昭和的クサさ



姉の手による紫陽花。

*

今日も湿気はありつつ、冷房は一切要らない梅雨寒の東京である。

TVをつけると、CS放送で1962年日活作品『いつでも夢を』が放映されていた。途中から見て、途中でチャンネルを変えた。

1962年の東京が映し出され、都心の基幹道路の様子に本当に驚いた。恐ろしいほどの交通量で、排ガスがひどく、いくら高度成長期のこととは云えあまりの環境への無関心ぶりだ。無関心どころか、それが経済成長、首都東京というものだというような趣さえあった。主演の吉永小百合さん演じる「ひかる」がその煤煙の匂いさえも好きだというセリフを語らせられるのだ。そう語った荒川だかの土手下で相手役の浜田光夫さんと見つめる空はスモッグで霞んでいる。それでも、その空を好きだと言わせてしまう青春映画が当時大変な人気だったのだ。

私の生まれた昭和30年代は、そういう時代だったのだ。工業化こそすなわち先進国であるということ、第一次産業が比率的に小さければ小さいほど誇らしい国のありさまなのだ。はっきりそういうふうに私は社会科の授業で習った。だから、福島県でもいわき市(まだ5市4町5村の合併前だった。合併は1966年)と郡山市が「常磐・郡山地区」として「新産業都市」として1962年・昭和37年に国に指定されたとき、會津の人間たちは垂涎の的としたものだった。「いいなあ、浜通りと中通りは。會津を置き去りに発展していくんだなあ」というような思いだったろう。後年昭和40年代半ばに私はそのことを社会科の授業で知って、「差別じゃないか」と思ったことをよく覚えている。

また話は『いつでも夢を』に戻す。

前述のように途中から見て途中で見るのをやめたので、その間だけの筋書きを書くと、浜田さんが演じた少年は定時制高校の生徒で、すでに工場で働いているのだが、貧しい家庭をさらに支えたいと一流企業就職を目指し、勉学にも励み、学校も力強く応援し、推薦もしたのだが、結局その企業は「定時制高校の生徒と全日制の生徒のいずれを採るかとなったらやはり全日制だ」と少年を不採用にする。少年は衝撃を受け、自暴自棄になってしまう。吉永さん演じる町医者の娘ながら准看護「婦」でやはり定時制高校に通う「ひかる」を中心に周りの友人たちが少年の立ち直りを促すというものだった。

Mooさんは東北大理学部を卒業されてから、まず名古屋の定時制高校で教鞭を取られた。昭和43年辺りのことと思う。まだまだこの映画の社会状況は残っていた頃だろう。氏もきっと職業上のステップアップを図りたい少年少女を、青年教師として全力で応援されたことと思う。

中京工業地帯もその頃、環境汚染など目をつぶって一億総中流を目指す工業国日本の働き手にあふれていたはずだ。煤煙も排ガスも騒音も、国の活気そのものだったろう。そしてMooさんのことだ、「こんなこと一辺倒では行き詰まる」と考えておられたに違いない。

東京は昭和30年代や40年代に比べたら、奇跡と言っていいほどに青い空を取り戻している。技術が環境を極力犠牲にしない方向で発展してきたおかげだが、その発展ももちろん人々の意識変革があってこそだ。

半世紀以上経って、今日本は、世界は、確かにある面でははるかにbetterになっている。しかし、ある面ではちっともそうなっていないどころか、「逆コース」を辿っているのではとも思える。

私が『いつでも夢を』を途中で見たくなくなったのは、自棄になり拗ねまくった「少年」が、父親が交通事故で大ケガをしたことをきっかけにまた前向きな少年へと豹変するシーンがいくら少年にとって衝撃的で改心のきっかけになるものだったとしてもかなり唐突で<クサかった>からだ。昭和の青春映画・ドラマ的ストーリー展開と言ってもいい。

その「クサさ」を国民の大多数が<ものともしなかった>時代、それどころか感動した時代・・・。おもしろいなあ。

コメント

このブログの人気の投稿

やるせない

SSブログにしてやられて、19年間のtextを失いました。(移行予告を軽視した私が悪い)

台風がもたらした湿気の中、いろいろ