お茶飲まんしょ
今日で九月も終わり。 なんだかしっかり寒くならない。十月も高温高湿度傾向が続くのか。うんざり。今朝は昨日よりはちょっとマシ、気温だけは数度低かったろう。 * 写真を載せても読んでくださる人の多寡には関係がないようだ。え?自己承認欲求が強いことをまた書いているって?いやいや、書いて公開している以上はむろん気になるでしょう、訪問者数。全然自然なことだ。 でも前にも書いたように、これはなにしろ子や孫へのいつかは<遺された>と形容されるメッセージだと思って書き進めるに如くはない。 * 今お茶を淹れた。父の実家は時計店を名乗っていた商家だったが、祖父の商うものは時計ばかりではなく、万年筆、宝石、印鑑、新聞、電化製品(主に蓄音機!東芝の特約店だった)、レコード、そしてお茶も。「根本園」というブランドすら持っていた。 祖父は私が4、5歳の頃に他界、祖母が店の主となって、おそらく祖父と同じようにして(私は覚えていない)、店舗全体を睥睨できる座敷で長火鉢を前に座り店番をしていたものだった。祖母は「上客」が来ると、「お茶飲まんしょ」と言って座敷に上げたりした。 「お茶飲まんしょ。」 私は自分で茶を淹れるとき、祖母の口調を真似て必ず言う。自分に「お飲みなさいませ」もないわけだけれど。 祖母は福島市の東、旧・霊山町(今の伊達市)の出身、旧姓は橋本、名は「けさよ」と言った。「飲まんしょ」はきっと中通り(福島県の東北本線沿いの東西領域)では通じはしても言わないだろう。これも中通りは二本松出身の祖父も會津弁の話者では元々ないから、會津に来て、郷に入って郷に従って身につけたdialectなのだろう。祖父なら「お茶飲んでがんしょ」と言ったろう。標準語なら「飲んでいきなさいよ」というところ。