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年夜ご挨拶

ご挨拶だけ。 ETVで第9を鑑賞、歌詞にはいろいろツッコみたくなるものはあるけれど、やはり人類の宝だね、この合唱付きのシンフォニー。 もう後は寝るだけ。初詣先だった喜多見不動堂は元日0時からの参拝を受け付けなくなって2年。確かめていないが明日もそうだろう。 このGoogleのBloggerでSeeSaa blog以来のどうでもいいことを書き継いで1年。読んでくださったみなさま、ありがとうございました。また2026年も懲りずに続けます。よろしかったらまたおいでください。 よい年夜(會津弁。大晦日の夜のこと)を引き続きお過ごしください。 MNEMO 拝

2025年大晦日の午後に

今日も細々としたところの掃除。埃拭き、ですな。 * 私は著述家菅野完氏が好きではない。というか、最終的に好きなれない。自分にとって許せない言動に激昂し、「死ね!」と言ってしまう彼の抑制の効かぬところがどうしてもそれこそ許せない。私もそのような呪詛のような言葉を吐くことがあるけれど、それは全くもって心の叫びでしかない。「同じやないか」と関西弁で反論されても、公でそう言うのと心の中の叫びではやはり画然として違う。公をわきまえる<理性>なくして理性を語ることはできないからだ。 それでも、彼のインテレクトと教養、鋭く問題を剔抉する能力の高さにはまず脱帽するし、何より敵対勢力から命を奪われてもおかしくない言論活動を日々しているその勇気にはただただ畏れ入るしかないのだ。 彼を好きにはなれないが、彼が落語の話をするときはほとんど大ファンになってしまう寸前まで行きそうになる。 今日の彼の「See It Now〜朝刊チェック」。奈良の生まれ育ちである 彼は小学校高学年の子どもとして桂枝雀の熱狂的ファンだったそうだ。中1のある日インフルエンザで高熱が出て寝ていると、学校の司書さんが誤って貸し出した当時全く知らない古今亭志ん生のカセットを不満たらたら聴くことになり、フッ飛んだらしい。十八番「火焔太鼓」だったと。「おっかあ、おらあ行ってきたんだ。」「行ってきたから帰ってきたんじゃないか。」のくだりで志ん生に首っ丈になったのだと。江戸落語への侮蔑が一挙に吹き飛び、志ん生ワールドにどっぷりとなり、それから文楽、圓生、小さん、談志、志ん朝らが織りなす東京の寄席文化にハマっていったのだと。 この話が不破哲三日本共産党元議長逝去の話から飛び火するのだ。彼は自称右翼だけれど、とてつもない理論家で筆力無二の不破さんの功績を心から敬服しながら讃えていた。そして話は志位さんや田村さんにはない不破さんの持って生まれた愛嬌、笑顔の魅力に移り、アナロジーとして落語界のことを引き合い出していったのだった。 不破さん。亡き父も不破さんを尊敬していた。父は共産党員ではなかったけれど、赤旗日曜版をずっと購読していた。父の支持理由は戦争反対、それひとつ。あの戦争で唯一反対を唱え弾圧を受けた政党(非合法)である日本共産党を支持するのは、大学生時代に陸軍に徴兵され、川崎で東京大空襲に何もできなかった高射砲部隊兵としての父の慚愧...

吉例 年末九十九里行

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昨日午後は、ここ数年恒例になっている年末九十九里行。新勝寺御本尊のレプリカが建つ尾垂浜に行くのだ。1年無事だったことのお礼参り、さらに2026年のご加護もお願いする。 その後は匝瑳市(旧八日市場市)の「浜っ子」という回転(もうしていないが)寿司屋へ。ネタがすばらしく、もう10回以上は<通っている>。初めて入ったとき、「あわいばら」という珍しい姓の若い板さんと話が弾んで、「また来るね」となった。そして通うこと数回でその「あわいばら」君が茨城・稲敷の佐原東店へ移動になってしまい寂しかったけれど、昨日はやはりこちらの初来店以来見かける板さんに話しかけて、「あわいばら」君の馴染だったことを話すと、「知っています」と言うので俄然うれしくなって、彼は「いとう」さんであること、こっちは東京世田谷から来ている(それも彼は知っていた)九十九里好きの酔狂な「ねもと」であることを聞いたり告げたりして、楽しいひとときだった。 その 「浜っ子」で 義父の娘は冷え切ったと言う体にまずあら汁をいただき温めつつ、心底そのおいしさに感動していた。私はあさり汁。「日本人」であることの幸福をあらためて感じた。私が鮨をつまみつつ呑んだのは山武市蓮沼の酒「梅一輪」一合。私の定番だ。 帰りはもちろんシラフの彼女の運転で帰った。道が空いていて、スムーズだった。8時過ぎにはもう自宅。風呂に入り、朝からの掃除の疲れもあって、あっという間に寝てしまった。 いい晦日だった。

みなに幸あれ!

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  私の好きな、近所の山茶花ロード。 * 大掃除をずっとやっていた。塀際で作業をしていると、これから帰省という人たちとチラホラすれ違った。その中に、お父さんと5歳くらいの息子がガラガラとサムソナイトか何を二人で押している姿があった。 想像した。なぜお母さんがいないのか、と。 もちろんsad storiesばかり浮かんだのではない。けれどもしそうなら、本当に、あの父子に幸あれ! * さて、これから私らも出かける。

今日含めずあと2日かあ

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 もう10年以上昔の今頃に撮った、狛江市西河原公園のモミジ。 今日は娘と孫たちに会うはずだったのだが、下の方の孫が体調悪く断念。年明けて2日か3日のいずれかで会うことになった。 で、今日は庭の手入れ。と或る庭木にすべきではないと言われる樹木(名前はあえて書かない)の剪定だ。本当に難儀する。なんと言っても棘があるからなのだ。そして電動の剪定道具が電池の不具合で使えない。このメーカーからは2回連続で不良品をつかまされた。 いやはや、ヘトヘトになった。 * 世の中は完全に年末年始モードですわな。みながあたたかい年の瀬とお正月を迎えられるといいですなあ。 孤独にこの時期を過ごす方々、もしいらしたらー 寂しいですよね、そりゃ分かる。私も2001年から数年間そうでした。しかしね、独りでいるっていう時間はとても貴重ですよ、負け惜しみじゃなくてね。いろいろ思索したらいいんです。思索は独りでやるもんですし、独りじゃなきゃ集中できない。 ネガティブなことも考えたらいいんです。だってそんなこと他のいつ考えるっていうんですか。「ネガティブ」とかと書いたけれど、つまり生老病死ですよ。ネガもポジもないです。当たり前のことなんですから。 それでも、衣食住だけは本当にしっかりしていてほしいです。厳しい方、れいわ新選組や共産党に頼ってください。自治体とかNPOとかにつなげてくれますよ。(れいわさん、共産党さん、ありがとう!利己政党ばかりの中、あなたがたこそ希望です。) どうか、まず、良い年の瀬を!

