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お茶飲まんしょ

今日で九月も終わり。 なんだかしっかり寒くならない。十月も高温高湿度傾向が続くのか。うんざり。今朝は昨日よりはちょっとマシ、気温だけは数度低かったろう。 * 写真を載せても読んでくださる人の多寡には関係がないようだ。え?自己承認欲求が強いことをまた書いているって?いやいや、書いて公開している以上はむろん気になるでしょう、訪問者数。全然自然なことだ。 でも前にも書いたように、これはなにしろ子や孫へのいつかは<遺された>と形容されるメッセージだと思って書き進めるに如くはない。 * 今お茶を淹れた。父の実家は時計店を名乗っていた商家だったが、祖父の商うものは時計ばかりではなく、万年筆、宝石、印鑑、新聞、電化製品(主に蓄音機!東芝の特約店だった)、レコード、そしてお茶も。「根本園」というブランドすら持っていた。 祖父は私が4、5歳の頃に他界、祖母が店の主となって、おそらく祖父と同じようにして(私は覚えていない)、店舗全体を睥睨できる座敷で長火鉢を前に座り店番をしていたものだった。祖母は「上客」が来ると、「お茶飲まんしょ」と言って座敷に上げたりした。 「お茶飲まんしょ。」 私は自分で茶を淹れるとき、祖母の口調を真似て必ず言う。自分に「お飲みなさいませ」もないわけだけれど。 祖母は福島市の東、旧・霊山町(今の伊達市)の出身、旧姓は橋本、名は「けさよ」と言った。「飲まんしょ」はきっと中通り(福島県の東北本線沿いの東西領域)では通じはしても言わないだろう。これも中通りは二本松出身の祖父も會津弁の話者では元々ないから、會津に来て、郷に入って郷に従って身につけたdialectなのだろう。祖父なら「お茶飲んでがんしょ」と言ったろう。標準語なら「飲んでいきなさいよ」というところ。

菅原さん、ありがとうございました

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大蔵運動公園から撮影した今朝の東雲(しののめ)。 * ビリーバンバンの菅原孝さんが亡くなったのを今朝のニュースで知った。面識はなかったけれど、G Stringのデビューシングルとなった『Rosemary』を弟であるデュオ相手の進さんとのラジオ音楽番組でかけてくださり、温かいお言葉を頂戴したのだった。 お二人のヒット曲『白いブランコ』は私が小5の時のもので、大好きだった。 心から哀悼の意を表するものです。 * イギリスのミステリー・ドラマ『Vera』の先日の一挙放送で録画したものの本数も少なくなった。一度観たものがほとんどなのだが、『刑事コロンボ』と同じで間隔が空けばまた観たくなる。ストーリーが卓越しているから、また舞台になっているイングランド北東部の自然と村のたたずまいがすばらしいからだし、なによりBrenda Blethynの演技が秀逸だからだ。演技があまりに自然で、本当にVera Stanhopeという警部が実在し、ドキュメンタリーで撮影しているのではないかとすら思ってしまう。演技の天才だ。 * 演技と云えば、今日意図したわけではなくまた仲代達也さんの無名塾前を通ったのだが、その建物の前にいかにも俳優ないしは俳優志望という風情の二十代半ばと思われる女性が立っていて、スマートフォンでtextingをしているのだった。早朝のことだし、もちろん勘違いかもしれない。けれども私は彼女に演劇を志す人のたたずまいを感知した。 演劇っていいよなあ。 私もやってみたかった。絶対大根にはならない自信がある。But, as it is, I'm what I am now.

「え、9月もあと2日?」日記 〜日本アゲ

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夜明けの駒澤公園付近。 駒沢公園に入ると、まあ、joggersがワンサカいて落ち着かない公園だなと。まあ、1964年のオリンピック会場だったのだし、運動に特化したところもあるからしかたがない。同じ都立公園として、そして同じ世田谷にある公園としては、砧公園が落ち着きの面では圧倒している。Joggersやrunnersが多く利用するのは同じだが、数は駒沢の数分の1だろうし、「サイクリングコース」と銘打たれた事実上のジョギングコースは西側半分の外周を通るもので、中の方は静かなものなのだ。しかし、そのコースばかりか中側の道になっていないところもかなりのスピードで走る者たちがいて、それが主に駒澤大学の陸上選手なのには鼻白む。ゆっくり公園を使う人たちに時に迷惑がられるのだ。さらに同大学のきっとあの大学駅伝の選手たちは多摩川の土手道も走るから、まあ、なんと言うか、世田谷区は駒澤大学のアスリートのためにあるのかと思ってしまう(笑。大袈裟な!)。と言いつつ、駒澤大学に隣り合う駒沢公園のジョギングコースはあまりに一般の利用者が多くて、彼ら彼女らには走りにくいだろう。だから砧公園に来るんだろうね。多摩川の土手は駒澤大学の多摩川キャンパスがあるから使うのは当然だろうし。 その駒沢公園でジョギングする人たちの中、Peter Barakanさんがいて、すれ違った。EUROXで彼には詞の補作をしてもらったことがある(ただしその曲は未発表となった)。あまりに遠い昔のことで、「Oh, Mr. Barakan, it's been such a long time, hasn't it?  Do you remember me?」などと声をかけたら不審者扱い間違いなしだったろう。 Peterさんは、知り合った当時目黒区八雲に住んでいるとのことだったが、駒沢公園を利用しているということは今もそうなのか(八雲は公園に隣接している)。何度か書いてきたが、あの辺りは本当に住環境が抜群なのだ。そして私も昔からずっと心惹かれる場所であり、前世になんかあったかと思うほどだ(笑)。 Peterさんは今主にNHKの国際放送の番組で活躍されている。イギリス人で、結局日本から離れることがなかった。 YouTubeなどでは「Japression」についての動画が多く上げられている。「Japan + depre...

「日本人」の美徳

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  写真は昨日日の出頃、二子玉川近くの多摩川土手道で撮ったもの。 厚い雲が覆っている今朝はいい写真が撮れそうもなく、あきらめて、ただ自転車を走らせた(昨日今日とまた東京は夏に戻っているよね)。 以前にも書いた、国士舘大学近くのLawsonでcoffeeを飲んだ。店員は南アジア系の青年で、名札には「クルー」と書いてあったが、名前なのか?店に入ると商品整理だかをしており、「ち」とかいう表情・態度を見せられるかなと内心思ったが、豈図らんや「いらっしゃいませ。おはようございます!」と元気のいい挨拶で、私もうれしくなって「おはようございます」とやや大きな声で返した。 信州味噌ラーメンがあって、松本駅の出口並びにあった(今もあってほしい)店の味噌ラーメンの味を思い出して懐かしくなり、それを手に取りレジへ行き、さらにコーヒーのSも頼んだ。「温めますか?」「コーヒーの濃さはどうされますか?」と「クルー」君は流暢な日本語で感じ良く訊いてくる。「いや、温めなくていいです。」「えぇと、普通で。」 「クルー」君はコーヒーマシーンで私のSサイズのを淹れてくれる。「Lawsonは店員さんがコーヒー作ってくれてありがたいけど、手間だね」と私が言うと彼は大きく首を振ってニコニコと「そんなことはないです」と言った。 外国人排斥を簡単に言う輩、あなたたちよりよっぽど「クルー」君は「日本人」らしい美徳の持ち主だ!

