I'm here. I hope I don't scare you.

Mooさんの使われているgoo blogもサービス終了を控えているらしい。氏は私とは全く違ってしっかり対応されるはずなので心配はしていない。

そのMooさんの最新記事では、高齢者の脳の活性、機能維持の話。今のところ私は運動機能を含めて脳に目立った老化は感じていない。感じてはいないが、それを感じる感じないが脳そのものなので、なんとも。

Mooさんがマニュアル車運転やピアノ演奏で脳の衰えを防いでいるなら、私は自転車乗り、ギター演奏ということになるだろうか。いや、一番の貢献はMooさんにとってはblogなどで思いを書かれていることだろう。氏の町政や沖縄問題などの論考は視点鋭く、精緻で、いつも脱帽だ。大体、あれほどの問題意識を維持するだけでも頭が下がる。

評論家の樋口恵子さんが「徹子の部屋」に出られた。YouTubeでその回を見た。昔から美しい日本語を話す人だったが、90歳を超えてもその日本語は健在だった。ただし乳がんを患ったそうで、高齢でも手術を受け成功、術後10年生存率が高く出て笑っていらした。一病息災で、centenarian(百歳)になれる確率が高く出たのだ。(笑)

樋口さんががん罹患を告げられたとき、「寂しい」と思ったそうだ。齢90であっても、やはりもう人生は終わりかと思うとそう感じるのだ。信仰がなければ、この世との永遠の別れであり、大好きだった山河、花鳥風月も永遠の見納めを覚悟する。

信仰があっても、半信半疑のナマクラ信者ではいけない。「死んだらそれでお終ぇよ」と本心からニヒルに言えたらそれはそれでカッコいい。

私の場合は、信仰とかなんとかと言うより、体験上死んだらお終いとは思っていない、ということになる。先日書いた父逝去の夜のこともそうだし、17歳最後の夏、勉強合宿最終日の夜にKらと見た、長岡藩士と私が勝手に推定する霊魂の出現、またさらには1986年の子猫チロの埋葬時に体験した、彼女がオリオンへ昇天する際に私の背中に触れてくれたという出来事(これもある人々には噴飯物の錯覚話だろうが)。

過日我が娘が私の旧ブログ喪失の際にかけてくれた言葉の中、「孫たちも読むかも」というくだりがあって、そのことを意識して今書いている。「祖父はそういう来世観を持っていたのだ」と孫たちがいつか知ってどう感じるものか。「そういえば・・・」と孫たちが思い当たるようなことをきっとしてやろう!(大笑い)


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