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"Millions of people or more might die? Who cares?" ---Donald Trump

 アメリカとイスラエルのイラン攻撃が始まったそうだ。国際法違反は明々白々。これが第三次世界大戦へつながる可能性は誰も否定できない。トランプとネタニアフの狂気に世界が付き合わされ、そして多くの人々がこれから殺されていく。 なんという愚かな生き物だ、人間。

「その私」が<いる>と自覚する私

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  https://www.youtube.com/shorts/5ifhzLmct-0 Norwegian Wood はビートルズ1966年発表の楽曲(上のURLはawesomeなギター演奏)だけれども、邦題「ノルウェーの森」は誤訳だ。しかし、この題をつけた人は正確な訳では色気も何もないのを知っていたのだろうと思う。「ノルウェー産の木材」ではどうにもならない。だからわざと誤訳したのだろう。しかし、だ。Johnはその意味の英語タイトルが思わせぶりなあの歌にふさわしいと思ったのだ。日本語では情緒に欠けてNGだが、英語ではそんなことは決してない。不思議な現象だ。研究の余地がある。 村上春樹氏はそのレコードの邦題をそのまま小説名にした。「Wood」が「森」ではないことは彼も承知だったそうだ。 CHORUS部の || Em | * | * | * | F#m7 | * | B7 | * || のコード進行はすばらしい。特にF#m7で私はこの曲に最初に親しんだ頃の自分に戻る気がするのだ。圧倒的に若かった、あの頃の自分に、1、2秒の間。Em4小節での哀愁が、F#m7でふと弛む。その<ゆるみ>がなんとも心地良いのだ。その心地よさを最初に感じた10歳凸凹の私・・・その私が今もいる、と思えるのだ。 * 昨日はA級順位戦最終局。推しの伊藤匠二冠がまだA級にいないこともあって特段の感想もないのだけれど、直前インタビューでの発言でもまた明らかになった佐々木勇気八段の天真爛漫、純粋無垢にはときどき心打たれる。本当に真っ直ぐな青年だ。 A級優勝者、すなわち名人挑戦者は決まらなかった。永瀬九段と糸谷八段が共に敗れて7勝2敗、プレーオフとなったのだ。この頃ますます永瀬さんのことを尊敬するようになった私だ、糸谷さんも魅力的な棋士だけれど、永瀬応援だな。 降級は渡辺九段と中村太地八段。中村さんは実力がはっきり足りない。なんと竜王戦では下から2番目のクラスの5組なのだ。しかも最下位6組降級もありうる今である。順位戦だけはなんとかA級3期を保持したが、実力相応のことではなかったとしか言えない。捲土重来を期待する。

Apple

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ずっと「Odeon」レーベルだったBeatlesのレコードが自社Appleのになったのは1968年、シングル・レコードの「 Hey Jude c/w Revolution 」発売からだった。皮が黄緑色の🍏の皮付きの絵がA面で、半分割った果肉の絵がB面のセンター・レーベルに印刷されたのだが、その図柄が大好きだった。 上に掲げた、私が昨日撮った写真のリンゴは王林だ。ゴールデン・デリシャスと印度を掛け合わせて福島県が開発したという(1952年命名とのこと)。Apple Corpsのは「グラニー・スミス」でオーストラリアで偶然生まれた品種らしい。 ところで、Steve Jobbsがビートルズ・ファンゆえに(これは本当)自分の会社をApple Inc.と名付けたというのは誤りだそうで。ただし、Macのスタートアップ・チャイムの「ダーン(Bong!)」はBeatlesの「 A Day in the Life 」における最後のコードからインスパイアされたのは本当だ。ただしもしこのことに商標問題から拗れたことがある双方のこともあり、コンピューターのことのみに集中し「音(楽)」関係のことには立ち入らないとしていたはずのApple Inc. に対し Apple Corpsの方が また訴訟を起こすとしたら、直接の相手はJobbsではなく、Apple Inc.のサウンド担当者Jim Reekesだったよう。おもしろい話は続くが、ここまで。 * 私が中学時代大好きだったBadfingerというバンドはこのApple Corpsのアーティストだった。Beatlesと変わらぬ青リンゴのセンター・レーベルのレコードは、さらにこのBadfingerへの私の愛着を深めたものだ。 そのBadfingerがバンド終末期にAppleを離れWarner Brothersへ移るということがあった。その移籍直前に彼らは「 Apple of My Eye 」を発表した。 https://www.youtube.com/watch?v=T4GvCAuyJzc 邦題は「懐かしのアップル」だった。う〜ん、苦しいな。中学3年生だった私はその題名に大いに戸惑ったものだ。旧約聖書に出てくる慣用句が大元らしく(しかし今でも使われる)、ピッタリの邦訳はないだろう。すっきり訳せば「宝物」だ。これから去るAppleというレコード会...

ハート

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がっちゃんと先日いろいろ話している中、AIによる楽曲作成のことを暫し梅一輪をちびちび飲みながら思案した。もうすでにAIが「作った」曲は世界中に流れている。Spotifyだかなんだか、すでにAIアーティストが人間の名とイメージを持って再生回数のtop 10などに入っているらしい。 私だって、AIでgenerateされた楽曲、また人工音声のヴォーカルに感動しかねない。いいものはいい、だ。もちろんそれがAIによるものだと聞かされたら、興醒めする。なぜか。それはハートがないからだ。AIにハートはないからだ。 AIとは知らずに聴いている中でそのハートを感じていることは大いにありうる。だから、「ハートがない」と言って興醒めするのはいわゆる「後付け」の理由なのだが、だらしはなくとも、その、見破れなさならぬ<聴き破れなさ>は、どうしようもない。作品が人間によるものかAIによるものかなど判定しようがないところまで来ているのだ。 そんな時代に、もし私がこれからもミュージシャンとして作品を生み出すなら、一体どうすればいいのか。AIを味方にするか、あるいは徹底的に避けるか。単にコンピューター制御のシークウェンスなどならとうの昔から使っている。そのプログラミングを私や多くのミュージシャンたちがやってきた。しかしさすがにAIに曲の創作の任に当たらせたことなどない。そういう使い方なら、ミュージシャンの独自性は保たれており、そのやり方でいいに決まっているのだから、これからもそうするし、さらにはますます音楽を徹底的にアナログ化する方向へ逆に走るかも知れない。 私のようなsingerは、ただハートで歌うしかない。その「ハート」とは何か。声帯に微妙な振動と温みを与える心臓の鼓動、それがもたらす熱かるべき血流だ。それはこの生への、この世への、そして愛するひとへの、愛情と哀切の肉体的反映なのだ。  

