投稿

彼ら、その辺の「日本人」アルバイトより愛想いいんだ

昨日は娘夫婦と孫たちに会いに行きました。こちらは義父の娘と一緒。これで彼女と一緒での訪問は3回目。相変わらず上の孫(2歳4ヶ月の女の子)は最初だけ人見知りでしたが、<氷解>までの時間はこれまで最短、すぐに陽気にふるまってくれました。下の孫(8ヶ月、男の子)は持ち前の愛嬌の良さを最初から発揮してくれました。楽しかったなあ。 * 排外主義者という人たちがいる。「xenophobia」に罹った人々だ。自国ではっきり外国人と分かる人々の数が増えるとある一定の数の「日本人」たちは不安になる。特に外国人たちに集合されてしまうと、「どういう趣旨の徒党なんだ」と猜疑心すら起こるのだろう。その気持ちを1パーセントも理解しないわけではない。それでも、その外国人たちがこの国にいる理由、事情をちゃんとわかろうとする「日本人」がどれくらいの数いるのだろうか。 外国人と一口で言っても、欧米人なら気にならない、それどころか歓迎している向きもあるのはYouTubeの「外国人大好きニッポン」系のビデオ(非常に多い)を見ていれば分かる。「名誉白人」とかと一時言われた頃の精神と同一だろう。 中には欧米人旅行者にタダで一流の店で鮨や天ぷら、最高級和牛などを食べさせ、そのリアクションでPVを稼ぐものもあるが、東南アジアや中東などからの外国人にそうしたご馳走をするクリップは見たことがない。 「日本人」の排外主義者というのは、きっと欧米人は排撃しないのだ。日本の食文化をはじめ、いろいろな「This is Japan」と自慢したいことやものを欧米人に褒めてもらうことはどうも何よりうれしいことのようなのだ。「ね、あなた方の文明もすばらしいけれど、東洋のこの島国で独自に発達した文化・文明を認めてね」というような<リンゴ磨き=apple-polishing>的態度が私にはどうにも鼻につく。 あのさあ・・・ 非欧米出身の外国人の多くが、どれほど今日本のたとえば建設現場や製造現場とかを支えてくださっているか、分かっているのかい。人手不足で選り好みできるらしい「Z世代」たちが見向きもしない仕事をしてくださっていることを? 私の家の最も近くのコンビニはいつも繁盛しているからだろう、外国人アルバイトは雇っていないけれど、多摩堤通りのとか、水道道路とかの、駅からちょっと離れたコンビニも深夜早朝はことごとくと言っていいほど非欧米外国...

ひどい場面ばっかり

 「青と黄の間で 〜6〜」をしたためました。 https://mnemo.hateblo.jp/entry/2025/06/30/151508

みちのくの田舎野球少年

私と大谷翔平選手の共通点なんて、同じ東北出身ということしかない。しかも會津から大谷さんの出身県岩手に至るにはふつう宮城県を、日本海側ルートなら山形県を通過しなければならず、つまり隣県ではない。大体、「同じ東北出身」だからどうしたと言われておしまい。そんなの他に何百万人もいるよ、と。 「DH(指名打者)解除」といういわゆる「大谷ルール」の一環を適用されて、彼はDodgersの1番・投手で昨日先発した。そして「最速」102マイルperアワーの速球を投げ、2回無失点、打者としてヒットはなかったが、前回の登板時ではホームランを打っている。なんなんだろう、この人は。超人かよ。 そう超人だ。「superman」だし「ultra man」だし「Übermensch」だ。 この30歳の東北人が、世界最高レベルのメイジャー・リーグの場でbaseballというスポーツを根底から再定義しているのだ。 彼がふっくらしたリンゴのような色の頬で、チビすけプレイヤーとして土埃が立つ真夏のグラウンドで夢を追っていた十数年前、練習を終え、頭から水をかぶったりして仲間らと談笑しているとき、そして家路につく時、岩手の蝉たちが鳴いていたはずだ。ミンミンゼミには盛夏を感じ、流れる汗に自分の努力の正しさを感じたはずだ。夕暮れ、帰る頃にはヒグラシ。お母様がおしいものを作って待っていてくださるうれしさ、ありがたさを感じていたはずだ。 岩手と會津では少し違うだろうけれど、同じ「みちのく田舎少年」として、中1の時だけ野球部にいた者として、とても親近感が湧く。いろいろと想像できる。 それだけでなんだか誇らしい。そんな誇り、感じたってもちろん私だけの心の中のことだが。

