それが愛ですかね
我が故郷會津では決して見られない真冬の空と木々(砧公園にて)
昨日は高3への共通テスト対策授業があり、シャカリキに働いた(なおほとんどサービスである)。本番まであと十日というような、もう「追い込み期」とも言えぬほどの差し迫りの中、生徒さんばかりでなく私も全力だ。
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みなさんの中に「なぜ」を問わずに日々生きている人はいませんか。問うても答えは決まっているのだから、意味がないのでもう問うことはなくなった?
私の場合、例えば昨日、お金になどほとんどならない(時給で言ったら300円にもならない)のに<なぜ>私はこんなに仕事をしているのかと問いました。すると、ただもう、高1からずっと私を信頼してついてきてくれた高3生の為になりたいからという、それだけなのです。美しい話(?)ですが、本当です。
だれだって経済原理だけで動くことはない。「Time is money」などというセリフを功利主義的に解釈し徹底したら、どんなに空疎な、世知辛い、そして忙しない人生でしょう。損得を常に数字にする人生など実はほとんどだれも送ってはいないはずです。
"Love is that condition in which the happiness of another person is essential to your own."
「愛とは、他人の幸福が自分の幸福にとって不可欠である状態だ。」
---ロバート・アンスン・ハインライン(Robert Anson Heinlein) アメリカのSF作家
もちろんその「他人」とは不特定多数ではなく、特定の他者である場合がほとんどで、もし際限なく他者の幸福を自分の幸福と不可分と見做せ、そしてそのように行動できたなら、もう聖性ないし神性を持つ人でしょう。
さてでは、<なぜ>その人を愛するのかと問われて、その人の幸福が私の幸福と不可分だからと答えたなら、自分の幸福のため他者を愛するのかとさらに問われてしまうかもしれません。私が幸せになりたいからその条件としてあなたに幸せになってほしい、というような解釈です。
率直に言ってそういうこともあるでしょうね。でも、<自分の幸せのために他者を幸せにする>のではなく<他者が幸せになっていると自分も幸せだ>というのが本当でしょう。「本当」とは、私の場合はそういうことだ、ということです。

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