いいもんはいい
先ほどの成城1丁目の空。十七夜の月、ということかな。
撮ったところには去年までDCMというホームセンターが在った。元々は「東宝日曜大工センター」が在って、付近の住民に広く知れ渡った店舗だったのだが、DCMに代わった。そしてそれも潰れて、大家である東宝株式会社が広大な敷地に新たにスタジオを造るのだ。それは結構なのだけれど、ちゃんとニーズがあるのだろうか。
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なんだか胡散臭い政党が縄文人をやたら称揚しているとかいないとか。大陸の東アジア人とは縄文人の血が入っているか否かで大きく違うのだと言いたいのかい。(そうだとして、だからどうした。)
その縄文人は、7万〜5万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスのほとんどダイレクトな子孫であって、その大陸に残った一派にタイに住む少数民族マニ族がいる。特に愛知県伊川津貝塚の縄文人IK002とマニ族の8,000年前の祖先のDNA組成が非常に近いのだそうだ。
岡本太郎氏は縄文人の造形を賛美した。生命力溢れる藝術だ、と。ずっと後になって生まれた侘び寂びの美意識を<のみ>尊び、それこそが日本文化とする大勢的風潮に反発したのだった。(岡本氏は侘び寂びを全面否定したわけではない。できるはずもない。)
<あの一部の人たち>は侘び寂びは禅仏教からの精神であって、つまりはインド、中国からの<からごころ>のものだ、Japaneseではない、などと言いたいのだろうか。バカバカしい。神道は縄文人精神を受け継ぐもので、仏教はインド・中国の異民族思想であり、本居宣長、平田篤胤らの主張は今も正しく有効で、「日本人」は須く神道信者でなければならないとでも?おいおい。あなたたちの「血」に大陸由来のものが入っていないとでも言うの?
私はね、神道も好き、仏教も好きですよ。つ〜か、神社仏閣、どっちも好きなんだ、そのたたずまいが。神仏を習合した我々のご先祖さんたちはだから偉大だと思うよ。
さらに、縄文文化も弥生文化もどっちもいいじゃん。どっちが優れている、劣っているじゃない。
いいもんはいいんだよ。

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