AIの俳句解釈

 AIがこんなことを言っている。 「雨蛙黒き仏の宙に鳴く      (山口誓子) 雨蛙の鳴き声を、黒い仏像が宙に浮かんでいるように表現し、神秘的な雰囲気を醸し出しています。」 なんだその解釈。意味不明。いや意味不明でも感覚感性に訴える、要はsurrealisticな表現としてとらえるのもありに決まっているけれど、それにしたって、カエルの鳴き声が宙(そら)に浮かぶ仏像って。 俳句の解釈は自由とはよく言われるけれど、私には「黒き仏」とは屹立する黒雲、雨雲のこととしか思えない。「仏」は一体ではなく、おそらく林立するかのように数体、とイメージする。雄大な絵が浮かぶ。蛙の声が悟りの境地へと誘うようで、宙に曼荼羅のような図式が浮かんだか。 なぜだろう、この句で私は山形県の米沢を思い出した。米沢は我が會津の故郷から見て飯豊連峰を北に越したところにある広い盆地の町。飯豊は南西、吾妻連峰は北西、朝日連峰は南東、そして蔵王連峰は北東に見える。そこをクルマで通ったとき、その広い空に雨雲が数本湧き上がっている様を見たのだったか。よく思い出せないのだが。そうだとしても梅雨時ではなかったはず。八月だった。 AIくん、どうもまだ俳句の解釈は不得意のようだね。

いつでも変態な教師は去れ

まだ6月だからというのはありつつも、早朝の気温はそう高くなくてありがたい。不確かな記憶ではあるが、少なくともここ数年ではなかったことのように思う。これから梅雨前線が一旦消えてしまうとか。いよいよ朝から酷暑ということになるのだろうけれど、今のところ東京の早朝は比較的過ごしやすい。 * 今国民の多くが嘆きまた憤る不埒な公教育の教員たちによる性的姿態撮影の罪が問われる事件。量刑はなかなか凄くて、撮影行為で3年以下の懲役または300万円以下の罰金、提供・公開行為も伴えば7年以下の懲役または500万円以下の罰金(または併科)だそう。罰の重さはいいのだけれど、それゆえ同種のことが再発しないとは全く限らない。どうしたらいいのだろうね。 もう旧聞だが、福岡県のどこかの学校で、女子は項(うなじ)を見せてはいけないと指導しているとのニュースがあった。調べると、読売新聞の英語版(The Japan News, July 31, 2023)しか出てこなかったのでその記事の一部を引用する。(重要部分の下線の施しは私による。) Female students had to tie their hair below their ears.  Asked why, teachers replied, “ Boys will be aroused by the nape of your neck ” or “The government says so.” その「teachers」こそが「刺激され」たことがあるからそんなことを言うとしか思えない。だから、「Boys and we, the male teachers」と主語を改めるべきだ。そして刺激されてどうしたと言うのだ。問題はその結果だろうに。「美しいな、色っぽいな」と思うのが「刺激された」ことだとすればそれは自然、そしてそう感想を持ったところでおしまいにする抑制的な態度こそ重要であろう。それをわきまえられない良からぬ生徒がいるのなら、わきまえるよう指導するのが教育だろう。 教師とてもちろん人間、聖人君子であるわけがない。そんなことは子どもを預ける親御さんだって百も承知であるはずだ。しかし教え子たちの前では、教師という者は徹底してそのように、つまり倫理道徳的に一点の曇りなき人間として振る舞うことが要求されるのだと言って過言にはならない。学...

