Quest for the Skyblue and Green
昨日の夕暮れ。@大蔵運動公園。Skyblueじゃないけれど。
*
またKのVlog最新版でのことだけれど、彼が警備する現場が高円寺南とのことで、そう奇遇ではないけれど、私が直近の記事で<空がないところ>として書いた場所だったから、少し驚いた。
彼にもあまりいい印象がないところだったということで、そこで出会った、イア・ピースをして「スマホ(この言い方嫌いだが敢えて使う)」見ながら現場に来た若造歩行者の記憶を語っていた。その若造は、Kが行く先を丁寧に聞いたところ、方向を顎をしゃくって<答えた>と言うのだ。温厚なKもさすがに憤慨、「ぶっXしてやろうかなと思」ったと。
若い頃、さほど嫌いな街ではなかった。高円寺は若者の街という感じだったし(今もそうかな?)、安くていい飲食店もいっぱいあった。けれども、何度も書いてきたとおり、26歳の時にどうしても日常として広い空が見られる狛江へと引っ越したくなった。ゴチャゴチャした街に完全に食傷したのだった。(現役の高円寺住民のみなさん、すみません!)
Kを怒らせた若者はどこにいたって不思議ではない。高円寺だけにいるはずは無論ない。しかしその経験がKの心を甚(いた)く傷つけ、その記憶はそのことが起こった街の印象と合体してしまったのだ。
私にとっての高円寺は「空のない街」また「緑のない街」で、物理的に視野が狭いこと、緑が見られないことがそのまま心の狭さ、そして安らぎのなさにも通じてしまった。あくまで私の場合だ。朝焼けや夕焼けがfull visionで見られないこと、私を大きく包んでくれる木立がないことは、私には深刻な事態なのだと気づいたのだった。
また暑くなった。Kの現場警備、恙なく遂行されますように。

コメント
コメントを投稿