逆さオリオン、見たくない私

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  薄雲に隠れるオリオン。(今朝午前5時ごろ、成城7丁目で撮影) * 笑ったゾイ。 オリオンは 逆さに光る 地の果てに アボリジニの 夢を宿しぬ これはなんとGrokの創作短歌。私の前の記事との関連でオリオンの短歌を作った。しかし破調だし、あまりいい出来とは思えない。それでも「逆さオリオン」を詠むところなどは畏れ入る。 オリオンが逆さと言はれ戸惑ひぬアボリジニなる民の子いとし 私のはもっと出来が良くないか。 ち。

もうええわ!

オーストラリアでもあの白豪主義の再来かというようなことが起こっているらしい。特に顕著に増え続けるインドからの移民に、主に白人のAussiesが反対を唱えているのだ(March for Australia運動)。 以下はまったくの創作、荒唐無稽なスキットである。 * 遠い先祖がCaptain Cook時代イギリスから渡ってきたと自負するKen:  「ギリシアやイタリアからの移民に比べ、インド系が突出して我が国へ入ってきている。そう、ホワイトではなく<ブラウン>な者たちが、我が物顔で通りを闊歩し、元々の市民・国民の職を奪い、住宅危機、生活費の高騰を招いている。許し難いではないか!」 最近豪州市民権を得たテルグ語話者のRavi: 「では訊きますが、我々移民なしでオーストラリアの未来はあるのですか。この<Down Under>の広大な国、しかも乾燥した大地だらけの国へ敢えてチャンスを求めてくるインド人もいますが、中でも医療従事者が多いことを知っていますか?いわゆる<エッセンシャル・ワーカー>として来豪し、この国を支えているのですよ。」 Ken: 「そのメリットよりもデメリットの方が大きいって言ってるんだ!しかもあんたらは俺たちイギリス系の伝統文化と決して融合し得ない独自文化をここでも固守して、馴染もうとしない。オーストラリアはイギリス系の人々が打ち建てた国なのだぞ!」 「アボリジニ」と呼ばれるオーストラリア先住民の子孫Tjilpi(チルピ): 「待ってください。この大陸に元々住んでいたのは私たちの祖先です。ヨルング、ワルピリ、アランダなどさまざまな部族です。私たちのことを無視して話を進めないで。」 Ravi: 「そうですよ。あなた方白人は16世紀ぐらいからヨーロッパでの同人種間抗争で武器開発や航海技術を世界の他のどの地域よりも早く発達させた。そして後に貪欲さと冒険心で世界を蹂躙していった。勝手に自分らがどんなことでも優越していると勘違いしてね。」 Tjilpi: 「私たちの部族では、初期イギリス系植民者の横暴さ、残酷さが語り継がれています。粗暴な人だらけだったって。流刑者が多かったんでしょう?」 Ken: 「ふん。それはよく言われることだな、初期オーストラリアはconvict(囚人)入植者の国ってな。しかし歴史的に確かにそうだが、そのことを今では国民の2割を占めるそ...

If I were him

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  今朝午前5時くらいに撮った狛江市西野川での黎明。 * 昨日の記事の続きだけれど、Paulは1997年にKnight BachelorというKnighthood(騎士の爵位)では最低ランクの称号を得た。これで名前の前に「Sir」が冠されることになった。「Great Britainはアイルランドをアイルランド人に返せ」と歌った人を叙勲するのだから、GBは豪気な国だ。(Paulは他のビートルズのメンバーと共に1966年にMBE=Member of the Most Excellent Order of the British Empire勲章をもらっている。「Sir」は冠せられない名誉だけの最低ランクの勲章だ。Johnは後に勲章を返還している。) 北アイルランド紛争は<一応>1998年「ベルファスト合意」で解決したとされているので、Paulが騎士になっても、まあ、もういいだろうっていうところか。 日本では文化勲章を断った大江健三郎さんがなにしろ私の記憶に新しく、鮮烈だった。曰く、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」。ただただかっこいい。今朝も彼のお家近くを通ってきたよ。でも私がもし大江さんの立場だったなら、平和を誠実に希求される当時の天皇陛下からなら戴こうかなって思うかも(笑)。愛子さまからいただけるなら万難を排する。(大笑い) なにアホなこと言ってやんでぇ。

Paul, out on a limb in 1972

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今朝は快晴で、プチ・放射冷却が起こったのだろう、肌寒かった。大好き。 写真は1年前のちょうどこの時季の成城の丘。 * Paul McCartneyは政治的な歌は作らない人だった。それでも1972年北アイルランドの「血の日曜日事件」で13人のカトリック系アイルランド人が英国軍兵に射殺されたことに憤激し、『Give Ireland Back to the Irish』をリリース、BBCはじめ英国の放送局はみな放送禁止にした。 当時そのレコードを買って聴いた私は感動した。Paulもとうとう人道のため旗幟鮮明にしたか、と。その前年、Johnは『Imagine』をリリースしていたのだ。Paulも平和のために「いい子ちゃん」ではいられなくなったのだ、と。 そのインパクトは甚大だった。母方がIrish系だったPaulではあったが、England人として世界最高のバンドの一員、しかも名曲をJohnと共に数々生み出したスーパースターが、「アイルランドをアイルランド人へ返せ」と歌ったのだから。 むろん主にEnglandでは批判の声も強かった。北アイルランド紛争の複雑さを分かっていない、煽動的だ、などなど。ある面から見ればきっとそうだったろう。けれど、どんな理由があっても13人が殺されていいはずがない。激して、何かこのことについて歌わねばと思ったこと自体に問題などひとつもない。 もっとぼかして、比喩的に、politicalさをartisticさで糊塗して、などなど批判はどうとも言える。しかし30歳のIrish系イングランド人のPaul McCartneyは<そうとしか歌えなかった>。彼は天才だ。美的に反戦歌を作ることもできた。しかし、そうはいかなかった。 Give Palestine Back to the Palestinians もしパレスティナ系イギリス人の歌手がそう歌ってなんの不都合があろう。Paulはイングランド人にやり返せ、ユニオニストを打倒しろなどとは歌っていないのだ。 83歳になったPaulはもうすでにそういうpoliticalな歌をまた歌わなくなって半世紀が経った。

なぜか「狛江」という字に心惹かれて

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1時間くらい前(午前5時半くらい)の東の空。東の空を電線と建物に邪魔されず撮れる地点は、近隣では川崎市多摩区ということになる。「近隣」と言っても自転車で20数分はかかるけれど。逆に西の空は成城の国分寺崖線の端ということになる。 狛江・和泉多摩川の川原は西の空がバッチリ、そして東の空を撮りたければ数百メートルの多摩水道橋を渡ればいいので、恵まれたところなのだ。しかし、恵まれているところには必ずそれを相殺しかねない潜在的デメリットがある。そう、狛江の場合は水害だ。 * もう古い話だから書くけれど、狛江と縁を持ったのは大学時代、後輩が川崎市の丘陵地帯に住んでいて、なんと自分専用のクルマ(Nissan Leopard)を持っていて、彼とよくミニ・ツーリングをしたのだが、彼の家から東京都内へ入るとき多摩水道橋を毎回渡り、その橋の東京側終点に「狛江市」と標識があって、その「狛江」の文字になぜかとても心惹かれたのだ。本当に<なぜか>なのだ。 数年後、Mick師に聴いていただくことになるデモテープの録音で、なるべく安くてそれなりに録れるところを探したら、狛江市の某スタジオを音楽雑誌か何かの小さな広告で発見、当時住んでいた杉並区高円寺南からK、功くん、松川くん、そしてKMくんと後に彼の妻になるKKさんとで出発、その狛江のスタジオ近辺のたたずまいにまた惹かれたのだった。 そして1985年、EUROXを脱退して私は塾で英語を教え出す。そのとき迷わず狛江市内の塾に応募し、そのまま狛江市猪方2丁目に暮らし始めたのだった。 私はまごうことなき田舎者、練馬区桜台、羽沢、世田谷区八幡山、杉並区高円寺南に暮らしてきたが、狛江の品の良い田舎ぶりに親近感を持った。そして何より広い空だ。新宿から電車でわずか20分ほどなのに、多摩川の河川敷が360度ほぼ邪魔物なしの空を見せてくれた。どれほど心開かれたことか。 今は世田谷西南部、多摩川が削った段丘の上の方で暮らしている。狛江市はまさに近隣、いつでも行ける。上述した4箇所での10年、都心で暮らした5年、<私の東京>は断然34年暮らしてきた<多摩川のほとり>なのだ。

