていくことしかなかんべ。 もっとシャカリキになれよと臍を噛むような想いの方がもしいらしたら、すみません!最終的に、私の愛する詩情を歌い切れた、音にし切れたと思えることがゴールの、非常にintrovertなやつなのでございます。(なんだよ、introvertって!「内向きな」と言え、この!) まあ、Project Hydrangeaの作品をこそ売りにしてチャンネルを盛り上げるっていうのももちろんあるんですけどね。露払い、呼び水みたいなことをもう少し私のプリプロ作品や過去のG Stringなどの作品を用いてやっていこうと今は思っています。

がっちゃん引っ越し祝いの会〜「布Brothers」

https://www.youtube.com/watch?v=E79v4zGI2wM&t=1682s 「kiyousakura」さんが上げていらっしゃる、G Stringがロンドン滞在、Air Studiosでミックス作業をした時の<ドキュメンタリー映像>である。流出だ!(笑)撮影者は主にFCIのTさんで、今はどうされているのだろうか。 昨日のがっちゃん引っ越し祝いは、Mick師とスティックと私だけの4人会になったが、楽しいひとときであった。私は勝手にこの会を「布Brothers会」と命名した。調布、狛江、(世田谷区)砧のそれぞれの住人プラスがっちゃんの40数年来の楽友であるスティック〜彼は川崎市在住ながら〜2人の出会いが(調布市)布田だったからだ。 旧ブログにも書いたけれど、租庸調の調を布を納めて払った多摩川周辺民の居住地が後に「調布」と呼ばれるようになり、その「周辺民」は布織の先進技術を持っていた「狛=高麗」からの人々であって、調布市に主に東で隣接する狛江市の名の由来となったし、その布を叩く道具が「きぬた=砧」で、この名を持つ地区は江戸期までは喜多見村や大蔵村の一部だった。「砧」という地名は、調布や狛江と符牒を合わせた、江戸期において正式にはなかったものである。(なお「調布」というと大田区や世田谷区最東端の多摩川北岸地帯の名でもある(=田園調布と言われる。後の調布市と区別するため、昭和初期「東調布」という名になった。ここも律令時代に布を税として納めた人々の土地だったのだろう)。 さて、がっちゃんがYouTubeで「kiyousakura」さんが上げているG String(s)関連のビデオを次々見せてくれた。30年前の映像・・・懐かしい、恥ずかしい、悔しい、そして最終的にはありがたい、という思い。 G Stringの5人、Mick師匠、いわゆる「マネージャー」のSさん(故人)、Tsくん。Oxford出のミキサーLance Philipsらが映る。「第5のBeatle」筆頭、George Martinゆかりのスタジオ、Air!ああ、30年前。 今の自分・・・なかなか辛いものがあります。しかしね、死ぬまでsinger、やっていきますよ!これが昨日の、本当に最後の、想いでした。

無事故で半世紀近く

先日の長野県飯田市での自動車整備などに関わる教育をする専門学校の生徒4人が昼休み時間に自動車に相乗りして起こした全員死亡事故、そして今日は東北道での逆走による、直接間接で起きた3人が亡くなる事故・・・特にこちらは會津からの帰りにもう何度も何度も通ってきた、宇都宮からの片側3車線になる前の道で起きた事故であって、逆走車を避けるのがむずかしい片側2車線高速道路で、しかも夜だったから、想像しただけで戦慄する。 どんなに世の中、科学技術が進もうが、使う人間が全くfail-safeではないから、年がら年中痛ましい事故が起こってしまう。 自転車に乗っていると他の自転車乗りや歩行者のルール無視を具に、近距離で目撃する。こういうことをされたら、通りかかる自動車の運転手はたまったものじゃない、というような。衝突、避けようがないじゃないか、とか、こっちが避けて一方的に事故ってしまうじゃないか、とか。 逆走は確かに高齢者によるものがほとんどだろう。認知機能が衰える歳まで自動車を運転するものだとは想定していなかった社会の怠慢と言えなくない。逆に認知機能はバリバリなはずの若者は、今度は、まともな大人なら絶対しない無謀なことをやってしまう傾向があって、飯田の事故などは本当にその典型だ。 クルマにはちょくちょく乗るが、いつももらい事故を恐れて運転している。もちろん自分だって己の過失で事故を起こしてしまう可能性を排除していない。もう連続で12年以上ゴールド免許を保持しているけれど、だからと言って交通法規を100パーセント遵守しているとは言えない。取り締まりを受けずラッキーだったというようなこともある。むろん軽微な違反だが。 なんでこんな運転をする者が免許を持っているのだろうと憤らざるを得ないドライバーに、長距離を運転していれば必ず一人二人、あるいはそれ以上出くわす。そしてもしかするとそのドライバーは無免許だったりすることもあり得よう。端から遵法意識など欠落しているような輩だ。 何しろ、他者の過失によるであれ、己のによるであれ、事故は起こるものだ。運転歴もう半世紀近くになってきたが、幸い無事故(自損はあった)で、よそ様に迷惑をかけたことはない。このままずっとそうでありたい、クルマの運転は嫌いではないから。

2025 卯月雑記 6 〜いろんなシンクロ

私の勝手な解釈だけれど、ユング心理学の「constellation=星座」とは、ある主星(α星)的な出来事があって、それを深く考えた時に、あれこれとその出来事に関連するのではと思いつく事柄をβ星やγ星のように点描し、ひとつの図式(=星座)を描くことであり、そのα星的出来事に連星(α星B)的とも思われるもうひとつの出来事、つまり重なるような、非常に近接している双子星があるとすればそれが「synchronicity」だということではないか。そんなことを河合隼雄さんの講演videoを聴いていて思った。 * Mooさんのお連れ合いさまに体調の異変があったそうで(お見舞い申し上げます)、関係は全くないが、Kも風邪を引いて安静にしているという。季節の移り変わりということが原因のひとつにあるのかしら。少ない読者の皆さまもどうぞお気をつけください。 * 備忘録的に。 明日は<がっちゃん>のお引っ越し祝いをする。江東区から多摩地区へと戻ってきたのだ。私の知る限り、彼はまず国分寺に暮らし、世田谷区経堂など(?)を経て江東区大島へ。そしてまた多摩地区へ<里帰り>した。私のところまで自転車で15分ほどらしい。Kも「Nothing to Lose」の彼のギター・プレイを絶賛していた。「No Woman's Man」のソロだって! Nothing to Lose:  https://www.youtube.com/watch?v=ohV1VrARqCA No Woman's Man:  https://www.youtube.com/watch?v=6ttGZZ1JQrA がっちゃん、この記事読んでくれていたら・・・ 一緒にいっぱい遊ぼうね! グハハ。

