いちご畑でつかまえて
Twitter (X) はいわゆる「・所の落書き」をworld wideに公開する場と言っていい部分が相当大きいけれども、他の部分では心洗われるようなtweetにも出くわすことができて、それゆえやめられないままになっている。
上の写真は「Strawberry Field Liverpool」が昨日Christmasに上げたもの。目を奪われた。私は1994年にそこに立った。むろん門柱に落書きはしなかった。Johnが「ミミおばさん」と住んだ中流階級の家に程近いChildren's Home、Johnの幼少期に日常的に訪れた場所、それがStrawberry Fieldなのだ。
No one, I think, is in my tree
I mean, it must be high or low
That is, you can't, you know, tune in, but it's all right
That is, I think it's not too bad
誰一人、思うに、私の木の中にはいない
まあ、高いか低いかにちがいないということさ
つまり、無理なんだよ、ね、同調するのは、でもいいじゃないか
まあ、大して悪いことではないということさ
Strawberry Fields Forever (written by Lennon-McCartney。歌では「Fields」と複数形になっている)の一節を、できるだけ忠実に訳してみた。
「私の木」とはすなわち彼の認識世界、Johnが「I」と言っているJohnの魂の存するところ。その魂の波動に同調できる者は結局いないのだと言っている。私がよく言う、「心同じ」ないし「心同じならん」人はいない、ということだ。
子どもの頃から己の天才性に気づいていたというJohnは、その孤独も含めて、写真に映っている木のどれかに実際登って思索し、夢想したかもしれない。
Strawberry Fields ForeverでJohnは、Yokoさんと出会う直前か出会ったばかりかの彷徨えるJohnの魂のありさまを、故郷での子ども時代の思い出を重ねて歌ったのだ。
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これまたTwitterで昨日、あるtweetに大笑いした。
<3歳の子が、「ジングルベル、ジングルベル、つつがなく」と歌っている>と報告する父親のつぶやきだ。すばらしすぎる。どんな3歳児だ。

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