兄英国派、弟米国派

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  写真は、初冬の砧公園。今日載せる写真としては季節が進み過ぎたね。でも、今朝の空気はめちゃめちゃ爽やかで涼しくてね。気分は上の写真の空気感。 * 今日から早朝自転車乗りはやめた。 * 英国ミステリー『Vera』を見ていると、つくづく私はEnglandに惹かれる人間だなあと思う。Englandに住む人々の言葉、イングリッシュな景色。1994年と1995年にロンドンへ行った。1994年には7月というイングランドでは最高の季節に旅ができ、スティックとがっちゃんとでロンドンからLiverpoolへまず行き、Wilson夫人が経営するB&Bに泊まり、そこから湖水地方へ行き、Butler氏夫妻の経営するB&Bに宿泊。翌日New Castleを経て、ScotlandのEdinburgへ。そこでNoble夫妻のB&Bに一泊したが、ちょうどその頃 Harry Potter のJ.K. Rowlingがそのスコットランドの首都のカフェで乳母車で赤ん坊をあやしながらかの大ヒット作を書いていたのだ。そこからアイリッシュ海に面するAyrという街へ。そこからHawksheadを経由してまたLiverpoolに戻り、最初の宿泊時だったかどうかは忘れたが、Johnの旧宅、Strawberry Field、Calder Stone公園、そしてBeatles Story(ミュージアム)を巡り、最終日はJohn & Yoko物語のミュージカルを観劇した。 一方弟はアメリカ、特に西部に惹かれ、とうとうそこに住むという決断までし、グリーンカードを得て今や10年くらいCaliforniaで暮らしている。 簡単にいうと私はBeatlesとEngland派、弟はEaglesとThe West (of The USA)派ということなのだが、弟もBeatlesにぞっこんなのは申し添える。それでも彼はアメリカの大きさに惚れたのだ。先日の姉弟会でアラスカを除くすべての州を旅したと豪語していた。彼にそれらの旅のことを書いてもらったら一冊の本になろう。 今のアメリカの分断ぶりを見聞きしていると、とてもではないが、弟のようにはますますできない。彼はCaliforniaでもかなり安全な地域に暮らしているという。それだけが安心材料だ。

彼岸の入り雑記

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  ほぼ1年前の写真。二子玉川の多摩川河川敷、行合の空と言っていい。 今朝も雨がちで、自転車を漕ぎ出しはしたけれど、遠くへは本降りが怖くて行けない状況だった。で、空はovercastゆえ、写真を撮っても絵にならず、1年前のを持ち出した。 完全に秋の空気になってくれれば、もう早朝や未明に自転車に乗ることはない。涼しければ、昼だっていいのだ。しかし今朝もまだまだ東京は秋に完全にはなりきれていない。防水のウィンドブレイカーを着れば、蒸し暑く、汗だくになる。 * 「このXは単なるYではない」という言い回しがYouTubeのMLB大谷翔平さんモノのナレーションで毎回のように出てくる。「この記録は単なる数字ではない」が最も多い例。なんだか意味あるようなないような言明でんな。 * 昨日TVでスポーツ観戦は長時間しないと書いたけれど、たまたまNHKBSつけたら、おお、鹿島アントラーズvs浦和レッズの試合が放送されているではないですか!後半がちょうど始まった時間から見始めて、試合終了まで見ましたよ。 レッズの半端ないサポーターの治雄ちゃんはもちろん最初から、いや、もしかすると埼玉スタジアムまで行って応援しているかな、などと思ひました。私の「推し」の鈴木優磨君が前半で得点していると放送中知って興奮、そのリードを守り切ったのです。GK早川君のスーパー・セーブ連発、彼がGKでなかったら負けていてもおかしくなかった。 そのヒーローのひとり、優磨君がインタビューで喜びの言葉を発することはなく、なんと「こんな試合運びじゃ優勝できない」とチームへ喝を入れていて、ますます彼は過去最高のAntlersの一人だと思ったなあ。

Ray投手、前を向いて!

Quickieを一発。 DodgersのKershaw投手が引退宣言して今日事実上の最終登板(ポストシーズンで投げる可能性があるゆえそう表現する)、1点ビハインドで降板し、その回の裏にShohei Ohtaniが3ラン・ホームランを打ち、続いてMookie Bettsがback-to-backでソロ・ホームラン、Kershawが負け投手になってしまうのを阻止した。(なんだこの英語とカタカナ英語の氾濫する文章は!) 今日休日、私は溜めているミステリー・チャンネルの「Vera」を3本観ることに時間を使い、上のドジャースの試合はYouTubeのMLBチャンネルでダイジェストを見たのみ。MLBであれ、Jリーグであれ、まるまる試合をTV観戦することはまったくない。そんな暇はない、だ。失礼を承知で書いている。ほんとにね、もうこの歳になると堪え性がなくなるんだ。もっと違うことに時間を使いたいって思ってしまう。 で。 日本のShoheiを扱うYouTubersたちの中には大袈裟に「大谷のカーショー援護弾に全米が泣いた」というようなサムネイル標題でPVを稼がんとするのだ。「おいおい、『全米』は言い過ぎだって!」と私は呆れる。彼らが大好きな「MLBレジェンド」たちは、「もっとShoheiの偉業(本塁打50、奪三振50の「50-50」達成後翌日に51号を打ったこと)についてアメリカのメディアは取り上げろ!」と憤激していたんじゃないのかい?(笑) 全米が大騒ぎすべきは今の多くの国民が物価高に苦しんでいる事実だ、と言ったら「話が別過ぎる〜ww」って嘲笑されんだろうけど。Shoheiさんの大活躍がうれしくてたまらん「日本人」に向けてビデオを作るのはもちろん構わんけれど(私も楽しんでまっさ)、「全米」なんて言葉、そう易々と使わんで星加ルミ子(ってだれもわからん)。MLBがアメリカ人全員の関心事みたいに書いちゃあかん。確かにShoheiさんのおかげでMLBはそれなりの活況を呈している。けれども、LA Dodgersの物語が全国民的関心であるはずがない。 これも一種の「エコー・チェインバー」現象だろう。日本のメディアもShoheiさんの活躍を大々的に取り上げ、「全米熱狂」みたいな作りにしてしまう。なにしろ大昔、NHKのお昼のニュースで、たとえば「Ichiro選手は今日の試合で4打数3安打でした」みた...

