バンド内闘争

 しかしまあ東京は陰鬱で寒い日がこのところ続いていて、例のこともありますます滅入っている。


とある音楽系YouTubeチャンネルで、EaglesではDon Henleyが強権的だったというようなサムネイルの文言に釣られて見てみた。金字塔「Hotel California」でのDonのまさに「ドン」ぶりだ。Eaglesはまず「Take It Easy」で世に出たその功績から、作詞作曲者(Co-writerはいるけれど)Glenn Freyがボスだったはず。そして「呪われた夜(One of These Nights)」辺りから主にボーカリストしてのポテンシャルの高さからDon Henleyがバンド内権力を掌握していったのだろう。


Donの跳梁は間違いないけれど、それでもGlennとDonの両巨頭支配だったと言ってよく、二人が「On the Border」で見せ始め、そして「One of These Nights」で遂げたバンドとしての音楽的飛躍、つまりそれまでのカントリー系の音楽色を一掃しようとし、洗練されたロック音楽へと舵を切ったことで、創立メンバーのBernie Leadonが去り、明らかにC&Wという曲は確かになくなったアルバム「Hotel California」後にRandy Meisnerが去った。そしてなんと楽曲「Hotel California」の実質的な作曲者であるDon Felderをも放逐する。同名アルバムから加入したJoe Walshというギタリストがいれば事足りる、ということだったろう。それらの出入りには必ずDonとGlennのリーダーシップがあった。


Eaglesには私もハマった。Kと池袋西武で「Hotel California」を買ったのは1976年。桜台6丁目の暗い4畳半アパートでそのLPに針を落とし聴いた秋の日は忘れられない。


3年後、私とKはKM君と功くん、松川くんとでバンドを組んだ。最初、私はEaglets(鷲の幼鳥)という名にしようと提案したほどEaglesにゾッコンだった。KもKM君も了承、しかし、特に功くんはBritish Rock志向であったから反発した。ドラマーの松川くんもウェストコースト音楽とジャンル分けされた音楽に興味はなかった。そして結局VIAという名に落ち着いたが、<売れっ子>の松川くんは複数のバンドで叩くようになって、VIAのリハに来られたり来られなかったりした。しかたがない。VIAは本当に素人バンドだったから。


素人バンドにも一丁前に路線対立はあったのだ。そして誰もGlennにもDonにもなれず、結成から3年ほどでバンドは分解した。


懐かしいね。




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