真矢はクレマチスのやうに


2年前の今頃撮った玉川野毛町公園のフェンスに絡まっていたテッセン(=クレマチス)。なんだか日本画ティックな図柄である。「clematis」はギリシア語由来でズバリ「蔓」の意味だ。「テッセン」の名の由来はまさに「鉄線」、茎=蔓が鉄線のように硬く切れにくいから。

この子(!)はキンポウゲ科に属するので毒(プロトアネモニン)がある。ご注意。

*

「教室の女王」の最終回が昨日CSチャンネルで放送された。もう21年前の作品ゆえ、今更何をここで語る、というところだけれど、今でも見る価値があると言う人も多いとのことで、確かに人生や社会の不条理をズバリ突いた「女王」教師阿久津真矢による「名言」もあったりする。しかし、これはいただけないというのもあって、筆頭は、

「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢い者や努力をした者は、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることができる。それが、社会というものです」

だろう。

「愚か者や怠け者」が「差別」され「不公平」に苦しむとはどういうことか。「差別」ではなく<因果応報>だろうに。「賢い者や努力をした者」の「色々な特権」とは何のことで、「豊かな人生を送れる」と断言できる根拠は何なのか。

私なら、

「愚か者や怠け者は、相応の報いを受けてしまいます。賢い者や努力をした者は、物心両面で豊かな人生を送ることができる可能性が高くなります。しかしそれでもそういう果報者であっても突然の不幸に襲われもする。それが、社会をつくっている人間という生き物の実相と言えましょう」

と言うかな。

さらに児童からの「なぜ人は勉強するのか」という問いに真矢は、

「勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです」

と答える。とすると、「勉強したいと自然に思うから」「人は勉強する」となって、トートロジカルな感が否めない。発言の大部分には共感するのだが。私なら、

「勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。人は勉強をしたくなるものなのです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。もちろん、苦しいな、悲しいな、不条理だな、と思うようなことにもです。そのとき、もっともっとその美や快楽や不思議や苦しみや悲しみや不条理について知りたい、勉強したいと自然に思うのです。そしてその勉強=学習のうちに、なぜ人は、私は、生きるのかという問いにも自分なりの答えが見つかるかもしれません」

と言うかな。

最終回は、尺の問題もあったのだろうが、急展開に過ぎて、児童たちが真矢の謂う「目覚め」に至って真矢と別れることに号泣する心情が汲み取りにくく、正直言って少し白けてしまった。

それでもまさに「問題作」で、いや、「問題提起作」で、放送期間中に猛批判があってもドラマ制作放送を貫き通したスタッフ、俳優さんたち、スポンサー全員に敬意を表します。

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