I'll be with you, always, from now on
昨夜仕事が終わってからYouTubeを開くと、幼馴染でsingerの金子光良くん(実名を使っているのでそう記す)が2件のコメントを残してくれているのだった。旧ブログでも彼への感謝の一文(大昔からならもっとだが)を最近したためていたが消えてしまっているので、重複とはならないから(笑)、また書こう。
Kも幼馴染とは厳密には言い難いけれども、長い長い付き合いで、だから私の歌の急所は知っている。しかし、金子くんの場合やはり互いに歌うたいとして分かち合えるところがあるからだろう、そのコメントは沁みる。歌そのものへのまっすぐな感想があるのだ。(Kのがうれしくないとかでは決してないからね。😆)
「The Last Things to Do」という歌は、私が世田谷へ越してきて2年目、つまり2019年に降りてきた。それ以前、すなわち狛江市東和泉の集合住宅で新曲を作るということは長くなかった。自宅に録音環境がなかったというのが大きな理由だったが、そんなことを言ったら都心在住時はもっと狭い部屋で録音をしていたのだから決定的な理由にはならない。歌が降りてこなかったし、呼び込むこともなかったというのが最大の理由だった。
世田谷の自宅に念願の防音室を設置、そこにマイクを立て、大好きな音を出してくれるMartinをある日アルペジオで弾いていると、あの歌がexpressされた。「ex-」=「外へ」、「-press」=「押す」、つまり私のheartとmindの交叉するところから<押し出されてきた>。そういう時というのは本当に自然で、作為はほとんどないのだ。狛江東和泉在住時には詩情が溜まるだけで一向に吐き出されなかったが、録音環境が調うや否や、のことだった。
金子くんは「切なくなったよ」と書いてくれた。「胸に迫った」と。私もそうなのだ。作っておきながら、歌っておきながら、自分で切なくなってしまうのだ。自縄自縛という言葉があるけれど、自作自哀というようなことだ。
しかしそんな哀しみを覚えながら、私は2011年11月のことを思い出す。旧ブログにも書いたが、調布の喜多方ラーメン屋からの帰りに、誰も乗っていないクルマの後部座席からパチパチという音だったか、もう思い出せないが、突然鳴って、私も助手席の義父の娘も驚いて、「なんだ、今の音は」と言っていると姉から電話が来た。「お父ちゃんが亡くなったって」。
そうなのだ。父が来てくれたのだ。(後年の母他界の時はなぜかそういうことはなかった。)
その体験が私にあの歌を歌わせたと言ってもいい。余命はあと1日2日、歌ではまだ生きているけれど、verse 2ではもうこの世からは去って後のことと思ってもらってもいい。
Don't be afraid
I've just come to say good-bye
To you
And to the world
「私」はこの世から辞去する、あるいは辞去した。
けれど、これからは<いつも>一緒だよ。
そんな存在になったのだよ、と。
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