昨日のこと(Kと日帰り帰郷)
昨日撮った西会津町尾野本にあるJR磐越西線踏切から東の景色。
ここは私が15歳の冬に、ChicagoのFlight 602を口ずさみながら歩いた場所。旧ブログでも書いておりました。曲は、
https://www.youtube.com/watch?v=fIi3K5Xnmvs
家から3キロは離れているでしょうか。道路以外は雪原となった、町の中では「異郷」(小学校の学区が違う)である尾野本を、短日の午後に歩くのが好きでした。冬の會津の空はたいてい鉛色。すれ違う人はほとんどおらず、雪を踏みしめる己の靴音しかしないのです。
ウォークマンなどはまだまだ夢世界の道具、好きな歌を脳内で「ヘヴィー・ローテーション」でかけまくるのです。Breadの歌が多かったけれど、上のChicagoのがそのときは対象曲でした。イントロがことのほか好きで、lonesomeなacoustic guitarがコードを半音下からグリッサンドさせてニュアンスいっぱいに弾き出され、9小節めでギターが重なり13小節めで柔らかく温かい響きのオルガンがオーバーラップし、イントロ最後の2小節でsteel guitarが歌を呼び込みます。
冒頭の写真の位置から左に頭を向ければもちろん北、そこには遠く、今夏山となっている飯豊連峰。ここすべてが雪景色になっているのをご想像あれ。
この尾野本の森野という地区にKが住んでおりました。知り合って3年は経っておらず、まだ親友とは言えぬ仲でしたが、生徒会長でバレーボール部キャプテン、目立つ存在で、同じクラスになったことはなかったのですが、仲良くなり始めた頃でした。
冒頭の写真の踏切から今度は逆に西方向を望むと、線路沿いに草が刈られた小径があって、300メートルほどでしょうか、さらに警報器がない小さな踏切があって、そこを渡ると墓地が。そうです、Kの家のお墓がそこにありました。
Kの実家はご長男(Kの母上の子ではない。Kの父上は前妻を病気で亡くしており、Kの母上と再婚された)がすでに他界され、森野の家はなくなっています。Kは母上と埼玉で三年前まで暮らしていましたが、そのお母様もなんと百歳という長寿を全うされ、彼はその遺影を持っての墓参となりました。(その<遺影>は、お母様がVサインをしつつ、本当に<イエイ!>と言っているユーモラスこの上ないものです!)
この日帰りの帰郷は、義父の娘が多忙で今夏はそれなりまとまった休暇を取れないことからのことで、また私も旅程短く気忙しい思いをしながら混雑の中どこかに宿泊して旅するのが億劫になったからというのも追加の理由です。しかしその日帰り帰郷だからこそ、Kが同行しやすかったわけです。
急な誘いだったのにも関わらず、彼はほとんど躊躇なくOKしました。彼が五歳の時に亡くした父・吉次さんのお墓へ十数年ぶりに参りたいと切に願ったからなのです。
前方の林の中に墓所がありました。磐越西線の線路脇と言っていいのです。私はもちろん初めてKのお父上に<お会いしました>。菓子職人で、しかも売り酒屋を営み、今なら早逝と言われるだろうお歳で亡くなった父上に、「親友Kを世にあらしめてくださりありがとうございます」と手を合わせました。
さて、Kを知る方々は驚いていませんか?Kが<縮んだ>のです。
私とKは身長がほぼ同じでした。もしかすると1センチであれ、彼の方が高かった印象があります。「健康診断のたび、縮んでんだ」と情けなさそうに笑いました。往時より4センチダウンサイジングしたそうです。
半世紀以上経って彼と尾野本・森野地区を再び歩けたことは感動的なことでした。
「エーミ(Kのこと)君さ。50年とか先の未来に君と俺は友だち同士であり続けて、またこの故郷でそれまでのこととかを話せる日が来ると思うだ。」
「え?根本くん、そんな未来はねぇと思うよ。だって俺は世紀末で死ぬんだから。(彼はよくそう言っていました)」
「何を言ってんだい、エーミ君、そんなことはねぇがら。」
「そうがなあ・・・。」
「わが(=君)は生徒会長でバレーボール部のキャプテンで今モテモテだべした。」
「うん?」
「でも半世紀後、わがは4センチ以上俺より背が低くなってんだ。」
「ウソあべ(ウソだろう)!やっぱ俺は20世紀末で死んでいてぇぞぃ!」



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