昨日の妄言の続き

今朝は不覚、目が覚めたのが6時ちょっと前。Trafficが混み出してしまう時間に自転車乗りに出たくないので今回はキャンセルだ。湿気はあるが涼しい朝だった。残念。 * 昨日の3つめの記事の延長みたいなのを書く。 中高年には時代劇が好きないしは嫌いではない人が多かろう。勧善懲悪、カタルシスのためのお定まりの筋書きだ。「遠山の金さん」や「水戸黄門」などは悪党を皆殺しにはしない。峰打で懲らしめ、遠島を申し付けたりはするけれど、生かす。親玉だけを打首獄門や切腹に追い込むのだ。 しかし中には悪党側のすべてを斬って捨ててしまうものもある。例えば悪党がそれなり身分の高い武士で、私兵と言っていい多くの侍を召し抱えているのだが、「者共、出合え!」の号令一下殿様への忠臣ぶりを今こそ発揮、ご奉公するのだと勇み、「狼藉者」を囲む。そして「正義」のヒーローは「米」の字を書くように(by 萬屋錦之介)彼らをおもしろいようにバッタバッタと斬り捨ててゆく。そしてアフターマスとして必ずその悪党に苦しめられた者に情け深い言葉をかけてしみじみ、あるいはほんわかするシーンで劇は終わる。 ちょっと待った。部下の侍にだって家族はいるだろうに、その深い情愛は彼ら彼女らに向けられないのか?主君の悪事は正されなくてはならないけれど、部下の全員に考えうる最も重い連帯責任を負わせるのはやり過ぎだ。「母上、父上はどうしてお帰りにならないのですか。」「父上はただお殿様への忠義を尽くしただけではないのですか。」そう涙ながらに訴える息子や娘がいるかもしれないではないか。 いやいや、娯楽時代劇に本気でケチをつけるという大人気ないことをしようとしているのではないのだ。 例えば現下のウクライナ=ロシア戦争で、昨日も書いた、神風ドローンで肉体を粉砕されるロシア兵にも、妻子がいるかもしれないし、(存命かどうかは知らないが)父母は確実にいるのだ。強制的にこの戦争に駆り出されたとして、その兵士に身体粉砕の刑を受けるだけのどんな重罪があるというのだろう。ウクライナ軍は、「そんなことを言っていたら戦争にならない。生かしたら、そのロシア兵は俺たちを殺しに来るのだ」と言うのだろう。「その兵士に家族がいることなどいちいち慮っているくらいなら戦争なんかやらない」と。 その理屈で、今まで人類は戦争をやり、殺し合ってきた。「こっちを殺しにきたヤツらを殺して何...

Morgen 妄言

今すごい雨でね、世田谷区。自転車乗りに出られまへんわ。 気象レーダー見てたら、大田区から雲が湧き上がって、川崎市中原区、目黒区と発達して広がって世田谷区へ。で、表示スケールのスライダーをマイナスにすると、そっか、千葉・房総半島から大きな雲がどんどんと東京へ押し寄せているんだね。台風の雲ですかね、2号。 * アメリカの道化師大統領が、「イスラエルvsイランの永遠の戦闘停止を実現した!」と自慢、あっという間に「イスラエル、爆弾を落とすな!」と怒り心頭の次のポスト。もうほんと、笑えない。しかも記者たちの前で「fuck」を使って怒り心頭のお気持ち表明。こんな大統領いなかったよね、情けない。戦いをやめろと言うのはもちろん立派。でも言っている人がイエメンを急襲爆撃したり、イランの核施設を国際法無視で、また合衆国憲法にも違反している可能性が高い状態で爆撃した人だぜ。ざけんな。 * YouTubeで小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)が講演しているビデオをちょっとだけ見た。生命の誕生は海の熱水が噴き出すところで起こったであろう、進化とは変異と適応の結果なのだ、偶然であって目的があったわけではない、などなど。 まあ、科学者ならそう言うしかないわね。こと生命の起源に関しては最尤な仮説しかないし、そのwhyについて語れば宗教か哲学の領域になってしまうのだろう。RNAのこと、DNA、ゲノムのことも小林先生はもちろん語るけれど、howばっかり。なんで物質が命になるのかは全くお手上げ、話しようがない。 howばっかり言っていると、そればっかり追究していると、喩えは変だが、仏作って魂入れずということになっていきかねない。あるいは画竜点睛を欠く、とか。それが科学の限界だ、それよりメタなことについてはそれこそ形而上学にお任せ、科学者は関知しないとなると、おっそろしいAIができてしまう気がしてならない。 爆弾が敵兵士を山中で攻撃してくるアブやブヨのように追い回す・・・kamikaze droneのことだが・・・そしてピンポイントでその肉体を粉砕する。どうすればアブやブヨのように飛行できる器械を作るかという難題を科学は解いたわけだ。しかしそこには「いのち」がない。敵兵をからかうように追い回し、払い除けようとして振るうライフルも躱して、着弾させ、彼を吹き飛ばし、「やったー!」とゴーグルをつけたドロー...