もう晩春、でもそう嘆かずに




世田谷区の区立公園(砧地域では大蔵運動公園)では4月初旬から鯉幟を春風にそよがせる。撤去は立夏ということになるわけだ。上の写真は2年前の玉川野毛町公園のもの。

おいおい、ではありませんか。ちょっと前にお正月で雑煮を食べていたって感じ。もう立夏の話ですよ。1年の三分の一がもうすぐ終わってしまう。

え?充実した4ヶ月だったか?さあ、どうでしょうね。そんな日もあったし、大抵は平凡な日々だったんじゃないですかね、振り返ってみると。

え?そんな充実感のない日々をたくさん過ごして余生が勿体なくないかって?「もっと、もっと」って充実感を求める生き方は・・・還暦前くらいまではそうだったかな、気ばかり焦る感じでね。「いやあ、今日も精一杯生き切ったぞ!」などという生活を今求めてはいないですね。怠けの言い訳?いや、そうじゃなくて。還暦すぎた者にとって怠けって何ですかね、って問いたいくらいです。(MNEMO、居直ってんなあ。)

先日書いたでしょう?パスカルの至言、「すべての人々の不幸は、ただ一つのことに由来する。それは、部屋の中にじっとしていられないことである。」え?今はTVだネットで十分じっとしていられる?時代が違いすぎる?でもそうやって部屋の中にずっといたら、人間て文字通りと言いたくらい<腐る>。

今の季節なら、清々しい春風が吹く晴れの日に外に出ないなどあり得ない。だから私はちゃんと外出します。昔、若い頃は、外出するとなったら大抵の場合人間の付き合い上のことなど何かしらの目的がありました。しかし今は本当に<純粋に!>春風に吹かれたくて出る。まだ暑過ぎない晴れの日を楽しみに出る。それ以外の目的はないんです。そういうことがすなわち年老いることならそれでいいじゃないですか。

そんな境地を歌にしたいな、とは思っています。まもなく会うがっちゃんとその辺りの話をするつもりです。大望などなし。いや、今の境地を歌にできることが大望ならそうだけれどね。

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