2025 晩春雑記 〜永遠にfeelable

It doesn't matter who they is. これは現職のEnglish-speaking超大国リーダーにより日本時間で昨日吐かれた文だ。本当に嫌になってしまう。記者に「Who's "they"?」と訊かれたとはいえ、あり得ない。その「they」は中国と毎日交渉しているのだそうだ。中国は全否定している。 * 昨日おとといと朝ぼらけに多摩川沿いを自転車で走ったが、ものすごい数のユスリカやそれに類する相翅目(だろう)の昆虫が飛び交っていて、それらが顔に当たって痛いというような箇所もところどころにあった。コウモリさんの姿は見えず、彼らにも手に負えないほどの膨大な数であったか。それに捕食の甲斐のない小ささだったものなあ。昼にツバメさんたちがたらふく食べてくれればと願うが、ツバメさんらにも小さすぎるよなあ。 * 春が短くすぐ夏になり、しかも猛暑、酷暑が続き、秋がやっと来たかと思うとたちまち過ぎ去る・・・今年も去年のようにそうなりそうだと気象予報士が言っていた。 向かいのお隣りのNさんが今朝、私が塀下の葉っぱなどを掃いていたら「根本さん、これ」ともぎたてのサヤエンドウを30莢ほど下さった。「おお、ありがとうございます!今年もまたこれを味噌汁の具にしていただく季節ですか」と私は言ったが、1年経つのが早過ぎるという50歳代頃からのデフォルトの感想と共に、これから初夏を通り越して盛夏のような日々が来るのかと思い、憂鬱になった。 * 東北大の哲学科教授が、「もののけ姫はニーチェの『神は死んだ』のパクリだ」と笑って言うYouTube動画を見た。そして浄土真宗・親鸞会の菊谷さんの最新動画で、彼は日本で仏教寺院の数がどんどん減って、仏教の影響力が衰えているのは、さまざま瑣末な原因はあるにせよ、なにしろ僧侶たちが仏の教えをちゃんと流布する努力をしていないからだと言っておられた。 Seeing is believing. これに尽きてしまう現代人が多過ぎるのだ。たとえば私やKが霊を見たと言っても笑い話の類にされてしまうだろう。そしてそんなことを本気で言っているのなら、かなり多くの人にとって、MNEMOというのは、Kというのは、<ヤバい>ヤツだと思われかねない。私もKも、高3の時のその経験を再現などできはしない。 前述の東北大教授は、望遠鏡の発明...

松屋と東秀と

笑った。松屋のカレーで、カツがトッピングされているメニューは店舗限定商品なのだ。ちょっと前に用賀店で食べてかなり気に入った。 朝起きて、朝っぱらからというのはありつつも、どうにもそのカツカレーが食べたくなって、一番近い成城学園前店へ行くと「お取り扱いしておりません」。この規模の店舗じゃダメならかなり大きい狛江店では大丈夫だろうと行くと、朝5時から。ええい、じゃあ、登戸店だと思ったら元々そこには出店されていなかった。では向ヶ丘遊園店ならと行ってみると、成城店と同じだった。 「じゃあ、結局用賀に行くしかないんじゃん」とそれなりの長距離を走ってようやくありついた。いやあ、十分な運動になった。 * Kともおととい話したことだが、私らが城北地区、つまり練馬や板橋に暮らしていた1970年代後半は、この松屋もほんの2、3店舗しかなかった。そして練馬区羽沢に住むことになった私は、Kらと共に松屋の1号店によく通った。西武池袋線江古田駅の近くに在ったのだ。生野菜が100円で食べられるのが牛丼そのものより魅力だった。独特のフレンチ・ドレッシングもおいしかった(今も)。 それから1980年前後は世田谷区八幡山で「中華東秀」に足繁く通った。東秀の1号店は世田谷区千歳船橋でオープンしたらしいが、八幡山店もopening 5に入るはずで、この企業の発展にKも私もそれなり寄与した。チャーハンと半ラーメンのセットが大好きだった。それらに餃子も組み合わせた「東秀セット」は後年のメニューだった。 松屋も東秀も、早い裡にそれらの株を買っておけばよかった。え?金があったのかって?Kも私も素寒貧になってコーラの空き瓶を酒屋さんに売って糊口を凌いでいたっけなあ。その酒屋さん、当時のままの店舗で健在だから驚く。2リットル瓶1本30円だった。 *追記 松屋は「牛めし」ですね、牛丼とは言わない。

Amiableなエイミ、八方美人と言うより八面玲瓏か

昨夜K(栗田栄光くん)のところへクルマで行った。比較的近所の和菓子屋(銀座に本店)で買った詰め合わせに「栗みつ」という名の菓子があって、それがおととし100歳で亡くなられた彼の母上の旧姓名に一文字足すだけのものであったので、お菓子味、いや、<おかしみ>を感じて、たった1個の小さな和菓子であったが、彼に食してもらいたいと言ってから2回も会っていたのに手渡し忘れていたのだ。昨日はその賞味期限の日で、どうしても贈呈したく、クルマで出た次第だ。 夕食を一緒にということで、新宿区落合の方へ行ったが、2つのファミレスいずれも駐車場がないようで、さらに条件の悪い都心方向へ走らすことになったのだが、新宿区戸山でサイゼリヤを発見、駐車場はなかったが、Timesがあったのでそこへ駐車、早稲田大学生御用達のようなイタリアン・カジュアル・レストランへ入った。 非常に広い店舗だった。それゆえ楽々座ることができ、注文をスマートフォンを通じてしていると、隣のテーブルにやってきた男子早大生(間違いない)の一人が、椅子に座ろうとするなりどういうわけか私の方へとかなり派手に倒れ込んだ。「うわっ!」声が上がった。 その学生は私にもう少しで<もらい事故>に遭わせる粗相をしたのに、一言も謝らない。その慌て者に対面するいかにも好青年の学生が代わりに「すみません」と言った。Kはそのタイミングで軽口を叩いた。何と言ったか覚えていないが、早稲田の学生たちは「ハハ」と笑った。Kがその軽口の最後か最初かに「大丈夫?」と言ったのは覚えていて、座り直した学生はバツの悪そうな表情をしていた。 私はその間終始、「何やってんの?そんで謝罪なしかい?」という表情で学生を数度チラ見した。好青年の謝罪に免じ、表情を言葉に変えることはしなかった。Kのユーモアあるリアクションと好青年のおかげで殺伐とした雰囲気になることが免れたと言っていい。 「和顔愛語」ー 私が旧ブログで何度か書いてきた仏の教え。だから私も何かニコニコと座を和ますことばを吐こうかと数度思った。「君、大丈夫かい?アドレナリン今出ているから痛くないかも、だけど」などと言おうかと。しかしの当人の「君」は、なぜか全く悪びれる様子すら見せない。「和顔愛語」は引っ込んでしまった。 Kがもし私の席に座っていたとしてもああいう態度がとれたのか、と思った。きっととれたろうな、とまた思った。...

