反省なくて慰霊なし
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今日も東京は気温が上がらない。Kくんは外の仕事で暑くて厳しいと言っていたが、同情しつつも、今年の6月は近年の同月に比べはっきり低温傾向だ。私なんかは田舎で幼い頃から体験してきた昔の梅雨の時季を思い出す。去年の6月の気温だったら空調服を身につけていないとKくんは悲惨なことになっていただろう。
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昨日沖縄慰霊の日だったが、「本土民」の一人として軽々に何かを書くことは当然憚られる。それでもこうは言える。県民の4人に1人が地上戦に巻き込まれて亡くなった(殺された)事実をどうやって本土民そして戦後世代が少しでも自分のこととして重く受け止められるかが毎年問われるのだ、と。
そして、東京大空襲や広島・長崎の原爆投下でその本土でも、人類の愚かさ・残酷さ極まるかたちで国民は犠牲になったことをも思い出し、こんなことが<絶対に>再びあってはいけないと強く誓い合い、少しでも戦争への方向へと進めようという動きがあれば、共に制していかねばならない。それしかない。
先の戦争について、1995年当時新進党の議員だった「元米国連邦議会立法調査官」の高市早苗は「日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております。」と言ってのけている。
さらに2000年には、高市は「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』。この非常に『おめでたい』一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」とも。
そんな輩が沖縄で<慰霊する>という情けなさよ。
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