己を己が励ます
去年の今頃、馬事公苑へ行ったのだった。すばらしい冬晴れで、青雲の志などという言葉すら浮かんだ。
その頃、私はYouTubeチャンネルで頑張るぞ、などと思っていた。そしてまもなく2024年が終わり、今年になって、意欲がすっかり減退していった。一部には呆れられていることだろう。有言不実行は罪深い。
同級生ですでにこの世を去った人も多くなってきた。また知人の中でも、亡くなる、重い病にかかるという例がいよいよ枚挙にいとまがなくなってきた。
自愛せねばならない、それは明らかだ。そしてそうしてできるだけ命を長らえて、何をするのか、ということなのだ。もうこの歳で嘘っぱちはやりたくないでしょう?
いやいや、この歳ですぐれたことができるなんて思い上がってはいない。経験が積み重なったことが、藝として技巧上に資するかと言えばそうは言い切れない。技巧とはどうしてもかなりの部分、肉体と結びつくのだから。では経験は藝の上で何に資するのか。
歌も落語のようなことだろうか。噺家は歳をとってこそ味が出る。これはもう間違いがない。元気のいい咄はもうできないが、落ち着いた深みある噺ができる。それが知らず技巧としても、まさに巧まざる形で、上質なものになっているのだ。
がっちゃんにまたG String時代の私の映像を見せてもらって私は忸怩というべき感情を覚える。それでも、その頃にあったものを失ってしまったけれど、その頃になかったものを得ているに違いないと思いもする。いや、得ている。
それを歌にするんだよ、MNEMO!

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