今年紀野先生13回忌か


 

昨日、もう午後6時というのにまだまだ明るい夏至前の砧2丁目と4丁目の境、標高56メートルのところで撮った雲。ここは東京23区で最高地点と言っていい(ほぼ同じ標高で練馬区関町南4丁目がある)し、世田谷区内なら文句なく1位の標高なのだ。

この後「三本杉」と呼ばれる砧1丁目の交差点近くにあるサミットでさくらんぼを買った。すばらしい色合い、そして今食したが、甘い!

昨日は歩いているうちに少し暑さを感じたけれど、まだまだ近年の<あの>異常な蒸し暑さとはなっておらず、今日も涼しい曇天の世田谷である。

*

「師」と呼べるほどのお付き合いをいただいたわけではないけれど、「我が師」と言いたい狛江市猪方在住の仏教学者で宗教家の紀野一義先生が亡くなって今年の師走で13年になる。2010年だったか、私は紀野先生と<とうとう>狛江の多摩川土手道で邂逅したのだった。1990年辺りで、中村元先生の御本に出会い、その「弟子」と言ってよい東大印哲の後輩にして教え子、そして数冊の著作を共にした紀野先生の<わかりやすい>ご著作にもほぼ同時的に出会ってから20年ほど経ってのことだった。

私は、紀野先生が狛江、しかも多摩川のほとりに住んでいらっしゃることはご著作での記述から1990年にはもう知っていた。だからいつかはお会いできるのではないかとずっと待望していたのだった。先生が亡くなられるおよそ3年前にその希望が叶った。

先生はその場で署名入りのご著書を数冊くださり(奥様が走って持ってきてくださった)、その後葉書や手紙のやり取りをしていただいた。ある講演では、私との出会いを感慨深くお話しになったそうだ。

なのに先生がお亡くなりになったことを知ることなしに時間が経ってしまい、不義理をしてしまった・・・。無念だった。

しかし、世田谷に移った今でも、先生のご自宅近くの先生と遭遇した地点を通ることは多く、その度先生のお名前を念じる。まさに念仏である。先生のご遺影(先生が下さったお写真)は書斎に掛けてある。


『正法眼蔵随聞記』に「畢竟して何の用ぞ」という言葉があり、それを紀野先生は『仏教のキイ・ワード(講談社現代新書530)』で取り上げ、私が後々今に至るまでずっと考えさせられるほど印象的な解説をされている。

“But in the end, what availeth it?” 「畢竟して何の用ぞ。」
(古英語で訳したが、かっこいいなあ!)

この言葉は、中国・宋へ留学していた道元禅師が来宋早々の頃、気負いまくっていた折に四川省から来たある僧が、

「語録を見てなにの用ぞ」と若き道元に訊き、「古人の行李(やったこと)を知らん」と答える。以下問答が続く。「なにの用ぞ。」「郷里にかえりて人を化せん(教化したい)。」「なにの用ぞ。」「利生(大ぜいの人を助けること)のためなり。」となったところで吐かれた。「畢竟して(結局のところ)なにの用ぞ。」

そして禅師は、「ただやる」という境地に達する。「只管打坐」は「ひたすら座る」ではなく、「ただ座る」のだと。

紀野先生はこう付言する。「もったいぶらず、かっこうをつけたりせず、もってまわったりせず、やるべきことをただや」るのだと。(p.162)

日本語の現代語訳なら「だから結局どうした」だ。人の多くが懸命にやっていますなどと言い、努力を認めよというような態度をとりがちだ。でも「だから結局どうした」と自問してみたらいい。その自問の果ては、「ただやっている」になるはずだ。

*

追記

2010年の私と紀野先生との邂逅・遭遇は、Kと友人の獣医師κさんと後のお連れ合いが前触れなしに私が当時住んでいた集合住宅に来て、サイクリングに誘い出してくれ、その途上で起きたことなのだ。感謝しかない。

コメント

このブログの人気の投稿

やるせない

SSブログにしてやられて、19年間のtextを失いました。(移行予告を軽視した私が悪い)

台風がもたらした湿気の中、いろいろ