善因善果もなきゃ困る

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小糠雨。気温はまあまあ低いけれど、当然湿度100パーセント。自転車でなく、久しぶりに歩いてみたが、いやはや、発汗おびただしい。 * 孫娘が會津土産の喜多方ラーメンを食するところを娘がビデオに撮って送ってくれた。「だれがこのラーメンくれたんだっけ?」という娘の問いに、「おじいちゃん」と孫娘が答えたシーンで悶絶した。2歳半を過ぎていよいよ言語能力が急上昇しつつある。そのビデオ、ここに載せたいくらいだが、厳しく戒める。祖父ばかもいいところだし、なにしろプライバシーをそう易々と曝すものじゃない。しかし本当にただただ愛おしい。神仏、すべての先祖に感謝するだけ。 しかしさあ、奇跡だよね、本当に。そう簡単にその言葉を使うもんじゃないのは知っているけれど、そうとしか言えない。 そして、「奇跡」と言っている今のすばらしい感激的事実を以ってすべてが正当化されるなどと思ってはいない。どれほどにいろいろな間違った選択をしてきたかしれない。他所様に後ろ指差されるようなこともおびただしくしてきた。 それでも悪因悪果ばかりでなく善因善果もあるのであって、その「善果」を今目にし、体験し、認識して、「ああ、俺は善いこともしてきたのだ」と思える。 * 写真は数日前の世田谷区梅丘の一角から望んだ西の空。写真を載せないと読んでいただけない方々がいらっしゃるようなので(笑)。

秋来ぬ

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  今朝の成城4丁目、野川。はるか西の空に浮かぶ白と灰色の雲がいい感じだ。 自転車を漕ぎ出して涼しさを実感。Tシャツ1枚では風邪をひく。こうやって秋は突如という趣でやって来る。まるで鬼畜米英から民主主義万歳みたいに一夜、一日で季節が激変する。 風雨去り つづれさせ鳴く しじまかな 今、そのまんま。

雨が止むのを待ちつつ

雨が止むのを待っている。気象レーダーでは午前5時に雨雲は世田谷区を抜ける。 秋の空気がすでに入っている。湿度100パーセントでも涼しい・・・もちろんちょっと不快だが。 「暑さ寒さも彼岸まで」がいかに正鵠を射ていることか。これが通じなくなったら、多分気候変動は最悪のかたちで終了してしまっているということになろう。 * 以下は勝手な憶測、さらに将棋ファンの方の一部から反発を受けるかもしれない邪推だ。 渡辺九段が1年の休養を宣言した。直接には健康のため楽しんでもいたフットサルでの脚のケガが原因だ。手術しても経過が良くないとのこと。椅子対局にしてもどうしても気が散ってしまうのだろう。本当に気の毒なことだ。 彼が名人を含む数冠を保持していたときにフットサルを親交ある棋士仲間と楽しんでいるのを動画で見たことがある。当時は棋界の頂点にいたわけで、最強棋士として主に後輩らを従え対局日の合間の時間を楽しんでいたのだ。 そしてまもなく藤井聡太さんが擡頭、あれよあれよという裡に彼は3つだか4つだかのタイトルを取られてしまった。段位で呼ばれたことがほとんどないタイトル常連の彼がなんと渡辺九段と呼ばれることになった。九段は最高段位だが、今彼を入れて12人もいる。実際に藤井七冠に太刀打ちできる九段は永瀬拓矢さんくらいだろうか。言い方は悪いが、後は旬を過ぎた棋士ばかりと言っていい。 屈辱は計り知れない。さらに、彼は藤井さんとのタイトル戦での対局が実現してもまず勝ちようがないことを冷静に見切ってしまっている。つまり、もうこれからずっと九段のまま、そして例えば竜王戦で9連覇して数億稼いだ年月、金満の生活は戻ってこないのだ。19歳からずっと多額の賞金を稼いできた棋士として深い絶望があったはずだ。 そういう意気消沈の日々をなんとお連れ合いが漫画にして人気を博すということもあった。なんとまあ捌けた夫婦関係、ある意味理想的な夫婦像だと思っていたが、なんと家庭内離婚をしてしまった。どういうことか、謎である。 ケガを乗り越え、永瀬九段と共にまだまだ藤井七冠を苦しめる棋力を保持ないし増進させたいところだが、番勝負のタイトル戦で藤井さんに勝ち越すのは無理だと完全に見切っているのだ。そしてそれはきっと正しい。 彼はもう将棋に生き甲斐を見出せなくなっている、ということだと思う。ケガは肉体のことだけれども、ここ5年ほどの...

今晩には秋になっているって

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先ほど砧2丁目で撮った、日の出前茜色に染まった空。 ここは世田谷区最高地点と聞いたことがあるが、Grokによると「確かに高いが」「砧公園南東部、大蔵運動公園に隣接するところが標高45メートルで最高」だとのこと。23区最高地点は石神井公園付近で標高50メートルだと。この写真の場所すぐ近くに植木等さんの豪邸があった。 * 大谷さんはほんと、ただただ「すごい!」としか言いようがない。もうその偉大さを形容する言葉の在庫がないというほどで、実際、YouTubeのMLB公式チャンネルのコメントも同工異曲とも言えない、全く同じ賛辞ばかりになっている。 私は地上波TVは見ないけれど、CMにもこれでもかというほどいろんな社ので大谷さん、出てんだって?一体いくら稼げば満足するんだと言いたくなってしまうのは凡人の浅ましさだね。それでもスカイツリーの本体総工費400億円、それを2本建ててもまだ200億円くらい残るというようなとんでもない10年契約をしたんだぞシ(會津弁)。故郷奥州市に大谷金色堂でも建てたらなじょだべ。(笑) * Free Palestine! これをJewish Voice for Peace (JVP: ユダヤ人の平和の声)、Neturei Karta (ネトゥレイ・カルタ: 都市の守護者)、Jews for Justice for Palestinians (JJP: パレスチナ人のためのユダヤ人正義)というユダヤ教徒の組織も叫んでいることに心熱くなる。 * 最新天気予報は、関東は激しい雷雨となって前線通過して秋になると言っている。わ〜い!

いやあ、夜明けが遅くなったなあ

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ほんとに先ほどの空(4:50 a.m.)。月に寄り添う木星。 蒸し暑い朝も今日で終わりなのかな?天気予報はみな暑さは今日までと言い出した。 お彼岸も近づき、さすがに太平洋高気圧も南へ退いてゆくか。 * 昨夕、杉並区南部(世田谷区に近い)の某地点で仕事をしているKと八幡山(世田谷区の西部で最北)で待ち合わせて久しぶりに夕飯を共にした。元気そうで何よりだったが、今日も同じ現場らしく、熱中症にとにかく気をつけてほしい。あと1日の我慢だ。 * 写真付きで記事を書かないと、訪問者数が明らかに減ってしまうようだ。文章だけでは食いつかない(失礼な表現、ご容赦)。 * 涼しくなったら、音楽するね。  