新しい一片の感覚にも、自分の古い全過去がある

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小林秀雄『考えるヒント3』文春文庫pp240-241より長く引用する(いやあ、書き写すの大変だ)。なお改行は読みやすいように私が勝手に行っている。送りがな、句読点など原文のままである。 「古いものの中の何が新しいものに抵抗しているのかに注意する者は少い。いや、実際それは、こびり附いて落ちぬ汚れに過ぎぬのか、それとも確かに抵抗している生きた何ものかであるか、そう問うてみる者さえ少いのです。 併し、このささやかな問いこそ大切なのだ。本当の文化評論家が、先ず叩かねばならぬキイなのであります。誰も人間の進歩を望まぬ者はない、だが所謂進歩主義者は、最初から間違ったキイを叩く、と言うより、ピアノが違っている、と言った方がいいかも知れない。彼はcultureというピアノを叩くのではない、techniqueというピアノを叩く。 一国の文化も、一人の人間のように生きているもので、古いものと新しいもの、変らぬものと変るものとが、その中で肉体と精神の様に結ばれている。文化は、物が変化する様には決して変って行くものではない、人間が成長する様に変化して行くものだ。 もし一国の文化にも人間の様に自覚能力があれば、自分の新しい一片の感覚にも、自分の古い全過去があると言うであろう。進歩主義者の誤りは、かくの如き有機体に対する全体的直覚を持たず、文化という因果の鎖を*つまぐるところにあると思う。」 *「つまぐる」爪繰る。指先で次々と数珠などを手繰る。 もう20年近く前の今頃、私は千葉県北東部をランダムにクルマで走っていた。大好きな匝瑳郡旧・光町の尾垂浜が目的地だった。最短距離などを目指さず、寄り道を楽しんでいたのだ、北総(下総)台地の 田舎風景が慕わしくて。 失われた旧ブログにも書いたけれど、佐倉市なのか八街市なのか、あるいは酒々井町、山武市のどこかなのか分からないが、ある集落でクルマを降りた。道端の梅が見事だったからだが、ふと見ると近くの低い里山麓にこじんまりとした鳥居があり、そこから数十段の階段が見えたのだ。左右の斜面は笹藪や低い木で覆われていた。登り切った先も緑に覆われていて、神社や祠があるのかは不確かだった。 一緒にいた義父の娘と私だけ、他に誰もいなかった。数戸しかないような本当に静かな集落だった。階段を登りながら、私はじわりじわりと懐かしみ、親しみ、そして慕わしさを募らせていった。初めて来...

天皇誕生日雑感

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  今上天皇陛下は、妻と娘を心から愛し、誠実を貫かれているその一点だけでも国民の範たることをどれほどの国民が認識しているだろうか。それゆえ陛下にとって国が世界が平和でなければならないという結論になるのだ。お誕生日おめでとうございます。 * この国に住む国民の社会的優劣決定の大元の根拠に天皇制(今はないが)があるとするアイディアを一概に否定はできない。従三位だ、なんとか勲章だなどと人の位や功績をランクづけすることの根本的愚かしさは間違いなくある。そのランク付けの権威がEmperorなのだ。法の下の平等、人に優劣はないという<建前>がいつでも建前のままなのは誰もがはっきり知っている、あるいは薄々知っている。 政治的社会的に天皇や王を戴いていることは、大統領制に比べればどうしても民主主義の徹底性に劣る。しかしその民主主義自身も決して完璧な制度ではないから、国家というものがある以上、国民統合の象徴として<スーパーな存在>を持つことで国家安定の足しにしなければならないこともある。 アメリカを見よ。あれほど分断的な人間が国家元首として、最高段階の行政執行者として君臨してしまうのだ。 ある国の国民的な品位を保つ存在としての皇室や王室の意義は決して小さくないと私は思っている。必要なのはその国民統合の存在が持つmajestyであり、graceだ。これはもう、ヒトという種に望みうる最高の資質ではないか。 * 春眠暁を覚えず。 孟浩然が唐代に「春暁」を詠んで幾星霜。花粉症もその頃あったろうし、良い睡眠がとれなくなってしまうということも。 朝起きたら雨上がりだった。まさに「春暁」の詩の通り。梅の花もいっぱい落ちていたことよ。

ウルトラの街で

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  もう梅も終わりそうだね。昨日の砧公園の景だけれど、見納めと思う。 砧というところに住んでいれば、東宝砧撮影所もそうだけれど、その関連会社でその名もズバリ「キヌタ・ラボラトリー」、そしてもちろんそれらも大きく関わった砧7丁目所在(今はもうないが)の円谷プロ、その作品=ウルトラマン・シリーズは<いまだ>生きていることを日々実感する。 円谷プロをつくった円谷英二さんは福島県須賀川市の出身で、私と同郷とかろうじて言えるかな。須賀川も砧も、ウルトラマンのおかげで今もそれなりに潤っているようだ。今や落語協会を支える重鎮となった柳家喬太郎さんは砧(正確には大蔵だが、そこは砧地域である)生まれ、砧育ち、そして砧に在る日大商学部を出た。彼が無類のウルトラマン・ファンなのはよく知られている。 私も小学生の頃、「ウルトラQ」からハマった口だ。ウルトラマン、ウルトラセブンまでは放送日に胸を踊らせた。しかし、熱狂は以降止まってしまった。小学校高学年になっていたことが大きい。段々「子どもの観るもんだ」と思うようになったのだ。マセたガキになっていたのだ。 そのTBSの「ウルトラ・シリーズ」に異色の番組が挟まった。「キャプテンウルトラ」だ。東宝系の円谷プロが「Q」、「ウルトラマン」で種切れとなってしまっていた間隙を縫って東映が割り込んだ。その作品が「キャプテンウルトラ」だった。 私はそんな事情はつゆ知らず、しかし円谷モノとはかなり異なる<風合い>をすぐに感じた。そして好きになれなかった。地球侵略者バンデル星人があまりに<チャチい>風体だったのが大きい。またメカもプラモデルそのままに見えた。 それでも、この「キャプテンウルトラ」のオープニングだけは必ず見た。ひとえに冨田勲氏による主題歌がすばらしかったからだ。 そしてこの東映モノの「ウルトラ・シリーズ」第3作が終わり、円谷プロはおそらく満を持して「ウルトラセブン」をスタートさせる。オープニングは冬木透さんの名曲だ。勇壮で荘重、ホルンの音色に魅せられた。 その冬木さんと『機甲界ガリアン』で音楽を共に担当できた喜び! ・・・「セブン」は、やはりすでに幼稚な話だと思うところはあったけれど、「アンヌ隊員」の色気に毎回視聴を誘発されたか(笑い)。 今NHKBSでこの「ウルトラセブン」が見られる。タイミングが合うと少しだけ見たりするのだけれど、「いや...

