元日徒然記
謹賀新年 昨日大晦日の午後、寸暇を縫って(大袈裟か)我が典型的pottering courseを走り、<諸風景>に一年の<ご愛顧>を感謝したのだった。写真は二子玉川の、野川が多摩川に合流する辺りの景。 * 砧地区にはいくつか神社仏閣がある。土地の神様、仏様なのだからそこへ詣でるのが常道だけれど、成城4丁目(ここも大きく言えば砧地域)の喜多見不動さまが我が<定祈祷所>だったが、昨日書いたような事情ゆえ、困っている。お不動様つながりで、目黒へ行ったのが一昨年だったか。しかしここはちょっと遠すぎた。深沢不動がより近い。ここにするか。 喜多見不動は今成城4丁目の所在となっているけれど、そこは小田急の線路脇、国分寺崖線を上り切ったところに在る。建てられた明治初期、喜多見村だった。やはり喜多見村内だった野原を切り拓いて造成した成城の住宅地には不動堂以外ひとつとして神社仏閣はない。 砧4丁目にはこれは由緒正しい三峯神社がある。昔なら大蔵地区山野の鎮守様だった。「砧」という地名は比較的新しく、江戸期は少なくともなかった。明治期喜多見村・大蔵村・宇奈根村・岡本村・鎌田村の5村が合併したときに、狛江や調布という近隣の村名が特産だった布作りに因むものだったから、当時の有識者がそれに合わせて、布を叩く「砧(きぬた)」で符牒を合わせたのだ。 砧がそれまでの山野(やまの)と呼ばれた地区の名となったのは戦後のことである。今の砧は大蔵村の北半分というようなところの呼称となった。小田急線で駅が在る場所が砧8丁目なのに「祖師ヶ谷大蔵」という駅名になってしまったのは、千歳村の南の大字下祖師谷が駅に北に隣接していてすんなり「祖師谷」が採用、南の砧をそのままカップリングするかと思いきや、明治期の大蔵村をも含む大きな地域の村名だった砧が、今や旧大蔵村の一部・山野(やまの)の地名に取って代わったという経緯である以上、<上位の>「大蔵」の名を立てたということらしい(調べた上での私の推測)。 上のことは旧ブログに書いたはず。消えてしまったので再び書いた。近隣の人以外、本当にどうでもいいことであって、すみません! * 義父の娘の雑煮は実にうまい!毎年楽しみであり、今年もすばらしい出来だ。お屠蘇はMooさんからいただいた富山銘酒立山。夜は昨夜同様義父を招いて元日のご馳走だ。そのときの酒は會津ほまれと決めてい...