慈愛と謙虚

Pope Francisが復活祭の終了に合わせるかのように旅立たれた。 世界のすべての政治家、官僚に、教皇フランシスのお言葉を噛みしめてほしい。 Every man, every woman who has to take up the service of government, must ask themselves two questions: 'Do I love my people in order to serve them better? Am I humble and do I listen to everybody, to diverse opinions in order to choose the best path?' If you don't ask those questions, your governance will not be good. <統治機関の仕事を引き受けねばならぬすべての男性、女性たちは、2つの問いを自ら質さねばならないのです。「人々によりよく仕えるために私は彼ら彼女らを愛しているか。」「私は謙虚で、また最良の道を選ぶため皆の言葉に、またさまざまな意見に、耳を傾けているか」と。それを問わないのならば、その統治は善くないものになるでしょう。> 慈愛と謙虚さ・・・ これらを欠いた政治家、官僚がほとんどだと嘆くのは私だけでしょうか? 黙祷

隣国人受難

YouTubeで、Trump関税によりさぞかし中国はダメージを受けているだろうとその関連の動画を探すとあるわ、あるわ。中には悲観的に過ぎるのではと思うものもあったが、概ね思った通り大変な痛手を被っているようだ。 そのYouTubeのビデオが規制厳しい中国本土から発信されているとは思えない。伝わるのは余りの経済的惨状であって、直接の政府批判はなくても、「こういうのが流布されたら徒に国民全体に対し不安を煽ってしまう」とか「国の恥晒しだ」とかでその<内部通報>はすぐさま取り締まりの対象となろうと思えるからだ。 この貿易戦争前からどうも中国経済は相当に弱っていたらしく、輸出関連産業が実質上破綻状態の今はもう社会不安はかつてないほどに高まっているように思える。若者の就職難は未曾有レベル、国営企業の中堅幹部も何の落ち度もなく(本人談)突然首を切られたと訴えていた。民間も国営も、そして政府・自治体も人員削減の嵐だと言うのだ。 中には、失うものがなくった者たちは、この人為的な災害に無策の政府に反旗を翻すこともありうるというようなことを予言するものすらあった。 いくつもビデオを視聴したが、中でも印象的だったのは、就活で行き詰まってしまった若い女性が、中国人が外へ出て暮らしている国はことごとく中国とは友好的でない国であって、友好的な国、ロシアや北朝鮮、イランやパキスタンには中国人は行きたがらないと言ったことだった。

プロとしてどうなのか〜2題

「 ガザ停戦案ハマス拒否で攻撃強化 - イスラエル軍、50人死亡」 Twitterを見ていたら、この見出し。共同通信の記事だった。目にしたとき、ハマスが停戦案を拒んで攻撃を強化し、イスラエル軍に50名の戦死者を出させたのかと思った。「そんな火力がハマスにあったのか」と驚きつつ。ところが実は、停戦案を拒否したハマスに対しイスラエル軍が攻撃を強化し、民間人そしておそらくまたもや子どもを含むパレスティナ人を50人殺した、というものだった。 「ガザ停戦案ハマス拒否で イスラエル軍 攻撃強化  - 50人死亡」 同じ語句を使うなら少なくともそう見出しをつけるべきだったろう。もちろんそれでも誰が「50人死亡」したというのかが不明なままだ。「ガザ地区住民」だし、「死亡」と言うより「殺害」だ。なんという酷い見出しだろう。 * 久しぶりにABEMAで将棋コンテンツをじっくり見た。「地域対抗戦」決勝だ。藤井竜王・名人を擁する「中部」が昨年に続き優勝。藤井さんは予選や本戦を通じ無敗のままだったそうで、まさに無双状態。さらにノリに乗っている青嶋未来七段も勝ちまくって、中部チームの準切り札として大活躍した。 しかし私が一番注目し、応援したのは三重県出身の澤田真吾七段だ。彼の人となりが本当に好きなのだ。むろんプライベートを知っているとかというのは全くない。けれど、昔から彼のたたずまいが好きで、ずっと応援している。全棋士の中で一番好きなのだ。彼が大事な場面でレーティング2位の永瀬九段を破ったときは本当に興奮した。今年度はぜひA級に上がり八段に昇ってほしい。 その決勝戦。解説が某七段だった。「ダジャレ」で有名な(?)人だが、その言葉遊びはそもそもそれほどおもしろくないし、一回使えばもう結構というようなレベルのものなのに、勝手に自分はそれを披露するのを要求されているとでも思っているのだろう、ずっと乱発し、私を含め少なくない将棋ファンたちからの顰蹙〜言い過ぎなら不興〜を買っているのだ。 なにより、藤井名人・竜王、伊藤匠叡王、永瀬九段というトップ3が出場する決勝戦の解説などできるはずもない低い棋力しか今はないのに、出がらしになりきったダジャレでお茶を濁し、それを聞き手の23歳和田はなさんにことごとく流され放題というシラけた雰囲気の中、当然最強者たちの手がほとんど見えず、AIの評価値や指手候補を見...

Sweet Seasonsのカバー

 また上げました〜。 https://www.youtube.com/watch?v=fY-RWIhbDhA よろしければお聴きください。

神様の趣向 & 父の遺稿が本となる

昨夜、高2の生徒さんらを遠隔授業で教えていると、彼らの映像が突如激しくガタガタと揺れ出した。地震慣れはある程度している彼らも青い顔になっているのが分かった。そう、大町市の生徒さんらなのだ。ズバリ震源地直上であって、余震も考えられるから、その時点で授業を打ち切った。 Mooさん宅も震源に近いので、すぐにお見舞いの電話をしたけれど、多くの人が同様に心配されたようで、応対に大忙しの様子、かえって私からの電話などおじゃまだったかもしれない。特に異状はなかったようで、安堵した。 笑い話だが、その高2の2人の生徒さんたち・・・高1からお教えしているのだが、私の毎回の復習テスト(The Review Test)でいずれの生徒さんもこれまでの1年間に55点が最高で、合格の60点に未だかつて到達したことがなかった。ところが昨夜はとうとう1人が60点で合格、「やったね!」と喜び合っていたら直後に震度5弱。あまりの珍事に「地震でも起こるんじゃない?」などと私は軽口を叩いてはいなかったのだが、神様はなかなかの趣向を見せてくださった。 * 姉とその娘(つまり我が姪)たちが會津へ帰省し、家の墓ばかりでなく親戚の3家の墓所にも花と線香を手向けた。10年ぶりだったそうで、心から霊に詫びたと。実家では嫂が1冊の本を持ってきて、父の遺稿が篤志家長谷沼清吉さんの肝煎りで刊行されたのだという。 故郷に新郷という名の地区があり、国際芸術村という施設がある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%8A%B8%E8%A1%93%E6%9D%91 ここへの県内外からの訪問者が多くなり、「その方々に町の理解を深めてもらうため、町内の人が出版した本があればと」長谷沼さんは「思い」、「そこで故根本一さん宅を訪れ」私(MNEMO)の嫂に「お願いしたら」「『会津野沢宿 野沢宿御本陣物語〜松平容保 野沢の十三日間』の原稿を手渡された」という。「これは多くの人に読んで頂くべきと思い承諾を得、出版することにした」と。 「私(長谷沼さん)も郷土史には関心があり、山村の暮らしをテーマに三冊出版している。これも根本さんの指導や助言があったからである」。「『事実をありのままに、拡大解釈しないように』とのひと言を今でも忘...

