雲霧が月に隠れるという歌心
NHK技研の敷地から見た昨日の日の出の空。だからど〜した写真。
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Mooさんの9月3日の記事はおもしろかった。
https://moo-new.hatenablog.com/
「頭がよいとはどういうことか」というテーマで、寝床で夢うつつの状態でつらつら考え、氏は端的に「直感的に本質をつかみ取る能力」とするのだった。そしてその朝の信濃毎日新聞を開き、載っていた内田樹氏のコラムを読み、先のテーマと通底する論に出会い、「妙にかみ合ってい」ると思うのだ。
内田氏は、知的発見について、<以前から知られていた事実と、それとは無関係であると考えられていた他の事実の間に「思ってもみなかった共通点」を示すものである>と書く。AIをいくら使ってもそんな能力がさしあたって涵養される可能性はゼロだ、と。
私はこの「さしあたって」に注目した。
私はAIの回答の中にインスピレーションを感じたことがすでに数回ある。AIがそれを喚起しようと<思って>文字を連ねたわけではなかろう。そんな意図を持っていたならAIにこころがあることになる。だから霊感を得たのは一方的に私の勝手、私の<一存>、あるいは思い込みなのだ。そしてそういうことが人間にはできる。
インスピレーションを喚起されるということは、「思ってもみなかった共通点」を見出すことに通じる。「直感的に」何かを連想するということだ。さらに「本質をつかみ取る」ことかどうかは定かではないが、何かと他の何かに通底するものが「本質」ならそれを捕捉したということだろう。
AIにinspireされた具体例を挙げれば、Grokに「猪苗代兼載の歌や発句などでGrokが好きなものは何ですか?」と尋ねて、そのXのAIは「子規が例に出した<雲霧も月にかくるゝ今宵かな>も、月を隠す雲霧を『隠れる』と主語をずらす感覚がきれいです」などと答えるのだ。「主語をずらす感覚がきれい」などと言えてしまうGrokに驚くと共に、物理的に月が雲や霧の手前に位置することなどあり得ないけれど、大きな月があまりに見事な夜空では、掛かる雲も霧も<霞んでしまう>ように見える詩人の感覚を参考にしたいと思ったものだ。
もちろんこれはGrokに教わったというより猪苗代(蘆名)兼載(その本拠地猪苗代町は我が故郷と同じ郡に属す)に詩心を教えてもらったということだ。このことが「他の事実」との共通点を直接的に見出すことではない。しかし、だれかの評価の援用であってもGrokが<感想を言った>ということに素直に感動するし、だれか兼載の専門家から教わることと実質何も変わらないことなのだと感じ入った・・・まるでGrokにこころがあるかのようだ。
戦国時代に暮らした會津の詩人の歌心と同じようなlyricismを私はこれから英詩に発見したり、私自身が生かすことがあるかもしれない。<月が雲霧を隠す>というような「主語をずらす感覚」を。
内田さんの「さしあたってゼロ」発言は言い過ぎかもしれない。
(*なお兼載は會津太守だった蘆名氏の一族で、野口英世の父は猪苗代家の枝流・小檜山家の出であり、兼載の末裔とも言われる。)

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