昨日の散歩で

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  去年世田谷美術館で開催された画家横尾忠則さんの作品展ポスター。今更だけれど、昨日成城4丁目を散歩していて氏のアトリエ脇を通ったものだから思い出したのだ。 横尾さんの作品を知ったのは1960年代中葉だろうか、当時イラストレーターだった氏の作品は、ポップで一世を風靡していたので小学生の私でも目にすることがあった(長兄が購読していた雑誌「平凡パンチ」とかで私も見たか)。氏はBeatlesのファンでもあり、彼らの絵も描いた。それは写実であって、上のような<少年的>絵画ではなかった(下)。 今年6月で90歳になるという老境に達し、冒頭の絵のような即興的、筆任せと言うべき画風となっているようだ(形容がおかしかったらごめんなさい)。 アトリエ脇を通ったとき、前回同様氏はそこにいた。南側の窓のブラインドを下ろしているところだった。私は東側の窓から氏と来客2人を目にしたのだった。きっと何か新しい企画が動いているのだろう。すごいなあ。 昨日はとても軽やかな気分で散歩ができた。家を出る前に、3週前送り出した高3のS君が、志望通り関西の名門私立大学に合格したとLINEで知らせてくれていたのだ。 とは云え、気掛かりもあった。Kが手首や手にひどい痛みを抱えていて、医者などに見せてもどうにも埒が開かず、明らかにやつれていた。休みが重なり、いよいよ逼迫、稼がねばと久しぶりに現場に出たという動画を上げていたからだ。もはや全面的に公助を受けるべきだとLINEした。治してからまた自分で稼ぐようになればいいのだし。もちろん私にできることがあれば協力するとも書いた。 成城4丁目から折り返し、成城学園前駅の南口付近を歩いていて、LAWSONに入った。驚いた。レジ係が白人の若い女性だったのだ。ひょっとすると驚くことでもないのかもしれないが、私には初めてのことだった。そしてまたしても完璧な日本語、応対ぶり。 円が安くなる一方、ピーク時の3分の1まで価値が下落した。アメリカやヨーロッパでラーメンを食べれば3,000円だという。外国人労働者、パートタイマーのみなさん、本当にありがとうございますとしか私には言えない。

Not Sure

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  動いていなければ、何が何やら分からない。大蔵運動公園内の噴水下の水溜りであり、天文学者が示す宇宙の泡構造の図ではない。だからどうした。 * 久しぶりに通夜・葬儀に出席して、やはりいろいろと考えるところがあった。自然な(?)順番から言って、「次は私か」と思っているに違いない亡くなった伯母に歳が近い親戚縁者。いいや、そんな順番なんていつだってひっくり返るのだと思う私。自分の葬儀はどういう具合になるのかなあ、などと思う。 伯母の長男で喪主のTさんは、「僕は葬儀とか全部いらない。火葬場直行でいい」と半ば本気、半ば戯けて言うと、周りの人々は笑ったけれど、私はその気持ちがよくわかる。もっと本音を言えば、土葬にしてもらいたい。 嫌な話である。自分でも書いていて嫌気が差す。しかし、生老病死は避けられず、また<まもなく>どなたかの、あるいはとうとう自分の終焉を迎えるのだ。その冷厳たる事実に背筋が伸びる気がする。 私は、何度か書いてきたけれど、冬至前後の季節が大好きなのだ。他の季節も好きだけれども、特に。その11月後半辺りから翌年の正月元日までの日々を<また>過ごしたいと思うのだ。できればこれからも何度も何度も。 執着である。仏の教えに背く、私は無明の徒である。 Johnは Dear Prudence で「Birds will sing that you are part of everything」と歌った。インドでマハリシの教えを聴きながら、その歌が降りてきたのだ。この世の全てと一体なのだと悟れたら、その「一体」が実は「一心」でもあって、この世からいなくなってもなんと<自分>がこの世のevery soulとつながり、あるいはそのものになれるかもしれない・・・。 MNEMOちゃん、大丈夫?

伯母の通夜、YAMAHA、 楠

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昨日は、義父の嫂、N家惣領J氏妻だったK子伯母様のお通夜だった。92歳没。会場は埼玉某所で、私は義父とクルマで行き、義父の娘は仕事場から直行した。 N家は過日書いたように元々の出は和歌山で、紀州藩士の家柄だった。階級は「定かでない」と義父の父は『私の歩いてきた道』という自伝で書いている。その、長くYAMAHA(日本楽器製造株式会社)に勤めた「義父の父」K三氏は、大阪・心斎橋の生まれ育ちだった。N家はゆえに関西が本拠だったわけだが、浜松本社で働いていたK三氏は転勤族となり、札幌の支店長時代に長男J氏がK子氏を見染めたという。その後K子氏は北海道で教員となったが、J氏との結婚のため上京した。 J伯父様はすでに10年以上前に他界している。相思相愛として親戚中に知られていた夫婦だったがゆえ、残されたK子伯母様は次第に心身共衰えていった。 N家には「いとこ会」があって、長年J伯父様が音頭をとってN家兄弟姉妹、その子達=いとこ達が年一回集まり会食をしていた。その会もJ伯父様の逝去もあり、またN家兄弟姉妹の高齢化(ほぼ全員が80歳を超えた)もあって9年ほど前の会を以て事実上終わりを迎えていた。しかし今回のK子伯母様の通夜と葬儀でその「いとこ会」が再開となったのは皮肉ではあるが、久しぶりに皆が集って一族の連帯を確かめ合えたのは伯母様のおかげである。 * YAMAHA楽器製造株式会社(元は山葉風琴製造所)だが、創業者は山葉寅楠である。そう、昨日の記事で論じた、あの紀州特有の名前、「○楠」だ。寅楠さんも紀州藩士の家の出だ。東京N家の祖となったK三氏は、大阪人として生まれ育ちつつ、縁有って父・亀楠と同じ「楠」の字が名前に入る、同じ紀州藩士の家柄の寅楠さんの会社に1925年に入ったのだ。 おもしろいものだ。