霜柱立つ

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義父の娘が今日早朝に出て、元同僚と毎年恒例のこととして築地へ年末年始用のいろいろな食材を買い出しに行ってきた。大晦日はここ十数年義父と3人でETVでの「N響第九」を聴きながら食事をするのが慣わしだ。 写真は去年の今頃世田谷区立大蔵運動場の空に現れた冬の虹。これを撮った日のこと、ちょっと前のこととしか思えない。参った。 ジャネーの法則というのがあるね、19世紀フランスの哲学者ポール・ジャネが提唱したという。「主観的な時間の長さは年齢に反比例する」というやつで、例えば、5歳児にとって1年は人生の20%(1/5)だが、60歳ではおよそ0.017%(1/60)ということになる。人生全体に対する割合が小さくなるため、相対的に短く感じるのだ、と。ぐうの音もでない。 * 今晩御用納め。御用始めは正月4日。 * 今日世田谷は零下になった。 踏み音を求める朝や 霜柱

もう夜の帷が

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  昨日久しぶりに写真を撮った。世田谷区上用賀の馬事公苑だ。ここの視界の広さは近隣に類を見ない。冬至を過ぎたばかりの太陽が低く輝いているけれど、その光度は高く、季節風が塵などを吹き飛ばした空は鮮やかの一言。 競馬とかは一度もやったことはないが、馬という動物の奇跡的な美しさは大好きだ。 * 今日は冬型の気圧配置ではなかったのか、東京はどんよりしている。Mooさんの町はどうだろう、大町は雪のようだけれど。(Mooさんの住まわれる池田町は松本市とほぼ同じ気候であり、そう大雪が降るというようなところではない。一方、池田や松本とそう離れていないのに大町市ははっきり雪国である。) 今日も高3と<楽しい>共通テスト対策授業だ。3時間。それっぽっちと言われそうだが、キツいんだよ。やってごらん。(笑) 朝からずっと準備している。もちろん休み休みだけれど。早く御用納めになりますように(明日だけれど)。 * 関越道の大事故、亡くなられた方々、負傷された方々にお見舞い申し上げます。みなかみ市付近とか?群馬とは云え、あの辺りは豪雪地帯と言っていいのだろう。雪道走行は本当にくれぐれも慎重に! * さてまた英語問題文を読みますか・・・。

いちご畑でつかまえて

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  Twitter (X) はいわゆる「・所の落書き」をworld wideに公開する場と言っていい部分が相当大きいけれども、他の部分では心洗われるようなtweetにも出くわすことができて、それゆえやめられないままになっている。 上の写真は「Strawberry Field Liverpool」が昨日Christmasに上げたもの。目を奪われた。私は1994年にそこに立った。むろん門柱に落書きはしなかった。Johnが「ミミおばさん」と住んだ中流階級の家に程近いChildren's Home、Johnの幼少期に日常的に訪れた場所、 それがStrawberry Fieldなのだ。 No one, I think, is in my tree I mean, it must be high or low That is, you can't, you know, tune in, but it's all right That is, I think it's not too bad 誰一人、思うに、私の木の中にはいない まあ、高いか低いかにちがいないということさ つまり、無理なんだよ、ね、同調するのは、でもいいじゃないか まあ、大して悪いことではないということさ Strawberry Fields Forever (written by Lennon-McCartney。歌では「Fields」と複数形になっている)の一節を、できるだけ忠実に訳してみた。 「私の木」とはすなわち彼の認識世界、Johnが「I」と言っているJohnの魂の存するところ。その魂の波動に同調できる者は結局いないのだと言っている。私がよく言う、「心同じ」ないし「心同じならん」人はいない、ということだ。 子どもの頃から己の天才性に気づいていたというJohnは、その孤独も含めて、写真に映っている木のどれかに実際登って思索し、夢想したかもしれない。 Strawberry Fields Forever でJohnは 、 Yokoさんと出会う直前か 出会ったばかりか の彷徨えるJohnの魂のありさまを、故郷での子ども時代の思い出を重ねて歌ったのだ。 * これまたTwitterで昨日、あるtweetに大笑いした。 <3歳の子が、「ジングルベル、ジングルベル、 つつがなく 」と歌っ...

To Believe Is To Know

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柳田國男が昭和2年成城に住みはじめ、その32年後大江健三郎さんが同じ成城に居を構えたのは偶然ではない。大江さんが民俗学の創始者とも言える柳田の愛読者だったのは有名な話で、あのトレードマーク的丸眼鏡も柳田の影響だという。 私が少ない読書量で柳田の学問世界を総括するようなことを書けるはずもないけれど、もし敢えてそうするなら小林秀雄のそれを援用するに如くはない。 https://www.youtube.com/watch?v=jZX_Jt2tRqs これのチャプター1で語られた柳田のエピソードと小林の解釈こそ、だ。この講演は柳田の『考えるヒント3』(文春文庫)に収められていて、私はだいぶ昔にそれを読み、深く感動したものだ。 池田晶子さんは小林の評論に魅せられた一人で、『新 考えるヒント』という本を出すほどだ。 柳田、大江、小林、池田・・・この4人は結局、唯物論で人、生命、世界、宇宙など語れないという立場であることが共通点だと言ってよかろう。 * 私が17歳の終わり頃に幽霊ないし亡霊を見たことは決定的だったし、29歳、多摩川で子猫チロのオリオンへの昇天時、彼女に背中を触れてもらったこともさらに驚異的であった。それらの経験の意味するところへの洞察が今老齢となってますます深く、そしてさらにさらに決定的になっているー 何を決するのか? 今生の終焉への覚悟だ。

