Turn on, Tune in, Drop Out
成城4丁目、野川端の大規模「マンション」脇のケヤキ並木、いよいよ緑を帯びてきました。
昨日はちょっとだけ久しぶりの晴天でしたが、教材作りに追われて(木金はそうなってしまう)、自転車で少しだけ散歩(すなわちpottering)しただけでした。惜しかった。今日は雨がちだし。
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https://www.youtube.com/watch?v=fAtNivqiLlI
このvideo、Beatlesのアルバムとしての最高傑作についての一般の評価が時代の変遷につれてSgt. Pepper'sになったり、いわゆるWhite AlbumやAbbey Road、あるいはRubber SoulやRevolverになったりする揺れについて社会学的視点から考察したというもので、興味深かったのです。
Sgt. Pepper'sについては、旧ブログで何度も書いた記憶があります。
1967年の五月、Sgt. Pepper'sが発売されたのです。その夏、次兄の同級生が私もよく行く川で泳いでいて溺死しました。心臓麻痺だとかいろいろ言われましたが、詳細は分かりませんでした。以来その川へ通じる木立や草むらの暗がりを歩いていると、当然それまでの「泳ぐぞ!」という高揚感はゼロに近いほどに薄れました。そしてこのアルバムの音楽的そしてヴィジュアル的画期性がそのまま不気味さにつながったのです。
Sgt. Pepper'sがポップ・ミュージックのそれまでの有り様を根底から変えてしまったアルバムであったことは疑いありません。どれほどのドラスティックさだったかと言えば、まあ、小さな具体例ですが、Beatlesの大ファンだった長兄がこのアルバムを境に、その難解さ、進化のし過ぎにファンをやめてしまったほどです。
世は「サイケデリック・ムーブメント」、「ヒッピー文化」の時代になっていました。Beatlesが牽引したところもありますが、なにしろ彼らの音楽以前にすでにAllen Ginsbergらの「ビート・ジェネレーション」など、ドラッグ、特にLSDが若者たちに普及したことが大きかったようです。特にJohnとGeorgeはハマったようで、服用中の幻視などを曲にしていったのは疑いない。またGeorgeはインド宗教にも同時に傾倒し始めた頃で、きっと「瞑想」は凄い体験になったことでしょう。
その「先駆者」の一人、Harvard大学で心理学を教えていたTimothy Learyが、「Turn on, Tune in, Drop out」と若者を煽った。「turn on」とは「スイッチを入れる」こと、その比喩的意味は容易に想像できます。「tune in」は「周波数を合わせる」こと。きっと大宇宙の波動・波長と同期しろと言うのでしょう。そして「drop out」は、社会規範・常識から「逸脱しろ」ということでしょうか。
大きな背景に「東西対立」があったのは間違いない。いつだって核戦争が起こり得ると信じられていた時代です。ベトナム戦争がその「東西対立」の前線だった。いわゆる「baby-boomers」、日本では「団塊の世代」、「戦争を知らない子どもたち」が大量に成人していく60年代です。
小学生だった私がそんなムーブメントの存在を知るはずもない。それでも、戦後町の共産党系の民主主義徹底を叫ぶ青年会でそれぞれ委員長と書記だった我が父と母の影響を<素直に>受けた私は、Beatlesを筆頭としたJefferson Airplaneなど「Flower People」からの「Peace and Love」という音楽的メッセージにほとんど本能的に共感していました。
戦後生まれ(ただしBeatlesのメンバーは全員戦中生まれ)が、あれほどの戦争を体験しておきながらいまだ為政者により固陋な体制にある現状を打破しようとした60年代。その時の成果は芳しいものではなかったかもしれませんが、その人たちが親になって、子に「Peace and Love」を説くことが世界中に広がったに違いありません(<転向>してしまった者は除いて)。
その「団塊ジュニア(欧米ではGeneration X)」は、多くが「氷河期世代」に一致しますね。彼ら彼女らは、吉本孝明がカテゴライズした「怒れる世代(50年代と60年代の若者・学生)」のように<なった>、また、<なって>いるのでしょうか。
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さて、私はおかげさまで全くドラッグなどに頼らずに、自然によってturned onされ、tune inすることができました。「Drop outは?」・・・こちらも自然に。(大笑い)

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