がっちゃんと飲みました

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  昨夜がっちゃんと我が地元祖師ヶ谷大蔵駅を出てすぐの居酒屋で楽しいひとときを過ごしました。なお、彼の顔は敢えてフレームに入れませんでした。彼は若々しいし、表情を公開しても問題はなかったとは思いますが、敢えて。 いわゆる「サシ」で飲食したわけですが、談笑は2時間半をゆうに超えました。 何度も書いてきましたが、プロのギターリストとして本当に長年やってきて、現役を貫いている彼には尊敬しかありません。彼のようなミュージシャンに「ライブやりましょう」と言ってもらえることを私は励みにしています。 1997年だと思いますが、G Stringの大阪・梅田での演奏が非常に良く、がっちゃんは絶賛します。スティックや聡作くん(G Stringのキーボード担当)らと高く評価しながら、彼は「もったいない」と思いつつ、「でもさ、まだMNEMOさんの声が衰えていないなら、こうしてもったいないと思っている気持ちを<今>ぶつけられるじゃないか」と思ったと言うのです。感激しました。 * がっちゃんが焼酎で割っているピンク色の液体、「バイス」と言うとのことで、一瞬「vice」、つまり「悪徳」という小洒落た趣旨の名前かと思いつつも、しかしおそらくそうではあるまい、きっと「梅酢」の重箱読みなのだろうと思ったらそうではないようです。戦後「ホイス」という同種の焼酎割りの液体があったそうで、それの<もじり>だそう。今度飲んでみっか。 私はbeerの後は、九十九里銘酒「梅一輪」を熱燗で一合。梅一輪がこの店の<デフォルト>清酒らしく、これはうれしかった。店員さんは全員南アジア系で、すばらしい接客だった。 がっちゃんは後、電車でひと駅ながら成城学園前駅で降り、高級住宅街を歩いて(それが乙だとのこと)多摩地区の何処かへ帰って行きました。 * いやあ、完全に花粉症にかかってしまった。もう昨日からティッシュ数百枚消費している。この歳で、とうとう。

「難を転じる」南天を掻敷にした料理などを食したい

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「七人の侍」の、志村喬さん演じる島田勘兵衛が剃髪するシーンを撮ったのは世田谷区大蔵3丁目の仙川ほとりだったが、その近くの藪に「何という端正なfoliage! この少し鈍い光沢がなんとも美しい!」と思わずシャッターを切った。よく見ると家の庭にも在る南天であった。しかし、こんなに艶はないぞぉ。 南天のことをWikiで調べていたら、南方熊楠の名が出てきたので以下のことを思い出した。 義父の娘の曾祖父は和歌山県の人で、名を亀楠(かめぐす)と言った。「熊楠」が熊野権現信仰と、御神木の楠から由来するのは明白で、亀楠さんの名の由来は長寿の動物とその常緑のありがたい木の名の組み合わせからと言っていい。 この「楠」の字を名に入れる風習は、南紀(和歌山県南部)特有らしい。他には先述のように「熊」、そして藤白神社(神職は穂積・鈴木氏)からの「藤」の字が尊ばれたそう。ゆえに「熊楠」というのは紀州においておめでたい字が2つも使われているわけだ。 クスノキと言えば私にとっては(漱石病罹患期の)都心居住時代北の丸公園で冬季に特に親しんだ樹木ということになる。常緑広葉樹のクスノキは會津にはなく(クスノキは関東が北限)、珍しかった。春に新しい葉が出てくるのだが、その若緑が本当に美しいのだ。 熊楠の名言・・・ 「学問は活物で、書籍は糟粕だ。」 植物学者になりたかった私は、また今日も野に出よう。

You can't say it, but you can show it

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  東名高速、800m地点の脇に咲くダッフォディルズ。 沈丁花も蕾が綻んだ株がちらほら見られるようになっている。ダウンとかの厚手のコートを着て歩いていると暑すぎる季節がやってきた。 * 歳をとると、宗教臭くなったり(いわゆる「抹香臭い」)、哲学的になったりするのはしかたがない。お迎え近くなって、我が人生とは何か、何だったかと振り返るのはごく自然なことだし。そして「我が」人生を超えて、命とは、宇宙とは、存在とはと問いだすのだ。 Wittgensteinが「論理哲学論考」で形而上的なことについては沈黙せねばならないと言ったのは有名なことだけれど、しかしだからといって彼が形而上のことをないと断言したのではない(らしい)。語ることはできなくとも、<示すことはできる>としたと。 彼は後に「哲学探究(彼の後期の思索)」で言語は道具であって、多様な言語ゲームの集合と言い出して、前期の「言語は世界を論理的に写(映)すもの」という考えを翻すけれど、それでも「論考」の考え方は多くの人に今でも影響を与えている。 そう、美や神、価値、人生の意味など、どんな哲学者も正確に語ることはできないけれども、人間はそれを<示すことができる>とするideaに私は惚れる。 藝術家こそ、それを示すことのできる人間なのだ、と。

