私もさう思つてゐた
先ほどの仙川、東宝撮影所脇。
砧公園は花見客で芋洗い状態(水はないけど)。うんざり。
なんだか頭痛がする。なじょしたべ(=What happened?)
ソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンの子どもでしかもクローンなのはよく知られたことだ。最新の研究では、エドヒガンと<オオシマザクラ&ヤマザクラの雑種>の子だという。エドヒガンもオオシマザクラも元々伊豆半島や伊豆諸島の花木であり、それらはフィリピン海プレートに乗って本州へやってきたのだから、つまりは<生来>南国の花だったのだなあ。そこに奥ゆかしさがあって私が一番好きなサクラ、日本固有種のヤマザクラが絡んだ。
桜を見つつ、頭の中でずっと暗誦していたのは、小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」だったけれど、最近知った「面影の変わらで歳の積もれかしたとい命に限りあるとも」がより切なく響いた。命に限りあるのはいいとしても、老いなく歳を重ねたい、と言うのだ。たくさんいた子どもら、青少年ら、そして二十代、三十代前半くらいまでの人々にはなんら響かぬ歌であろうなあ。
昨日狛江の西河原公園で四五十代の娘さんと桜を眺めていた、足の不自由そうなご年配の女性のうれしそうな表情が忘れられない。「来年は見られるかしら」、「今年また見られてよかった」と顔に書いてあるようだった。私もそう思っていた。
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