新しい一片の感覚にも、自分の古い全過去がある



小林秀雄『考えるヒント3』文春文庫pp240-241より長く引用する(いやあ、書き写すの大変だ)。なお改行は読みやすいように私が勝手に行っている。送りがな、句読点など原文のままである。

「古いものの中の何が新しいものに抵抗しているのかに注意する者は少い。いや、実際それは、こびり附いて落ちぬ汚れに過ぎぬのか、それとも確かに抵抗している生きた何ものかであるか、そう問うてみる者さえ少いのです。

併し、このささやかな問いこそ大切なのだ。本当の文化評論家が、先ず叩かねばならぬキイなのであります。誰も人間の進歩を望まぬ者はない、だが所謂進歩主義者は、最初から間違ったキイを叩く、と言うより、ピアノが違っている、と言った方がいいかも知れない。彼はcultureというピアノを叩くのではない、techniqueというピアノを叩く。

一国の文化も、一人の人間のように生きているもので、古いものと新しいもの、変らぬものと変るものとが、その中で肉体と精神の様に結ばれている。文化は、物が変化する様には決して変って行くものではない、人間が成長する様に変化して行くものだ。

もし一国の文化にも人間の様に自覚能力があれば、自分の新しい一片の感覚にも、自分の古い全過去があると言うであろう。進歩主義者の誤りは、かくの如き有機体に対する全体的直覚を持たず、文化という因果の鎖を*つまぐるところにあると思う。」

*「つまぐる」爪繰る。指先で次々と数珠などを手繰る。


もう20年近く前の今頃、私は千葉県北東部をランダムにクルマで走っていた。大好きな匝瑳郡旧・光町の尾垂浜が目的地だった。最短距離などを目指さず、寄り道を楽しんでいたのだ、北総(下総)台地の田舎風景が慕わしくて。

失われた旧ブログにも書いたけれど、佐倉市なのか八街市なのか、あるいは酒々井町、山武市のどこかなのか分からないが、ある集落でクルマを降りた。道端の梅が見事だったからだが、ふと見ると近くの低い里山麓にこじんまりとした鳥居があり、そこから数十段の階段が見えたのだ。左右の斜面は笹藪や低い木で覆われていた。登り切った先も緑に覆われていて、神社や祠があるのかは不確かだった。

一緒にいた義父の娘と私だけ、他に誰もいなかった。数戸しかないような本当に静かな集落だった。階段を登りながら、私はじわりじわりと懐かしみ、親しみ、そして慕わしさを募らせていった。初めて来た土地なのに。

頂上には粗末ながらも古びた祠があった。私は少し佇んで、徐に振り返り下界を見た。いつ頃からこの土地は開拓され、人が暮らしてきたのか。百年や二百年などというオーダーでは済まないだろう。もしかしたらここが下総国、上総国などと呼ばれ出した頃からの人々の営みがあって、その営みの安全をこの祠に願ってきたのかも知れないと思うと、鼻の奥がツーンとした。そして涙が出た。

どこかに祠があったり、お地蔵様が鎮座されていたりすると、私は手を合わせる。その祠やお地蔵様自体、つまり木材や石を尊んでいるというより、それを大昔に造った人のこころ、またそれに長い間願をかけ、拝んできた人々のこころに私は手を合わせるのだ。どんなに科学万能と信じられる世の中になっても、まだどれほどに神仏を崇める人が世界中にいることか。

神仏を崇めることは、慰め、あるいは苦痛からの一時的逃避という側面(アヘン的要素)があるのは間違いないけれど、はかない生き物として、永遠なるもの、全知全能なものへつながりたいという人間の基本的な望みに直結しているのだ。そんな存在はないと科学から教えられても、それに救いの力はない。そしてその科学も、いつまで経っても存在の不思議、生命の意味を解き明かすことはできていないのだ。

少なくとも日本列島人はこれからもずっと神社仏閣に詣で、山川草木に八百万の神を見出していくだろう。そんなものはただの「延長(デカルトの「もの」の言い方)」に過ぎないと言われても、これからもずっと日本列島人は、延いてはヒトという生き物の多くは、その中に神性や聖性を感じ取っていく。

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