丁々発止、侃侃諤諤
音楽を除いて、言語におそらくどの事物より興味を持つ私として、上の動画のアメリカ人日本語学習者TantrisとMatt、そして中国人日本語学習者「むいむい」はもう数年マークしてきた人物たちだ。この三人はいわゆる「臨界期仮説」でのネイティヴになれる年齢までには日本語に<さらされず>、それを過ぎてからの学習者たちなのだ。そしてその日本語愛ゆえにYouTuberとして生計を立てられるほど多くの日本列島人と少数ではあろうが海外の日本語学習者の注目を集めてきているのだ。
欧米人としてMattは発音上の困難をほとんど乗り越えてちょっと聞きでは日本語ネイティブと変わらない。Tantrisはまだまだ<英語訛り>が抜けていないけれども、日本語とそのメタな部分に最も果敢に切り込んでいる思索の人だ。むいむいはもう完全にネイティヴ。誰ひとり彼女の日本語を聞いて列島人と思わぬ人はいまい。
米人と華人が日本語でここまで深い話ができるという実例を見せられて、昭和30年代生まれの會津人の私は隔世の感を覚えるしかない。
しかし、この日本語による外国人の日本語愛の話を聴かされて、私が一番に思ったのは、「ああ、丁々発止他者と言葉を交わしたい」ということだった。何かのテーマで、それにつき自分の意見を言い、他者の意見を聴き、調和があれば喜び、また異見が残れば引き続き宿題にすることだ。
昨秋Mooさんのお家を訪ねた折、夕食後幸夫ちゃんが上のような<議論の楽しさ>を求めてきたのだった。テーマは特に限られていなかったと記憶するが、彼の期待にどれほど応えられたかは知らない。それでも最後に「こういう話をしたかったんですよ」と彼は言ったのだ。激論と言ってもいい場面もあったなあ。
その中で、私は新右翼の「一水会」が正論連発していると言った。幸夫ちゃんは少し色をなして何か反論し、私は日本共産党のシンパであるMooさんに意見を求めると、「(一水会は)非常にまともなことを言っている」と応じて座が一瞬静まった。
今、女性天皇・女系天皇を完全に否定する者たちを、日本共産党も一水会も猛批判している。その論拠は概ね共通であって、至極「まとも」である。
今上天皇の一人娘(敬宮愛子さま)の処遇を、某県・ど田舎の衆議院議員などがしたり顔で決めるなどという不敬に私は怒り心頭に発するだけだ。ちょっと考えただけで分かるだろうに。自分の娘の行く末のことを他人が云々し、決められて痛くも痒くもない親などいるか?その娘本人の屈辱感は如何許りか?
今度またMoo邸訪問ができるのなら、この話を、「まとも」を求めて、丁々発止、侃侃諤諤やってみたいな。

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