「No religion」とは

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ちょっと前に送られてきた孫娘(2歳)のイタズラ描き。娘のタイトルによれば、「John Lennon?」とのこと。驚くのは、私も描きそうなJohnの鼻であること。左向きの横顔で描くのも、まあ、右利きなら当たり前かもだけれど、私と全く同じ。 John & Yokoの歌が世界中で流れる今日明日。さらに「Happy New Year」とも歌っているから、来年元日までOK。 Johnは IMAGINE で、想像することの中で宗教のない世界も歌詞に含めている。その人がHappy Xmasも何もないじゃないか、と突っ込もうとすれば突っ込める。でも矛盾だらけの言説なんて、別にJohnに限ったことじゃない。 でもね・・・ Johnは<一応>Irishの血脈の中、カトリックだ。George Harrisonも母親がIrish系でカトリックの子どもだった。Johnは聖歌隊で歌ってもいた。父親不在、母とは別居ということで、内省的にならざるを得ない子ども時代、孤児院Strawberry Fieldの近辺で遊びつつ、自分は本当はorphanなのだときっと感じていたに違いない。そこで「孤独とは、人生とは」と大人びた思索も始めていたはずだ。 Johnが歌う宗教がない世界とは、つまりみなが神と一体となっていて、神と人の間にある垣根がなくなっている世界なのだと思う。神や仏が<対象化されない>人間世界だ。 Georgeと一緒にヒンドゥー教やインド哲学に触れていったJohnは、1967年くらいから猛烈に「What Is Life?」について思索し、またそれら以外の思想や宗教にも関心を持ち、勉強していった。神仏との一体感もたとえ瞬間であれ、一刹那であれ、経験したはずだ。ミュージシャンなら珍しいことではないから。 などと書きつつ、Christmas Eveの今晩も私は高3と<おもしろい(皮肉)>共通テストの勉強をする。やる以上全力だ!

Eve Eve

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  まだまだ砧公園の木々は冬枯れを免れています。 * 先ほどちょっと買い物に出たら、新築なった近所の家で子どもたちの甲高い声がし、ドアが開いて着飾った女の子が2人玄関から出てきた。その新築のお家の方が、お子さんの友人たちを招待してクリスマス・パーティーをやったのだろう。 幸せだね。 そのパーティーでJohn & Yokoの Happy Christmas (War Is Over) が部屋でかかっていたらいいなあ。日本が、世界が、2026年が良い年になりますように!

今日私の大晦日

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今日冬至。 生命繚乱の春と夏に向かってまた地球が動き出す(って止まってなかったけど)。 午前5時近くに家を出ると、北風が強く、一般の東京人なら襟を立て、あるいはマフラー(本当はスカーフと言うべき)をきつく締め直すのだろうが、こちらは少なくとも5、6代遡っても父系母系どっちもずっと東北人だから平気の平左。東京の寒さなんて高が知れている。それどころかやはり5分も歩いていればコート内の暖気を逃すほどだ。 會津で本当に寒い朝には、母は「今朝はなんだってカンじっこと」と言ったものだ。「カンじる」とは「骨身に染みるほど寒い」ということだ。そんな寒さ、上京以来およそ半世紀、一度も経験したことはない。 * 今朝は成城方面へと歩いていった。途中1丁目の7-11に立ち寄ると、ニッカボッカ姿のおそらく60歳代と思われる坊主頭の親方(?)が先行して入店していった。私はコーヒーなどを購入、コーヒーマシーンへ移動すると、「親方」がトイレから出てきておにぎり1個だけヒョイと取って深夜シフト勤務の「アリ」君に手渡し、にこやかにその「回教徒」と話し出す。アリ君は見るからに善良そうな青年で、「親方」とはどうも顔馴染みのよう。ここには「日本人ファースト」も民族差別も何もない。 * Mooさんのブログが来年で22年目とのこと。その記事に私のことが書かれていて面映いことでした。そして私が「とりわけ」Mooさんの<執筆活動>継続の励ましを与えたと言うのです。これはもう面映いどころか赤面ですわ。 私も来年ということならブログ開始21年目なのですが、19年分のlogを今年早々失ってしまいましたからね。忘れていた痛みをまたこれ以上感じたくないのでもう触れません。 で、Mooさんは私同様「年相応の『生きる意味』」を考えていこうと仰る。 そうですね、私は大昔「Live Well」を座右の銘としておりました。善く生きるには善きことばを書き、言う人間でなければならない。では「善い」とはどういうことか。「愛がある」あるいは「愛に裏付けられている」ということでしょうね。では「愛」とは何か。例えば、パレスティナで苛烈な爆撃などを生き延び、ボロを着て、撮影者からロリポップをもらって目を輝かす少女の映像を見て心を振動させしむエネルギーですかね。 そのエネルギーが私の心に<難なく>作用する、そんな人間でいること。 Mooさんはもうとっ...

2025 師走雑記 2

今晩はXmasの晩餐を前倒しで楽しんだ。 義父の娘が手間をかけて料理してくれ、義父と共に堪能した。義父が大好きなクラシック音楽を流しつつ・・・なんとも優雅だ。 しかしクラシック音楽とは云え、高尚も何も、いいものはいいのであって、ロック老年の私とて鑑賞できる。聴いたのは、義父が11月にケガをして行けなくなったN響のデュトワさん指揮の回、ラヴェルの数曲、そしてオランダ「マーラー・フェスティバル」に出演したN響の「第3番」。いずれもETVで録画したものだ。 * NYのやすさんから冬至祝いのメッセージ。彼女もそうなのだろうけれど、私は言わずと知れた(?)歳時記中「冬至第一主義者」。そのことを知っていてくれるやすさんの心遣い。 * YouTubeに私が上げている No Woman's Man にまた海外の方からメッセージをいただいた。「Were you the lead singer of EUROX?」というようなことが書かれていた。畏れ入ります。

私は木になりたい

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  2週間前くらい前の二子玉川の土手道。木々どうしが小春日和で気持ち良さそうで、まるで談笑しているように思えた。実際、木々は地下で根を菌糸によって他の木(同種他種を問わず)と結ばれinteractしているというのは今や有名な話。情報と栄養分を交換しているのだ。 * 高市政権「高官」が核武装の必要を記者たちの前でオフレコで発言したという件。怒り沸騰というより、悲しくてしかたがない。恥ずかしい。その「高官」様は広島・長崎における未曾有の悲惨を物心ついて以来どのように捉えてきたのだろう。きっと「この悲惨を繰り返さぬために核武装するのだ」という転倒した思いを抱いたのだろう。 核兵器を保有している国々はもう10に近かろう。数えるのもおぞましい。その国々は今のところ使用していないし、自制している。その中に日本も加わるのだというのだろう。持ったから使うということではない、と。 しかしその核兵器保有国と日本が決定的に違うのは、唯一の戦争被爆国として、圧倒的多数を占める非保有国の核兵器廃絶への願いを実現する運動のリーダーとなる資格と義務があることだ。 その「高官」は、広島・長崎に行けるか?県民たちを前に核兵器抑止論を堂々展開できるか?できるならせよ。できないなら、さっさと辞表を書いて、人類史に汚点を残した自分の言動を死ぬまで猛省してろ。 どうしてこんな国になってしまったの?日本。 その責任の一端を負う戦後生まれの高齢者として、悲しみを抱えつつ、恥じる。

