Not Sure


 

動いていなければ、何が何やら分からない。大蔵運動公園内の噴水下の水溜りであり、天文学者が示す宇宙の泡構造の図ではない。だからどうした。

*

久しぶりに通夜・葬儀に出席して、やはりいろいろと考えるところがあった。自然な(?)順番から言って、「次は私か」と思っているに違いない亡くなった伯母に歳が近い親戚縁者。いいや、そんな順番なんていつだってひっくり返るのだと思う私。自分の葬儀はどういう具合になるのかなあ、などと思う。

伯母の長男で喪主のTさんは、「僕は葬儀とか全部いらない。火葬場直行でいい」と半ば本気、半ば戯けて言うと、周りの人々は笑ったけれど、私はその気持ちがよくわかる。もっと本音を言えば、土葬にしてもらいたい。

嫌な話である。自分でも書いていて嫌気が差す。しかし、生老病死は避けられず、また<まもなく>どなたかの、あるいはとうとう自分の終焉を迎えるのだ。その冷厳たる事実に背筋が伸びる気がする。

私は、何度か書いてきたけれど、冬至前後の季節が大好きなのだ。他の季節も好きだけれども、特に。その11月後半辺りから翌年の正月元日までの日々を<また>過ごしたいと思うのだ。できればこれからも何度も何度も。

執着である。仏の教えに背く、私は無明の徒である。

JohnはDear Prudenceで「Birds will sing that you are part of everything」と歌った。インドでマハリシの教えを聴きながら、その歌が降りてきたのだ。この世の全てと一体なのだと悟れたら、その「一体」が実は「一心」でもあって、この世からいなくなってもなんと<自分>がこの世のevery soulとつながり、あるいはそのものになれるかもしれない・・・。

MNEMOちゃん、大丈夫?


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