「末代まで」といふ言葉空し

昔先祖の数について書いたことがある。2のn乗ってやつだ。算数的には正しいのだけれどもその累乗の数の途方もなさに考えるのをやめてしまった。たとえば37世代前(世代間の差25年とし、925年前、平安時代末期)だと先祖の数はなんとおよそ137億となって、推量されているこれまで生きた人類の数117億を超えてしまうというのだ。とすれば算数的には正しくとも、何かの誤認があることになる。そう、近親結婚を考慮していないということだ。

いとこ同士の結婚というのが一番多い例だろうけれど、今では禁じられているそれよりも近親の者同士の結婚もそれなりにあったのは歴史的事実だ。これが2のn乗を成り立たせない原因だということなら、相当の数の近親婚があったということになる。

「incest」という英語があるが、語源を調べると、「in-」は否定の接頭辞で、「-cest」はどうも「chaste」に通じ、それは「純潔」を意味するから、すなわち「不純」ということだ。レヴィ・ストロースの『親族の基本構造』を思い出す。なぜ人間は近すぎる(日本では3親等以内の)近親婚が「不純」と考えるようになったのか、興味深い。他の血統が入らないのだから、逆に「純」だと思っても不思議ではないし、実際そういう結婚もあった。血のつながりが遠い者との結婚こそ「不純」ではなくなった背景は、やはり遺伝学上の疾患・先天異常が無学な者たちであっても経験的に<よろしくない>ことが知られていたから、というものだろう。

さて、自分にとって10代末の子孫にどれほど自分のDNAが残存するかというと、DNAは756に分割され、10代末の子孫の先祖は1024となり、ほとんど、あるいは全く受け継がれていないことになる、という。

250年後、<物質的に>「私」という存在はほぼないし完全に消えてなくなっているのだ。

ドゥハハ!



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