己を己が励ます

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  去年の今頃、馬事公苑へ行ったのだった。すばらしい冬晴れで、青雲の志などという言葉すら浮かんだ。 その頃、私はYouTubeチャンネルで頑張るぞ、などと思っていた。そしてまもなく2024年が終わり、今年になって、意欲がすっかり減退していった。一部には呆れられていることだろう。有言不実行は罪深い。 同級生ですでにこの世を去った人も多くなってきた。また知人の中でも、亡くなる、重い病にかかるという例がいよいよ枚挙にいとまがなくなってきた。 自愛せねばならない、それは明らかだ。そしてそうしてできるだけ命を長らえて、何をするのか、ということなのだ。もうこの歳で嘘っぱちはやりたくないでしょう? いやいや、この歳ですぐれたことができるなんて思い上がってはいない。経験が積み重なったことが、藝として技巧上に資するかと言えばそうは言い切れない。技巧とはどうしてもかなりの部分、肉体と結びつくのだから。では経験は藝の上で何に資するのか。 歌も落語のようなことだろうか。噺家は歳をとってこそ味が出る。これはもう間違いがない。元気のいい咄はもうできないが、落ち着いた深みある噺ができる。それが知らず技巧としても、まさに巧まざる形で、上質なものになっているのだ。 がっちゃんにまたG String時代の私の映像を見せてもらって私は忸怩というべき感情を覚える。それでも、その頃にあったものを失ってしまったけれど、その頃になかったものを得ているに違いないと思いもする。いや、得ている。 それを歌にするんだよ、MNEMO!

「健康のために生きるぞ」〜「で、生きてどうするの?」

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  東京はまだ紅葉・黄葉が残る。サザンカ最高! これは成城4丁目の崖線際の緑地、去年の今頃撮った。 * 風邪の初期症状が出て、昨日は少し気力も減退したのだが、ちょうど1ヶ月後に共通テストを控える高3生に、意地を見せるつもりで頑張った。 今は頭痛などもとれた。 * 昨日は久しぶりに「がっちゃん」から音信。下の動画URLを添付してくれた。 https://youtu.be/Zq04p7COY4g?si=6YCEDwseRsvZnMWJ 28年前・・・彼は「つい最近のような・・・」と書いていた。 * 「食べるために生き、生きるために食べる」は大抵の人の人生の様相だろう。しかし、生きること自体が目的となっているようなことなら、なんという悲惨だろうか。 こんなことを書くのは何も池田さんと大峯先生の対談を読んだからということではない。30歳位で紀野一義先生の著作に出会い、ついで中村元先生の絶筆とも言える本も読み、同時期にカール・セイガン、ミヒャエル・エンデ、シャーリー・マクレーン、そして著述をし始めた当時まだ東大の解剖学教授だった養老孟司さんの本を読んだ。全てから大きな影響を受けたけれども、中でも「唯仏与仏」的紀野先生の仏教の御本はひたすらに明るく、読むたび気分が良くなるから大好きになった。先生が狛江・多摩川のほとりにお住まいだとはその本の中で触れられていたから、「この明るさ、気分の良さは同じ多摩川の四季を愛で、同じ空気を吸っているからだ」とも思っていた。 ずっと、「俺はどう生きるか」を考えてきたのだ。 そして40歳代、中島義道さんの<「死んだらおしまい」シリーズ(私による勝手な命名)>を読み出す。中島さんは東大科学哲学の恩師大森荘蔵氏を囲む集まりで池田晶子さんを数回見かけるようになり、そこでのエピソードを、彼女が他界した2007年『人生に生きる価値はない』(新潮文庫)で記している。さすがの筆致で、その場が見えるようなのだ。 池田さんは考えるために生きた人だった。実際「JJ」のモデルもした「とびきりの美人(by中島)」の慶應ガール(!)は、<その事実だけ>で他が羨む人生を送れたに違いないが、そんなことは眼中にちっともなかった人だった。当たり前とされることの不思議を考え抜き、晩年は中島さんと違って「評論家」小林秀雄に傾倒、さらに大峯先生という文学博士号をもつ真宗僧侶と対談...

2025 師走のmorgenに妄言す

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  国会でれいわ新選組の奥田ふみよさんがたった5分の時間配分で政府・与党の欺瞞を痛烈に指弾した。 今日から我が家の米は11月中旬にMooさんからいただいた安曇野池田米。それまでは高い會津米を食していたが、安曇野米も劣らずおいしい。この米がなくなればまた會津米を買うことになるけれど、お上からいただけるのか、「お米券」3000円分。庶民にすればありがたき幸せながら、・・・5kgも買えない。お上、これで物価高対策でござりまするか。 世の中、6割の家庭が生活が苦しいと訴えているという。Xmasだ、大晦日だ、お正月だと家族全員がウキウキしている家庭はおそらくだから4割。「人並みの」年末年始を送れぬ家庭の子どもたちのことを思う。そして、思うだけ。クソ爺だな、俺は。歳末助け合いに少額の寄付をするくらい。 * 重篤な病にかかってしまったX氏から昨日病状報告がLINEに。薬が効いていて数字が相当に良く、うれしそうで、私も胸を撫で下ろす。快復したらいろいろしようと書いた。X氏も楽しみにしてくれている。 * 北海道北見市の「冨之介」さんから鮭が一本届いた。ちゃんと切り身になっているのがありがたい。サケの不漁は耳にするところ、高級魚もいいところ。冨之介さんは今高校の嘱託教師。ずっと英語教師をしていた。たった2年ちょっとくらいの東京の塾での付き合いだったのに、私を忘れないでいてくださる。Mooさんも東京でのお付き合いは実質それくらいと言っていい。Mooさんは数学教師。本当にありがたいご縁だ。 北見は大雪で、冨之介さんは一両日で「5時間除雪」したと。雪のないところに暮らしたいと弱音。Mooさんの池田町は、零下7度の冷え込みだそうで、弱々しい朝日に照らされた凍てついた山々の景が氏のブログに掲載されている。 https://moo-new.hatenablog.com/ 上で「北アルプス」とか「後立山連峰」とかと書こうかと思ったが、幸夫ちゃんの「アルプスなんてなぜヨーロッパの山々の呼称を使うのか」という憤りに触れ、また、Mooさんの「富山の立山連峰の『後ろ』などとなぜ呼ぶのか」という疑問にも触れて、今回ただ「山々」とした。しかし「安曇野から見える西の高い山々」では情緒がない。「フォッサマグナ西端の高山群」ではもっとか。むずかしいものだ。 私は登山モノの番組が好きだ。BSでもYouTubeで...

