自由を削がれて喜ぶ(rock) musicianなどいるか!
もう10年以上前の今頃に撮ったヤマツツジ。日本百低山に数えられる(ウソ)川崎市多摩区の枡形山(標高84m)の山腹に自生している。
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ロックがイコール反体制であるかどうか。体制がしっかり人権を尊重する民主主義の良い形態をとっているのなら、反体制的であるべきはずもない。なんだか「ロック」という言葉がこの国では一人歩きしている。
ロックの黎明期は知らず、以降それを巨大な音楽ムーブメントにした歌手やバンドのうちのひとつがBeatlesであることには誰も異論を挟めない。Beatlesはpeace & loveだと言った。人種差別にも強く反対した。その頃、世はベトナム戦争で世界史的危機にあった。彼は経済体制とかには全く頓着しなかったはずだ。彼らの富は資本主義体制だからこそ生み出されたのだし。要するに、自由、平和(非暴力)、平等(福祉)が尊重される社会ならOKだったのだ。
JohnおよびBeatlesは1968年に、
if you go carrying pictures of Chairman MaoYou ain't gonna make it with anyone anyhow
とRevolutionで歌っている。「毛首席(=中国共産党、冷戦の東側リーダーの一人)の写真を持って行っても、誰とであれ、どういう形であれ、成功はしないぜ」。
この歌でJohnは<革命が破壊なら俺を当てにすんな>とシングル盤では歌っていて、しかし、他のバージョンでは「当てにしろ」とも歌うのだ。そんな政治的なことをロック音楽で語りつつ、最後は「Don't you know it's gonna be all right?」と連呼する。楽観主義だ。つまり、どうせうまくいくんだから、殺し合いとかはやめておけ、意味ないぜ、ということだろう。
私はrock musicの本質とは自由だと思っている。ほぼ何にも囚われなくていいのだ。もちろんそれゆえ醜悪な音にもなりうる。それで皆から忌避されても、それはそれ。とは言いつつ、どんなに自由とは言っても、楽典的音楽理論的制約はどうしたって残る。また、技量的なスタンダードももちろんある。下手くそではどうにもならない。こうした制約の中の自由だ。逆に言うと、制約はそれだけだ。
誰もが首肯できる制約はありつつも、なにしろ自由を否定するrock musicianなど、本末転倒だ。だから自由を削ろうとする政治家と交尾(つる)むようなrockerなどrockerではない。
さて、結論を挟んでしまったが、JohnとBeatlesはそのRevolutionで「制約の中の自由」を体現していることに触れてこの稿を〆たい。
イントロはけたたましいエレキギターの歪んだ音。この歪みはエンジニアGeoff Emerickの涙の産物だ。Johnが無理難題を押し付けて、嫌なヤツ感満載の言葉を浴びせつつ、GeoffにDI(Direct Injection)をレコーディング・コンソールにまさに直接繋げて、それを壊してもいいから出せというような圧力を加えて産み出した音なのだ。こんな歪み音、distortion、あるいはfuzz音は当時なかった。「制約の中の自由」の極限だった。
私は小5でこの曲を聴き、痺れた。このdistortionに。ませた小学生だった。

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