今年、茨城ダービーがあっぺや

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  大昔、もう10年以上前、鹿島神宮を参拝しての帰りに撮った、利根川の向こうに沈む太陽。この頃私は東日本大震災と原発事故を経験して『トーホグマン』という物語を書いていたのです。鹿島神宮には地震を抑えているという「要石」があり、また鹿嶋市周辺には日本保守主義・官僚主義の元祖とも言ってよい藤原鎌足の出身地伝説もあり、さらに藤原家の氏寺奈良の興福寺、 氏神武甕槌(タケミカヅチ)を祀る、興福寺と 一体である春日大社では、鹿島から武甕槌が白鹿に乗り 御蓋山(みかさやま、春日山)に 降臨したということで、その神話伝説を<関東で>感じ取ることができる楽しさでクルマを飛ばしたのでした。 茨城県というのは、群馬県や栃木県という同じ北関東の県と並んで目立たぬ都道府県のランキングで1、2、3位を争っているのですが、とんでもないですよ。奈良があの鹿や寺社で国際的に人気の観光地になっていますけれど、それは常陸国=茨城県の鹿嶋(市はこう漢字で表記する)に負うところなのですから、茨城県民としては、その大元にもおいで、と言いたいところでしょう。 武甕槌は、出雲から信濃・諏訪へと建御名方(タケミナカタ)を追いやった神様です。要は、初期弥生人と後期弥生人ないしは初期古墳時代人の争いだったのでしょう(いい加減なこと言うな!)。 さて、鹿島アントラーズが昨日1勝目を挙げました。Epsonが在る諏訪(正確には茅野)を根拠地のひとつにしようと努力中のJ3松本山雅FCが対戦すればおもしろいのになあ。過去山雅がJ1にいたときに4戦(1勝2敗1分)しているようだけれど、いつか松本・諏訪FCとなって、タケミナカタ(諏訪大社)とタケミカヅチ(鹿島神宮)の因縁の試合が見られるといいなあ(勝手なこと言うな!)。

いつまで経ってもmountain-nearing

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上は狛江市元和泉・五本松近く、これまで何度も写真を撮ってきた地点からの多摩川。おとといの景。上流方向最遠に見える山は大岳山(1266m)、その背後に御前山(1405m)だ。秩父・奥多摩山塊の一部である。 https://www.youtube.com/watch?v=63Z-nRZWFkc 上は我が故郷西會津町が細々ながらがんばって制作している地元PRビデオのひとつ。最近のもので、福島市出身のタレントでエベレストも登頂した「なすび」氏が町の低山を登るもの。この回はやはり福島市出身の「役場」職員(=地方公務員)の菅野さんがお相手で、西會津と喜多方市の境に聳える鳥屋山(580.6m)に登るもの。 この菅野さんは相当に変わり種な女性と言っていい。県都福島市から県の北西の端、新潟県と山形県に接する山間の<過疎地>である西會津町へ「直感」で「ここに住みたい」となって、そこで職を得て住んでいると言うのだ。驚いた。町の人はみな「やさしくて温かくてすっかり西會津に染まってしま」ったと言うが、そりゃそうだ。こんなに若い女性が移住してきてくれたら、日本のどこの地方自治体でも大歓迎だろう。 なすび氏が最後に食べる味噌ラーメンは「えちご屋」の自慢。店主は我が次兄の同級生。名前の通り、西・新潟県東蒲原郡から我が町の西端の県境(鳥居峠)を越えて大昔(?)移住してきた越後=新潟人だ。お隣の「日本3大ラーメン」のひとつである喜多方ラーメンに負けぬものを作ろうとがんばっておられる。 Mooさんが(またMooさんの記事からのinspirationかい!)最新記事で、若かりし頃に富山の地元の立山連峰、また「北アルプス」の槍ヶ岳などをお父上と登った記憶を辿っておられる。 そう、この稿の冒頭からの通奏低音は「山」である。 昔書いたように、私自身は高1か高2の頃、遠足で磐梯山に登ったが、それ以前も以降も全く登山をしたことはない。あの田中陽希氏の百名山トラバースものから俄然興味を持ったけれど、だからといって「では私もclimberになるぞ!」とは思わなかった。 すばらしい趣味だと思う。危険が伴うけれど、それは平地で歩いていたって自動車や自転車にぶつかる危険はあるのだし、どっこいどっこいとまでは言わずとも、リスクなしで感動的な非日常の景色に出会うはずはないのだし、しかたがないことだ。ただしもちろん入念な計画と装備...

七百年前の訓戒

四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、言に打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。 大方、聞きくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。 徒然草の第百十三段である。MNEMO流に訳してみよう。 四十を過ぎて好色に走っているような人、もしもそれがこっそりとなされているようなら、困ったものだ。声高に男女のことや他人の身の上のことなどをふざけて言いふらすのは、年甲斐もなく、見苦しい。 大体、聞き苦しく、見苦しいことというのは、老人が若い人に交わって、彼ら彼女らに「おもしろいだろう」などといろいろ話して悦に入っていることだ。大したこともない人間であるくせに、高名な人と近しいかのように話したりする。金もそう持っていないのに、酒宴を好み、人にご馳走しようなどと調子に乗っていることだ。 「四十」が老境とされた平安末期および鎌倉初期、現代人にはびっくりでしかないけれど、つい最近まで「人生五十年」とされたわけだから当然と言えば当然だ。 次に同じ徒然草第百六十八段。 年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。 大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。 訳すのが面倒なので、サイトに載っていたものをそのまま転じる。 一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。 おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言...

涙脆い方だった

おととい義父の娘と義父が見舞った「伯母様」が今日亡くなった。老衰と言っていいと思う。90歳をゆうに超えておられた。義父の義姉であった。合掌

ね、やなせさん

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昨日砧公園への道すがらのことです。NHK技研の近くで小2くらいの女の子が独り歩いていて、歌を唄っているのでした。何の歌なのか聞きたくなって、今の世、J. Epsteinの友だちで同趣味の米国大統領の御代ではありますが、人目を気にしながらその子に近づいていきました。 果たしてそれは『手のひらを太陽に』でした。1962年NHKの「みんなの歌」で発表された、やなせたかしさんが作詞、いずみたくさんが作曲されたもので、リアルタイムでTVを前にして私も歌いましたっけ。「血潮」という単語が<初耳>で、幼稚園児だった私は正確な意味は分からずとも、太陽に手のひらを透かして見て、「真っ赤に流れ」ているのは「血」だと知っていたので、「潮」の方はさておき、ほぼ理解して歌いましたし、また、 しばらくの間は 晴れた日にその行為を、習慣のようにしてみたものです。また、目をつぶると瞼の裏が赤いのはやはりその「血潮」が流れているからだろうと推測もしたものです。 ( びっくり。Wikiによると今この歌、ピッタリ小2の音楽科教科書に掲載されているとのこと!学校で習ってきたんですね。) https://www.youtube.com/watch?v=E3yCW4ycN64 「生きているから歌うんだ」 その小2の少女が、この歌を学校で習い、いいなと思って下校途中に独り唄っている。なんと大切なひとときでしょうか。私もこの歌ではないにしろ同じことをした半世紀以上も前。その時も、それ以降も、私は戦争のない時代を生きてこられました。 日本の、世界の、少年少女たちがずっと生きて、歌っていられる世でありますように! * うれしいな。今日は朝日杯の準&決勝がYouTube配信されている。ABEMAでも。伊藤匠2冠、藤井6冠が残り、さらに佐藤天彦九段・・・そして阿部健治郎七段が勝ち残っている!彼は會津の北隣山形県の出身、ずっと応援している。しかし相手は世田谷区の星、私のイチ押し伊藤「たっくん」。ああ、悩ましい。