2025 卯月雑記 5 〜昨日のことなど

 昨日は娘夫婦と孫たちに会いに都心へ。 <おnew>の自転車を駆っていつもとは違うコースで行ってみた。ほぼ小田急線に沿うように行き、代々木八幡で山手通り(環状6号)に出てからは早稲田通りまでずっと北上。高田馬場までそのまま行ってしまうといつも通りになってしまうので、小滝(おたき)橋で神田川沿いを走った。結局高田馬場へ出てしまったけれど、あの辺の神田川は初めて通ったので愉快だった。 孫娘はいつも通りの<まずは人見知り>だったが、しばらくして<融解>してくれた。2歳2ヶ月、歩くのはもちろん走れるようにもなっており、それが楽しくてしかたがない様子。5ヶ月の長男は愛想のいい子で、みんなに笑顔を振りまく。 娘が我が歌「Rosemary」の日本語versionをYouTubeに上げてくれと。是非もない。ちょっと意外だったが、うれしいことだ。すぐに取り掛かるかどうかはこれまでの流れを少し考えてからにする。 明日は義父の快気祝い。半年くらいの間に3度のカテーテル手術を受けたのだ(部位については語らない)。養老孟司先生と同い年。スモーカーの養老先生は<予定調和的に>肺がんを患うことになってしまったようだが、87歳、この医者嫌いを公言する医師免許所持者には最近気にするようになったと言われる社会についての発言をもっともっとこれからも拝聴したい。

「末代まで」といふ言葉空し

昔先祖の数について書いたことがある。2のn乗ってやつだ。算数的には正しいのだけれどもその累乗の数の途方もなさに考えるのをやめてしまった。たとえば37世代前(世代間の差25年とし、925年前、平安時代末期)だと先祖の数はなんとおよそ137億となって、推量されているこれまで生きた人類の数117億を超えてしまうというのだ。とすれば算数的には正しくとも、何かの誤認があることになる。そう、近親結婚を考慮していないということだ。 いとこ同士の結婚というのが一番多い例だろうけれど、今では禁じられているそれよりも近親の者同士の結婚もそれなりにあったのは歴史的事実だ。これが2のn乗を成り立たせない原因だということなら、相当の数の近親婚があったということになる。 「incest」という英語があるが、語源を調べると、「in-」は否定の接頭辞で、「-cest」はどうも「chaste」に通じ、それは「純潔」を意味するから、すなわち「不純」ということだ。レヴィ・ストロースの『親族の基本構造』を思い出す。なぜ人間は近すぎる(日本では3親等以内の)近親婚が「不純」と考えるようになったのか、興味深い。他の血統が入らないのだから、逆に「純」だと思っても不思議ではないし、実際そういう結婚もあった。血のつながりが遠い者との結婚こそ「不純」ではなくなった背景は、やはり遺伝学上の疾患・先天異常が無学な者たちであっても経験的に<よろしくない>ことが知られていたから、というものだろう。 さて、自分にとって10代末の子孫にどれほど自分のDNAが残存するかというと、DNAは756に分割され、10代末の子孫の先祖は1024となり、ほとんど、あるいは全く受け継がれていないことになる、という。 250年後、<物質的に>「私」という存在はほぼないし完全に消えてなくなっているのだ。 ドゥハハ!

「カナダ」はイロコイ族語の「村」から

 私がもし海外移住するとするなら(If I were to emigrate)、カナダ南部一択だ。 私は北の人間だし、寒さはかなり耐えられる。秋が美しい土地であることが何よりの基準だ。そして<適当な>降雪のあるところ。私の憧れる雪の大晦日の神社参拝については、自分で祠かなにかを建てて行えばいい。きっとあちらの国民は美しい習慣だと受け入れてくれ、それどころかShintoismの限りなき融通さ(国家神道ではない古来の神道の特徴)を理解してくれて、一緒にコミュニティーの美風習にしてくれるかもしれない。 今回のTrumpによる、カナダを「合衆国の51番目の州」にするとかの妄言には、私は心の底から憤っている。彼のような人間を大統領に再選する国になど吸収されてたまるか。Canadiansの大半も屈辱感を覚えて政府の断固たる対抗措置に踏み切ったことを支持している。 冷帯と温帯の端境にある国は他にもいくつもある。カナダが中でも魅力的なのはやはり移民の国だというのがある。大昔からのカナダ人(First Nations)はベーリング海を渡った人々の直接の子孫で、メティス、イヌイットと共に敬われている。民族衣装を誇りをもって着る彼ら彼女らを「コスプレ」などと揶揄するアホな国会議員もいない。そして世界中からの移民がCanadiansに次々となっていって今がある。 ケベック州はフランス語が公用語の異彩を放つ州だけれども、独立をたとえ住民らが訴えても、大半は自由平等博愛のフランスの民ではないか。 先のトルドー首相(フランス系だね)も立派な見識を持つ人であったが、現首相のカーニー氏もHarvardとOxfordで学んだ大変なインテリで、富の偏在を問題視する政治家であり、対Trumpの政策も的確、精緻で、効果的だ。まあ、このあたりは全然まだ半可通なのでこれ以上論じない。 海外移住などまず絶対にあり得ないけれど、想像して書いていたら楽しかった。移住はないにしろ、生まれ変わるなら今度はカナダ人で、とは思う。
  https://www.youtube.com/watch?v=ohV1VrARqCA G String時代の、若い、愚かなmindの歌です。 でも好き。

1969年と1970年にかけてのこと

YouTubeでは違法ではないかというようなTVドラマや映画が上がっていることが大いにある。東南アジア人が「警察24時」やドリフもの、「笑点」などの明らかに権利関係を侵してのコンテンツを堂々と上げているから、ドラマや映画もそういうことなのではないかと思わせる。通報すべきなのは分かっているが、面倒臭い。 全編は見ていないが、1969年三船プロ制作・東宝配給の「新選組」を昨日目にした。近藤勇が三船さん、土方歳三が小林桂樹さん・・・なんとまあ、当時でもちょっと老け過ぎのコンビだ。 その1969年。私はまだギリギリながら小学生だった。懐かしい1年。 変声期に入っていたからなのか、それとも元々のことか、憧れの合唱隊に入れなかった。ボーイ・ソプラノが出なかったのだ。それでも明らかに変声期に入っていた「健ちゃん」はファルセットで歌って山内林子先生の推薦を受けた。羨ましかった。私はファルセットでの歌唱法を嫌い(?)地声でがなるように高音部を歌って笑われてしまったのだ。しかしその悔しさから、地声でも高い音程が安定的に、また美的に歌えるようにいう研鑽が始まったのだった! 山内先生は熱血指導で算数の授業を展開、東京書籍の「新しい算数」だったか、教科書の主著者だった岩手大学の教授(黒澤誠先生だったと記憶する。後に岩手大学学長になられた)がどういうわけか我がクラスを直々指導、東北地方の小学算数科の教師たちが教室をグルリと囲んで見学、教授始めその教師ら全員から絶賛を浴びたと後に山内先生が誇らしげに教えてくれた。私はうれしいとは思ったが、その授業のためにつぶされた多くの他教科授業のことを惜しくも思っていた。 山内先生はその熱情を平和教育にも注がれた。社会の授業の時だったか、広島の被爆者の生々しい写真が載った本を私たちに回覧させて、ショックを受けた子が親に言いつけ、山内先生は厳重注意を受けたらしかった。 先生は有名な「喜多方ラーメン坂内」本店が在る喜多方市御清水に住まわれていた。もうきっとこの世にはいらっしゃらないと思う。私の人生の恩人の一人だ。合掌。 1969年。 やはり昨日YouTubeで洋楽の蘊蓄コンテンツで登録者10万を軽く超えるチャンネルがビートルズの「Abbey Road」全曲解説という動画を上げていた。それも1969年制作のアルバムなのだ。 私らが岩手大学教授の直接指導を受けるため山...