いや、今「私」と一緒にいる

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今朝未明、世田谷区砧8丁目を歩いていると、なんだか賑やかなお家が。きっとちっちゃな子がいるお父さん、お母さん、土日にがんばって飾ったんだね。 * 池田晶子さんも、大峯先生も、そしてもちろん多くのお二人が敬愛する古代から現代までの大思想家たちも、存在することの不思議、命の不思議、死の不思議を考え抜き、他界して行ったのだなあと嘆息をつく。 そんなことをひとつも考えずにこの世を去る人も多いに違いない。いや、圧倒的多数か?それでも、人生の終盤、あるいはどん詰まった折には、さすがに少なくとも生死のことを考えないではいられないだろう。 悔いなき人生であった、などと思いながら世を去れる人はどれほどいるのだろう。生まれた以上死ぬのは当然と自若の境地で末期を迎えられる人は? 池田さんの死への恬淡とした態度には神仏は不要であった。まるで死を恐れなかった(その理由がなかった)彼女は、臨終では「いよいよ死んだらどうなるかが分かるのか」と興味津々としていたかもしれない。大峯先生はむろん阿弥陀様に救っていただけるのだと名号を唱えるだけだったろう。 未明4時半過ぎに家を出ると、オリオンがもうほとんど見えなくなっていた。「ということは、東に蠍座」と振り返る。残念ながら建物と若干の雲で<あのS字>の星座は見えなかった。 冬なのに、まだ暗いのに、もうオリオンが見えなくなる時間があるようになった。 大峯先生は、若き頃故郷奈良の吉野で星空を見て圧倒される経験をし、なのに他の人々がその星空を気にも留めないことに驚いたという。凄まじく深い時空間にポツンと「私」というものがいる不思議に絡めとられ、のち京都大学で哲学を学ぶことになる。 「私」と言っていた大峯顯の魂は今浄土に在るか。やはり「私」と言っていた池田晶子の魂はあの世でもまた哲学しているか。 

魂の不滅とはかういふこと

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今日は義父の娘の誕生日。 昨夜義父と3人でお祝いを済ませた。彼女は最近転勤の話をもらったのだが、現ボスが「余人を以て代え難い」との激賞で今のポストに留まってほしいとその話を上のレベルで断ってしまった。勤務地が近くなるので喜んでいたのだが・・・しかたがないか。本人は当然ということか、うれしそうであった。 * John Lennonの「次男」SeanがTwitterで<父母が70年代平和運動をしていた頃、今これほど暴力に満ちる世になっているとは思いもしなかったはずだ>というようなことをtweetしていた。 * 池田晶子さんと大峯顯先生の対談集が昨日届き、今読んでいる。至福の時間だ。池田さんが晩年、浄土真宗僧侶でもある大阪大学名誉教授の大峯先生とつながっていたとは本当に驚きではあったが、私が敬服する両思想家が互いを惹きあっていた事実を心から喜びながらお二人のことばを噛みしめて読んでいる。ページが尽きなければいいのに、と思いつつ。 やはり敬服する碩学養老孟司さんも池田さんも、まるで仏教とはつながらずに思索を重ねているうちにブッダの教えに接近しているという事実にもあらためて驚嘆する。まあ、言ってしまえば唯識に近づく、ということだ。 『君自身に還れ 〜知と信を巡る対話』本願寺出版社刊 出版は2007年、池田さんが亡くなる年だ。最晩年のことば、ということになる。 そして彼女の魂は今も生きている。 (なお、大峯先生は2018年、87歳で逝去されています。)

If there's nothing to write about, don't write

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今日は娘の誕生日。なんと34歳になる。今度会うのは今月末、つまりは年の瀬も押し詰まった頃となる。待ち遠しい。 * 東京は久しぶりの雨である。未明散歩に出たとき、なかなかの降りだった。寒いし、自分でもよくまあこんな時に歩きになど出るもんだと思ったが、体を動かさなきゃとウズウズするのだから大したもんだ。 * 我が家のクルマは、冬季に1週間でもエンジンを回さないでいるとバッテリーが上がってしまう。古いクルマではないのだが、この頃のクルマは、基本的に、動かしていなくとも常時相当量の電気を食っているのだとJAFの人が去年言っていた。 * 将棋初心者はまず「三手の読み」ができるようになることが大事と大昔ある棋士が言っていた。「自分がこう指すと、相手はああ来るだろう。それなら自分はこう応じる」ということだ。初心者やヘボはそれすらおぼつかない。 「自分がこんなことを言ったりやったりしたら、相手はどう反応するだろう」という二手の読みすらできぬ政治家がいっぱいいるようだ。愕然とする。 * MNEMOさんはどうして突然舊假名遣ひで書いたりするのと思ふ向きがあるかもしれない。いやね、なんだかさう書きたくなるのですよ、突然ね。新仮名より字面も好い感じがするし。ただね、舊假名で書く以上は、漢字も正字で書きたいのですが、まあ、変換に時間がかかり過ぎる。それが面倒でね。 * 「書くことないんでせう?」と何方かに言はれさうですな。ええ、さうなんです。つまらぬ記事となりました・・・ いつもか。

本が届くのが待ち遠しい

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  去年の今頃、世田谷区岡本2丁目で撮ったある邸宅の低いフェンス越しに咲く白菊。ちょうどこの家の奥方と思しき人が高級車で帰ってきて、私に怪訝の視線を向けたので、「すみません、お宅さまの菊があまりに見事で」と言うと、きつい表情が一瞬緩み、「あ、そうですか」と言って車庫入れのためクルマに戻った。 この写真の奥は多摩川の後背低地、つまりは河岸段丘下の低地であり、対面する川崎市の多摩丘陵、そしてそのはるか向こうには丹沢山地、その背後に富士が見える。そんなところゆえ、ここは高級住宅地だ。 * この頃の散歩のお供は故・池田晶子さんの著作を朗読するチャンネルだ。池田さんは46歳で他界されている。私と同世代。「死は存在しない」と常日頃主張し、墓碑銘には「さて死んだのは誰なのか」と刻ませようかと絶筆(であろう)で書いたこの思想家の明晰なことばに完全に<気を取られつつ>歩く深夜ないし未明散歩はいいものだ。 彼女は港区三田の人で、慶應女子高、慶應義塾大学文学部哲学科卒業というのだから、徹底した三田人だ。容姿にも恵まれた「考える人」は薄命だったが、お説の通り、精神は不死のままで(あって不思議ではないとされていた)、out of nowhereというしかたで、彼女の思想に魅了された者たちに現前するのだ。 今、彼女と故・大峯顯先生との対談集があるというので注文、届くのを待っている。2002年か2003年、大峯先生の放送大学テキストを総武本線の電車内で18世紀の詩人ヘルダーリン(ドイツ語としては「ヘルダリーン」の方がより正しい)についての文を拝読中、南酒々井駅に電車が止まり、ドアが開いた瞬間に洪水のように車内に入ってきたヒグラシの大合唱で全身を貫かれたような体験が忘れられない。一瞬の<さとり>のようであった。 池田さんと大峯先生がどんなことを話される・・・話された、のか。