故郷慕わし

私が好きな「福テレ空ネット」、斉藤予報士は木曜からいよいよ本格的な秋になると。ただし福島の話、東京はどうだべか。 斉藤予報士もなかなかのキャラでいいのだけれど、アシスタントの古賀さん(福岡県出身)、大久保さん(東京都出身)の両福テレ(福島テレビ)アナウンサーが実に魅力的なのだ。地方局のアナウンサーとしてちょっと群を抜いていないか。昨日老いを敬われた(?)私だが、年甲斐もなく、ときめくのである。(笑) いやはや蒸し暑い。本当にどうしようもない。いい加減にしろ、だ。早よ大陸からの風が吹かんかい! * YouTubeで、そのPVで稼ぐ金を注ぎ込んで全国を酒と美味いもんを求めて旅する静岡市在住の猛者な女性の會津編があって見てしまった。2泊3日、その旅程すべてで會津若松は最高気温37度の猛暑日なのに、まあ、よく動き回る人だ。行く先々で地酒を冷やしてグイグイいっていたが、「んま!」ばっかり。それはねぇ、福島県の日本酒は金賞獲得数全国一位だがらナシ、あだりめぇなんだぞシ。んだげんども、會津若松で喜多方ラーメン食べで「んんまっ!」ってのは、まあ、ちょっと納得いがねナイ。そんでも全体として會津を絶賛する内容で、<あずましい>ものだった。 * なんだかんだ言って、故郷福島県、もちろん特に會津のことが歳を重ねるにつれ懐かしくなる。生まれ育った野沢という町など、本当に何もないところになってしまっている。人口は減る一方、活気など商店街には微塵もなく、商店街と呼ぶのももう憚られるほどだ。少し人出があるのは道の駅「よりっせ」だけかな。 まあ、もう活気などは求めない。ただただ静かな町のたたずまいが結構なのだ。変な活気より静けさの方がどれほどいいか。それでも、よく歩いた道が草茫々になっていたり、朽ちたままになった家や倉庫、納屋などを目にするとさすがに悲しい。 ああ、慕わしいのは冬の故郷だ。冬に行ってないなあ。

「幾星霜感」がねぇだよ

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気温はいわゆる熱帯夜ギリギリだったらしい。確かに涼しくはないし、相変わらずの高い湿度。それゆえか今朝未明多摩川ではエンマコオロギが優勢だった。 * 多摩川を自転車で走っていて、「あ、チロちゃんの命日が1ヶ月切っているんだった!」と気がついた。去年その命日の夜に線香を手向けに行ったのがあまりにも近い記憶でまた愕然。 神様仏様、そんなに早く私を他界へと導かれる理由は何なのでせうか。 * 次兄が「2時間起きていると眠くなって2時間眠るを繰り返す」と言っていた。笑ったけれど、どうなんだろうね。Kも眠くなってしかたがないとちょっと前言っていたっけなあ。私もよく眠る。もったいないよなあ。でも、睡眠は快楽だよなあ。 * イギリスの移民反対デモは大規模だったようだ。1994年に私が宿泊したLiverpoolのB&BのオーナーWilson夫人がもうすでに「LondonはAsiansが多くてすっかり変わってしまった」と嘆くように言っていたのを思い出す。もう31年前の話。その「Asians」に私も含まれることに彼女はすぐに気づいて「あなたのような日本人ではなくてね」とすぐに付け足して私は苦笑したっけ。 不法な入国をした者には当然法による断固たる措置が必要だ。しかし国の将来的な人口動態を鑑みて、ある程度移民を計画的に受け入れるのは必要だろう。もちろん、出生率が2.0を切っている日本のような国で、移民は絶対反対ということで国が自然消滅することを覚悟するならそう主張していればいい。え?「国体」維持のため「日本人」の増加は必ず達成する?どうやって?それも縄文人DNAを持っている「日本人」でしょ?一番色濃くその特徴を有しているアイヌ・沖縄の人々をじゃあもっと尊重しないとね。沖縄で辺野古に派遣されて、反対する人々を「土○が!」などと蔑みまくった某府の機動隊員は厳罰に処さないと。 * 敬老の日なんだね。 すっかり<敬われる>立場になって幾星霜。そう言いつつ、その「幾星霜」感が全くないのは冒頭の方で書いた通り。 おい、若者たち。 君らもあっという間だぞ!

昨日のことなど

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先ほど、成城9丁目で見た空。 その数分後、成城7丁目の仙川沿い。 早朝の気温はもうかなり下がっているけれど、湿気は相変わらずひどい。しかしだからこその上空の多彩な雲なのだろう。刻々と色合いが変わり、「あ、これきれい!」とか言ってウカウカしているとその色は移ろっているのだから、さあ大変。 * 昨日の姉弟会は楽しく、また思い出に残る約7時間の同胞(はらから)の交流だった。保守派を自称する次兄と弟、リベラルな姉と私。侃侃諤諤の時間もあったが、「政治の話ができる姉弟っていいよね」という弟の言葉にみんな納得、ニコニコ。 次兄の伴侶の誕生日でもあって、誕生会も兼ねた。とても喜んでくれて、よかった。その伴侶、義父の娘と同い年。なんだか特殊な絆がある。笑 姉が、私が好きだと言ったハナスベリヒユ(ポーチュラカ)の絵をお土産にくれた。むろん(?)姉が描いてくれたものだ。 これで3枚目。リンドウ、ヒマワリ、そしてこれ。

9.13 雑文

今日我が根本家の姉弟が集まる。弟が久しぶりにCaliforniaから一時帰国しているからで、私は姉と次兄と共に歓迎会をするのだ。グリーンカードを持っている弟は今国家非常事態にあると言っても過言ではないアメリカにちゃんと帰れるのか心配だけれど(ImmigrationやICEと厄介なことにならねばいいが)、兎にも角にも4人の姉弟が元気で会える今日を祝いたい。 * 栗塚旭さんが亡くなった! 米寿での他界であり、しかたがない別れだが、悲しい。土方歳三を演じるために生まれたような役者さんだった。大好きだった。ありがとうございました、栗塚さん。 * がっちゃんから昨日LINEで虹の写真が送られてきた。2日前、私も撮ってこのブログに上げたあの虹だ。がっちゃんはもちろん違うところで撮った。世田谷よりももっとあの虹に近いところからだ。どこだ?(笑) * Kirk氏銃撃犯が捕まったそうだ。白人で共和党・MAGA支持者だったらしいが、早速Kirk氏の死を悼むfar-rightな人々が「通ったユタの大学で左翼に洗脳されたのだ」と主張するtweetsを見た。どんな主張もありだ、今の世の中。 私が推測した通り、プロではないが銃器の扱いに慣れている「手練」であり、すなわち米憲法修正第2条(「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持し携帯する権利は、これを侵してはならない」)を少なくとも支持している人物だった。 再び言うが、Kirk氏の主張がどんなものであれ(私は支持しないが)、なんびとも他者の命を奪える権利などない! * さて、話題は大幅に変わってー 今朝は4時ちょっと前に自転車を漕ぎ出した。腹が減っていて、松屋かすき家をまず目指したのだ。どことは言わないが、その松屋とすき家が20メートル離れていない距離で営業しているところがあり、そこに近づくと、20歳前後だろうカップルがダブダブTシャツとパンツ姿で手を繋ぎどちらかの店舗へ向かっているのが見えた。夜通し蠢いてお腹が減ってちょいと早めの朝飯、というような風情だ。 匂いがしそうなほどホットなカップルなので、同じ店に入りたくなく、どっちへ彼と彼女が入るかを見極めた。松屋だった。「ち。俺も今朝は松屋の気分だったのに!」 私はすき家の前に自転車をとめた。鍵をかけ、カゴからバッグを出してさて入ろうという段でそのカップルが松屋を...

Will They Overcome?