この神も、あの神も

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おととい「私は古神道のこころを信じている」と書きました。どういうことか少し敷衍したいと思います。 私は會津ばかりか新潟や一部山形の人々にも崇敬される大山祇神社をいただく町に生まれ育ちました。母方の実家は駅前で旅館を営み、主に新潟からの参拝客のご贔屓にあずかって母を含む8人もの子どもを祖父母は育てることができたのです。 大山祇神社はイザナギとイザナミの子である大山積命を祀っており、天津神系の神社です。御本社は愛媛の今治にあります。また静岡三島市に三嶋大社があり、この神社も大山祇(「積」に同じ)命を祀っており、私の故郷のはこれらの末社に当たるのですが、往時は御本社に劣らぬほどとは言わぬまでも本当に多くの参拝者を集めたものでした。今も往時の隆盛までとはいかずとも六月の例大祭ではやはり新潟の人々を中心に多数ご参拝いただいています。 さておもしろいのは、この會津の「山の神様」の宮司Iさんが父の友だちで、普段は町を通る越後街道の東端にある諏方(=諏訪)神社の宮司様としてお社の隣に住まわれていたことです。諏方神社はもちろん国津神系です(主神はタケミナカタ、国津神の大元である大国主命の子です)。 これは仏教で言えば、普段は「鎌倉新仏教」のいずれかの宗派に属する寺の住職様が、町場で衆生を救っておられる中、山岳信仰にも通じて深山にある密教の寺の住職も兼ねるようなことでしょうか。比喩が下手かもしれません。 こうしたアウフヘーベンが好ましいのです。 そして「古神道のこころ」です。 古神道には教義も開祖もありません。押し付けがましい解釈屋も許しません。山に、森に、滝に、川に、海にいて、常にそれらに神性を感じ、自分はそれらとつながっていること、あるいは一体であること、そして四季があるように、植物が枯れてもまた春には芽吹くように、私の命も循環するのだと<思えるこころ>です。 *追記 Mooさんの最新記事を今拝見。びっくり。アウフヘーベン、ジンテーゼ!Synchronicity!(笑)

負けないぞ、Peace & Loveを歌い続けるぞ

昨日、あるお二人の方々とLINEで別々に今回の衆議院選挙についてやりとりをしました。お二人の政治信条のことゆえ匿名、さらにその方々の属性に触れることもせずにしておきますが、ただ偶々そのお二人が同じ都道府県出身者であること、それは福島県ではないこと、私よりちょっと年下であることだけは明かしておきます。 そのお二人には親御さんの影響でリベラルな思想を持つようになったという共通点もあります。互いの面識はありません。本当に偶然にそういう方々と私はLINEで今の日本の政治状況への思いを端的に語り合いました。 いずれのやりとりもその方々からまずメッセージをいただきました。私のこのブログでの記事を読まれてのことでしょう。同じ想いを抱いているのだということで、悄然としている私には大いなる慰めでした。 上で「親御さんの影響」と書きました。そのお二人と同じで、私も父親の影響でリベラルな思想を持つようになったわけで、それゆえ後年その方々と交友するようになったということもあるわけです。 親の影響は大きいわけですが、しかし、親がリベラルだと子もそうなるとはもちろん単純には言えません。現に私の男兄弟では私が唯一のリベラルです。 むずかしいものです。親たちが例えば先の大戦で酷い目に遭って、「二度と戦争をしてはならない」と子らに言い、それがストレートに家訓的なものとなって代々戦争反対派の血脈が続くかと言ったらそうはならないわけです。 しかし、あの81年前までの戦争で「日本人」の全員が酷い目に遭ったわけで、「もう二度とごめんだ」と思った人々が大勢であったろう中、「日本は間違っていなかった」と断固根本的な悔悟をしなかった人々もいたわけでしょう。 そして戦争を忌避する気持ちは、当事者が亡くなっていきながら、社会全体として薄れ、風化していき、「戦争を知らない子どもたち」が成長し、中には「しなければならない戦争もある」と思う者たちが出てくる。「他国の侵略に座して耐えろと言うのか!」と息巻く。 誰が座して侵略に甘んじるねん! しかしまずはそんなことにならぬ外交努力やろがい。日本を侵略してもペイ(オフ)しないよということ、そして友好的にやっていく方がはるかに相互の利益になることを諄々と諭すことやろがい! とまあ、突然激しつつ、この稿、擱筆したいと思います。 にゃ〜

I'll Go and Stop the War

https://www.youtube.com/watch?v=bmM9W7A79Bg 雪の中(積雪は6センチを超えた)投票してきた。子連れの若い人が目立った。好ましいことだ。どのくらいの投票率になるのか。 Mooさんは「『(高市氏が)何か期待に応えてくれる』などという幻想は、投票日が近づくにつれて崩れてきているのだが、果たして投票行動に表れるのかどうか。無理だろうなあ」とのことで、自民・維新の勝利に終わるだろうと予測されているよう。私も同じように悲観的だし、開票結果を知るのが恐ろしい。 与党支持がどこの党よりも大きいのなら、それは相対的なこととはいえ最大多数の民意として受け止めねばならない。有事法制があるからと台湾有事には出兵(正確には自衛隊員を投入)し、いよいよ平和憲法を変え、原発を何事もなかったかのようにフル稼働させ、また裏金議員を事実上許し、これから同様なことが起こっても不問にする先例を作り、またさらに中国を敵視ばかりし、トランプ腐敗政権と蜜月関係だなどと吹聴し、さらにさらに安い円を野放しにするのを容認するということなのだ。私は死ぬほど嫌だが、その<民意>で国会が動いていくことに直接にはどうすることもできない。 Mooさんは傘寿を迎えてもなお今住む長野県池田町の将来のことを真剣に考え、正確な資料を基に提言を続けている。来世など信じないMooさんが、己のいない世などはまさに知ったことではないはずなのに、後進の人々のことをいつも慮っている。 私はソクラテス(プラトン『パイドン』)流に魂の不滅を、というより、まさに古神道の<こころ>を信じているから、将来のこの国を案じずにはいられない。 台湾有事でアメリカ軍が何かされたら同盟国として放っておけないと言った高市氏の発言をどれくらいの国民が知っていて、その意味の重大さに気づいているのだろうか。アメリカについて行って、犠牲は主にアメリカ兵であって、同盟国軍は尻込みしていたというようなことを言い放つアメリカ大統領が現に存する今だ。自衛隊員が同じ屈辱を受けない保証はない。中国と完全に戦闘状態に入って、一体あの強大な国にどうやって対抗するというのか?