I'm here. I hope I don't scare you.

Mooさんの使われているgoo blogもサービス終了を控えているらしい。氏は私とは全く違ってしっかり対応されるはずなので心配はしていない。 そのMooさんの最新記事では、高齢者の脳の活性、機能維持の話。今のところ私は運動機能を含めて脳に目立った老化は感じていない。感じてはいないが、それを感じる感じないが脳そのものなので、なんとも。 Mooさんがマニュアル車運転やピアノ演奏で脳の衰えを防いでいるなら、私は自転車乗り、ギター演奏ということになるだろうか。いや、一番の貢献はMooさんにとってはblogなどで思いを書かれていることだろう。氏の町政や沖縄問題などの論考は視点鋭く、精緻で、いつも脱帽だ。大体、あれほどの問題意識を維持するだけでも頭が下がる。 評論家の樋口恵子さんが「徹子の部屋」に出られた。YouTubeでその回を見た。昔から美しい日本語を話す人だったが、90歳を超えてもその日本語は健在だった。ただし乳がんを患ったそうで、高齢でも手術を受け成功、術後10年生存率が高く出て笑っていらした。一病息災で、centenarian(百歳)になれる確率が高く出たのだ。(笑) 樋口さんががん罹患を告げられたとき、「寂しい」と思ったそうだ。齢90であっても、やはりもう人生は終わりかと思うとそう感じるのだ。信仰がなければ、この世との永遠の別れであり、大好きだった山河、花鳥風月も永遠の見納めを覚悟する。 信仰があっても、半信半疑のナマクラ信者ではいけない。「死んだらそれでお終ぇよ」と本心からニヒルに言えたらそれはそれでカッコいい。 私の場合は、信仰とかなんとかと言うより、体験上死んだらお終いとは思っていない、ということになる。先日書いた父逝去の夜のこともそうだし、17歳最後の夏、勉強合宿最終日の夜にKらと見た、長岡藩士と私が勝手に推定する霊魂の出現、またさらには1986年の子猫チロの埋葬時に体験した、彼女がオリオンへ昇天する際に私の背中に触れてくれたという出来事(これもある人々には噴飯物の錯覚話だろうが)。 過日我が娘が私の旧ブログ喪失の際にかけてくれた言葉の中、「孫たちも読むかも」というくだりがあって、そのことを意識して今書いている。「祖父はそういう来世観を持っていたのだ」と孫たちがいつか知ってどう感じるものか。「そういえば・・・」と孫たちが思い当たるようなことをきっとしてやろう...

2025 卯月雑記 4 〜Kの都心巡り & So Says Our Greatest President

おとといの夕方近くのことになるけれど、気象レーダーで正にKの居住テリトリー辺り(中野区と杉並区、新宿区の境)が雷雲直下となっているのを確認しつつ、その雲が南下ないしはこっちでも発達することはないと見切ってしまい、potteringに出て、結局びしょ濡れになって帰ることになってしまった。それでも春の雷を伴う雨に濡れるのも一興とも思えた自分がいた。酔狂なことだが。 酔狂といえば、Kが、今日のVlogを見ると、先週好天の土曜、桜の見納めになると東京中の人々が狂騒状態にいる日に無謀にも中野から新宿御苑、四谷の土手、千鳥ヶ淵、靖国神社、上野公園という桜の名所を含めた都心potteringを企画、実行したのだった。彼の自転車はバッテリーの援けがない。若者だって一苦労のことを、病持ちの高齢者の彼がやり遂げた・・・ 大丈夫か、おい。 凄まじい運動量で、糖尿病患者としては天晴れとしか言えないけれど、自分のチャンネルのマンネリを自覚してのことだろうが、心配になるほどの仰天企画だった。 途中私のかつての憩いの場、江戸川橋のジャイケル・マクソン(笑)もお忍びで訪れたという噂のある中華料理屋「らくらく」を「サービスショット」で映してくれた。しかしご厚意はありがたいのだが、実は娘と孫に会いにその辺りに2ヶ月に1遍は行っているので、なんら懐かしくない(笑)。 しかし先週、こんなに体を酷使して彼はちゃんと仕事に出ていけたのだろうか。 * Twitterを見ていたら、米人らによるこんなtweetsが。 BREAKING: Trump caves again on Tariffs: Smartphones, computers, chips as well as other electronic devices and components, including semiconductors, solar cells, flat panel TV displays, flash drives, memory cards and solid-state drives are now EXEMPT from Tariffs. So thanks to Trump China now has more tariffs against us than we have against them. ...

