「靖」は「静かに立つ」・・・そうあれ!
殺傷力がある(そりゃあそうだ)武器輸出を閣議決定で解禁という恐るべき節目の日、大分で自衛隊員が<国産>戦車の砲塔破裂で3人が亡くなり(合掌)、1人が重傷を負った(お見舞い申し上げます)。それなのに高市閣下サマはXで触れるだけ、夜は衆院予算委員会の与党議員と飲み会をしたそうだ。
「私が首相になれば靖国参拝をする」と言っておられた閣下は、きっと「諸事情」で見送られたそう。食料品の消費税2年ゼロを公約して現在反故にしているけれど、それも「諸事情」があってのことであろう。
靖国神社は私の都心在住時、大好きな北の丸公園へ最短距離で行く際に必ず通るところであった。漱石先生の小説にも当時の「(東京)招魂社」という名で何ヶ所か出てくる。戊辰戦争時、「賊軍」とされた會津藩など新政府軍と戦った兵士たちはその魂をこの神社には招かれなかった。西南戦争もお上に弓引く行為であり、西郷隆盛も合祀されていない。
写真に映る銅像は大村益次郎(村田蔵六)のもの。彼は周防(長門ではなく)の村医者の子で、士分ではなかった。しかし大変な秀才で、大坂(阪でなく)適々斎塾で蘭学を学び、兵学に秀で、木戸孝允に高く評価され長州藩士に引き立てられた。戊辰戦争でも名を上げ、新政府では陸軍の基礎を築いたが、軍組織でも「四民平等」を貫いたため旧士族の反感を買い、何と同じ長州藩士らに襲撃され、のちに敗血症で亡くなった。
・・・私は境内を歩くことも何度もあった。そのたび、會津人としては心境複雑だった。ここでは會津は今でも賊軍の国なのだ、と。(ただし、禁門の変=蛤御門の変で御所を守った會津藩士たちだけは天皇(=孝明天皇)を守ったということで神様になっている。ふう。)
亀井静香氏や石原慎太郎氏ら(中曽根元首相も)が2016年に当時の靖国の宮司、なんと徳川慶喜の曾孫である徳川康久氏に上記「賊軍」兵士も祀るべきだと進言したが、結局曖昧なこととなった。
「国のために死んだ」人が祀られる神社なら、当然大分で命を落とした自衛隊員もそういうことになるだろう。立派な「官軍」兵士だ・・・あ、兵士と言ってはいけない、隊員だ。そんな<殉国>事案が発生した当日に、「最高指揮官」サマはただXで事実だけ記し、夜は飲み会とはどういう神経だろう。
さて私はもちろん(!)国に殉ずるような人間ではない。「国」など為政者によって転変するものであり、「殉ずる」などという行為は、不変・永劫の価値にしか行い得ないことだ。それは何かと問われたら、peace & loveでしょうよ。それ以外ありうるか?

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