戦争をとめてくるね

  世田谷区は積雪3センチというところでしょうか。久しぶりに「異界」となって、日曜ということもあり、冬タイアが間に合わずということかクルマが全然走っていないがゆえ、そしてほとんど誰も歩いていないがゆえのこんな静寂は上京以来初めてかもしれない。 この投票日の気象的なありさまは、事実上白紙委任状を自分にくれと訴えて、最も寒い2月に選挙を性急に実施した首相の思惑通りなのか? 少なくとも、今、彼女は関係は一切ないと言ったあの韓国発の宗教団体とつながりがあったし、また、政治資金規正法違反の疑いもかけられている。そんな人がここまでのフリーハンドを持ちながら一国のトップにいることを国民は恥じなければならない。 Twitterでは「ママ戦争をとめてくるね」という母親たちの投票を呼びかけるハッシュタグが広がっているらしい。救いだ。「台湾有事」で日本は戦うと言い放ったのはこの女性宰相なのだ。大袈裟でもなんでもない。女性のみなさん、どうか悪天候、雪にめげず、あなたの子や孫のため、投票をしてください! もちろん心ある女性たちにのみお願いするのではない。心ある、知性あるみなさまにぜひ行動をとっていただきますよう衷心より訴えます。

断を下せ!

下品で、不勉強で、人種差別主義者で、misogynistで、障がい者を馬鹿にし、小児性愛者で、恒常的な嘘つきが、<今>アメリカ大統領である事実になぜアメリカ国民は断を下さない。本当に信じられない。こんな<現代>に生きているなんて、どんな罪の報いなのか。 こんなヤツに支持されて悦に入っている「元米国議会立法調査官」だった、英語が死ぬほど堪能なはずの早苗さん、あなたはヤツのSNS投稿を読んでいますよね? あなたはヤツと同類ですか?

Henriくん、おめでとう

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探梅とは、早咲きの梅を、春到来をいち早く感じたいがために探しまわることとされるけれど、私は梅のほのかな匂いを嗅ぎとって、さてどこにその梅が咲いているかを探すことだと独自解釈していた。 * 主要紙はみな自民党勝利ないし圧勝を予言している。ハハハ。何をか言わんや。 * 今日は関根安里くんのお誕生日だ。今年は奏で合えるといいな。  

「昨日春立って」雑記

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  故・石原慎太郎氏が都知事時代、彼の最大の功績がPM(粒子状物質)を排出する車両を規制する2001年から施行された条例を出したことだ。上は昨日の砧公園の梅、真っ青な空に映える。東京を中心とする首都圏(1都3県)の人口は3千7百万人であり、そんな世界最大規模の密集地の空がこれだけ青いのは奇跡的ですらある。むろん石原さんだけの功績ではないけれど。 東京は冬場特に空気が澄む。季節風が絶えず吹いているからだろう。それにしても、昨日は私、「なんて澄んだ空だ!」と本当に叫んだほどだ。 * 朝の砧公園には近隣各所の保育園児童が保育士さんたちに大勢連れられて入ってくる。保育士さんたちは圧倒的に女性で、子ども好きだから当たり前なのか、柔和な表情の人ばかり。すれ違うとき、私が園児たちに目を細めていると、保育士さんたちはまず例外なく「おはようございます」と言ってくださる。 園児たちの未来が平和な世の中で展開されますように! * その園児たちが落ち葉の上や芝生の上で戯れている横で、大きな常緑広葉樹をしみじみ眺めていた。遠くからはクスノキかとも思えたけれど、樹下には無数のドングリ。その木なんの木気になる木、となって検索をかけようかと思っていたら、最近設置された立て看にドングリがなる樹木についての情報が書かれており、葉っぱの形状、またもちろんドングリの形状からそれがアカカシであることが分かって、気も晴れた(笑)。 ドングリを成す樹木にはアカカシのように常緑のものや落葉するものもあって、代表的なのはコナラやクヌギだ。この「子」たちの新緑や紅葉はすばらしい!常緑、落葉、どっちもいいよね。なお、 ドングリ(acorn)を成す木はほぼ全てブナ科の木だ。

やはり「和顔愛語」

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誰もが知っていることだけれど、言葉は因となり果となる。行為と同じだ。「言動」と一括りにするのはだから正しい。しかしみなこのことを知っていても、吐かれる言葉は無形だから畢竟無いも同然だと思ってしまう傾向があろう。例えば、ひどいことを言ってしまっても撤回できると思っている。あるいはもっと卑怯なことには、言ったこと自体を否定できると思っている。 そうはいかない。 善因善果という仏の教えは尊い。善い言葉を放てば、いずれ善い報いが来る。逆もまた真。 著述家菅野完さんが昨日大阪でトークショーをいわゆるライブ・ハウスで仲間と催したそうで、立錐の余地もないほどの客入りだったそうだ。これまたいわゆる「ワン・ドリンク制」で、客は最低一杯の飲み物をオーダーせねばならない。 トークショーの冒頭、菅野さんの目の前数十センチに位置した「おっさん(60歳から70歳代らしい)」が、その「ワン・ドリンク」が遅々として手元に来ないことに腹を立てて、「俺のウーロン茶まだ来ぃへんのか」と言い、店の人が丁寧に謝っているにも関わらず、「はよせぇよ、アホ!」と言い放ったというのだ。菅野さんは瞬間猛烈に怒り、「金は返すから出て行け」とその御仁に2分間ほどそれだけ超至近距離でドヤし続けたそう。 「和顔愛語」は私が座右の銘として毛筆して部屋に貼ってある「大無量寿経」の言葉。和やかな、穏やかな表情で愛ある言葉を発することを教えている。亡き紀野一義先生の御本で学んだ。 「おっさん」は追い出されても文句は言えない。しかし追い出した菅野さんもきっと「 金は返すから出て行け」の後に「ドアホ!」と、いつも彼が気に食わぬ言動をした人間に吐いているように言っているはず。そこで、どっちもどっち。 私も 「和顔愛語」を座右の銘にしているからといっていつも実行できているはずはない。できていたら私は菩薩に近い。できないから毛筆して部屋に貼っているのだ。 それでももちろん常に 「和顔愛語」できる者でありたい、あらねばと思っている。