I'll be with you, always, from now on

昨夜仕事が終わってからYouTubeを開くと、幼馴染でsingerの金子光良くん(実名を使っているのでそう記す)が2件のコメントを残してくれているのだった。旧ブログでも彼への感謝の一文(大昔からならもっとだが)を最近したためていたが消えてしまっているので、重複とはならないから(笑)、また書こう。 Kも幼馴染とは厳密には言い難いけれども、長い長い付き合いで、だから私の歌の急所は知っている。しかし、金子くんの場合やはり互いに歌うたいとして分かち合えるところがあるからだろう、そのコメントは沁みる。歌そのものへのまっすぐな感想があるのだ。(Kのがうれしくないとかでは決してないからね。😆) 「The Last Things to Do」という歌は、私が世田谷へ越してきて2年目、つまり2019年に降りてきた。それ以前、すなわち狛江市東和泉の集合住宅で新曲を作るということは長くなかった。自宅に録音環境がなかったというのが大きな理由だったが、そんなことを言ったら都心在住時はもっと狭い部屋で録音をしていたのだから決定的な理由にはならない。歌が降りてこなかったし、呼び込むこともなかったというのが最大の理由だった。 世田谷の自宅に念願の防音室を設置、そこにマイクを立て、大好きな音を出してくれるMartinをある日アルペジオで弾いていると、あの歌がexpressされた。「ex-」=「外へ」、「-press」=「押す」、つまり私のheartとmindの交叉するところから<押し出されてきた>。そういう時というのは本当に自然で、作為はほとんどないのだ。狛江東和泉在住時には詩情が溜まるだけで一向に吐き出されなかったが、録音環境が調うや否や、のことだった。 金子くんは「切なくなったよ」と書いてくれた。「胸に迫った」と。私もそうなのだ。作っておきながら、歌っておきながら、自分で切なくなってしまうのだ。自縄自縛という言葉があるけれど、自作自哀というようなことだ。 しかしそんな哀しみを覚えながら、私は2011年11月のことを思い出す。旧ブログにも書いたが、調布の喜多方ラーメン屋からの帰りに、誰も乗っていないクルマの後部座席からパチパチという音だったか、もう思い出せないが、突然鳴って、私も助手席の義父の娘も驚いて、「なんだ、今の音は」と言っていると姉から電話が来た。「お父ちゃんが亡くなったって」。 そうな...
https://x.com/saint_news/status/1910667842103496760   またもイタリアでThe Lost Canvasが放映されました。 Saint Seiya News氏が報じてくれています。 ありがたいの一言です。

2025 卯月雑記 3 〜栄龍、藤井名人の再びのAI超え

元狛江住民で、旧ブログで数件ご投稿いただいたことがあるミドリブタさんから慰めと励ましをいただいた。そういうこともあって、「PS I Love You」のビデオでは、ふんだんに(?)狛江の近影を使った。ミドリブタさんならすぐに「ああ、あそこだ」と分かる景だ。 ミドリブタさんからは、私の旧ブログで大昔に記したところの狛江市中和泉に在った「町中華」の栄龍を互いに懐かしむ者同士としてご反応をいただいたのだった。2007年とかのことだったか。栄龍は40歳代後半くらいの寡黙なマスターが「ワンオペ」で切り盛りしていた。店での料理の提供ばかりか、出前までした。生姜が隠し味のスープが美味しく、またチャーシューの大粒の賽の目切りがうれしいチャーハンが私の大の好物であった。しかしある日突然店じまいの紙が貼られたのだった。 娘がまだ幼い頃に何度も行った。出前ももちろん頼んだことがあった。全てが懐かしい。 * 昨日の藤井名人の33手詰め(35、41手詰めとする説もある)には本当につくづく驚嘆した。先日の詰将棋選手権全問正解優勝の勢いそのままだった。今まで何度も私は書いてきたが、この圧倒的な、今回はAIすらも見つけられなかった詰み筋を発見してしまうスーパーヒューマンな能力こそ、他の棋士を寄せ付けない最大の理由なのだ。レーティング2位で、この頃とみにまた強くなっている永瀬九段も、3位で副立会だった佐々木八段も、埋めようのない実力差をあらためて痛感していよう。 それに比べ、我が世田谷区の星の伊藤叡王はどうしてしまったか。レーティングも4位になってしまった。藤井七冠との差は開くばかりだ。がんばれ!

PS I Love Youのカバー

  https://www.youtube.com/watch?v=nKgrH1aAqag よろしくお願いします。 川柳一句 一粒の値段気になるお米かな

こう書いたところで何にもならぬが

ただただ呆れる。信じられない。トランプは「相互関税」を90日延期すると突然言い出した。前日、鼻筋の<すばらしく通った>報道官は実施は揺るがないというようなことを言っていたのに。そしてその後トランプは「株を買え」とSNSで言い、ついで延期を発表し、株価が上がった。現職大統領によるインサイダー取引ではないか! * 先ほどNHKの「クローズアップ現代」でワクチン後遺症のことを扱い、「現在進行形」のこの事態について「NHKはこれからも報道をしていく」とキャスターが宣言した。 私の知り合いに後遺症で苦しむ人がいる。現下後遺症を訴える人々の99パーセントが政府により事実上見捨てられている。因果関係不明、と言うのだ。認定のための資料のフォーマットが文字だけによるもので、病状を示す画像などの添付ができなかったりしたという。明らかに接種後に体調を崩した人々が、ワクチン以外の理由でそうなったともはっきり言えない以上、救済する方向でなければおかしい。 Kも味覚障害が残っていると言う。「知り合い」はもっと深刻だ。ワクチン接種は大多数にとって善、<多少の例外>については目をつぶってくれと言っているに等しい。「善」だったかどうかも怪しい部分がある。 実は私はワクチンを打たなかった。幸いCovid-19感染症には罹らなかった。同じように打たなかった知人が2人いるが、1人はいわゆるコロナに罹ったが軽症で済み、もう1人は私同様感染しなかった。「幸い」と書いたけれど、私やその知人はただラッキーだっただけなのだろうか。あの狂騒の月日は、それにふさわしいほどの深刻さだったのだろうか。本当によく分からない。もちろん罹患して苦しんだ方々、命を落とされた方々が大勢いたというのは間違いないことだけれど。

歳を重ねると

がっちゃんが比較的近所へ越してくる日が近づいてきました。歓迎会、引っ越し祝いの会をと思って「転石会」のメンバーにご案内。しかしちょっとshort notice過ぎたのと、いつものことながら会員の住まいがバラバラであり、どこで会合を持とうにも遠くないという人がいないという問題があり、全員参加にはなりません。 メンバーみな還暦以上の会ですから、会える時は会っておきたいと思うのですが、一般に歳を取れば取るほど外出が億劫になるもので、特に私などは都心繁華街(新宿、渋谷、池袋)はすべて疎ましい。どこで例会を催すかはいつでも頭痛の種です。 * 幸夫ちゃんが我が旧ブログのdataが失われたことに同情の言葉をかけてくれました。彼からの投稿もあったし、申し訳ない気持ちです。 「歳を取れば取るほど」と上で書きましたが、年齢を重ねに重ねると、一般に人間はいわゆる「抹香臭い」ことにもなってくるものでしょう。私などはだいぶ早い裡からそうなってきていましたが、この頃はとみに。 George Harrisonの功績のひとつに、Beatlesファン、すなわち考えうる最も多くのポップ・ミュージックのファンたちに「諸行無常(All things must pass)」という仏教思想(インド思想)の真髄を広めたことがあると思います。私の旧ブログへの執着も、この言葉で相当軽減され、そして克服されつつあります。 だからこそ今が愛おしい・・・そういう了見ではやはり執着であり、仏の教えに背くのですけれど、家族、友人、知人たちに会えるなら会っておきたいと望む気持ちも、出不精のくせに、高まってくるそういう年頃よ!😆