心も冬ざれ 〜しかし楽し

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今こそが私の一番好きな季節なのだ。いや、その季節のピークと言ふべき時期があるとすればもうそれは過ぎてゐる。けれども、相変はらずまだ「その季節」にゐる。 もう何年同じやうに思つてきたことか。そしてそのたびに、あつといふ間にその季節が去つていつてしまひ、また来年も愛ほしくそれを迎へられるだらうかと不安を抱くのだ。 私は寂しがり屋だ?つまり誰かしらと交誼交友を求めがちな人間だといふことか。しかし「だつた」のは認めるけれど、今はもうそんなことはない。「心同じなる」あるいは「心同じならん」人を求めることは今、なくなつた。 人と心を通はせること自体を厭ふのではない。さういふ機会が降つて湧いてくるのなら歓迎する。ただ、今はさういふ機会を積極的に求めることはもうしない、したくない、面倒臭いのだ。 ほんたうに 君は孤獨を厭ふのか 落ちる枯葉は 讃へてゐるぞ 嘘つぱちの 友情とても 暇つぶし しかし潰して 何ぞ残らん 落ち葉踏む 獨りがゆゑに 音の澄む さあ、今日も冬ざれの中短日を楽しもうぞ!

周りを絶やせ?

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成城4丁目、野川脇の緑地、おととしの景。最も高い木はメタセコイアだと思うけれど、最近、やはり紅葉し落葉する針葉樹ヌマスギの存在を知って、近種どうしなので確信が持てなくなった。 そのメタセコイアの仲間のうち、北米のジャイアント・セコイア(セコイア・デンドロン)は樹高90メートル、体積は 1,486立方メートル、重さ1,256トンに達するような世界最大の樹木だそうだが、この<子>、背を伸ばすのは生存戦略の一環であって、落雷をわざと誘発するのだと。それで森林火災を起こし、周りの養分を取り合う植物たちを一掃するのだと。また、松ぼっくりのような硬い球果が焼かれることで開き、種子を撒き散らす。自分は熱い樹皮と内部に耐火物質を生成しており、生き残るのだ。驚異だ。 * 共同通信の調査で「日中戦争」を肯定する日本国民が「5割弱」いるのだそう。この数字が本当ならいよいよ日本は先の大戦・敗戦までの教訓を忘れ去る時代に入ったのだと言える。子や孫へ移住を勧める日がそう遠くない将来に来るかも知れない。 愚かすぎて、泣きたくなる。

日活の古い映画を見つつ

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  YouTubeでは今日活が昭和30年代の全盛期に撮った映画を無料で公開している。 日活は調布撮影所。私が狛江在住時には、程近いところに在り、何度その前を通ったか知れない。ロケでない限り、あの多摩川のほとりで多くのシーンが撮られたのだ。 吉永小百合さんの『ガラスの中の少女』などは、地下鉄の四谷駅がロケ先で、私が大学時代通ったあの辺りの風景が少しは重なったが、もうその時点で映画に映る四谷はもはや古めかしかった。重なったのは地下鉄の駅舎と聖イグナチオ教会だけ。どんなに東京が、日本が、急速に変化したかがよく分かる。 吉永さんのお相手は浜田光夫さんが多く、私はチビの頃からこの浜田さんが小百合さんにはふさわしくないと思っていて不満だった。「こんな美しいお姉ちゃんが、こんなどこでもいそうな兄ちゃんに恋するなんておかしい!」と思っていた。ねたましかった。 美少女の<定義>はさほど今も変わっていまい。しかし当時男のハンサムさについてはちょっと違っていたか?というか、ハンサムの幅が広かったのか。失礼ながら石原裕次郎さんだって決して美形だとは思えなかった。高橋英樹さんなら文句なかった。(笑) 吉永小百合さんに当時の男たちが熱狂したのはよく分かる。しかし、私はここでも臍曲がりで、吉永さんより、当時彼女と共に超美人女優と並び称された栗原小巻さんの方が好きだった。それを言ったら、酒井和歌子さんも大好きだったし、藤村志保さんも。マセたチビだった。 今日は『事件記者』の冒頭部分だけ見た。これはNHKの連続ドラマだったものを日活が映画化したものだ。父が楽しみにしていた番組であって、夕食後の団欒で家族全員で見たものだ。俳優さんたちはみな懐かしい顔ばかり。 いかに自分が歳であるかも再確認させられる。 あの頃の「自分」を「自分」であると今思っているその<主体>は何なのか、などと池田晶子さんのように思いながら。

おめでたい人間のままで

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  今日の、成城3丁目、明正小学校脇の緑地 昨日今日(日本時間&米国時間)とJohnの命日で何かそれなりのことを書こうとか思っていても、書けず、結局断念。なにしろあの日から45年も経った。 * 中国嫌いの人の声が一部では喧しいようだ。ええ、私にとっても現中国なんてちっとも住みたいと思わないところだ。旅行であっても行く気がしない。ひとえに独裁体制のせいだ。国の体を為すためには、強権的中央政府がなければどうにもならないというような国家的事情があり、あの国がそういうphaseにいるというのも分からないでもないが、しかし、人類がなんとか到達した、完璧ではないにせよ今のところどの政治制度的アイディアよりマシな民主主義でどんな国であれ一致すべきだと考えている私にはやはり到底受け入れ難い。(なお、独裁を望む国民が多数故の独裁体制も民主主義の結果だと言われてしまえばそれはそうだけれども、政権交代が保障されることを私は「民主主義」国の必須条件としたい。) それでも、中国人一人ひとりは同じ人間だ。 “It's really a wonder that I haven't dropped all my ideals, because they seem so absurd and impossible to carry out. Yet I keep them, because in spite of everything, I still believe that people are really good at heart.” ―  Anne Frank  「私が 自分の理想を全部は捨てていないのが本当に不思議です。あまりにも馬鹿げていて、実行 不可能に思えるからです。それでも私は理想を捨てずにいます。なぜなら、どんなこと があっても、人は心の底では本当に善良だと信じているからです。」 アンネはナチスの迫害の中ですら、こう言っている。私もどんな人間もgood at heartだと信じたい。Johnなら「brotherhood of man」か。そしてそれがいつも反証されっぱなしであろうと、最期まで信じていたい。

