今朝、成城4丁目の野川端から撮った日の出頃の南の空。
今朝の朝焼けは最近一番の美しさで、成城3丁目の不動橋には老婦人お二人がすでに写真を撮っていた。
さて、世田谷区立図書館から借りた2冊のうちの中島義道さんの著作『人生、しょせん気晴らし』の48ページに、
「八月の荒れ模様の空。ひどく風が吹いている。黒い雲。だが、東の方に、青い、えもいえぬ美しい透明な空がたなびいている」
というカミュの『太陽の讚歌』(高畠正明訳)からの引用があって、昨夜読んで「ああ!」と声をあげてしまった。中島さんはこれが含まれる『手帖(Carnets)』というカミュの二十代の終わりに書いた作品に、何をしようが、何を達成しようが、どう幸福な人生を送ろうが結局「死んでしまうのだ」と致命的なほどに悲観的になっていた頃、出会った。
「こういう文章を読むだけで僕は涙が出てくるほど感動した。なぜなら、カミュのあらゆる文章の背後には『僕はもうじき死んでしまう』という呟きがあり、僕はそれをはっきり聞き分けることができたから」
と中島さんは書いている。
私も、「青い、えもいえぬ美しい透明な空がたなびいている」光景が大好きだ。冒頭の写真に映されているような。
そして私は、中島さんの文を読みながら、「死んでしまっても、その空になれたらいいじゃないですか」と呟いた。先日書いた、良寛の辞世、
形見とて何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉
それを引いてノーベル賞受賞スピーチで川端康成が言った、
自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になつてくれるだらう
という境地に、やはり哲学者は至れないのかな、と思った。仏教者と文学者なら至れるのだな、と。

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