2025 卯月雑記 2 〜MAGAの屁理屈

「 彼はそんなことは言っていない。言ったとしても、それは本気で言っていない。本気で言ったとしても、その意図が理解されていない。理解されているとしても、大した問題ではない。大きな問題だとしても、他の者はもっと悪く言っている。」 MAGA支持者たちの「twisted logic」だとするTwitterのある投稿を和訳。鋭い。 * 遺伝子の多様性はアフリカで最も豊かか、それとも人類到達がもっとも遅かった例えば南米でそうなのか。すぐにアフリカだと答えられる人は頭の回転が速い。人類発祥のアフリカからユーラシア大陸へ抜け出て行った集団はアフリカにいる人類のほんの一部であり、その一部から中東へ、ヨーロッパへ、そして中央アジアや南アジアなどへ移っていく人々が分岐していったのだ。そしてベーリング海を渡ってアメリカ大陸へ行った集団も一握り、その一握りの人々が北米での後に「インディアン」と誤称される集団となり、その集団からさらに南米大陸へ移動した一握りの人々が「インディオ」などと呼ばれる人々となった。最初の遺伝子の母集団から見て、南米の人類のそれはマイナス何倍か知らないが、遺伝子の多様性はどんどん先細りしたのだ。 だからどうした。 スペインやポルトガルの襲来を受けた南米で、ヨーロッパからもたらされた疫病(インフルエンザ、麻疹、天然痘など)が南米現地人には全集団的に致命的だったという歴史も頷ける。遺伝子が均一性が高かったから、新しい疫病への耐性を持つ者がほとんどおらず、全集団的に命取りになり得たのだ。 そう合点できて、興味深かったのだ。 * Kがacoustic guitarの練習ぶりをYouTubeで公開した。「下手だ」と自嘲していたが、そう悲観したものでもなかった。「Blackbird」については、もちろん環境のせいもあって、Paulの弾(はじ)くような力強い奏法ではなかった。防音室内での本番では大丈夫とは言い切れない。やはり<そのように>弾いて練習しないと。 その点彼が住む中野区では厳しかろう。こっちなら、砧公園のような大きな公園も、多摩川の土手もある。いつか彼もこっちに来ればいいのに・・・。まあ、その「いつか」を悠長に語れないのはお互い様。

知性ある者は穏健である

 "Only the weak will fail." トランプが昨日だかおとといだかにそう言ったそうだ。見事なほどの弱者切り捨て。Lutnickとかいう大富豪で商務長官がTV出演で今回の「相互関税」について説明しているが、当然根拠薄弱、大統領自身は「耐え抜け」などと精神論に走る。サプライチェーンもろとも全製造業がアメリカに工場を持ち、一国で完全自給自足ができると思っているようだ。異常だ。異常すぎて恐ろしい。しかしMAGA信者や、トランプを支持した有権者たちの蒙昧はアメリカ人たちだけにあるのではない。世界中に根拠なき過激な、しかも人権を疎かにする政策を<喜ぶ>ような層は存在する。それでも<穏当さ>ということを知る者たちが必ず無知の暴走を食い止めるのだ。Canada、Mexico、EU、The UKなどなどだ。日本は一体何をしているのか。Putinは西側の大混乱を笑っている。

花見する外国人たちを見て

YouTubeで、在NY、そして在ロンドンの日本人女性がそれぞれ今の現地での暮らしを語るチャンネルを相次いで見た。 NYではまずは圧倒的な物価高。見合う賃金上昇もあるというけれど、皆にとってそうであるかは疑問とのことで、トランプの関税政策でこれからさらに物価上昇が見込まれるので先行きに不安を持っていると。 ロンドンでは、今や市民の4割が移民や移民の子や孫だと言っていた。特にロンドン東部は一体ここはどこの国かというほどにイスラムの国々などから来た人々で溢れているという。 昨日砧公園を歩いていて、外国人が多いことにあらためて驚くことになった。公園へ行く途中でも、さらに家へ帰る途中でも、何人もの外国人とすれ違った。私が言うのは見た目で分かる外国人だけだから、中国や台湾、韓国などからの人々ともきっと多くすれ違っていたのだろうと思う。 好むと好まざるとにかかわらず、globalizationは必然的流れだとしか言いようがない。移動手段の発達と輸送費の逓減が何より大きい。そしてもちろん、各国事情が断片的であれインターネットで即時的に入ってくる世の中だ。自国に嫌気がさして、どこか他の国へ行こうと思い立ち易くなっている。それこそ移民だらけで嫌になった例えばLondonerが、相対的に、また総体としても、先進国のわりには移民や帰化が少ないという情報を得て、その人こそ移民となって日本へやって来たなどということもあるだろう。 何組もの欧米出身の白人男性と日本人女性(だろう)の夫婦が子どもを連れて砧公園に来ていた。その白人男性らの仕事はさまざまだろうが、たとえ他の仕事で行き詰まったとしても最後は英語を教えて糊口を凌げるという「last resort」がある。まさに特権である。もちろんそれなりの学歴がないといけないだろうけれど。 W大出身らしい在ロンドンの女性は、日本語に限らず英語以外の言語ができることなどほとんどイギリスではメリットにならないと言っていた。英語だけでは不自由だという状況が国の内外においてまずないからなのだ。日本ではまるで逆だ。英語ができることは大変なadvantageであり、今だって多くの企業で英語堪能なことを<高価買入れ>するはず。 さあ、トランプの冒険的孤立主義が世界を揺るがす今、そしてこれから、日本はどうなっていくのか。グローバル経済は必然の流れのままだとして、どう世...

私もさう思つてゐた

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  先ほどの仙川、東宝撮影所脇。 砧公園は花見客で芋洗い状態(水はないけど)。うんざり。 なんだか頭痛がする。なじょしたべ(=What happened?) ソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンの子どもでしかもクローンなのはよく知られたことだ。最新の研究では、エドヒガンと<オオシマザクラ&ヤマザクラの雑種>の子だという。エドヒガンもオオシマザクラも元々伊豆半島や伊豆諸島の花木であり、それらはフィリピン海プレートに乗って本州へやってきたのだから、つまりは<生来>南国の花だったのだなあ。そこに奥ゆかしさがあって私が一番好きなサクラ、日本固有種のヤマザクラが絡んだ。 桜を見つつ、頭の中でずっと暗誦していたのは、小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」だったけれど、最近知った「面影の変わらで歳の積もれかしたとい命に限りあるとも」がより切なく響いた。命に限りあるのはいいとしても、老いなく歳を重ねたい、と言うのだ。たくさんいた子どもら、青少年ら、そして二十代、三十代前半くらいまでの人々にはなんら響かぬ歌であろうなあ。 昨日狛江の西河原公園で四五十代の娘さんと桜を眺めていた、足の不自由そうなご年配の女性のうれしそうな表情が忘れられない。「来年は見られるかしら」、「今年また見られてよかった」と顔に書いてあるようだった。私もそう思っていた。