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  上は砧、下は瀬田の今朝の空。どっちが20分ほど早く撮られたでしょう。はい、下でした。おもしろいですね。え?おもしろくない?にゃ〜。 * John Lennonの息子二人が直接間接でKirk氏射殺事件へのtweet をしていて興味深かった。兄のJulianは平和を願うというイラストが主のメッセージ、弟Seanは長文でこれ以上のアメリカ市民間の分断が進まぬようにという趣旨で力説していた。 分断。 分けているのは理性と感情ではないか。感情に支配されている側はまず統計や事実をほとんど無視する。恨み、怒り、ねたみ、そねみ、それらが噴出するのは根拠なき優越意識から。アメリカはこの対立・分断を克服できるだろうか。むろんアメリカだけの話ではないが。

Again? Nonetheless, We All Need Guns

アメリカで、MAGA支持者で若者に多大な影響力があると言われた保守系活動家Charlie Kirk氏がユタ州の大学で講演中首を撃たれ亡くなった。 前の記事を上げてからTwitterを開けるとその銃撃事件がトレンド入りしていて、「またかよ」と呆れてクリックすると、なんと、首を撃たれ、おびただしい血を噴き出すように流して後ろへ倒れるKirk氏の動画が一番上に上げられていて面食らった。そして戦慄を抑えられなかった。 これが現実とは云え、Twitter=Xも何とか規制しなきゃ。あまりに酷い映像だ。 Kirk氏は31歳、妻と娘が2人いるという。どんな主張をしていようと、命を奪われてはならない。常識的で紋切り型のきれいごとを言っているのではない。なんびとも他者の命を奪う権利など全くないからだ。 Kirk氏は銃規制に<完全に>反対の立場だった人で、毎年多数に上る銃による死者の数を以ってしても、その犠牲に値するほど銃所持の自由は尊いと言ってきた人なのだ。今回の銃撃の直前、ちょうど彼は銃犯罪についての話をしているところだったという。銃撃犯はまるでそのタイミングを計ったかのように100から200ヤード(約91メートルから182メートル)の距離から彼を狙撃したらしい。とすればライフル銃の手練と言っていいだろう。つまり犯人も銃所持賛成派と言っていいのではないか。そういう者にKirk氏は撃たれてしまった。 事実上誰もが銃を持つ権利を有する国で、政治的に分断を促してしまうような発言を公にすることのリスクは計り知れないし、その危険を知りつつKirk氏は銃社会の犠牲になってしまった。

2025年9月11日の早朝日記

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  世田谷区梅ヶ丘、国士舘中学・高校の近くにLAWSONがあって、数ヶ月前そこで一休みしたのだけれど、そこは住宅地にしては東の空が比較的よく見えるところで、そのときの空も慕わしさのある模様を見せてくれたし、また早朝ゆえ人通りもほとんどなく、付近全体のたたずまいも好ましかった。今朝はそちらを再訪だと自転車を漕ぎ出したのだった。 写真は東の空ではなく、西の空。虹がしっかり出ていて興奮した。東の空は下の如し。ただし上の写真より十数分前に撮った。日の出直前だね。 今朝の空模様は本当にすばらしかった。まさに多彩な雲が東西南北、四方八方に湧き上がっていた。 鴎友学園近く、世田谷区宮坂でまだ消えていない虹を再び撮影。この後、先日ここで紹介した大好きな坂道を初めて登った。その坂の上で撮ったのが下の写真。 だからどうしたという一枚だけれど、好ましい街だよ、宮坂1丁目。 * そして帰ってきたら、一気に汗が噴き出した。風を切っていたから出ないで済んでいた汗だった。気温もまあそうだが、なにしろ湿度が高過ぎ。いやんなっちまう。 暑さ寒さも彼岸まで。そうあってほしいなあ。

いいもんはいい

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  先ほどの成城1丁目の空。十七夜の月、ということかな。 撮ったところには去年までDCMというホームセンターが在った。元々は「東宝日曜大工センター」が在って、付近の住民に広く知れ渡った店舗だったのだが、DCMに代わった。そしてそれも潰れて、大家である東宝株式会社が広大な敷地に新たにスタジオを造るのだ。それは結構なのだけれど、ちゃんとニーズがあるのだろうか。 * なんだか胡散臭い政党が縄文人をやたら称揚しているとかいないとか。大陸の東アジア人とは縄文人の血が入っているか否かで大きく違うのだと言いたいのかい。(そうだとして、だからどうした。) その縄文人は、7万〜5万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスのほとんどダイレクトな子孫であって、その大陸に残った一派にタイに住む少数民族マニ族がいる。特に愛知県伊川津貝塚の縄文人IK002とマニ族の8,000年前の祖先のDNA組成が非常に近いのだそうだ。 岡本太郎氏は縄文人の造形を賛美した。生命力溢れる藝術だ、と。ずっと後になって生まれた侘び寂びの美意識を<のみ>尊び、それこそが日本文化とする大勢的風潮に反発したのだった。(岡本氏は侘び寂びを全面否定したわけではない。できるはずもない。) <あの一部の人たち>は侘び寂びは禅仏教からの精神であって、つまりはインド、中国からの<からごころ>のものだ、Japaneseではない、などと言いたいのだろうか。バカバカしい。神道は縄文人精神を受け継ぐもので、仏教はインド・中国の異民族思想であり、本居宣長、平田篤胤らの主張は今も正しく有効で、「日本人」は須く神道信者でなければならないとでも?おいおい。あなたたちの「血」に大陸由来のものが入っていないとでも言うの? 私はね、神道も好き、仏教も好きですよ。つ〜か、神社仏閣、どっちも好きなんだ、そのたたずまいが。神仏を習合した我々のご先祖さんたちはだから偉大だと思うよ。 さらに、縄文文化も弥生文化もどっちもいいじゃん。どっちが優れている、劣っているじゃない。 いいもんはいいんだよ。

元奨励会三段だけタイトルを回し合う女流棋士世界

なんか書くことなかです。無理やり書くのは嫌でごんすが、まあ、このブログ始めて以来一度も更新を怠けたことがなかですけん、なんか書きもそ。 「なかですけん」とタイピングしよったら、「なか」が「中」で勝手に変化されおる。 で、その「中」だげんじょも、女流棋士に中七海さんちゅう奨励会三段で退会した人がおりまんねん。奨励会では最高段位の三段には、過去に福間(里見)香奈さんと西山朋佳さんが先輩としておって、特に西山さんは14勝(18戦中)を挙げたのに四段(すなわちプロ棋士)になれなかった不運の人でんねや(この西山さんだけはワイ、シンパシー感じます)。 「女流」棋士は現在73人いるが、上の3人がダントツの実力であって、奨励会で修行した他の女流では加藤桃子さんが確か初段で退会しており、他に奨励会入りしたものの、級位者(つまり初段以上にはなれなかった女性)で終わった人が数人、というところ。 女流王将戦の準決勝の1局が囲碁将棋チャンネルでやっていて、今は女流三段の中さんが伊藤沙恵女流四段を破った。伊藤さんは奨励会では1級まで進んだから、女性としては序列5位と言っていい。 もう一方の準決勝ではすでに福間女流5冠が勝っており、決勝はゆえに元奨励会三段同士、そして勝者が女流王将の西山二冠に挑戦するのだ。 ね。<女流>棋士の世界では奨励会での段級位そのままの実力の序列になっているんよ。そんでやね、藤井七冠に、白玲戦(女流タイトルの最高峰)5期獲得でプロ棋士認定という新制度について「棋力は担保されているんですか」と言われてしまったわけよ。 プロ棋士四段になれなかった人たちで8つの棋戦合計数千万円の賞金を今は2人で分け合っているんだわ。分け合っているのは元奨励会三段の二人。そこに割拠しそうな3人目もまた元奨励会三段。 並の(?)A級棋士より稼いでいるっていう逆差別。スポーツなら分かるけど、頭脳ゲームでね。おかしいよ。再び、objection!