冬の夜のしじまで沁み入ったことば

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 写真は去年の今頃撮った日没頃のNHK技研の広場 昨夜このNHK技研の遊歩道も含めて、近隣を歩いた。Creedence Clearwater Revivalの I Heard It Through the Grapevine と Someday Never Comes をYouTubeの再生リストに入れて、それら70年代のヒットソングズを聴きながら歩こうとYouTubeを開くと、おすすめに故・池田晶子さんの著作を朗読するチャンネルが示されて、なんとまあ、惹かれてしまった。 東京・世田谷とは云え、人気がほとんどなくなる午前0時過ぎ、読み手は素人で聴きにくかったけれど、ほぼ雑音なき大蔵地区の道では池田さんの明晰なことばが沁み入るようであった。見上げれば十六夜の月と、冬の星座たち。 「自分」というのは、名前でなければ、身分でもない。体でなければ、心でもない。ないないづくしで、どこにもない。それが「自分」というものだけど、だからといって、自分など「ない」というのでもない。何を「自分」と思うかで、その人の自分は決まっている。 という一節を、日大商学部キャンパス脇の「水道道路」を歩いているときに聴いた。 これを咀嚼してさらに味読すると、私が歌を歌うときの理想であり、また稀ではあれそれを叶えたときの境地を彼女は言っていると思えて、立ち止まった。 Feel Me という私の歌がある。Feel me whenever you feel the wind blow「風が吹くのを感じたらいつでも私を感じてくれ」と私は歌う。「自分」はそのとき「風」なのだ、と。 歌を歌うとは、歌う者が歌われることばになることなのだ。

<しかつの>らしい話

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  今日は鹿島アントラーズの9年ぶりJリーグ優勝に尽きる。私はリーグ発足以来の鹿島ファン、ただし熱心でなんか全くない。祝う資格すらないかも。それでももうとても着られない9年前の優勝記念Tシャツを持っているよ。 Zicoさんが鹿島を導き続け、鬼木さんがJリーグ最多優勝5回の監督となった。レオ・セアラが21得点で得点王になり、teamは勝ち点1差で柏レイソルに競り勝って9回目の優勝、他のタイトルを含め22冠を手にした<鹿島の総タイトル数は、リーグ優勝9+天皇杯5+ルヴァン杯3+スーパーカップ5+ACL1>。 メンバーみんなすばらしかった。MVPはきっとレオ・セアラだろうけれど、GKの早川も劣らぬ活躍だったと思う。それぞれ攻撃と防御の大ヒーローだ。 鹿島のファンである理由は旧ブログに書いたけれど、それが失われた今子孫のために再び書けば、Jリーグ発足時のZicoの心意気に惚れたのがまず第一。そして根本という姓は茨城県で生まれたからだ。特に稲敷郡美浦(みほ)村にズバリ「根本」という地区がある。 福島県二本松市出身の父方の祖父・平喜の祖先は、だから、茨城から福島県のいわきなどの浜通りへ北上し、さらに県中央部の二本松や郡山、福島市の方まで進出した根本姓のclanの一員だったに違いない。 美浦村はアントラーズの拠点(鹿行地域の諸都市)には残念ながら入らないけれど、まあ、仲間に入れてやってくださいな。 アントラーズ、優勝おめでとう! こうしてサッカーで命燃やせる平和を守っていきましょうね、ファンのみなさん!サッカーファン、野球ファン、いろいろなスポーツのファンのみなさん、平和あってのスポーツです、戦争をしない政党に必ず1票入れてね! ・・・まあ、そんな<しかつめ>らしい話はここらにして。<鹿角(しかつの)=antlers>らしい話をまた2026年も楽しくしていきましょう!

不感冒秘密ヒ

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英語をお教えしている生徒さんが数人インフルエンザにかかってしまった。流行っているんだね。 私は2000年の12月以来インフルエンザにかかっていない。おっと、これについては書いたばっかりか?忘れちまった。 四半世紀かかっていないのだから、秘訣を言ってもいいだろう。 まず、2012年までは人前によく出ていたからなんとも言えないが、それ以降はon-lineの仕事となったことは大きかろう。そして茶を頻繁に飲むこと。冬季は欠かさず蜜柑を食べていること。葱が大好きなこと。まめに手の消毒をすること。さらには、無理をしない・・・総じて怠け者になったこと。 みなさま、お気をつけて。

2025 師走雑記

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 今日日没前の二子玉川河川敷にて 今日は旧読売ジャイアンツの多摩川練習場跡(今は大田区?の硬式野球場)まで自転車散歩。途中工事が進行していて、見ると、なんとまあ、新しい橋が架かるらしい。世田谷区と川崎市高津区を結ぶ仮称「等々力大橋」だそう。いやあ、すごいなあ。狛江と川崎市多摩区を結ぶ多摩水道橋と大田区田園調布本町と川崎市中原区を結ぶ丸子橋の間にもう1本橋が架かればなあと夢見て(!)いたけれど、とうとう。とは云え、そうなったから直接何がメリットなのかは何も浮かばないけれど、まあ、potteringするルートが増えるっていうことでちょっとうれしい。 その今日のpottering中、多摩川の土手下道で出会う人の3割ほどが欧米人とインド人らしき南アジア人だった。驚くべき比率。中国人や韓国人もいたかもしれない。Rakutenの近くとか、本当に多い。さらに、田園調布4丁目の道では欧米人3人がみな犬連れだった。つまり住人だ。すごいところに住めるんですなあ。 * YouTubeで、きっとKの「闘病記」関連でだろう、若い女性の深刻な末期癌闘病Vlogに出会った。本当に身につまされる。どうしてこんな若くして、余命宣告されてしまうような重篤な病気に罹らねばならないのだろう。その問いはもちろんまさにその当事者の命を懸けた問いなのだ。 「死にたくない」、「生きたい」と号泣しながら訴えるまだ20代の女性。 哲学的かあるいは宗教的な<答え>しかありえない。この世に未練がすさまじくある人には、来世を信じてもらうしかない。それ以外の答えはおそらく全く心に響くまい。そして来世を信じられないなら、生にしがみつきたいのにまもなく命の火が消える人には、最期まで生き地獄になってしまうことも多かろう。 そのビデオを見たら、次々と同じ境遇にいる若い女性たちの同種のビデオが紹介されるのだった。お一人は、この九月、辛い抗がん剤治療や手術に耐えたご褒美で會津若松の東山温泉にお母上らと行った様子を上げていた。ウィッグをしての温泉旅行だった。起き上がり小法師を愛でる女性だった。涙が出た。

I Want It. You Too.