2025 卯月雑記 1

娘からLINE・・・ <ブログ消えちゃったの?!😭 昔の自分の文章って今読み返すと超どうでも良いこと書いてたり、逆にとんでもないこと書いてあったりして、むしろ消したい過去みたいな部分もあったりするけど(笑)、でも心の準備が出来てないときに全ログといきなりお別れとなると話は別だよねー。当時の気持ちや考えは本物だもんね。『本物』を失う…静かに落ち込むよね。 でも、その気持ちや考えを、当時一生懸命アウトプットしたこと。それ自体に意味があったとも思うよね。だからログは消えちゃってもアウトプットを19年間続けたことには大いに意味があったよね。(偉そうに。。) 新ブログも頑張って!孫たちも将来読むかも!笑> 私がこの間(かん)考えてきたことが悉く書かれていて、さすがに我が娘と唸ってしまい、また感動したのだった。彼女は私よりはるかに堅実な生き方をしているし、親子とは云え当然いろいろな考え方の違いがあるに決まっているのだけれど、上の文では全く思いが同じで、それは驚愕のレベルの一致だった。もちろん、励まされた、大いに。 * 新しく電動アシスト自転車を買った。6年乗った先代は、電池がダメになった。さらに錆だらけにもなっていたのでリサイクルに回した。Pottering(自転車散歩)が趣味でさらにエクササイズでもある私にとって、どうしてもかかる経費だ。ASAHIの最新型で、そう価格は高くないのに、すばらしい自転車だ。 それで昨日昼に狛江の多摩川へ行ってみた。ようやく晴れた東京、五本松周辺の桜もほぼ満開となっていて、平日昼ながら多くの人が花見をしていた。今日の人出はきっと「多い」どころではないだろう。ごった返しは必定だ。 富士は雲に隠れていたのだが、丹沢山系や秩父奥多摩の山々はくっきりと見えて、雪をまとっているのが確認できた。そうたくさん降ったようではなかったけれど、久しぶりに雪化粧の山々を見た。 春本番とは云え、今朝未明から夜明け、東京は寒かった。寒暖差がすごい。冬好きの私だが、さすがにもう寒いのはいいかな。しかし近年稀に見る寒の長さだった。

You're paying for it now

 「トランプ・ショック」・・・ 彼の再選を支持した多数のアメリカ人の存在にこっちがとっくにショックを受けていたけどね。ハリケーンを核兵器でやっつけるだの、日食を裸眼で見るだの、温暖化は嘘だの、海水面が上昇したら新しいオーシャン・ヴュー・リゾートができるだの、枚挙にいとまがないほどのでたらめと無知の言動を満天下にさらしてきた男に自国経済、延いては世界経済の舵取りを託すなど、飛行の原理やしくみをまず知らず、飛行機の機器類など一切その役目を知らぬ男に機長として満員のジェット旅客機操縦を任せるようなものだ。 恐ろしい世の中だ。 なにしろアメリカという超大国があの程度の人物に導かれているという現実に絶望する。リンカーンを大昔に指導者にしていた共和党の劣化は極端だ。信じがたいほどだ。わずかにリズ・チェイニー元議員など反トランプ派はいたけれど、広がらなかった。政治家としての資質が明らかに不足している者を、他の要素でもてはやす傾向は昔からあったかもしれないが、今多くの国で深刻な状況になっていると思う。 経済は不確実性を嫌うというけれど、むろん確実なことなどほとんどこの世にはないが、極端な不確実性は極端な楽観主義やまた逆に極端な悲観主義も生み出す。 大谷さんのサヨナラホームランは相変わらず痛快だけれど、彼や野球選手になんら罪はないが、アメリカ人よ、浮かれてる場合か、と言いたくなってしまう。もちろん「日本人」もね。

バンド内闘争

 しかしまあ東京は陰鬱で寒い日がこのところ続いていて、例のこともありますます滅入っている。 とある音楽系YouTubeチャンネルで、EaglesではDon Henleyが強権的だったというようなサムネイルの文言に釣られて見てみた。金字塔「Hotel California」でのDonのまさに「ドン」ぶりだ。Eaglesはまず「Take It Easy」で世に出たその功績から、作詞作曲者(Co-writerはいるけれど)Glenn Freyがボスだったはず。そして「呪われた夜(One of These Nights)」辺りから主にボーカリストしてのポテンシャルの高さからDon Henleyがバンド内権力を掌握していったのだろう。 Donの跳梁は間違いないけれど、それでもGlennとDonの両巨頭支配だったと言ってよく、二人が「On the Border」で見せ始め、そして「One of These Nights」で遂げたバンドとしての音楽的飛躍、つまりそれまでのカントリー系の音楽色を一掃しようとし、洗練されたロック音楽へと舵を切ったことで、創立メンバーのBernie Leadonが去り、明らかにC&Wという曲は確かになくなったアルバム「Hotel California」後にRandy Meisnerが去った。そしてなんと楽曲「Hotel California」の実質的な作曲者であるDon Felderをも放逐する。同名アルバムから加入したJoe Walshというギタリストがいれば事足りる、ということだったろう。それらの出入りには必ずDonとGlennのリーダーシップがあった。 Eaglesには私もハマった。Kと池袋西武で「Hotel California」を買ったのは1976年。桜台6丁目の暗い4畳半アパートでそのLPに針を落とし聴いた秋の日は忘れられない。 3年後、私とKはKM君と功くん、松川くんとでバンドを組んだ。最初、私はEaglets(鷲の幼鳥)という名にしようと提案したほどEaglesにゾッコンだった。KもKM君も了承、しかし、特に功くんはBritish Rock志向であったから反発した。ドラマーの松川くんもウェストコースト音楽とジャンル分けされた音楽に興味はなかった。そして結局VIAという名に落ち着いたが、<売れっ子>の松川くんは複数のバンド...

Mooさん、Efilさんからご心配いただきました

 まだまだショックは収まっていませんが、Mooさんが旧ブログで私が書いた拙い小説を〜今回の私のヘマに備えてくださったわけではないのですが〜salvageしてくださっていてそれだけでもまさに救いです。 SeeSaaブログに有償でもいいので、過去ログを渡してほしいと頼んでみるのもありかもしれませんが、そんな窓口があるのかどうか。 きれいさっぱり過去のことは忘れて、というのもありかもしれませんし。なんだか宙ぶらりんな気持ちのままです。

やるせない

 まだ喪失感を克服できていません。 さすがに19年間のログを失ったのは大き過ぎるのです。 むろん、その価値は私だけが認識するものだと言っていい。ゆえに私だけが悲しむべきことです。きっと数千万字、もしかすると億単位の字を、私は<弔う>必要があります。その喪に服す期間はどれほどのことなのか、今のところまったく私にも分かりません。短いかもしれないし、そうではないかもしれない。 強制的に終活の断捨離をさせられたようです。 「4月ばか」は、私でした。

SSブログにしてやられて、19年間のtextを失いました。(移行予告を軽視した私が悪い)

 落胆は激しいのですが、気を取り直すよりありません。 心機一転、また思いを綴っていきます。 <iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/925GQLe-dzc?si=xnkCXUKF7OoKnMDb" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> みなさま、どうぞよかったらまたお付き合いください。