AI翻訳時代の陥穽


 

調布や三鷹(狛江もほんの一部)の野川沿い土手道の典型的風景。大好きだ。上流側奥の浮浪雲の姿がなんだかユーモラスだ。

*

私のXのタイムラインに並ぶ記事は、もちろんいわゆる「エコー・チェインバー」化ないしは「フィルター・バブル」化で偏っているだろうけれど、それがあったとしても我らが首相のサミットなどでの振る舞いに対する批判および嫌悪感を示すポストに溢れかえっていると言える。それらは要するに、「元米国連邦議会調査官」だったはずの人物がほとんどその肩書きが信用できないほど極めて稚拙な英語力しかないこと、そして英語で話されている内容に対し聞き取れていない(それ自体は罪でも咎でもない)ならそれなりの対処がある中、分かったようなふりをしつつしばしば大袈裟で下品な表情をつくることの不気味さ、おぞましさについてであって、こうした人物が国を代表していることへの嘆きなのだ。

彼女が国際会議などで英語原稿を読むビデオも拡散しており、それがAIに英語スピーチとして総合で「3.2/10点」と判定されていたりする。採点項目の中、「内容」だけが4点台だったが、これはライターが書いたのだから、彼女の手柄ではない。彼女が自分でもし原稿を英語で書いたら、悲惨なものになっていたのは疑いない。

そこで思った。

今AIの翻訳能力は非常に高く、日本語さえまともに書けていれば、かなりいい出来の英語に変換できる。後は、首相なのだから、政府内の最高レベルの添削者に仕上げをさせればいいわけだが(発音については措いておく)、ちょっと待てよ、と。彼女は果たして内容のある「まとも」な日本文が書けるのか、と。オバマ元大統領のスピーチの如き名文を。

この時代、英語を学ぶ小中高大学生らは、すでにAIの翻訳をどんどん使っているし、ゆえに例えば英単語暗記などに意味を見出せなくなる傾向がきっとあるはずだ。おそらくまもなく、非英語話者が自分のネイティブ言語を発話する途端に同時的に畏るべき精度で英語に変換する「AI Interpreter」が開発されるはずだ。だから、英語を学ぶべき理由がどんどん乏しくなっていくし、いずれなくなる、とも思うのではないか。

しかし、そこに重大な陥穽がある。

英語に変換されるその元々の言語、つまり自分の、英語ではない母国語の<内容>そして品格は、どう養われるというのか。他言語の学習により、母国語の理解が深まるのは言を俟たない。他国語を鑑(鏡)として自分の生まれついてのことばがその反省のもと充実する図式だ。そのことを無視して話者は己のことばにしっかりした内容と品格を持たすことはおそらくできまい。

日本語について、英語学習などなかった江戸時代より昔にも名文家はいたではないかと反論されそうだ。それは誤った認識だ。この国の昔の名文家は漢籍に通じていた。つまり、中国語という鑑があったのだ。

私は以上のことを、昨夜高3の生徒さんらに話したのだった。

コメント

このブログの人気の投稿

やるせない

SSブログにしてやられて、19年間のtextを失いました。(移行予告を軽視した私が悪い)

台風がもたらした湿気の中、いろいろ