大反響するつぶやき
数日前の砧公園。日の出直後、ご老人が独り前を歩いておられた。
この方は何を思っておられたか。自分固有の人生史を辿ってきて、早朝の公園を独り歩く。もちろん、「mind-wandering」の状態であって、特定の何かを考えておられたわけでもないかもしれない。
自分はどうなのだ。私も未明や早朝に独り自転車に乗っていたり、歩いていたりする。自分史の一片のことを考えていたり、カラスに近づきつつあって、警戒されているのを意識してその思考が中断したり。社会のことを少し考えていて、どなた様かの家の生垣に朝露を纏い美しく咲く一輪の小さな秋薔薇(あき・そうび、と読んでください)に目を奪われて、「ああ、我、花鳥風月をのみ尊ぶ」と呟いたり。
人類はほんたうに正しい道を辿つてゐるのでせうか
「正しい」って何?そんなことを突き詰めて考えてみようとする。哲学者・倫理学者気取りだ。するとGeorge Harrisonのビートルズ晩期の名作「Old Brown Shoe」の1ライン、「Right is only half of what's wrong」が口をついて出てくる。当時たった25歳の若造が、duality(二元性)を主にインド哲学など東洋思想を研究しだして、東洋思想、特に易の思想に打たれた量子論の先駆者ニールス・ボーア並みに「Contraria sunt complementa(相対立するものは互いに補完する)」という「真理」を知ったのだった。
とはいえ、この歌の詞は多分に言葉遊びからできている。後韻を踏むための、印欧語による詩の宿命だ。先の「正しいとは間違ったものの半分に過ぎない」という面妖なラインの後、「I want a short-haired girl | Who sometimes wears it twice as long」などと歌っているのだ。「髪がショートの女の子がいいな | で、その子、ときには髪が倍の長さになってもいいな」などと今度は<不埒な>half対twiceのdualityを開陳するのだ。
この曲を私が初めて聴いたのは小6だった時か。シングル『ジョンとヨーコのバラード』のB面曲だった。小学生がオクシモロン(oxymoron=撞着語法)やパラドックスを含む歌詞を鑑賞できるはずもなく、ただただ曲と演奏のすばらしさに胸躍らせるだけだった。
秋薔薇を見つめつつ、「Beatlesを生み出した1960年代では、そのことだけかもしれないが、人類は<正しい>道を辿っていたなあ」とさらに呟いた。
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なお、oxymoronは「oxy」が「鋭い、尖った、酸っぱい(舌にピリッとくる、ということ)」で「moron」が「愚か」を意味する。「鋭く愚鈍な」という、この単語自体が「撞着語法」になっている。また「oxy」となれば「oxygen」との関連を考えるものだ。そしてそう、「酸っぱい」に「gen=生み出すもの」がくっついた。酸素はラヴォワジェが、硫黄やリンなど燃える(酸化する)と酸性のものができると知った。ゆえに酸性の化合物は<酸っぱいものを生み出す元素>が絡むからと考えてそれをoxygenと命名したのだと。ただし、塩酸(HCl)など酸素がなくても酸性の化合物はあるわけで、改名も考えられたろうが、すでに定着してしまっていた名前なのでそのままになったらしい。


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