WAR IS OVER https://youtu.be/W68-XaFepOg?si=4QH_849W2dBmk3BT If You Want It

Singer MNEMO、夜の公<園>

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  昨夜というか今日の午前0時すぎ、久しぶりに夜の砧公園で歌った。 この時季、そして深夜である、誰一人ともすれ違わなかった。 ポイントは声帯が健在かということ。クルマの中で歌ったりはしてきたけれど、高音部はほぼファルセットになる。いわゆる地声でPaul McCartney、Art Garfunkel、Roberbt Plant、Pete Ceteraなどの声域をカバーできるか・・・ほぼできたような、心許ないような。 帰ってきてYouTubeを開けると、声域カバー目標歌手の一人Joe Walshの2015年におけるライブ演奏ビデオが「おすすめ」に。 A Life of Illusion であったが、68歳当時の彼は、もはや自分の歌をまともには唄えていなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=jh_FJaNx804 Paulだって、精力的に公演を重ねていて立派の一言と言いたいけれど、今83歳、もう高い声が全く出なくなって久しく、私には痛々しく感じる。 精力的な天才シンガーたちと怠惰な三流以下のシンガーである私を比べても意味はない。人前で歌うということを避けているような歌唄いが、声帯酷使することなく老境に至って「まだなんとか若い頃にそう劣らず声が出る」などとホザいても空しい。 それは分かりつつも、まあ、そうホザくのを許して。これから歌いますから。

lockとunlock

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  昨日の砧公園、この楓の数メートル東は東名高速終点用賀出口付近。 「万華鏡かよ」思わず叫んだfoliages * 大昔になるが、狛江市の東野川に暮らしていたとき、都道(松原通り)わきのかつては明らかに農道であったろう小道に夫婦経営の目立たないことこの上ない小さな札幌ラーメン屋があった。屋号は忘れてしまった。ここの焼肉定食だったか生姜焼き定食だったかも忘れてしまったが、それがおいしくてよく通った。テーブルが2つ、3人座ればもういっぱいのカウンターがあったか。なにしろ狭い店だった。 薄汚れた壁に色紙が一枚。見ると日活俳優宍戸錠さんによるものだった。手慣れてササっと描いたであろう似顔絵付きのいわゆる「サイン」。「え?あの日活のスターがこんな店に?」とお店のご夫婦には失礼ながら思った。 世田谷区に暮らした宍戸さんは上述通り日活のスターだったから、ご自宅は調布撮影所に近い方の上祖師谷に在った。成城の北隣、都立祖師谷公園に隣接する住宅地だ。12年前に全焼し、今はもう土地も売られて建売住宅が4軒建っているそうだ。 日活の相棒だった石原裕次郎さんの成城の自宅からもそう遠くない。そしてもちろん、裕次郎さんは狛江の名もない狭小なラーメン屋で食事することなど一切なかったろう。「気取らない人だったのだなあ」と私は定食をいただきながら思ったものだ。「いいなあ」と。 だから宍戸さんの色紙をとてもよく覚えている。 その宍戸錠さんのご長男でやはり俳優の開(かい)さんがTwitterでよく政権批判の投稿をされている。私が彼を最後にTVで見たのは、ETV(NHK)の「アラビア語講座」でだった。もう10年以上昔ではないか。 おかしいことをおかしいと特に人気商売の人が言うのはこの「美しい国日本」ではリスクがありすぎる。開さんを私が全くTVで見なくなったのは、むろん地上波TV自体を全く見ないからというのもあるけれど、もしかするとその政治的姿勢がTV界から嫌われているからというのもあるのか。 開さんの演技をしっかり拝見したのは『刑事・鬼貫八郎』シリーズの第4、5、6回でのことであった。その3回の制作は1994年から1996年のことであって、私はリアルタイムでは見ておらず、CSでの放送で10年ほど前に見たのだった。宍戸さんは若い刑事役で、好演だった。 ご活躍を祈る。 * その「鬼貫」さんを演じた大地康...

タイトルは「Roxanne」ならぬ「Yokusan」

Mooさんがヒトラーとナチスドイツについての記事を連載をされている。  私のTwitterのTL上ではミュージシャンの政治に関する発言、それへの一部からの非難とその結果についてのtweetsが流れてくる。言論弾圧、表現の自由への侵害が顕著になり、体制翼賛していれば波風が立たないというような風潮・傾向はますます強くなりつつある。 ミュージシャンは、どのくらいまで知名度が上がれば「公人」となるのか知らないが、たとえば首相を「バカ」と言ったぐらいで表現活動が脅かされるのを我慢せねばならない存在なのだろうか。むろん「バカ」と他人を罵るのは子どもレベルで親に叱られるべき行為だ。「情弱」とか「不勉強」とか「軽率にすぎる」と言い換えていたら違っていたかもしれないが、しかし、特にロックをやっているミュージシャンに<棘>がなかったら、一体何を歌い、何を表現したらいいのか。そんな音楽ジャンルすらなくなれと言われるのがオチなのだろうけれど、その偏狭で貧困な精神の人々のことを慮りながらロッカーをやっていくなんて本末転倒でしかない。 中国では日本人歌手がアニメの主題歌を歌っている最中に照明が落とされ、マイクが音を拾わなくなったそうだ。中国政府当局の嫌がらせとしか言いようがない。「だから中国は」と悪口雑言をさらに吐きたくなる「日本人」は多かろう。しかし、為政者を非難する「日本人」ミュージシャンに謝罪を事実上強制するこの国の状況は中国とどう違っていて、どこが自由で優れていると言うのか。 YouTubeでは、在日中国人の人気チャンネルがあって、「中国には帰れない」、「日本は自由だ」、「日本の文化は豊かだ」と<ヨイショ>とも思える内容を流す。申請が何度も通らず日本への帰化をあきらめたロシア人YouTuber「安曇野あしや」さんも「ロシアには帰れない」と涙する。ともに独裁国家の国民である自分を嘆き、日本に希望と活路を見出そうとしている人たちだ。 でももう、日本もダメかもよ・・・ ロックミュージシャンが為政者を「バカ」と言って謝罪に追い込まれるんだから。おかしいことをおかしいと言って「パヨク」だの「日本人じゃない」などと言われる現況では。 よっしゃ、<英語で>今の日本のおかしさを歌ってやる! 笑