Lunar Eclipseが終わって日記

3:40 a.m.に外に出て暗く赤い月を確認。牛込で暮らしていた2000年に見た皆既月食が、その後起こった人生上の災厄の予兆であったかとさらに後に思うようになってから、天文好きの私ではあるが、月食に限ってはあまり触手が動かない。 今回のlunar eclipseを見て、ウキウキした気分には全くならぬまま自転車をいつものように漕ぎ出した。方向は東。<不気味に>変容した<いつもは大好きな>お月様を見ないで済むから、ということで。最遠点でUターンする頃にはもう大方月食は終わっているはずという算段。 午前5時ちょっと前頃には右下の欠けもほぼなくなって、いつもの満月さんが西の空低く輝いていましたっけ。 * 世の中いろいろ起こっているのは仄聞しているけれど、歳をとるにつれ、ますますどうでもいいという想いが募る。その点、Mooさんとは大違い。Mooさんの記事は社会へのengagement度の高いものばかりで、本当に頭が下がる。一方私のは極楽トンボの戯言ばかり。 なんつーか、論評するのもバカバカしい、虚しい、情けないというのがKOIZUMI Sr.の頃以来ずっと続いてきて、そんなことで血圧上げたりとか、自分の心身の健康を徒らに損ねてなるものかと高齢者になった今は思うのだ。近未来や未来は、どうぞ若い人たちが主体的に考え行動してくだされ、っていうような想いなのだ。おいらはもう一抜けた、と。まあ、そういう態度ではいかんなあとは感じているのだけれどね。 * 時間て結局エントロピーの増大と等しい、というか、時間てエントロピー増大そのものというのがずっと私の認識だった。 1990年とかに降りてきた我が歌の一節に、 My dream's shattered and all I can say now is that I feel all right The 2nd Law of thermodynamics says, "Entropy increases." But I wonder what's the use of applying it to spiritual motions というのがある。 <夢が砕け散って今僕が言えることは 大丈夫だってこと 熱力学第2法則は「エントロピーは増大する」だけど 魂の動きにそれを当てはめてどうなるというのか> この歌...

What Is Time? (Not "What time is it?")

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 涼しゅうござる。 先ほど、成城3丁目から撮った、東京がとうとうまごうことなき秋の朝を迎えたという一枚。 * 「動的平衡」の福岡伸一先生が、日本で2番目のノーベル賞受賞者(物理学賞)朝永振一郎博士の「物理学の“自然”というのは自然をたわめた(=無理やりそのように看做した)不自然な作りものだ」という言葉をとらえて、物理学ばかりか科学とは分解・部分的な、解析的な、また静止的な解釈行為であるという論を述べられている。朝永氏は続けて、「一度この作りものを通って、それからまた自然にもどるのが学問の本質そのものだろう」と書かれていたそうだ。 福岡博士は「パラパラアニメ」を例えに使う。アニメで「自然」な動きに見えるには1秒間に24フレーム(24コマ)の静止画が「パラパラ」されれば十分だ。しかし、1コマと次のコマの間にはしっかり<時間がある>。詰まっているはずだ。1秒24コマで自然な動きを表現しているのだからその捨てられた時間は不必要なのか、あるいは、本当にその動きは「自然」なのか。 この話で私が思い出すのは、昔のブログにも書いたけれど、中1の頃だったか、例えば0と1の間には<無量大数と言うべきほどの>分数・小数が詰まっている、すなわち実質的に(?)♾️があると解釈できたときに面食らって、「ああ、俺は数学はダメかもしれない」と早々に観念したことだ。 その早々な「観念」は、その1年前、つまり小6のとき、今は亡きクラスメートの笠間浩介くんと天文写真を見せ合う一時期があって、ある夜に消灯してから無限宇宙のことを考えだし、眠れなくなったことがあったからなのだ。 中島義道先生の『時間論』でも再読してみようか。途中で頭が痛くなってそのままにしてもう20年は経ったか。 時間て何だ?

They're Still With Us!

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  義父の娘がせっつくので、世田谷区立大蔵運動公園で調整する世界陸上アメリカ・チームを見に行った。私にはそれより夕景の方がはるかに魅力的だったが。(笑) 行きしなに耳をつんざくアオマツムシの雑音に閉口、いや、怒りすら感じた。本当にこの外来昆虫は日本の秋を台無しにする。対策しなきゃいけないんじゃ?天敵、ほとんどいないんじゃないか? * またBeatlesのアンソロジーが発売された。 そこで思う、PaulとRingoが存命という事実はほとんど信じ難いほど圧倒的にBeatlesファンたちを勇気づける、と。 私はいつもこの天才二人がまだ一緒にこの世にいてくれる事実を噛みしめるとき、1967年、Sgt. Pepper'sを世界同時発売で聴いた夏を思い出す。さらにピンポイントでは、「大日川」と私ら小学生が呼称していた川幅7メートルほどの浅い川へ泳ぎに行く道の佇まいを思い出すのだ。 小学校の正門の右斜めに小道があって、少し下ると右手に「代官清水」という名の水飲み場があった。当時は町で有名な夏でも冷たい名水がいつも豊富に石でできた樋の口から流れ出て、その流れを左手で押さえ、溜めて、ゴクゴクと飲んだ。 今でも在るだろうけれど、きっともう水質は劣化してしまっているだろう。あの頃のままなら、名水としてみな汲みに来るはずだ。そういう話は全く聞かない。 その「代官清水(會津藩の代官所が小学校の敷地にあったからそう命名された)」から草多き小道を下って行くと、大日川の河岸に至る。その道すがらに9歳の私はSgt. Pepper's収録の2曲を頭の中で「ヘヴィー・ローテーション」でプレイしていたのだ。9歳少年として理解可能な「With a Little Help from My Friends」と「Getting Better」だった。 その9歳少年がだよ、あ〜た、今前期高齢者でさ、大昔のその思い出を理論上まだPaulとRingoにこの世で伝えることができるんだから! それこそ大昔、もう30年とか前に代官清水まで行ってみたが、大日川に下りていく道は完全に草茫茫で閉ざされていた。川泳ぎなんかする子どもはとっくにいなくなっていた。町はすでにその当時で人口一万を切っていたように記憶する。そして今、一緒に川遊びをした幼なじみももうすでに何人かは他界している。 なのに、PaulとRingoはま...

2025 名ばかり中秋の雑記

台風の中心は東海地方にあるのかも、だけれど、その東に伸びる大規模で強力な雨雲が今東京にもかかっている。雨が東京に溜まりに溜まった<澱>を流してくれている。もちろんその汚れはどこかへ移動するだけで、なくなるわけではない。けれども間違いなく東京はリフレッシュされている。 この台風ですでに被害を今受けておられる方々がいらっしゃるなら、お見舞い申し上げます。皆さま、どうぞご無事で! * 伊藤叡王、先手なのに藤井王座に短手数で捻られてしまった。叡王、早い裡から劣勢に陥ってしまい、興味湧かず、ほとんどABEMAもYouTube上の解説動画も見ていない。永瀬さんくらいに喰らいつけないと、王座戦話題にならへんぞ。がんばれ、世田谷区の天才! * ようやく、本当にもう何年ぶりだ(旧ブログあればすぐ分かるのだが)、Mooさんと安曇野でお会いする日程が決まった。幸夫ちゃんとKが今回も道連れ。霜月のことゆゑ、まだまだの話だけれど、楽しみである。 * ここ数日ギターをよく弾いている。え?練習?ソロも?いいえ、ただ英語でいうstrummingだけのこと。掻き鳴らすってやつね。なんか降りてきたらいいなって。 * 今朝は雨で自転車乗りができなかった。しかし昨日までの早朝、あちこちでツヅレサセコオロギが鳴いて、寂寥という情趣を音にすればこれというような音色で打たれる。エンマコオロギの音色はもっとずっと元気がよく、<晩夏な感じ>がする。ツヅレサセは中秋、晩秋の音だね。特に晩秋ではいよいよ声に元気がなくなっていて、心の底からしみじみする。すばらしい音楽家でしょう、ツヅレサセ。

