さういふ境地


輝く若葉を見て清新な気持ちにならない人などいないだろうね。すがすがしい、その一言だ。この写真についての情報を見ていないので、おととし撮ったこの木立が砧公園のものか、国分寺崖線のものかは分からない。どっちにせよ、世田谷の緑だ。

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YouTubeで荘子の言葉をうつらうつら、眠りに入る前に聴いていた。

Happiness is the absence of the striving for happiness.
楽は無求にあり。求むれば則ち失う。

荘子は上のままのことを書いたわけではないらしい。英文を私なりに訳せば、「幸福とは幸福を求めることがないということだ」となる。

さらに『荘子』外篇・至楽篇(しらくへん)における髑髏(しゃこつ)との対話部分では、

髑髏曰:「死、无君於上、无臣於下、亦无四時之事、從然以天地為春秋、雖南面王樂、不能過也。」 
(「死せば、君上(くんじょう)に无く、臣下(しんか)に无く、亦四時の事无し。従然として天地を以て春秋と為す。南面王の楽と雖も、能く過ぎざるなり。」 )

すなわち、

死ねば、上に君主もなく、下に臣下もない。四季の労苦もなく、ゆったりと天地とともに永遠の時を過ごす。南面して王となる楽しみでさえ、これに及ばない」

と。


養老孟司さんも、スマナサーラ師も、生老病死を見て見ぬ振りをし、自分は死なないとすら思っているような現代人に呆れていらっしゃる。お二人とも今癌を患い、その「四苦」の真っ只中におられるけれど、「道(TAO)」の何たるかを知っておられるからすこぶる泰然としたものだ。(スマナサーラ師の場合はそれを「道=無為自然」とは言わず、無執着と言うか。)

さういふ境地に、私はなりたい。

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