引退

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世田谷通り、砧3丁目側から撮った。反対側は、写っていないが、国立の成育医療研究センターで、元は国立大蔵病院、さらにその前身は陸軍第二病院で、亡き父が一時期入院していた。 30年前、大阪でギグがあり、2泊したのだったか。帰京してここを通ったとき、私はしみじみと「This is where I belong!」と心の中英語で叫んだ。当時は狛江市東野川2丁目に暮らしていたが、東名の東京用賀インターで降り、世田谷通りに入ってから、たった2泊3日の旅であっても、幼い娘が待っている狛江に帰ることが待ち遠しく、この写真の辺りに来て「MNEMO圏」に入ったという実感があったのだ。ここから太陽の方向へおよそ5キロほどで我が家であった。 * https://www.youtube.com/watch?v=p4tSCtwIJMI アゼルバイジャンというカスピ海西に位置する国がある。9割以上がイスラム教徒の国だけれども、世俗主義的で、そう厳格ではないそうだ。それゆえか、上のようなオーケストラが存在する。 演奏しているのは芥川也寸志さんの「トリプティーク」で、見事なものだ。4年前の演奏らしいけれど、「コンマス」が演奏が終わって泣いている。おそらく最後のコンマスとしての演奏だったのだろう。 きっと彼は私と同世代、もしかすると同い年かもしれない。一線を引く・・・そのときの<絶奏>が「 トリプティーク」とは! 彼はオーケストラの内規だかで一定の年齢で引退となったのか、それとも、そうではないが後進に道を譲る時が来たと考えたのか・・・またそれとも、これ以上演奏力を一定レベルに保つのはむずかしいと考えたか。 身につまされるな。  

俳句のひとつも詠んでみろ

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昨日の日没、世田谷区大蔵と砧の境、世田谷通りを跨ぐ橋からの一枚。富士山の少し南に日は沈む。見惚れる人が他に2人。品のいいお婆さんが、私の「あのクレーンがなきゃなあ」という声に反応して「そうですねぇ」と話しかけてきた。「お婆さん」と言いつつ、私のほんの数年先輩でしかなかろうから、最初から「ほぼ同輩の女性」と書けばいいのか。(笑)義父の娘は、「クレーンはそれはそれでいい景色を成している」と言った。そういう感覚もあるね。   そして反対方向、つまり東に向くとほぼまん丸な月が。与謝蕪村の名句「(菜の花や)月は東に日は西に」を 先取りした景 となった。 この蕪村の名句は、まず柿本人麻呂の「東の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」の半日逆のバージョンと言える。また、丹後(今の京都府北部)民謡に「月は東に昴(すばる)は西に」というフレーズがあって、摂津(今の大阪府と兵庫県が重なるところ)出身の蕪村さんは詩歌の大先輩である人麻呂さんの和歌はもちろん、さらにきっとこの江戸時代編纂の民謡集「山家鳥虫歌」に収められた句も知っていたはずなのだ。というのは、丹後には 「与謝」という名の村在り、蕪村さんの母方の出身地とかとも言われており、それゆえ「与謝」を名乗ったのだから。母の故郷の歌をきっと知っていたはずだ。 この 「月は東に昴は西に」の後「いとし殿御(とのご)は真ん中に」という歌詞が続く。そうなるとなるほど西に在るのは「日」ではなく「昴」でなくてはならない。日は暮れていなければならない。春、夜の帳がすっかり下りれば、西の山(中国山地東端)の端に見えるのは愛らしい<すばる>。そして対置される東の光の主は柔らかい白色の月でなければね。 東の月と西の昴の間のちょうど真ん中に愛しい人がいる・・・ かういふ歌心、詩心こそが<一部>が大好きでやたら尊がる「日本人」といふ人たちのこころなのだ。詩歌のひとつも作れず、汚いことばばかり遣ふやうな者が「日本人」を語るといふこれ以上ない皮肉。

Que l'on est

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朝日に輝くヌマスギ Il vaut mieux être haï pour ce que l'on est qu'être aimé pour ce que l'on n'est pas. ― André Gide 「ありのままの自分で嫌われる方がありのままではない自分で愛されるよりましだ。」 (訳は私。「自分が何者であるかによって嫌われる方が、自分が何者でないかによって愛されるよりも良い。」と訳している人もいる。)   フランスの小説家 アンドレ・ジッドの随想集「 Feuillets d'automne」(秋の葉)にある言葉だそうだ。ジッドというと、三遊亭歌奴(後の圓歌)の「授業中」という新作落語にその名が出てくる。名前だけは小3くらいの頃から知っていた。ジッドは日本で言えば明治2年の生まれ、昭和26年まで生きたわけだけれど、いわゆるカミングアウトした同性愛者として先駆け的な人だった。 私にはその指向は全くないが、ジッドのこの言葉には100パーセント同意する。寂しいから、気が紛れるからとかで<らしくない自分>で人付き合いして、その人たちに好かれたとしても私には何らの意味もない。この歳回りとなって、もう本当に一期一会の気持ちで人とは会うべきで、そのとき自分を偽っていたのでは話にならない。自分の思想・哲学を、そして趣味を分かち合えぬ人と寸刻も過ごしてはならないとまではもちろん言わないけれども、もったいない、他にやることがある、と思わないのではもう掛ける言葉もない。 私は、どんなこと(犯罪は除く)であれ、やり切ったという経験のある人、しかも私がそのやり切ったことを評価できる人としか付き合いたくはない。そういう人の前で私も<安心して>「ありのままの自分で」いられるのだ。そういう人は人生の要諦を知っているからだ。