萱野権兵衛のこと

家のWi-Fiがおかしいねん。どないなっとんじゃ。突然こうなってしもうたんや。そんでiPhoneに繋いでこの記事ネットに載せてます。 * 今朝は久々overcastの空になっていて、風は湿気さえなければまごうことなき秋風やった。 * 父の著作読了。會津藩で4番目の順位の家老で、唯一生き残った(行方不明も戦死として)萱野権兵衛(長修)(ごんのひょうえ・ながはる)が主君容保の罪(!)を被り従容として腹を切ったことを野沢宿の人々が泣きながらも褒め称えるシーンが最後の方にあった。萱野は人格者だったらしい。 「賊軍」の将德川慶喜も、薩長土肥に最後まで抵抗した親藩大名の代表とも言える容保も、なんと生き延びた。戊辰戦争全体の犠牲者数(新政府側3,550人、旧幕府側4,690人、合計8,420人)でそのうち會津藩の死者数は約2,557人(女性194人を含む)。その中に肥後守様、會津中将様、宰相様(=すべて松平容保のこと)は入らない。 * その萱野をNHK『八重の桜』では柳沢慎吾が演じていたんだなあ。萱野の享年は40とも42とも。柳沢が萱野を演じた時の年齢は51歳・・・萱野の肖像(遺影)を見ると、柳沢の51歳より20は年上に見える。いかに昔の人は老成が早いか、だなあ。 * 伊藤匠叡王、シンガポールで対藤井王座戦。先手ながら今ほぼ3:7で不利。あらら。

寝返り2回の理屈

映画『十一人の賊軍』が話題になっているようだ。私は観ていないけれど、新発田藩の奥羽越列藩同盟を裏切った史実を基にしてのフィクションということで関心はある。 今の新潟市は、江戸時代に北の方の一部は村上藩と新発田藩、南の方の一部は長岡藩の版図に入り、中心は天領ということだった。村上藩は主が親藩大名の内藤家、長岡藩は牧野家で譜代大名であった。新発田藩は、初代溝口秀勝が<曲者>で(笑)、元々は織田の家臣丹羽長秀に属し、のちに豊臣恩顧の大名として新発田に入り、豊臣を名乗れたほど秀吉に愛されたが、関ヶ原では裏切って東軍=德川家康について所領を安堵された。それでも外様大名ではある。 地名通り溝口家代々藩主は<新田>開<発>を行い(ただし「新発田」の名の由来はアイヌ語であるとする説が有力)、表高10万石ながら実高は15万とも言われ、長岡や村上より石高は上だった。その「奥羽越」の「越」で、上越の高田藩も譜代大名が治めており(幕末は榊原家)、新発田藩だけがその意味では浮くのだ。おもしろいのはその「越」の北、つまりは「羽(=出羽)」の米沢藩で、関ヶ原で西軍について江戸幕府からは懲罰的移封、減封を受けてしまった上杉家が主、それでも新発田藩に反新政府=佐幕の立場で戦うように強く圧力をかけ続けたのだった。 まあ、溝口家というのは、戦国では豊臣を裏切り德川に与し領地安堵、そして幕末では奥羽越列藩同盟、つまり德川を裏切りやはり領地安堵という<離れ業>をやってのけたわけだ。 負ける戦をしてむろん領民を苦しめたくないというのはあったに違いなく、なんらの私情も挟まなければ特に幕末での寝返りについては合理的判断だったと言える。しかし、薩長中心の新政府軍に義のすべてがあったはずもなく、會津が十五代将軍に倣って恭順すると言っているのに報復的血祭りを断行したことに義も理もない中、少なくとも長岡の河井継之助のように武装中立の立場をとって領民領地を守る交渉をする努力はすべきだった。 まあ、勝手に言ってろ、この會津の田舎もんが、というところ。

父の誕生日 〜今年<はじめ>父の遺稿が本になっていた

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日本では観測・統計開始以来もっとも暑い夏になったし、そして最も暑い年になりそうだ。自転車乗りを今朝もしてきたが、帰ってくればもうとてもTシャツなど着たままではいられない。シャワーを浴び、エアコンが効いた部屋でさらに扇風機に当たる。 * 今日は父の誕生日で、存命なら101歳だった。初秋生まれということで、私もそうであるからということでもあるまいが、父と趣味が一番合うのは兄姉弟の中私だろう。 先日帰郷して嫂が父著作の本をくれた。『会津野沢宿 御本陣物語 松平容保 野沢の十三日間』で、出版者として長谷沼清吉さんが名を連ねる。この方、生前の父と親交があって、父の「助言と指導があったから」自らも「山村の暮らしをテーマに三冊出版している」と言う。ある日嫂に父の遺稿があれば見せてほしいと依頼、後にこの本になる原稿を読み、「これは多くの人に読んで頂くべき」ものとしてぜひ出版させてほしいとなって、今年1月にそれが実現したのだ。 読んでいて驚いたのだけれど、新選組を抱え、京都守護職を担った會津藩最後の藩主松平容保が、鳥羽伏見以来京都を追われ、また将軍徳川慶喜にも梯子を外され、朝敵とされながら領国に帰っていた1868年(慶応4年)の8月1日、父の(私の)故郷越後街道(會津街道)野沢宿に「出馬」し、13日間も逗留したというのだ(喜多方私立図書館蔵の『容保公野沢駅出馬記録』に基づく事実らしい)。會津若松城(鶴ヶ城)陥落は9月22日だから鳥羽伏見が1月に始まって7ヶ月目、戊辰戦争も最末期の話だ。 もちろん「物語」であるから父の潤色脚色は大いにありつつも、骨格部分は史実に基づいている。四六版125ページの小品であるが、おもしろい。この本を世に送り出して下さった長谷沼さんに心から感謝したい。

September? Where's the autumn?

さて2025年もあと4ヶ月を切ってしまいました。 * 今月から音楽活動を再開すると公言しております(狭い交際界で)。あんまり歌っていないもんだから、声帯がどうなっているのか分からないのです。よろしくないですなあ。 音楽室が2階建て木造家屋の2階に在って今の時期は猛烈に暑い。それだけでめげます。エアコンはあるし、スイッチ入れて冷えてから活動すればいいのですけれど、そのスイッチを入れることすら億劫になっていたというのが私の昨今の状況でした。 異常気象、地球温暖化のさらなる深刻度増加の影響は私レベルにも及んでいると言っていい。もっと早く秋の到来を感じられていれば、その分早くまさに「藝術の秋」の気分になって動き出していたのに(言い訳か、いい若ぇもんが!若くない!)。 で、季節は立秋から1ヶ月になりなんとする、つまり中秋に入るというのにまだまだ大暑そのまま。だからひとつも「藝術の秋」なんて気分にはなっておらんのですよ。それでも、九月の声を聞いて、もう強いて活動始めないといかんのですよ。 いや、「いかん」とかって、何もまあ必要のない義務感を覚えて徒に急くことはない。ぼちぼちやりまんがな。